山本五十六はフリーメイソンである(1)

山本五十六は海外に多くいた。大正5年海軍大学を卒業、第二艦隊参謀となるが病気で休職、続いて同6年、海軍省軍務局第二課を経て8年5月20日、米国駐在となって横浜を出港した。アメリカではボストンのハーバード大学に籍を置き英語力を身につけた。

大正末から昭和の初めにかけては再び渡米し、日本大使館付武官として2回目の米国在勤をしている。米国在留中に五十六は中佐に昇進、アメリカの産業やヤンキー精神に強く瞠目するが、五十六がフリーメーソンに入信したのもこの頃と思われる。

五十六は在任中にアメリカで石油および航空軍備について強い影響を受けた。
大正7年に五十六は帰国、10年から12年半ばまで海軍大学の教官に任じた。その後9カ月の欧州視察旅行を終え、大正13年3月帰国。そして1年3カ月後、五十六は三たび渡米。アメリカの日本大使館付武官となった。戦前の海軍でこれほどアメリカと縁の深い軍人は他にいない。


山本五十六が連合艦隊司令長官になった頃、ハーバード大学ルートの情報で、米国の海軍力は、山本五十六が司令長官である間ならば、日本に撃って出ても勝算があり、悪くいっても五分五分で決着がつく。早々に戦端を開くべきだという海軍側の意向が伝えられてきた。しかもその理由のなかに一項目、山本はフリーメイソンの結社員だから、という条項が入っていた。


「ユダヤは日本に何をしたか」より。
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by kabu_kachan | 2013-01-07 00:10 | フリーメイソン | Comments(0)
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