山本五十六はフリーメイソンである(2)

『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪』 中川八洋:著

第二節 怯儒に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六

山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

一九〇五年五月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、一八〇五年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の旺としても考え付くものはいまい。。

しかも、バール.ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。

山本五十六は死刑 海軍刑法第四四条

一九四二年六月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、〃最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーバー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。

第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗、、しているのにもかかわらず、空母四隻の前方二㎞にいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母四隻よりはるか後方五四〇㎞に「逃亡=職場放棄」していた事実。

第二の理由は、四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

「第四四條指揮官その艦船軍隊を率ゐ 故なく守所もしくは配置の場所に就かずまたはその場所を離れたるときは左の区別に従て処断す
一、敵前なるときは死刑に処す
二、略
三、略」
「第三八条指揮官その尽くすべきところを尽くさずして敵に降りまたはその艦船もしくは守所を敵に委ねしたるときは死刑に処す」

空母一隻につき、海戦の場合、必ず、戦艦二隻を空母護衛のため、その前方と後方に張りつけなければならない。両脇は、巡洋艦と駆逐艦とが囲んでいなくてはならない。空母とは、最強の〃長槍の戦士"だが、鎧を着ていない。だから、鎧を着た重厚な戦士たちが、その前後左右にいて、"長槍の戦士"を護る「鎧代行」をする。また、当時の空母は、受信能力が低く、戦艦による「受信代行」も不可欠であった。

空母は、団子のように固めてはならず、原則一隻ずつで陣形を組む(図1)。バラバラが基本である。仮に複数空母をまとめるとしても、敵の航空攻撃の射程圏内に入るときは、決して二空母以上はしてならず、この場合、二空母を進行方向に縦列にする。ところが、ハワイに出撃した南雲の六空母陣形は、平時の観艦式のつもりなのか、あってはならない最も危険な陣形であった(図2)。たまたま、敵の空母部隊の攻撃がなかったのが幸運であった。

ミッドウェー海戦における南雲の四空母の機動部隊もまた、この艦観式ダイプの二列の団子形であり、戦場の現実がわからない、素人の陣形である。空母機動部隊の戦闘陣形も知らない山本五十六の、その"空母主義"など、現実から遊離した観念のレベルであった。山本にとって空母は、"豚に真珠"であった。空母を十全に働かせるには、戦艦「大和」こそ、これら空母の先頭にいて防空と通信の二大任務を果たしていなくてはならない。

実際にもミッドウェー海戦で、山本五十六が率いる直率の部隊には戦艦が三隻もあった。空母四隻のはるか後方でブラプラしていた役割不明の「警戒部隊(高須四郎中将の指揮)」には戦艦が四隻もあった。これだけでも七隻である。南雲・機動部隊(空母四隻、戦艦二隻)にこれを加えれば、戦艦はすべてで九隻も現場にいたのである。空母四隻を守る戦艦は、ちゃんと出撃していた。
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by kabu_kachan | 2013-01-08 04:47 | Comments(0)
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