「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者

Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk



【原爆投下はユダヤ人によってなされた】


反米右翼はこの季節になると必ず私をこのように批判した。「米国は広島・長崎に原爆を投下して日本人を虐殺した、それでもお前らは親米なのか?」

私の答えはいつも一貫していた。

「米国は一握りのユダヤ人によって支配された国であり、そのユダヤ人に対する批判活動を行なってきた数少ない活動家である。そして、そのユダヤ人こそ日本へ原爆投下を行なった張本人に他ならない」

皆さんも<マンハッタン計画>という米国において秘密裏に行なわれた原爆の研究開発とその作戦については耳にしたことがあると思います。

その<マンハッタン計画>には多くのユダヤ人が参加した。もう殆どがユダヤ人であったと言っても過言ではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=hCSzdpDMwis

<おまけ>
http://www.youtube.com/watch?v=pNOoIe57mVw&feature=BFa&list=PLDB1B5614857BF088

本日はそれを「ヘブライ館」というサイトの中にある。<原爆・ホロコーストの実態>から転載してご紹介することに致します。

■第1章:「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者

●戦後のアメリカの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産官学複合体)を生み出す大きなきっかけとなったのは、「マンハッタン計画」である。

「マンハッタン計画」とは、第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスター トさせた原爆開発計画のことである。5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の 日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子 爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。

この軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」は、多くのユダヤ人科学者が参加したことで知られている。具体的にみてみよう。

●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。

彼はハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家の家に生まれ、1930年に渡米。天才的頭脳の持ち主であり、現在のほとんどのコンピュータの動作原理である ストアードプログラム方式を考案した。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者で、現在使用されて いるコンピュータは「ノイマン型コンピュータ」と呼ばれる。また、彼はゲーム理論におけるミニ・マックス法の発明者としてや、自己増殖オートマトンの考 案、量子力学についての研究でも知られている。

大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問として参加。

爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できることを10ヶ月に渡る計算により導いた。また、地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことも計算により導いた。

その圧倒的な計算力と、極めて広い活躍領域から、「悪魔の頭脳」と評された。

●次は、レオ・シラードである。彼もハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者である。

彼は原爆のアイデアを思いつき、同じユダヤ人でドイツからアメリカに亡命したアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す手紙=「アインシュタイン書簡」(1939年8月)を送ったことで有名である。この手紙がきっかけとなって、アメリカの原爆開発はスタートしたのだ。

ちなみに、シラードがアインシュタインに自分のアイデア(核連鎖反応)を話したところ、アインシュタインは「考えもしなかった」と驚いたという。アインシュタインは、シラードが手紙を持ってきてから2週間悩んだすえに、署名したのだった。

※ アインシュタインは手紙に署名しただけで、「マンハッタン計画」には参加していない。彼は、手紙に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の人生を平和のために捧げた。

●同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者にエドワード・テラーがいる。彼はハンガリーからドイツに移り住んでいたが、ヒトラーの迫害を恐れたためイギリスを経てアメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加した。

(エドワード・テラーは1939年、アインシュタインの別荘をシラードとともに訪れていた)。

そして、彼は誰よりも早く、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた「超強力爆弾」(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと主張し、戦後、積極的に「水爆計画」に携わった。そして、1952年にソ連より半年早く水爆実験に成功し、「水爆の父」と呼ばれた。その後、「ロスアラモス研究所」に代わる第2の核兵器研究所「ローレンス・リバモア国立研究所」の所長に就任。

中略

●さて、話を「マンハッタン計画」に戻そう。

同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加したユダヤ人科学者に、ユージン・ウィグナーがいる。彼は「原子核反応理論」で1963年にノーベル物理学賞を受賞した。

●今まで紹介したユダヤ人科学者、フォン・ノイマン、レオ・シラード、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナー……。

こうして並べてみると、ハンガリー生まれのユダヤ人科学者が「マンハッタン計画」で大きな力になっていたことが分かる。特にシラード、テラー、ウィグナーの3人は、原爆開発の発端となった「アインシュタインの手紙」の作成に直接関わった「ハンガリー3人衆」である。

もちろん、ハンガリー系以外にも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者は大勢いる。有名なところでは、「ロスアラモス研究所」の所長に就任して「マンハッタン計画」を主導したロバート・オッペンハイマーである。(彼はニューヨーク生まれのユダヤ人である)。

●ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物である。彼は、最初から最後まで投下目標について日本だけを論じており、ドイツを投下目標として論じたことはなかった。

彼は戦時中、日本への原爆使用に反対した科学者たちを巧みにのけ者にしていった。そして、1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。

●しかし、オッペンハイマーは、戦後は核開発、特に水爆に反対するようになり、水爆の開発をめぐって、推進派のエドワード・テラーと激しく対立したことで知られている。

彼は、1945年10月に、ロスアラモス研究所の所長を辞任する際、「人類がロスアラモスと広島の名を呪う時が来るだろう」という言葉を残している。

●オッペンハイマーと同じく、ニューヨーク生まれのユダヤ人科学者、リチャード・ファインマンも、大戦中、「マンハッタン計画」に携わり、重要な役割を果たした。彼は量子電磁力学におけるくりこみ理論で、1965年にノーベル物理学賞を受賞した。

ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者、ハンス・ベーテも、「マ ンハッタン計画」に携わった。彼は、ファインマンの良き指導者となり、ロスアラモス研究所の理論物理学部門の責任者(初代理論部長)を務め、疲れを見せな い研究への没頭ぶりから「戦艦」と称された。戦後は、歴代アメリカ大統領の核兵器問題担当上級顧問を務め、核融合の研究で、1967年にノーベル物理学賞 を受賞した。

ファインマンとベーテの2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な核分裂しやすい材料の量など、鍵となる数学方程式を考え出した。ファインマン の才能の1つは、数式を頭の中で早く解くことができるということであった。ファインマンとベーテは、三次方程式が早く解ける短絡解法を編み出したことでも 知られている。

●ノーベル化学賞受賞のハロルド・ユーリーも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

彼は1934年に「重水素」発見の功績によりノーベル化学賞を受賞し、第二次世界大戦ではその功績を買われて「マンハッタン計画」に参加。ウランからウラン235のみを得るための「気体拡散法」を開発し、原子爆弾の実現に大きな貢献をした。

●1925年にノーベル物理学賞を受賞したジェームズ・フランクも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

ドイツからアメリカに亡命した彼は、オッペンハイマーと違って、実戦使用される前から原爆の対日投下に反対していた。彼は大戦末期の1945年6月11日に、対日戦での原爆の不使用を強く勧告する「フランク・レポート」を政府に提出したことで知られている。

●先に紹介した、最初に原爆製造を進言したユダヤ人科学者レオ・シラードも、ナチス・ドイツの敗北が決定的になると、原爆の実戦使用(対日投下)に反対するようになった。

シラードにとって「原子爆弾」とは、ナチスの脅威に対抗するためのものであって、日本に使用するためのものではなかったのだ。

1945年3月、シラードは、アインシュタインと会い、再び大統領への手紙にサインするよう求めた。原爆の対日投下を阻止しようと、シラードは、大統領に働きかけるつもりだった。原爆開発を進めるにも、原爆投下を止めるにも、アインシュタインの名声が必要だったのである。アインシュタインは、再びシラードの意見に同調しサインした。

しかし、効果はなかった。

シラードは対日戦争での原爆使用に対して最後まで「反対請願」を展開したが、時すでに遅しだったのである。(戦後、シラードは、分子生物学へ転向した)。

●「近代量子論の父」で同じくノーベル物理学賞受賞のニールス・ボーアも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。(彼は、アインシュタインにつぐ、20世紀で最も影響の大きかった物理学者で、「近代量子論の父」と世界的に認められている)。

ボーアは大戦中、アメリカに渡り「マンハッタン計画」に参加した。しかし、彼は原爆が日本に投下される前に、その巨大な破壊力がいかに恐ろしい惨禍をもたらすかを誰よりも早く悟っていた。

戦争が連合国側の勝利に終わると、ボーアは祖国デンマークに戻り、その後の人生を、「超大国が責任を自覚し、核エネルギーを適正に管理し、平和利用に専心するように促すこと」に捧げた。

しかしその努力は、実を結ぶことはなかったのである。

●結局、原爆開発に関わる科学者たちを駆り立てた「戦争早期終結論」は、広島に続く「長崎」への原爆使用によって、「ドイツ原爆対抗論」と同様に虚構の理論であったことが明らかにされた。

●最新の調査によると、アメリカ政府は1943年5月という早い時点で「対日投下」を決定し、原爆使用を来たるべき戦後の原子力開発競争において、アメリカがとりわけソ連に対していかに優位を確保していくかを中心に議論していたことが判明している。

大戦中、アメリカとソ連は同じ陣営に属してはいたが、戦後の世界再建に向けてにらみ合っていた。ともに増大する軍事的脅威に危機感を感じ取ってい た。ソ連はヨーロッパ戦線でベルリンを陥落し、東ヨーロッパの大部分を手中に収めるにまで至っており、アメリカと対等の席につくはずであった。ところが、 原子爆弾という切り札によってソ連の優位は崩れ、アメリカに交渉のイニシアティブを握られてしまったのである。

原子爆弾は「対ソ外交」を有利に運ぶ上で、効果的な材料だったのである。

●ちなみに、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。彼は日本人を蔑視し、京 都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていた のである。

しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。

●一般に、この時にスチムソンが京都を原爆のターゲットから外した理由として、「スチムソンは京都が歴史のある都市であることを理解していたから」という “美談”で語られる場合があるが、だまされてはいけない。この“美談”は、戦後、GHQがお涙頂戴好きの日本人を洗脳する為に、意図的に流したニセ情報で ある。

アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。

スチムソン以外にも、「京都を戦果から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいるが、すべて何の根拠もない流言に過ぎないのだ。詳しくは吉田守男著『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(角川書店)を読んで欲しい。当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったのである。

●ところで、「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領(ユダヤ人)は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。

当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

●当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」

●さて、最終的に、2個の原爆が日本に「無警告」で投下されたことに満足したフォン・ノイマンは、戦後のビキニ環礁の核実験に立ち会ってガンになり53歳の短い人生を終えた。

また、全人口に対してユダヤ人口が5~6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。

ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調した。

このことからも、ユダヤ人の中には原爆の対日投下に反対する一方で(レオ・シラードなど)、日本に対して敵対的な感情を持つユダヤ人がいたことが伺える。

●ところで、アメリカのユダヤ人には、猛烈な反日ユダヤ人もいれば、日本の文化を愛する親日ユダヤ人もいる。

現在も、日本に何の興味も持たないユダヤ人もいれば、「日ユ同祖論」を信奉する強烈な親日家もいる。また、アジアの中では日本よりも中国(華僑勢力)との友好を求めるユダヤ人もいるし、アジア勢力全体を嫌悪するユダヤ人もいる。

アメリカのユダヤ人は、親日家と反日家含め、実にさまざまな人間がいるといえよう……。

以上、見てきたように、原爆の誕生にはユダヤ人が大きく関わっている。これは否定できない事実である。

もちろん、対日使用に賛成の者もいれば、反対の者もいた。様々なユダヤ人が様々な「思惑」を抱いて関与していたのである。(念のために繰り返しておくが、当館は、「原爆の責任は全てユダヤ人にある」と主張するつもりはない)。

これら原爆に関わったユダヤ人たちに対する評価は、人によって大きく分かれると思うが、いずれにせよ、広島と長崎の悲劇は、アメリカ政府が犯した「戦争犯罪」だったことは確かである。(この件に関しては、次章で詳しく触れたい)。

反米右翼は反ユダヤ」主義の立場を明確にしていない。反米とは言っても反ユダヤで我々と共闘したこともない。何故か反ユダヤ主義を避けてきた。ヒトラーを評価するとユダヤ人虐殺のホロコーストを擁護しなければならないので、逃げてきたと思います。

私は反米を掲げてはいないが、反ユダヤを掲げてきました。日本人虐殺を狙った広島・長崎への原爆投下はユダヤ人の手による許されない日本人への戦争犯罪なのです。

http://kabukachan.exblog.jp/18798239/

http://mshks1318.iza.ne.jp/blog/entry/2790294/より引用作成。
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by kabu_kachan | 2013-08-17 18:31 | ユダヤ | Comments(0)
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