サッスーン財閥とジャーディン・マセソン商会

★サッスーン財閥は、18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪家族で、オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。 この一族に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。 

Sassoon & Rothschild Family Tree600
 
彼は、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人でありました。  


当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらしていた時代でした。


そして、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意させられました。

イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。


「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男のアーサー・サッスーンが最大の株主となり、香港上海銀行は設立されました。  その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに関係する役員で構成されていました。

デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、

当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。


しかし偶然と言うものは恐ろしいもので、アブダラの息子エドワード・サッスーンの妻の名はアリーン・ロスチャイルド、何と本当のロスチャイルド家の娘と結婚したのです。 その後も、この両家は複雑に婚姻関係を結び、中国とインドで悪いことばかりしていたのです。


サッスーン一族は、アヘンで莫大な富を築く一方で、わが国の片岡物産が代理店となっているイギリス紅茶の総元締めとしても知られました。 

紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていたのです。 我々が呑気に飲んでいるイギリス紅茶の裏側では、人権を無視され家畜の如くムチ打たれるインドの人々と、アヘンで廃人同然にされた多くの中国の人々がいた事を忘れてはなりません。


日本でなじみのあるサッスーンといえば、神戸市北野町にある異人館、サッスーン邸がありますが、これは実際に居住していたユダヤ系シリア人のデヴィッド・サッスーンの名をとったもので、現在は結婚式場になっています。  名前は同じですが、最初にお見せした写真のデヴィッドではありません。  

女性の方なら、サッスーンと聞けば、安室奈美恵が宣伝する、ファッション界でヘアースタイリストとして有名なヴィダル・サッスーンを思い起こすと思いますが、ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいたデヴィッド・サッスーンで、先祖は「阿片王」のデヴィッド・サッスーンです。


★ジャーディン・マセソン商会は、元東インド会社の船医でマニアック商会の共同出資者であるスコットランド出身のユダヤ人ウィリアム・ジャーディンと、同じくスコットランド出身のユダヤ人で、カルカッタで貿易商として独立し、マニアック商会の共同出資者であったジェームズ・マセソンにより、1832年に中国のマカオに設立された貿易商社で、主なビジネスはアヘンと紅茶で、東インド会社後期の利権をめぐって、サッスーン財閥と激しく争っていました。  その後、アヘン戦争が終わると、1941年に本社を香港に移しています。

明治維新の功労者で、フリーメーソンでもあるトーマス・グラバーが長崎に設立した 
「グラバー商会」 は、このジャーディン・マセソン商会の代理店でありました。


サッスーン財閥と激しく争ったジャーディン・マセソン商会ですが、1877年に、ジャーディン一族と結婚したファミリーとしてとケズウィックという人物が現れ、サッスーン=ロスチャイルド連合との和解を申し出て、このアヘンにまみれ、悪いことばかりしている2つの会社は手を組むことになりました。

そうして、このジャーディン一族のウィリアム・ケズウィックはサッスーン一族(ロスチャイルドと親戚)が最大株主であるHSBC(香港上海銀行)の取締役として迎えられ、

そうして、ジャーディン家・マセソン家・ケズウィック家・ロスチャイルド家・サッスーン家は複雑に婚姻関係で結ばれていきました。

大英帝国のヴィクトリア女王の時代に、アヘン戦争は起こりましたが、その莫大な利益により、その富を取り扱う銀行が必要になりました。

1864年、太平天国が滅亡し、メーソン・ロッジが上海に林立した年、ロンドンで植民地協会が設立され、その4年後、同協会は、英国王室の後ろ盾によって、王立直轄植民地協会と名を改め、この王立直轄植民地協会によって創立された金融機関が、
HSBC(香港上海銀行)であります。

出資者は、デビッド・E・サッスーン商会、エヴリン・ベアリングのベアリング商会、ウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンのジャーディン・マセソン商会、そしてロスチャイルド人脈の役員によって構成されているバークレイズ銀行であり、全員が高位フリーメーソンのメンバーであったのです。

東インド会社の蛮行が世界の非難を浴び、正式に東インド会社は消滅しますが、名を変えてその利権は、HSBC(香港上海銀行)、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥、ジャーディン・マセソン商会などが引き継いでいったのであります。

少し、話は飛びますが、アメリカ大統領は以前はハーバード大学出身者で占められていましたが、最近ではブッシュ大統領はじめエール大学のスカル&ボーンズ出身者が幅を利かせています。  

このスカル&ボーンズを創設したのが、エール大卒業生のウィリアム・ラッセルとアルフォンゾ・タフトですが、このウィリアム・ラッセルのいとこが、中国のアヘン戦争の引きがねとなる世界最大のアヘン密輸企業のジャーディン・マセソン社と手を組んでいた、ラッセル・アンド・カンパニーの経営者であります。 あの名門エール大学も、その資金は中国のアヘンの利益から得ていたのです。

ジャーディン・マセソン商会は、超高級コニャック「ヘネシー」を販売し、日本では「ホワイトホース」の輸入業者として知られていますが、あのマンダリン・ホテルGrもジャーディン・マセソン商会が運営しているものです。

1963年に、香港に拠点を置くイギリス系の大手総合商社・ジャーディン・マセソン商会のヘンリー・ケズウィック会長の指導の元、当時イギリスの植民地であった香港のセントラルにオープンした「マンダリン香港(現在のマンダリン・オリエンタル香港)」が始まり、その後社名をマンダリン・インターナショナル・ホテルズと改名し、1974年には、タイのバンコクにある有名ホテル、「ザ・オリエンタル・バンコク」を買収し、1985年に現在のマンダリン・オリエンタルホテルグループの社名に改名しました。

現在、13カ国に21(約8,000室)のホテルを展開し、シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツや香港&上海ホテルズと並び、アジアを代表する高級ホテルチェーンとして欧米でもその名が知られており、2005年12月2日には日本初進出となるマンダリン・オリエンタル東京が日本橋にオープンしています。


ロスチャイルドグループであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシ-)の洋酒販売部門は、元ジャーディン・マセソンとダルモア蒸留所の合弁洋酒会社(ジャーディン・ワインズ&スピリッツ)からジャーディンが合弁から離脱し、LVMH傘下となり、MHDディアジオ・モエ・ヘネシーという会社になったものです。


また、明治維新で伊藤博文、井上馨ら長州5傑(Choshu Five)が、グラバーの仲介で、イギリスに密航しロンドン大学に留学に行きましたが、そのときの船はジャーディン・マセソンのもので、彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソンでした。

このように、明治維新はフリーメーソン、ジャーディン・マセソン商会、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥と深く関わっているのです。

明治維新では、ジャーディン・マセソン商会は、アメリカ南北戦争が終わり売れ残った武器を上海で取扱い、維新軍は「グラバー商会」を通じて、銃や軍艦なども輸入しています。

その取引のダミー商社が坂本龍馬が長崎に設立した「亀山社中」であります。  
この「亀山社中」は、後に「海援隊」と改称されました。


http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.htmlより。
     ↑ここに聞いたらどうですか?

もう一つ追加。

サッスーンの話からするか。
 
ロスチャイルド系アジア担当とも言えるユダヤ財閥サッスーン家は、もともとはイスラエル亡国後に、スペインのグラナダを経てギリシャのサロニカに流れ、十六世紀にはイラクのバグダッドでシルクロード貿易で巨万の富を得ていた。
 
1831年、バグダッドで生まれたディビッドがインドのボンベイに「ディビッド・サッスーン商会」を設立する。
これが英国東インド会社による阿片の専売権を受け持つ事になる。
 
で、英、印、中国(清)の三角貿易で阿片戦争が起きる。
英国の勝利、上海、香港を本格的拠点として、阿片にとる欧米のアジア進出の図式は決定的なものになる。
その代理店が、当時の上海で支店「E・D・サッスーン・カンパニー」を開いていたサッスーンなのである。
で、アヘン貿易の利益をプールする役割を持ったのが、ジャーディン・マセソン商会、ベアリング商会などと共に作った香港上海銀行、今のHSBCである。サー・フィリップ・サッスーン。
 
簡単に、平たくして言うとこんな感じ。
 
 
しかし、サッスーン=アジア進出のロスチャイルド組織は、イオリア・シュヘンベルグ・・・・じゃなかった、ショーン・アイゼンベルグによって乗っ取られる事になる。

イスラエルの諜報組織、モサドを作った一族であるアイゼンベルグは、ロスチャイルド子飼いの部下、戦前から中国アヘンを仕切って来た中国在住のサスーン一族を皆殺しにしているわけです。
 
この時、阿片ネットワークの乗っ取りも行われ、これは当時の関東軍及び、日本人も関係している。中国阿片王である里見甫である。
そして旧三井と三菱の軍事産業のところが、この乗っ取りに協力したわけである。
ここらへんの一部は、ハリマンと満鉄の関係に繋がります。
アイゼンベルグ社の大株主が、アメリカの副大統領をつとめていたディック・チェイニーであることでも、アメリカ軍事産業=ロックフェラー=アイゼンベルグの図式になっている証明でもありますね。
 
ここらへんが上海=サッスーンだったのが、上海閥=ロックフェラー陣営(アジアではJもかなり混じっている)となった経緯です。

ちなみに、シャンプーの「ヴィダル・サッスーン」は、60年代ロンドンでモッズを流行らせたユダヤ系カリスマ美容師のヴィダル・サスーンからきていて、このサッスーンと同族である。日本ではP&G。
そういえば、冬ソナペンション=統一教会も報道した時にP&Gがスポンサーだったな。
で、そのシャンプーのCMをやってる安室奈美恵などが所属していた「沖縄アフターズスクール」は、サッスーンから麻薬利権を奪い取った日本陸軍、それと関係が深い昭和通商の牧野雅広の息子が作った芸能プロダクションという不思議な話であるそうな。
 
 
この乗っ取りがあったために、ロックフェラー陣営がJとD混ざっている状況にもアジア、上海やら香港はなっているわけです。
江沢民(上海幇)の息子、江綿恒がゴールドマン・サックス勤務とかね。
サッスーンからアイゼンベルグに乗っ取る際は、赤幇や青幇もサッスーンを裏切ってるわけです。
 
 
この白人支配の間接統治が華僑であり、その中核をしめるのが客家である。

この乗っ取られはしたが、サッスーン財閥やオットー・ウルフ財閥(仏)などによって出来た金融システムは、華僑人脈(客家)のアジア中央銀行グループなどのコミニティに継承されている。
 
サッスーンからのアイゼンベルグの乗っ取りが成功したのは、「日本の協力」とともに、サッスーンが中国共産党ではなく、中国国民党よりであったからとも言われている。
フグ計画の際には、サッスーンは蒋介石を支援し、日本との対立は激化したわけです。
サッスーンからアイゼンベルグ、日本陸軍が乗っ取った時期は、1940年頃であり、その当時、新日鉄の会長であった永野重雄の娘とアイゼンベルグは結婚していたりします。
 
この満州族(日本支援)に対して、サッスーン系が力を失ったのにも理由があります。
この根底にも漢民族にとっては、清朝という満州族支配(ツングース)=日本支援の図式は、自身の国ではなく、あくまでも対立図式であるということです。
この民族対立の図式は、「正統な漢民族」を自称するマイノリティ、客家も同じで反清復明を掲げている。
 
つまり、清も満州支援の日本が嫌いだったわけです。

清の官僚、袁世凱を中心とする北洋軍閥と中国国民党が対立した際、満州国を中国国民党が黙認する形になり、それが結果として漢民族勢力や客家の支持を失いました。

サッスーンは、阿片戦争で、この清(北洋軍閥も)と繋がっており、そして中国国民党よりの立場でしたので(双頭)、その両方が「漢民族として好ましくない態度をとった」ということで、サッスーンと客家勢力の対立図式になってしまったわけで。

そこで結果的に中国共産党が、のし上がる形になるわけです。
で、アイゼンベルグと日本の「中国麻薬利権の」乗っ取りがうまくいったと。
 
だから、その部分では客家は「清やサッスーンに対して、日本と協力して麻薬利権乗っ取りをしている」わけです。
しかし、この中国共産党がのし上がった経緯なども「反日である事が必須条件」みたいになってしまったわけです。
漢民族、そして客家の支持を得る為にね。
そそ、中国共産党と中国国民党、「どっちが反日か競争!」みたいになっていたのは。そこは漢民族のお話ということです。
反清復明という都合から。
 
どっちも、日本留学や日本亡命だらけなのにね。
 
http://www.mkmogura.com/blog/2009/10/16/470#comment-42298  

サッスーン財閥の歴史
http://kabukachan.exblog.jp/22126720/




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by kabu_kachan | 2014-05-16 11:07 | 歴史 | Comments(1)
Commented by 水木里香 at 2015-01-20 07:29 x
ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいたデヴィッド・サッスーンは、どこからの引用でしょうか?教えていただきませんか
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