世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』

日本国民は明治以来、二つの大きな夢を描いてきた。日本の独立を全うして、世界の一流国と伍するようになることと、人種平等の理想の世界を実現することだった。

第一次世界大戦が終わると、パリ講和会議が1919(大正8)年に開かれた。ベルサイユ宮殿で調印されたことから、ベルサイユ講和会議とも呼ばれている。
この会議によって、今日の国連(国際連合)の前身に当たる国際連盟が創設された。日本全権団がこの会議において、新設されることとなった国際連盟の中で、「人種平等の原則」を定めることを強く主張したことは、よく知られている。

★大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!
https://www.youtube.com/watch?v=U7AsnClmn-w&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz

★祖先が目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI


https://www.youtube.com/watch?v=PzymgZVDPAM&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=14

それにもかかわらず、全世界にわたって植民地を持っていた西洋の列強国によって、拒まれた。そこで、日本の孤独な戦いとなった。

日本の提案に、先頭に立って猛反対したのが、アメリカのウィルソン大統領だった。ウィルソン大統領は第一次大戦後に、「民族自決」・・・各民族がそれぞれ独立する自由を許されるべきこと・・・を提唱した理想主義者として、歴史に名を刻んでいる。しかし、ウィルソン大統領の「民族自決」は、白人だけに適用されるものだった。有色人種ははじめから、除外されていた。白人以外は眼中になかった。イギリスや、フランスをはじめとする諸国も、反対した。

https://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=2

「民族自決」を提唱し、理想主義者としてその名を刻んだウィルソン大統領だが、実態は白人だけの民族自決であり、白人以外は眼中になかったのだ。

アメリカやイギリスなどの連盟諸国はとても「民族主義国」と呼ばれるような国ではなかった。しかも、アメリカやイギリスは、自国内や植民地で公然と人種差別を行なっていたから、民主主義国を自称する権利が、はたしてあったのだろうか。


当時、アメリカは国内で、黒人を法的に差別していた。黒人に対する差別は、当然のこととして、全国でひろく行なわれていた。野球はアメリカの国技であるが、黒人が野球選手になれるようになったのは、第二次世界大戦後のことである。
第二次世界大戦によって日本がアジア諸民族を解放すると、アメリカも国内で黒人を差別できなくなった。


今日では、西洋諸国において第二次世界大戦はアメリカや、イギリスをはじめとする「民主主義勢力」とドイツや、日本などの「ファシスト勢力」の戦いだったと信じられている。

ドイツはソ連と同じファシスト国家だった。しかし、いったい国の内外で有色人種を差別して、人権を踏みにじっていたアメリカや、イギリスなどの連合諸国を「民主主義国」と呼ぶことができるものだろうか?


日本が1940(昭和15)年9月に、ナチス・ドイツと同盟条約を結んだのは、日本がナチス・ドイツの独裁政治を良しとしたからでも、ナチスのように世界征服を目指したからでも、その人種政策に賛成したからでもなかった。その時の世界政治の力関係のなかで、アメリカに対抗しようとして、そうしたのだった。
これはアメリカやイギリスが、スターリンのソ連と組んだのと変わりがなかった。だからといって、アメリカやイギリスが、ソ連と同じような国であったとは、とうてい言えまい。


日本が第二次世界大戦を戦った結果として、数世紀にわたって白人の覇権支配のもとに置かれていたアジア・アフリカ諸民族が、鎖から解き放たれた。アジア・アフリカ諸民族は、はじめて陽光をみることができて、自由を回復できた。
アメリカもそのために、黒人を差別し続けることが、できなくなったのだった。今日、タイガー・ウッズがゴルフ界のスーパースターとして活躍しているのも、第二次世界大戦が人種平等の世界をもたらしたからである。黒人がゴルフ競技や、テニスの選手権に参加できるようになったのも、日本の力によるものだった。

★なぜ日本人は、 大東亜戦争(太平洋戦争、第二次世界大戦)を戦ったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=SuANLbviDFw


★もう一度言うが、タイガー・ウッズたち黒人がゴルフやテニスに参加できるようになったのは、日本が第二次世界大戦を戦った結果、数世紀にわたる白人のアジア・アフリカ諸民族に対する植民地支配が崩れたためである。

★<日露戦争~太平洋戦争>と米国黒人社会


http://kabukachan.exblog.jp/24625062/


★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度


http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

https://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp

https://www.youtube.com/watch?v=xrihV_GUQoc


人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。イギリス帝国の自治領であったオーストラリアアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。(Wikipediaより)



【3S政策・日本人洗脳白痴化計画】『新・霊界物語 十九話』
https://www.youtube.com/watch?v=w30RSuafR1M


【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト#005】
https://www.youtube.com/watch?v=KIeJfgYeMMY&nohtml5=False






★自己紹介(私の起源)

平瀬城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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平瀬城
長野県
平瀬城主郭部
平瀬城主郭部
城郭構造山城、居館
築城主平瀬氏
主な城主平瀬氏原虎胤
廃城年1553年
遺構曲輪、土塁
指定文化財なし

平瀬城(ひらせじょう)は、長野県松本市にあった日本の城

http://www.asahi-net.or.jp/~JU8T-HNM/Shiro/TokaiKoshin/Nagano/Hirase/index.htm

平瀬城は小笠原氏の家臣平瀬氏の城であった。小笠原長時天文19年(1550年)、武田晴信に攻められて本城である林城を捨ててこの平瀬城に撤退し、その後、村上義清を頼り葛尾城に落ちていった。砥石崩れにより武田氏は村上方に敗れたが、その機会に再び小笠原長時は村上義清の援助を得て平瀬城を奪還した。天文20年(1552年)平瀬城は武田晴信により落城し、城主の平瀬義兼は自刃した。晴信は平瀬城を改修し原虎胤に守らせた。天文22年(1553年)、筑摩郡は武田氏がほぼ平定したため、平瀬城は廃城となった。



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by kabu_kachan | 2014-07-25 15:02 | 歴史 | Comments(0)
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