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ユダヤ人のアメリカ移住史(1)

12世紀に、スペインの国土をイスラム教徒から奪回しようとするキリスト教徒による運動が開始された。いわゆる「レコンキスタ」(スペイン再征服)の開始である。

14世紀に入ると黒死病の影響で、スペイン各地でキリスト教徒によるユダヤ人虐殺が起きた。また、ユダヤ人を強制的にキリスト教に改宗させる政策がとられ、ユダヤ人の中にはキリスト教に改宗する者「コンベルソ」が現れた。彼らは上層階級に進出し、ユダヤ人ではないという自らの立場を証明するためにユダヤ人迫害に積極的に参加した。このため、「コンベルソ」はユダヤ人たちから「マラノ(豚)」と呼ばれ、蔑視された。


1480年には「異端審問所」が設置され、プロテスタント教徒やイスラム教徒が処刑された。また、市民から「隠れユダヤ教徒」だと告発された「コンベルソ」は、「異端審問所」に連行され、拷問にかけられた。そこでユダヤ教信仰を表明してキリスト教への改宗に応じなかった者は火刑に処せられた。

1483年に悪名高きトマス・トルケマダが初代大審問官(宗教裁判長)に就いてから12年間で1万3000人の「コンベルソ」が処刑された。

 

こうした狂気が渦巻く中、スペインにコロンブスが現れる。

★アメリカとユダヤ人の関わりは、このコロンブスから始まるといってよい。
(コロンブスはジェノバ出身の商人)。

http://kabukachan.exblog.jp/18225761/

 

コロンブスはユダヤ人だったとの根強い説があるが、真偽のほどは定かではない。

しかし、彼の計画を強力に推進した、アラゴン王国の豪商で租税を管理していたルイス・デ・サンタンヘルと、その親戚でアラゴン王国の大蔵大臣だったガブリエル・サンチェス、そしてこの2人の友人で侍従職を勤めるジュアン・カプレロという人物が、3人とも揃いも揃って「キリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソ)」だったことは事実である。

この3人のユダヤ人が、スペインのイザベラ女王に口をきわめて王室財政の窮迫を訴え、「もしコロンブスが"黄金の国"を首尾よく発見したら、巨億の富が転がり込んでくるだろう」と、言葉巧みに説得したのだった。

更に、コロンブスの航海には少なくとも5人のユダヤ人が同行していたと指摘されている。通訳としてのルイス・デ・トレース、外科医マルコ、内科医ベルナル、そしてアロンゾ・デ・ラカーリエ、ガブリエル・サンチェスといった面々で、このうちトレースは後にキューバに定着し、その後のユダヤ人によるタバコ産業の利権支配の元祖となったといわれている。


1492年初頭、キリスト教勢力の軍隊はイスラム教徒を破り、グラナダを征服。「レコンキスタ」(スペイン再征服)を完成させた。そしてキリスト教勢力は、1492年8月2日、スペインに居住していた約30万人のユダヤ人(スファラディム)を一斉に国外へ追放した。

かつて栄えたスペインのユダヤ社会は突如として崩壊したのである。

イベリア半島から追放されたユダヤ人たちは地中海沿岸各地からアフリカ北岸、トルコ、バルカン地方、イタリア、大西洋岸方面ではハンブルグ、アムステルダム、ロンドンなど、政治・経済の中心地へと分散していった。

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奇しくも、このユダヤ人大量追放の翌日8月3日に、コロンブスは、3隻の船でアンダルシアの港町パロスを西に向かって出航し、70日目に現在のバハマ諸島のグアナハニー島を発見した。コロンブスは、彼のスポンサーであるスペイン両王(イサベル女王と夫のフェルナンド王)にちなんで、この島を「サン・サルバドル島」と命名した。

 

このコロンブスの功績は、ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人たちに、彼らの新天地が南米にあることを示し、これをきっかけに続々とユダヤ人たちが南米に渡った。そして、原住民インディオによる原始生活の続いていた南米において、彼らは第一次産品である銅・スズ・鉄などの開発に大きな成果を上げ、巨万の富を築いたのである。


しかし、このユダヤ人たちの南米における経済的成功の知らせは、ヨーロッパに大きなショックを与え、ユダヤ人をヨーロッパの地から追放したスペインやポルトガルは、直ちに南米のユダヤ人の業績を奪取すべく行動を開始。

このため、南米を追われたユダヤ人たちは、中米を経て、今日のアメリカ大陸の東海岸にたどり着くことになる。よって、「アメリカ(北米)へのユダヤ人の渡来」は、一般に1654年にブラジルでの迫害を逃れたマラネン23名が、マンハッタン地区(現ニューヨーク)に定着したのを始まりとしているようだ。


スペイン・ポルトガルの覇権時代がピークを過ぎると、オランダのユダヤ商人たちはアムステルダムを「新エルサレム」と呼び慣わすまでの一大商業地に発展させ、後にはアメリカ大陸のマンハッタン地区を買い取って、「ニューアムステルダム」と名付けるまでに成長した。

ちなみに、買い取ったのはユダヤ資本が25%以上の株を占めていた「東インド会社」で、買い取られた地区「ニューアムステルダム」は後に「ニューヨーク」と名前が変わったが、現在ではユダヤ人(ジュー)が多いことから、「ジューヨーク」と皮肉られていることは有名である。


http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.htmlより

 


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by kabu_kachan | 2015-03-18 21:22 | Comments(0)
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