「ほっ」と。キャンペーン

日本が開発したトロン(Windowsより先を行っていたOS)

日本の科学者たちよ、立ち上がれ!


    ☟

★ノーベル賞と世界支配 <New World Order>
http://kabukachan.exblog.jp/26037987/



藤田: 「トロンってなに?」
財前: 「日本で独自に開発されたパソコンの基本ソフト・・・つまりOSのことだよ」
「昔・・・日本とアメリカはパソコンのOSの研究開発をお互いに競っていた」
「そして日本はWindowsより前に、画期的なOSの開発に成功した」
「それがトロンだ」
藤田: 「Windowsより?ホント?それ・・・」
財前: 「本当さ・・・」
藤田: 「全然知らなかった・・・」
「OSはアメリカの発想で研究も開発もすべて独自に行ってると思ってた・・・」
財前: 「そんなことは全くない。むしろ日本のほうが先行していた」
藤田: 「・・・信じられない」
財前: 「パソコンのOS・・・現在の世界標準は言うまでもなく」
「アメリカ、マイクロソフト社のWindowsだ」
「据え置きパソコンでのシェアは未だ90%以上あり」
「この躍進のきっかけは1995年に発売されたWindows95にあると言われている」
「このOSから一般ユーザーが使えるレベルの実用的なパソコンが普及したんだ」
「しかしすでに1980年代にWindowsより10年進んでいたと言われるOSを
  日本人が開発していた」
「それが、東京大学の坂村健が考案したトロンだ」
「このOSは使いやすく抜群の安定性を誇り」
「無償で公開されている点が革命的だった・・・その先進性はアメリカの研究者たちを驚嘆させた」
「坂村健の思想と技術には多くの賛同が集まり」
「140社以上の企業が集まったトロンプロジェクトが結成される」
「1987年には当時の文部省が学校に配布する教育用パソコンにトロンの採用を決定」
「日本の大手メーカーは次々と試作機を作り実用化まであと一歩のところまで漕ぎ着けた」
「しかし1989年!その前にアメリカが立ちはだかる!」
「トロンが世界を席巻するとOSを開発している米国企業が打撃を受けるとして」
「アメリカは日本に圧力をかけてきたんだ」
「当時、日本に自動車や家電製品で圧倒され、巨額の貿易赤字を抱えていたアメリカは」
「輸出制限で脅しをかけトロンプロジェクトから手を引くことを迫った」
「その結果、次々と日本メーカーはトロンから撤退を表明・・・文部省も教育用PCのトロンの採用を取り下げた」
「こうしてトロンの一般ユーザー向けOSとしての命運は尽きた」
藤田: 「ちょっと待って、圧力を受けたからって大切な技術を放棄するなんて・・・日本の政府ってそんなに弱腰なの?」
祖父: 「その一因にマスコミが関係してるとも言われているんだよ」
藤田: 「マスコミ?」
祖父: 「その頃、日米貿易摩擦の問題をマスコミは大々的に報じた」
「その中でアメリカの労働者は日本製の車やラジカセをハンマーで叩き壊す映像がしつこいほどテレビで流された」
「これに日本の政府や輸出企業が震え上がった・・・”アメリカは本気で怒っている”と」
「輸出制限といった貿易のルール違反を大国アメリカがするはずもないのに、日本は勝手に恐れおののき
  自らトロンを人質に差し出したのだ」
藤田: 「バカじゃないの?なにやってんの?信じられない」
祖父: 「そんな映像は無視すればいいのに」
「国益を全く考えないテレビ局に潰されたようなもの」
「その後、パソコンの心臓部であるOSをアメリカに握られた日本のメーカーは利益を上げられず」
「基本ソフトを持たない弱さに苦しみ続けている」
「それもこれもすべて日本に国家戦略がなかったことが原因」
「将来IT時代がくると予想できていればソフトウェアが最重要だとわかるはず・・・
  であるならば日本は全力でトロンを守るべきだった」
財前: 「それができなかった・・・未来のビジョンをしっかりと描いてなかったために」
「IT技術の覇権を握るチャンスを逃した」
藤田: 「もしその時・・・トロンが一般的OSの地位を確立していれば」
「ITにおける現在の日本の立ち位置は全く違うものになっていたのね」
財前: 「間違いなく日本はITで世界をリードしていた」
「もっと活力に満ちた国になっていたはず・・・」





【日本航空123便墜落事故の真実】日航墜落の狙いはトロンOSの技術者だった!?「トロン」が完成していれば、Windowsの躍進は無かった!


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8月12日で28年前に発生した日本航空墜落事故から28年が経過しましたが、この事件の全貌は未だに明かされていません。例えば、日本航空墜落事故直後には撮影された生存者がいたのに、その生存者が死亡扱いされていたり、墜落直後に現場に到着し救助活動開始していた米軍に中止要請が出たことなどなど、上げればキリがないほどです。

もしかすると、若い方はこの事件のことを知らないかもしれないので、簡単に日本航空墜落事故について説明をします。
この事故が発生したのは1985年8月12日18時56分で、日本航空123便が群馬県多野郡上野村の御巣鷹に墜落したというものです。犠牲者数は520名で、生存者数は4名だけでした。お盆の帰宅ラッシュ時と被ったことで著名人なども犠牲となり、当時は非常に大きく報道されていたようです。


☆日本航空123便墜落事故
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

引用:
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[1]によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2013年8月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である[※ 2][※ 3]。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。特にこの事故を指して『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされている。これをもって公式な原因調査は終了している。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声があるが、現在に至るまで行われていない。

事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった[7]。このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという[10]。
:引用終了


ここまでならば良くある普通の事故なのですが、この事故を詳しく調べてみるとあまりにも不可解な点がいくつも浮上してきます。特に象徴的なのは生存者に関する情報です。当時の新聞記事や報道を見てみると、最初は数多くの生存者が報告されていたのに、実際に発見された生存者はたったの4人だけ。

しかも、救助活動に出撃しようとした部隊に対して、中止命令なども出ているのです。その上、重要な情報であるボイスレコーダーも最近までは非公開状態でした。誰がどう考えても、これは変です。


☆日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)


☆日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図 Ver1.2 & ボイスレコーダー)


☆日航機123便事故当時の日経記事「生存者の内1人は少年らしい。」
URL http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1303.html

引用:
日航機123便事故の生存者は4人の女性のみである。
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飄(つむじ風)
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/10/123
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新聞記事の拡大

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この中にその男の子はいた.
http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/kaeranai.jpg
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http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/13_23m.jpg

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:引用終了

☆123便 生存者川上氏「前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識が
URL http://ja8119.iza.ne.jp/blog/entry/589773/

引用:
・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった
・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言
(垂直尾翼を破壊されても、エンジンには支障のない飛行機が火を吹くはずはないのです)
・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人
・生存者救出のために山腹に到着した時、既に自衛隊員が到着していて生存者救出そっちのけで、(証拠隠滅に)機体の一部を回収していた。(先の特殊部隊と思われる)
・奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話。「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。」 慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えたらしい。しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。
http://310inkyo.jugem.jp/?eid=180
:引用終了


【日本航空123便】~悪魔による撃墜事件~『新・霊界物語 十一話』
https://www.youtube.com/watch?v=l7AWTIMYZWo


つまり、生存者を意図的に助けないで放置していた疑いがあるということです。というか、アメリカ軍が撤退したことからも、これはほぼ確実であると言えるでしょう。
では何故、生存者の救助を遅らせたのでしょうか?
その原因は日本航空に乗員していた搭乗員にあると私は推測しています。墜落した日本航空には日本初のOS「トロン」を開発した技術者ら17名が乗っていたのです。

「トロン」とは「日本版Windows」みたいなもので、当時は非常に画期的な物でした。トロンが導入されていれば、それこそ、「日本にはWindowsを使用している企業は殆ど居なかった」と言われるくらいに凄い物です。


☆17名のトロンOSの研究者を載せた日本航空123便墜落事故・livedoor(311も911も推して知るべしです)
URL http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/338.html

引用:
http://blog.livedoor.jp/omttm202/archives/51462832.html
2010年02月10日17:31
17名のトロンOSの研究者を載せた日本航空123便墜落事故 撃墜されたのか?
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=352

自衛隊の無線技師だった知人の祖父は、事故当時、北海道は根室にて亜米利加空軍の軍事演習のやり取りを処理しており、こんな無線を受けた。

「…あ、当たっちゃった」


いやいやビンゴ、狙い通りでしょ?

追記:尚、この便には、純国産コンピュータ・オペレーション・システム「トロン」開発プロジェクトの技術者17名が搭乗していた。

■TRONプロジェクト
http://ja.wikipedia.org/wiki/TRONプロジェクト

2009年10月6日追記

■ja8119さんの「123memo」:イザ!
http://ja8119.iza.ne.jp/blog/

■(新) 日本の黒い霧
日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。
http://blog.goo.ne.jp/adoi

■日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた 愉快通快 http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/669.html

■123便 メモ - 記事一覧 15件目~
http://gray.ap.teacup.com/applet/123ja8119/archive?b=15
グーグルのOS参入「クロームOS」から思う

<OS無償化時代の到来か>
 マイクロソフトからWindows7が今年発表されたばかりである。
 このWindows7は、前作のVistaに比べて速いとかシンプルであるとかと概ねユーザーには好評のようである。

 そんな中、革新的なアイデアで急成長をしている「グーグル」からOSへの参入が表明されて話題を呼んでいる。
 「クロームOS」と言うのだが、その最大の特徴は「無償」であることであろう。

 これまでOSと言えばマイクロソフト「Windows」の独占的な市場であった。
 ここに無償であるOSが、しかもグーグルから出るという衝撃はかなりなインパクトがあると言ってよい。

 既に、世界トップのPCメーカーである米ヒューレット・パッカード(HP)をはじめ、台湾エイサー、東芝、中国レノボなど世界の名だたるPCベンダーがクロームOSの共同開発に参画することを表明している。
 クロームOSの詳細は不明であるが、同社のウェブブラウザーであるクロームにOS機能を一体化させたもので、オープンソース(プログラムの設計図が公開され、誰でも利用できる)の無償OSと見られているのである。

 中国やインドなどの新興国で急激な伸びを示しているパソコン市場であるが、そこでの必然的な低価格競争に対してOSの無償化によるメリットは計り知れない。
 このことは、世界のOS市場を独占しているマイクロソフトやアップルにとってかなりな驚異となる筈である。

<実は20年前に日本に無償のOSが存在した>
 無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。
 「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。

 95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。
 それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
 即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。

 もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
 日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。

<現在トロンは搭載数が世界一のOSである>
 この日本発の基本OSはその後消滅はしなかった。
 「トロン」には、「Windows」に遥かに勝る「省エネ能力」と「高速処理能力」というメリットがあったのである。

 この特長によって、携帯電話、デジタルカメラ、ビデオカメラ、DVD、FAX、コピー機、カーナビ、銀行のATM、電子ピアノなどあらゆる電子機器が、実は「トロン」で動いているのである。
 何と、現在では、世界で最も搭載数の多いOSに成長しているのである。

 そして、今日のグーグルの「クロームOS」の参入を見たとき、日本の「トロン」は20年も前にその先を行っていたとは言えないだろうか。
 グーグルも米国の企業ではあるが、当時の米国の政治的圧力で「トロン」の採用が見送られたことを、返すがえす残念に思うのであり情けなくも思うのである。
:引用終了

☆TRONプロジェクト
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/TRON%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

引用:
TRONプロジェクト(トロンプロジェクト)は、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトである。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ」ことHFDS(Highly Functional Distributed System、超機能分散システム、1990年代以降はユビキタスコンピューティングとも)を掲げている[1]。1984年6月開始[2]。

TRONプロジェクトは互いに連携するサブプロジェクトによって構成されている。
MTRON - 超機能分散システム(HFDS)全体をコンピュータとして見て、そのOS。
ITRON・μITRON - 組込みシステム向けのリアルタイムOS。携帯電話をはじめデジタル家電分野で広く使用されている。μITRONは元々はワンチップマイコンのROMに内蔵するなどごく小規模な実装のためのサブセットだったが、μITRON3.0以降はITRON全体の新バージョンとしてほぼ全機能を持っている。

BTRON - Business TRONの略。パーソナルコンピューター向けのOS。小学校の教育用パソコンへの導入が決まりかけていたが、1989年に日米ハイテク摩擦を背景とした米国からの圧力(スーパー301条の対象として挙げられた)があったりなどした結果(経緯の詳細はBTRON#通商問題を参照)、実現しなかった。

CTRON - 電話交換機用として設計されたOS。NTTの電話交換機に使用された。
:引用終了


当ブログでは前に説明しましたが、私達が使用しているインターネットというのはアメリカ軍が世界戦略の一環で作って広げました。インターネットを使うにはパソコンが必要不可欠ですが、これもアメリカの世界戦略に組み込まれています。

元CIA職員のスノーデン氏が暴露したことで多くの人が知るようになりましたが、Windowsを管理制作しているマイクロソフトはアメリカ政府に個人情報を提供していました。

もしも、ここに日本が開発した高性能OSが参入してきたら、彼らの計画は大きく修正せざるを得なくなったでしょう。それを考えると、1985年の時点で日本が凄い性能のOSを開発してしまったことは、彼らからしてみれば、非常に大きな脅威であることは容易に想像することが出来ます。

日本航空が墜落した現場からミサイル片が発見されており、ボイスレコーダーや目撃証言からも日航機123便の周囲には戦闘機みたいな航空機が随伴?していたことが判明しているのです。


☆日航ジャンボ123便 垂直尾翼にオレンジエアが刺さっていた (カラー写真掲載)
URL http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/520.html

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☆日航機墜落の真実を求めて
URL http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

引用:
★自衛隊員の自殺率の嘘より  みつからなかった70% 下記の写真a,bなどは週刊文春の記事から引用(回収されていないことになっていた垂直尾翼が実はあった)
(実際は事故が起きた1985年の翌年1986年7月頃から日航機の真相を仲間や身内にばらした自衛官らは殺されているようで、それをあたかも1981年から自殺率の調査をしたかのように1986年に急に「自殺する自衛官が年々、増加」と防衛庁は発表:  防衛庁自身が自衛官を自殺にみせかけて殺しておいて?)

この事故(事件?)の1年後から何人もの航空自衛官が自殺に見せかけられて殺されているようです。

自分も殺されると察したある自衛官は友達に2枚の自殺した同僚の航空自衛官(1986年7月)の現場写真と決定的な証拠写真を託して、

その自衛官自身も同僚の死後、2ヵ月経った9月12日に自殺させられたようです。

殺された(?)自衛官は この現場写真や証拠写真などから何を訴えたかったのか?

みつからなかった70%からもわかることは
1枚目の二人ならんだ首吊り自殺の現場写真aでは足場の土台もなく、自殺の状況でないことを示し、 2枚目のbの写真(右側では資料①)は倉庫にあった落ちた尾翼部分(資料②③)で、明らかにオレンジ色の物体とその塗料がくっついたままの状態の写真です。これは明らかにミサイルもしくはその標的機がぶつかったことを示す決定的な証拠です。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11147744546より。

windowsはクソですよね?17名のトロンOSの研究者を載せた日本航空123便墜落事故 撃墜されたのか?

トロンが世界に出てきそうな所で飛行機も同時に潰して日本政府に圧力かけてプラザ合意。その後の経済衰退を招いた。確かにやってる事は世界的だわ。人間だとは思えない。


実は20年前に日本に無償のOSが存在した。

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。

95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。
それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。

もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。

アメリカは、政治的な力によって自国の技術を他国に採用させて世界標準にまでしてしまうことであろう。そして、その技術による商品を大量に世界へ輸出し利益を上げるのである。
例えば日本などは「トロン」という優れた基本OSがありながら、マイクロソフトの「Windows」を無理やり採用させられてその最大規模の市場にされてしまったわけである。



http://ameblo.jp/hokuto31313131/entry-11761017378.htmlより。
 携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。

 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。
しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。
 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。
日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。

・トロンOSの利点


トロンOSの素晴らしい所はパソコンのみならず、あらゆる家電製品などコンピュータを使った製品に使えるように設計されていたという所です。
 1980年代当時のパソコン(当時はマイコンと言っていた)のOSはCUI(Character User Interface)という方式を使っていてソフトを起動するたびに多くの文字を入力しなければならず、この頃パソコンを導入した会社では使いこなせる人は、ほんの一部でパソコンを諦め結局は手作業で仕事をする始末だったそうです。
しかし、トロンOSはGUI(Graphical User Interface)という今のマウスを使ってアイコンをクリックしソフトを起動できるという当時使われていた286という心臓部のチップ上では処理能力が足りず実現不可能とされていたGUIシステムを持っていたためMicrosoft社の技術者は驚きを隠せなかったようです。
日本の技術恐るべし!!
 しかも、1980年代に開発されたにもかかわらず、Microsoft社のWindows98並みの機能を備えていたそうです。そして、実行速度も今見てもそれほど遜色がないほど恐ろしく速いものでした。こんな素晴らしいOSを無償で公開するなど考えられませんね。
そして、CEC(コンピュータ教育開発センター)がこのトロンOSに目を付け規格認定をしようとしていました。
しかし、認定は取り消されました。



・トロンOSの前に立ちはだかった壁、裏切り

これだけ優れていたトロンOSが今、姿を見せないことに疑問を感じないでしょうか?
そこには大きな裏切りがありました。
広まりを見せ始めたトロンOSに陰りが見え始めます。それは、坂村健さんの成功を嫉んだある日本人がアメリカに「トロンは危険なので排除すべきだ」という話を持ち込んだのです。
それによりアメリカは極秘に松下製トロン搭載パソコンを入手し分析をはじめました。そこで、アメリカ市場に影響を与える「脅威」だとされてしまいました。

トロンOS&トロンキーボード


そして、1989年にアメリカは無理矢理トロンをスーパー301条という『アメリカの市場に影響を与えそうな製品には警告を与え、従わない国には一方的に報復措置をとる』という何とも理不尽な条約に認定されてしまったのです。
だいたい、スーパー301条というのは製品化されて商品として売られているものにしか適用されないはずなんですが、無償で配布されていたトロンに適用してきたんですよ!この非常識な決定にアメリカの企業は反発しましたが、戦略的な発想しかできないアメリカ国防省の圧迫により認めざるおえませんでした。



さらに日本がトロンを裏切りました。

このアメリカの決定にぶっちギレのトロンプロジェクトに対し通産省は表向き協力する姿勢を取っていましたが裏ではスーパー301条にビビりアメリカの言いなりでした。
こんなことがありCECもトロン標準化を断念しました。このとき、あるアメリカ人に進められ坂村健さんはアメリカに抗議しました。
これによりアメリカは「今後、トロンには圧力をかけない」と約束をしました。


・アメリカ・日本、さらなる裏切り

こうしてアメリカの圧力を逃れトロンを支援する企業達は自社のソフトをトロン用に移植していきトロン標準化をすすめていきました。
しかし、アメリカは約束を簡単に破り日本に強力なトロン撤退を要求し1990年に再びスーパー301条に認定しました。
再認定により多くの国内外企業がトロンから撤退していきました。撤退しない企業に対しては「締め出し」などの措置をとったそうです。
そして、再び日本も裏切り行為をしました。日本の教育パソコンへのトロン導入を「教師が反対した」という完全に教師を犯人にした文部省のでっち上げによりトロン導入を拒否させました。

・トロン復活を目指して

こうして多くの企業が圧力を恐れパソコンにトロンOSを採用することから撤退していく中、アメリカの圧力や日本の裏切りにより処理速度が遅くバグの固まりであるMicrosoft社のWindows95が発売されました。
 日本企業はトロンから撤退しMicrosoftのOSを導入していたのでWindows95は爆発的に広がりました。これが大きな日本の汚点となりパソコンに重要なOSを完全にアメリカに握られてしまいました。
もし、裏切り行為がなければ世界のOS産業はトロンにより10年は進んでいたことでしょう。不運としか言いようがないですね。

この頃、家電製品用のOSもアメリカ製の物を採用する企業が現れました。しかし、アメリカ製OSを採用した企業は、ことごとく失敗していきました。
アメリカ製のOSはバグだらけで処理速度が遅くさらに有償だったのです。とても家電製品に使えるものではありませんでした。
そこで、注目されたのが処理速度が速く完成度の高いトロンOSでした。トロンOSは最初からパソコン専用に作られたものではなく「あらゆるコンピュータ製品に利用できる」ように作られていたので家電製品に流用ができたのです。
 NTTDoCoMoのi-modeをはじめテレビ・冷蔵庫等、多くの家電製品のOSに採用されていきました。
しかし、これでは「トロン」の名前が表面に出ていません。
トロンの名前を表に出し知名度を高めたのが「世界のトヨタ」でした。
当時、トヨタはエンジンの点火や車の電装系を管理するソフトをどうするかで悩んでいました。そこで、信頼があり無償のトロンを採用しました。
このことによりコストが大幅に削減できたそうです。このことに喜んだトヨタの技術者が「是非、トロンを大々的に発表したい」という話を坂村健さんに持ちかけ「トヨタがトロンを採用した」ということが発表され知名度が広がりトロンは見事復活をとげたのです。



世界中のPCの中核が日本製になっていたかも知れませんねアップ

追加として
日航機123便の事件


この事件は本当に謎が多くていまだに真相が究明されていないですし、今後ももしかしてされないかもしれません。興味があるかたは検索してみてください。けっこう色々書かれていますし、読めば読むほど恐ろしくなってきますドクロ。


http://saigaijyouhou.com/blog-entry-698.html




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by kabu_kachan | 2017-01-06 10:49 | 国際事件 | Comments(0)
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