2016年 07月 22日 ( 1 )

「ネオコン 」とは何か?

「ネオコン 」とは何か?

★アメリカのネオコンは元々トロツキスト
(ロシア系ユダヤ人) 
https://www.youtube.com/watch?v=fKY7YAYynUU


1981年 ロナルド・レーガンが米国大統領になると、ネオコンが政権内に入り込み、その影響力が強まる。

 ネオコントはNeo conservatism、つまり新保守主義者という意味だが、これまでの保守主義が経済政策は産業保護、社会政策は伝統主義だったのに対して、経済政策は自由主義、社会政策は伝統主義というのが新保守主義と言われる。

 このネオコンは軍産複合体と結託して、攻撃的・好戦的なタカ派を形成していく。

 アメリカ新世紀プロジェクトは、1997年に結成されたシンクタンクで、次のような基本提案に専心すると宣言している。

・米国が指導力を発揮することは、米国にも世界にも良い。
・このリーダーシップには、軍事力、外交、エネルギーおよび道徳原理への関心が必要とされている。
・今日の政治的指導者のほとんどは国際的指導力を主張していない。
・それゆえ、米国政府は、軍事力を含めて使えるすべての手段によって、揺るがない優勢を獲得するために、その軍事優位および経済優位を十分に利用すべきだ。

 PNACは、9・11事件の1年前、2000年9月にアメリカ防衛再建計画というものを公表している。そこには「アメリカの防衛体制は新しい真珠湾攻撃のような破滅的な出来事抜きには、その再建のプロセスは長期間を要するものになるであろう」と書かれていた。

 PNACのメンバーを見てみる。役職は当時のもの。

・アービング・クリストル(アメリカン・エンタープライズ研究所創設者)
・リチャード・チェイニー副大統領
・ドナルド・ラムズフェルド国防長官
・ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官
・リチャード・アーミテージ国務副長官
・ジョン・ボルトン国務次官
・ダグラス・ファイス国防次官
・エリオット・エイブラムズ国家安全保障会議上級部長
・リチャード・パール前国防政策委員会委員長
・ルイス・リビー副大統領首席補佐官
・デーヴィッド・フラム(大統領のスピーチライター)
・アリ・フライシャー(ホワイトハウス報道官)
・ジェブ・ブッシュ(ブッシュ大統領の弟)他多数

 アービング・クリストルはネオコンのゴッド・ファザーと呼ばれる人物で元トロツキストである。トロツキストとはトロツキーの永続革命論を信奉する国際共産主義者だが、思想転換してネオコンになったといわれている。クリストルはネオコンの牙城といわれるシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の創設者で、この設立に資金提供したのがロスチャイルド社のアーウィン・ステルザーである(『アメリカの保守本流』による)。

 リチャード・チェイニーは実質的なブッシュ政権の支配者で、奥さんもアメリカン・エンタープライズ研究所の幹部を務めている。

 その他、ブッシュ政権を動かす錚々たるメンバーが名を連ねている。

 強硬派シオニストのうち、在米の集団がネオコン、在イスラエルの集団が右派政権リクードであるとも考えられる。したがって、ネオコンも根っこはファシストでありテロリストと言っても過言ではないであろう。

 イスラエル右派の在米ロビー団体であるアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)が圧力をかけ、ネオコンを政権に送り込んだ。

 AIPACは、今一番影響力を持っていると言われるイスラエル・ロビーで、各議員の投票行動を子細に監視し、反イスラエル的と思われる議員を、次の選挙で対抗馬をぶつけ落選させたり、スキャンダルをマスコミにリークして追い詰めたりなどして議員をコントロールしている。

 9・11事件とともにネオコン的な戦略がブッシュ政権内で圧倒的な主流となり、イスラエルの脅威となるイラクとイランを武力で潰すネオコンの「中東民主化戦略」が展開され出した。

 このネオコン的な戦略を理解する上で重要なのが、ネオコンの思想的源流と呼ばれる政治哲学者のレオ・シュトラウスである。
 ドイツ生まれで、ナチスの迫害を逃れるためアメリカへ逃げてきたシュトラウスは、シカゴ大学で20年間にわたり政治哲学の講義を行って来た。
 シュトラウスは、「大衆は物分かりが悪いので、真実は饒舌な嘘をつける一部のエリートによって管理されるべきものだ。民主主義は、脆いながらも無知な一般人の愛国心と信仰心によって守られている。軍事国家だけが人の中にある攻撃性を抑制することができる。国民の多くが自己陶酔し、快楽主義者になっている今、国民を変える方法としては"自分の国のために死んでもいい"と思わせる事が最良の方法である。こうした愛国心は、外部からの脅威にさらされる必要があり、もしないならば作り出せばいい。言うことを聞かせやすい国民を維持するため、宗教をツールとして利用せよ。」
というようなことを説いてきた。

 この考え方はロスチャイルドの世界革命行動計画④と通じるものがあると思われる。
〈④最終目的に到達するためには、ありとあらゆる手段を正当化できる。率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配者となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない〉


世界を不幸にする経済政策

 ネオコンの経済政策である新自由主義を提唱してきたのが、シュトラウスと同じシカゴ大学の教授ミルトン・フリードマンである。
 ノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンは「自由主義の元祖」とか「構造改革の元祖」と呼ばれてきた。そのフリードマンが1962年に出版した『資本主義と自由』という本には、廃止すべき政策として次のものが挙げられている。
・農産品の政府による買取り保証価格制度
・輸入関税または輸出制限
・産出規制
・家賃統制、全面的な物価・賃金統制
・法定の最低賃金や価格上限
・細部にわたる産業規制
・連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制
・現行の社会保障制度
・特定事業・職業の免許制度
・公営住宅
・平時の徴兵制
・国立公園
・営利目的での郵便事業の法的廃止
・公営の有料道路

 シュトラウスが政治学のシカゴ学派、フリードマンが経済学のシカゴ学派ですが、現在、世界を振り回している理論が両方ともロックフェラーのシカゴ大学から出ているというのは、どうも偶然としては出来過ぎな感じがぬぐい去れない。


https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/neo-conservatismより。



■ジェイコブ・シフが小国日本を救った理由

 1874年1月、ドイツ系ユダヤ人としてフランクフルトに生ま
れたジェイコブ・シフは18歳の時にニューヨークに渡り、ブルッ
クリンやマンハッタンで古着の屋台店を開いて小金を貯え、やがて
クーン・ローブの娘と結婚、38歳でクーン・ローブの代表となっ
た。このジェイコブ・シフが日本を支援したのは、エドワード・H
・ハリマンと共にユーラシア大陸横断鉄道に進出することによる鉄
道の世界制覇に向けた野望以外に理由があった。

 日本への金融協力には、クーン・ローブ・グループ以外に英国の
ロスチャイルド家、ドイツのウォーバーグ家、フランスの銀行家ア
ルベール・カーンなども関わっているが、これら欧米金融界のエス
タブリッシュメント達が、商売上のこととはいえ日本を手助けした
のは、彼らがいずれもユダヤ系であり、ユダヤ人を迫害していた帝
政ロシアに対する強い反発があったからだ。そして、ジェイコブ・
シフも当時米ユダヤ人会の会長を務めていた。彼らは、果敢にもユ
ダヤ人を迫害するロシアに立ち向かった小国日本を助けることで、
一矢を報いることができると思ったのである。

 また同時に英国は、英皇室のロシア皇室との縁戚関係や有色人種
支持ともとられかねない外交上の問題から、米国のクーン・ローブ
・グループを参加させたいとの狙いもあった。

■ネオコンとジャクソン・バニク条項とロシア系ユダヤ移民

 実はこのロシアのユダヤ人政策はイラク戦争にも深く関わってい
る。1974年に米国はユダヤ人などの移民の出国を制限している
共産国家への最恵国待遇や政府信用供与などを制限したジャクソン
・バニク条項を制定している。これはソ連がイスラエルへ移住しよ
うとするユダヤ人に対して、事実上出国を禁止したことに対する制
裁措置として、民主党のヘンリー・スクープ・ジャクソン上院議員
とチャールズ・バニク下院議員が提案したものだが、このヘンリー
・ジャクソンを支持し、ジャクソン・バニク条項の草案づくりに関
わった人物こそが、イラク戦争を主導したネオコンのリチャード・
パールである。

 このジャクソン・バニク条項は大きな成果を上げ、ソ連から57
万人以上のユダヤ人、エヴァンジェリカル・クリスチャン、カトリ
ック教徒が米国へ移住し、約100万人のユダヤ人がイスラエルに
移住した。その多くがブッシュ共和党政権、そしてイスラエルのア
リエル・ブルドーザー・シャロン首相率いるリクードや極右政党の
支持者となっている。

 つまり、リチャード・パールらネオコンがソ連からの大量のユダ
ヤ移民票を米国とイスラエルに振り分け、当時にブッシュ政権とシ
ャロン政権をつなげる役割をも担っている。そして、このネオコン
のユダヤ戦略の賛否をめぐってユダヤ系の金融機関や名門一族が大
きく割れる結果となっている。

 また、ロシア系ユダヤ人を引き入れることがエゼキエル書に基づ
くロシアの参戦を意味することから、ハルマゲドンとしての世界最
終戦争を演出し、かつ煽りながら、ブッシュ政権とキリスト教右派
を一体化させているのである。

■高橋是清と森有礼とスウェーデンボルグ主義

 ここで高橋是清とキリスト教との関係も触れておきたい。

 高橋是清を見出し、キリスト教思想の影響を与えたのが日本初の
文部大臣となる薩摩出身の森有礼である。森は英国留学中にスウェ
ーデンボルグ主義の教団のカリスマ的指導者であったトーマス・レ
イク・ハリスに出会いクリスチャンとなっている。

 批判的な意味合いも込めてキリスト教神秘主義と称されてきたス
ウェーデンボルグは、スピリチュアリティ(霊性)という言葉が頻
繁に登場するようになった今、「ニューエイジの父」として再び注
目を集めつつある。

 スウェーデンボルグ研究の高橋和夫によれば、『スウェーデンボ
ルグは、最終戦争(ハルマゲドン)も人類の滅亡もないと説く。そ
れどころか、人類の宗教的自立を意味する「新しい教会(宗教)の
時代」が訪れると予測し、新しい時代には、個々の宗教や教会は普
遍的な宗教原理--つまり彼の有名な言葉「あらゆる宗教は生命に
関係し、宗教の生命は善を行うことにある」で要約される原理--
のもとに、その形式や教義・信条の差異を超えて共生し続ける(1
995年4月30日付産経朝刊)。』としている。

 ハリスは、この「新しい教会(宗教)の時代」の「新しい地上の
エルサレム」がアフリカのどこかか、日本に生まれることを確信し、
日本の神道に大きな関心を寄せていた。そして、ハリスの影響から
使命感を抱いて帰国した森は、後に文部大臣としてキリスト教の賛
美歌をもとにして作られた「蛍の光」「庭の千草」「隅田川」など
の唱歌を日本に導入しながら「新しいキリストの道」を目指したの
である。



 日米など世界のメディアの多くは、ネオコンを「アメリカは民主主義を世界に広げることを国家としての目標にすべきで、世界を民主化するためにアメリカの圧倒的な軍事力を活用すべきだ」と主張する「理想主義者」の集団であるとしている。ネオコンの主張によると、従来のアメリカは世界の安定を重視するあまり、世界各地の独裁政権に対して甘い態度を採る「現実主義者」(中道派)が主導してきたが、その結果、フセインや金正日といった危険な政権がのさばる状態になっている。この悪しき現実を改めて、イラク侵攻を皮切りに世界を民主化するのだ、というのがネオコンの考えで、ブッシュ大統領はこれに感化されてイラク侵攻に踏み切った、とされている。

 私がネオコンの主張を鵜呑みにできないと感じた理由の一つは、彼らが「イラクを民主化する」と言いながら、その準備をほとんど何もしていなかったことだ。ネオコンの筆頭格であるウォルフォウィッツ国防副長官は「米軍がフセイン政権を倒せば、その後は自然にイラク人の手で順調に新しい民主政権ができるはずだ」と予測していた。この予測について「実際にフセイン政権が倒れた後になって、ウォルフォウィッツは自分が甘かったことに気づいた」という分析記事を見た覚えがあるが、それは多分間違いである。

 ウォルフォウィッツは1981年にレーガン政権で中東担当者として国防総省に入って以来、1993年に大統領がパパブッシュからクリントンに交代するまで、ずっと政権内で中東の安全保障戦略を練り続けていた。国防次官補だった湾岸戦争時には、当時のチェイニー国防長官のもとで、イラクに対する戦争のやり方を研究していた。そんな専門家であるウォルフォウィッツが、複雑な多民族・多部族国家であるイラクが込み入った調整なしに民主主義体制に移行できると思っていたはずがない。

▼イラクを民主化するのではなく混乱させるのが目的?

 今回のイラク戦争に際し、国防総省の高位を占めるウォルフォウィッツ(ナンバー2)やダグラス・フェイス(ナンバー3)、リチャード・パール(特別顧問格)といったネオコンの人々は、911の直後から「サダムとアルカイダは関係ない」と分析していたCIAを「信用できない」と非難し「特殊計画室」(Office of Special Plans、OSP)と呼ばれる独自の諜報分析機関を作った。

 そこでは、CIAやイギリスのMI6、イスラエルのモサドなどの諜報機関が集めてきた諜報の膨大な生データの中から「イラクが大量破壊兵器を持っている」「アルカイダととつながっている」という主張を裏付けられそうなものだけを取り出してつなげ、開戦に慎重なCIAとは違う分析結果を出し、イラクに侵攻できる開戦事由を「作る」作業が行われた。(関連記事)

 特殊計画室は「イラクはアフリカから核兵器の原料となるウランを購入していた」「イラクの諜報部員が911実行犯とチェコで会っていた」「イラクは化学兵器製造設備をトラックに乗せて常に移動させ、隠している」などという「開戦事由」を作った。そのほとんどは間違いだったが、CIAが「その情報は信憑性が低いです」と警告しても無視され、結局イラク侵攻が実現した。

 ネオコンによるこれらの行動を見ると、彼らはイラクを民主化する気などなく、単に米軍を動かしてイラクの政権を潰し、混乱させることが目的だったのではないかと感じられる。しかし、それは何のためだったのか。それが分からない以上、ネオコンを理解したことにならないと私には感じられた。

▼家族関係で結束しているネオコン

 私がネオコンの本質を理解するためにやったことは、彼らがたどってきた歴史を調べることだった。ネオコンと呼ばれる人々には、思想面以外の共通点がいくつかある。その一つは、ニューヨークなどアメリカ東海岸に住むユダヤ系で、学者肌の家系にいる人が多いということである。

 ウォルフォウィッツの父親は1920年にポーランドから移民してきた数学者で、ユダヤ人差別が激しくなった東欧を逃れ、コーネル大学の教授に招かれた。ダグラス・フェイスの父親(Dalck Feith)もポーランドからの移住者で、シオニズム(イスラエル建国運動)の闘士だった。フェイス親子は、シオニズムに対する貢献を讃えられ、イスラエルの政府系団体から表彰されている。

 ネオコンの多くは東欧出身のユダヤ系(アシュケナジ)だというだけでなく、中心的なメンバーの間には相互に血縁関係がある。血縁関係のある人々に、政策的・学術的な経験を積ませ、次世代のネオコンとして育てている感がある。

 ネオコンの元祖といわれる人物は、アービング・クリストル(Irving Kristol、1920年生まれ)とノーマン・ポドレツ(Norman Podhoretz、1930年生まれ)という長老の2人の言論人だが、クリストルの息子であるウィリアム・クリストル(William Kristol)はネオコン系コラムニストの筆頭格になっているし、ポドレツの娘は、現在大統領補佐官をしているネオコンのエリオット・アブラムス(Elliott Abrams)と結婚している。(父クリストルやポドレツをネオコン1世、パールやウォルフォウィッツをネオコン2世と呼ぶことができるかもしれない)


▼脅威を誇張して儲ける「軍産複合体」

 ネオコンの多くは1970年ごろ、民主党の上院議員だったヘンリー・ジャクソン(Henry Jackson)の事務所で政策秘書として一緒に働き出し、それが彼らの政界での人生の始まりだった。ジャクソンは、ソ連に対して強い反感を持ち、米ソ間の軍縮に反対するタカ派で、1950年代にはマッカーシー上院議員らと組んで、政府や軍内にいる「共産主義容認派」を追放する「赤狩り」のキャンペーンをやったりした。

 ジャクソンのもう一つの特徴は軍事産業と深いつながりがあったことで、核兵器の開発と、原子力の発電への利用促進政策を主張した。1952年に下院から上院に転じる選挙で当選できたのは、軍事・原子力産業からの支持の結果だった。ジャクソンは、ベトナムをソ連の脅威から守るためにアメリカが介入すべきだと主張し、事態をベトナム戦争に駆り立てた。(関連記事)

 1948年ごろから始まった米ソの冷戦は、1953年の朝鮮戦争停戦やスターリン死去の後、いったんは緊張緩和に向かった。だが軍事産業や、それとつながりの深いジャクソンのようなタカ派の政治家や研究者などは、緊張緩和によって軍事費が減ることを阻止しようとした。彼らは「ソ連はアメリカまで飛行して核爆弾を落とせる新型爆撃機(バイソン型爆撃機)を無数に持っている」という分析結果をまとめて政府に提出した。

 だが、当時のアイゼンハワー大統領は元将軍で、この分析結果が推量や噂に基づいたもので、裏づけに乏しいことに気づいた。そのためアイゼンハワーは、ソ連上空をレーダーに関知されない超高度で飛び、ソ連がバイソン型爆撃機を何機持っているか撮影できる偵察機「U2」を急いで開発することを軍とCIAに命じた。U2は1956年にソ連のミンスク市上空を飛び、その結果、実はソ連の新型爆撃機はアメリカの脅威になっておらず、米国内の軍事産業系の勢力が出してきた報告書は、脅威を誇張していることが判明した。(関連記事)

 この後、アイゼンハワーはソ連の脅威を誇張する軍事産業・政治家・軍事専門家などの集合体を「軍産複合体」と呼び、アメリカにとって危険な存在であると警告した。

 しかし、その後も「軍産複合体」の勢力は「ソ連はアメリカの2倍以上のミサイルを持っている」「ベトナムでのソ連の影響力拡大を阻止しないとアジアの親米国がどんどん共産化してしまうだろう(ドミノ理論)」「アメリカには、ソ連のミサイルを撃ち落とすミサイル防衛体制が必要だ」といったような、軍事費を急増させるための誇張した報告書や分析書を政府に提出したり、新聞にリークする行動を続けた。アイゼンハワーの次の大統領となったケネディは、誇張に引っかかってベトナム戦争を拡大させた。ジャクソンはそうした軍産複合体の一角を担う政治家だった。

▼軍産複合体に弟子入りしたシオニスト青年たち

 パールやウォルフォウィッツらネオコン青年がジャクソンの事務所で働くようになったのは、軍産複合体系の学者だったアルバート・ウォールステッター(Albert Wohlstetter)という核兵器戦略を専門とするシカゴ大学の教授のすすめだった。パールもウォルフォウィッツも彼の教え子だった。パールはウォールステッターの娘と結婚しており、ここでも「血の結束」が感じられる。

 ウォールステッターはネオコン青年たちをジャクソンの事務所に送り込んだ後、ジャクソンとともにソ連の脅威を煽るキャンペーンを開始し、ネオコン青年たちはその作業を手伝った。イスラエルを強く支持するネオコンの青年たちが、軍産複合体の一角を占めるジャクソンの事務所に弟子入りした背景には、アラブ諸国との激しい対立を続けていたイスラエルが、自らの軍事力を強め、アメリカの外交政策をイスラエル寄りにしておこうとする戦略があったのではないかと思われる。

 1960年代は、イスラエルとアメリカの関係が好転していく時代だった。スエズ運河を国有化したエジプトを、英仏とイスラエルが組んで攻撃した1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)ではアメリカはイスラエルを非難したが、その後エジプトとシリアというイスラエルの仇敵だった2国が社会主義の方向に傾いたため、1967年の第3次中東戦争では、アメリカはイスラエルに味方した。反共主義者のジャクソンも、この流れの中でイスラエルを支持するようになった。

 彼は1974年には、ソ連に対する経済制裁法として歴史に名を残す「ジャクソン・バニク修正法」を議会に通しているが、この法律はもともと、ソ連からイスラエルに移民しようとするユダヤ人に対し、ソ連政府が多額の課税を行って事実上出国を禁止したことに対する制裁措置として考案されたものだった。

 わずか6日間の戦争でイスラエルがアラブ諸国に圧勝した第3次中東戦争(六日戦争)は、アメリカのユダヤ系の人々に「イスラエルは強いんだ」と思わせる効果があった。アメリカ東海岸を中心とするユダヤ系コミュニティではシオニストが力をつけ、イスラエルへの移住運動や支援活動が盛んになった。当時まだ感受性が強い20歳代だったネオコンの青年たちも、この流れの中でイスラエルを強く支持するようになったのだと思われる(彼ら自身はこのあたりの経緯について何も語っていない)。

▼冷戦を煽った「Bチーム」

 軍産複合体の中で貢献し始めたシオニスト青年たちは、やがて頭角を現すようになった。当時アメリカの中枢は、ソ連に対して宥和策と強硬策のどちらを採るべきかをめぐり、激論と政治闘争が続いていた。1969-74年の共和党ニクソン政権では、ソ連との宥和策が採られたが、ニクソンがウォーターゲート事件で辞任した後に副大統領から昇格したフォードの政権では、しだいに強硬派が強くなった。そしてフォード政権の政策を強硬派に転じさせる動きを演出したのが、ジャクソンやウォールステッターたちだった。

 彼らは1973年にジャクソンの事務所内に「民主的多数派のための連合」(Coalition for a Democratic Majority、CDM)などいくつかの組織を作り、そこを拠点に「ソ連はアメリカよりもたくさんのミサイルや核兵器を持っているのに、CIAは宥和策を裏付ける政治目的のため、ソ連の脅威を低めに見積もっている」という主張を開始した。そして、CIAが持っているソ連の核兵器に関するスパイ情報を自分たちにも見せて、CIAの分析が正しいかどうか確認させろ、と政府に要求した。政権内外にいるタカ派(「軍産複合体」系)の政治家やマスコミ、評論家はこぞってCDMの主張を支持した。

 1976年の大統領選挙が近づいており、共和党ではタカ派のレーガンが優勢になっていた。フォード政権はタカ派をなだめるため、CIAが持っているソ連関係の機密情報をCDMにも見せることにした。CIAが持っている機密情報を、CIA自身(Aチーム)とCDM(Bチーム)というAB2つのチームが別々に分析し、ソ連の脅威を測定して報告書を作っているという意味を込めて、CDMは自らを「Bチーム」と呼んだ。Bチームが作った報告書(Team B reports)は、ソ連は経済生産(GNP)のすべてを軍事開発に振り向けている前提で書かれ、ソ連の軍事力を実際よりもはるかに大きく見積もっていた。その後の数年間で、この報告書のほとんど全体が間違いであることが判明した。(関連記事)

 Bチームの主要メンバーの中には、ネオコンのウォルフォウィッツが含まれていたほか、ポール・ニッツェ(Paul Nitze)やリチャード・パイプス(Richard Pipes)といった冷戦に対するアメリカの軍事政策を練った中心人物だった著名なタカ派の長老学者たちが名を連ねていた。当時のCIA長官はパパブッシュ、国防長官はラムズフェルドで、この2人はチームB報告書を支持した。半面、国務長官だったキッシンジャーは、この報告書の歪曲性を指摘した。ソ連との和解を模索し続けたキッシンジャーら均衡戦略派(中道派)と、ソ連との対立を拡大したがったタカ派との対立は、すでにかなり激しくなっていた。

「CIAの分析は間違っている」「敵はもっと手強いはずだ。もっと軍事費の積み増しが必要だ」と主張する軍産複合体(タカ派)は、その後も折に触れて「Bチーム」の手法をとった。最も最近の例は昨年、ネオコンが何とかしてイラク戦争を始めるために都合の良い諜報データだけをつなげる作業をした「特殊計画室」である。ネオコンやタカ派は、冷戦時代から現在まで、危機を誇張することによってアメリカの外交政策を強硬的な方向に動かし続けており、その手法は一貫していた。




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by kabu_kachan | 2016-07-22 00:47 | 軍事 | Comments(0)