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映画『シンドラーのリスト』について

タルムードいわく「非ユダヤ人の命にはまったく価値がない」

1993年✡ ユダヤ人映画監督スティーヴン・スピルバーグが、ユダヤ・プロパガンダ映画の「大傑作」である『シンドラーのリスト』を発表する。この映画は、ユダヤ人の支配するメディアから必要以上に絶賛され、やはりユダヤ人の支配するハリウッドからスピルバーグにアカデミー監督賞が贈られた。
映画の中の非常に興味深いせりふが実は正しく引用されていないことに触れておくのは重要だろう。ナチの労働キャンプから救うことのできたユダヤ人がいかに少なかったかと嘆くシンドラーに、年老いた小柄なユダヤ人男性がこう語りかける。「われらが聖なる書、タルムードには、こうあります。一つの命を救うことは全世界を救うに等しい、と」
 否! 正確には、タルムードには、一人の【ユダヤ人の】命を救うことは全世界を救うに等しいと書いてあるのだ。タルムードが非ユダヤ人の命にはまったく価値がないとしていることを忘れてはならない。

『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』より。
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by kabu_kachan | 2013-09-29 23:11 | Comments(0)

『アンネの日記』は小説である

「アンネの日記」の嘘

●『アンネの日記』は小説である

 『アンネの日記』が長年に亙って最も売れている本になり続けている国は日本だけと言われる。
実は『アンネの日記』は、アンネ・フランクという13歳で亡くなった子供が自ら書いた「日記」 ではない。アシュケナジー・ユダヤ人であるメイヤー・レビンという人物が、アンネの父から頼まれて書いた小説なのである。
 思えばアンネはオランダで生れたアシュケナジー・ユダヤ人であった。彼女が古典的ドイツ語で、しかも大人の様な筆跡で書くのは不自然というものである。彼女はオランダ語は堪能であったであろうが、オランダ語とドイツ語は根本的に違う。もしこの『アンネの日記』が宣伝(プロパガンダ)として利用されているならば、日本人は、完全にそれに乗せられている事にもなるのだ。
 1959年4月15日付の「エコノミック・カウンシル」誌に次の様な記事が載った。
 「『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。この事について
 ニューヨーク最高裁判所の判決から裏付を取る事が出来る。

  アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オ
 ットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取
 ったと認めている。フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビン
 の作品をまるで自分の娘の作品の様にしてしまったのである。・・・(中
 略)・・・この最高裁の判決の書類2241ー1956はニューヨークの
 地方事務所にある筈なのだが、残念な事にこのファイルは今や何処かへ消
 えてしまっている(この様に証拠隠滅するのが彼等の得意技である。例え
 ば国際連合の飛行機事故に関する情報が雑誌『知識』の中に那須先生によ
 って流れたが、その雑誌がその年月の既刊号は図書館から消えているので
 ある。)。

 『アンネの日記』は1951年、出版後直ちに最も売れる本になった。し
 かし何故アンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公
 に報告される事が無いのだろうか。オットー・フランクがその娘の死、及
 びその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに」
 スウェーデンの記者、ディトリィェブ・フェルデュラーは『アンネの日記』について次の様に述べている。
 「1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいた
 というアムステルダムの原型(オリジナル)の建物を、日記に書いてある
 様に改装しても良いと言われたという。これでは否応なしにこの日記に対
 する疑問が湧いて来るではないか。

  又、この日記は自己矛盾及び文学的表現に満ちており、とても13歳の
 少女が個人の日記として書いたとは思えない。しかもどうして13歳の少
 女がフランク家の歴史についてその日記の初めでまず語り、すぐ後にドイ
 ツに於ける反ユダヤについて語っているのか。
  彼女の本文の中で『オランダ風の梯子階段』と書いているが、彼女はオ
 ランダしか育っていない筈であるのに、どうしてその梯子階段がオランダ
 独特の物と分るというのだろうか。彼女はどこの国にも行った事はないの
 である」

 1980年10月9日付の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーが、この『アンネの日記』は真実ではなく、小説である事を追及し続けて裁判に持込んだ事が書かれている。二度目の裁判でこのロエマーの申出は正当と認められた。


●「真実の歴史」を糾弾する?
 このエルンスト・ロエマーの申出に対する独逸連邦犯罪調査事務局(BKA)の調査結果を西独逸の週刊誌「シュピゲール」が暴露した事があった。
 それによると、『アンネの日記』の原本は、長期に亙って全巻が発表されていなかった。しかし裁判の結果遂に第4冊目が調査される事になったのである。その4冊目はボールペンで書かれていたと云う。よく考えれば、ボールペンが世に出て一般に使われている様になったのは1951年以降である。アンネはそれよりも遥か以前に死んでいた。

 第4冊目に書かれているボールペンの筆跡は第一冊目、第二冊目、第三冊目に書かれている筆跡と全く同じ物である。と云う事は、この日記はアンネ自身の手に依って書かれた物ではないと云う事の動かし難い証拠となったのである。
 1989年9月16日、一人のフランス人が犬を連れて公園を散歩中、三人の若者に襲われて全治数ケ月にも及ぶ重傷を負わされた。事件後、直ちに犯行声明が出された。

 「ロバート・フォアリスンは、一人目であって、これで終りではない。
 SHOAH(ホロコースト、即ち虐殺を意味するヘブライ語)を否定す
 る者達は用心せよ」
 とあり、差出人はユダヤ歴史継承団とあった。
 被害者ロバート・フォアリスンは、この三人の若者達と出逢い頭に催眠ガスを掛けられたのである。彼が倒れ気を失った時、頭や顔、胸等を数十回に亙って蹴り上げられ、瀕死の重傷を負わされたのである。今も顎は砕かれ、助骨が折られ、重体が続いていている。
 ロバート・フォアリスンは、リヨン第二大学の教授として有名な人物であり、『アンネの日記は本物か』等数冊の本を書き一貫して第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ絶滅計画を出してもいないし、実行もしていないと云う事を主張し証明していたのであった。

 ひと頃日本の常識は世界の非常識であり、世界の常識は日本の非常識であると言われた。この事は600万人ユダヤ人虐殺の事や『アンネの日記』等に於いても当てはまるのではないだろうか。
 ここまでハッキリしているならば、悪の権化とされている独逸は、何故その名誉回復の為に真実を世界に向って主張しないのか。況んやアシュケナジー・ユダヤ人達に対して、又イスラエルに対して、主張しないのかと私達日本人は思う。
それともドイツの支配者階級は、彼等の手に握られているのか。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/an.htmlより
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by kabu_kachan | 2013-09-06 08:22 | Comments(0)