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「オウム事件の真実」を知れ!

「オウム帝国の正体」より。


2000年7月末に新潮社から一冊の本が出版された。「オウム帝国の正体」という本だった。95、96年に新潮45に連載されたものを、加筆修正し単行本化したものだった。私も部分的には読んでいたが、全体を読むのは初めてだった。一橋文哉というペンネームの著者のこの本には、今まで報道されていないオウム事件の真相が、何もかも書いてあった。私がネット上で集めた断片的な情報が、殆どすべて網羅されていた。正直言って、こんなに優秀で、勇気のあるジャーナリストがいるとは思わなかった。彼が生きていること自体が、奇跡のようにも思う。一橋文哉というペンネームが、一ツ橋のブンヤ、つまり毎日新聞の記者であるとする分析が正しければ、この本を毎日ではなく、新潮社から出版したことに大きな意味があると思う。毎日では出せなかったと思う。また、別冊宝島でオウム記事を書いていた田嶋信というジャーナリストも、同一人物と思われるふしがある。

まず、一番興味深いのは、オウムとロシア、北朝鮮、暴力団、統一教会、政治家との関わりをきわめて明快に解説していることである。そして、そのなかで何度か、オウム・統一教会以外のもう一つの宗教団体について言及している部分が何度か出てくる。著者はあえて、団体の名称を出していない。出すことで起こりうる事態を十分理解しての上でのことであろう。新潮社の意向もあると思う。なにしろ、過去にも新潮社は、いろいろと叩かれているから。だれから?さて、誰だろう?

この本から得られる情報は、極めて重要であると思う。いくつか、興味深い部分を抜粋してみたので、ぜひ読まれたし。この本には、大マスコミが知らぬ振りをしているオウムの真実、そしてオウムに群がったごろつきどもの素顔が書いてある。


Cf:一橋文哉は過去に三億円事件(新潮文庫)、闇に消えた怪人―グリコ・森永事件の真相(新潮文庫)、を執筆している。元・サンデー毎日副編集長の広野伊佐美とされている。ペンネームの由来は毎日新聞の本社は千代田区一ツ橋1-1-1、文哉=ブンヤ・記者、から。2000・07に単行本「オウム帝国の正体-新潮社」が出版され、02・10には「オウム帝国の正体-新潮文庫」が出版されている。


★統一教会信者がオウム信者に?

 一九九四年(平成六年)六月に松本サリン事件を起こし、一九九五年(平成七年)三月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教にも、統一教会の影響があるという。
 一橋文哉氏『オウム帝国の正体』に次の記述がある。
「捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、『オウム真理教内統一教会信者名簿』があった。これは、統一教会の合同結婚式に参加したオウム信者たちの名簿と見られ、統一教会信者と同姓同名という二十三人の名前が書かれてあった。
 オウム教団には、創価学会や阿含宗などほかの宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると言われている。
 『他宗教からの参入組の中には、明らかにスパイと見られる者もいたようで、村井がスパイ探しに躍起になり、信者に次々とポリグラフをかけ、調べていたとの情報もある』
公安当局はそう明かす。(一八七ページ)



オウム真理教の中に統一教会信者が、多数入っていたとの事である。
  一橋が重視するのは、早川紀代秀の存在である。
 麻原は、八四年に、『オウム神仙の会』を設立する前に、宗教団体である、阿含宗にいたが、この時、早川も同じ阿含宗にいたという。
 そして、

「麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように脱会。麻原が『神仙の会』を結成すると早川も入会し、八七年に同会が『オウム』と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。
 二人をよく知る元信者は、こう語る。
『麻原が宗教ビジネスを思いつく天才なら、早川はそれを具体的にきちんと実行する名参謀。二人がオウムを作ったんです。』
 確かに、それからのオウムの躍進ぶりは凄まじかった。
 十五人でスタートした教団が、わずか一年で千五百人に急増した。大阪支部から、ニューヨーク支部まで設立し、翌八八年には静岡県富士宮市に約千七百五十平方メートルの土地を購入して、富士山総本部を着工した。八九年には、上九一色村に七千平方メートルの土地を買い、サティアン群の建設に乗り出している。東京都から宗教法人の認可を受けたのも、ちょうどそのころである。
 当初、早川の教団での肩書は総務部長であったが、事実上、実務面の総責任者として、教団を仕切っていたと言われている。驚異的に伸びる信者数に満足した麻原は、自分の権威を高めるため、教団の憲法とも言える戒律を策定し、管理体制強化のため省庁制も導入したが、これらはいずれも早川の提案に沿ったものだ。オウム教団は九一年ごろからロシア進出を企てるなど海外に目を向けるが、その仕掛人も早川だった。」
 (三二、三三ページ)




★脱会者集団


1.上祐は、出所後、かつて村井、早川両グループに所属し、特殊な技術や知識を持っていた信者たちを呼び集めている。中でも、重視したのは、早川が率いていた「謎の人脈」であった。早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロを始め、信者の獲得や扇動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めてくる者.....など、いずれも"百戦錬磨"の強者ばかりと言っていいだろう。この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、二回にわかれて大量脱会している。しかも、早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないままなのである。さらに興味深いのが、彼らの大半が脱会後、別の宗教団体の幹部に収まったり、暴力団幹部や企業舎弟、別の宗教団体関係者と一緒に事業を始めたり、北朝鮮に食い込んで、大々的にビジネスを展開するなど、いかにも怪しげな軌跡を辿っていることだ。こうした事実を見ると、早川がオウムの"裏の司令官"と呼ばれ、どこかの国の工作員だった、と疑われるのも無理はない。上祐は、密かに、この早川グループのメンバーに接触し、再結集を呼びかけていた。メンバーの多くがそれに応じた。(P.53~54)


2.早川グループのメンバーが松本・地下鉄サリン事件の後、大量脱会していることは、既に述べた。実は、彼らの多くは不可解な行動が教団上層部に疑われ、早川がロシアに行って不在の間に一斉に拘束され、厳しい査問にかけられていた。早川グループは確かに、ある宗教団体の幹部と接触を図っており、スパイと疑われるのも仕方ない面があった。(中略)「早川は自分と子飼いの信者たちを守るため脱会し、新しいグループ、つまり、第二のオウム帝国を建設しようとしていたのではないか。そこには当然、彼を支援してきた"闇の組織"や、彼が生み出した利権を守りたい連中からのサジェッションがあったに違いない。早川グループが飛行機2機に乗せて、密かに運び出したとされる大量の武器は、新しい帝国づくりのための準備資金か、協力者達への報酬なのかもしれない。」そう語るのは、CIA関係者だ。(P.71~72)


3.松本、地下鉄両サリン事件後、大量脱会したオウム信者のほぼ全員が統一教会の脱会者で、中核は元自衛官を含む十人前後。(P.190)


4.オウムは88年ごろから統一教会系企業と交流を深め、90年の衆院選では選挙活動のコンサルティングを受けていた。選挙後に統一教会からオウムに大量に信者が移った。


5.捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、「オウム真理教内の統一教会信者名簿」があった。これは、統一教会の合同結婚式に参加したオウム信者の名簿と見られ、統一教会信者と同姓同名という23人の名前が書かれてあった。オウム教団内には、創価学会やアゴン宗など他の宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると言われている。(P.187)

麻原が一時住民票を移した杉並のマンションの所有者は、国際勝共連合(統一教会)に近い国会議員だった。(P.187)

統一教会の文鮮明と北の金親子との関係は、何度も報道されている。第三国の意を受けたオウム脱会者グループが、今でもしっかり活動しているということ。


★隠匿されたサリン、そしてAK74


1.サリンがどこかに隠匿されている可能性が全くゼロ、とは言い切れないのである。(P.55) 逮捕された信者の中には、「埼玉県のアジトでサリンが保管されているのを見た。」と供述したものもいる。(P.55)


2.オウムとロシアの密接な関係は、92年2月のロボフ・麻原会談から始まった。軍事転用も可能な大型ヘリコプターを購入し、サリンの空中散布を計画したり,AK74(ロシア製機関銃)を国内に持ち込んだり、重火器や戦車、潜水艦などの購入計画があったことも、「早川ノート」で明らかになっている。(CIA)報告書では、さらに、「国内で行われたオウムの軍事訓練で、少なくとも50丁のAK74を見た。」との証言を採用している。(P.96)

北朝鮮軍の制式銃弾が、そのまま使えるAK74は、一体どこにあるのか?



★サリンはどこからきたのか?


さらにその人物(CIA関係者)は、"気になる言葉"を口にした。「地下鉄サリン事件で、口から血を流している被害者がいたんですが、サリンでは通常、血を流すことはありません。おそらく、タブンなど他の毒ガスが含まれていたと見ています。いくらオウムでも、いろんな毒ガスを短期間に開発できないでしょう。我々は、ロシアがオウムにサリンなどの毒ガスを与えたのではないか、と思っています。」(P.98)

地下鉄サリン事件の現場から検出されたサリンの副生成物のなかに一つだけ、松本サリン事件のものとは異質なものが含まれていたのである。これは、地下鉄サリン事件では二種類以上のサリンが使われたことを意味している。(P.99)

95年の地下鉄サリン事件で撒かれたサリンは、純度が低く、ビニール袋の変質具合からも製造後、かなりの日数がたっていたと判明。第7サティアンで製造したとすると、時期的に矛盾が生じる。ロシアからの密輸品だった可能性が高いが、外交問題になりかねず、捜査を断念した。(P.99)

おまけ
http://satehate.exblog.jp/7739630

ロシア議会下院議員のサビツキーは取材に対してこう答えている。「地下鉄サリン事件の前後、日本から一人のロシア人信者が、密かに帰国している。その人物はロシア軍の化学兵器専門の将校で、モスクワ市内の自宅に帰り、毒物の専門書を探していたとの証言も得ている。長官狙撃事件直後にも、同じ人物が日本から出国したことが気になっているんだが....」(この取材の一週間後、サビツキーは、交通事故死した。)(P.108)


★ロシアの武器商人、マセンコと著者の会話:
ー少しは商談が成立したのか。
「ああ。拳銃や機関銃など小型銃器類と、防弾チョッキや毒ガスマスクなどの付属品が少々かな。」
ー早川が飛行機2機をチャーターし、あなたから買った武器を満載してウラジオストックに飛んだ、との確かな情報があるが....。
「知らない。何かの間違いじゃないのか」
ー事実だ。あなたと一緒だったという目撃者もいる。
「うーん。ノーコメントだ。」
ー日本の教団施設から武器は殆ど見つかっていない。どこに運んだのか?
「ビジネスのことはいろいろと差し障りがあるんで、これ以上言えない。」
ーひとつだけ教えて欲しい。オウムはロシア軍からサリンを入手したのか?
「....言えない。」
ーこれだけは是非、答えて欲しい。オウムは核兵器を入手したのか。
「さあ、どうかな。ハヤカワが入手しようとしていたのは事実だし、その可能性はある。でも、私は関与していない。」

地下鉄サリン事件で使われたサリンを、何が何でも第7サティアンで作られたことにしておきたい人たちが、いる。ロシア人は、金にさえなれば相手が誰でも何でも売る。問題は、それらがどこかに隠匿されているのではないかと言うこと。そして、何の目的のために?


★オウム・暴力団・北朝鮮....覚醒剤つながり


1.93年ごろ、関東で供給源の解らない覚醒剤が大量に流れたことがあり、暴力団が出所を調べたところ、オウムとわかった。通常の密輸ルート品の三分の一の価格だった。オウムはサティアンで覚醒剤を密造すると同時に、台湾で技術指導を受けている。村井が刺殺される前に、教団の資産は1000億円と口走った背景には、覚せい剤収入があったのでないか?(P.157)


2.一部の捜査員は、オウムの巨額な資産を覚醒剤を売り捌いて得た利益と解釈し、オウムと麻薬取引をしていた暴力団のメンバーが、組織と麻薬密売ルートを守るために、村井の口を封じたのではないか、と考えたわけだ。


3.「暴力団が暴対法逃れのため、麻薬や覚醒剤の密造をオウムに委託していた疑いは、極めて強い。それに対し、オウムは自前で覚醒剤を製造する一方で、北朝鮮から麻薬を密輸しようとしていたのではないか。その橋渡しと資金提供したのが早川で、製造・密売が村井、実際に覚醒剤を密輸して捌いていたのが、暴力団、という図式だろう。念のために言っておくが、その暴力団とは羽根組ではない。オウムでこうした事情に詳しいのは麻原と早川、村井の三人だが、麻原の意思か、暴力団の考えかは別にして、その中で口が軽い村井を消した、というのが順当な見方ではないか」ベテラン捜査員の一人も、そう分析する。(P.160~161)

日本に流入する覚醒剤の製造元は北朝鮮が主体になりつつある。暴対法を恐れる暴力団は、今でもオウムに替わる誰かを隠れ蓑にして、覚醒剤取引を続けているのではないか?オウムの脱会者集団や、そのコントロール下にある民間企業が、格好の隠れ蓑になると考えておかしいだろうか?


★オウムと北朝鮮は、ここで繋がった

CIA関係者は、こう語る。
「タナカ(日本赤軍の田中義三)は東南アジアを拠点に活動する前から時々、タイやカンボジアに姿をあらわしていた。偽札のロンダリングや麻薬取引が目的だったと見ているが、そのうち92年7月、バンコクでハヤカワと接触した疑いがある。二人は短期間に集中的に会った後、いったん北朝鮮と日本に帰国し、再びバンコクであっている。おそらく二人は世界同時蜂起構想を語り合い、生物・化学兵器や麻薬の売買について交渉し、それぞれのボスの意向を確認しに帰ったのだろう。ハヤカワがそれ以降、北朝鮮に出入りするようになったことから見ても、重要な会談だった筈だ。オウムと北朝鮮の関わりは、89年、ドイツのボンからという情報もあるが、私は、タイが原点だと思う。」(P.129)


ウクライナのキエフ市に、オウム真理教が設立した貿易会社「マハーポーシャ・ウクライナ」がある。周辺住民の目には、そこはオウム服の信者ではなく、旧共産党幹部からロシアンマフィア、他の宗教団体に属する日本人信者、朝鮮語を話す人々....さまざまな人種が出入りするユニークなオフィスのように映っている。しかも、会社の経営や専門的な業務は、日本人商社マンらしき男達が仕切っているという。(P.110)


CIAは当時、早川が北朝鮮を訪れたのとほぼ同時期に、ロシアの化学者や化学兵器技術者らが北朝鮮に集結していることを掴んでいた。ロシア人や北朝鮮人でつくる化学兵器製造チームが北朝鮮で、サリンガスを製造するプラントを建設し、その技術を早川が日本に持ち帰ったのではないかと見ていたのだ。(P.133)


★オウムの正体


http://kabukachan.exblog.jp/21983555/


★国松長官狙撃事件


1.韓国安企部の調査報告書より、「国松長官狙撃事件はオウム真理教が林泰男の北朝鮮コネクションを利用した可能性が高い。朝鮮人民軍偵察局員、金××中尉が米国ニューヨークから極秘入国し、林に加担したとの疑いが強く、徹底的に追跡調査すべし。」報告書によると、金は長官狙撃事件当時、表の肩書きは北朝鮮国連代表部職員(警備担当)となっており、ニューヨークに居住していた。金は95年3月23日、ニューヨーク郊外のJFK空港からユナイテッド航空機で成田に出発し、4月4日に帰国している。長官狙撃事件は3月30日だから、ちょうど金の滞在期間と符合する。(P.138)



★村井刺殺事件


村井が刺された後、上祐の腕の中で....実は、村井が、"ある団体"の略称を叫んでいたのを、複数の捜査関係者が聞いている。その団体は、捜査当局の調べで、早川や北朝鮮と深い関わりがあり、略称は漢字で二文字、音読みで三語に相当する、というのだ。 (P.165)

村井を刺殺した徐裕行は、在日の北朝鮮出身者が作る主体思想研究会の一員であったことが分かった。徐は、高校を中退後に一時、行方が分からない時期があった。その後、韓国・北朝鮮籍の若者と親しくなっている。


★オウムをしゃぶり尽くした暴力団


麻原と対立して脱会した元幹部の証言:「麻原は早川のペースに乗せられ、暴力団に食い込まれてしまった。連中は金に群がり、教団を骨の髄までしゃぶり尽くしたんだ。坂本事件も、村井が殺されたのも皆そうだ。麻原はついに病気と、警察と、暴力団に対する恐怖や焦燥感からおかしくなってしまったんだ。」 (P.240)


★坂本弁護士事件


武闘派暴力団幹部の証言:坂本弁護士一家はヤクザが殺した。理由は、坂本弁護士が、覚醒剤取引などオウムと極道の関係に気づいていたからだろう?現場にわざとプルシャを落とし、後でオウムを強請るネタにした。(P.204)

ある暴力団員の情報:坂本事件に関わった暴力団員は3人いるんだ。全て山口組系の有力組織のメンバーで、一人は東海地方のある都市で会社勤めをするなど、一般市民の中に巧く紛れ込んで生活している。後の二人のうち、一人は行方不明。もう一人は精神を病んで、中伊豆で療養中と聞いている。

神奈川県警捜査員の話:いよいよ、念願の坂本事件の摘発ができると張り切っていた矢先、お盆頃を境に、それまで暴力団関与説を唱えていた幹部や捜査員が旧に発言を封じられ黙り込んだり、人事異動で捜査から外されるなど、おかしなムードになってきたんだ。1ヶ月もたたないうちには、内部で暴力団の話をすると、「何を夢見たいな話をしているんだ。あれはオウムに決まっているだろう。」と一喝され、きつい仕事ばかり押し付けられる羽目に陥ったんだよ。

警視庁の暴力団担当刑事の話:せっかく、暴力団の線が出てきて、担当刑事はやる気満々だったのに、いつのまにか方針変更があったらしく、捜査は打ち切られてしまった。皆は陰で何でこの絶好のチャンスに、叩き潰さないのかと言い合っていたが、かなり上のほうの考えらしく、どうにもならなかったようだ。

警察幹部は、ヤクザに脅されて黙ったのかい?


★オウム顧問団


元暴力団幹部Oの話: オウム顧問団は坂本事件より前からあるんだ。ちょうど、教団が都から宗教法人の認証を得た前後だと思う。メンバーは途中で入れ替わったりしているが、仲間のヤクザの幹部や企業舎弟、裏技専門の弁護士なんかで構成していて、麻原直属のブレーンというか、悪のアドバイザーってとこかな。


★殺人請負組織


元暴力団幹部Oの周辺には、暴力団による殺人請負組織があった。そのメンバーと見られる人物のうち、取材で判明したのは都内在住の大物右翼思想家の息子S.O.、その思想家の弟子J.O.、関西の暴力団員T.M.、東海の暴力団幹部T.O.、東京の暴力団員T.A.の5人である。

創設者のひとりは、ある宗教団体で教祖の"私兵"と言うべき組織に入っていた人物。その組織は教祖の警護を始め、教団内部の"暴力的支配"や敵対組織との抗争時に活躍するコマンダー、教団内外のスパイ工作などを担当し、まさしく命知らずのプロ集団だったと言えよう。この組織が関わった事件は、87年の住友不動産会長宅襲撃事件、94年の住友銀行名古屋支店長射殺事件などだが、実行メンバーは、ある武闘派暴力団から選抜している。

別の捜査幹部いわく、「この暴力団は別のモンスター教団に食い込んでいて、巨額の報酬を得て、幹部らの警護に当たったり、反対勢力を襲撃するなどの活動をしてきた。教団施設の地上げなどにも暗躍したとかで、教団も最初は非常に重宝がっていたが、そのうち歯止めが効かなくなってきて、最近では、完全に食い物になっているようなんだ。」(P.279~280)

取材を進めていくと、この殺人請負組織の背後に、第三部で紹介した闇の紳士達の影がちらつき、暴力団や北朝鮮人脈が姿を現すのである。.....残念ながら、その組織自体の全貌は解明できていない。もともと所属していた組織はばらばらである上、通常はお互い、あまり連絡を取り合わないようである。ただ、一つだけハッキリとした共通点があることが分かった。それは、メンバー全員が同じ信仰を持っていたことである。(P.281)


★政治家とオウム・北朝鮮


1.95年3月22日、オウム教団の強制捜査の再発見された無印の金塊、10キロは、93年の脱税事件で、金丸信の事務所から発見されたものとほぼ同一の規格、品質であり、同じ高炉で精錬されたものとわかった。北朝鮮は、金塊を国家資産として保有し、功績のあった人への贈呈品としてだけ使っていた。金丸サイドは、亡くなった夫人が財テクで買っていたもので、北朝鮮からもらったものではないと否定した。....


2.オウムが稼ぎ出した巨額の資金は、「かなりの部分が二信組疑惑に群がる連中に流れた可能性が高い」(捜査幹部)とも言われている。(P.175)

他にも本書で北朝鮮との関係を語られている政治家,...野中、武村、そして大御所、竹下。

金正男と半島情勢の不思議:
金正男は日本で有力政治家と会うことになっていたといった噂も週刊誌等に流れているが、信頼できる政府筋から本紙が入手したところによると、これは真実だったらしい。会う予定だった政治家は、武村正義、中山正暉だとされる。行政調査新聞01・06・17


★結 論


「例えば、北朝鮮の対日工作グループが日本国内の友好関係にあるメンバーを通じ、オウム真理教に資金とサリン製造のノウハウを伝授したと考えられないだろうか。オウムを隠れ蓑にして、毒ガス兵器や自動小銃を大量生産し、日本国内に備蓄する。AK74は、北朝鮮軍の制式使用銃と同じ弾丸を使っているから都合がいい。サリンはテロ効果は大きいが、持ち運びが困難だから、日本国内で製造するのが合理的である。これを利用して対日破壊工作を進め、日本国内にパニックが生じた段階で軍事侵攻を目論んでいた。こんなことを言うと、すぐ考えすぎだとか飛躍しすぎだと笑う人が多いが、この論理だと、何故サリンを自前で生成する必要があったか、なぜAK74なのかと言うことが、すべて説明つくだろう。」そう話すのは、CIA報告書の作成に携わったエージェントの一人である。

このCIAエージェントの意見に、全く同感です。これ以外に結論のつけようがない。北が絡んでいるからこそ、北とつるんで甘い汁を吸っていた政治家や暴力団、他の宗教団体が、一斉にオウム事件の隠蔽に走ったと考えます。さて、北はそう簡単には目論見を諦めません。こころある警察、公安調査庁の方々は、早速東松山に行って見ましょう。


★「オウム帝国の正体」で何がわかるのか?


ネット上で極めて簡明でありながら、的を得た分析を見つけてしまった。宗教論争掲示板のオウム真理教を倒せ掲示板 (http://www.jade.dti.ne.jp/~shukyo/) に書き込んでおられた白根英夫さんの <「オウム帝国の正体」>という文章である。これ以外に、オウムの正しい分析はありえない。全文掲載する。

ここに特筆すべき書籍「オウム帝国の正体」(新潮社7/30刊行)からの情報を御知らせしよう。一橋文哉氏の取材に基づく内容である。もはや、オウムも創価学会も、その他の団体も暴力団の資金源として利用されているだけの宗教団体であると理解できた。警察当局も、この事実を把握しているが、暴力団との相互協力(情報の収集・提供など)を優先して、この事実を隠しているのだ。

武闘派暴力団として、この本の中で述べているのは静岡県に拠点を置く、Y組系G組のことで伊丹監督襲撃事件でも知られているが、ここの組員が、坂本弁護士一家殺害の実行犯として2名参加していたことや、暴力団が殺人の補助をすることで宗教団体の弱みを握り、永遠に教団をしゃぶりつくす構図を暴露している。警察は、この事実を把握しているが、暴力団との「しがらみ」を優先し、また、暴力団が内部問題として、その実行犯を処刑するという暗黙の密約によって、一切を隠したと思われる。

思えば、東村山市議突き落とし殺害にも暴力団が絡んでいたと推測できるが、創価学会は、それ以前から暴力団との交際があったのだ。今も池田のボディーガードをしているらしいし、静岡といえば富士大石寺もあり、創価学会とは「古い付き合い」なのだろう。

この本の中では在日朝鮮人も出でくるが、暴力団さえも在日朝鮮人によってコントロールされている。北朝鮮がアヘンを国家的事業として栽培していることは、最近でもテレビ報道されていたが、北朝鮮は、在日を通じて暴力団すらも操作しているのだ。

この戦慄すべき実態をこれからの日本人は、承知しておくべきだろう。殺人や恐喝などの犯罪を暴力団に依頼したり察知された教団は、暴力団によって永遠にしゃぶりつくされるのだ。S学会への信者からのお布施も年間10億円以上も暴力団へと飲み込まれている。もはや何も不明な点は無い。秘密もない。戦慄すべき実態のすべてを承知した。

注:「警察は、....暴力団との「しがらみ」を優先し、また、暴力団が内部問題として、その実行犯を処刑するという暗黙の密約によって、一切を隠したと思われる。」とあるが、この部分だけは、少し好意的に解釈しすぎておられると思う。オウムを利用した覚醒剤取引の発覚を恐れて、暴力団と北朝鮮が警察を動かし、事実隠蔽させたというのが、真実であると思う。


http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/log1/aum-01.htmlより。

http://kabukachan.exblog.jp/21959571




★阪神大震災 と 東日本大震災
http://kabukachan.exblog.jp/21951785/




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by kabu_kachan | 2015-02-27 22:32 | オウム事件 | Comments(0)

イスラエル建国の舞台裏

【「ロスチャイルド家」抜きにはありえなかったイスラエル建国】

https://www.youtube.com/watch?v=o_eRVZ9bM1Q

https://www.youtube.com/watch?v=msx3OPfgEpg

https://www.youtube.com/watch?v=TSuJd9zLqec

https://www.youtube.com/watch?v=3zPQ5EVeJJo

911事件とイスラム国事件
https://www.youtube.com/watch?v=6vFpkNMMaQo

ベンジャミン・フルフォード氏の見方①
https://www.youtube.com/watch?v=7dhfGwwOjvI

ベンジャミン・フルフォード氏の見方②
https://www.youtube.com/watch?v=KALyd01MmD4

https://www.youtube.com/watch?v=PVpN1_8QYfs

https://www.youtube.com/watch?v=K4u5AMudPJc

https://www.youtube.com/watch?v=VVD4-WHuxk4

https://www.youtube.com/watch?v=q8qHmuFjqqY

リチャード・コシミズ氏の見方
https://www.youtube.com/watch?v=9UvIqoSpD0s

偽旗作戦(イスラム国を使って中東全域を混乱状態にする作戦)
https://www.youtube.com/watch?v=o_eRVZ9bM1Q&list=PLGleeP1UM7l2tXhWXy6qxCRzTpOOqtAjA&index=13

マルクスとロスチャイルド

https://www.youtube.com/watch?v=gCNVIgtyHyk

ロスチャイルド・シオニスト帝国
https://www.youtube.com/watch?v=RSmFhv0UdQg

ロスチャイルド・シオニスト帝国2
https://www.youtube.com/watch?v=USmIEMsStco

イスラエル建国の父にして大慈善家・大資本家として知られるモーゼス・モンテフィオーレ。

彼はヨーロッパの金融王ネイサン・ロスチャイルドの義兄弟であった。

そしてもうひとりのイスラエル建国の父は、ずばりフランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであった。

彼らは、東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)をパレスチナに入植させるために資金を提供して力を尽くし、イスラエル建国の種をまいたのである。

 

一般に"近代シオニズムの父"は、ユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルだとされる。彼は1894年にフランスで起きた「ドレフュス事件」で、反ユダヤ感情が燃え上がるのを目の当たりにした。ユダヤ人の危機を感じた彼は、1896年、今日では有名になったパンフレット『ユダヤ人国家』を出版する。

しかし、この『ユダヤ人国家』の表紙に最初に記した言葉が、「ロスチャイルド家の人々へ」だったことは、ほとんど知られていない。フランスのドレフュス事件から間もなく、彼は日記に次のように建国案を記している。

「ベネチアの建国史をモデルにすることになるだろうが、ベネチアの失敗からも学ばなければならない。ロスチャイルド家が我々と手を組んでくれるなら、初代の『ドージェ』はロスチャイルドとしよう。」



ここにヘルツルが記したのは、7世紀末に独立したベネチア共和国水の都ベニスのことで、やがて大々的な植民地主義を推し進め、武力的商法でアドリア海を制圧した国家である。ヘルツルはその武力征服を理想像として想い描いている。このベネチアが19世紀後半に没落し、今日のイタリアに併合されてしまった歴史に、彼は学ぼうとした。そして、この国で「ドージェ」と呼ばれたのが大統領の地位であり、ヘルツルはユダヤ国家の初代大統領にロスチャイルドが就くことを夢想していたのである。

 


ユダヤ国家建国を熱望していたテオドール・ヘルツルは、何回も何回もロンドンのロスチャイルド家に書簡をしたため、会見の申し込みを行なった。

「貴方がすべての調和の要石なのです。もし貴方が拒絶されれば、私がつくり上げてきたすべてのものが壊されてしまいます。貴方が参加しないなら、私は異なった方法を取らねばならないのです。私は貴方にこのすべての運動の指導をお願いしたい。貴方が引き受けてくださるのであれば、私は喜んで指導者の座を下ります。」

このヘルツルの要請に対し、ロスチャイルド一族は、最初は無関心だったと表向き伝えられている。しかし実際には、ロスチャイルドは、石油などの利権支配のために中東での足場を築くかたわら、誰よりも深くシオニズムに関わっていたのである。(ちなみに、ドレフュス事件で逮捕されたユダヤ人アルフレッド・ドレフュス大尉は、ロスチャイルドの血族であった)。

 

ロスチャイルド家のイスラエル建国への働きかけ(パレスチナの利権獲得)は、第一次世界大戦終結と同時に急速に高まる。

ロスチャイルドを含む数人の有力なユダヤ人は、第一次世界大戦終結の際、敗戦国ドイツに課せられた条約の文言を任せられた。条約により、ロスチャイルド家はドイツが所有していたパレスチナ(トルコの領土)の「鉄道権」を得た。また、ロンドンのロスチャイルド家は、トルコ共和国に貸し付けを行なっており、その額は1億ポンドに迫るものだった。第一次世界大戦後、敗戦国側だったためにトルコ政府が崩壊すると、ロスチャイルド家はそのトルコに対する貸し付けの未払いを理由に、パレスチナに対する権利を要求した。このようにしてロスチャイルド家は、パレスチナに関する方針を押し通す確実な手段を得る道を開いたのである。



また、ロンドンのロスチャイルド家はイギリス政府内の代理人を通して、イスラエル建国へとつながる階段を強固に築いた。


第一次世界大戦後、イギリスはパレスチナに対する「委任統治権」を与えられたが、政府はロスチャイルド家の命ずるところに従った。1917年11月2日、イギリス外相バルフォアは、ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド宛に、「イギリス政府はパレスチナでのユダヤ人の国家建設を支持し、努力する」事を確約した書簡(手紙)を出したが、これが有名な「バルフォア宣言」である。

 


この「バルフォア宣言」は書簡形式をとっているが、この叩き台をつくったのはシオニズム運動の世界的指導者ハイム・ワイツマンとライオネル・ロスチャイルド自身で、彼らは既に1917年7月18日の時点で宣言の「草案」をバルフォアに手渡していたのである。

(ちなみに、この段階で入植地に提供された資金は170万ポンドに達していたが、そのうちの160万ポンドはライオネル・ロスチャイルド自身のポケットマネーであった)。



パレスチナへのユダヤ人の入植活動は、ハイム・ワイツマンの指揮下で行なわれた。

パレスチナのユダヤ人入植地は、1900年には22であったが、1918年には47まで増えた。

1909年には「キブツ」と呼ばれるユダヤ人の集団農場が作り始められ、ユダヤ人の町「テルアビブ」ができた。

 


このパレスチナへの入植活動には、当然、多くの資金が必要とされた。しかし、それは心配する必要がなかった。

なぜなら、パレスチナで活動していたユダヤ人たちに、「匿名の寄贈者」というサインの付いた「小切手」が送られていたからだ。

この膨大な資金によって、続々とユダヤ人たちがパレスチナに入植し、その金によって住宅、学校、農業地を購入することができたのである。またその資金援助によって、その地で採れるあらゆる農作物が当時の世界市場よりも高く買われ、全収穫物が毎年買い付けられるということが行なわれた。


後にこの「匿名の寄贈者」の正体は、フランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであったことが公にされた。(フランスとロンドンの両ロスチャイルド家は、1878年以来、パレスチナの土地を買収し続けてきたのだ)。

 


第一次世界大戦後の中東


その後、イスラエル建国運動は、ナチスの台頭によって急速に進展し、

第二次世界大戦後、正式にイスラエル共和国が成立する。

(※ この第二次世界大戦中に、シオニストたちはどういう活動をしていたのか? 第二次世界大戦でのシオニストたちの動きについては、別ファイル「ナチスとシオニストの協力関係」をご覧下さい)。

 


「イスラエル共和国」の独立宣言 (1948年)


初代イスラエル首相にはベングリオンが就いたが、彼は、次のように語ってロスチャイルド家を称えた。

「ロスチャイルド家がどのユダヤ人よりも、おそらく全世界のユダヤ人の総数を合わせたよりも、多くの費用をユダヤ人開拓地のために提供した。」



ロスチャイルド自身は、初代イスラエル大統領ワイツマンにこう語っている。

「私がいなかったらシオニズムは成功しなかっただろうが、シオニズムがなかったら私の仕事も台無しになっていただろう。」

 

★このように、パレスチナにユダヤ人国家を建設するのに、最も多額の金を注ぎこんだのがロスチャイルド家であった。パレスチナでのユダヤ人の入植活動は、ロスチャイルド家の資金援助によって実施された。これは厳然たる歴史的事実である。

そしてまた、ロスチャイルド家のシオニズム支持は、中東における「利権」獲得と裏腹になっていたことも歴史的事実である。一時期、パレスチナでサッスーン家(ロスチャイルド家の代理人として特に中国などアジアで活動)が暗躍したが、この間の事情を物語っている。



ちなみに、現在、イスラエル共和国の首都テルアビブには、ロスチャイルドの功績を称えて作られた「ロスチャイルド通り」が存在する。(エドモンド・ロスチャイルドは、イスラエルの切手やお札の顔にもなったことがある)。


http://satehate.exblog.jp/10070668

 



 

 


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by kabu_kachan | 2015-02-17 14:46 | ユダヤ | Comments(0)

「鎖国」の本当の理由

【イエズス会の正体】


フリーメーソンに続いて、バチカンについてみていきたいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=SqFTpKXCj1Y


バチカンは、ローマ・カトリック教会と東方典礼のカトリック教会の中心地で、いわばカトリックの「総本山」です。

バチカンの統治者はローマ教皇であり、ローマ教皇庁によって統治されています。

バチカン市国の面積は0.44平方kmと、ほぼ東京ディズニーランドと同じくらいの世界最小国ですが、中国にも匹敵する10億人以上の信徒を全世界に有している一大勢力であり、また、信徒の中には国家元首クラスがたくさんいるので、その情報力および外交力そして影響力は世界でもトップクラスなのです。


『アメリカ ネオコン政権 最期の強敵 バチカン』によれば、そのようなバチカンの重要性を最も認識していたのは昭和天皇であり、太平洋戦争勃発のおよそ二ヶ月前に、当時の木戸幸一内大臣に「今度の戦争は避けられそうにないが、いよいよ戦争になった時は、どのように和平工作を進めるのか、今から考えておくように…。そのためにはバチカンと国交を結んでおくことは必要なことなので、すみやかにその手配をするように」と密命を与えたということです。

昭和天皇が誰よりも国際情勢に精通していたことをうかがい知ることができるエピソードではないでしょうか。


さて、そんなバチカンを支える強力組織がイエズス会です。

※イエズス会については『キリスト教徒は植民地支配の先兵だった』もご参照ください。

以下は『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)から引用です。


イギリスの歴史家ジョージ・サムソン卿は『日本-文化小史』の中で、あるスペイン船長の話を書いている。日本との取引交渉に難渋するスペイン船長に、日本人が「スペイン国王はどうしてこれだけの領土を支配できたのか」と質問した。その船長は「簡単なことだ。原住民を改宗させるために宣教師を送り込む。改宗者が十分そろったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するようにしむける。そしてスペインが占領するのだ」と答えた。

1549年にキリスト教を伝えるため来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザヴィエルの隠れた使命も、日本の占領にあったのでしょうか?


小岸昭(京都大学教授)の『十字架とダビデの星』の中に、ザヴィエルが描かれている。

「旧キリスト教徒の高位聖職者たちは、マラーノを正しい信仰に背いた「呪われた者」としてマラーノ憎悪を煽り立てていた。大航海と植民の拡大政策による国家の経済的発展とともに、いちじるしく力をつけてきた信仰中間層を封じ込め、かつカトリック王国を宗教的に浄化する必要を痛感していたジョアン三世は、1536年、ついに異端審問所を開設するに至った。この時、火炙りの刑に震え戦いた改宗ユダヤ人のなかに、祖国を脱出し、新天地たる黄金のゴアに向かう者が少なくなかったのである。」

小岸はマラーノについて、「追放か洗礼かを迫る十五世紀末の『ユダヤ教徒追放令』により、キリスト教に改宗したイベリア半島のユダヤ人たち、表面上には〈十字架〉に帰依するように見せかけながらも、心の奥底で密かに〈ダビデの星〉を信じ続けた彼らは、異端審問所の執拗な追及に怯え、『マラーノ』(豚)と蔑まれながらやがて世界中に離散していく。ヨーロッパはもとより、ブラジル、インドへ…」と書いている。


ザヴィエルは、ポルトガル系のユダヤ人のマラーノである。ポルトガル系ユダヤ人は香辛料や金銀を求めて、世界的な貿易に乗り出していた。マラーノのザヴィエルは、イエズス会の会員にして貿易商人でもあった。

http://kabukachan.exblog.jp/19557519/

http://kabukachan.exblog.jp/19100570/

http://kabukachan.exblog.jp/20659550/

<中略>

『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』から彼の信仰と思想を見ることにしよう。

「神父が日本へ渡航するときには、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきてください。もしも日本国王が私たちの信仰に帰依するようなことになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的な利益をもたらすであろうと神において信じているからです。堺は非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金がたくさんありますので、この堺にポルトガルの商館を設けたらよいと思います。」(『書簡集』第93、ゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てて、1549年11月5日、鹿児島より)


それでは「書簡第九」を見てみよう。ザヴィエルが商人であることを知ることができる。

「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港に、ついた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けができるからです。」

堺は十六世紀中葉、日本の商業の中心地であった。ザヴィエルは1551年、堺に三万クロサド以上の財産がある商人たちは1000人以上いると推定した。80バレルの胡椒は、インドで976クルサドの価であったが、日本に来ると三倍になった。

<中略>


「書簡第九十四」は、ヴァスコ・ダ・ガマの子のペトロ・ダ・シルヴァに宛てた手紙である。その手紙は次の文で終わる。

「もし、閣下が私を信頼してくださって、この地方に送る商品の管理を私にご一任くださるなら、私は「一」から「百」以上に増やすと断言します。」


こうしてみるとザヴィエルはポルトガルの経済戦略の先兵隊員ではあったようです。

そして、このザヴィエルが貿易の目玉としたのは、火薬の原料となる"硝石"でした。


「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。(二版では憲兵命令で削られた)

「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし。」

<中略>

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。

鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」(山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

キリシタン大名は、火薬一樽で50人を奴隷として差し出したとのことです。

また、キリシタン大名は、硝石欲しさに仏像や寺社の破壊も行ないました。


イエズス会のバテレンのルイス・フロイスの『日本史』の記述を読むと、大友宗麟の姿が見えてくる。この『日本史』は、1583年の秋からフロイスが編集した日本におけるイエズス会の布教の歴史である。

大友宗麟が織田信長に鉄砲や火薬を仲介する商人の姿が書かれている。宗麟は貴族の久我晴通に、禁裏(天皇)へのバテレン優遇の奏上を依頼している。

信長が仏寺破壊を行なって、フロイスは祝意を表明している。バテレンは宗麟にも仏像・寺社破壊を奨励した。宗麟は1561年に宇佐八幡宮を焼いたのをはじめ、領内の仏像・寺社破壊をなした。1581年10月8日に、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いた。宗麟はヴァリニャーノに「このたびの勝利が、デウスの御業と司祭たちへの祈りの賜である」と伝えた。その報酬として、イエズス会は宗麟の武器援助の要請に応じた。


さて、次に鹿島曻の『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。

「ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」


鹿島曻は、明智光秀が織田信長を殺したとしていますが、八切止夫はイエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。

☆八切止夫作品集は下記で読むことができます。

http://rekishi.info/library/yagiri/


何故、神の使者であるはずの彼らが、このような残虐行為をおこなえるのでしょう?

その答えは、次の逸話の中に集約させているように思います。


大航海時代の一時期、航海者たちはローマ法王に「異教徒は人間なのか」と問い合わせ続けた。法王の答えは一定していた。

「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」

実に恐ろしきは"一神教"の偏狭さ也、ですね。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060926#1159210713


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by kabu_kachan | 2015-02-15 19:41 | Comments(0)

311人工地震・津波(なぜわからない?)

なぜ日本人は気づかないのか?

★人工地震兵器はすでに完成している。
https://www.youtube.com/watch?v=LIhZwGX7wfE


「日本人全員が気づけ!」とは言わない。
せめて幕末日本の吉田松陰や高杉晋作のような志士たちが、
現代日本にできるだけ多く出現することを願うのみである。


吉田松陰の名言

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

311も911も黒幕は同じです。

https://www.youtube.com/watch?v=6vFpkNMMaQo


「原子力空母ロナルド・レーガンは三陸沖で、3月13日、福島第一1号機爆発による放射能プルームの直撃を受けた。」のだそうですが、福島発の放射能プルームは、わざわざ三陸沖に長躯遠征して、空母上の米兵だけ狙い撃ちにしたのでしょうか?日本人はただの一人も被爆死させずに。

ここが、B層思考停止者のみなさんには、なかなか越えられない「馬鹿の壁」です。「三陸沖に福一以外の放射線発生源があった。」のではないかという発想が持てない限り、311を本質的に理解はできません。

ユダヤ米軍は、東北沖で南北500キロにわたって海底に核兵器を植え込み連続して爆発させた。その結果、地震と津波が発生した。よって、三陸沖にあった空母の米兵のみが被爆してもなにも不思議はない。

「311人工地震」を前提にしなければ、311地震を合理的に説明する方法はないのです。性善説に立つ思考停止者のみなさんには「何をばかなことを言っている」としか思えないでしょうが。

人間は自分の頭で考えて判断するからこそ、人間なのです。NHKや読売新聞に代わりに考えてもらう類の方々は、人間の範疇に入りません。早く、人間に「昇格」してください。

2015/2/6 20:12

安倍一味の暗躍が続くと、日本はアメリカと同じ運命を辿ることになります。

「トモダチ作戦」で大量被ばくした米水兵たち~すでに2名が白血病などで死亡

「トモダチ作戦に参加した原子力空母ロナルド・レーガンは三陸沖で、3月13日、福島第一1号機爆発による放射能プルームの直撃を受けた。

空母は金属味を伴う生暖かい雲に包まれたが、飛行甲板では作業が続けられた」。1月31日都内で開かれた「被ばく学習会」の呉東正彦弁護士の報告は衝撃的だった。 甲板の汚染が一番酷かったが、除染作業では防護服も付けていなかった。被ばくを知っていた上官はヨウ素剤を飲んだが、一般水兵には配られなかった。 米軍の報告書によれば、約5000人の水兵のうち約2000人に、呼吸器系・消化器系・妊娠異常・甲状腺がんなど体の異常が出ている。そして、すでに2名の若い兵士が「骨膜肉腫」と「急性白血病」で死亡した。

http://www.labornetjp.org/news/2015/0131goto

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201502/article_31.htmlより


311津波「空母レーガン乗組員の集団がん発生」


http://kabukachan.exblog.jp/23137799/

http://kabukachan.exblog.jp/21203034

http://kabukachan.exblog.jp/22353422/

★311人工地震による津波<見ざる・言わざる・聞かざる>


http://kabukachan.exblog.jp/23655413/


自己紹介

平瀬城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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平瀬城
長野県
平瀬城主郭部
平瀬城主郭部
城郭構造山城、居館
築城主平瀬氏
主な城主平瀬氏原虎胤
廃城年1553年
遺構曲輪、土塁
指定文化財なし

平瀬城(ひらせじょう)は、長野県松本市にあった日本の城

http://www.asahi-net.or.jp/~JU8T-HNM/Shiro/TokaiKoshin/Nagano/Hirase/index.htm

平瀬城は小笠原氏の家臣平瀬氏の城であった。小笠原長時天文19年(1550年)、武田晴信に攻められて本城である林城を捨ててこの平瀬城に撤退し、その後、村上義清を頼り葛尾城に落ちていった。砥石崩れにより武田氏は村上方に敗れたが、その機会に再び小笠原長時は村上義清の援助を得て平瀬城を奪還した。天文20年(1552年)平瀬城は武田晴信により落城し、城主の平瀬義兼は自刃した。晴信は平瀬城を改修し原虎胤に守らせた。天文22年(1553年)、筑摩郡は武田氏がほぼ平定したため、平瀬城は廃城となった。



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by kabu_kachan | 2015-02-08 12:48 | Comments(0)