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オバマ大統領の広島訪問


「オバマ大統領の広島訪問」で世界史がわかる。




なぜ、オバマは原爆投下が一般市民の大量虐殺であったと言わなかったのか。
それは、アメリカ国民が言わせなかったのである。
アメリカにおける歴史教育の賜物である。

日本では、なぜ歴代の総理大臣が南京大虐殺をしましたと言うのか。
これも日本の歴史教育の賜物である。
日本国民が言わせているのである。



終戦直後に開かれたGHQによる極東国際軍事裁判(東京裁判)で、アメリカは原爆投下が国際法違反にあたる一般市民の大量虐殺であったことに気がついた。そこで日本軍がアジアで大量虐殺をしていないか調べたのである。


その中で、広島と長崎の当時の死者数(20万人)に当たりそうなのが南京虐殺という噂であった。当時の南京は人口が20万人であった。
そこで中国側に証人を用意させたのである。もちろん偽証人でもよろしい。偽証罪はありませんから。


そして単なる噂と嘘の証言で塗り固められた「南京大虐殺」をでっち上げて、日本を犯罪国家に仕立て上げて東条英機を始めとするA級戦犯 7人を絞首刑にしたのである。


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M

★【水島総】「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」特別編集版
https://www.youtube.com/watch?v=YTu-UZkvXCM&nohtml5=False

日本は中国で南京大虐殺をやったのだから、広島と長崎の原爆投下は帳消しですよと言う意味である。


いいですか。

南京大虐殺の南京市民の死者数は

・・・・・0人。

★虐殺されたはずの南京市民

https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False

中国の日本軍
https://www.youtube.com/watch?v=Mp0uYixten0&nohtml5=False

【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」
https://www.youtube.com/watch?v=W0x5_iqs-r0&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz&index=23

なぜ、「南京事件」は捏造されたのか?
https://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo&nohtml5=False

1/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=7BD4EeZl71U

2/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=b_XaRjfjvE8

3/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=soBmChuHDhM


広島・長崎の原爆投下時の死者数は

・・・20万人。

★【東京裁判】自虐史観はこうしてつくられた【大東亜戦争は侵略戦争ではない】

https://www.youtube.com/watch?v=3Xk0eSG8L_Y&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz&index=2


ほんの百年前までは、世界中の大部分が白人国家の植民地であった。その中で日本だけがかろうじて独立を保っていた。「かろうじて」と言う意味は、幕末に欧米列強によって結ばされた不平等条約によって日本は半植民地状態であったからだ。

その不平等条約が完全になくなったのが、日露戦争で日本が勝ったあと、6年後の1911年である。

日本はこのとき、当たり前の独立国になったのである。



いいですか。世界史上初めて、有色人種の国で白人国家の圧力を押しのけて独立を勝ち得たのが日本だったのである。


世界第一位の陸軍大国でありイギリスに次ぐ海軍力を持ったロシアに勝った日本を今度はアメリカが恐れるようになった。当時、アメリカは太平洋に大艦隊を持っていなかった。パナマ運河はまだ開通していない。

アメリカは日本を仮想敵国に想定してオレンジ計画と言う日本の軍事力を潰す計画を立てたのである。そのあと、排日移民法などで日本を追い詰めていく。

親中派のルーズベルトになってから、アメリカは裏で中国国民党に武器や弾薬を送り始めた。しかもルーズベルトの周りはコミンテルンのスパイで固められていたからソ連とも通じていたのである。東南アジアはイギリス・オランダ・フランスの植民地であった。


日本に対するABCD包囲網が完全に整ったときにハル・ノートを突き付けてきたのである。

真珠湾攻撃は暗号解読で事前にルーズベルトはわかっていた。ハワイのキンメル司令官にはわざと知らせないでおいて、日本に攻撃させたのである。日本海軍の中にアメリカと通じている者もいた。真珠湾攻撃は手加減しておいてミッドウェー海戦はわざと負けたのである。犯人は言わずと知れたこの二つの作戦の立案者である。

★フリーメーソンが日本を敗北させた
http://kabukachan.exblog.jp/18152497/

★☟この若い日本人女性、メチャクチャ頭いいぜw! 
   歴史音痴の日本人諸君、少しは見習えよ!
http://www.news-us.jp/article/410308580.html

ただ真珠湾攻撃から半年は日本は勝ちまくった。フィリピンのアメリカ軍の基地もシンガポールのイギリス軍の基地も簡単に陥落させて、日本軍はあっという間に東南アジア全域を占領して白人たちを追っ払ってしまったのである。これはルーズベルトのまったく予期しない最大の誤算であった。


日本軍が白人を東南アジアから追い払ったことで東南アジアの国々が独立できたのである。
この東南アジアの国々の独立とインドの独立がアフリカや全世界に及んで世界中の有色人種の国々が独立していったのである。



日本の起こした大東亜戦争なしにはこのような世界の変化は起こらなかったのである。白人たちは絶対に有色人種の独立を認めなかったのである。


白人による世界植民地体制を日本が崩したのである。
今では人種平等は当たり前であるが、人種差別が当たり前だった時代の1919年のパリ講和会議で日本は人種差別撤廃法案を提案している。これは11対5の賛成多数であったにもかかわらずウィルソンの拒否で否決された。

★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』
http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

★大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!
https://www.youtube.com/watch?v=U7AsnClmn-w&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz


★世界史上における
  白人の二大誤算
 (白人の番狂わせ)


①日露戦争における日本の勝利。

➡当時、白人国家で日本が勝つと思っていた国はない。同盟国のイギリス人ですら喜ばなかった。


②大東亜戦争の初戦における東南アジアからの白人の追放。

➡ルーズベルトの誤算。


以上の二つの大戦争が白人による世界植民地体制を崩して、世界中の有色人種の国々が独立して現在の人種平等の世界が実現したのである。

【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト】
https://www.youtube.com/watch?v=KIeJfgYeMMY&nohtml5=False




「オバマ大統領の広島訪問」の意味とは、


オバマ大統領が黒人大統領だから広島に来れたのである。

白人の大統領だったら広島には来ていない。


たとえ行こうとしてもアメリカ国民が許さないであろう。

アメリカ国民は先の大戦が正義の戦いだったと信じているからである。

オバマは黒人だから、アメリカ国民にとっては半分アフリカ人だから「まぁいいか」となる。


★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度
http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

白人の大統領だったら我々アメリカ国民と同じだから「許せない」となり、行くことはできない。









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by kabu_kachan | 2016-05-28 13:51 | 歴史 | Comments(0)

本多勝一と朝日新聞社

「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


水間政憲徹底解説「事後法により裁かれた東京裁判」「東京裁判松井石根大将判決から導き出される結論『日本軍による南京大虐殺はなかった』」
https://www.youtube.com/watch?v=OW8cq6jV7i8


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08


★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U

★「ひと目でわかる『日中戦争』時代の武士道精神」
https://www.youtube.com/watch?v=bUOVBisWXDE

★【この元朝日新聞記者と朝日新聞社は、ユネスコ世界記憶遺産に登録された南京大虐殺記念館の中で表彰されている】


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08

【衝撃!証言】南京大虐殺は無かった!『南京の真実・第二部』製作へ[桜H27/3/28]
https://www.youtube.com/watch?v=1UrY5_YLcSw&nohtml5=False

「南京大虐殺」の嘘~南京入城の記録映像と証言 2015.11.26ch
http://www.dailymotion.com/video/x3fnwff


この意味するところは、この元朝日新聞記者と朝日新聞社は、すべて「ニセモノの写真」を使って、何の根拠もない「ホラ話」ででっち上げた「南京大虐殺」を世界に向かって広めているということである。

なぜ、中国が強硬に南京大虐殺を主張するのかと言うと、一つには日本を代表する朝日新聞社からお墨付きを貰っていると考えているからである。
南京大虐殺記念館の中で表彰しているのに何も言ってこないということは、朝日新聞社からお墨付きを頂いていると考えるのは当然である。

本能寺の変ではないが、敵は日本国内にいるのである。

これはとんでもない国賊行為である!

朝日新聞社とは、国賊新聞社である。表向きは日本国民の味方ですよと言っておいて、内心では反日歴史観で凝り固まっているのである。

「国賊」ってわかりますか?
「売国奴」と同じ意味です。

南京事件は、歴史上の史実として、もともと存在しないのである。

★虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False

南京事件を認めた学者は全員、デタラメ国賊学者である。
南京事件肯定派がよく口にする名前にティンパーリー、ベイツと言うのがあるが、この二人は当時、国民党宣伝部の顧問であった。「ラーベの日記」で有名なラーベはドイツ・シーメンス社の社員であった。当時、ドイツは中国国民党に武器援助していて中立な立場にはなかった。こんなことも知らないで口にするのである。

南京事件肯定派がよく使う手が、中国から帰ってきた日本兵の日記である。その日記が嘘であることに気がつかないのである。中国に抑留されていた日本兵は日本に帰ることと引き換えに嘘日記を書くことを強要されたのである。要するに、嘘告白日記を書かなければ生きて日本に帰れませんよ、ということである。いわゆる「中帰連の嘘日記・嘘証言」である。当時、中国に抑留されていた日本兵たちは敵国に捕まっているのだから、いつでも処刑されるかもしれないという極限状態にある。嘘告白をした日本兵が先に帰還したら自分だって早く日本に帰りたいがゆえに嘘日記を書こうと思うであろうがw。
「強姦や虐殺をしました」と嘘日記を書くか嘘証言をしないと日本に帰れなっかったのである。
南京事件肯定派や在日にはここがわからない。NHKを筆頭とする日本の在日メディアは何度もこの嘘日記と嘘証言を流して国民を洗脳している。

【スクープ!】これがユネスコ記憶遺産登録申請資料だ! ①「南京大虐殺」編【THE FACT×The Liberty】
https://www.youtube.com/watch?v=6JyNqnd-hF4


【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」
https://www.youtube.com/watch?v=W0x5_iqs-r0

当時、本多勝一記者は東京裁判の記録の中に日本軍の犯罪行為として南京虐殺が書いてあるのを見つけて、中国へ行ってもっと詳しく調べてやろうと思い、予め中国に連絡しておいて、中国がお膳立てしておいた「ニセモノの写真」と「偽証人」の話を記録して持って帰って朝日新聞に発表したのである。

★元朝日新聞の本多勝一、
写真捏造を認める
https://www.youtube.com/watch?v=9y4JOIYhbfk

★やまと新聞水間政憲論説委員緊急収録「元朝日新聞記者本多勝一氏が南京事件捏造写真誤用を認めた歴史的意義
https://www.youtube.com/watch?v=6gP4tUnzOtk&nohtml5=False

本多勝一とは、自分の書いたすべての本の中に「ニセモノの写真」をわざと使っている、とんでもない売国奴である。こいつは史上最低のジャーナリストである。「ニセモノの写真」であると知っていて、わざと意図的に使うのはジャーナリストのクズである。違いますか?


さくらじ#97、松尾一郎が「南京」の歴史にのめり込んでいった理由
https://www.youtube.com/watch?v=UuR9PtOOKak


報道スペシャル-中国プロパガンダ写真の真実
https://www.youtube.com/watch?v=_djUwHFV0yE

水間政憲①【邪教朝日新聞】の日本つぶし

https://www.youtube.com/watch?v=P72omWQpypc


台本「真相箱」真相はかうだ-NHK洗脳ラジオ放送
https://www.youtube.com/watch?v=ToUz8pxhSC8


渡部昇一ほか保守論客30人が熱弁@ 「南京大虐殺」の歴史捏造を正す国民大集会
https://www.youtube.com/watch?v=L_C7KVAfPls

4/19「河野洋平氏に公式謝罪を求める国民集会」水間政憲先生講演
https://www.youtube.com/watch?v=eOOMnRrXkDA&nohtml5=False

【直言極言】「南京の真実」の反転攻勢、恐るべきトランプ政権の力[桜H29/2/24]
https://www.youtube.com/watch?v=CCdTt7E7c0E&nohtml5=False


本多勝一『地獄への旅』…南京トリック報道の因襲
http://dogma.at.webry.info/201701/article_5.html

自虐史観

http://kabukachan.exblog.jp/25667793/

【観覧閲覧注意】「南京大虐殺の証拠」として使われたニセ写真
https://www.youtube.com/watch?v=18l4BHZ_nBA



 この写真のおおもとの出典は「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号で、キャプションは【我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女史供の群】となっています。

 それが、「中国の日本軍」のキャプションでは【婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ】となっており、アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」では、【日本軍が女性や子供を狩り集めて売り飛ばした】となっていました。

※この件の詳細こちら
水間政憲さんのブログ>緊急拡散希望《本多勝一氏が『週刊新潮』に「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真と認めました》
【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]
日々佳良好さん>南京事件・本多勝一が捏造写真と認めた


 冒頭の橋の写真は、もとは「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号の「硝煙下の桃源郷・江南の『日の丸部落』」という特集ページに掲載されていたものですが、このページには他に3枚の写真が掲載されていました。うち2枚がこちらです。



[画像はいずれも水間政憲さん著「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」から接写。画像をクリックすると新規画面で拡大されます]

内容紹介

本書は、我が国の未来を担う子供達への「日本罪悪史観予防ワクチン」の目的と、忘れ去られている武士道精神の復活を祈念して上梓しました。現在、小・中学生が学んでいる歴史認識は、「GHQ占領下」以上の危険な洗脳が行われ、中・高の入試問題に「嘘」が公然と出題されているのが現状です。
本書を上梓するにあたって、朝日新聞社が戦前に発行していた『北支事変画報』や『日支事変画報』『支那事変画報』、そして『アサヒグラフ』は創刊号からすべて調べ尽くし、数千枚の写真を収集しました。その中から、説明する必要のない「ひと目でわかる」写真を厳選し、196枚を一挙に掲載しました。これらには、1919年、国際連盟(ベルサイユ講和会議)において我が国が提出した「人種差別撤廃決議案」を否決した英国や米国などが畏れた、日本軍の「武士道精神」(義・礼・勇・仁・誠・忠・名誉)が見事に記録されています。(水間政憲/「はじめに」より抜粋)

 冒頭の橋の写真は、実際には、下の村から上の畑への送り迎えを日本軍が護衛していた途中の微笑ましい光景だったのです。
 他の写真は「大虐殺」派にとっては都合が悪いため、隠されています。

 「中国の旅」のキャプション『誤用』は冒頭の橋の写真以外にも複数あって、特に有名なのはこちらです。

イメージ 3

 これは「中国の旅」の単行本や文庫本には掲載されていませんが、「本多勝一全集14」の「中国の旅(南京編)」に新たに追加された写真で、キャプションは【ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された(南京市提供)】となっています。

 しかし、これもおおもとの出典である「朝日版支那事変画報」1937年(昭和12年)12月5日号のキャプションを見ると、【支那民家で買い込んだ鶏を首にぶらさげて前進する兵士】と説明されています。

 日本軍はちゃんと代価を支払ってこの鶏を買っていたことが分かります。




 以下、近現代史研究家の阿羅健一さんが、現在発売中の「正論」2014年10月号にちょうど「中国の旅」をテーマにした記事を書かれていますので、それを引用しながら書いていきます。

 「中国の旅」は1971年(昭和46年)8月から12月まで朝日新聞に掲載されました。
 支那人が戦争中の日本軍を語る形を取ったルポルタージュで、残虐で非人道的な日本軍の姿が語られました。

 ところがそこで語られている日本軍の行為は、日本人の感覚からは考えられないものでした。

 南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期ですし、朝日新聞読者も含めて「記事に対するごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(「朝日新聞社社史」)そうです。

 それどころか社内でも批判が上がりました。
 当時従軍した記者たちが取材した南京と、「中国の旅」に書かれている南京とでは全く違っていたからです。

 日本軍が南京城内に入ったのは1937年(昭和12年)12月13日です。
 14日の南京の中心の様子を朝日新聞はこう報道していました。

「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」(東京朝日新聞12月16日)

20131217224402_123_1
[1937年(昭和12年)12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)/ソースURL

20131217224402_123_3
[1937年(昭和12年) 南京住宅街にて撮影/「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より/支那事変写真全集(中)上海戦線南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達/撮影者、朝日新聞林カメラマン/ソースURL

 しかし、意外なことに多くの日本人は、この捏造だらけの「中国の旅」をまともに受け入れてしまったそうです。

 なぜか?
 阿羅健一さん曰く「朝日新聞を信じたから」。
 当時の朝日新聞の信頼性はものすごく高かったようです。今とは違って。

 阿羅さんは「中国の旅」連載から10数年して、健在だった元兵士の方々を尋ね回ったそうです。
 それは金沢や津の兵隊たちでした。

 なぜ金沢や津かというと、「中国の旅」で語られているのは城内の安全区や揚子江岸でのことで、日本軍は部隊ごとに戦闘地が決められていたから、どこの日本兵が行ったかすぐ分かるからです。

 安全区は金沢の兵隊が掃蕩(掃討)し、揚子江岸には津の兵隊が真っ先に進出したので、もし「中国の旅」が事実なら、殺戮や強姦は彼らが行ったことになります。

 しかし、どれほど多くの方々に会っても、「中国の旅」の内容を否定したそうです。
 反対にこんな返事が返ってきたのだとか。

「戦前の日本は農村社会で、ひとつの村から何人も同じ中隊に入りました。もし強姦などすれば、すぐ郷里に知れ渡り、除隊しても村に帰れなくなります。日本の軍隊が同じ郷土の若者から成り立っていたことは、軍紀を守らせる役目をはたしていたんです」

 実は、本多勝一は「正論」1990年9月号で、前号の田辺敏夫氏の記事への反論という形で、このように述べているそうです。

「問題があるとすれば中国自体ではありませんか」

 この言葉から、本多自身が「中国の旅」が虚偽に満ちていることを知っていたことが分かります。

 そして、支那人が本多に語ったことは、自分たち支那人が行ってきたことをオウム返しに語っているだけではないか、ということに気づかせてくれます。


 たとえば、「中国の旅」と李圭の「思痛記」という本を比較すればそれは明らかです。

 「思痛記」は1879年(明治12年)に書かれた本で、李圭は清朝の役人でした。

 1850年に広西で長髪賊の乱(太平天国の乱)が起こり、3年後には南京を落とし、支配した地域を太平天国と称しました。
 太平天国は清と戦い続けましたが、1864年に敗れて滅びます。

 南京郊外の豪族の家に生まれた李圭は、1860年に長髪賊に捕まり、2年以上軟禁されて逃れたあと、清朝の役人となりました。
 そして軟禁されていた頃の体験談をまとめました。
 それが「思痛記」です。

 この本の中で、李圭は周りで起こった悲惨な出来事を記述しています。
 「中国の旅」の記述と比較して下さい。
 赤文字は「中国の旅」の記述、青文字は「思痛記」の記述です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本兵が現れて、若い女性を見つけ次第連行して行った。彼女たちはすべて強姦されたが、反抗して殺された者もかなりあったという」
「美しい女は路傍の近くに連れこまれて淫を迫られた。必死に拒んで惨たらしい死に方をするのが十の六、七であった」
※“強制徴募”され支那事変に駆り出された支那人青年の私小説「敗走千里」にも、支那兵にとってこの種の蛮行は日常的であったことを匂わせる記述が出てきます。もちろん相手は自国の女性です。ちなみに「敗走千里」は戦後にGHQによって「焚書」にされました。

「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」
「長柄の槍で争って突き刺されるか、鉄砲で撃たれるかして、百の一人も助からなかった。水はそのため真っ赤になった」

「強姦のあと腹を切り開いた写真。やはりそのあと局部に棒を突立てた写真」
「女の死体が一つ仰向けになって転がっていた。全身に魚の鱗のような傷を受け、局部に矢が一本突き刺さっていた」

「日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。(中略)大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」
「刀がふりおろされるごとに一人又一人と死にゆき、頃刻にして数十の命が畢(おわ)った。地はそのため赤くなった」

「水ぎわに死体がぎっしり漂着しているので、水をくむにはそれを踏みこえて行かねばならなかった」
「河べりには見渡すかぎりおびただしい死体が流れ寄っていた」

「逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した」
「河べりに大きな木が百本ばかりあったが、その木の下にはみなそれぞれ一つか二つずつ死体があった。木の根元に搦手に縛りつけられ、肢体は黒焦げになって満足なところは一つもなかった。それらの気にしても、枝も葉もなかった。多分賊や官軍らは人をつかまえて財物をせびり、聞かれなかったために、人を木に縛って火を放ったものであろう」

「赤ん坊を抱いた母をみつけると、ひきずり出して、その場で強姦しようとした。母は末子を抱きしめて抵抗した。怒った日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した。半狂乱になった母親が、わが子を地面から抱き上げようと腰をかがめた瞬間、日本兵は母をうしろから撃った」
「(賊の頭目の一人汪は)夫人と女の子を家に送り返してやるといった。嘘とは知らないものだから夫人は非常に喜び、娘を先に立てて歩かせ、自分はそのあとにつづいた。汪は刀を引っ下げてついていったが、数十歩も歩いたか歩かぬに、いきなり後ろから夫人の頸部をめがけて、えいとばかりに切りつけた。夫人はぶっ倒れて『命ばかりは』と哀願した。が、またもや一刀、首はころりと落ちた。汪はその首を女の子の肩に乗せて、背負って帰れといった。女の子は力およばず、地に倒れた。汪はこれを抱えおこし、刀をふりあげて女の子の顋門[くっくり註:幼児の頭蓋骨の泉門のこと]めがけて力まかせに斬りつけると、立ちどころに死んだ」

「『永利亜化学工場』では、日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」
「喬(賊の頭目の一人)はひどく腹を立て立ちどころに二人を殺し、さらにその肝をえぐり取って、それをさっきの同伴者に命じて鍋の中に捧げ入れさせ、油で揚げて煮た上で一同に食べさせた」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こういった残酷な殺害方法は、1937年(昭和12年)7月29日に支那軍が日本人を大量虐殺した通州事件でもみられましたね。



 このように支那人の語ることが日本の常識や歴史から説明がつかないこと、それが支那では当たり前のように起きていることを考えると、日本軍が南京で行ったと語られた蛮行は、支那人が歴史的に繰り返して行ってきたことであり、日本人も同じことを行ったに違いないと彼らが思い込んだからだと、阿羅さんは指摘しています。

 そして、その勝手な思い込みが、なぜ日本が南京を攻めた時に語られたかの手がかりも、「思痛記」にあると阿羅さんは言います。

 というのも、南京から80キロほどのところに金壇という街があり、長髪賊は南京を落とす時に金壇城も攻めたのですが、そこが陥落した日のことはこう記述されているのです。

「入城した。新しい死骸、古い死骸が大路小路を埋めつくしていて、おそろしくきたなかった。城濠はもとから狭くもあったが、そのために流れがとまった。赤い膏白い膏が水面に盛り上がっていて、あぶくが盆よりも大きかった。それというのが、住民たちは城が陥ちたら必ず惨殺されることを予期して、選んでみずから果てたものもあったが、城の陥落する前に、官軍中の悪い奴らの姦淫強奪に会い、抵抗して従わなかったために殺されたものもあった

 城が陥落すれば必ず惨殺される、強奪される、強姦される。
 それは支那の歴史において何度も何度も繰り返されてきたことです。

 日本が南京を攻略した時、さまざまな残虐なことが起こったと支那人は語りましたが、そう語るには、このような歴史的背景があったのです。

※付記しておくと、「中国の旅」が書かれた当時の支那(中華人民共和国)は、文化大革命の最中の言論の自由が全くない状況で、したがって「中国の旅」も当局が用意した『証言者』の言うことを、そのまま記したものに過ぎません。



 ちなみに、本多勝一は、2006年9月24日に南京市の「南京大虐殺記念館」から、「南京大虐殺」の普及に貢献したとのことで表彰されています。

 阿羅さんは、朝日新聞が慰安婦強制連行の記事を取り消したことを受け、32年目で取り消したのなら、43年前の報道(「中国の旅」)も取り消せるのではないかと考えていると述べています。

 もちろん一筋縄にはいかないと思いますが、本多勝一があの象徴的な写真を捏造写真と認めたと伝えた今回の新潮の報道が、ひとつのきっかけとなる可能性はあるかもしれません。
 

※参考資料
・「正論」2014年10月号【本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない】阿羅健一
・【ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神】水間政憲
・【南京事件「証拠写真」を検証する】東中野修道・小林進・福永慎次郎





★20世紀最大の大嘘 < 南京大虐殺 >
http://kabukachan.exblog.jp/25572311/


★「南京大虐殺」捏造の歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25580971/


★「通州事件」って知っていますか?
http://kabukachan.exblog.jp/25605655/


★「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/



朝日新聞社=国賊新聞社=売国奴
http://kabukachan.exblog.jp/25697439/



南京事件の真実1部
https://www.youtube.com/watch?v=GQa4caLov7c

南京事件の真実2部
https://www.youtube.com/watch?v=zz-QH8-P0tE

南京事件の真実3部
https://www.youtube.com/watch?v=BJ5TH3W3AnY

南京事件の真実4部
https://www.youtube.com/watch?v=KgQHFcQxBH8

南京事件の真実5部
https://www.youtube.com/watch?v=jctBKRIguxk


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by kabu_kachan | 2016-05-27 04:04 | メディア | Comments(0)

熊本地震の地震波形

【自然地震の法則】

自然地震は、最初からドカ~ンとは来ません。



地震と言えば、真っ先に調べるのが

その地震の「地震波形」である。

いいですか?

自然の地震は、最初からいきなり

ドカ~ンとは来ないんですね。


もう一つ、

日本の自衛隊は、米軍の子分である。

これで理解できるでしょう。


以下は、
世界の真実の姿を求めて!からの引用である。




 熊本地震の本震は「M7.3とM5.7の合成地震」→「M5.7地震」の震源地近辺にも自衛隊駐屯地!

1/16熊本地震の本震=「M7.3とM5.7の合成地震」

1  2016/04/16 01:25:05.4にM7.3の地震発生

 熊本県熊本地方 32°45.2′N 130°45.7′E 12km
  

32秒後


  2016/04/16 01:25:37.7 に発生 M5.7の地震発生

大分県中部     33°16.4′N 131°21.1′E 12km   



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2016%E5%B9%B4)

気象庁の判断で2つの地震を一つに合成!

→地震は熊本地方、阿蘇地方、大分県の3つのエリアで発生しているが、

気象庁は「それぞれ離れているけど、同時に起きている地震なので一連の活動とみている」と話している。


52102.jpg


http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=9901415

052001.jpg


052004.jpg


M7.3とM5.7地震の共通点

① 震源地の近くに自衛隊駐屯地がある。
 
  

M5.7地震の震源地から湯布院 駐屯地まで→0.9km

M7.3地震の震源地から健軍 駐屯地まで→約4km


052003.jpg

M5.7地震の震源地→900mの距離に湯布院駐屯地 
(時刻 1:25:37.7)

052005.jpg

M5.7地震の震源地の拡大 
(時刻 1:25:37.7)

052007.jpg

湯布院駐屯地ーボーリング調査 6mX1本
http://www.qken-net.com/kyushu/pdf/P00131041_2.pdf
052101.jpg


② M7.3とM5.7地震の地震波形が爆発系。

湯布院観測点の波形の最大値はM5.7の地震波形!

湯布院観測点の波形
052008.jpg

湯布院観測点=M5.7地震
052009.jpg

M'.7.3地震の波形→益城観測点
052010.jpg

③ M.7.3とM5.7両地震とも地震の深さ→12km






ついでに、阪神淡路大震災の地震波形㊦



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by kabu_kachan | 2016-05-23 01:28 | 地震 | Comments(0)

熊本地震は人工地震だった!?

気象庁長官が熊本地震を「 「これまで経験ない」特殊な地震だったと吐露。


当たり前です。人工地震ですから。

そうですよね、黒幕のリチャード・アーミテージ殺人鬼さん。

2016/5/19 20:29

スレチにて失礼します。 「じんこう」の四文字が言いたくても言えない橋田さん。 ↓

「これまで経験ない」=橋田気象庁長官、熊本地震で

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051900601&g=soc  

気象庁の橋田俊彦長官は19日の定例記者会見で、4月から続く熊本地震の影響範囲や揺れの大きさについて「(内陸型地震としては)これまで経験しなかった」と述べた。  

熊本地震では4月14日夜のマグニチュード(M)6.5の地震の後、同16日未明にさらに大きなM7.3の地震が発生し、強い揺れが続いた。  

橋田長官は経験則に当てはまらない状況だったと説明。気象庁の対応について「持っている知見で一生懸命やらせていただいた」と述べた。 時事通信 2016年05月19日16時13分

酢味噌



熊本地震の前にプーチン・ロシアのスプートニクが「炭鉱の底で核爆発」という動画記事を掲載していた!


地下核爆発が起こされれば、当然、地震が発生しますね。


ロシア紙・スプートニクさんは本年4月7日、つまり熊本地震のちょうど1週間前、「地下核爆発」という短いタイトルの動画記事を載せてくれていました。

http://jp.sputniknews.com/videoclub/20160407/1914114.html

「核爆弾は炭坑の奥深くへ下ろされ、土で被され、その後、爆発によって巨大なクレーターができる。」と書いてあるだけの記事です。

>核爆弾は炭鉱の奥深くに下ろされ、

>土で被され、

「炭鉱」とは三池炭鉱のことだったのでしょうか?

穂咲青二才

2016/05/16 08:32


地震の直後(4月18日)のRK記事です。↓

熊本と大分の鉱山(廃坑含む)の一覧表です。

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201604/article_105.html

「地中深く、坑道が張巡らされています。なにかを敷設するには最適です。」

スプートニクの記事を知らずに書いた記事でしたが、「備後」だったのかも知れませんね。その後の南九州、異変はありませんか?自衛隊の駐屯地近くの方、ガイガーカウンターを常備してください。

プーチン・ロシアは米国1%の邪悪な計画を事前に知り、警告を出していたということではないでしょうか?米国1%敗残兵の断末魔攻撃を知っているのは、RK独立党だけではない。ロシアも、しっかりと事態を把握して米国1%のさらなる暴走を牽制しているのではないでしょうか。



阪神淡路大震災の理由

http://quasimoto.exblog.jp/22435306より。

ついに阪神淡路大震災の理由が明らかとなった!?:NWOが日本のスパコン拠点神戸を破壊したんだと!?
みなさん、こんにちは。

いやはや、これまた驚きの情報を見つけたので、ここにメモしておこう。

1995年1月17日

といえば、「阪神淡路大震災」が起こった日である。

この阪神・淡路大震災についても、2011年3月11日に起こった東日本大震災と同様に、陰謀暴露の世界では、核爆弾が使われたのではないかという噂が絶えなかった。

東日本大震災はもはや核爆弾の3連発だったことはあらゆる証拠から明白。だから、言うまでもないが、阪神淡路大震災もまたやはり核爆弾によって引き起こされたものだったようである。

(省略)

簡単にいうと、こんなことである。

1990年台当時、日本はスーパーコンピュータで世界を制覇しつつあった。その性能はすでにペンタゴンの国防省のものを凌ぐ域に達していた。ところが、どうやらそのスパコンの拠点が神戸にできつつあった。日本の大企業のスパコン部門が一堂に会して神戸に世界最高の拠点ができていた。アメリカの政治家はそれを非常に脅威に感じた。そこで、Navy Sealsという米海軍特殊秘密部隊を使って、神戸近海に核爆弾を設置して、一気に神戸を崩壊させた。その結果、日本のスパコン拠点は崩壊し、日本のスパコン開発を非常に遅れさせることができた。

これをフィル・シュナイダーが日本の神戸で話したというのである。


この話は非常に説得力がある。

私は1995年にちょうど理研にいた。富士通のスパコン部門を辞めて理研に行った3年目だから、当時我々がスパコン世界で世界最先端を行っていることを知っていた。確かに神戸に理研の拠点ができつつあった。

しかし、阪神淡路大地震によってスパコンの拠点は米軍のキャンプ座間の近くの横浜へ移ったのである。だから、今現在は横浜に日本のスパコンの拠点「京」がある。

その後、再び神戸大学にスパコンが入ったが、それは世界最速ではない。数あるスパコンの一つというレベルである。

中国支那の四川大地震が、核開発の拠点になりつつあったことから、米海軍のHAARPの地震兵器で地震誘発されたというのが今では通説である。

この流れから言うと、民主党の小沢・鳩山政権が、日本の国会議員団200人を引き連れて中国にまるで参勤交代のようなことをして、日本政府が支那共産党になびいた。そこをついて、わざわざ小沢一郎の本拠地である岩手を巨大地震で襲ったわけである。それもやはり核爆弾によるネービーシールズの仕業だったということになるだろう。

小沢一郎の民主党政権がなければ、中国に大訪問団を繰り出さなければ、おそらく東北大震災はなかっただろう。

この意味で、やはり「壊し屋」小沢一郎は、「壊し屋」小泉純一郎と同様に日本の大疫病神。「NWOの手先」と言えるだろう。




最近、☟私のパソコンでもありました。


PC が勝手にウインドウズ10をインストールしようとして

このままウインドウズ10を使い続けますか?

と表示され、拒否をクリックしました。

以前のバージョンのウインドウズに復元しています 

と、表示され、長い時間そのままです。

何かご存じの方、教えてください。

携帯より書き込んでいます。

RK

追伸:

元のバージョンに復帰した模様です。

なにか変なものを植え込まれていないか、これから見極めます。

お騒がせしました。


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by kabu_kachan | 2016-05-22 21:47 | Comments(0)

「通州事件」って知っていますか?

私は20代の頃からこの「通州事件」を知っていましたよ。

【必見!】通州事件で反日左翼を論破できるぞ♪【歓喜♪】
https://www.youtube.com/watch?v=Nj7gb_Cx1mw&nohtml5=False

私は20代のころから渡部昇一氏の歴史本を面白い本だなって思って読んでいましたから。
ところがその一方で、本多勝一氏の本も読んでいました。彼の書いた『殺す側の論理』や『殺される側の論理』は最高に知的な本だと思っていました。

渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news

その後、『中国の旅』が出てから、この二人は、南京事件について相反することを書いていると気がつきました。
その頃は、渡部昇一氏が間違っているだろうと思っていました。そのままず~っと今まで来ているんですね。
ただ途中、小林よしのり氏の『戦争論』を読んだときに、『中国の旅』に掲載されている「虐殺写真」がすべてニセモノで、中には通州事件の写真を使っているのがわかって、この『中国の旅』は怪しい本だなって思った程度ですね。


元朝日新聞の本多勝一、
写真捏造を認める
https://www.youtube.com/watch?v=9y4JOIYhbfk


やまと新聞水間政憲論説委員緊急収録「元朝日新聞記者本多勝一氏が南京事件捏造写真誤用を認めた歴史的意義
https://www.youtube.com/watch?v=6gP4tUnzOtk&nohtml5=False

南京大虐殺は「本多勝一、捏造事件」である / 武田 邦彦
https://www.youtube.com/watch?v=63NsUdxiUPo&nohtml5=False


南京大虐殺】本多勝一の反論への証明と尖閣問題【石原都知事】
https://www.youtube.com/watch?v=p7Na6SnEx7s&nohtml5=False


「中国の言い分!反証すると大嘘でした」櫻井よしこ
https://www.youtube.com/watch?v=fjktkapPwnI&nohtml5=False


虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False


反日 日本人を斬る!パール判事の日本無罪論
https://www.youtube.com/watch?v=zsUaVBlQwUQ


通州(つうしゅう)事件
★中国の日本人虐殺「通州事件」
(つうしゅうじけん)と言います。
https://www.youtube.com/watch?v=7fEP-bpHroE


★【世界記憶遺産】「通州事件」ユネスコ申請へ
https://www.youtube.com/watch?v=EpIX_zkhbPU


★『第44回通州事件とは何だったのか(上)①』藤岡信勝
https://www.youtube.com/watch?v=C0-u4LKnEmA


★『第45回通州事件とは何だったのか(下)①』藤岡信勝
https://www.youtube.com/watch?v=vRSd6Y8G8Tc


★水間政憲】済南・通州事件から考える平和安全法制
https://www.youtube.com/watch?v=GHO-FJ1LO_g




事件発生翌日の7月30日午後、現場に入った天津歩兵隊の萱島隊長は、こう語っている。

「旭軒(注:飲食店)では四十から十七~八歳までの女七~八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。

商館や役所に残された日本人男児の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した後があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」

とりわけ凄惨を極めたのが、通州城北門近くにあった旅館・近水楼だったという。第二連隊歩兵隊の桂鎮雄隊長代理は、数少ない目撃者だった。

「近水楼入口で女将のらしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、きものは寝たうえで剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。

帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった」

【中国人特有の猟奇的な殺害方法】

また桂鎮雄隊長代理は、猟奇的な殺害の跡も目撃している。

「一年前に行ったことのあるカフェでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。

南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内蔵が散乱していた」

内蔵引き出しや陰部突刺などは中国人特有の残虐な処刑スタイルだろう。その中でも特異な「胸腹部断ち割り」という残虐な殺害方法を後述の桜井小隊長が目撃している。

「陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐えなかった。


東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」

数珠繋ぎにして引き回した上での殺害は、各所で行なわれていた。旅館・近水楼でも女中ら殺戮のあと十数人の男女従業員と宿泊客が麻縄で繋がれ、銃殺場に連行された。

その日本人大量処刑の模様は、発生直後には確認できなかったが、当日偶々宿泊していた同盟通信社の安藤利男特派員が命からがら城外へ脱出。後日になって蛮行が明らかになった。


【本当の"屠城"は通州城にあった】

支那駐屯歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長は、信じられない光景を目の当たりにした。

「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。

ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった」これは兵士が垣間見た惨状のごく一部である。

武装した中国人の群れは、駐屯する我が軍の関係施設を攻撃しただけでは収まらず、居留民の家をすべて襲撃。略奪・陵辱・惨殺など残虐の限りを尽くした。

通州は現在、北京市内の一区であるが、事件当時は別の行政区であった。位置は、北京中心部から約20キロの地点だ。

通州は古くからある街だが、事件が起きたのはごく限られたエリア内だった。城壁に囲まれた通州城の中で悪鬼のごとき残虐行為が長時間に渡って繰り広げられたのだ。


これらの残忍な行為は、中国共産共が捏造する虐殺ストーリーと重なる。つまり、戦後に脚色した"南京の惨劇"なるものが、中国人の処刑スタイルそのままであることを皮肉にも浮かび上がらせる。

現在、中国共産党は南京虐殺を主張し「屠城」なる言葉を用い、出鱈目な宣伝を続けている。城門を閉じ、その内部で殺戮が行なわれたとする物語だ。

だが、実際の「屠城」とは正に通州城の中で起きていた事件なのである。


通州事件の重要性は、そこに垣間見られた猟奇的な良民殺害の手法だ。南京プロパガンダで振りまく"日本鬼子"の所業なるものは、すべて通州において中国人自らが行っていたものだった。


【観覧閲覧注意】「南京大虐殺の証拠」として使われたニセ写真
https://www.youtube.com/watch?v=18l4BHZ_nBA&nohtml5=False



★わかりますか?

日本人が中国人にやられた写真を使って、中国人が日本人にやられましたというストーリーを作って、新聞に連載して、後で本にまでして、日本中に売りまくった新聞社が日本を代表する新聞社なんですよ。

しかも、この『中国の旅』は日本の学校の歴史教育にまで影響を及ぼしているのである。

これはとんでもない国賊行為ですよ。


繰り返し言いますが、

「日本人が中国人にやられた写真」を利用して、
「中国人が日本人にやられました」と言うのは、

日本国民を貶める行為ですね。
国家反逆罪ですよ。


★いいですか、

この元朝日新聞記者と
朝日(チョウニチ)新聞社は、

ユネスコ世界記憶遺産登録された、

すべて「ニセモノ写真」と
「ホラ話」で飾られた、

南京大屠殺記念館の中で
顕彰されているんですよ。


この意味するところは、

この元朝日新聞記者
と朝日新聞社が
広く世界に向かって、
我が国民、日本人は
とんでもない野蛮国家の民族
であると
「ニセモノ写真」と「ホラ話」
で訴えている
ということである。


これは、日本国民を貶め侮辱しているのと同じである。
国家侮辱罪ですよ。



20世紀最大の大嘘 < 南京大虐殺 >
http://kabukachan.exblog.jp/25572311/


「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/


「南京大虐殺」捏造の歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25580971/


本多勝一と朝日新聞社
http://kabukachan.exblog.jp/25644975/


朝日新聞社=国賊新聞社=売国奴
http://kabukachan.exblog.jp/25697439/







村尾大尉夫人の証言
[編集]

東京日日新聞1937年7月31日付号外「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」との見出しで報道した[8]。その中で冀東政府長官秘書孫錯夫人(日本人)と一緒に逃げた保安総隊顧問村尾昌彦大尉夫人の証言が紹介された。

保安隊が叛乱したので在留日本人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち29日の午前2時頃守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーツと近水楼や特務機関の前に殺到して来て十分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。近水楼の前は日本人の死体 ママ が山のやうに転子がってゐます、子供を抱へた母が二人とも死んでゐるなど二た眼と見られない惨状でした、私達はこの時家にゐました、29日午前2時頃保安隊長の従卒が迎へに来たので洋服に着かえようとしたところその従卒がいきなり主人に向かってピストルを一発射ち主人は胸を押へ「やられた!」と一声叫ぶなりその場に倒れました。私は台所の方に出て行って隠れていると、従卒がそこらにあるものを片っ端から万年筆までとって表へ行きました、そのうちに外出してゐたうちのボーイが帰って来て外は危ないと いふので押入の上段の蒲団のなかにもぐってゐたところさきの従卒が十人ばかりの保安隊員 を連れて家探しをして押入のなかを捜したが上段にゐた私には気づかず九死に一生を得ました、家のなかには主人の軍隊時代と冀東政府の勲章が四つ残ってゐました、それを主人の唯一の思ひ出の品として私の支那鞄の底に入れ主人の死体には新聞をかけて心から冥福を祈りボーイに連れられて殷汝耕長官の秘書孫一珊夫人の所へ飛び込み30日朝まで隠れてゐましたが、日本人は鏖殺(みなごろ)しにしてやるといふ声が聞えいよいよ危険が迫ったので孫夫人と二人で支那人になり済まし双橋まで歩きやっとそこから騾馬に乗ったが日本人か朝鮮人らしいと感づかれて騾馬曳きなどに叩かれましたが絶対に支那人だといひ張ってやっと30日午後朝陽門まで辿りつきましたが、門がしまってゐたので永定門に廻りやっと入り30日夜11時日本警察署に入ることが出来ました、冀東銀行の顧問三島恒彦氏が近水楼で殺され冀東政府の島田宣伝主任等も虐殺されたらしく近水楼にゐた日本人は殆どころされてゐるでせう、昔シベリアの尼港惨劇も丁度このやうな恐ろしさであったらうと思ひます。叛乱した張隊長は毎日家に遊びに来て「好朋友(ハオポンユウ)、好朋友」などといひ非常に主人と仲良しだったのに こんなことになるとは支那人ほど信じ難い恐ろしい人間はないでせう、主人の遺骸は必ず私の手で取りに行きます。

保安総隊顧問村尾昌彦大尉夫人、東京日日新聞1937年7月31日付号外「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐[8]

日本軍将校の東京裁判における証言[編集]

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、1947年4月25日に通州事件に関連する14件の証拠が却下され、1件が撤回され、1件が未提出であった。このうち通州事件に直接言及しているのは、昭和12年8月2日付の外務省情報部長声明「通州事件に関する公式声明書」 (弁護側文書番号: 1109)と同年8月4日付の外務省情報部長談「通州事件」 (弁護側文書番号: 1107) であった[48]が、双方とも「外務省スポークスマンの発表は証拠価値無し」との理由でウェッブ裁判長の即決で却下された[49]

一方、萱嶋高中将、桂鎮雄少佐、桜井文雄少佐の3名の証人の口述書が受理され、1947年4月25日午前11時から11時58分の間に萱島と桂が出廷し宣誓供述書を読み上げ[41][50][42][51]、午後1時32分に桜井が出廷し証拠写真三点を提出し宣誓供述書を読み上げた[43][52]

  • 萱嶋高中将:7月30日午前3時、河邊旅団長から事件救援を命じられ急行した。敵は退却しており、戦闘なく午後4時到着した。

城内は實に凄愴なもので到る處無惨な日本居留民の死體が横はつて居りまして殆ど全部の死體には首に縄がつけられてありました。頑是なき子供の死體や婦人の虐殺死體は殆ど見るに耐えませんでした。(略)私は直ちに城門を閉ぢ城内の捜索を始め殘つて居る日本人を狩り集めました。七、八百人居りました日本人で集まつて来たのは百五十名位でありまして三百五十名位は死體として発見されました。殘り二、三百名は何處かへ逃げたか或ひは虐殺されたか不明でありました。(略)

一、旭軒とか云う飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸體で陰部を露出した儘射殺されて居りました。其の中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていました。家の入口には十二、三歳位の男子が通学姿で射殺されてゐました。家の内は家具、布団、衣類等何物もなく掠奪されていました。其の他の日本人の家屋は殆ど右同様の状態でありました。

二、商館や役所の室内に残された日本人男子の屍體は射殺又は刺殺されたものでありますが殆どすべてが首に縄をつけ引き回した形跡があり、血潮は壁に散布され全く言語に絶したものでありました。

三、錦水楼と云う旅館は凄惨でありました。同所は危急を感じた在通州日本人が集まった所でありましたものの如く大量虐殺を受けております、玄関、入口附近には家財、器具破壊散乱し目ぼしきものは殆ど掠奪せられ、宿泊していた男子四名は座敷で射殺されていました。錦水楼の女主人や女中は数珠繋ぎにされ手足を縛された儘強姦され、遂に斬首されたと云うことでした。

四、某日本人は夫婦と嬰児の三名で天井裏に隠れ、辛うじて難を逃れていましたが、其の下で日本人が次から次へと虐殺されてゆくのを見たと私に告白していました。

萱島高、法廷証番号2498:萱島高宣誓供述書、弁護側文書番号:1090[41]、速記録[53]

  • 桂鎮雄少佐:通州第2連隊歩兵砲中隊長代理。7月31日午前2時半通州到着し、掃討に従事。

一、私は七月三十一日午前八時頃、旅館錦水楼に参りました。錦水楼の門に至や、変り果てた家の姿を見て驚くと共に屍体より発する臭気に思はず嫌な気持になりました。玄関の扉も家の中の障子も家具も取り毀され門の前から家の奥まで見透すことが出来ました。入口に於て錦水楼の女将らしき人の屍体を見ました。入口より廊下に入るすぐの所で足を入口の方に向け殆ど裸で上向きに寝て顔だけに新聞紙が掛けてありました。本人は相当に抵抗したらしく、身体の着物は寝た上で剥がされた様に見え、上半身も下半身も暴露しあちこちに銃剣で突き刺したあとが四つ五つあつた様に記憶します、これが致命傷であつたでせう。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱して居ました。帳場や配膳室の如きは足の踏み込み場所もない程散乱し掠奪の跡をまざまざ見せつけられました。

廊下の右側の女中部屋に日本婦人の四つの屍体があるのを見ました。全部藻掻いて死んだ様でしたが銃殺の故か屍体は比較的綺麗であつて唯、折り重なつて新で居りましたが一名だけは局部を露出し上向きになつて死んで居ました。室内の散乱は足の踏み場所もない程でありました。

次に帳場配膳室に入りました。ここに男一人、女二人が横倒れとなり或はうつぶし或は上向いて死んでおりここの屍体は強姦せられたか否かは判りませんが闘った跡は明瞭で男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の様でありました。女二人は何れも背部から銃剣をつきさされた跡が歴然と残つて居ました。

次に廊下へ入りました。階下座敷に女の屍体二つ、これは殆ど身に何もつけずに素つ裸で殺され局部始め各部分に刺突の跡を見ました。

次に二階に於て四五人の屍体を発見、これは比較的綺麗に死んでおり布団をかぶせてありました。唯脚や頸や手が露出しておるのを見ましたが布団をはがす気にはなれませんでした。

池に於て二三人の屍体が浮かんでおるのを望見しましたが側へ行つて見る余裕はありませんでした。

二、市内某カフエーに於て、 私は一年前に行つたことのあるカフエーへ行きました。扉を開けて中へ入りましたが部屋は散乱しておらずこれは何でもなかつたかと思ひつつ進んだ時、一つのボツクスの中に、素つ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されておりました。カフエーの裏に日本人の家がありそこに二人の親子が惨殺されて居りました子供は手の指を揃えて切断されて居りました。

三、路上の屍体 南城門の近くに一日本人の商店がありそこの主人らしきものが引つぱり出されて、殺された屍体が路上に放置されてありました。これは胸筋の骨が露出し内臓が散乱して居りました。

桂鎮雄、法廷証番号2499:桂鎮雄宣誓供述書、弁護側文書番号: 1139[42]、速記録[54]

  • 桜井文雄少佐:支那駐屯歩兵第二連隊小隊長。7月30日午後4時、通州到着し、掃蕩開始。

1.先づ守備隊の東門を出ますと殆んど数間間隔に居留民男女の惨殺死體が横はつて居るのを目撃し一同悲憤の極に達つしました敵兵は見当たりませんでしたので夜半迄専ら生存者の収容に擔りました。「日本人は居ないか」と連呼し乍ら各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等から彼所此所の塵、埃箱の中や壕の内、塀の蔭等から続々這い出して来ました。 2.某飲食店内には一家悉皆首と両手を切断惨殺されて居るのを目撃しました。婦人と云う婦人は十四五歳以上は悉く強姦されて居りまして全く見るに忍びませんでした。 3.旭軒と云う飲食店に入りますとそこに居りました七八名の女は全部裸體にされ強姦射(刺)殺されて居りまして陰部に箒を押込んである者、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等全く見るに堪へませんでした。 4.東門の近くの或る鮮人商店の附近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せてそれに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠継ぎにして引廻された形跡歴然たる屍体がありました池の水は血で赤く染まつて居たのを目撃しました。

斯くして一応の掃蕩を終了しましたのは夜の九時過ぎであつたと思ひますそれ迄に私の掃蕩担任地域内で目撃しました惨殺死體は約百名で収容しました重軽傷者は約二十名と記憶して居ります此等の死傷者中には発狂して居る者も若干あり殆ど茫然自失の状態でありました。(略)

桜井文雄、法廷証番号2500:桜井文雄宣誓供述書、弁護側文書番号:1140[43]、速記録[55]

その他の日本人生存者の証言[編集]

  • 吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された新道せつ子は、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという[56]
  • 当時中国人男性の妻であった大分県出身の日本人女性の目撃証言もあり、それを聞き書きした調寛雅が自著で発表している[57]。それによれば主犯は保安隊員と中国人学生であり、かれらは胎児妊婦の腹から引きずり出す、その父親を数人がかりで殺してを引きずり出し、切り刻んで妻(妊婦)の顔に投げつけたという[58]。これらは通州市民の面前でおこなわれた虐殺であったが、市民はそれに対し無反応であり、虐殺後の日本人をみても同情の念を示すのではなく、身につけていたものを剥ぎ取るばかりであったという[58]
  • 九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います」[59]




    中国を永久に黙らせる100問100答 渡部昇一
    https://www.youtube.com/watch?v=2OeCkBc41cM&nohtml5=False



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by kabu_kachan | 2016-05-14 11:20 | 歴史 | Comments(0)

太平洋戦争の総括

「総括」と言うと大げさなので、

太平洋戦争に対する「私の見解」としておきます。



①日本海軍の真珠湾攻撃によるアメリカの人的被害。


アメリカ人の死者数・・・2395人



その内、

アメリカ人の一般市民の死者数。

・・・54人




②昭和20年(1945年)の1年間で、

アメリカ軍が行なった2発の原爆投下と数百回の空襲で、

日本列島(北海道から沖縄まで)の上での


日本人の一般市民の死者数。

・・・100万人

★沖縄戦カラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=lwWsnyO0sGQ



③いわゆる「南京大虐殺」といわれる、

1937年12月に日本軍が中国の南京攻略後、

南京城内で行なったとされる事件での


中国人の一般市民の死者数。

・・・0人
★虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False


【衝撃!証言】南京大虐殺は無かった!『南京の真実・第二部』製作へ
https://www.youtube.com/watch?v=1UrY5_YLcSw&nohtml5=False


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M

◎「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。

報道写真として価値のない「ニセモノ写真」と付き合ってはいけない。






南京陥落当時の貴重な映像(4of5)

視聴者の感想より。
普通に生きてるじゃねぇかよ!!何処が虐殺なんだよwww!!普通に飯食ってんじゃん、映像の中には鳥かごまで写っていたよな?鳥に食わせるほどの飯があったって事だよな?何が虐殺だよ、適当な事を言いやがって!!

https://www.youtube.com/watch?v=IpYXmyAW_fw&index=1&list=PLE5AB0800EFBDF9F3

南京陥落当時の貴重な映像(3of5)
https://www.youtube.com/watch?v=dS1KEvLgRUs&index=2&list=PLE5AB0800EFBDF9F3&nohtml5=False



写真資料

陥落2日後の南京の風景。

大虐殺実行中の街の風景ということになる。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110524j:image


陥落2日後の南京で古着を売る支那人たち。

無差別に虐殺しまくっていたのなら

このようにのんびり商売などできない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110508j:image


陥落2日後に野菜を売る支那人

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110834j:image


陥落2日後に水餃子を食べる日本兵

大虐殺実行中であれば恐ろしい
日本兵

平然と
支那人が接するわけがない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110554j:image


陥落2日後の支那人たち。

日本兵、日本人を全く恐れていない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110935j:image


陥落2日後の難民の住居。(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111004j:image


陥落2日後の支那人の子供。(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111030j:image


陥落2日後、湯沸かし器を難民区に

持ち込み商売をする
支那人

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111053j:image


陥落2日後、水餃子を食べる難民

大虐殺が行われているのならのんびりと

水餃子なんか食っていられない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111114j:image




【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」
https://www.youtube.com/watch?v=W0x5_iqs-r0


ところが、

戦後のGHQによる極東国際軍事裁判(東京裁判)で、

「南京大虐殺」で中国人の一般市民を30万人虐殺したとして(本当は0人である。もともと南京事件など存在しないのである。)、

日本は犯罪国家にされた。


アメリカは、原爆と空襲で日本人の一般市民を100万人虐殺しておきながら、

アメリカは正しい、正義の国であると言っている。



そして大多数の日本人がこの判決に満足している。

これを「自虐国家」と言うのではないだろうか?

★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



【高橋史朗】あらためて『GHQ洗脳政策』を考える
https://www.youtube.com/watch?v=js4nFGkuwcE&nohtml5=False



私の解説。

真珠湾攻撃は、日本軍の騙し討ちとされているが、そうではない。
その前に、アメリカは日本に対して、ABCD包囲網による石油禁輸とハル・ノートによる最後通牒を押し付けている。

日本が先に手を出すように挑発したのはアメリカである。

★日本人が知ってはいけない歴史
https://www.youtube.com/watch?v=ANLk2bvvZJk&nohtml5=False

★日本人よ、涙せよ!
http://kabukachan.exblog.jp/24939240/

中国における南京攻略戦というのは、第二次上海事変から始まる延長戦であり、第二次上海事変は、中国軍による日本人租界への空爆で引き起こされた。
この一連の戦争も、先に挑発したのは中国側である。このとき日本軍が戦った相手は中国国民党であって中国共産党ではない。(当時、中国国民党軍は共産党軍とも戦っていた。)

★【ケントギルバート】反日プロパガンダで日本を貶める中国を容赦なく批判!
https://www.youtube.com/watch?v=hiYYViUvK8Y


★ケント・ギルバート氏講演『陰謀のレールに乗せられた日米開戦への道のり』
https://www.youtube.com/watch?v=0h4ZtiOEV4s

ルーズベルトによって引き起こされた太平洋戦争の真実と安全保障で後悔するアメリカ
https://www.youtube.com/watch?v=016uFEIqgaI



もう一つ言うと、日露戦争を侵略戦争と言う人がいるがそうではない。
幕末に結ばされた不平等条約を完全に回復したのが、日露戦争でロシアに勝って、その後、6年後の1911年にやっと関税自主権という当たり前の権利を獲得した時なのである。
すなわち日本は、明治の間、ずっと欧米の半植民地状態だったのである。
日本がロシアに負けていればもちろんであるが、ロシアと戦わなくても、日本は幕末に不平等条約を結んだままの半植民地状態がそのままずっと続いて現在まで来ていたかもしれないのである。

日露戦争でロシアに勝ったから日本は欧米の植民地にならずに完全独立できたのである。

だから、日露戦争は侵略戦争ではなくて、欧米から完全独立するための自衛戦争だったのである。

おい、東大を出たと自慢している諸君、何とか言えよ。それとも、自分の出世のことで頭がいっぱいでそんな暇がないってかw。
自分の出世と金儲けしか頭にないのなら猿と同じじゃないか。
➡『 東大出の猿 』

【日いづる国より】水間政憲、エリート予備軍への反日受験洗脳[桜H28/5/13]
https://www.youtube.com/watch?v=6Q8efSUbOUs


この日露戦争を起点として、それまでに欧米が世界中に持っていた植民地が減少していくのである。

そして、世界中の欧米の植民地だった国々に独立の火をつけたのが、東南アジア解放につながる大東亜戦争を起こす引き金となった真珠湾攻撃であった。

日本人諸君、わかりますか?

学校で教えている「歴史教科書」が間違っているのである。

【水間政憲】従軍慰安婦捏造の根源「アメリカ」の真実[桜H25/8/26]
https://www.youtube.com/watch?v=NI1mUpEhack

世界史と日本史は切り離して学んではいけない。
ほんの百年前は、世界中のほとんどが白人たちの植民地であった。日本だけがかろうじて自分たちの力で独立を保っていたのである。
その日本が真珠湾攻撃を始めとする大東亜戦争で東南アジアから白人たちを追い払ってしまったのである。
これがきっかけで東南アジアの国々が独立して行き、その影響でアフリカなど世界中の白人たちの植民地であった国々が独立していったのである。

★世界史から見た日清・日露大戦争-侵略の世界史を変えた日清・日露大戦争の真実
https://www.youtube.com/watch?v=24Tra8ukJbE

★カラーで見るアジア植民地支配時代 第一集 
https://www.youtube.com/watch?v=K70rm_-e-OA&nohtml5=False


★欧米植民地主義の凄まじい実態─学校が教えてくれない戦争の真実
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8


【西尾幹二氏 前半】<歴史・公民>東京塾・第30回研修会「西欧の地球侵略史と日本の鎖国」
https://www.youtube.com/watch?v=O6wk0S6BdMU

いいですか、白人たちは絶対に有色人種の独立を認めなかったのである。それを崩したのが日本だったのである。
日本はすでに1919年のパリ講和会議で人種平等を主張している。

★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』
http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

★大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!【真珠湾攻撃74年】
https://www.youtube.com/watch?v=U7AsnClmn-w&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz


日本人が世界の歴史を変えたという事実、戦後GHQ(白人たち)はこのことが目障りでしかたがなかったのである。そこでGHQは徹底的に日本人に洗脳工作を行なったのである。
人類史上最大の焚書、マスコミの言論統制、学校教育における「歴史教科書」の改変、なんとしても白人のほうが優れているという価値観を植え付けようとしたのである。

★GHQの日本人洗脳工作 <プレスコード>
http://kabukachan.exblog.jp/24510096/

しかし、日本が起こした戦争が白人たちの世界植民地体制を完全に崩壊させたという事実は絶対に消すことはできなかったのである。

誰が世界史を学んでも同じ結論に辿りつくのである。
「日本が、白人による世界植民地支配を崩したのである。」


★世界は日本をどう見ているか オリジナルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM&nohtml5=False


日露戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19062401/


大東亜戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19094794/


船瀬俊介氏「目覚めよ! 人類を支配する "情報帝国主義"!」
https://www.youtube.com/watch?v=3Swq63sbPLo



大東亜戦争の真実 
http://kabukachan.exblog.jp/24591113/


【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト】
https://www.youtube.com/watch?v=KIeJfgYeMMY&nohtml5=False



祖先が目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I

https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI


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by kabu_kachan | 2016-05-08 23:14 | 歴史 | Comments(4)

「南京大虐殺」捏造の歴史

「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。

報道写真として価値のない「ニセモノ写真」と付き合ってはいけない。


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08


★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



「南京大虐殺」捏造の歴史



2016.3.25 15:16更新

【別冊正論「南京」斬り】
日中共鳴で肥大化させた「南京大虐殺」 その捏造の歴史を概観する

http://www.sankei.com/premium/news/160325/prm1603250009-n1.htmlより。


「南京(大)虐殺」とは、日本軍が中国の当時の首都・南京を占領した昭和12年12月から翌年初めにかけて、多くの中国軍捕虜や市民を虐殺した-と宣伝された事件を指す。実際にはそうした意味での虐殺はなかったにもかかわらず、どのような勢力が関わり、いかにして事件がでっち上げられたのか。捏造の歴史を概観する。(月刊正論編集部)


■エージェント記者らの証言

 南京攻略戦が行われている最中から、中国国民党政府は党の顧問でもあった外国人記者などを動員し、組織的な宣伝工作を開始した。国民党中央宣伝部高官は「われわれは目下の国際宣伝において(中略)国際友人を探し出してわれわれの代弁者となってもらうことを話し合った」と書き残している。マンチェスター・ガーディアンの記者だったティンパーリや、南京金陵大教授だったベイツらが中立を装って「南京虐殺」を精力的に対外発信したが、後に両名とも国民党の顧問になっていたことが判明している。

昭和13年2月には国際連盟理事会で、中国国民党政府の顧維鈞代表が「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があった」と演説し、国際連盟の行動を求めている。当時、日本はすでに連盟を脱退しており不利な状況にあったが、この日本非難の決議案は採択されなかった。国際連盟の場では「2万人の虐殺」すらも否定されていたわけだ。そもそも日本軍の南京攻略戦に際しては、元外交官で法学博士の斎藤良衛が国際法顧問として帯同しており、松井石根司令官は国際法違反のないよう、ことあるごとに博士と協議していたという。

 なお、南京戦の2年前にモスクワで開かれたコミンテルン世界大会でスターリンは日本を中華民国と戦わせるよう演説。最終的には戦争に敗れた日本を共産主義陣営に取り込むことを想定していた。そうした構想のもと、ソ連は蒋介石に対して莫大な軍事援助を提供し、日本を中華民国との全面戦争に引きずり込むことを画策していた。


 また当時、ドイツは南京戦の前年に日独防共協定を結んだものの、中華民国には膨大な武器を輸出していたことも見逃せない。「ラーベの日記」で知られるジョン・ラーベは、独シーメンス社の駐在員だった。


■毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず

 戦後になって東京裁判(極東国際軍事裁判)で「20万人」、南京での軍事裁判では「30万人」といった死者数が一方的に持ち出された。ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。


このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。

 毛沢東は南京戦の5カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。その後、20年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。

 日本でも戦後しばらくは「南京虐殺」が問題視されていなかったことは、辞書の記述からも読み取れる。『広辞苑』をひもとくと、昭和30年刊行の第1版、44年の第2版では「南京事件」の説明は「・1927年3月中華民国革命軍の南京入城にさいし、反帝国主義の革命軍の一部が日、英、米などの領事館に対して暴行したことによって惹起した事件 ・1937年12月、日中戦争中の日本軍が南京攻略の際に行なった暴行事件」とされており、日中戦争で起きたことよりも10年前の中華民国革命軍による事件のほうが重要視されていたことが分かる。


■蒸し返したのは日本人だった


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08

 「南京で虐殺があった」ことが日本国内で蒸し返されたのは昭和40年代になってからだ。朝日新聞記者だった本多勝一氏の『中国の旅』(昭和47年刊行)に代表される虐殺肯定派の日本人による著書刊行が相次いだことで、再び南京戦が注目されるようになった。

『広辞苑』も昭和57年の第3版になると、先の「暴行事件」が「大虐殺事件」という表現に変えられる。さらに平成3年の第4版に至って新たに「南京大虐殺」の項目が登場し、「日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」と記述が格段にエスカレートしている。いわゆる「南京大虐殺」は後年になって、主に自虐的な日本人によって創作されたことがみえてくる。

 日本での動きに呼応して中国側でも大々的に「南京大虐殺」を強調した反日教育が展開されるようになっていく。中国で1979(昭和54)年に発行された中学用歴史教科書には南京大虐殺の記述はなかった。


 ところが、81年の教科書で「日本軍は南京を占領すると狂ったように大規模な殺戮を展開した」「殺害された者は30万人を下らなかった」といった記述が登場した。


■実証的に反論する動きも

 こうした日本をおとしめる動きに対し、実証的に反論する動きも出てきた。昭和48年に鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』が刊行されたのを皮切りに南京事件の虚構が明らかにされていく。

 かつては日本の中学用歴史教科書に、中国の主張そのままに南京での犠牲者が「30万人」だったとする記述もあったが、実証的な研究の進展により、現在は「多数の犠牲者」などと数字を入れない表記が増え、「南京大虐殺」との表現も影をひそめている。

 ただ外務省はウェブサイトで「日本政府としては、日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」との見解を掲げており、心もとない状態だ。いまなお「南京で虐殺があったことは日中両国で事実と確認されている」(河野洋平元衆院議長)などと主張する日本人もおり、中国側を利している。


 中国側は今も犠牲者数30万人を主張し「南京大虐殺記念館」は英語と日本語のウェブサイトも開設してプロパガンダ活動を展開中だ。


★水間政憲講演会「南京事件ユネスコ登録と松井大将の名誉回復」
https://www.youtube.com/watch?v=2Mgru31pRXw


★虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False




■「南京大虐殺」肯定派の主な著書■

・洞富雄『南京事件』(昭和47年)

・本多勝一『中国の旅』(昭和47年)

・藤原彰『南京大虐殺』(昭和60年)

・吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(昭和61年)

・笠原十九司『南京事件』(平成9年)

■「南京大虐殺」を検証した主な著書■

・鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』(昭和48年)

・田中正明『"南京虐殺"の虚構』(昭和59年)

・阿羅健一『聞き書 南京事件』(『南京事件 日本人48人の証言』と改題 昭和62年)

・北村稔『「南京事件」の探求』(平成13年)

・冨澤繁信『南京事件の核心』(平成15年)

・東中野修道『再現 南京戦』(平成19年)

・早坂隆『松井石根と南京事件の真実』(平成23年)

※この記事は『別冊正論26「南京」斬り』から転載しました。

■●(=□)■別冊正論26「南京」斬り 主な記事■●(=□)■

・79年目の『南京のハロウィン』 黒鉄ヒロシ

・南京攻略戦とはどんな戦いだったか 原剛

・悲劇の司令官・松井石根の無念 早坂隆

・城門陥落後のシナ兵処刑をどう見るか 東中野修道


・そうだ「南京」しよう! はすみとしこ

・東京裁判の欺瞞と七士遺骨奪還の義憤 三文字正平

・遺書「百人斬りは断じてない」 野田毅、向井敏明

・日本軍の「残虐」は中国自身の「翻訳版」 石平

・中国に洗脳された中帰連の宣伝と協力者 田辺敏雄

・日本は蒋介石中国に莫大な賠償を行った 岸本昌也

・蒋介石の視点からみた「南京」 家近亮子

・蒋介石の住民虐殺に浮かぶ支那の心性 黄文雄

・「南京事件」と戦時国際法 佐藤和男

・米中プロパガンダとしての「南京事件」 有馬哲夫

・「南京」遺産登録に見える中国の病理 北村稔

・大虐殺は「中華のファンタジー」 山田順

・左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか 柿谷勲夫

・自民歴史議連が明確にした南京の捏造 西川京子

・習近平、●(=登におおざと)小平も信じない「大虐殺」 阿羅健一

・興亜観音と昭和殉難者たち 黒岩徹

・三ケ根山に立つ殉国七士廟 殉国七士奉賛会

・父三文字正平の遺志を継いで 福留佳子

・国民一丸だった軍事裁判受刑者名誉回復 中静敬一郎




水間政憲①【邪教朝日新聞】の日本つぶし
https://www.youtube.com/watch?v=P72omWQpypc&nohtml5=False



水間政憲②【朝日新聞】とパチンコ仲間達
https://www.youtube.com/watch?v=-TP-3JeWkVw&no
html5=False




★反日の原動力「朝日とNHK」
反日包囲網はいかにして生まれたか(水間政憲氏)−ザ・リアルインサイト2014年1月号
https://www.youtube.com/watch?v=zUutN_J1wq0&nohtml5=False

     ☟
朝日新聞が隠すヤバすぎる急所を大暴露!朝日新聞倒産に追い詰める水間政憲!
https://www.youtube.com/watch?v=ilJw-KWoa44&nohtml5=False


     ☟
     朝日新聞解約急増!
https://www.youtube.com/watch?v=1C7u9nYZFCI&nohtml5=False


     ☟
「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/






ちなみに、今現在の私のブログの訪問者数は、

中国が主張する「南京大虐殺者数」くらいありますよ。
でっち上げではないですよ。(笑)

ただし、ブログアクセス数は、その3倍くらいありますが。



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by kabu_kachan | 2016-05-06 14:41 | 歴史 | Comments(1)

20世紀最大の大嘘 < 南京大虐殺 >

「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。

報道写真として価値のない「ニセモノ写真」と付き合ってはいけない。


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08

「ひと目でわかる『日中戦争』時代の武士道精神」
https://www.youtube.com/watch?v=bUOVBisWXDE

水間政憲(4)台本「真相箱」真相はかうだ
https://www.youtube.com/watch?v=ToUz8pxhSC8


★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



「南京大虐殺」という嘘話をでっち上げたのは誰なのか?

中韓が世界に広めているデタラメの南京大虐殺の記事が朝日新聞の本多勝一(本名が崔泰英と云う在日朝鮮人)が捏造していたことを知っていますか?
彼は朝日新聞社社長の広岡知男氏の知遇を得て校正係から出発して、記者になった男です。

彼が書いた「中国の旅」も広岡社長が訪中して中国首脳との打ち合わせで
「日本軍の残虐行為」というでっち上げを、証言者の話として発表しました。
ところがそれが全く根拠の無い仕込まれた内容で、中国のプロパガンダだったと云う事が近年になって明らかになってきたのです。

朝日による反日キャンペーンは成功し、中国共産党と在日朝鮮人による捏造によって、戦後の日本は自虐史観が広まり、結果的に土下座外交を招き、それに乗じて中韓からの精神侵略を受け、反日左翼の台頭を許して来たのです。

ちなみに広岡社長は自分のルーツが中国であることを側近に語っています。
また在日朝鮮人である本多勝一は京都大学卒になっていますが、京都大学の卒業名簿には本多勝一の名前がないことが近年わかってきました。

このように日本を叩き続けてきた売国朝日新聞をまだ読み続けますか?

渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news



http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010031-n7.htmlより。


2016.5.1 07:27更新

【歴史戦 南京が顕彰した男(上)】
南京記念館が賛美する元朝日記者 "大虐殺"の宣伝に貢献「小日本にもスゴい記者が…尊敬するよ」


「小日本(日本人に対する蔑称)の中にもスゴい記者がいたんだね。尊敬するよ」

 中国・江蘇省南京の「南京大虐殺記念館」。展示の後半にある「南京大虐殺史学研究及(およ)びその影響」というコーナーに掲げられたある男性の写真や著作に見入っていた50代の女性が、複数の同行者に大声で話しかけた。団体旅行とおぼしき年配の集団で、おそろいのピンクの帽子には浙江省寧波の地名が読み取れた。

 1997年に『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系米国人アイリス・チャンの紹介の左隣に大きなサングラスをかけ、素顔を隠した人物の写真が並ぶ。男性は元朝日新聞記者、本多勝一。「大虐殺」を世界に周知するうえで大きな貢献をした数人の日本人のひとりとして本多は顕彰されているのだ。


■   ■

 館内の展示は大半が中国語と英語のほか、日本語の説明も記されている。顔写真の真下に展示されていた本多の著書。ガラスケースの中には『南京への道』『裁かれた南京大虐殺』『中国の日本軍』など5冊が並べられていた。

 のぞき込んだ60代の男性は「日本人が研究した南京大虐殺の真相の本なんだから、なんで日本人全員が読んで謝罪しないんだ?」と、横にいた女性に向かって話した。

本多が取材で使ったというフィルム式の小型カメラ2台と、使い捨てのノック式ボールペン1本が仰々しく飾られていた。証言を丹念に集めた取材で「真相」を本多が突き止めて告発した、とアピールしたかったようだ。

 団体旅行の男女に話しかけたい衝動に一瞬かられたが、4年前に記念館で取材していた共同通信の男性記者が「おまえは日本人か」などと叫んだ中年の中国人の男から首を絞め上げられ、別の男からも殴る蹴るの暴行を受けた事件が頭をよぎった。

 このため展示の前でしばらく黙って観察していたが本多の存在を事前に知っていたと思われる中国人は見当たらなかった。参観者の多くは展示をみて、初めて「本多勝一」の名を知り、その上で「朝日新聞」に好印象を抱いたようだった。

 同じコーナーには、旧日本軍人としての南京での経験から「南京大虐殺」を告発したという著書『わが南京プラトーン 一召集兵の体験した南京大虐殺』を昭和62年に出版した東(あずま)史郎の顔写真のほかに、「中日友好」と東が書いた色紙も飾られていた。日本では日中両国について記す場合、「日中」と表現するのが通例だが、東はあえて「中日」と中国を先にした。

東は元上官から名誉毀損(きそん)で提訴され、東京地裁で「残虐行為を裏付ける客観的証拠はない」として損害賠償を命じられたが、控訴した。平成12年1月には最高裁で敗訴が確定している。記念館の展示ではそうした事実にはなんら触れず、本多やアイリス・チャンと並ぶ尊敬すべき人物としてスポットライトを浴びていた。


■   ■

 記念館であえて日本人の名前を出し、写真や物品まで展示して中国人にシンパシーを感じさせようとする狙いについて、南京のある歴史研究家は、「『少数の日本軍国主義者と大多数の日本人民を厳格に区分せよ』という毛沢東の対日政策『二分法』が南京でも生きている」と語る。

 二分法は「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛の理論。日本人全員を敵に回すことは中国にとっても得策ではないという。

 記念館は熊本地震に対し、4月15日にインターネット上で「友人のみなさんご無事ですか?」とする異例の見舞いメッセージを発表した。中国語のただし書きで、「熊本出身者を中心に編成された日本陸軍の師団が南京大虐殺の元凶だったが、熊本県日中友好協会の関係者が20年以上も記念館を訪れ、犠牲者を悼んでいる事実がある」などと説明した。善意に基づくメッセージと思いたいが、本多らを展示でたたえた手法に近い印象も残った。

「愛国教育基地」として、地元や周辺地域の小中学校の児童や生徒の必須の参観場所となっている記念館。中国の主張に同調する発言を行う日本人や関係者のみを"味方"と位置づけて、それ以外を敵視するという「二分法」を実践するほか、日本国内の世論を分断させることも対日工作の基本だと植え付けようとしているようにみえる。


根拠なき「30万人殺害」 南京での取材「2日間で4人」

 「南京大虐殺記念館」で顕彰されている元朝日新聞記者、本多勝一はカナダ北極圏の先住民に密着取材したルポルタージュなどで評価を高め、かつて「『朝日』のエース」(「週刊新潮」昭和46年9月25日号)ともてはやされたジャーナリズム界の"寵児(ちょうじ)"だった。

 その本多と「南京」のかかわりは46年、朝日新聞夕刊での連載記事に始まる。タイトルは「中国の旅」。この年6月から7月にかけ約40日間、本多が中国各地を回った際の取材ルポだ。

 連載は8月から12月まで全40回に及び、旧日本軍兵士らが中国各地で行ったという生々しい「残虐行為」を毎回のように克明に伝えた。

 「強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」

「日本兵は、赤ん坊を母親の手からとり、地面に力いっぱいたたきつけた」

「日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した」

 これらは、本多が中国で取材した「生き証人」らが語った内容だった。にわかには信じがたい「蛮行」の数々は、当時の日本社会に大きな衝撃を与えた。

 反発も大きく、一連の記事は、旧日本軍関係者らが否定したり、多数の疑義が呈されたりした。朝日に対しては「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(朝日新聞社史大正・昭和戦前編)といい、論壇では「中国の旅」が報じた「南京大虐殺」などをめぐって論争が巻き起こる。


■   ■

 「日本軍は長江に近い二つの門も突破して、南京城外へくりだした。(中略)南京城北七キロの燕子磯では十万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追出しておいて、機関銃で皆殺しにした。(中略)南京城内も合わせて約二十万人が殺されたとみられている」(46年11月5日朝日夕刊)

 これは9歳のころ、「南京大虐殺」を体験したという南京港務局内河船員の姜根福(連載当時43歳)が、本多に語った12年12月の南京陥落後の状況だ。

 「中国の旅」第3部は「『南京大虐殺』の被害者たち」の証言を10回にわたり伝えた。46年7月、空路南京入りした本多が、「二日間に四人から取材した」内容だ。

四人のうちの一人、姜の話を基に本多は「紫金山でも二千人が生埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された」(46年11月5日)とも伝えた。

 広島、長崎への原爆投下による合計犠牲者(推定)に匹敵する20万人や、「南京大虐殺記念館」の入り口に大書されている30万人が犠牲者数としてさらりと登場する。だが、姜は何ら根拠は示していない。

 一方、12年12月の南京攻略戦時、取材団80人あまりを現地に送り込んだ朝日新聞は、本多の記事とは全く異なる情景を報じている。

 「中山路の本社臨時支局にゐても、もう銃声も砲声も聞えない。(中略)もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るやうな錯覚を起す。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹返して居る」(「東京朝日新聞」12年12月16日)

 連載当時、南京攻略戦に参加した元兵士や従軍取材した朝日新聞記者が多数存命していた。にもかかわらず、本多が日本側の証人に、裏取り取材をした形跡は見られない。

 「南京事件」をめぐるプロパガンダ(政治宣伝)を研究している明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次はこう指摘する。

「彼のルポルタージュは中国の"御用聞き"よろしく、史実に対する一切の検証も批判も度外視し、中国側の言い分を朝日新聞を通じて、一方的に垂れ流すものにすぎない」


■   ■

 「歴史戦」取材班は4月、本多が編集委員を務める週刊金曜日編集部を通じ、「中国の旅」第3部で取り上げた中国人の証言や証言に基づいて報じた内容がすべて「歴史的事実であると考えるか」と質問した。同編集部によると、本多からは「『産経新聞』の取材・報道姿勢等にこれまで多くの疑義を抱いているため、回答は差し控えたい」という趣旨の連絡があったという。

 取材班は朝日新聞広報部にも「中国の旅」に関して「事実と異なる部分」について今後紙面で訂正や取り消しをする予定はあるか質問した。広報部は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」としている。(敬称略)


 中国が「南京大虐殺」を広めるうえで大きな役割を果たした本多勝一。「歴史戦」第16部では、本多の記事が与えた影響について検証する。(敬称略)




2016.5.2 13:00更新

【歴史戦 南京が顕彰した男(中)】
なぜ中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録しながら証拠開示を拒むのか? 「中国の旅」の影響なお


http://www.sankei.com/politics/news/160502/plt1605020007-n1.htmlより


■「朝日記者著書は必読の教材」

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は昨年10月、中国提出の「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した。「大虐殺」を示す文書や写真などで構成されているとされるが詳細は明らかになっていない。中国が公開を拒んでいるためだ。

 外務省の国際文化交流審議官、下川眞樹太は4月28日、自民党の部会で中国側が「技術的な問題」を理由に、登録資料の大半の閲覧を拒んでいると説明した。登録資料は中国国内の公文書館などに保存されている。外務省が一部施設で資料を確認した後、2月に検証を進めようとしたところ、態度を急変させたという。このため、日本政府はいまだ登録資料の真贋(しんがん)性を検証できていない。

 出席議員からは「都合が悪いから見せないのではないか」との意見も出た。"証拠"であるはずの資料を中国がひた隠しにする「南京大虐殺」だが、今の日本の教科書には「事実」として掲載されている。

 「日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)」

 今年度から筑波大付属駒場中や灘中など最難関校を含め、30以上の国立、私立中で使用される「学び舎」(東京)の中学校用歴史教科書の記述だ。

 東京書籍の中学歴史教科書も「女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と記載し、「『南京大虐殺』とも呼ばれます」と注釈を付けた。

 「南京事件」は戦後、一貫して歴史教科書に記載され続けてきたわけではない。東京書籍の中学歴史教科書の場合、昭和53年度用(52年検定済み)から「南京虐殺」の文字が登場した。

 犠牲者数はこの時点では「おびただしい数」とあったが、その後、「20万以上ともいわれる」「中国では(中略)30万以上とみている」(59年度用)と記されるようになる。

 「南京事件が初めて教科書に登場したのは、昭和49年度の中学校の検定の際であった」

「以後、他社の教科書にも同様の記述が見えるようになり、次いで高等学校の日本史教科書にも及ぶようになっていった」

 文部省(現文部科学省)で教科書調査官を務めた時野谷滋は自著でこう述懐している。49年は元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」の連載の3年後、ベストセラーとなった単行本出版の2年後に当たる。

 歴史教科書における南京事件の記述を調べた明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次は解説する。

 「教科書の執筆から検定までに通常1、2年かかることからすると、49年に突如、南京事件が教科書に登場したのは、朝日新聞が連載した『中国の旅』の影響なしには考えられない」

もっと明確な形で「中国の旅」の影響を受けたのは、教科書に合わせた教師用指導書だった。例えば実教出版の教科書「高校日本史」用の指導書(61年検定済み教科書用)は、本多の著作をこう強く推薦する。

 「中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる」

 『中国の日本軍』とは『中国の旅』の姉妹編で旧日本軍による「残虐行為」とした写真を多数、掲載している。腹部が裂け内臓が見える女性の遺体や焼け焦げた遺体など思わず目を背けたくなる写真ばかりだが、そこにも中国のプロパガンダ(政治宣伝)の影響が色濃くうかがえる。

■兵士が保護→婦女子狩り/鶏を購入→略奪…中国が朝日写真悪用しうのみ

 元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の日本軍』(昭和47年)には、小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに、橋を渡る女性や子供たちの一群の写真が掲載されている。説明文はこう断言している。

 「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ」

 だが、この写真は12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」であることが後に判明した。

 鶏2羽を肩から提げて笑顔を見せる日本兵の写真も同様だ。説明文には「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」とある。

 これももとは12年12月5日発行の「支那事変画報」(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)の掲載写真で実際は代価を払って鶏を購入していた。

2枚の写真には共通項がある。ともに1938(昭和13)年に中国で発行された『日寇暴行実録』に収録されていることだ。

 『日寇-』は日本軍がいかに凶悪かを内外にアピールするため、蒋介石がトップの国民政府軍事委員会がまとめた戦時プロパガンダ(政治宣伝)本である。

 2枚の写真は日本の雑誌から無断使用され、『日寇-』に転載された段階で、キャプションが捏造(ねつぞう)された。『中国の旅』も『日寇-』が使用したのと同じ写真を多数、掲載している。

 このようなずさんで誤った内容であったにもかかわらず、教師用指導書で強く推薦されたことから、本多の著書を使用した教員も少なくなかったとみられる。中国の戦時プロパガンダは朝日新聞を介して日本に広まり、青少年の教育現場に浸透していった。

三省堂発行の高校日本史の教師用指導書(平成元年3月初版)は「追加史料 南京大虐殺の証言」として、本多の『中国の旅』から機関銃による住民10万人の殺害などを語った姜根福の証言などを引用している。「解説」欄では、「(旧日本軍の)2人の将校の間で、どちらが先に中国人を100人殺せるかという殺人競争」と書き、いわゆる「百人斬り」を「史実」として紹介した。

 本多は姜が語った話としてこう報じていた。

 「AとBの二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……」

 「結果はAが八十九人、Bが七十八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約十五キロの間に、もう一度百人を殺せ、と」

 姜自身も示唆しているがこれは戦時中に東京日日新聞(毎日新聞の前身)が報じた記事を基にしている。東京日日で2人の少尉の撮影に携わった元カメラマン自身が「あり得ない話だ」と否定している話である。

毎日新聞自体も元年に発行した「昭和史全記録」で、「この記事の百人斬りは事実無根だった」とかつての自社報道を否定するなど、戦意高揚のための創作記事だったことが通説になっている。

 ところが、「中国の旅」の影響で、この虚構が学校の教室では「歴史的事実」とされてきた。最近では24年に富山県で行われた日教組の教育研究全国集会で、百人斬りを題材にしたこんな「平和学習」の教育実践が報告されている。

 「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」

 「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」

 百人斬りの新聞記事や写真を用いた授業を受けた生徒らは、「中国人は日本からされたことを許せないと思う」「つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」などの感想を述べていた。

朝日新聞が26年に設置した慰安婦報道検証のための第三者委員会では、慰安婦狩りを偽証した吉田清治に関する報道と類似したケースとして、百人斬りがこう取り上げられている。

 「戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、『審判』のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった」

 朝日報道を「事実」と認識して引きずられ、ゆがんだ歴史観を教えた教師も、教えられた生徒も被害者だといえないか。(敬称略)



朝日(アサヒ)新聞ですよ。
  ☟
日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
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(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
(朝日新聞 1937.12.18付)

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm



「南京大虐殺」の嘘~南京入城の記録映像と証言
http://www.dailymotion.com/video/x3fnwff



虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False

そもそも 南京事件と言うのは 東京裁判で アメリカが必要に迫られて出してきた物です何故必要に迫られたのか? 答えは簡単です  アメリカは日本の各都市への絨毯爆撃や 2個の原爆投下によって 非戦闘員の無差別大量大虐殺を 行ないました  したがって アメリカには 日本がそれ以上の残虐な行為をした と言う事実が必要となり 中国国民党のプロパガンダを利用して 日本に無実の罪を 擦り付けたのです  東京裁判自体 戦勝国による 報復裁判であり 事後法とも相まって とても裁判と呼べる代物ではありませんよって 裁判ショーと 揶揄されています   しかし 負けた国の哀れさで やりたい放題 やられてしまった訳です


★もともと朝日(アサヒ)新聞であったのが、朝日(チョウニチ)新聞に変わって、在日記者と一緒になってでっち上げた嘘話が「南京大虐殺」であった。

★反日包囲網はいかにして生まれたか(水間政憲氏)
https://www.youtube.com/watch?v=zUutN_J1wq0&nohtml5=False

古来の日本民族を貶めて押さえつけるために、在日が日本民族の上に立って国を治めていくために、古来の日本民族に「南京大虐殺」をやったという烙印を押す必要があったのである。

全て「ニセモノの写真」を使って、確かな証拠もない「ニセ証言」を書き連ねて、壮大な「南京大虐殺」という大嘘話をでっち上げたのである。

在日にとっては、日本人が南京大虐殺をしようが、従軍慰安婦を強制連行しようが、自分たちの知ったことではないのである。
むしろ内心では「ざまあみろ。いい気味だ。」と笑っているのである。まぁ、在日にとっては、他人事ってところかな。

在日メディアもほとんど報道しないであろう。抗議もしないであろう。所詮、他人事だからどうでもよいのである。

自分の先祖を辿っていくと朝鮮半島に行き着く人たちにとっては、どうでもよいことなのである。
日本のメディアの正体がよくわかるというものだ。
【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く
https://www.youtube.com/watch?v=axqdVqS1SLw

      
日本のテレビと新聞の正体(復習)
http://kabukachan.exblog.jp/25001461/

・・・・☟
南京大虐殺 研究について(その1) 
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html
松尾一郎  (第1回)
https://www.youtube.com/watch?v=ajjn2GXUJuk

・・・・☟
★「日寇暴行実録」について
南京大虐殺 研究について(その10) 松尾一郎 第11回
https://www.youtube.com/watch?v=Rby-m7iDkQI

漢奸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南京攻略戦後の南京市内で撮影された『首都各界抗敵後援会』発行のポスター。日本軍に好意を持つものは『漢奸』と呼ばれ、裏切り者として処分される。右上は、群衆に殴打される姿。右下は飛行機に信号を送ったものはかえって爆死するという意味。左上は裏切り者が捕えられて銃殺されている。左下はさらし首にして公衆への見せしめにしている。[1]

漢奸(かんかん、ハンジェン)とは、漢民族の裏切者・背叛者のことを表す。転じて、現代中国社会においては中華民族の中で進んで異民族や外国の侵略者の手先となる者を指している[2]日中戦争の際には、漢奸狩りが実行され、多数が虐殺された[3]



南京大虐殺 研究について


第12回



https://www.youtube.com/watch?v=P0hf6oBNXPs



・・・・☟

「ひと目でわかる『日中戦争』時代の武士道精神」の

活用方法を著者水間政憲が徹底解説


https://www.youtube.com/watch?v=bUOVBisWXDE





元朝日新聞の本多勝一、


写真捏造を認める


https://www.youtube.com/watch?v=9y4JOIYhbfk




★「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/


★「南京大虐殺」捏造の歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25580971/



★「在日」に支配されている「日本のテレビ」
http://kabukachan.exblog.jp/22551131


【水間政憲】済南事件・通州事件は日支闘争計画である
https://www.youtube.com/watch?v=QRw5dXhP_Uw



鳴霞先生、本多勝一を叱る!「『中国の旅』は嘘ばっかり!」
https://www.youtube.com/watch?v=enNzL1BPpoU&nohtml5=False



南京大虐殺でっち上げ朝日・本多勝一  花田紀凱・週刊誌欠席裁判
https://www.youtube.com/watch?v=F-rzV2xyVEs&nohtml5=False




渡部昇一ほか保守論客30人が熱弁@ 「南京大虐殺」の歴史捏造を正す国民大集会20151128125901
https://www.youtube.com/watch?v=L_C7KVAfPls


朝日新聞倒産に追い詰める水間政憲の神発言!朝日新聞が必死に隠すヤバすぎる急所を大暴露
https://www.youtube.com/watch?v=tbWl1rtTIbw



リアル南京市民の証言!「虐殺なんて見たことも聞いたこともない」
https://www.youtube.com/watch?v=fu9bYD-U9vA&nohtml5=False


【緊急記者会見】ユネスコが中国の「南京大虐殺」捏造資料に太鼓判~戦勝国の歴史創作を許すな!
https://www.youtube.com/watch?v=wkYRGh0xpHQ



「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08


アパホテルが南京大虐殺否定本で炎上!~中国政府、激怒!【ザ・ファクト】
https://www.youtube.com/watch?v=jjHG1y0pOkg





まとめ


『南京大虐殺』という虚構(嘘話)が、

 どのようにしてでっち上げられたのか?


①終戦直後に開かれたいわゆる「東京裁判」で、アメリカは原爆投下が国際法違反であることに気がついて、それに見合う日本側の犯罪行為を探した。そして日本軍が南京攻略時に犯罪行為を行なったという噂(おそらく便衣兵の殺害を一般市民の虐殺と勘違いして広がった)を聞きつけて、その証言を調べもせずに採用して「南京大虐殺」をでっち上げた。


②1970年代に朝日新聞の記者だった本多勝一氏が中国に行って取材した『中国の旅』が朝日新聞に掲載されて、後に本になって出版された。この『中国の旅』の中で、日本軍が南京攻略時に中国の一般市民を大虐殺したと写真入りで大きく紹介された。この『中国の旅』は当時、日本中に衝撃を与えた。私も本屋でこの本を手に取ってみたときの驚きと衝撃は忘れることはできません。当時、本多勝一記者はスター記者であった。学生であった私も彼のファンでした。彼の書いた本は10冊以上持っていた。ちなみに、彼がNHKの受信料を支払い拒否していることをこのとき知った。


ところが、後でこの『中国の旅』の中で掲載されている日本軍が行なったとされる虐殺写真がすべて「ニセモノの写真」であることが判明した。

『中国の旅』はとんでもない「デタラメ本」だったのである。

「南京大虐殺」という言葉は、このデタラメ本『中国の旅』から日本中に広がった。


★やまと新聞水間政憲論説委員緊急収録「元朝日新聞記者本多勝一氏が南京事件捏造写真誤用を認めた歴史的意義
https://www.youtube.com/watch?v=6gP4tUnzOtk&nohtml5=False


★【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]
https://www.youtube.com/watch?v=9y4JOIYhbfk&nohtml5=False

★水間政憲①【邪教朝日新聞】の日本つぶし
https://www.youtube.com/watch?v=P72omWQpypc&nohtml5=False

★水間政憲②【朝日新聞】とパチンコ仲間達
https://www.youtube.com/watch?v=-TP-3JeWkVw&ebc=ANyPxKqo1CP5NyhqPzJim0dUihLOFvTUOX09YppZkwMt3_jFKaCsfAIKdKqhvlrCl-mpGOcCLuTyGRmV-j8J_qC5cNPLH5TTsA&nohtml5=False


③そしてこの「南京大虐殺」という言葉を世界中に広めた本が1997年、中国系アメリカ人、アイリス・チャンの書いた『ザ・レイプ・オブ・南京』である。
『ザ・レイプ・オブ・南京』の中で使ってある写真も本多氏の『中国の旅』とおなじものですべて「ニセモノ写真」であった。もちろんこの本の内容もとんでもない「デタラメ本」である。


『ザ・レイプ・オブ・南京』(1997年11月)


原題:『The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II』

日中戦争(支那事変)における「南京大虐殺」について書かれたものである。

ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに10週間掲載された。



★本多勝一と朝日新聞社

http://kabukachan.exblog.jp/25644975/



★朝日新聞社=国賊新聞社=売国奴

http://kabukachan.exblog.jp/25697439/





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by kabu_kachan | 2016-05-03 22:00 | 捏造 | Comments(0)