アメリカのユダヤ人の歴史(6)

第4章:新聞・雑誌などの出版業界で根強い力を持つユダヤ人

●次に新聞・雑誌などの出版業界についてみていきたいが、この分野は東欧ユダヤ人より早くアメリカに渡来したドイツ系ユダヤ移民(西欧ユダヤ人)が先に進出していた。

例えば『ニューヨーク・タイムズ』が、1896年にドイツ系ユダヤ人アドルフ・オックスによって買収された出来事はこれを象徴している。アメリカ社会の主流への「同化」を強く希求してきたドイツ系ユダヤ人にとり、普遍性を追及するジャーナリズムの世界は恰好の活躍場所であった。

このドイツ系ユダヤ移民より遅れてアメリカに渡来した東欧ユダヤ人も、積極的に新聞・雑誌などの出版業界に進出していった。

アメリカのビジネス雑誌『フォーブス』が1985年に発表した「長者番付」によると、「ユダヤ人大富豪20傑」のうち、首位のニューハウス兄弟、第2位のウォルター・アネンバーグ、第14位のウィリアム・ジフが、この出版業界の雄である。

●1970年頃のアメリカには1748紙の日刊紙が存在したが、そのうち3%をユダヤ人の社主が所有していた。これを総発行部数でみると、全体の8%をユダヤ人所有の新聞が占めていて、この8%のうち半分以上を「ニューハウス社」系列の新聞が占めていた。

この「ニューハウス社」の創業者サミュエル・ニューハウスは、貧しいロシア系ユダヤ移民2世として育ち、彼独自の経営哲学を駆使して、買収につぐ買収を重ねて事業を拡大し、ユダヤ人の新聞王(大衆紙の帝王)としての地位を築いたのである。

このサミュエル・ニューハウスは、『ヴォーグ』 『グラマー』 『マドモアゼル』 『ハウス・アンド・ガーデン』を含む一流雑誌を30近くも所有している。彼はその他にも、ロングアイランドの有力紙『ニューズ・デイ』をはじめとして49の新聞、12のテレビ局、ケーブル・テレビ・システム87を擁する「ニューハウス放送」、数多くのラジオ局のオーナーでもある。また、2200万近くの部数をもち、実際にはその2倍の読者をかかえているといわれている日曜新聞の付録雑誌『パレード』のオーナーでもある。(※ なお、面白いことに、彼が所有している新聞の中には、彼自らが設立したものは、ひとつとしてない。全て「買収」によるものである)。

●新聞の発行部数、収益性、財力といった点ではニューハウス家に遠く及ばぬものの、全米で最も世論に影響力を持つ新聞『ニューヨーク・タイムズ』を所有する一族として有名なのがユダヤ人ザルツバーガー一族である。

彼らの父祖アーサー・ザルツバーガーは、『ニューヨーク・タイムズ』の社主、アドルフ・オックスの娘婿であり、1935年のオックスの死後、その遺言によりザルツバーガー一族が代々、同紙を所有・経営し続けた。株式は1969年に公開されたものの、いまだに社の支配権はザルツバーガー一族の手に握られている。

●その他、『ワシントン・ポスト』や『セント・ルイス・ポスト・ディスパッチ』は、ハンガリー系ユダヤ人一族のピュリッツァー、そしてユダヤ人ユージン・メイヤー(元初代「国際銀行」総裁)と彼の娘キャサリン・グラハムがオーナーである。

裕福なメイヤー家の三女として生まれた彼女は、『ワシントン・ポスト』を支配していたユダヤ人、グラハム家の長男と結婚、やがて夫が自殺して彼女が事実上の支配者となる。彼女は『ニューズウィーク』のオーナーでもあり、「メディアの女王」と呼ばれている。

なお、日本でも有名な「ピュリッツァー賞」は、イエロー・ジャーナリズムの手法を駆使して、今日の大衆紙の原型を築き上げたユダヤ人ヨセフ・ピュリッツァーの遺産をもとに設立されたものだ。

●日本の日本経済新聞にあたる『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、ユダヤ人ウォーレン・フィリップスがオーナーであった。

彼は「親イスラエル」の姿勢を明確に示すユダヤ人で、湾岸戦争の際には最も強硬な主戦論を張った。現在のオーナーはユダヤ人ピーター・カーンである。『ニューヨーク・ポスト』は、ルパート・マードック(別のユダヤ系新聞のオーナーでマスコミ大財閥)に売られるまで、ユダヤ人銀行家ヤコブ・シフの孫娘、ドロシー・シフの優れた手腕のもとにあった。

●アメリカで有名なニュース雑誌は、『ニューズウィーク』 『タイム』 『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』の3誌しかないが、『ニューズウィーク』は先に触れたようにユダヤ人キャサリン・グラハムがオーナーで、『タイム』はユダヤ人スティーヴン・ロスが経営する「タイム・ワーナー・コミュニケーションズ」の下部組織が発行している。

『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』は、ユダヤ人の不動産開発業者モーティマー・ザッカーマンがオーナー兼発行人である。彼はさらに『アトランティック・マンスリー』も所有している。

●雑誌『タイム』 『ライフ』 『フォーチュン』 『スポーツイラストレイティッド』をつくり、ことごとくアメリカの雑誌文化の原点を築き、「一代でアメリカの雑誌ジャーナリズムを築いた男」と評されていたのは、ヘンリー・ルースというユダヤ人である。

中国山東省で生まれ育った彼は、大戦中、在米「チャイナ・ロビー」のボスとして、その資金源となって懸命に中国を支援した。蒋介石夫妻を「自由中国」の象徴として絶賛し、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに呼んで一大ヒロインに祭り上げるなどして、親中反日のキャンペーンを大々的に展開し続けたのである。

ヘンリー・ルース

中国で生まれ育った改宗ユダヤ人で、ラジオ・映画ニュースにも大きな影響力を持っていた彼は、1930年代から、親中反日の一大キャンペーンを張り、アメリカのアジア外交、特に対中国外交に大きな影響を及ぼした。
彼が1923年に創刊した『タイム』はアメリカの週刊誌であり、世界初の「ニュース雑誌」としても知られている。また彼が創業した「タイム・ライフ社」は、1989年に「ワーナー・ブラザーズ」を吸収合併し(「タイム・ワーナー」の誕生)、世界最大の総合メディア企業になった(売上高268億ドル、社員数7万人)。
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# by kabu_kachan | 2012-10-02 04:05 | ユダヤ | Comments(0)

アメリカのユダヤ人の歴史(5)

第3章:テレビ放送を築いたユダヤ人

●映画産業と同じく「ラジオ」という新興産業も、やがて国民生活の一大変革を引き起こすものになろうとは、大方のアメリカ人にとっては思いもよらぬことであった。この産業が持つ将来的可能性をいち早く予見し、産声をあげたばかりのラジオ放送の買収・経営に積極的に乗り出したのが、進取の気性に富む東欧ユダヤ人企業家であった。

この産業のその後の展開は、実際、彼らの予見通りとなっていった。1922年に民需向けに大量生産が開始されたラジオ受信機は、1929年までにアメリカの全家庭の40%が所有するほどの飛躍的普及をみせたのである。

●1924年には、アメリカ史上最初の全国ネットのラジオ放送系列「NBC」が誕生した。

この会社は、ロシアから移民の子として渡ってきたユダヤ人デービット・サーノフが経営を掌握し始めていた。1939年に全米で最初のテレビによる定時放送を開始したのは、彼がラジオ時代に創立した「RCA」であった。

デービット・サーノフは、「RCA」を最大級の電機メーカーに、その子会社である「NBC」を最大級のマスコミ企業に育て上げ、両社をこの分野で世界最初の複合企業(コングロマリット)にしたてあげた。サーノフの複合企業は、世界中のエレクトロニック企業のモデルとなった。

●1928年には、ウクライナ出身のユダヤ移民2世であるウィリアム・ペイリーが、小さなラジオ放送局を40万ドルで買収し、後にこの小さなラジオ局は「CBS」と呼ばれる3大ラジオ放送系列のひとつへと発展していった。彼は「CBS」の会長を1990年に亡くなる直前まで務めた。

「ABC」創立の中心となったレオナード・ゴールデンセンもユダヤ人である。

「NBC」「CBS」「ABC」、これら3大ネットワークはいずれも、特定の人物(ユダヤ人)が32年ないし55年という長期にわたってワンマン社長として君臨した。

●現在もアメリカのテレビ業界では、多くのユダヤ人が活躍を続けている。

「NBC」のブランドン・ターティコフ、「CBS」のジェフ・サガンスキー、「ABC」のステュアート・ブルームバーグ、この3人のユダヤ人プロデューサーは、各自のネットワークで放映する芸能番組を決定している。

プロデューサーだけでなく、解説者、ニュース・リポーター、編集者、及びニュース番組のディレクターの多くもユダヤ人である。有力な全国ネットのトーク・インタビュー番組に目を向けると、そこではとりわけ、デイビッド・サスキンド、マイク・ウォーレス、ローレンス・スピバク、アービング・クプチネットなどのユダヤ人が頂上をきわめてきた。長い間、「NBC」のステュワート・シュルバーグは、ヒュー・ダウンズ、次いでバーバラ・ウォルターズのもとで、人気のある「トゥデイ」ショーのトップに君臨してきた。

●ところで、現在、世界第2位のメディア企業である「バイアコム社」の社主・会長を務めているのは、ユダヤ人大富豪サムナー・レッドストーンである。この「バイアコム社」は典型的なユダヤ系メディア会社で、経営首脳陣はユダヤ人で占められている。

サムナー・レッドストーンの得意技はメディア関連企業の買収である。彼が買収したメディアは主なものだけでも、「CBS」 「MTV」 「ニッケルオデオン」、映画会社「パラマウント社」、ラジオでは186のラジオ局を運営する最大の放送局「インフィニティ・ラジオ」、そしてレンタルビデオ最大手、全米業界シェアの30%を占める「ブロックバスター」などがある。メディア大手の中では目下、「バイアコム社」の独り勝ちが続いている。

●なお、世界屈指の娯楽・メディア企業である「ディズニー社」は、創業者のウォルト・ディズニーが存命中はユダヤ人を雇用から排斥し続け、「ワスプの王国」との悪評を得ていた。

しかし、1980年代初めに放漫経営の結果、倒産の危機に見舞われた時、創業者の甥ロイ・ディズニーが経営立て直しの切り札として招き入れたのがマイケル・アイズナーというユダヤ人である。彼はそれ以後、今日にいたるまで20年近くもCEO(最高経営責任者)の座を務めている。

現在、「ディズニー社」は、マイケル・アイズナーを含め、3人のトップ・エグゼクティブの全てがユダヤ人によって占められている。

 
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# by kabu_kachan | 2012-10-02 03:50 | ユダヤ | Comments(0)

アメリカのユダヤ人の歴史(4)

●ポーランド生まれのユダヤ人ベンジャミン・ワーナーは、まずボルティモアで靴の修理屋を始め、馬車に安雑貨を積んで行商した。彼の息子たちが、自分たちの稼ぎをためこみ、映写機を購入、映画上映の行商を開始、最終的に映画会社「ワーナー・ブラザーズ」を創立した。

この4兄弟は、父の経営する靴修理屋を手伝いながらそれぞれの趣味と才能を伸ばし、長男ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々とするが、映画の創生時、その魅力に取り憑かれて映写技師となる。その後サムは、兄弟を説得して1919年にハリウッドに映画スタジオを構え、1923年に「ワーナー・ブラザーズ」を創立した。

●同じくハンガリー生まれのユダヤ人アドルフ・ズーカーは、わずか40ドルの所持金を手にアメリカへ渡り、毛皮卸売商で儲けた20万ドルを元手に映画製作へ乗り出し、映画会社「パラマウント社」を創立した。

被服製造業者経て、「ユニバーサル映画」を創立したカール・レムリもユダヤ人である。警官の制服を専門とする洋品店の家庭で育ち、「コロンビア映画」を創立したハリー・コーンもユダヤ人である。(父親はドイツ出身、母親はロシア出身のユダヤ移民)。

8大メジャーのうちわずかにひとつ、「RKO」だけが、ずっとあとの1929年にユダヤ人の力を借りずに設立されたものである。

●ジョージ・ワシントン大学の政治学助教授ロバート・リクターが発表した調査結果によれば、1965年から1982年の間に大手映画会社の中で働いていたプロデューサー、ライター、ディレクターの実に62%が「ユダヤ教を宗教とする家庭で、ユダヤ人として育てられた人物」であることが明らかにされている。

●アメリカの映画監督、俳優、歌手、コメディアンなどにも、東欧ユダヤ人は多い。

ロシア系ユダヤ移民2世、イスール・ダニエロヴィッチ・デムスキーは、その自叙伝『クズ屋のせがれ』の中で、廃品を回収してまわる父の馬車に乗りこの仕事を手伝った少年時代のほろ苦い想い出を語っている。彼は後にカーク・ダグラスと改姓し、「チャンピオン」「スパルタカス」「エンテベの勝利」などに出演し、アメリカを代表する俳優となった。

●このように、貧しい移民の子として育ち、のちに芸能界で才能を発揮し、大成功を収めたユダヤ人はいっぱいいる。もちろん、今の時代は2世3世としてアメリカで育ち、裕福な子供時代を体験している俳優も増えた。

また、氏名をワスプ化して「非ユダヤ人」としてふるまう俳優も多くいる。

●とりあえず以下に、有名なユダヤ人監督・ユダヤ人俳優を少しだけ載せておきたいと思う。(※ 東欧ユダヤ系に限定しない。出身地はバラバラ。ダスティン・ホフマンはアメリカ生まれのロシア系だが、ナタリー・ポートマンはイスラエル生まれである)。

映画監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられるスピルバーグは、アメリカ生まれのロシア系ユダヤ移民3世である(彼は日本漫画のファンであり、親日家としても有名)。

ジョージ・キューカー     映画監督。「スタア誕生」「マイ・フェア・レディ」など
ウィリアム・ワイラー     映画監督。「嵐ケ丘」「ローマの休日」「ベン・ハー」など
ビリー・ワイルダー      映画監督。「昼下がりの情事」「アパートの鍵貸します」など
ロバート・ワイズ       映画監督。「ウエストサイド物語」「サウンドオブミュージック」
エリア・カザン        映画監督。「紳士協定」「欲望という名の電車」「エデンの東」など
ミロシュ・フォルマン     映画監督。「カッコーの巣の上で」「アマデウス」など
カレル・ライス        映画監督。「熱い賭け」「フランス軍中尉の女」など
シドニー・ポラック      映画監督。「トッツィー」「愛と哀しみの果て」など

ロマン・ポランスキー     映画監督。「ローズマリーの赤ちゃん」」「テス」など
ロバート・アルトマン     映画監督。「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」など
ロブ・ライナー        映画監督。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」など
マイク・ニコルズ       映画監督。「卒業」「心の旅」「ウルフ」「バードケージ」など
バリー・レビンソン      映画監督。「レインマン」「わが心のボルチモア」「トイズ」など
スタンリー・キューブリック  映画監督。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など
スティーブン・スピルバーグ  映画監督。「ジョーズ」「ET」「シンドラーのリスト」など
スティーブン・ソダーバーグ  映画監督。「セックスと嘘とビデオテープ」など

コーエン兄弟         映画監督。「バートン・フィンク」「ファーゴ」など
メル・ブルックス       映画監督。「プロデューサーズ」「珍説・世界史パート1」など
オリバー・ストーン      映画監督。「プラトーン」「7月4日に生まれて」「JFK」など
フィリップ・カウフマン    映画監督。「存在の耐えられない軽さ」「ライジング・サン」など
ブライアン・シンガー     映画監督。「ユージュアル・サスペクツ」「ゴールデンボーイ」など
デヴィッド・フィンチャー   映画監督。「エイリアン3」「セブン」「ファイト・クラブ」など
アイヴァン・ライトマン    映画監督。「ゴーストバスターズ」「ツインズ」「ジュニア」など
エドワード・ズウィック    映画監督。「レジェンド・オブ・フォール」「戦火の勇気」など


ウディ・アレン        出演するだけでなく、脚本も書き監督もこなす才人
マルクス兄弟         トーキー初期のドタバタ喜劇映画で活躍
ダニー・ケイ         「虹を掴む男」など、TV番組「ダニー・ケイ・ショー」
トニー・カーティス      「お熱いのが好き」「パリで一緒に」「グレート・レース」など
ポール・ニューマン      「明日に向かって撃て!」「ハスラー」「スティング」など

エリザベス・テーラー     「家路」「クレオパトラ」「じゃじゃ馬ならし」など
ナタリー・ウッド       「理由なき反抗」「ウエスト・サイド物語」など
ジューン・アリスン      「若草物語」「グレン・ミラー物語」など
ドリス・デイ         「知りすぎていた男」「夜を楽しく」など
リタ・ヘイワース       「ギルダ」「上海から来た女」「血と砂」など

ディーン・マーティン     「キャノンボール」「ザッツ・ダンシング」など
チャールズ・ブロンソン    「機関銃ケリー」「ブレイク・アウト」「狼よさらば」など
ウォルター・マッソー     「恋人よ帰れ!我が胸に」「おかしな二人」「JFK」など
ジェームズ・カーン      「雨の中の女」「遠すぎた橋」「イレイザー」など
ハーヴェイ・カイテル     「バグジー」「アサシン」「フェアリーテイル」など
リチャード・ドレイファス   「グッバイガール」「陽のあたる教室」など
エイドリアン・ブロディ    「わが街セントルイス」「エンジェルス」など

ダスティン・ホフマン     「クレイマークレイマー」「パピヨン」「卒業」など
ビリー・クリスタル      「恋人たちの予感」「地球は女で回ってる」など
ジーン・ハックマン      「フレンチ・コネクション」「許されざる者」など
ピーター・フォーク      「刑事コロンボ (TVM)」「カリフォルニア・ドールズ」など
ジェリー・ルイス       「底抜け大学教授」「キング・オブ・コメディ」など
ハリソン・フォード      「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」など
リバー・フェニックス     「スタンド・バイ・ミー」「旅立ちの時」など

ジェフ・ゴールドブラム    「ザ・フライ」「ジュラシック・パーク」など
デイヴィッド・ドゥカヴニー  「Xファイル ザ・ムービー」など
レナード・ニモイ       「スター・トレック」「SF/ボディ・スナッチャー」など
ベン・スティラー       「メリーに首ったけ」「ケーブル・ガイ」など
アダム・サンドラー      「ビリーマジソン」「ハッピーギルモア」など
ロブ・シュナイダー      「ジャッジ・ドレッド」など
スティーブン・セガール    「沈黙の戦艦」「暴走特急」「グリマーマン」など

メリル・ストリープ      「クレイマークレイマー」「ソフィーの選択」など
ゴールディー・ホーン     「永遠に美しく」「世界中がアイ・ラヴ・ユー」など
ベット・ミドラー       「フォー・ザ・ボーイズ」「殺したい女」「ステラ」など
バーバラ・ストライサンド   「ファニー・ガール」「マンハッタン・ラプソディ」など
アリシア・シルバーストーン  「ダリアン/美しき狂気」「クルーレス」など
ローレン・バコール      「プレタポルテ」「マンハッタン・ラプソディ」など
サラ・ジェシカ・パーカー   「エド・ウッド」「マーズ・アタック」など

キャリー・フィッシャー    「スター・ウォーズ」「メイフィールドの怪人たち」など
ナタリー・ポートマン     「レオン」「ビューティフル・ガールズ」など
ウィノナ・ライダー      「恋する人魚たち」「エイジ・オブ・イノセンス」など
ソーラ・バーチ        「パトリオット・ゲーム」「今そこにある危機」など
クリスティーナ・リッチ    「アダムス・ファミリー」「キャスパー」など

※ まだまだいるが、これぐらいにしておきます。

 

 
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# by kabu_kachan | 2012-10-02 03:44 | ユダヤ | Comments(0)

アメリカのユダヤ人の歴史(3)

第2章:映画産業を築いたユダヤ人

●文学・美術・音楽・演劇などの芸術分野では、古くからそれぞれの民族の伝統があって、国際的な活動・評価がなされる近代以降でも、ユダヤ人がその芸術家として華々しく登場することがあっても、いわばそれぞれの歴史の中途からであった。だが、「映画」という分野は、最初の頃から東欧ユダヤ人の参画をもってスタートした。

初期の映画産業は、貧しく、無学な労働者層を観客とするもので、一般には「低級な娯楽」とみなされていた。そのため、当時、この未成熟産業が大方の予想を裏切って主要産業へと急成長することを予測しえた者は極めて少なかった。

●この映画産業が誕生する前は、「演劇」が娯楽の中心だった。

ユダヤ人民衆にとって最大の娯楽は「イーディッシュ語演劇」だった。1900年にはバワリーには3つの「イーディッシュ劇団」が活躍しており、約80人のプロの役者を雇い、約12人の劇作家の作品を上演していた。一夜に6000人前後が劇場に出かけると推定された。ユダヤ演劇は栄え、1918年にはニューヨーク市内にほぼ20の「イーディッシュ劇場」があった。

しかし娯楽の王座は、演劇から映画へと移っていったのである。

●当時の映画上映場は「ニッケルオデオン」と呼ばれた。5セント貨の通称「ニッケル」と、ミュージックホールを意味する「メロデオン」を組み合わせて縮めた名称である。入場料金はニッケル、つまり5セントの場合が多かったのである。

「ニッケルオデオン」は急速に普及した。ニューヨーク市では1910年に450館あり、1913年には800館に増えた。

ユダヤ移民の多くが住んでいた「ロワー・イーストサイド地区」には「ニッケルオデオン」が著しく集中していた。1908年にマンハッタンにあった123館のうち42館は「ロワー・イーストサイド地区」にあった。映画の最初の観客が大都市の貧しい移民労働者階級だったということは、映画史の研究者が一致して認めているところである。

●映画は入場料が安かったし、また当時の映画が「サイレント」であり、英語の字幕がつく場合も非常に単純なものだったため、英語を知らなくても楽しむことができた。それに当時の映画は1本が15分か30分ほどの短いものが多かったから、気楽に立ち寄ることができた。

映画の中身は、風景や催し物、工場の様子などを撮影したニュース映画的なものも多く、風景を紹介する「旅行映画」は人気があった。フィクションの映画は、伝統的なメロドラマ、西部劇、文芸物、史劇、聖書物語、戦争物があったが、コメディが特に好まれ、「追いかけもの(チェイス)」がなかでも一番の人気だった。

●企業としての映画産業は東欧ユダヤ人をひきつけた。

1903年頃までに、数多くの東欧ユダヤ人企業家が映画製作業への参入を本格的に開始していた。

1913年頃にはユダヤ人所有の映画製作会社は、アメリカ国内で作られる全映画の20%を製作するまでになった。彼らの占有率は1920年代には更に高まっていった。

映画史上、1920年代という時代は、それまで零細資本が乱立していたこの業界において、「ハリウッド・メジャー」と呼ばれる8大映画製作会社の寡頭支配体制が確立される過程でもあった。この業界再編を加速したのが、1927年における「有声映画」の出現であった。音声再生装置には多額の設備投資が必要であったからである。

映画製作業は、既に1926年までにアメリカ国内で第5番目の大きな産業に成長していた。1930年代の中頃には、劇場経営まで含めた映画産業全体が吸収した雇用総数は32万5000人に達していた。映画製作に積極的に乗り出したユダヤ人は、映画産業を成熟させていく過程で、先行していたワスプ系の競争相手を負かし、成功を収めることができたのであった。

●映画産業について特筆すべきは、ハリウッド・メジャーの創業者となったユダヤ人のうち、かなり多数の者が、東欧ユダヤ移民のエスニック・ビジネスからの転業者で占められたという事実である。

ロシア生まれのユダヤ人ルイス・B・メイヤーは、アメリカに渡ってクズ屋からスタート、ついに最大の映画会社「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」を創立した。1927年に、彼の呼びかけで「アカデミー協会」(正式名称=映画芸術科学アカデミー協会)が設立され、1929年にアカデミー賞の授与がスタートした。アカデミー賞のトロフィー(オスカーの黄金像)は「MGM」の美術監督にデザインさせた。

ハンガリー生まれのユダヤ人ウィリアム・フォックスは、ソーダ水とサンドウィッチを売り歩く最底辺から身を起こし、被服製造業者を経て、最終的に「20世紀フォックス」を創立して映画王となった。彼はユダヤ教信仰を強制する父親を憎み、父親の葬儀の席でその棺につばをはいた。

 
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# by kabu_kachan | 2012-10-02 03:34 | ユダヤ | Comments(0)

アメリカのユダヤ人の歴史(2)

「東欧系ユダヤ人はドイツ系ユダヤ人とは著しく異なっていた。中産階級化し、宗教的には改革派ユダヤ教を奉じ、英語を取得して急速なアメリカ化を遂げていたドイツ系ユダヤ人はアッパーイーストサイドやアッパーウェストサイドの優雅なアパートメントに住んだ。これに対して、東欧系はイーディッシュ語を話す正統派のユダヤ教徒で、極めて貧しかった。

両者は風俗習慣も異なり、この時期には別々のコミュニティーを形成した。2つの種類のユダヤ人はそれぞれ『アップタウン・ジュー』、『ダウンタウン・ジュー』と呼ばれるようになった。」

●東欧ユダヤ人は、ドイツ系ユダヤ人のような国際的な金融コネクションを持ち合わせていなかったため、ドイツ系ユダヤ人のような投資銀行業界へ進出することができなかった。また、既存の主要産業は古くからワスプに支配されていて、東欧ユダヤ人の参入は非常に困難な状態であった。

結局、東欧ユダヤ人の多くは、当時の経済の本流から外れた周辺的かつ未成熟な産業分野に進出していった。エリート白人が就きたがらない「格下の仕事」とみなされた産業にも積極的に進出していった。

零細な廃品回収業から発展した産業廃棄物処理産業は、1929年に3億ドル産業に成長し、東欧ユダヤ人はこれをほぼ支配した。またクズ鉄産業は5億ドル産業へと成長し、東欧ユダヤ人はその90%を支配した。

●1899年から1910年の間にアメリカへ入国した3つの主要な移民集団(東欧ユダヤ系、アイルランド系、イタリア系)に関する比較研究によれば、入国時に熟練技術を持っていた労働者の割合は、アイルランド系の13%、イタリア系の35%に対して、東欧ユダヤ系は67%と格段に高い数値を示している。このように高い割合で熟練技術を持っていた東欧ユダヤ人は、母国、東欧に在住していた頃から慣れ親しんでいた「伝統的職業」(蒸留酒製造、被服産業、宝石産業など)を引き継いで成功する者も増えた。

1934年度のアメリカ国内第3位のメーカー「シーグラム社」(ブロンフマン家所有)をはじめ、大手メーカーの約半分はユダヤ系企業であった。被服産業は、東欧ユダヤ人がこれをほぼ独占した形となった。1930年代には紳士服の85%、婦人服の95%、毛皮製品の95%をユダヤ人企業が生産した。宝石産業については、東欧系ユダヤ人にとり、被服産業に次ぐ重要な産業であった。

●また、家内工業から出発した「軽工業」(家具、靴、化粧品など)にも多くの東欧ユダヤ人が進出した。

家具製造は、ユダヤ人は業界シェアの50%を占めた。靴産業は、第二次世界大戦前の業界シェアの40%を支配した。

●化粧品では、20世紀中頃に全米の三大化粧品メーカーの地位にあった「マックス・ファクター」(1909年設立)、「ヘレナ・ルビンシュタイン」(1928年設立)、「レブロン」(1932年設立)はいずれも東欧ユダヤ移民が設立した企業である。

1946年に誕生した「エスティ・ローダー社」は、現在、全米のデパートにおける化粧品市場の実に45%を掌握し、世界118ヶ国でその製品を販売するグローバル企業である。


●東欧ユダヤ人の企業家的才能が最も開花した分野は不動産事業であった。

この業界は製造業とは異なり、多額の設備投資は必要なく、知的専門職のように、高い学費を払いながら、何年も高等教育機関で学ぶ必要もなかった。更にこの業界は、自己資金もわずかで済んだし、エリート度の高い産業に存在したようなユダヤ人を排除する社会的障壁がほとんど存在しなかった。

このため不動産業は、貧しい東欧ユダヤの移民家庭に育った野心的な若者にとって、文字通り理想的な天職となった。その結果、早くも1920年までに、ニューヨーク市内の不動産開発業者、建設業者の実に40%までを彼らが占めるようになっていた。

そして、大戦後にアメリカ国内で不動産ブームが起きると、多くのユダヤ人が巨富を築いた。これら幾多のユダヤ人不動産王の中で、浮き沈みの激しいこの業界を生き抜き、今日、全米最大の不動産王として君臨し続けているのが東欧ユダヤ移民2世のティッシュ兄弟である。1997年度の兄弟の個人資産は48億ドルである。

(※ 兄のローレンスは強いユダヤ意識の持ち主として有名で、「ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)」の最高幹部である。また、1989年から1995年までCBSの会長を務めた)。

 


 
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# by kabu_kachan | 2012-10-02 03:18 | ユダヤ | Comments(0)