911自作自演テロとオウム事件の真相①

リチャード・コシミズ著【911自作自演テロとオウム事件の真相】より転載

P74
■アドルフ・ロスチャイルド・ヒットラー男爵さて、1940年代の世界の指導者のうち、残った一人はあのちょび髭を生やした独裁者である。
アドルフ・ヒットラーは、ユダヤ人600万人をガス室で虐殺した、ユダヤの大敵である。
ユダヤ人であるわけがないと誰もが思う。

アドルフ・ヒットラーは、ウィーンのロスチャイルド男爵の孫である。
つまり、ユダヤ大富豪の直系のユダヤ人である。

ユダヤ人裏組織高官からのメールの中にある文節に注目いただきたい。
「あなたはもうご承知のことと思うが、アドルフ・ヒットラーは、隠れユダヤ人であり、Uボートで南米に逃亡し、2人の子供を作った。フィードリッヒとオルガは、現在、CJAの高官である」

こう書いてある。

噴飯モノの与太話であろうか?
だが、彼は何一つ嘘は言っていない。

ヒットラーはただの一人もユダヤ人をガス室で殺害していない。
そもそも当時ガス室はなく、戦後、ユダヤ独裁国家ソ連がねつ造したものである。

600万の犠牲者というのは、イランの大統領の言うとおり、伝説に過ぎない。

旧約聖書の原典になったと思われるセム族の史書に、イスラエル建国の際には、ユダヤ人口の3分の1が犠牲になると解釈できる記述があるという。
その予言が的中したと強弁したいシオニスト・ユダヤ人が600万人説をでっちあげたに過ぎない。
世界のユダヤ人口は、戦前戦後でほとんど変っていない。
アウシュビッツで死んだユダヤ人は6万人であり、当時収容所の内外で流行していた発疹チフスによる死者である。
アンネ・フランクもそのひとりだ。
ナチス・ドイツは殺虫剤、チクロンBを用いて、伝染病を予防しようと努めたが、防疫に失敗した模様だ。戦後、この殺虫剤がユダヤ人虐殺のための毒ガスだったことにされてしまったようだが。

収容所開放当時に撮影された捕虜の死体の山は実は連合軍の爆撃によって、ドイツ軍の補給路が寸断された結果の餓死者であったと思われる。
その爆撃を指揮したのは、隠れユダヤ人、アイゼンハワー将軍であった。(アイゼンハワーは、戦争末期、投降してきたドイツ軍やドイツの民間人にまともな食糧を与えず、100万人を餓死させたと言われている。これが本当の意味のホロコーストである。)

ヒットラーの役割は2つあった。

欧州のユダヤ人を追い出し、パレスチナに作るユダヤ人国家、イスラエルの国民として送り込んだ。
戦後、イスラエルが建国できたのは、ヒットラーのおかげであり、その意味で、ヒットラーはイスラエル建国の父である。

ホロコーストの嘘は、戦後、イスラエルの建国自体を可能にし、イスラエルが世界から莫大な援助を受け、特権を享受するのに大いに役立った。
戦後、米国のユダヤ人男性作家が書いたとされる『アンネの日記』は、世界中の人々の涙腺を刺激し、結果、イスラエルに巨額の援助が届けられる一因となった。

だが、『アンネの日記』による壮大な、民族ぐるみの詐欺行為は最近になって終焉を迎えている。
アンネが米国のペンパルに送った手紙の筆跡が、アンネの日記の筆跡と全く異なるものであったことが判明して、偽書であることが再確認された。

もっとも、ユダヤ権力と癒着した朝鮮半島宗教である創価学会は、いまだにホロコースト展なる詐欺行為を全国で開催してユダヤ権力の尻ぬぐいに必死になっているが。

一方で、ユダヤ財閥はドイツの台頭の可能性を喜んでいなかったようだ。
ドイツ民族を叩いて、将来のユダヤの世界支配の妨げとなる要素を払拭しておきたかったようだ。

ヒットラーがゲルマン民族の悪人を演じることで、ドイツは欧米諸国より叩かれ、疲弊して戦後を迎え、東西に分断されて国力を削がれた。

ユダヤ権力は、未来の手強い競合者、ドイツ民族の戦力を奪い去ることに成功した。
(日本が、ユダヤ人ルーズベルトとユダヤ人チャーチルの手で、戦争に巻き込まれたのも、同じ理由かも知れない。日本民族の将来性に気づいたユダヤ権力の謀略であったのか?)


ちなみに、ユダヤ人疑惑のあるナチスの幹部はヒットラーだけではない。
ヒムラーもボルマンもアイヒマンもハイドリヒもローゼンベルグも実はみなユダヤ人ではなかったのか?
アイヒマンにいたっては、ユダヤのイーディッシュ語が堪能な、正真正銘のユダヤ人であったと言われている。(アイヒマンは戦後アルゼンチンで捕まったが、ナチスとシオニストの関係を暴露しようとしてモサドに捕らえられたと言われている。)
また、ローゼンベルグとは、ユダヤの名家の苗字である。ナチスは、隠れユダヤ人によって構成されるシオニスト別働隊だったと考えるべきだ。
[PR]
# by kabu_kachan | 2012-05-19 17:05 | Comments(0)

第二次世界大戦の真相

ロスチャイルドの孫のヒットラーとロスチャイルドの息子のスターリンが、戦争ごっこをやった。

それに、ロスチャイルド家の老中、チャーチルとロックフェラー家の執事、ルーズベルトが加わった。

ロックフェラーにいいように使われた日本が敗戦で疲弊した。

それが第二次世界大戦だったと証明される日が来ることを私は待ち望んでいる。

(リチャード・コシミズ氏より引用)

https://www.youtube.com/watch?v=WHI28jM1mKg


第二次世界大戦とは、ユダヤ人以外の民族をお互いに戦わせて、非ユダヤ人たちを絶滅させるための、ユダヤ人が仕組んだ猿芝居ではなかったのか?

https://www.youtube.com/watch?v=OZq8YuRQkT4

ヒトラー(ユダヤ人)が、なぜユダヤ人が支配しているソ連を攻撃したのか?
ユダヤ人にとっては、どちらが勝とうと大した問題ではなかった。戦い殺しあったのは非ユダヤ人同士であった。

ヒトラーに西ヨーロッパのユダヤ人を一箇所(収容所)に集めさせておいて、ユダヤ人のいなくなったドイツやイタリアの各都市をアイゼンハワー(ユダヤ人)の指揮する連合国軍は徹底的に空爆した。死んでいるのは非ユダヤ人。

太平洋戦争で、ルーズベルト(ユダヤ人)は日本本土空襲を徹底的に行なって非ユダヤ人である日本人を大量殺戮した。

そして、強制収容所で病気や飢餓で死んだユダヤ人を悲劇の主人公にしてイスラエルというユダヤ国家を建国した。

★これが第二次世界大戦の真相である。

http://www.youtube.com/watch?v=Va2nw5iWERM

http://kabukachan.exblog.jp/21025434/


★そして大切なことは、今の米国政府を牛耳り、また、イスラエル国家を建国し、世界制覇を目論む「偽ユダヤ人」はアシュケナジー(ハザール帝国の末裔)であることを知ることだ。
 何故、ユダヤ人が迫害されるかは、この悪魔の聖典「タルムード」にありそうだ。
偽ユダヤ人の多くが日本に強い関心を示し、「日ユ同祖論」を語るなど親近感を寄せることがあるが、安易に気を許してはならない。


★偽ユダヤの悪魔の聖典「タルムード」では、

https://www.youtube.com/watch?v=seF5ijYrIec
 
 ゴイムには嘘を教えて惑わせよ。→(アメリカのマスコミの嘘)
 ゴイム文明を破壊せよ。→(黒人奴隷とアメリカインディアンの絶滅)
 ゴイム同士で争わせよ。→(第二次世界大戦と日中戦争)
 
 と言われているそうだ。

http://kabukachan.exblog.jp/21829084/

http://kabukachan.exblog.jp/21829258/


http://www.youtube.com/watch?v=6aFAw0i-lJQ



★ユダヤ米国が人類史上に誇る『三大日本人虐殺』

ようやくわかったぞ!<奴ら>から見れば、日本人は猿だから人類史上には入らないのだ。もちろん世界史上にも書かれない。
日本人は猿だからね。<あの豚>と同じである。
https://www.youtube.com/watch?v=7Jz7xdf75tQ

https://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp


第1位 広島原爆投下(当時の死者数 14万人)
    日時<1945年(昭和20年)8月6日>

第2位 東京大空襲(当時の死者数 10万人)
    日時<1945年(昭和20年)3月10日>

第3位 長崎原爆投下(当時の死者数 7万人)
    日時<1945年(昭和20年)8月9日>


http://satehate.exblog.jp/7590315




自己紹介(私の出自)

平瀬城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
平瀬城
長野県
平瀬城主郭部
平瀬城主郭部
城郭構造山城、居館
築城主平瀬氏
主な城主平瀬氏原虎胤
廃城年1553年
遺構曲輪、土塁
指定文化財なし

平瀬城(ひらせじょう)は、長野県松本市にあった日本の城

http://www.asahi-net.or.jp/~JU8T-HNM/Shiro/TokaiKoshin/Nagano/Hirase/index.htm

平瀬城は小笠原氏の家臣平瀬氏の城であった。小笠原長時天文19年(1550年)、武田晴信に攻められて本城である林城を捨ててこの平瀬城に撤退し、その後、村上義清を頼り葛尾城に落ちていった。砥石崩れにより武田氏は村上方に敗れたが、その機会に再び小笠原長時は村上義清の援助を得て平瀬城を奪還した。天文20年(1552年)平瀬城は武田晴信により落城し、城主の平瀬義兼は自刃した。晴信は平瀬城を改修し原虎胤に守らせた。天文22年(1553年)、筑摩郡は武田氏がほぼ平定したため、平瀬城は廃城となった。




[PR]
# by kabu_kachan | 2012-05-19 13:46 | ユダヤ | Comments(0)

シオンの議定書

1773年、マイヤー・ロスチャイルド(初代)は、弱冠30歳で、12名の国際ユダヤの巨頭を招いて、フランクフルトで秘密重要会議を開いた。ロスチャイルドは、その会議で、英国のピューリタン革命を検証し、これを教訓化させ、フランス革命を勝利的に導くよう指針させた。その上で、「フリーメーソンに代わるより生硬な」、全世界に対する支配権を手中に収めるための「世界革命運動」の創出について述べ、その為の「二十五項目の行動計画書」を打ち出した。これが「シオンの議定書」の原型となった。(「二十五項目の行動計画書」の概要が、「裏の世界史」P102~110に記されている) 

 「世界革命運動」を実行するための地下秘密組織イルミナティ(Illuminati)の創設が決定され、改宗ユダヤ人にしてイエズス会士にしてインゴシュタット大学法学部長アダム・ヴァイスハウプト(1748~1811、当時26歳)がイルミナティ責任者として選抜された。
 1776年、ヴァイスハウプトが、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が打ち出した「二十五項目の行動計画書」を下敷きにして、「シオン長老の議定書」を完成させた。これがイルミナティのマニュフェストとなった。1776.5.1日、イルミナティが、ドイツ南部のバヴァリアで創設された。

 この悪事は次の事情で露見することになった。1785年、フランクフルトのイルミナティからパリのフリーメーソン大東社ロッジの大棟梁オルレアン公宛指示書を持ったユダヤ人秘密結社イルミナティの密使が、雷に撃たれて死亡。密使が携行していた密書が、バヴァリア政府の手に入った。バヴァリア政府は、密書を精査し、摘発に向かった。

 1785年、バヴァリア政府は、イルミナティを禁止し、ヴァイスハウプトが新たに組織した大東社ロッジを閉鎖し、1786年、陰謀の全容を公表した。英語タイトルは、「啓明結社の原本文書」(The Ooriginal Writings of the Order and Sect of the Illuminati)。この写しが教会、国家の首脳に配布された。

 イルミナティは地下に潜った。ジョン・ロビソンはは、フリーメーソンの指導者にイルミナティをがロッジに潜入していると警告を発した。
 1789年、このイルミナティを主体とするユダヤ人グループの扇動によりフランス革命が遂行された。連中が以降、すべての戦争、革命を陰で操る秘密権力となった。

 1798年、ジョン・ロビソンは、「全政府及び宗教を破壊するための陰謀の証拠」(proof of conspiracy to destroy all goverments and religions)を発表し警告したが、無視された。


 「W・G・カーの指摘」によれば、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が「二十五項目の行動計画書」を講演し、これが下敷きとなってイルミナティの創始者ヴァイスハウプトにより後に「シオンの議定書」として纏められたことになる。「シオンの議定書」は確かに講演口調であるからして、これは貴重な指摘であるように思われる。してみれば、「シオンの議定書」の原作者はマイヤー・ロスチャイルド(初代)と云う事になる。
[PR]
# by kabu_kachan | 2012-05-19 11:49 | Comments(0)

太田龍著 「長州の天皇征伐」(3)

明治維新政府と国体
明治政府は長州が捏造した国家である。薩摩人脈を抹殺し、以降今日にいたる140年間は完全に長州の単独政権であった。この権力を合法化するため明治天皇を神にした「国家神道」という擬似一神教をでっちあげた。天皇が神といったことは明治前には一度もない。これはドイツの「立憲君主制」を借り物として、さらに強力な天皇の下に庶民の奴隷化を推進した日本独特の体制であった。これらの「日本近代化」を推進したのが、岩倉、三条、大久保利通(唯一の薩摩であるが早くに暗殺された)と木戸孝允、山県有朋、伊藤,井上らの長州勢力であった。西郷隆盛はこの明治政府のたくらみに負けて挑発されて自滅した。ともかく明治10年前後には明治維新の立役者はすべて死亡、暗殺され、残ったのは伊藤のみであった。これによって明治政府と「大日本帝国」の成立を見る。

明治18年から始まった内閣制では明治45年までの27年間に、なんと内閣総理大臣は長州閥の伊藤、山県、桂で20年間も独占した。明治維新の主力は「薩長土肥と公卿」と教科書には書いてあるが、明治17年岩倉具視が死去し太政官制が廃止されると、日本の国家中枢は圧倒的に長州の天下となった。明治17年までを3期に分けると、第1期は薩長は五部五部であった。第2期に西郷と大久保の薩摩勢力が分裂し、志と異なると察知した西郷は挑発されて西南の役で殺されて力を失う。第3期には大久保も暗殺され、薩摩の有力者は一掃された。長州の独走体制となった。大久保利通の暗殺事件も9.11事件と同じようにテロを誘導した明治政府とくに伊藤と川路利良の陰謀によるらしい。
[PR]
# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:46 | Comments(0)

太田龍著 「長州の天皇征伐」(2)

徳川家茂変死、孝明天皇・睦仁親王暗殺説は昔から噂されていたようである。しかし正史では完全に無視されてきた。睦仁親王暗殺説については全く歴史資料がないので、異説・でたらめ・憶測といわれても仕方ないが、徳川家茂・孝明天皇暗殺についてはかなり有力な資料がある。その一つにアーネスト・サトウの「一外交官のみた明治維新」(岩波文庫)がある。要約すると「噂では帝の崩御は疱瘡によるとしていたのだが、一日本人によって、帝が毒殺されたと云うことを信じるようになった。帝は攘夷論者で、幕府滅亡後の西洋との外交において災いをもたらすと予見する人達によって、帝は邪魔者にならぬようにかたずけられた。帝を毒殺する事は東洋の国々ではごく普通にあることだ。帝が14,5歳の後継者を残して政治的舞台から消えてなくなったことは、最も時機を得た者である事を否定することはできない。十四代将軍徳川家茂の場合では、噂では彼が一橋(御三家の一つ)によって殺されたという噂を聴く。」というものだ。攘夷論者孝明天皇がいなくなった事で最も得をするのは、英国と密約し軍事援助をえて倒幕を進めてきた長州薩摩の勢力であろう。

さらに1907年朝鮮総督であった伊藤博文を暗殺した、朝鮮の壮士、安重根の「斬奸状」が伊藤の孝明天皇暗殺を暗示させている。安重根はその「斬奸状」で、伊藤博文の罪を15か条あげて、始めの一条に「1967年、明治天皇陛下父親太皇陛下を暗殺大逆道之事」という。そして旅順法務院法廷での安重根の証言「日本は東洋の撹乱者なり・・・伊藤公は韓国に足して逆賊なるとともに、日本皇帝に対しても大逆賊なり。彼は先帝孝明天皇を・」で裁判長は発言を封じ、裁判を非公開としたという。戦前にはこのようなことを発言すれば死刑は免れなかったが、戦後にはねずまさし「孝明天皇は病死か毒殺か」、南条範夫「孝明天皇暗殺の傍証」という様な本も出版された。徳川家茂の御小姓組頭として長州征伐に従軍した蜷川の末裔である蜷川新というひとが「家茂は宮中から来たという医師が調合した薬を飲んで毒殺された」と母親から聞いたという。そして孝明天皇暗殺については維新資料編纂委員だった植村澄三郎氏の言として「岩倉が妹を宮中に入れて天皇を風呂場で殺した」と述べた。また徳川慶喜の大阪城定番(隠密)の小名渡邊平左衛門丹後守章綱の子息宮崎哲雄氏が京都の天皇の老女を調べたところ、天皇は妾宅で刺殺された。刺殺の実行犯は伊藤博文と云う殺し屋、案内したの岩倉だという。
[PR]
# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:41 | Comments(0)