太田龍著 「長州の天皇征伐」(3)

明治維新政府と国体
明治政府は長州が捏造した国家である。薩摩人脈を抹殺し、以降今日にいたる140年間は完全に長州の単独政権であった。この権力を合法化するため明治天皇を神にした「国家神道」という擬似一神教をでっちあげた。天皇が神といったことは明治前には一度もない。これはドイツの「立憲君主制」を借り物として、さらに強力な天皇の下に庶民の奴隷化を推進した日本独特の体制であった。これらの「日本近代化」を推進したのが、岩倉、三条、大久保利通(唯一の薩摩であるが早くに暗殺された)と木戸孝允、山県有朋、伊藤,井上らの長州勢力であった。西郷隆盛はこの明治政府のたくらみに負けて挑発されて自滅した。ともかく明治10年前後には明治維新の立役者はすべて死亡、暗殺され、残ったのは伊藤のみであった。これによって明治政府と「大日本帝国」の成立を見る。

明治18年から始まった内閣制では明治45年までの27年間に、なんと内閣総理大臣は長州閥の伊藤、山県、桂で20年間も独占した。明治維新の主力は「薩長土肥と公卿」と教科書には書いてあるが、明治17年岩倉具視が死去し太政官制が廃止されると、日本の国家中枢は圧倒的に長州の天下となった。明治17年までを3期に分けると、第1期は薩長は五部五部であった。第2期に西郷と大久保の薩摩勢力が分裂し、志と異なると察知した西郷は挑発されて西南の役で殺されて力を失う。第3期には大久保も暗殺され、薩摩の有力者は一掃された。長州の独走体制となった。大久保利通の暗殺事件も9.11事件と同じようにテロを誘導した明治政府とくに伊藤と川路利良の陰謀によるらしい。
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# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:46 | Comments(0)

太田龍著 「長州の天皇征伐」(2)

徳川家茂変死、孝明天皇・睦仁親王暗殺説は昔から噂されていたようである。しかし正史では完全に無視されてきた。睦仁親王暗殺説については全く歴史資料がないので、異説・でたらめ・憶測といわれても仕方ないが、徳川家茂・孝明天皇暗殺についてはかなり有力な資料がある。その一つにアーネスト・サトウの「一外交官のみた明治維新」(岩波文庫)がある。要約すると「噂では帝の崩御は疱瘡によるとしていたのだが、一日本人によって、帝が毒殺されたと云うことを信じるようになった。帝は攘夷論者で、幕府滅亡後の西洋との外交において災いをもたらすと予見する人達によって、帝は邪魔者にならぬようにかたずけられた。帝を毒殺する事は東洋の国々ではごく普通にあることだ。帝が14,5歳の後継者を残して政治的舞台から消えてなくなったことは、最も時機を得た者である事を否定することはできない。十四代将軍徳川家茂の場合では、噂では彼が一橋(御三家の一つ)によって殺されたという噂を聴く。」というものだ。攘夷論者孝明天皇がいなくなった事で最も得をするのは、英国と密約し軍事援助をえて倒幕を進めてきた長州薩摩の勢力であろう。

さらに1907年朝鮮総督であった伊藤博文を暗殺した、朝鮮の壮士、安重根の「斬奸状」が伊藤の孝明天皇暗殺を暗示させている。安重根はその「斬奸状」で、伊藤博文の罪を15か条あげて、始めの一条に「1967年、明治天皇陛下父親太皇陛下を暗殺大逆道之事」という。そして旅順法務院法廷での安重根の証言「日本は東洋の撹乱者なり・・・伊藤公は韓国に足して逆賊なるとともに、日本皇帝に対しても大逆賊なり。彼は先帝孝明天皇を・」で裁判長は発言を封じ、裁判を非公開としたという。戦前にはこのようなことを発言すれば死刑は免れなかったが、戦後にはねずまさし「孝明天皇は病死か毒殺か」、南条範夫「孝明天皇暗殺の傍証」という様な本も出版された。徳川家茂の御小姓組頭として長州征伐に従軍した蜷川の末裔である蜷川新というひとが「家茂は宮中から来たという医師が調合した薬を飲んで毒殺された」と母親から聞いたという。そして孝明天皇暗殺については維新資料編纂委員だった植村澄三郎氏の言として「岩倉が妹を宮中に入れて天皇を風呂場で殺した」と述べた。また徳川慶喜の大阪城定番(隠密)の小名渡邊平左衛門丹後守章綱の子息宮崎哲雄氏が京都の天皇の老女を調べたところ、天皇は妾宅で刺殺された。刺殺の実行犯は伊藤博文と云う殺し屋、案内したの岩倉だという。
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# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:41 | Comments(0)

太田龍著 「長州の天皇征伐」(1)

長州藩 孝明天皇親子暗殺
本書のメインテーマである「長州藩 孝明天皇親子暗殺」は、証拠がある話ではなく憶測に基づくストーリーであるが、ある重要な側面を鋭く突いている。言いたいことは「長州伊藤は公卿岩倉具視と謀り、孝明天皇を暗殺し、さらに睦仁親王が明治天皇として践そされるや、日を待たずの殺害。そして長州の南朝皇統 大室寅之祐を明治天皇にすり替えた。」である。長州にとっては徳川は関が原以来の仇敵で、尊皇攘夷とはまやかしそのもので倒幕の便宣に過ぎなかった。攘夷を叫びながら、イギリスのグラバーらの手助けを仰ぎ坂本竜馬に兵器・軍艦購入と密輸を依頼し、着々と洋式化を準備していた。英国は中国進出を狙うロシアに対抗する東アジアの日本を番犬にするため、強兵政策を援助していた。長州征伐に出向いていた徳川家茂を大阪城で変死(毒殺)させたのも長州の隠密組織であったという。徳川家茂と孝明天皇は公武合体政策を進め、妹和宮の嫁下によって義兄弟の間柄となっていた。徳川幕府に対しては攘夷で挑発し、公武合体による政権の延命を破壊するために孝明天皇を暗殺し、徳川家茂も暗殺したと云うストーリーである。どうです、なかなかよくできたお話でしょう。睦仁親王も暗殺して意のままになる南朝の末裔大室家(長州が保護していた)の若造を明治天皇にすり替えたと云うところがミソです。これによって天皇の皇統は切り替わった。
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# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:38 | Comments(0)

原発事故はテロの仕業では?

原発事故はテロの仕業では?

  私は、この原発事故はテロによるものだと考えており、当「つぶや記」でも最初からそのように述べてきました。なぜなら、誰もが津波の影響だと思うような形で4基の原発が相次いで異常な状態に陥り、手のつけられない状態になってしまったことに疑問を持っているからです。

CNNが、福島原発で働いていた技術者の不審死とも思えるニュースをさりげなく報じていました。

●http://www.cnn.co.jp/world/30002337.html  CNNニュース
■ 不明の作業員2人を遺体で発見 福島第一原発
  2011.04.03 Sun posted at: 13:03 JST
(CNN) 東京電力は3日、福島第一原子力発電所で3月11日の東日本大震災以来行方不明となっていた作業員2人の遺体が、4号機のタービン建屋地下で見つかったことを明らかにした。東電が同日の記者会見で発表したところによると、2人は21歳と24歳の男性。震災発生当時、現場で作業中だったとみられる。
  2人とも複数の外傷と大量出血の形跡があり、1人の遺体は地下のたまり水に浮いていたという。発表によると、遺体は3月30日に発見されていた。

  「2人とも複数の外傷と大量出血の形跡」というところが引っかかります。「何者かに襲われて殺された」と見るべきではないでしょうか。3月30日に発見されているのに、その発表が遅れたのは、不審な死に方だっため死因の検査が行なわれていたからだとも思われます。
  地震~津波とセットで原発事故を起こすため、地震でほとんどの作業員が避難したあとの建屋内に何者かが侵入して、そこに残っていた作業員を殺し、時限爆弾をセットした、というのが当初からの私の推測です。そのため、福島原発は手に負えない状態に陥ったと見ています。もちろん、そうなってもおかしくないようなお粗末な原発だったから狙われたということも言えますが……。
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# by kabu_kachan | 2012-04-25 07:24 | Comments(0)

平成二・二六を起こすべき今の日本

おわりに 平成二・二六を起こすべき今の日本

  アジアは古代より豊かな精神文明を育て、自然とともに生きてきた。アジア人の性格は温和で、人々は慈愛に満ちている。これにくらべ西欧人は物質的で欲深き人種である。物欲にあふれた西欧人が植民地を求めてアジア、アフリカ、中南米に殺到したのは16世紀以降であったが、中でもアジア人に対する抑圧と搾取は過酷を極め、容赦ないものだった。
  このような野蛮な西欧人をけしかけ、世界中の富や地下資源を略奪したのは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンであった。アジア民族はまぎれもなくその多大なる犠牲となったのである。
  1995年は日本が太平洋戦争で敗北して50周年にあたる。日本ではこれから、先の戦争がいったい何であったのか、その歴史的意味をめぐって議論が続くだろう。日本人の思考はいま混乱のさなかにあり、太平洋戦争とそれに先立つ日中戦争の意味を理解できないでいる。
  日中戦争はアジアの完全支配を狙う「世界支配層」が、日中の協力者とともに推進した謀略の戦争である。アメリカやイギリス、そして数々のユダヤ・フリーメーソンたちが暗躍したこの不幸な時代は、不可避的に日中を闘争に導いた。
  平和を願う多くの人々の願いもむなしく、戦争製造者たちは世界支配の野望のもとに、いたるところで人々を戦火の中に追いやったのである。
  日中は決して戦ってはならぬ永遠の同胞である。けれども不幸なことに日本の内部にも、戦争を願う「世界支配層」の協力者と推進者がいた。そして、それは中国にも存在したのである。日中戦争は太平洋戦争への導火線となった。
  太平洋戦争はアジアの完全支配を企てる「世界支配層」の前に立ちはだかる日中を打倒し、屈服させるための明らかな罠であったが、勇猛果敢で無知な日本人はその裏に秘められた底意をしることもなく、無謀な戦いを挑み、そして予定通り敗れた。
  日本をおだて、操り、屈服させることはもともと「世界支配層」の遠大なる計画である。日本はそれを知らず、明治維新以来西欧(ユダヤ)の表面的な華美性に魅了され、あろうことか西欧的な帝国主義に走り、アジアに植民地を求めた。
  一方、多くのアジア諸国の中に「世界支配層」の走狗となり、イギリスやアメリカ、ロシアと通謀して日本を排斥する勢力が跋扈した。
  当時のアジアは西欧(ユダヤ)によって中枢が汚染されていたのである。日本が何もしなければ、朝鮮半島はロシア領に、中国および東南アジアは「世界支配層」のもと英米仏蘭により徹底的に分割支配され、現在のようなアジア諸国は存在し得なかったことであろう。
  「世界支配層」は最終的に日本を倒し、滅亡に至らしめてアジアの全域を略取する計画であった。日本が太平洋戦争を決意できずに屈服しておれば、米欧(ユダヤ)は労せずしてすべてのアジアを征服し、日本は弱小国に転落していたことであろう。
  だが日本は戦争によって事態を打開しようとした。戦争没発の背景には、「世界支配層」と米英の謀略があったことは明らかであるが、日本側にも戦争推進に協力した一群が存在したことは事実である。彼らは勝利のためではなく敗北のために戦争を遂行し、そして戦後最大の功労者として「世界支配層」やGHQより数々の報酬を受けることになった。
          ―― 『山本五十六は生きていた』(ヤコブ・モルガン著/第一企画出版)
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# by kabu_kachan | 2012-04-24 19:03 | Comments(0)