日本のテレビの歴史(1)

敗戦後、武装した米軍兵士が各地に駐留して治安の維持を確保していた。それは現在のアフガニスタンやイラクの状態と同じである。それが連合国総司令部、つまりGHQ統治と呼ばれるものだ。そして昭和27年にGHQが撤退した後は、それに代わりCIAなどのアメリカ政府の情報機関が対日政策の主導権を握るようになった。これらの情報機関によって日本支配計画として導入されたのが、日本におけるテレビ放送であった。

このために、日本のテレビシステムはすべてアメリカのものがそのまま流用され、当時のテレビ番組にも、アメリカが日本人にとって憧れの的になるようなものが意図的に放映されたのであった。それが野球やプロレス、西部劇などである。その目的とは、進駐軍が撤退した後も日本国民が親米感情を持ち続けるようにと、日本国民をコントロールするためにほかならない。つまりアメリカ政府の日本支配の方法が、武力によるものから洗脳へと変わり、銃を持った米兵がテレビに代わったのだ。

つまりテレビは、アメリカ政府の「日本国民の遠隔支配装置」なのだ。そしてアメリカ政府の背後には、ロックフェラー一族の存在がある。つまり大きな視点から見るならば、ユダヤ国際銀行家が日本のマスコミの支配者であることがわかるのだ。

また日本の通信社の歴史をたどってみると、戦時中をのぞき、世界情勢に関するニュースの配信をロイターやAP、AFPなどの欧米の通信社に依存してきたことがわかる。情報の入手を相手に依存するということは、相手のいいように情報が操作されてしまうことでもある。明治時代には国内にも多くの新聞社と通信社が乱立したが、政府による繰り返される言論弾圧で潰され、政府追従の大手の新聞社だけが残った。しかしその新聞社と通信社もアメリカ側から圧力を受け、AP通信に倣(なら)って合併が行なわれ、日本人が知らないうちに情報の一本化に仕向けられていった。そしてこれがそのまま、戦時体制下の日本の通信社の基礎となったのだ。

つまり日本を英米と戦争させるために、英米人の手によって日本の情報社会が計画的に整備されたのである。その後、戦時中の大手マスコミは軍部の言論統制に協力し、国民を無駄な死へと追い込んだ。戦後もマスコミの人間たちは戦犯として裁かれることもなく、以前の持ち場に復帰して、日本のマスコミ界を支配した。仕える主人が日本軍からアメリカ政府に代わっただけで、同じ企業と人脈が現在も日本のマスコミの上層部に居座っている。彼らは戦争時にはその本性を現すが、平時には、国民にお笑いやスポーツなどの娯楽を提供して人々の知性を貶(おとし)める。

太平洋戦争の前年、政府は近所の人々の非国民的な振る舞いを互いに監視させ合うために「隣組」(となりぐみ)という制度を作った。それは5軒から10軒が1組で、ご近所同士が助け合って親しくしましょうという触れ込みで、「隣組」の歌まで作って流行らせた。「とんとんとんからりんと隣組~」という明るい調子の歌詞だ。この曲は戦後、テレビ番組の「ドリフの大爆笑」のオープニング曲として歌詞を変えて再流行した。この番組では国民的笑いの創造のために、笑いの同調と増幅効果を狙った「ラフトラック」と呼ばれる音響技術がアメリカから導入された。これは人工的な笑い声や拍手を挿入するものである。これを作った制作会社は国内の政財界と強力なコネクションを持ち、英米の財閥ともつながりを持つ。この曲は幾度となくテレビCMに使われ、最近でも耳にする。音楽や娯楽を通じ、国民の政治的関心を明るい平和ボケへと誘導することも、マスコミの仕事の一つなのだ。
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by kabu_kachan | 2012-12-08 23:08 | メディア | Comments(0)
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