「ホロコースト肯定論」を主張する人へ

「ナチスとヒトラーは、ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を行なった」というのが世界の常識となっている。日本の歴史学者の間でもホロコースト肯定論が通説となっていて、否定論を主張すると学者になれない。マスコミ界で否定論を言えば即クビになる。
この日本の知識人の現状…「ヒトラーはユダヤ人を大量虐殺したのは確かだ」のままではいつまでたっても思考停止したままである。
しかし勇気ある人たちが、このホロコーストの真実を解明しつつある。以下に紹介しよう。

http://www.youtube.com/watch?v=6aFAw0i-lJQ


●シオニストたちが最も恐れていたこと、それは反ユダヤ主義者たちの策動ではなくて、むしろ、世界のあちこちに散らばっているユダヤ人たち(ディアスポラ)が彼らの民族としてのアイデンティティを失って、それぞれの住む国家社会に「同化」してしまう、ということだった。


●金沢大学教授で中東現代史専攻の前田慶穂氏は、『ユダヤ人とは何か/ユダヤ人1』という本の中で、ナチスとシオニストの協力関係を指摘している。

「ナチ党が政権を獲得した直後の1933年、『世界シオニスト機構』の議長代理だったユダヤ人ヨアヒム・プリンツはこう書いていた。『強力な勢力(ナチス)がわれわれの支援に訪れてくれ、われわれを改善してくれた。同化論は敗れた』と。」


●このナチスがユダヤ人の組織を「支援に訪れた」とは、意外も意外の表現だが、これには切実な理由がある。

当時のユダヤ人社会の中には、西欧文化に「同化」しようとするユダヤ人と、「異化」してイスラエル共和国の建国をめざすシオニスト・ユダヤ人との対立があった。狂信的な「異化」論者のシオニスト・ユダヤ人にとっては、「同化」論者のユダヤ人こそが、打倒すべき当面の敵であったのだ。だから、ユダヤ人全体の排斥を政策とするナチスは、「敵の敵は味方」という戦国の論理で、「味方」に位置づけられたのだ。


●実際、第二次世界大戦が起こる前、ユダヤ人の大半はシオニズム運動に無関心であった。これは数字にも表れている。1880年から1925年の間に、アメリカへ移住したユダヤ人400万人に対し、パレスチナへの移住者はたった15万人しかいなかった。

当時、西欧や東欧のシオニストたちが提唱するようなユダヤ国家建設に興味を示すユダヤ人は少数グループであった。ユダヤ人の大半は、ユダヤ国家建設など、あまりにも現実離れしすぎた妄想的計画だとみなしていた。それよりも自分たちが住む国家社会に「同化」することのほうが大事だと思っていた。

しかし、「異化」してユダヤ国家樹立を夢見るユダヤ人たちは、自分たちのプランを絶対に成功させようと躍起になっており、目的のためには手段を選ばない姿勢であった。そして、彼ら異化主義のシオニスト・ユダヤ人たちは一様に、同化主義のユダヤ人同胞には非常に冷淡であった。

●世界中のユダヤ人グループや反ファシズム団体は、ナチスに対抗するためにドイツ製品の「ボイコット運動」を計画していた。しかし、シオニスト・ユダヤ人の中にはボイコット運動に反対する者も多くいたため、ほとんど成功しなかった。

反ボイコット派の中でも最も重要な役割を果たしたのは「世界シオニスト機構(WZO)」であった。このユダヤ人組織は、ドイツ商品を購入したばかりか、それをさらに販売し、ヒトラーとその産業界の支援者のために新しい顧客まで捜しだしてやったのである。


●ヒトラーに抵抗せず、むしろヒトラーと共働しようとした「世界シオニスト機構」は、独自にドイツ政府と交渉をはじめ、1933年8月に「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)を締結することに成功した。これはパレスチナへ移住するドイツ・ユダヤ人の資産の移転に関する協定で、双方にとって都合が良かった。ナチスは、これによってボイコット破りに成功した。


●この「ハーヴァラ協定」の締結で、ドイツ・ユダヤ人のパレスチナへの移送が始められたのであるが、移住に際して高額の呈示金を必要としたために、貧困層のユダヤ人移住は進まなかった。「ハーヴァラ協定」そのものは1939年9月の大戦勃発まで維持され、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の国外移送は1941年まで続けられた。


●「ハーヴァラ協定」によって「世界シオニスト機構」はおいしい蜜を吸った。「世界シオニスト機構」のドイツ支部は、ナチスの支配下で唯一のユダヤ人組織として機関紙発行を許され、当局との交渉権を握り、急速に成長した。第二次世界大戦が勃発する2ヶ月前の1939年7月はじめには、シオニスト組織を含む全てのドイツ・ユダヤ人組織が、ナチスの御用機関「帝国ユダヤ人同盟」にまとめられたのであった。

この間、シオニスト=ナチ交易関係は他の領域でも発展し続けた。「世界シオニスト機構」は、1936年にはイギリスで、ナチス・ドイツの商品を売り始めた。1937年にはカギ十字の旗の下、20万個の梱包されたオレンジがドイツに運ばれ、更に150万個が北海沿岸の低地諸国に送られた。

エジプト・レバノン・シリア・イラクにおいてはドイツのための新規顧客の袖を引くようになった。ベルギー・オランダ向けオレンジ輸出は、最後にはナチスの船を使用するまでになった。


●東京大学名誉教授で中東現代史専攻の板垣雄三教授は次のように述べている。

「シオニスト・ユダヤ人により設立された『パレスチナ船舶会社』は、ドイツ客船を購入して『テル・アヴィヴ号』と改称し、船長はナチ党員、船尾には船名のヘブライ文字、マストにはナチスの鉤十字を掲げて、1935年ブレーマーハーフェン・ハイファ間に就航し、移民の輸送にあたった。 〈中略〉 1919年パレスチナのユダヤ教徒の人口は住民の9%だったが、1939年には、パレスチナの『ユダヤ人』の人口は全体の30%を占め、イシューヴ(パレスチナ・ユダヤ人社会)の自立的経済が成立するに至った。1933年を転換点として、中・東欧からの『ユダヤ人』入植者が激増したからである。ナチズムなしにはイスラエル国家の誕生はありえなかった、ともいえるであろう。」

当時、世界のユダヤ人の大多数は、このあからさまな対ナチ協力の「ハーヴァラ協定」に大反対だった。「世界シオニスト機構」を除いてハーヴァラ協定を弁護する者はいなかった。ナチスと取り引きするようになった「世界シオニスト機構」に対して、「ボイコット破り!」、「紛れもない対ナチ協力!」という非難の声が殺到していたのである。

それに、もともとドイツに住む一般ユダヤ人のほとんどは、1938年の段階でも、ドイツを離れて縁もゆかりもないパレスチナの「荒地」へ行きたいとは、全く思っていなかった。


●ユダヤ人デイヴィッド・ウェインが、1985年に書いた『ユダヤ人の放棄』という本があるが、この本も、シオニスト・ユダヤ人たちがヨーロッパの正統派ユダヤ教徒を救う代わりに、イスラエル国家の建設に集中する決断を下したと書かれている。

彼はこの本の中で、ナチスに殺されたユダヤ人の大半は正統的な信仰を保持していた正統派ユダヤ教徒であり、ホロコーストを口実にイスラエル共和国建設を世界に認めさせたのだから、正統派ユダヤ教徒はその犠牲にされたのだと告発している。

また、ユダヤ国際金融機関が何故ヒトラーを後援したかについても書いている。シオニスト・ユダヤ人はライバルである正統派ユダヤ教徒を壊滅させ、シオニスト勢力のパレスチナ保有の熱望を世界に認めさせる機運を醸成させるように図ったというのだ。

●反シオニズムのユダヤ人マーク・レインは、次のように語っている。

「ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいない。彼が部下に命じたのは追放することのみであった。そのユダヤ人追放が大量に達したとき、ヒトラーは当時のシオニズムの指導者であったハイム・ワイツマン(後の初代イスラエル大統領)にある取り引きを申し出た。ユダヤ人たちをそちらに渡す代わりにドイツへの経済援助を求めたのである。これは歴史的事実である。

しかし、ワイツマンはそれを断った。ユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによってそれがイスラエル建国のバネとなり、また戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネになると、彼ははっきり答えたのだ。」

マーク・レインによれば、このようなことは多くのユダヤ人たちの知っていることであるという。

●すでに繰り返し述べたように、ヒトラーの犠牲になった膨大な数のユダヤ人のほとんどはシオニストではなかった。特にポーランドのユダヤ人の場合、ホロコースト前夜には大多数がシオニズムと縁を切っていたし、ポーランドのシオニスト指導者のひとりであったメナヘム・ベギンの政治はポーランドのユダヤ人にはひどく嫌悪されていたのである。

●ヒトラーの犠牲になったユダヤ人の多くは、正統派ユダヤ教徒だった。ヒトラーがユダヤ人を追放しようとし、どの国も引き取り手の無かった時に、シオニスト・ユダヤ人の力はこの正統派ユダヤ教徒たちをドイツから逃れさせ、抗議するには十分であったはずだ。しかし、あろうことかシオニストたちは、第二次世界大戦前には、各国に対して正統派ユダヤ教徒が安全に移民することを禁止するように働いていたのである。

狂信的な異化主義に染まっていたシオニストたちにとって、非シオニストの同化主義者は煙たい存在だったので、彼らを助けるどころか、逆に、邪魔したのである。


●ロスチャイルド家を始めとするシオニストたちは、ドイツからまんまと逃れ、残された貧しい正統派ユダヤ教徒は捨てられた。そしてシオニストたちによって見捨てられた正統派ユダヤ教徒はホロコーストの犠牲者(生け贄)になったのである。

シオニストたちは、何よりも「ユダヤ国家建設」を全てに優先させた。そして、多くのユダヤ人が殺されれば殺されるほど、全世界の同情はユダヤ人に集まり、シオニストによるユダヤ国家建設が正当化されたのであった。自分たちの目的達成のためには同胞さえも見捨てる。それがシオニスト・ユダヤ人たちの本性だった。

そして、人工国家イスラエルの建国という途方もない巨大計画は、一時的にナチス・ドイツの協力をえながら具体化され、ある段階から逆に「ナチ批判」、「ホロコースト批判」を跳躍台にして、第二次世界大戦の廃墟の上に展開されたのであった。

●結果的に、ヒトラーのユダヤ人迫害は、シオニズム運動を最大限に推し進めることになった。ヒトラーなくしてシオニズムの成功はなかったし、シオニズムなくしてヒトラーのユダヤ人迫害は無意味だったと言える。ある意味、ヒトラーはイスラエル建国の影の功労者であったといえる。


http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hd/a6fhd300.html#01より引用。


★ナチスもヒトラーも結局は、イスラエル建国のために、ロスチャイルドとシオニストユダヤ人に利用されたのである。

http://www.youtube.com/watch?v=sQBuA5CgF3E

http://www.youtube.com/watch?v=Va2nw5iWERM






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by kabu_kachan | 2014-04-26 21:35 | 歴史 | Comments(1)
Commented at 2016-10-11 18:02 x
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