「吉田松陰」を知れ!

【 吉田松陰 】
よしだ しょういん
(プロフィール)
長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。
私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、維新の指導者となる人材を教え育てる。
ペリー再来の時には、密航を企て投獄される。
安政の大獄で再び投獄され、斬首刑に処される享年30(29歳没)。
しかし、その考えや格言は多くの人に影響を与えた。

https://www.youtube.com/watch?v=3Xp0HxvEiBo


幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は寅之助。吉田家に養子入り後、大次郎と改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。「二十一回」については、名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、これらを合計した数字が「二十一」となること、および、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」となることによりつけられている。

生涯

文政13年(1830年)8月4日、萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保5年(1834年)、叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となるが、天保6年(1835年)に大助が死亡したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。11歳の時、藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事であったことにより、その才能が認められた。松陰は、子ども時代、父や兄の梅太郎とともに畑仕事に出かけ、草取りや耕作をしながら四書五経の素読、「文政十年の詔」、「神国由来」、その他頼山陽の詩などを、父が音読し、後から兄弟が復唱した。夜も仕事しながら兄弟に書を授け本を読ませた。

しかしアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋兵学を学ぶために嘉永3年(1850年)に九州に遊学する。ついで、江戸に出て佐久間象山に師事する。

嘉永5年(1852年)、友人である宮部鼎蔵らと東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩からの過書手形(通行手形)の発行を待たず脱藩。この東北遊学では、水戸で会沢正志斎と面会、会津で日新館の見学を始め、東北の鉱山の様子等を見学。秋田では相馬大作事件の真相を地区住民に尋ね、津軽では津軽海峡を通行するという外国船を見学しようとした。江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受けた。

嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察し、西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意。同郷で足軽の金子重之輔と長崎に寄港していたプチャーチンのロシア軍艦に乗り込もうとするが、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが参戦した事から同艦が予定を繰り上げて出航した為に失敗(一説ではプチャーチンの暗殺を計画していたともいわれる)。


嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には吉田松陰は、足軽の金子重之輔と二人で、海岸につないであった漁民の小舟を盗んで旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せ、乗船した。しかし、渡航は拒否された。二人が船上にいる間に、二人の荷物を乗せたまま小舟は流された。そのため、しかたなく、吉田松陰は幕府に自首した(一説ではペリーの暗殺を計画していたともいわれる)。 また、吉田のみならずこの密航事件に連座して佐久間象山も投獄されている。幕府の一部ではこのときに象山、松陰両名を死罪にしようという動きもあったが、川路聖謨の働きかけで老中首座の 阿部正弘が反対したため、助命され長州へ檻送された後に野山獄に幽囚された。この獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に記した。

安政2年(1855年)に出獄を許されたが、杉家に幽閉の処分となる。

安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育していった。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。

安政5年(1858年)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。だが、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らは反対して同調しなかったため、計画は頓挫した。さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕をも持ちかけている。結果、松陰は捕らえられ、野山獄に幽囚される。

安政6年(1859年)10月27日、安政の大獄に連座し、江戸に檻送され、評定所で取り調べの結果、斬首刑に処された。享年30(満29歳没)。


★吉田松陰の名言

立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)


至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり


志を立ててもって万事の源となす


志士は溝壑に在るを忘れず


己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る
恐るるにたらず


凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし


体は私なり、心は公なり
公を役にして私に殉う者を小人と為す


人賢愚ありと雖も各々一二の才能なきはなし
湊合して大成する時は必ず全備する所あらん


死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし


生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし




宜しく先ず一事より一日より始むべし。


志をたてたなら、まず一つのことから、思いついた日から始めるべきである。

心ある立派な人の務めは、自分の身を修め、
まごころを尽くすことにある。


利をうとんずるといふ事は、必ずしも富を厭ひ貧を欲するといふ事ではない。
貧富によりて少しも心をみださないといふことである。


学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。
したり止めたりであっては、ついに成就することはない。


今日の読書こそ、真の学問である。


人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。


君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。


君子の言葉を引用した名言です。
「道理に合った行動をすれば、後から利益がついてくる」という意味だそうです。

あまり怒りよると、とうとう腹もなんにも立たぬようになる。


入江杉蔵宛の書簡より。

死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。


高杉晋作に送った言葉。吉田松陰は牢獄の中だったそうです。


人を観察するのは、その人の目によってするのである。
胸のなかが正しいか、正しくないかは、ひとみがはっきりしているか、暗いかによってわかるものである。


一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。


人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。


汝は汝たり、我は我たり。


人を信ずることは、もちろん、はるかに人を疑うことに勝っている。


(続き)「わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。」吉田松陰『講孟箚記』より。

親思う心にまさる親心。

「辞世の句」より。

志定まれば、気盛んなり。

人は目標が決まれば、意気が高まり、その実現に向けて全力を尽くすことができます。
どのような障害にも立ち向かって、志を実現できるでしょう。


末の世において、道義を実践したならば、必ず、その時の人々から、極端と言われる。
逆に言えば、世人から極端と言われないなら、それは、決して道義ではなく、迎合に過ぎない。


思想を維持する精神は、狂気でなければならない。


小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。


過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ


凡(およ)そ学をなすの要は己(おの)が為にするあり。
己が為にするは君子の学なり。人の為にするは小人の学なり。


学問をする上で大切なことは、自分を磨き自分を高めることにある。自分のためにする学問は、しっかりした人間を志(こころざ)す人の学である。人にほめられるためにする学問は、とるに足らない人の学である。

教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、
絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない


賢者は議論よりも行動を重んじる。


夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。


「国家とともに」という志がないならば、人ではないのである。



★死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、

 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。


死んでも後世に残るだろうと考えるなら死んでもいい。
生き延びて大きな仕事ができそうだと思うならどんな状況でも生き続けろ。

★至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。


誠を尽くして人に接すれば、心を動かさないものはこの世にない。
まごころを十分に発揮しようと思い努力することこそが人の道である。

★士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。


才能がなくても、徳がある人間になり、そして、学識がなくても行動力がある人間になればよい


悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。

★かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂


★吉田松陰の辞世の句

弟子宛
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」


家族宛
「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」


★吉田松陰の思想

【一君万民論】

「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」と主張して、藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争を行っている。「一人の天下」という事は、国家は天皇が支配するものという意味であり、天皇の下に万民は平等になる。但し、天皇のために万民が死にもの狂いで尽くす事が必要である。

一種の擬似平等主義であり、幕府(ひいては藩)の権威を否定する過激な思想であった。但し、天下は万民の天下なり、という国家は国民の共有であるし、君主はその国民に支えられて存在するという点からすれば、吉田松陰には天皇があっても国民がないのではという批判もある。ちなみに「一君万民」の語を松陰が用いたことはない。


【飛耳長目】

塾生に何時も、情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた、これが松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。自身東北から九州まで脚を伸ばし各地の動静を探った。萩の野山獄に監禁後は弟子たちに触覚の役割をさせていた。長州藩に対しても主要藩へ情報探索者を送り込むことを進言し、また江戸や長崎に遊学中の者に「報知賞」を特別に支給せよと主張した。松陰の時代に対する優れた予見は、「飛耳長目」に負う所が大きい。


【草莽崛起】

「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。"在野の人よ、立ち上がれ"の意。

安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて書いた書状の中で「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて用いた。


【対外思想】

『幽囚録』で「今急武備を修め、艦略具はり?略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・?都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記し、北海道の開拓、琉球(現在の沖縄。当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台湾・フィリピンの領有を主張した。松下村塾出身者の何人かが明治維新後に政府の中心で活躍した為、松陰の思想は日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えることとなった。
(以上、Wikipediaより)

https://www.youtube.com/watch?v=DzRbED6qy70

★吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作(三人とも20代の若者である)

https://www.youtube.com/watch?v=LEl7QpRAqIM

https://www.youtube.com/watch?v=O-dtmo3rjXY

https://www.youtube.com/watch?v=mO9ibVg7l00

https://www.youtube.com/watch?v=ctFh3U8TU24

★吉田松陰・草莽崛起の思想
https://www.youtube.com/watch?v=NzsWmYLXxsc
https://www.youtube.com/watch?v=dQoF9Ff0rHo
https://www.youtube.com/watch?v=HS0cGYJDfkI
https://www.youtube.com/watch?v=WdqsnYapcD0

★高杉晋作
https://www.youtube.com/watch?v=81ojH0n4Jlo

https://www.youtube.com/watch?v=OkYDPInRxlc

★久坂玄瑞
https://www.youtube.com/watch?v=LIz9DxziZDQ



NHKは国民のお金で番組を作っているにも関わらず、番組をユーチューブに公開しない卑劣な放送局である。


武士の生き様~他人事ではない~                『新・霊界物語 第百八十六話』
https://www.youtube.com/watch?v=ZpLDOljekuY

高杉晋作、男の魅力
https://www.youtube.com/watch?v=EU2tnCIB4GA




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by kabu_kachan | 2015-03-07 13:37 | 歴史 | Comments(0)
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