日米戦争はなぜ起きたのか?

先ず、なぜ日中戦争から、太平洋・東アジア全域にまたがる全面戦争に拡大してしまったのか!その背景から述べなければなりません。

十九世紀の中頃から、欧米列強、特にロシアが、満州・チャイナ・朝鮮・日本を植民地にしようと虎視眈々と窺っていました。――日本の近現代史がずいぶん混乱しているので、多くの人々は、明治維新が終わったときには、西欧列強のアジアにおける植民地支配は完了していたかのように思い込んでいるようですが、それはそうではありません。

日本が、自由民権だとか国会開設などと騒いでいた明治初期には、欧米の植民地化はまだ着々と進行中という状態だったのです。アメリカがハワイの王朝を潰し、ドイツはチャイナから青島を奪い植民地化し、フランスはチャイナからベトナムを奪い、イギリスはインドを経てビルマを併合し、さらにチベットを勢力下に収めるなどという状況が進行中でした。

イギリスは、明治18年にビルマの王と王妃をセイロン島に島流しにし、王子は皆殺しにし、王女はイギリスの兵隊にくれて、ビルマを併合してしまったわけです。ーーその後も列強の侵略は続いて、マレー半島が完全に植民地として完成されたのは、じつに1909年(明治42年)のことでした。

―― その当時、

日本にとって特に脅威だったのは、ロシアの動きです。ロシアは、旅順や北朝鮮の港を占拠し、全朝鮮半島を支配する構えをみせていたのでした。

今から振り返ると、周辺の国々が次々と欧米の植民地になっていく中で、よくぞ日本だけが無事だったものと不思議な気がします。今ですら、そうのような感じがするわけですから、当時の日本としてはもう必死だったことでしょう。いつベトナムのようなことになるのか、ビルマのようにされるのか、ハワイのようにされるのか、といったことで戦々恐々としていたわけです。

南アジアの大国であったインドも、また、清国の一部も植民地とされ、老いたる官僚国家である朝鮮はとても頼りない感じでした。――ロシアは今の北朝鮮あたりまで既に南下を果たしていたわけですから、日本も、もう既に射程距離に入っていたようなものでした。

イギリスやフランスがチャイナの分割を終えてから朝鮮半島へと進攻してくれば、これまた次は日本へという図式になります。アメリカだって、西へ西へと原住民(アメリカインディアン)を征服しながら西進し、太平洋に出てハワイを平らげ、そして遂にフィリピンまでも手に入れたわけですから、これまた次は日本をということになります。

当時、清国や朝鮮は科挙制度が完備していて、筆記試験をパスした成績優秀な官僚が実質的に支配する官僚国家であったわけですが、日本はまがりなりにも武家社会でした。そのためでしょうか、日本は朝鮮と違って、欧米やロシアの武力の脅威というものをかなり正確に読んでいました。

そうした、まことに危機的な状況があったればこそ、日清・日露戦争が戦われたわけです。日本の防衛、白人の世界支配への抵抗運動としての日清・日露という側面を抜きに、これらの戦争の本質は語れません。

それは、第二次世界大戦についても同様です。欧米、わけてもアメリカを敵として戦うなど、よほどのことがない限りどの国だってやりたくはありません。日清・日露から第二次大戦までの日本の戦争は、広義の意味での自衛戦争だったのです。――自衛ということが基調となっていた戦争だったのです。

では日本は、いったい何から自衛しなければならなかったのかというと、それはまずは欧米とロシアの植民地支配です。当時としては、それは単なる脅威論の域を越えていて、今日明日に迫る現実的な課題でした。

結局わが国は大東亜戦争に敗れたわけですが、このときの主要な敵国のすべては、大東亜戦争以前にわが国が脅威の対象と直観していた国々でした。

アメリカは昭和5年(1930年)に、イギリスは昭和7年(1932)にブロック経済体制に入りました。後にオランダもこれに同調しました。ソ連も閉ざされた国です。これらの国々はいずれも近代産業を支える天然資源を自給自足できる国です。これらの国々が日本に天然資源を売らないことにしたらどうなるか。とくに石油はどうなるか..これが日本の直面した恐怖でありました。

―― それとともに、

大東亜戦争にはもうひとつ大きな、世界的対立の側面がありました。それは、ホワイト対カラード(白人対有色人種)という対立の構図です。人種の中では、白人が一番優秀で、その次が黄色人種で、いちばん劣っているのが黒人であるという暗黙の序列のようなものがあります。これは、決して公にはされませんが、本音の部分で、欧米人の間では現在でも根深く残っているといえるでしょう。

日本は、第一次世界大戦のあとで「人種平等」ということを国際連盟規約に入れるように要求しますが、これはあっさり拒否されてしまいました。そもそもあの時に、第二次世界大戦後の国連のように、人種平等ということを国際連盟が受け入れていれば大東亜戦争は回避できたのではないでしょうか。


★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』

http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

日本は、対ロシア政策として、朝鮮の近代化を切実に願っていました。しかし当時の朝鮮の宗主国であった大清帝国が邪魔をします。そして、協定に反して清国は朝鮮に軍隊を入れました。ーーかくして日清戦争が起こったわけです。これによって日本は、有色「カラード」人種国の代表みたいになってしまいました。

カラードの国である日本が、まずもって世界をアッ!といわせたのは日露戦争でした。カラードの国である日本が、白人の超大国であるロシアと戦って勝ったということで世界中がビックリしたわけです。


その驚きは、白人に限った事ではありません。中東のトルコなどでも、大変な驚きと希望とをもって受け止められました。アメリカでも、とくに黒人などは息をのんでこの勝利を見守りました。植民地にされていたアジアの諸地域も同様です。(諸国ではありません..当時、独立国だったのはタイ王国だけでした。ただし、タイは英仏の衝突を避けるための緩衝地帯として置かれていたのであって、自力で独立を保っていたわけではありません。)


第二次世界大戦後には世界中で民族運動が起き、独立が相次ぎましたが、その根っこのところには、カラードの国である日本が善戦したということが大きく影響していたのです。


―― 話を元に戻しますと、

十九世紀の半ばに、既にイギリスの侵略を許していた中国大陸は、日清戦争の敗戦を機に、欧米帝国主義の利権漁りがいっそう激化し、英仏独露日などによる事実上の分断統治が為されており、主権などは無いに等しい状態でした。当時のアジア地域で、かろうじて独立国として存続していたのは、日本とタイ王国ぐらいのものだったのです。

アジアは、こうした、つい最近まで欧米帝国主義諸国に牛耳られていた歴史を忘却してはなりません。この歴史的事実ひとつをとっても、日本の中国進出を----被害者である中国から責められるのはある程度仕方ないとしても----欧米諸国から責められる謂れ(いわれ)などは毫(ごう)もないのです。まず責められなければならないのは、我欲剥き出しで武力をもって先にアジアを侵略した欧米列強のほうなのです。

日本が中国や朝鮮半島へと進出しなければならなかったのは、欧米露など帝国主義国家のアジア侵略があった為です。欧米列強のアジアでの傍若無人な振る舞いは先にも述べた通りです。ーー残された中国大陸の一部・朝鮮半島・日本を、各国が植民地支配せんと手薬煉(てぐすね)ひいている状態だったのです。

強国ロシアとの戦いに勝利を収め、満州の南部はなんとか確保できたものの、この戦争によって十万人もの日本人兵士が犠牲になりました。しかし、講和でロシアから得たものは南満州の鉄道経営権だけで、賠償金などはゼロでした。

しかも、この戦勝によってロシアの脅威が消えたわけではなく、むしろ、日露戦争によってロシアの南進意図はよりいっそう強固なものとなりました。やがてはロシアが、朝鮮を足がかかりに日本へと触手を伸ばしてくることは時間の問題だったのです。ーー日本の危機感はつのるばかりでした。

中国大陸でも、蒋介石の国民党政府が着々と力を蓄え、これまた日本にとっては大きな脅威になりつつありました。

対する日本政府は、日露戦争の勝利で得た南満州の鉄道経営の権利を足がかりにして満州に積極的に乗り出していき、満州国を建国し、さらには朝鮮併合へと進んでいきました。いってみれば、日本にとっての満州建国・朝鮮併合が自国の防衛にとっては止むを得ない進路だったという側面を見逃してはならないと思います。

しかし、そうして中国大陸に楔を打ち込んだ日本を、苦々しい思いで眺めていたのは欧米列強です。自分たちがクイモノにしようと狙っていた中国に、新たに乗り込んできた日本が、欧米列強にとっては邪魔者以外の何ものでもありませんでした。とりわけ日本を目の上のタンコブと感じたのは、虎視眈々と大陸の利権を狙っていたアメリカです。


日露戦争当時、日米両国の関係はおおむね良好でした。ロシアとの講和の中介をとったのもセオドア・ルーズベルト(アメリカ)大統領です。ところが、日露戦争終結と共に風向きは一変します。まず、南満州の鉄道経営権を巡ってギクシャクがはじまります。


日露戦争中に日本を支援し、莫大な戦費を貸付たアメリカの実業家にハリマンがいます。彼は鉄道会社の経営者で、日本に南満州鉄道の共同経営を持ちかけてきました。日本政府は、いったんこの申し出を受諾し、仮契約までこぎつけますが、小村寿太郎外相が国益上の理由から断固反対し、仮契約を反故にしてしまいました。

またアメリカ政府も、次第に勢力を伸ばしつつある日本に脅威を感じはじめ、満州の利権を独り占めにしようとする日本を食い止めようと必死になります。ーーこうして、アメリカは一気に反日へと傾いていったのです。


いってみれば日米対立の構図は、互いの権益を守る為の対立だったわけです。

以後アメリカは、日本をあの手この手で揺さぶり、国際社会から孤立させていきます。日本を封じ込めるためにまずアメリカが採ったのは、蒋介石へのあからさまな援助です。中国大陸へと歩を進めた日本は、蒋介石政権を相手に日事変に突入、戦線が拡大し泥沼の戦い続けていました。これが欧米諸国の(在中国)権益との紛糾の種になり、アメリカは蒋介石政権をバックアップすることで日本を牽制しようとしたのです。


この日米の確執が本格的に表面化したのは、昭和14年のことです。

この年の7月、アメリカは日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告し、12月には、アメリカ大使が条約の締結を拒否、翌年1月には、日米通商航海条約は失効します。

当時、アメリカはビルマと仏印(フランス領インドシナ=現ベトナム・ラオス・カンボジア)を通じて軍需物資を蒋介石政権支配地域に輸送していました。そこで当時の近衛内閣は、フランス政府と協定を結び、援蒋ルートを遮断しようとします。しかしこの時点でも、日本政府は、急激に悪化しつつあった日米関係を何とかして緩和しようと努めていました。


にも関わらずアメリカは、イギリス・中国・オランダと交渉し、共同戦線による経済封鎖、いわゆるABCD包囲網を強化し、昭和15年には、軍需物資はもちろん、生活必需品の対日禁輸まで仕掛けてきました。

そして昭和16年には、日本人の在米資産の凍結が断行され、イギリス、オランダもこれに追従します。こうした一連の対日禁輸措置は、日本に世界中との貿易を断念せよというのに等しく、貿易立国の日本にとっては危急存亡ともいえる程の危機でした。


昭和16年8月、アメリカは日本に対し石油の全面禁輸を実施します。

当時の日本は、石油はアメリカと、オランダ領だったインドネシアからの輸入に頼っていました。石油が一切入ってこなくなれば、国内に備蓄してある少量の石油だけで当面はしのげたとしても、備蓄が尽きれば全ての産業が停止に追い込まれることになる訳で、まさに死活問題です。

日本は、日米交渉が決裂すれば、資産確保のためには日米開戦もやむなしという瀬戸際へと追い込まれていきます。

このとき、東京のジョセフ・グルー駐日大使は、日記に次のように書き込んで
います。「報復と、それに対する反撃行為との悪循環が始まった。地獄への道をたどるのはたやすい。最早、なんらかの抜本的な異常な事情が起らない限り、坂道を落ちてゆくような今日の事態の惰性をいかにして食い止め、またはいかにしてこの事態の発展の行方を突き止めえようか。明白な結論は戦争が不可避であるということだ」

エネルギーの供給源を断たれた国が、それを求めて戦争への道を歩んでいく。

これは国際社会では当然の成り行きです。--今回のイラク戦争がいい例です。中東の石油を安定的に確保するため、いうことを聞かぬサダム・フセインを、ありもしない幻の大量破壊兵器を口実に攻撃し逮捕し、そのため、アメリカも莫大な戦費と戦死者を出しているのは世界周知の事実です。

経済封鎖と石油の禁輸措置で、のっぴきならない事態に追い込まれた日本は、やむなく日米開戦を決意、9月6日の御前会議で「帝国は、自存自衛を全うするため、対米・英・蘭戦争を辞せざる決意のもとに、概ね10月下旬を目処し戦争準備を完遂す」と決定します。

https://www.youtube.com/watch?v=U0UyNMiN7UU


――太平洋戦争の遠因は人種問題でした。

アメリカが、日本人を一人も入れないというような絶対的排日法案を可決し、実行しなければ、あのような反米感情は起こらなかったでしょう。

――そして近因、つまり直接の引き金は石油の禁輸です。

日本の連合艦隊が、石油がなくて動けなくなり、一戦もしないで白旗を掲げるなどという事はありえなかったからです。



★アメリカ歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は、終戦間もない1948年、アメリカの公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と日米戦争」の著書を発表した。この中で、博士は、日米戦は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまりアメリカの一方的侵略戦争であったことを痛烈に批判した。
この本によっても、ルーズベルトがアメリカ国民自身と日本国民とを同時に騙して、無謀な戦争に突入したことが明らかになった。

戦後アメリカの詩人コーエン氏は、このビアードの本を大学の図書館で読んで仰天した。アメリカが戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに、心から詫びたい気持ちでいっぱいになり、わざわざ来日して、巣鴨処刑場跡の記念碑の前で次の詩を書き遺した。

ああ、アメリカよ、汝は法を曲げ、正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今黄泉にて汝の非道に涙す



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by kabu_kachan | 2015-09-07 05:38 | 歴史 | Comments(0)
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