「山本五十六」を研究せよ!(山本五十六の最期)

【私の見解】


①山本五十六は日本とアメリカの両方の戦犯にならない方法を模索し続けたのである。


②真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の発案者はルーズベルトである。
(ちなみに、ベンジャミン・フルフォードも言っているけど、ルーズベルトは毒殺されたんですよ。)


口は災いの元 : ルーズベルトの最期
https://www.youtube.com/watch?v=KQOowq6HIX8


(大田龍氏の週刊日本新聞 時事寸評 平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)第一千五百五十二回 転載))

F・D・ルーズベルト米大統領暗殺疑惑と、そしてその意味。


更新 平成18年01月13日00時04分

平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)
(第一千五百五十二回)

○「操られたルーズベルト」
  カーチス・B・ドール著、
  馬野周二(訳・解説)、プレジデント社、一九九一年十月刊

○この本の英文原題は、
  FDR: My Exploited Father-in-Law
  By Curtis B Dall(一九六八年)

○本書の著者、カーチス・B・ドールは、
 F・D・ルーズベルト米大統領の娘と結婚して居る。

○従って、F・D・ルーズベルトは、ドールの義父であり、
 エレノア・ルーズベルトは、ドールの義母にあたる。

○そしてずっと後になって、ドールは、
 ウイリス・カートの主宰するリバティー・ロビーと言う政治団体の
 代表に就任した。

○本書は、
 シオニストユダヤ、ADLの一味に不法に乗っ取られる以前の
 IHR(歴史修正研究所)によって発行された。

○一九四一年十二月八日(七日)当時の米真珠湾海軍艦隊司令官で
 あった、キンメル海軍大将と、

○ドールは、一九六七年二月三日、対談した。

○そこでキンメル提督は、

○前任のリチャードソン提督が解任された、その後任として任命され
 た、一九四一年晩秋、

○ワシントン(米海軍省)は、
 主力艦数隻、輸送船を他の地域に派遣せよ、と命令してきた。

○更に、日本軍のパールハーバー攻撃の少し前、ワシントンの海軍省は、
 パールハーバーの航空母艦五隻を他地域に移せ、と命令して来る
 (前出、二百九十一頁)。

○つまり、そこで、パールハーバー米艦隊は、
 空母はゼロ、と成ったわけである。

○キンメル大将も、カーチス・ドールも、
 これは、ルーズベルト政権による日本を対米英戦争に引きずり込む
 大謀略の一部であることを明確に認識して居る。

○米国では、
 一九四一年十二月八日(七日)の「日本のパールハーバー奇襲」説が、
 米国政府によるペテンであることについて、無数の暴露と論評がなさ
 れて居る。

○にも拘わらず、日本では、このペテンにもとづく「東京裁判史観」が、

○ますます強国に日本人の意識を支配しつつある。

○朝日新聞社の月刊誌「論座」の平成十八年二月号に、

○ 朝日新聞論説主幹 若宮啓文
  讀賣新聞主筆   渡辺恒雄

○この二人の「対談」、

○なるものが掲載され、

○東京裁判の全面肯定にもとづく日本の軍、政府首脳の「戦争責任」なる
 ものについて、

○売国奴的発言が展開されて居る。

○カーチス・B・ドールは、一九四五年四月十二日のF・D・ルーズベルト
 の病死は、何者かによる「暗殺」(毒殺)ではないか、

○と疑って居る。

○このF・D・R暗殺疑惑は、
 米国では、かなり広範に、反陰謀陣営に流布されて居るにも拘わらず、
 日本人には、まったく、知らされて居ない。

○要するに敗戦後六十年来、

○日本人は、米国そして、世界の、

○まともな情報から、完璧に遮断されたままなのである。

○我々は、まさに、
 一から、やり直すしかないのだ。

 (了)






ルーズベルトにしてもスターリンにしても、山本五十六にしてもヒトラーにしても、
第二次世界大戦の主役たちは、毒殺されたか戦闘で殺されたか自殺と見せかけて永久逃避したのである。

第二次世界大戦の黒幕たちが戦争の原因をわからなくさせているのである。




★ユダヤに仕組まれた世界大戦@【真珠湾攻撃・ユダヤ支配・ホロコースト】
https://www.youtube.com/watch?v=6aFAw0i-lJQ


★太平洋戦争敗北の真相
http://kabukachan.exblog.jp/21608752/



山本五十六は「アメリカと戦争になれば、日本は必ず負ける」ことを確信していた。

戦争になった以上は司令長官として戦わなければ日本軍の軍法裁判で死刑であろう。

司令長官として指揮を執ってアメリカに対して勇敢に戦ったとしても、日本は負けるとわかっているのだから、日本敗戦後のアメリカ軍の軍事裁判で死刑になるであろう。

アメリカ軍との戦いで進んでも退いても死刑になるのである。

ちょうど迷っているときに、ルーズベルトから「真珠湾攻撃は手加減してミッドウェー海戦でわざと負けるように」という秘密書簡が届いたのである。
最後にはこう書いてあった。「以上のことを実行してくれたら、後のアメリカ軍の軍事裁判で山本五十六司令長官を戦犯リストから外すことを約束する。   フリーメイソン同志ルーズベルトより」
(ただし、このときはフリーメイソン・ルーちゃんというニックネームだったかもしれない。)

★山本五十六はフリーメイソンである(1)
http://kabukachan.exblog.jp/19100570/


山本五十六は戦犯リストから外してもらうのと引き換えにミッドウェー海戦でわざと負けたのである。このあとは、南の小島に不時着してアメリカ軍と落ち合ってわざと捕虜にしてもらって終戦を迎えるつもりであった。
その時は、日本は負けているから、日本軍は山本五十六を戦犯として裁けない。アメリカ軍も山本五十六を戦犯にしないから、山本五十六は両方の戦犯にならずに目出度しめでたしとなるはずであった。




日本海軍の司令官として戦わなければ日本国に対しての戦犯となる。
しかし、アメリカと戦って負ければ、アメリカの軍事裁判で戦犯として処刑される。東条英機のように。

一旦、戦争が始まった以上は戦わなければ日本国に対する戦犯となる。
陸軍の場合は初戦は勝ちまくっていたから気づかなかった。
だが、海軍の場合、なぜアメリカと積極的に戦わなければならないのかわからなかった。アメリカと積極的に戦えば戦うほど、あとで負けた時のアメリカの軍事裁判での戦犯としての刑が重くなるのである。それならアメリカ軍と協力して日本海軍の軍艦や空母を自分たちで沈めてやるほうが、あとの軍事裁判で戦犯にされないで済むというものだ。ただあからさまに行なうと日本国民に批判されるから、あくまでわからないようにやったのである。

日本海軍全体にこのような暗黙の了解があったのではないだろうか?


すなわち、日本海軍は日本国民にわからないように、すべてのアメリカ軍との海戦でわざと負けて行ったのである。勇ましく海戦で勝ったところで何になる。あとで戦犯としての刑が重くなるだけじゃないか。戦争は人殺しだからね。だから、特攻隊の発想もこの考えから生まれたのではないだろうか?

そして今でも日本人は、日本海軍がわざと負けたことに気づかないでいる。山本五十六は英雄扱いのままである。


「神風特攻隊」はなぜ生まれたのか?
http://kabukachan.exblog.jp/26084767/



まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】
https://www.youtube.com/watch?v=PzymgZVDPAM&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=14



山本五十六という人間を考える時に次の要点を基本におく。


①戦前、山本五十六は「アメリカと戦争になれば日本は必ず負ける」ことを確信していた。


②戦前、日本の軍人の中で、山本五十六ほどアメリカと関係の深かった軍人はいない。


③日本が敗戦した後、東条英機のように戦犯になって絞首刑になるのを恐れたか、アメリカ留学中に誰かにそう脅された。


以上の三つの要点が山本五十六の行動を決定づけた。

すなわち、「真珠湾攻撃は手加減しておいて、ミッドウェー海戦はわざと負ける」ということである。

真珠湾攻撃もミッドウェー海戦も山本五十六の発案(又は、ルーズベルトの発案かもしれないが)であり、両方の作戦とも強引に主張して指揮を執った(わざと負けるために)。


私の仮説

山本五十六はアメリカ滞在中(日本にいる時かもしれないが)に真珠湾攻撃とミッドウェー海戦をしてわざと負けるよう第三者から指示を間接的に受けた。そうすれば日本が負けた後の軍事裁判で戦犯にはしないからと言う内容であった。もちろん真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の発案者はルーズベルトである。こうなると暗号解読されていたかどうかというのは大した問題ではなくなる。そもそも日本海軍の方から真珠湾とミッドウェー海域にやってくるのが、ルーズベルトにはわかっているからである。


★真珠湾攻撃と暗号解読
http://kabukachan.exblog.jp/24391093/

かくして予定通り、日本海軍は真珠湾攻撃を手加減して、ミッドウェー海戦で大負けしてやったのである。

山本五十六は「これで日本は負ける。あとは自分が生きてアメリカ軍に捕まれば両方の戦犯にならずに済む」と思ったに違いない。

ルーズベルトの思惑通りわざと負けてやったからである。
だからまず、アメリカに対する戦犯にはならない。次に、日本国に対する戦犯になるかと言うと、日本は負けることがわかっているから、負けてしまえば山本五十六を戦犯として裁くことができない。

したがって、わざと負けたことが日本国民にわからないようにすれば、あとで汚名を着せられることもない。

・・・と、山本五十六は考えていたのではないだろうか?

だから、アメリカは東京裁判で海軍関係者を戦犯にしなかったのである。日本がアメリカに負けるよう協力してくれたからである。

巣鴨プリズンにA級戦犯で入っていて、あとで釈放された連中もGHQに全面協力すると誓ったから釈放されたのである。

その連中によって、現在の日本の政治とメディアは作られたのである。

そして、日本国憲法もGHQが作ったから、日本の司法に携わる日本人もGHQ=アメリカに協力しているということになる。


山本五十六の最期

山本五十六は逃げるつもりであった。そしてアメリカ軍も了解していた。
なぜなら、戦死時に着用していた軍装は、太平洋戦争に突入してから山本が生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装(陸戦用服装)を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。

山本を含めた連合艦隊司令部は第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地を発進した。山本は1号機、宇垣は2号機に搭乗する。


山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。
ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官ひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。
米軍はこの暗号を解読して山本長官搭載機撃墜計画を練ったとされるが、むしろ山本長官自身ないしはその側近が、事前に何らかの方法で米軍に詳細な行動予定を知らせていたというのが真相だろう。山本長官はすべての役目を終了し、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて姿を消すことにしたのである。
山本長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮するP-38米攻撃機28機が午前7時33分、正確に山本長官機と出合った。ミッチェル隊はP-38の航続距離からしてわずか10分間という許容時間で攻撃を開始、山本長官機を撃墜したのであった。
右エンジンに弾丸を受けた長官機は火災を発し、黒煙を吐きながらジャングルの中に落下していった。2番機はモイラ岬沖の海上に不時着、宇垣参課長ら3名は助かったが、長官機は翌19日午後2時頃陸軍の捜索隊によって発見された。

アメリカ軍は誤って山本五十六が乗っている機体を撃ち落としたのである。
なぜなら、もう一機の宇垣の乗っている機体は無事に不時着している。始めから山本五十六を狙っていたのなら、二機のどちらに山本五十六が乗っているのかわからないのだから、アメリカ軍は二機とも撃ち落としたはずである。


アメリカ軍が楽に勝つようにしてくれた大恩人の山本五十六を、
アメリカ軍は間違えて撃ち落としたのである。

または、山本五十六の乗っている機体であることを知っていて撃ち落としたなら、山本五十六はルーズベルトに騙されたことになる。

Yamamoto Shot Down (footage from both sides)
https://www.youtube.com/watch?v=39-yZ_2aao0

以上が私の結論である。


山本五十六>スパイぶりのすごさ
https://www.youtube.com/watch?v=qzxG3is5ci8


★David Icke 2015 | The Truth About 911
https://www.youtube.com/watch?v=ZlSn4djZ9u8




アメリカは日本と戦争をする前から日本が負けた後の日本の占領計画などの構想を持っていた。

まず、陸軍を徹底的に悪玉にする。


★【高橋史朗】あらためて『GHQ洗脳政策』を考える
https://www.youtube.com/watch?v=js4nFGkuwcE&nohtml5=False

天皇は陸軍と深く係わっていたが占領計画をスムーズに行なうために善玉として残しておく。

政治家は日本が負けることに協力した連中に切り替える。

メディアや学校教育は赤色で染まらせる。

★「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ZIEeUCF5_LU

朝日新聞が良い例である。戦前、陸軍応援新聞だったが、戦後、180度向きが変わる。しかし、過去の証拠は消せなかった。新聞社だから。(NHKも同じ。)


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


★「事後法により裁かれた東京裁判」「東京裁判松井石根大将判決から導き出される結論『日本軍による南京大虐殺はなかった』」
https://www.youtube.com/watch?v=OW8cq6jV7i8



すべてが陸軍悪玉論に徹底した。だから山本五十六の批判はしない。

すべてが戦争前からアメリカによって仕組まれていた。
ただ初戦において、日本の陸軍が予想以上に強くて、あっという間に東南アジアを占領してしまったことである。
これも戦後の学校教育において、陸軍悪玉論を徹底的に教えることによって成功した。


★「ひと目でわかる『アジア解放』時代の日本精神」
https://www.youtube.com/watch?v=f9ApqXzMj5k



★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



★台本「真相箱」真相はかうだ-NHK洗脳ラジオ放送
https://www.youtube.com/watch?v=ToUz8pxhSC8



★渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M



★祖先の目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI





山本五十六の大罪


WILL  2008年8月号  「天地無用」


推 進
  大東亜戦争が国民を悲惨な窮状に陥しいれた根本の真実が、今ようやく中川八洋(『山本五十六の大罪』)によって曝露されている。良識派として偶像化されている米内光政が、実際に採った行動は以下の如くであった。
  昭和12年、廬溝橋事件を引き起こした運命の一発が、毛沢東の軍隊による仕業であった事実は周知であろう。しかしこの悪辣な罠を警戒した日本陸軍では1カ月後もなお不拡大派が主流であった。しかるに8月10日の閣議で、海軍大臣米内光政は上海への出兵を強引に要請する。8月12日、米内は首相近衛文麿の支援を得て二個師団出動を決めさせた。
  それのみならず8月14日の閣議で米内大臣が「南京占領」を唱えている。このとき外務大臣も陸軍大臣も反対した。すなわち南京占領に至る上海戦を推進した筆頭が米内光政である。興奮した米内は総理でもないのに8月15日午後7時半、「頑迷不戻(ふれい)な支那軍を膺懲(ようちょう=こらしめること)する」と、支那(チャイナ)への宣戦布告とも見倣し得るラジオ演説までした。のち無駄な戦死者を増やすのみであった「特攻」作戦を裁下した高官5名の1人が米内光政であった事は否定できない事実である。

怯 懦

  中川八洋の調査によれば、山本五十六の行動は奇怪きわまる。

彼が発案した真珠湾奇襲作戦は海軍部内の承認を得た検討の結果ではなく、及川古志郎海軍大臣に送った書簡一通によってのみ伝えられたにすぎない。事実、山本が奇襲部隊の出撃を敢行したのは、ハル・ノートが日本側に手渡されるより以前であった。この奇襲が何等の戦闘的実効をもたらさず、遂に米国の戦意を高めるのみに終わったのは申すまでもない。

そして日本の敗北を決定的にしたミッドウェー島攻略作戦の時機に山本は何処に居たか。真珠湾の時と全く同じ、聯合艦隊の司令部を瀬戸内海に置き、戦艦「長門」「大和」「武蔵」と居を移しつつ、賭博好きの本性を顕してカードに耽り、将棋をさして優雅な生活を送っていた。

ミッドウェー海戦の大敗北のあと、その責任をとるどころか、日本国内に対して敗北を隠蔽するのに腐心する。空母4隻から生還した第一級のパイロットたちをバラバラにして次々と遠方の前線に配属し、生証人が残らないように死線の境に送り込んで敗戦を帳消しにした。


欺 瞞

昭和19年、台湾沖航空戦の報道では、大本営海軍部の発表を丸呑みする各新聞によって次の如き戦果が謳いあげられた。
すなわち、撃沈は空母11隻/戦艦2隻/巡洋艦3隻、撃破は空母8隻/戦艦2隻/巡洋艦4隻、記録的な大勝利である。しかし中川八洋の解明するところ実際は、米国の空母も戦艦も、1隻たりとも撃沈していない。米国側で被弾大破したのは巡洋艦2隻のみであった。これが日本海軍の戦闘機300機以上と、同数のパイロットを失った末の代償であった。大本営の嘘もすでに極限に達していたのである。海軍は昭和天皇と国民を終始欺き通した。

陸軍は海軍が公言したこの虚偽戦果に基づいてレイテ島作戦を立てた。その結果は8万人部隊の97%以上の戦死者を出した史上空前の全滅である。これらの悲劇を生んだ嘘の捏造はすべて大本営海軍部の画策であった。

戦後、旧海軍の連中が記述した内容が虚偽とねつ造に満ちている実態を中川八洋はごっそり調べた結果を要約し、それらがことごとく嘘と脆弁によって構成されている内幕が実証された。これら綿密な証明に接すれば、誰でもが寒疣(さむいぼ)の立つ思いを味わうであろう。


● ミニ解説 ●

山本五十六はフリーメーソンであり、日本を敗戦に導くために大きな役割を果たした人物です。そのため、真珠湾攻撃の発案者でありながら、東京裁判では全くその罪を問われることなく、戦後も"名将"であったかのような報道や出版がなされています。世界を支配する闇の権力に高く評価された"功労者"だからです。

山本五十六は戦地で敵戦闘機に攻撃されて死んだことになっておりますが、これが偽装死であることは『山本五十六の最期』(蜷川親正・著/光人社NF文庫)を読むとよくわかります。海軍の中枢のほとんどが世界支配層によってコントロールされていたということです。

その結果、戦後東条英機を初めとする陸軍は徹底的に戦争犯罪人として断罪されていますが、海軍にはそのような批判は寄せられていません。しかしながら、アメリカとの戦争の火ぶたを切ったのは真珠湾攻撃なのです。

山本五十六は、アメリカが国内世論を第二次世界大戦への参戦に導くための口実をつくった立役者なのです。その真珠湾攻撃で、山本五十六が「自ら指揮を執るから」と言っておきながら、実際は瀬戸内海に浮かぶ戦艦の中で悠々と過ごしていたことがわかっています。

以下は、その事実を明らかにした中川八洋氏の『山本五十六の大罪』(弓立社)の中の一文です。


■怯懦に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六


山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の2文字を絵に猫いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

1905年5月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、1805年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の if としても考え付くものはいまい。

しかも、パール・ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。


■山本五十六は死刑――海軍刑法第四四条


1942年6月のミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、"最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーパー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。


第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗しているのにもかかわらず、空母四隻の前方にいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母4隻よりはるか後方540㎞に「逃亡=職場放棄」していた事実。


第二の理由は、4隻の空母の、3隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。
 この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

第四四条 指揮官はその艦船軍隊を率い 故なく守所もしくは配置に就かず またその場所を離れたるときは左の区別に従いて処断す
 1、敵前なるときは死刑に処す
 (以下略)
                 ―― 『山本五十六の大罪』(中川八洋・著/弓立社)

 この内容に関心をもたれた方は、当サイトの『山本五十六は生きていた』にもぜひお目通しください。日本をアメリカとの戦争に巻き込んで多くの同胞を戦火の犠牲にする手引きをしたこの人物は、いまはおそらく無間地獄で良心の呵責に苦しめられていることと思いますが、事実は事実として語り継ぐことが本人への供養にもなると思います。
                                     (なわ・ふみひと)





山本五十六がフリーメーソンのメンバーであったかどうかは知りませんが、海軍軍人として山本の先輩である米内光政が、実はフリーメーソンのメンバーであったという話は昔からけっこう聞きますね。


たとえば昭和12年に発生した日中戦争で、日本軍が中国の首都南京を占領した後、中国駐在ドイツ大使トラウトマンの仲介による日中間の和平交渉(トラウトマン和平工作)が行われた時に、当時の陸軍が和平案の内容についてほぼ同意していたにもかかわらず、当時海軍大臣だった米内がこれに猛反対して和平案を葬り去り、そのことが結果的に日中戦争の泥沼化と太平洋戦争を招くきっかけとなりましたが、これはフリーメーソンのメンバーであった米内が、「日本を巻き込んで世界戦争を起こす」という、当時のフリーメーソンの方針にしたがって行動した結果であるという説が一部にあります。


また、終戦後に米内がアメリカのGHQ(占領軍総司令部)から異常に厚遇され、本来なら戦犯に指名されてもおかしくはなかったにもかかわらず、逆にGHQから幣原内閣の海軍大臣にぜひなってほしいとまで懇願されたのは、戦争中にメーソンの指示を忠実に実行して日本を戦争に導いた米内の功績に報い、なおかつメーソンが計画する日本の占領行政を円滑に進めるために、当時の連合軍最高司令官でメーソンの一員でもあったマッカーサー(マッカーサーがメーソン会員であったことはおおやけにされています)元帥が米内を特別扱いしたためだという説があります。


また、日本が無条件降伏したその日に敗戦の責任を取って自決した阿南惟畿(あなみこれちか)陸軍大臣が、自決する時に介錯する部下に向かって「米内を斬れ」と叫んだ話は有名ですが、これも実は、阿南が米内の正体(つまりフリーメーソンのメンバー)を知っていたからであるとする説も存在します。ただしこれについては、当時陸軍大臣として本土決戦を強硬に主張していた阿南が、早期講和を主張して阿南と激しく対立していた海軍大臣の米内に対する憤激の思いから発せられたものであったとする説が有力ですが・・・


これらの説はいずれも状況証拠からのみ唱えられているものであり、それを裏づける確たる物的証拠が存在するわけではありません。また、日本軍人のフリーメーソン会員説については、海軍だけでなく陸軍の軍人にも以前から存在(例えば澄田來四郎陸軍中将=終戦時に中国駐留日本軍司令官。長男は第25代日銀総裁の澄田智)しています。





山本五十六が日本を敗戦に導いた
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki004.html


『山本五十六は生きていた』は私にとって「目から鱗が落ちる」思いのする本でした。私の読書法は、特に参考になると思う部分があると、そのページの耳(上の角の部分)を折り曲げておくのですが、この本は約370ページもある中で2~3ページしか曲げていないのです。ということは、10年前に読んだときは、やはり感じるところが少なかったものと思われます。私の問題意識がそこまで及んでいなかったということでしょう。
  しかし、最近になって改めて目を通して見ますと、私が先の戦争(太平洋戦争)に関して疑問に思っていたことの答えがすべて書かれていました。
  その疑問とは、まず「日本はなぜ勝ち目のないアメリカとの戦争に踏み込んでいったのだろうか」ということです。もちろん、それは「陰の世界支配層」に操られたルーズベルトの陰謀により、ABCD包囲網などで嫌がらせをされ、最後通牒としてのハル・ノートを突きつけられて、戦争に踏み切るしかないところまで追い詰められたからだ、という程度の知識は持っていました。
  当時アメリカ国民は、ヨーロッパでの戦争にアメリカが参戦することには強く反対していたのです。ですから、ヨーロッパにおいてヒトラーのドイツと戦っているイギリスを支援をするには、ドイツと同盟を結んでいる日本を挑発して、先に攻撃をさせる必要があったのです。そのために仕組まれたのが、日本海軍による真珠湾への先制攻撃でした。しかも宣戦布告なしの攻撃ということで、アメリカ国民の心に怒りの炎を燃え立たせる必要があったのです。
  日本の宣戦布告が遅れたのは、駐米日本大使館員の不手際だったということになっています。大使館員がへまをしたために、アメリカ政府に届けるのが遅れてしまったというのです。そのことも、私には疑問に思えてなりませんでした。相手の国に宣戦布告をするような重要な文書が、翻訳に手間取って時間までに届けられなかったというようなことが考えられるでしょうか。まるで子供だましの世界です。その証拠に、そんな不手際をしたとされる大使館員たちは、その責任を問われることもなく、戦後は全員が栄進しているのです。

  さらに不思議だったのは、日米の戦局を大きく左右することになったミッドウェー海戦です。どう考えても意味が理解できないおかしな作戦になぜ踏み切ったのでしょうか。この作戦は山本五十六が徹底的にこだわったと言われています。反対の意見が多かったにもかかわらず、この作戦が採用されなければ自分は司令長官を辞任する、とまで言って強引に通しているのです。

  そして、もうひとつ疑問に思ったことは、日米の戦力が全くの互角だったあの海戦では日本が勝利する可能性もあったはずなのに、アメリカがあたかも勝利を確信しているかのように落ち着いて日本の艦隊を待ち受けていたのはなぜなのかという点です。もし、あの戦いで日本が勝利を収め、アメリカの主だった空母が沈められることになれば、戦争は圧倒的に日本が有利になっていたからです。
  この本によれば、その答えは、日本の艦隊を指揮していた山本五十六や南雲忠一はフリーメーソンだったから、アメリカは安心していたのだというのです。必ず日本が負けるような作戦をとってくれるとわかっていたのだとか。これで全ての謎が解けました。つまり、山本五十六は最初から負けるためにミッドウエー海戦を仕組んだのでした。もともとあの戦争は日本を負けさせるためだったのです。そのことが具体的な情報に基づいて、大変な説得力をもって書かれています。
  要するに、日本の政界や軍部の中枢にはフリーメーソンの信奉者が数多くいて、日本を敗戦国にすることを目的として戦争に突入していったということなのです。これでは、純粋に日本の国益を守るために命を捧げた多くの兵士の魂は浮かばれない気がします。
  そう言えば、戦後、東京裁判で戦争責任が問われたのは陸軍ばかりで、真珠湾攻撃を計画した山本五十六や、その指揮を執った南雲忠一らは全く罪に問われていないどころか、その後まるで英雄扱いをされているのです。この落差は異様だと思いませんか?

                       ☆ ★ ☆
  そしていま、日本の政治・経済を取り巻く情勢はあの時と同じような局面を迎えつつあるのです。「知らぬは国民ばかり」という事態が密かに進行しつつあります。2005年夏の総選挙で小泉自民党が圧勝したことによって実施されることになった「郵政民営化」も、そのひとつと見てよいでしょう。
  しかし、郵貯や簡保の350兆円が外資の餌食になるということだけが問題なのではありません。日本の国そのものが抹消されようとしているのです。世界を陰で支配する勢力に屈し、操られているわが国の政治家や官僚、マスコミ、財界人などによって、いまこの国はその方向に誘導されつつあるのです。



山本五十六は生きていた
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku01.html


骨の髄まで親米派のフリーメーソン       [TOP]

  山本五十六は明治17年4月4日、新潟県長岡の玉蔵院町に六男として生まれた。父・高野貞吉はすでに56歳に達していたので「五十六」と命名されたという。山本姓を名のるのは少佐時代の33歳のときに山本家の養子となってからである。
  (中略)
  大正2年12月には巡洋艦「新高」の砲術長となるが、砲術学校時代には海兵29期で五十六より2期上の米内光政と交誼を深めた。米内も教官として赴任しており、五十六とは同じ部屋に起居している。二人はことごとく波長が合ったと言われるが、のちに米内海軍大臣、山本次官のコンビで、陸軍がすすめる三国同盟に真っ向から反対することになる。
  大正5年海軍大学を卒業、第二艦隊参謀となるが病気で休職、続いて同6年、海軍省軍務局第二課を経て大正8年5月20日、米国駐在となって横浜を出港した。アメリカではボストンのハーバード大学に籍を置き英語力を身につけた。
  大正末から昭和の初めにかけては再び渡米し、日本大使館付武官として2回目の米国在勤をしている。米国在留中に五十六は中佐に昇進、アメリカの産業やヤンキー精神に強く瞠目するが、五十六がフリーメーソンに入信したのもこの頃と思われる。五十六は在任中にアメリカで石油および航空軍備について強い影響を受けた。
  大正7年に五十六は帰国、10年から12年半ばまで海軍大学の教官に任じた。その後9カ月の欧州視察旅行を終え、大正13年3月帰国。そして1年3カ月後、五十六は三たび渡米。アメリカの日本大使館付武官となった。戦前の海軍でこれほどアメリカと縁の深い軍人は他にいないのではないか。
  山本五十六が骨の髄まで親米派となる過程は、このようにして造られたのである。


真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。
  不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。
  被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。
  こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であったことがわかる。山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」により英雄視されているが、その結果残ったものは「日本の卑怯な騙し討ち」という非難と、アメリカの対日積極参戦の意識高揚、そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。この時死んだアメリカ兵2403名は今でもアメリカ人にとって対日憎悪の原因となっている。



http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku04.html

こうして昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して山本長官は午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸した。宇垣参謀長らを乗せた二番機もほぼ同時に離陸したが、これを護衛するのは第204航空隊の零戦わずか6機だけであった。
  この日、山本長官はなぜか正式な連合艦隊司令長官の軍服ではなく、生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。
  山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。
  ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官のひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。



太平洋戦争と戦後を作ったフリーメイソンの走狗たち


ワシントンはフリーメイソンであった。

下記のページの2枚目の写真を見てほしい。

http://www.lewrockwell.com/spl2/pyramid-and-all-seeing-eye.html

THE BROTHERHOOD OF MAN(人間の兄弟愛)と書かれてある。

辞書を見ると、BROTHERHOODとは「友愛」とも訳すことができる。

鳩山が友愛をスローガンに掲げたのはフリーメイソンに由来するのは有名な話だ。

だが、彼の実の父親であると言われている笹川良一のスローガンであった「世界は一家、人類は皆兄弟」もフリーメイソンに由来するのではないか。

笹川がフリーメイソンであるならば、笹川-児玉誉士夫ラインから、児玉もその一味であると分かる。

笹川と山本五十六はつながっていた。


(笹川は)戦前は航空機等の最新の軍需技術を研究する柔軟さを武器に「海軍」(山本五十六)に取り入り、「濡れ事」(諜報用語で汚い仕事のことです)を引き受けることで出世しました。
そして大陸で汚い仕事をやって蓄財し、戦後のドサクサに紛れて軍需物資を略奪したという疑いがあります。
http://sun.ap.teacup.com/souun/1741.html


山本は、カトリック信者であった。


山本五十六氏は、カトリック信者で、昭和15年にローマ法王に謁見しています。
http://sun.ap.teacup.com/souun/1741.html


カトリックの中枢は、イエズス会である。

イエズス会はイルミナティ。

となると、

イルミナティ=フリーメイソン=山本五十六=笹川良一=児玉誉士夫

とつながってくる。

なお、児玉は、満州において麻薬の密売をやっている。


日本が中国に侵略し建国した満州帝国で麻薬密売を担当し、日本の戦争資金を作っていたのが里見であった。…

里見の部下が児玉誉士夫である。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-35.html


この満州建国と運営を、国際連盟は侵略と断定するのだが、その侵略の後押しをしたのは、実は米国であった。


米国政府に武器を売り付け「金儲け」するブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売し利益を上げていた。

敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-35.html


児玉は、戦後CIAに協力するようになる。


「1948年末、釈放された児玉はCIAに協力するようになった」と後にアメリカでも報道された。
(Wikipedia-児玉誉士夫)


自民党の設立資金は、児玉機関が中国で略奪した物資に基づいていた。

これで筋書きが見えてくる。

つまり、

山本、笹川、児玉は、フリーメイソンの国、米国と協力して、日本の侵略を既成事実化させ、戦争に導き、負け戦をさせ、乗っ取りを図り、成功した後に、侵略の金で自民党を作り、米国の傀儡国家と化した新生日本の筋道を作った。

太平洋戦争も、戦後政治も茶番であり、最初から筋書きが決まっていたのでしょう。

世界統一政府に向かって彼らの計画は着々と進んできた。


 

連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪』 中川八洋:著

第二節 怯儒に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六

山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

一九〇五年五月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、一八〇五年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の旺としても考え付くものはいまい。。

しかも、バール.ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。

山本五十六は死刑 海軍刑法第四四条

一九四二年六月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、〃最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーバー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。

第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗、、しているのにもかかわらず、空母四隻の前方二㎞にいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母四隻よりはるか後方五四〇㎞に「逃亡=職場放棄」していた事実。

第二の理由は、四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

「第四四條指揮官その艦船軍隊を率ゐ 故なく守所もしくは配置の場所に就かずまたはその場所を離れたるときは左の区別に従て処断す
一、敵前なるときは死刑に処す
二、略
三、略」
「第三八条指揮官その尽くすべきところを尽くさずして敵に降りまたはその艦船もしくは守所を敵に委ねしたるときは死刑に処す」

空母一隻につき、海戦の場合、必ず、戦艦二隻を空母護衛のため、その前方と後方に張りつけなければならない。両脇は、巡洋艦と駆逐艦とが囲んでいなくてはならない。空母とは、最強の〃長槍の戦士"だが、鎧を着ていない。だから、鎧を着た重厚な戦士たちが、その前後左右にいて、"長槍の戦士"を護る「鎧代行」をする。また、当時の空母は、受信能力が低く、戦艦による「受信代行」も不可欠であった。

空母は、団子のように固めてはならず、原則一隻ずつで陣形を組む(図1)。バラバラが基本である。仮に複数空母をまとめるとしても、敵の航空攻撃の射程圏内に入るときは、決して二空母以上はしてならず、この場合、二空母を進行方向に縦列にする。ところが、ハワイに出撃した南雲の六空母陣形は、平時の観艦式のつもりなのか、あってはならない最も危険な陣形であった(図2)。たまたま、敵の空母部隊の攻撃がなかったのが幸運であった。

ミッドウェー海戦における南雲の四空母の機動部隊もまた、この艦観式ダイプの二列の団子形であり、戦場の現実がわからない、素人の陣形である。空母機動部隊の戦闘陣形も知らない山本五十六の、その"空母主義"など、現実から遊離した観念のレベルであった。山本にとって空母は、"豚に真珠"であった。空母を十全に働かせるには、戦艦「大和」こそ、これら空母の先頭にいて防空と通信の二大任務を果たしていなくてはならない。

実際にもミッドウェー海戦で、山本五十六が率いる直率の部隊には戦艦が三隻もあった。空母四隻のはるか後方でブラプラしていた役割不明の「警戒部隊(高須四郎中将の指揮)」には戦艦が四隻もあった。これだけでも七隻である。南雲・機動部隊(空母四隻、戦艦二隻)にこれを加えれば、戦艦はすべてで九隻も現場にいたのである。空母四隻を守る戦艦は、ちゃんと出撃していた。

閑話休題。女と博突の生涯であった山本五十六の正体は、頭が極度に劣化した無能人間で、高いIQを必要とする大海軍の指揮官の適性がなかった。それを示すエピソードを挙げておこう。う米内光政/山本五十六/井上成美/大西瀧治郎/豊田貞次郎の五人が、揃いも揃って、常軌を逸した"バカ・アホ・間抜け"であることを示した「水ガソリン事件」である。米内や山本らは、H20(水)にはC(炭素)が含まれていると信じた。彼らは、小学校四年生の水準すらなく、その頭は異常であった。

一九三八年、海軍次官の山本五十六(中将)と航空本部教育課長だった大西瀧治郎く大佐)は、「水からガソリンが採れる」と.いう、マジシャンの詐偽話を信じた。そして、山本五十六が海軍次官として命令を出し、海軍航空本部の地下室でこの詐欺師に三日問に及ぶ公式実験をさせた。このとき、これに協力した航空本部長は、一九四一年七月、外務大臣になれたうれしさで、近衛文麿首相を支持して「南進」を決定する、あの豊田貞次郎(海軍中将)であった。

かくも痴呆的な頭に奇行常習と遊び優先、これが山本五十六の真像であった。この実験中、山本五十六は、大福餅などを差し入れしていたという。海軍大臣であった米内光政も、たぶんに、この「水ガソリン」を信じたのだろう、最初、大臣室での実験を勧めたと言う。

なお、このとき、「馬鹿げている」と直言して、この実験に反対する部下に対して、井上成美が、「上司に逆らうな」と叱責している(以上は、注1)。井上成美もまた、自由な討議をいっさい禁止した、息が詰まる帝国海軍の末期症状に加担していた一人だった。

もう一つの事例は、ミッドウェー海戦にも通ずるもので、米内/山本/大西ら、当時の海軍の出世街道を走る連中は、「兵器におげる、攻撃と防御の不可分性」が理解できない、度外れの欠陥軍人だった問題である。米内光政の渡洋爆撃や大西瀧治郎の重慶爆撃の時、いずれにも、護衛(掩護)戦闘機がなく、れらの爆撃機の被害は基大であった。ミッドウェー海戦で、空母四隻のそれぞれに二隻づつ、計八隻の護衛戦艦をつけなかった山本とは、このような爆撃機に戦闘機をつけない米内らと同じ、「防御不要(鎧不要)」という、非軍人的発想をしていたからである。

ちなみに、一九三七年八月十五日の、米内が主導した渡洋爆撃も同じだった。長崎県大村から出撃した、海軍の新しい爆撃機「九六式陸上攻撃機(中攻)」二十機は、掩護戦闘機なしであった。だから、東シナ海を渡洋して南京を爆撃したが、四機が撃墜され、六機が被弾した。その戦果はゴミのレベルだった。さらに翌日、このうち九機が済州鳥から蘇州を再爆撃したが、一機が不時着して大破し、結局、二日で半減した(注2)。

.戦場の現実をまったく想定できず、「鎧なしで戦え」と、鎧を着けさせずに平気に部下を戦場に出撃させる〃狂気の提督"、それが米内/山本/大西らであった。彼らは、敵はいつも反撃能力がゼロだと考えていたのである。大西瀧治郎の〃掩護戦闘機無用論"の無謀さについては、生出寿の『特攻長官大西瀧治郎』が簡便でわかり易い(注3)。

戦後、「大艦巨砲主義」が悪玉に仕立て上げられたため、山本五十六や大西瀧治郎の「航空主兵主義」が何か時代の先駆け的な、優れた軍備への切り替えをしたように誤解されている。だが、山本五十六は、一度も操縦樟を触ったこともない、航空のズブの素人だった。山本の「航空主兵」は、正しくは〃戦闘機不要論"と一緒になった、"爆撃機万能論"のことで、歪なものだった。だから、制空権は取れず、敵への損害がほとんどない、負け戦しかなりえなかった。

B29のように、敵の戦闘機が迎撃できない高度一万メートルを飛行して爆撃するならいざ知らず、敵が死に物狂いで制空権を失うまいとしている低高度の空域においては、掩護戦闘機のない爆撃機など、無暗に撃墜されるばかりである。だが山本は、九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機があれば、勝ちまくれるという、マニア程度の発想から成長することはなかった。大西もまた、山本とそっくり同じ考えだった。

戦闘機の量的不足と軽視が、味方爆撃機の極度な損耗となった。一式陸攻の生産総数は二四一六機、終戦時残存は一六二機であった事実は、掩護の欠如ぶりのひどさを物語っている。"爆撃機万能論"は、「大艦巨砲主義」より、はるかに始末に悪く、帝国海軍自減の主因の一つであった。

二 命惜しさの無線封じー世界の戦史上類を見ない"超臆病軍人。山本五十六

ミッドウェー海戦の敗因は、山本五十六を庇うために奥宮正武らが考案した、弁解用の創り話「魔の五分問」(注4)などでは、もちろんない。最大の主因は、軍人にあるまじきレベルの、"山本五十六の怯儒。(臆病)にある。第二の原因は、偵察機の情報をインテリジェンスして、敵空母の位置を正確に推算する能力に欠けていたからである。第三の原因は、空母の運用が稚拙で実戦から乖離した素人のそれでありすぎたことだろう。

"山本五十六の怯儒"とは、山本が自分の命を惜しんで、戦艦「大和」の通信傍受隊が敵空母の位置を一日以上も前にキャッチしているのに、それを南雲提督が率いる空母機動部隊に知らせなかった事件である。"無線封止"を解けば、自分が乗艦している「大和」の位置を敵に知られて攻撃される可能性があると、山本は、自分の命大事と戦々恐々として、それを避けたのである。

佐々木彰・航空参謀は、次のように、回想している。これは他の証言と合わせると、おおむね正確のようだ。山本五十六こそが、知らせなくて良いと最終決定したのである。

「四日夜〈大和〉にあった敵信(敵通信傍受)班は、ミッドウェーの北方海面に敵空母らしい呼び出し符号を傍受した報告してきた。(すぐに南雲司令官のいる空母〈赤城〉に知らせるべきかどうかについては、最終的に)この電報は(山本)長官に申し上げて(打電しなくてよいと指示されたので)打電しないこととした」(注5、カツコ内中川)。

次に、山本五十六は、味方空母を敵の艦爆隊攻撃から護衛する(自分が座乗する)戦艦「大和」などの戦艦部隊を南雲空母機動部隊の前方に展開しなかった。東郷平八郎が敵艦隊の前面にでて艦橋に自ら立ったのとはまるで異なっていた。山本は、自分の命を惜しんだ。しかも、空母機動部隊より、はるか後方、なんと約五四〇㎞も離れた、絶対安全圏に「大和」を位置させ、その司令長官室で将棋を指していた。

何のために、山本五十六は、ミッドウェー海戦に出撃したのか。その必要はまったくなかった。むしろ、山本五十六という疫病神が出かけて、指揮を混乱させたから、四隻の空母喪失という大敗北になったと、戦闘記録は無言で行間に語っている。

山本の臆病は、ガダルカナル島作戦における、米海軍の提督たちと比較するともっとはっきりする。山本は、将兵激励のため、ガ島に一度も足を運んでいない。一方、米国側は、ニミッツ提督が一九四二年十月に、ハルゼー提督が同十一月に、ノックス海軍長官すら一九四三年一月に、現地部隊の将兵の激励に訪れている。そもそも、山本の人格には、"死闘の激戦"が繰り広げられている「戦場の将兵激励」という発想がない(注6)。

臆病の問題以上に、もっとトンデモない、もっと本質的な問題が山本にはある。ガ島での、日本の陸軍部隊の損害は死者二万人を越え、この二万人のうち餓死が一万五千人以上だったが、これらの陸軍の将兵の死を聞いた山本が、手を合わせたとか、涙ぐんだとかの、そのような記録も回想も皆無である。山本は唯物論的な無神論者だったという指摘は多いし、これは事実であった。三千名を越えるミッドウェー海戦の部下の死に対しても、山本は葬儀はおろか弔意も表していない。

山本にとって、戦死であれ、餓死であれ、大量死亡こそは、嬉々として楽しむ〃快楽"であったろう。自分の手を血で汚さない〃快楽殺人鬼"、これこそが山本五十六という人間の真像であろう。

ミッドウェー海戦における山本の問題はもう一つある。四隻の空母を撃沈されたとき、戦闘はまだ終了したわけではなかった。日本側には、アリューシャン列島に展開している小型空母が二隻あり(搭載航空機二七機の「隼鷹」、三十六機の「龍蟻」)、これをミッドウェー海域に呼び戻し、まだミッドウェー海域にある改装空母二隻(計三十九機)と戦艦十一隻をこの護衛につけて再編成し、「大和」を旗艦として山本五十六が指揮すれば、米海軍に最後に残る手負いの空母二隻(エンタープライズ、ホーネット)を撃沈することなど容易だった。

なぜ山本五十六は、「退却」の名目で、慌てふためき「敵前逃亡」したのか。それは「職務放棄」ではないか。山本は、恐怖に震えていた上に、指揮する自信がなかった。空母機動部隊の発案はしたが、実戦のできない〃口舌の徒"にすぎない自分の真像がばれるのが怖かった。

山本は、その後しばらくして、戦艦「大和」をっれて、トラック島に逃げ込んだ。ミッドウェー海戦大敗北のほとぼりが冷めるのを待つことにしたのである。山本の頭と行動には、「自己保身」以外、何もなかった。



★山本五十六・敗北の謎

http://kabukachan.exblog.jp/19100570/

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http://kabukachan.exblog.jp/19106978/

http://kabukachan.exblog.jp/19106989/


フリーメーソンが日本を敗北させた
http://kabukachan.exblog.jp/18152497/


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by kabu_kachan | 2016-06-17 22:12 | 歴史 | Comments(4)
Commented at 2016-06-20 20:04 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kabu_kachan at 2016-06-21 02:37
なぜ日本はアメリカと戦争したのだと思いますか?
Commented at 2016-06-21 13:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kabu_kachan at 2016-06-21 21:24
そうですよね。ただ日本はアメリカとは真面に戦うつもりはなかった。狙いはインドネシアの石油。石油がないと軍艦も空母もゼロ戦もただの鉄の塊。故障した車と同じ。
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