2018年 02月 13日 ( 1 )

「白人」とは何か?

「白人とは何か?」

日本人(サル)が考え続けなければならない
永遠のテーマなんだぜ。
ただし、日本人と言う民族が消滅するか白人がなくなれば別だがね。

日本人諸君、せっせ、せっせとカネ儲けだけしても、頭の中がサルのままだと、死後天国には行けないんだぜ。
なぜなら、サルの頭のままで天国に行けるなら、猿はみんな天国に行けることになるだろ。(笑)

★日本人は猿である
http://kabukachan.exblog.jp/24109195/



ここで一句。
バカ猿は カネだけ儲けて サルで死ぬ
カネあれば サルで満足 日本人
ニッポンの サルが集まる 芸能界
白人は カネを儲けて 支配する



面白い記事を見つけたので紹介します。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.htmlより。


1. 白人は何故あんなに美しくなったのか

白人が美しいというのは厳然たる事実

なにしろ白人は遊牧・牧畜民で遺伝子操作のプロですから.

劣った遺伝子はすべて淘汰する. これが白人の考え方.


白人が他民族を征服した場合はいい女だけ残して他は女と男は全員殺す.

魔女狩りでもいい女だけ残してブスは全員殺した.


これを1万年の間 毎日毎日繰り返して やっと今の美しい金髪碧眼の白人ができたんですね.


一方、農耕民のアジア人やアフリカ人には遺伝子操作ができないから不細工な人間も淘汰されないで生き延び、サル人間の姿から変わらなかった.


我こそが真の神なるぞ!


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白人はなぜ白人か

「白人」は白人の自称である。これに対して、黒人、黄色人種等は、白人による他称である。

では、白人はなぜ白人か。 まず第一に、遺伝によってである。

彼らは日本の一般人以上に、はっきりと血統を重んずる。

さらに、伝統的に、日本人よりはるかに「容貌」にこだわってきた。

血統と婚姻関係と容貌とが、ずっと昔から、大のおとなの男子によっても強く意識されてきたのである。

そのような意識の下で、彼らは交配を繰り返し、半ば人為的に現在の「白人」を作り上げてきたのである。

さらに、その自らの人為について、誇りすら持っている。

これは白人に直接に接してみればわかることだが、彼らは容貌について実に細かいところを気にしている。

日本人のように、鼻が高いか、目が二重であるか、顔が小さいかというような大雑把なものではない。

彼らは、高級飼猫や競走馬の毛並みを気にするような目で、人間の容姿をも見るのである。

日本人が、金があるのに歯並びなどの容姿を修正しようとしないのを、彼らは奇異に感じている。

日本人が自然であることを評価するのとは全く違った容姿に対する感性を彼らはもつ。


そもそも彼ら自身が(理性による)人工的な製作物なのだ。

彼らの「血統」と「伝統文化」と「容貌」のコングロマリットに関する強烈な意識は、たとえばトーマスマンの「ブッデンブローク家の人びと」のような小説にもその率直な表現を見ることができると思う。

彼らの先祖はイラン高原(またはロシア南部)を出てヨーロッパに広まったといわれる。またインドにも侵入し先住民の文明を滅ぼした。

彼らはヨーロッパにおいては先住民の文化を消滅させ、人口稠密であったインドにおいてはカースト制度を考案し、これを先住民に課して苛烈な支配収奪を行なった。

このようにヨーロッパ白人は、「征服して根絶やしにする」こと、すなわち「ホロコースト」「民族浄化」によって自らを確立した人種なのである。

すなわち白人は、その人種としての成立においてすでに、「ホロコースト」の刻印をもつ。

白人はその遺伝的な貪欲さ、攻撃性、粗暴さ、征服欲の強さ、そして他者を顧慮しないで平気でいられる傍若無人な特性によって、その覇権を拡大したのである。

白人はこのような遺伝的素質によって人種的な版図を拡大した後、彼らのうちの特権層・貴族階級が、自らの眷族の中において、牧畜経営で覚えたとおりの人工的な交配を繰り返すことによってその血統的なアイデンティティおよびある種のブランド価値を確立していくのであるが、白人「市民」革命は、この特権貴族層の血統的アイデンティティ即ち身分的「優越」の意識を、「白色人種」の人種的アイデンティティ即ち人種的「優越」の意識へと移行・拡散させ、これを全白人に平等に共有せしめたのである。


その背景にはいうまでもなく、新大陸の「発見」と植民地支配と奴隷制とがあった。

「世界の拡大」にともなう新しい他者たる「新しい野蛮」の発見と、新植民地および「奴隷」の獲得とが、物質的にのみならずイデオロギー的にも、白人全体のある種の貴族化・特権層化を可能にした。

「野蛮」と「奴隷」との現出が、白人全体の「市民」化を可能にしたのである。(「市民」とは昔から有産者のことであり、城塞で保護された都市・市場の中に「特権的な地位を有する者」のことである。

ただし必ずしも城塞の内側に住む必要はない。都市の原型ともいうべき塀で囲まれた小さな市場は、夜は鍵をかけられて閉鎖され無人になるのが通例である。)

即ち、白人「市民」革命は、イデオロギー的にも、「野蛮の再発見」と植民地支配および人種的奴隷制なくしては成立し得なかった。

「自由な市民」は常に「野蛮」と「奴隷」とを要件とするのである。


彼ら白人には、われわれ日本人が普通に考えるような「人間的な」感情はない。

根が極端にセルフィッシュなので、彼らがまともな社会を築くためには、外から強力な道徳規範を特別に叩き込まれる必要があった。

そうされないと何でもやってしまうDNAだからである。

この外から叩き込まれなければならない道徳規範が、キリスト教であったり、現在の人権思想や環境保護思想だったりするのである。

白人は、われわれにとっては自然な感情のように思われる道徳規範さえ、宗教的権威によってドグマとして与えられなければならなかった。

彼らは「自然な」罪の意識というものを持たない。

キリスト教の教義によって教えられた「罪」しか持たないのである。

日本人にはホンネとタテマエの区別があるといわれる。それは、日本人がしばしばホンネを漏らしてしまうということにすぎない。白人にその区別がないように見えるとすれば、それは彼らが言葉ではタテマエ以外は決して語らず、ホンネの部分は有無を言わさず強力に実行し、永久に隠蔽してしまうからである。


彼らのホロコーストの後には何も残らない。
したがってホロコーストもなかったことになる。

アジアにおいてはさまざまな系統の言語が錯綜していて日本語のような系統不明の言語も散見されるのに対し、ヨーロッパは、後に侵入したモンゴル系の言語やバスク語などごくわずかな例外を除き、ほとんどが「インドヨーロッパ語族」一色である。

このこともまた、ヨーロッパ人種がその始原において「ホロコースト」「民族浄化」を要件として成立したことを意味する。

「ホロコースト」「民族浄化」の衝動は、白色人種の持って生まれた刻印(性格)なのである。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/journal/cat6354425/index.html


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2. 白人はコーカソイドを品種改良して生まれた新人類


コーカソイドの品種改良は何故行われたか


長い間、北ヨーロッパの諸民族は、北方に起源をもつ「純枠種」であるという神話が、定説であるかのように、語りつづけられてきた。
  
しかし、形質人類学、つまり、人類の生物学的研究が進むにつれ、北欧神話はくずれはじめた。

たとえば、アメリカの人類学者、クーン、ガーン、バードセル(以下、クーンを代表とする)の3人の共著による、『人種』という本では、北ヨーロッパ人の中にみられる高身長で鼻の細くとがった骨格は、「紀元前5000年をこえないある時期に、おそらくイランから農耕民・牧畜民としてユーラシアの草原に入ってきた」人々がもたらしたもの、と説明されている。
  
では、その当時、イラン高原にいた人々はどんな肌色をしていたかというと、クーンは、「淡褐色の皮膚、褐色の眼」をしていたと考えている。

そして、イラン高原からインドに侵入した、いわゆるアーリア人についても、従来主張されてきたようなブロンド人種ではなかった、と説明している。

では、淡褐色の肌色、褐色の眼の人々は、どういう時期に北ヨーロッパに移住し、ブロンド型になっていったのであろうか。
  
 「その頃ウラル山脈の氷河の融解によって地表をあらわした地域は曇りがちであった。

彼らは紀元前2000年代に中央および北西ヨーロッパに到達した。
彼らがここに来たのは雲多い時代の終末期であった。

彼らは第一には原住民との混血により、第二には環境的淘汰によって、あるいはこの2つの経過にしたがって、皮膚、毛、眼に関するブロンディズムの遺伝子を獲得したのだろう」(『人種』、p.114)

  
では、「原住民」は、どんな人種的特徴を持っていたのであろうか。
そして、ブロンディズムとは、どのようなものであり、どのような自然環境の中で発生したものであろうか。
  
ブロンディズムは、雲や霧の多い、氷河期の北ヨーロッパ特有の気候の中で発生した。

基本的には「白皮症」である。つまり、色素細胞の機能消滅である。
この現象はどの地方でも発生するが、太陽光線のとぼしい環境の中では、これが、かえって有利な条件となった。


しかもこの環境はほぼ、紀元前の2200年までつづいた。
ホメーロスも、北ヨーロッパについて、霧多き国とうたっていたほどである。
  
   このことからすれば、北ヨーロッパ人の「純粋性」を主張する際には、もっとも色素沈着のすくない住民をあげなくてはならないだろう。事実、クーンは、こう書いている。
  
   「灰色ブロンドの毛はバルト海地方の東方および南方の中部ヨーロッパの、皮膚の青く、灰色の眼をした住民の間ではもっとも普通である」(同前、p.113)
  
   つまり、いわゆる金髪青眼ではなくて、銀髪灰眼の方が、北ヨーロッパの古くからの現住民だった。

バルト海は北ヨーロッパの中心部であり、凍りついた海の上には、ツンドラ草原がひろがっていた。曇りがちな空の下で、狩猟民が紀元前3000年もしくは2000年頃まで、つまり古代エジプト帝国がアフリカ大陸からオリエントに進出していたころまで、氷河期と同じ生活をつづけていた。

現在のバルト海沿岸には、「白眼」とよばれる人々さえいる。
  
   では、この銀髪灰眼の人々は、どんな骨格をしていたのだろうか。
  
   「この種の色素をもつ人々の多くはずんぐりしており、顔は幅ひろく獅子鼻である。

彼らはモンゴロイドが完成した寒地適応の路を部分的にたどってきたのであった」(同前、p.113)
  
   つまり、人類そのものの生物学的な研究によれば、ずんぐりした身体つきの方が、表面積が少なくて、体熱の発散をふせぐ。この方が寒地適応型なのだ。

もちろん、ここでモンゴロイドの典型とされているのは、氷原の狩猟民族、エスキモー人のことである。
  
   結論として北ヨーロッパの原住民は、銀髪灰眼、ずんぐり型であったと考えられる。
  
   高身長、細鼻の骨格形質は、クーンによれば、イラン高原に由来する。
  http://www.jca.apc.org/~altmedka/shoten-afmag-45.html

78 :名無しさん@お腹いっぱい[]:04/09/16 19:51:23 ID:UHhOaVTt

印欧語族の起源は、中央アジアだと思われます。
紀元前数千年前に現在のイラク地方から農耕が伝わりました。
この農耕から牧畜が発生しました。
中央アジアは馬の原産地でもあります。
騎馬の技術を発明したのも印欧語族が最初です。

本来の印欧語族は、現在のイラン人のような容貌をしていたと考えられます。
髪の毛も目の色も黒かったと思われます。

そして、人口の増加と騎馬により、印欧語族は東、西、南へと拡散することになります。

紀元前2千前のことだと思われます。

東に向かった印欧語族はタリム盆地あたりまで進みますが、そのころ黄河文明を起こしつつあったモンゴロイドの漢民族がいたため、それ以上、進むことは出来ませんでした。

南に向かった印欧語族はアフガニスタンからパキスタンに入り(紀元前1700年ごろ)、インダス文明を興していたドラビダ系民族を滅ぼしました。

西に向かった印欧語族は、無人の野を行くが如く、欧州を駆け抜けて行きました。
北ヨーロッパにいた、ブロンデイズムを獲得していたコーカソイドを征服し、彼らと混血していったのです。


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 22:14:49 ID:cN0KVvfg

トルコ系、モンゴル系などの中央ユーラシア遊牧民族は、もともとが、モンゴロイドなのか、そうでないのかわからない。

そもそも草原の道とかいう中央アジアなどは、インド・ヨーロッパ語族のベースとなった、アナトリア(今のトルコのあるところ)とも関係が深い。

でもって、アナトリアよりもちょっと上、黒海、カスピ海となると、カフカスであり、これぞコーカソイドとよばれていたりするわけだが、結局、いま、人種という概念がなくなったのは、こういうアジア系とヨーロッパ系などと分けることが無意味になったからだ。

どうやら、紀元前1000年ごろに、地中海民族(イタリアとか)が大挙して、アジアにやってきたらしいのもわかっている。

紀元前500年ごろまでには、中国各地にこういう人々がいた可能性がある。
いまのところ、彼らの存在が確認されているのは、中国の西域(例のローランの少女ミイラ)や、山東半島だ。

山東半島は、完全にヨーロッパ系ばかりが紀元前500年ごろには、住んでいたことが判明している。

そのほか、考古学的にわかるのは、遊牧民族の文化が違いにあまり区別できないということだ。カフカス系のスキタイの文化は、あきらかに、中国まできているどころか、朝鮮半島南部まで来ている。

もちろん、日本にきた証拠はないものの、朝鮮半島南部、いわゆる任那ともよばれた加羅や新羅までは来ている。

とすれば、これらは、ステップ民族であり、この系統がアジア系とか、ヨーロッパ系(いわゆるコーカソイド)とか区別できるもので はない。
ようするに、2000年前の民族がどういう系統かとか論じるのがそもそも無意味に近い。
http://www.unkar.org/read/academy6.2ch.net/geo/1093685431

80:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/08 08:51 ID:aXAhx3AV(1)

インド人の一部がコーカソイドと言えども、イギリス人の植民地統治は容赦がなかった。

インド人は黒または褐色の有色人種でアフリカのニグロに対する扱いと基本的に同じだった。

気に入らないインド人を射殺するのは白人の自由であり、動物と間違って 撃ったと言えば無罪放免であった。

インド人がインド・ヨーロッパ語族であろうと、アラブ人がコーカソイドであろうとほとんどのヨーロッパ人からみて彼らが「白人」ではないことは明白な事実である。


87:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/09 15:36 ID:q1J7uQci(1)

イタリア人はアメリカ移民当初、白人認定されず、かなりの差別を受けてたみたいだ。
だからアル・カポネのようなアウトローが出てきたとも言える。

イタリア人でもローマから北は白人っぽいが、南は刑事コロンボやイタリア語講座の先生のように、もろ地中海系。

狭義ではアルプス以北というか、地中海に飛び出たイタリアとイベリア半島はヨーロッパでも別格だね。


195:名無しさん@お腹いっぱい。[] /07/27 20:55 ID:9l8nU5QU(1)

インドのガンジーは若き弁護士時代を南アで過ごすが、完全に ニグロ(黒人)扱いを受けた。

いくらコーカソイドでくくって、インド人やアラブ人を欧米系と同じ人種と定義しても、当の欧米系はインド、アラブ系とははるかかなたに分かれたのであって、意識上他人種と考えている。

115 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/21 00:21 ID:cvT+ciN3(1)
白人は自分に近くて似ているけど異なる者が嫌いなんだよ。
アラブ人のことも大嫌い。

317 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 14:17:44 ID:W+akTwxs(3)

戦前に両親の都合でポーランドの奥地に送られたドイツの子供(髪も目も黒)が 金髪碧眼しかいない小さな農村で苛められる話があります。

そのポーランドの田舎は千年このかた、髪の黒い人など見たこともなくこいつは白人ではない、ユダヤ人かアジア人に違いないと言われます。

もちろん少年はふつうのドイツ人で、ユダヤ人やジプシーではないのですが髪が黒いというだけで人間あつかいされない。

外の世界など見たこともない金髪碧眼の村で、テレビもない時代ですからね。
彼らは安物アメリカ映画ふうの、差別はいけないなどという考えもない。

生活も千年前そのままで、女が浮気すると、相手を斧で殴り殺し目をえぐりだす
まさにキリスト教伝来前、ローマ時代のヴァイキングの生活。
二十世紀でこんな村があることが不思議におもえますが、広大なポーランドのこと、
領主は税さえおさめれば農民など一切かまわなかったのでしょう。
古いヴァイキングの血は、不毛の島とか、ポーランド内陸の田舎などに保存されて
のこってる。


320:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 17:02:39 ID:W+akTwxs(3)

北欧ではフィンランド人が古い人種でしょう。
スウェーデン人に次第に北に押しやられて凄い差別を受けてました。
そのスウェーデン人は南方から来たわけで・・・

スウェーデンやノルウェーには内陸に差別を受ける少数民族がいます。
かれらが本当の北欧原住民で、非キリスト教徒として迫害され、ほとんど滅んだ。
http://read2ch.com/r/geo/1036574273/

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3. コーカソイドの品種改良はどの様にして行われたか

コーカソイドとは元々アナトリア~コーカサス~イランあたりに定住していた薄褐色系の人達が本流

ヨーロッパの肌の白い系はその亜種

コーカソイドとは本来バングラデシュ人のように色はかなり濃い。

「自称」白人はコーカソイドの奇形。

なぜヨーロッパの各人種が、人類の進化の速度としては、かくも最近かつ急速に白い肌、青い目、ブロンドの髪を持つようになったのかは、長年の疑問であった。

このような変化が通常の進化の過程(自然淘汰)で起こったのであれば、約85万年の歳月が必要となった筈である。

しかし現代の人類は、アフリカからヨーロッパまでの移住を成し遂げるまでに、僅か3万5000年から4万年の期間しか費やしていない。


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1) 白皙


ヨーロッパ人の皮膚は黒かった「5万年前」


人類の旅は5万年前、東アフリカのサバンナにいた5000人の集団のうち、150人がアフリカを出たことに始まる。

人類の皮膚の色。祖先の皮膚は当初青白かった。

アフリカでは日光が葉酸を破壊し生殖能力を低下させるのを防ぐため、黒い皮膚になった。

2万年前からヨーロッパ人とアジア人は濃淡の皮膚に変化した。日光によく当たればビタミンDの生成効率が向上する。

人類は農耕を開始する前に定住していた。1万年前に氷期が終わり、現在の完新世になり、定住が始まった。

トルコ南東部から地中海東岸あたりで、麦類が栽培化された。

Y染色体の分析によると、新石器時代トルコ中南部から農民がヨーロッパに入り地元の集団と混血していった。

近東からヨーロッパに移住して農耕を伝えた人々は実は少人数で、ヨーロッパの先住民は彼らの農耕技術と言語を取り入れた。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuuutunarutouha/21701503.html

ペンシルバニア州立大学のChengらは、ヒトのSLC24A5という遺伝子の1アミノ酸変異がヨーロッパ人の肌色を薄く(白く)しているらしいと報告した(Science (2005)310, 1882-1786)。

Chengの研究室の大学院生だったNortonは、アリゾナ大学の遺伝学者Hammerの研究室に移ってから、この遺伝子内部および近辺の遺伝子の変異の頻度を調べた。

そして、その変異速度から問題のSLC24A5の変異が1.2万年前~6千年前に生じた、と推定した。

そうすると、1.8-1.4万年前の旧石器時代末期にアルタミラの見事な洞窟壁画を残した人たちは、色の黒い人たちだったということになる。

現生人類の祖先は約4万年前にアフリカを出て、ユーラシア大陸に進出した。

ヨーロッパに進出した一派は、進出後すぐに色白になった、というのが今までの通説であった。

それに比べるとNortonの推定は、エジプトで古代王朝が始まるころにようやくヨーロッパ人の肌色は褐色から白色になったというのだから、その進化の新しさに驚く。

4万年前に色白になったというのは古すぎる、という意見は以前からあった。

ヨーロッパ人は長い間、狩猟主体の生活だったのでその獲物の内臓から充分なビタミンDを摂っていた、だから肌色は黒いままでよかった、というのである。

この場合は、農耕主体の生活になってから、あるいは、衣類が発達して皮膚表面の大部分を覆うようになってから、始めて皮膚の色は白くなった、と考える。
http://www.res.titech.ac.jp/~seibutu/yoshida/blackandwhite.html


2) 碧眼

★青い目の人は全て1万年前の共通の祖先の子孫、デンマーク人研究者

【Technobahn 2008/2/1 19:12】

デンマーク人研究者によるDNA調査によって青い目の人は今から6000~1万年前に突然現れた青い目を持った祖先の子孫であるということが1月31日までに明らかとなった。。

 この研究を行ったのはデンマークのコペンハーゲン大学のハンス・アイベルク(Hans Eiberg)教授を中心とする研究グループ。

 研究グループではメラニン色素の生成に関与するOCA2遺伝子に着目。
その上でこの遺伝子の部分的に機能しなくなったことにより青い目のを持つ人が誕生したこと、更に、OCA2遺伝子の追跡調査により、青い目を持つ人は6000~10000年前に現れた共通の祖先から枝分かれした子孫であるということ突き止めた。

 現在、ヨーロッパの全人口の20~40%は青い目を持つ。

6000~1万年前に生まれた青い目の祖先からここまで青い目の人口が拡大したことに関して、研究グループでは、この祖先が持っていた遺伝子は青い目を形成するOCA2遺伝子以外に、別の面で子孫を繁栄させる面で何かしら有利となる特徴を持っていたのではないかと、述べている。

 研究グループでは恐らく6000~1万年より以前には青い目をした人は居なかったとも述べている。
http://kousyoublog.jp/?eid=1423


3) 金髪


最近の遺伝情報学に基づけば、ヨーロッパにおいて金髪の人口がはっきりと増加しだしたのは、最後の氷河期である約1万1000年前から約1万年前のことである可能性が高い。
これ以前のヨーロッパ人は、他の人種の支配的な特徴である焦茶色の髪と暗い色の瞳を持っていた。

『The History and Geography of Human Genes』(1994年)によれば、金髪は紀元前3000年頃に現在リトアニアとして知られる地域において、インド・ヨーロッパ祖語族の間でヨーロッパの支配的な頭髪の色となった(現在においても、リトアニアは金髪人口の比率が最も高い国として知られている)。

金髪(ブロンド)は人間には比較的に稀にしか見られない髪色で、全人口の内で1.7パーセントから2パーセントしか見られず、天然の金髪の大部分は白人のものである。

金髪は北ヨーロッパ、特にオランダ、北欧諸国、ドイツの人々の典型的な特徴であり、このため非常に明るい金髪は、しばしば「ノルディック・ブロンド(北欧のブロンド)」と呼ばれる。

これより暗い色合いの金髪は、ヨーロッパ全域はもちろん、現在のシリア人やレバノン人、ペルシャ人、クルド人や、イラン、アフガン、パキスタンのイラン人などの、中東の様々な地域でも見られる。

ただし北欧三国(ノルディック)を除けば概ねどの地域もブロンドは少数に過ぎず、ロシアで10%、イギリスに至っては3%しか存在しないとするデータも存在する。

男性が金髪の女性を魅力的であると見なすようになったために、この特徴はスカンジナビアへの移住が行われた際にも、性淘汰によって急速に広まったのであると考えられる。

なぜヨーロッパの各人種が、人類の進化の速度としては、かくも最近かつ急速にこのような高確率で金髪(と多様な虹彩の色)を持つようになったのかは、長年の疑問であった。

このような変化が通常の進化の過程(自然淘汰)で起こったのであれば、約85万年の歳月が必要となった筈である[1]。しかし現代の人類は、アフリカからヨーロッパまでの移住を成し遂げるまでに、僅か3万5000年から4万年の期間しか費やしていない[1]。

セント・アンドルーズ大学の後援を受けたカナダの人類学者ピーター・フロストは、最後の氷河期の終わりにおいて金髪の人種が急速な発生を見たのは、性淘汰の結果であるとの説を、2006年3月に Evolution and Human Behavior において発表した。

この研究によれば、多くのヨーロッパの地域において金髪と青い瞳を持つ女性は、乏しい数の男性を相手にした過酷な配偶者獲得競争において、彼女らの競争相手より優位に立てたのである。

ヨーロッパ圏において食糧不足の為にクロマニヨン人の人口が低下していた1万1千年前から1万年前の時期において、金髪は増加を見たのであると、研究は主張する。

ヨーロッパ北部におけるほとんど唯一の食料源は放浪するマンモスやトナカイ、野牛、野馬の群れのみであり、それらの獲物を発見するためには長く困難な狩りのための遠出が必要であり、狩りの間に多くの男性が命を落としたために、生き残った男性と女性の比率の不均衡が生じた。

この仮説では、金髪の女性はその際立った特徴が男性を獲得する際に役立ったために、その結果として金髪の人口の増加につながったのであると主張されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AB%AA

要するに、異民族だけでなく同族であっても容姿が醜い人間は容赦無く抹殺していって、現在の美しい金髪碧眼の白人が誕生したという事ですね。


白人は遊牧・牧畜民で遺伝子操作のプロ

劣った遺伝子はすべて淘汰する. これが白人の考え方.

白人が他民族を征服した場合はいい女だけ残して他は女と男は全員殺す.

たとえ自分の身内であっても劣った遺伝子を持った人間には容赦しない。

これを1万年間 毎日毎日繰り返していたのです.

コーカソイドの中から白い肌、青い目、ブロンドの髪を持った見た目の良い品種だけが残された。

不細工な人間はみんな殺され、ホロコーストを 生き延びた人間が白人種になった。

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4. 白人女性の品種改良 _ こういう品種改良なら大歓迎

いい女だけ残してブスは全員殺した西洋の魔女狩り

魔女狩りも単なる白人女性の品種改良運動でキリスト教とは無関係だったのです。

白人種は性を敵視し、母性的な女性を魔女のイメージとして定着させ、魔女狩りによって抹殺した。


一般に

ブスは子供だけが生きがいだから母性的になる
美人は子供をほったらかして色々な男と遊びまわる


なので
母性的な女性を淘汰する = ブスを淘汰する

という事になります。

メデタシ、メデタシ


キリスト教が社会的に力を持ち、文化的に大きな基盤となっていくと、性については厳しい管理が行われるようになった。特に中世においては、性行為のできる日、できない日までも細かく規定していた。

厳格的な禁欲体制が行われていたのである。とはいえ、売春制度があったので、男性のみが禁欲体制を回避する手段を持っていたといえるかも知れない。 娼婦でもない限り、女性が性的行為に能動的であるのは非常に問題視された。

教会は性生活に関して、厳しい規則を作り上げた。そして、魔女妄想が始まると、淫蕩な女性も目をつけられることとなったのである。魔女妄想と女性の性が結びついて作り上げられたのが、「サバト」と考えられる。ここにおいて、悪魔と交わると考えられていた。
  
魔女に仕立て上げられた女性は、寡婦や薬草などの知識に長けた女性が多かったようである。中には、共同体からはみだされた女性が巻き込まれることもあったようである。
女性が憎んでいる女性を告発することもあったようである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1460/colum/e-middle.html


魔女に具体的なイメージを与えたのは、中世ヨーロパで「産婆」として活躍した女性たちでした。

まだ医者という専門職がなかった時代、彼女らは村人の出産を助けただけでなく、病を治し心を癒しました。イギリスでは「Midwifery」と名付けられ、フランス(sage femme)やドイツ(weise frau)では「賢い女」と呼ばれました。

彼女らの治療法は薬草を使うもの。教会が「産みの苦しみはイヴに下された正当な罪」などと言っていたとき、彼女らは陣痛に麦角(ergot)を利用しました。ジギタリス(digitalis)は今でも心臓疾患の治療に欠かせませんが、もともと彼女らの薬草リストの一つ。真夜中に薬草を摘みに出かけたのも、明け方の植物が一番薬草として効果が高いことを経験的に知っていたから。

彼女たちはその有能さゆえ、周囲から神秘的でマジカルな存在と見なされるようになりました。「賢い女」たちは尊敬されると同時に恐れられるようになりました。教会もまた、彼女らが調合する薬草の効果があればあるほど脅威に感じました。そしてある時村に天災が襲い、作物の不作が続くとそれは彼女らの「魔術」のせいではないかと考えるように。

『魔女の槌』(魔女裁判の手引き書)は「教会にとって産婆ほど有害なものはない」と説きました。魔女狩りの最初のターゲットが「産婆」たちだったことはよく知られています。13世紀にイスラム世界から医療教育が伝わり、医療の専門職が男性によって独占されると、産婆たちは真っ先に火あぶりにされました。
http://history.husigi.com/VHv2/koneta61.htm


それらの責めを負う人間は、女性に、特にもっとも年老いたもっとも貧しい者の中に求められた。それらの人々は、口伝えの経験的な(薬草等の)治療法の知識を受け継いでおり、病気を治す秘法を知っていたが、同時に呪いのかけ方にも通じているのではないかと疑われたのである。

夫を亡くした女性も孤立していた(当時の神学者は、生まれつき男性より悪魔の幻覚に惑わされやすいとされる女性の弱点について、とかく問題にする傾向があった)。

その他不意に起こった死、病気、事故はすべて妖術のせいとされる可能性があった。
こどもを何人も死産したり、梯子の天辺から仰向けに墜落したり、口論の最中に「悪魔にさらわれてしまえ」と言ったり、特殊な性習慣の持ち主だったり、頻繁に転居したり、これ見よがしに教会に行ったり等々ということは、すべて疑いを招く原因となった。
http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/akuma02.htm

こうして、魔女狩りの時代を生き伸びる事ができたのは 見た目は良いが母性の欠如した感情の無い女性だけだったのです。


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5. 有色人種も白人種によって品種改良されて現在の姿になった

ミトコンドリアDNAが母系で受け継がれるのに対し、Y染色体は父系で受け継がれる。

ミトコンドリアDNA解析は過去10万年の人類の移動を明らかにしたが、正確には女性の移動なので、ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略のような男性主体の移動は検知することができない。男性の移動を明らかにするにはY染色体の解析が必要である。

 女性は妊娠によってしかDNAを残せないのに対し、男はその場限りのセックスで子孫を残せるので、Y染色体はミトコンドリアDNAよりも寡占が起きやすい。

ミトコンドリアDNAのハプロタイプを図であらわすとクラスターがきれいに並ぶのに対し、Y染色体のクラスターは不揃いで不規則だ。

大半のY染色体は途中で失われ、少数のY染色体のみが栄えるというのがY染色体の現実なのだ。

サイクスの本には900年前に死んだサマーレッドという武将のY染色体が40万人に、チンギス汗のY染色体は1600万人に受け継がれているとか、南アメリカのインディオのY染色体はヨーロッパ系ばかりだとか、恐ろしいことがたくさん書いてある
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2010/04/y.html

分子遺伝学を研究した人間はY染色体もしくはミトコンドリアどちらかのDNAばかりに気を取られてふたつの違いについて注目しようとしなかった。

『イヴの七人の娘たち』でブライアン・サイクス博士はミトコンドリアの研究によって母系図をたどってさかのぼった。今回は父系祖先をたどるためにY染色体ツリーを書き上げた。

サイクス博士はカヌーでの海を渡り、ハワイ、イースター島、ニュージーランドにまで定住を広げたポリネシアの人々を調査をしていた。

ラトロンガ人の血液サンプルによるとポリネシアの女性史を解明してみると、彼女たちのほとんどが東南アジアを起源としており、南米からの移住説は消えた。

ところがポリネシア人の男性史をたどると女性よりもバラエティ豊かなY染色体を持っていることが判明した。 それは主に3つのクラスターに分けられた(その3つをA,B,Cと呼ぶ)。

一番数の多かったAクラスターは島々に最初に入植したポリネシア人の末裔だった。

Bクラスターは数は少ないもののAクラスターに非常に近かった。
最初の入植者のまた別の染色体セットだと考えられた。

CクラスターはA・Bとは近い関係にないことが解った。
Cクラスターはヨーロッパ男性のY染色体だったのである。


wikipedia クック諸島

普通、このことを純粋な男女の混血だとして描写されることはないだろう。
これをヨーロッパ人の到着を男女の出会い、精子と卵子の出会いと考えるようにする。

ヨーロッパの卵子はそこに届かず精子だけがポリネシア女性と出会った。

これが遺伝子としての戦いだとするとヨーロッパのY染色体はポリネシア固有のY染色体をもつ男から3分の1を奪って勝った。

ヨーロッパ人の植民地化はY染色体の繁殖において大きな影響を及ぼしている。


ペルーでは自分達は純血のアメリカインディアンだと考えているパスコーとリマの住民に対して調査が行なわれた。

結果は95%以上のミトコンドリアDNAがアメリカインディアンの末裔であるのにY染色体の半分がヨーロッパのものであると判明した。

スペインが一番最初に入植した南米の地アンティオクイアではY染色体の94%がヨーロッパ、5%がアフリカ、たった1%がアメリカインディアンだった。

奴隷貿易によって大西洋からもたらされたアフリカのY染色体の方が多い。

ミトコンドリアDNAは90%がアメリカインディアンのもので、残りがヨーロッパとアフリカのものだった。

つまりヨーロッパとアフリカの精子が大量のアメリカインディアン女性の卵子に受精し、アメリカインディアン精子は生き残りの上で敗者となったのである。

アフリカ系アメリカ人やアフリカ系カリブ人における母系祖先がアフリカからのミトコンドリアDNAなのに対してY染色体はヨーロッパ父系がいる。

こういった遺伝的名残は植民地の歴史を物語る。

細胞内のY染色体には独占欲が刻み込まれているようである。

http://renzan.org/columnist/nishida/adam5.html

>最新のDNA調査技術を駆使し、南米でサンプル検査を行なったところ、先住民のDNAはミトコンドリアDNA(母から子に継承)では82.8%、Y染色体(父から男子へ継承)は8.6%だったそうです。(ソースはNHK教育『サイエンスZERO』)

 インカ文明やマヤ文明やアステカ文明を滅亡させたスペイン人が南米で何をしでかしたのか、実際のところはよく伝わっていません。

しかしDNA検査が示す結果によると、どうやら先住民族の男は事実上皆殺しにあったようです。

先住民のY染色体が8.6%というのは、衝撃的ですね。

Y染色体8.6%のデータを発表するさい、NHKはわざわざこのデータは過疎の山間部まで含まれていると断りを入れていました。

スペインは原住民男子を完全抹殺を徹底的かつ緻密に行なったものの、完全リセットできなかったモレの部分が8.6%ということなんでしょうね。

それにしてもDNAは嘘をつきませんね。


 >ロシア人は南米の逆のような気がしています。

 ロシア人はスラブ人だということで、ウィキペディアなんかを読んでも、ロシア人の正体はよくわかりません。しかしイワン雷帝とかモスクワ大公とか、ロシアの支配階層をたどっていくと、完全にモンゴル(タタール)にたどりつくんですよね。

ロシア人は、一見見かけ上はヨーロッパ人のようです。おそらく母方でヨーロッパの血が入っていったのでは?と推定しています。


 羊の雄というのは哀れなもので、そのほとんどが殺されるか去勢され、群れはおおよそ雄1:雌20の比率で構成されるそうですが、モンゴルはロシア平原に於いてロシア人に対し、それに類したことをなしたのではないのでしょうか。

雄1とは無論モンゴル兵のことで、雌20とはロシア女のことです。


 オスマントルコも似たようなことをしたのかもしれませんね。

事実、元々キリスト教徒の子供であったイェリチェリはどんな戦功をあげようとも、その栄華は一代限りのもので子を残すことは許されませんでしたし、ハーレムの女たちのその多くがキリスト教徒だったことは有名な話ですよね。

トルコ共和国の人間の外形はヨーロッパのそれによく似ていますが、templeさんのことばを借りるならば、"母方でヨーロッパの血が入って行ったのでは"ないのでしょうか。そしてそれは、小アジアだけではなくギリシャやブルガリアも同様でしょうね。
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/1126896/


インドへのアーリア人侵入説

「アーリア人侵入説」は、言語学の分野から持ち上がってきたものだ。

「インド・ヨーロッパ語族」という分類から、北インドのヒンズー支配層は、BC3000~8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。

つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という話なのだ。


アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究

インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。


インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。

1930年にイギリスがとった人口統計によれば、


1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%

という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。

1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。

DNA分析の共同研究では、

上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)

に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。

表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf


■Y染色体のSTR分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0166 0.0104 0.0092
中層カースト 0.0156 0.0110 0.0108
低層カースト 0.0131 0.0088 0.0108


日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。

カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。

低層カーストはアジア人にもっとも近い。

■ミトコンドリア染色体のHVR1分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0179 0.0037 0.0100
中層カースト 0.0182 0.0025 0.0086
低層カースト 0.0163 0.0023 0.0113


ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。

この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。
低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。


以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、

1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、

という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332



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by kabu_kachan | 2018-02-13 21:51 | 白人 | Comments(0)