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2019年 08月 14日 ( 1 )

日本には明治まで学問はなかった(日本人はアホ民族である・その3)

日本の歴史には、明治まで学問はなかったんだぜ。
それでは、西洋ではどうであったか。

Cathedrals and Universities: Crash Course History of Science #11
https://www.youtube.com/watch?v=0wDlLwLIFeI



西洋[編集]

ローマ帝国が分裂した後、ヨーロッパはキリスト教封建制に基づく時代が続く。技術革新が皆無だったわけでは無いが、アウグスティヌスが「真実は、手探りで模索する人間が推測することよりも、むしろ神が明らかにすることである」と言ったように、あらゆるものは発見されているからアリストテレスガレノスなどの先人の研究だけをすればよい、といったような後ろ向きの状態が続いた。さらに6世紀から10世紀の間にギリシャ語ラテン語の文献も失われていった[8]。この西洋中世カトリック支配の時代は暗黒時代と呼ばれることも多いが、反論もある。

8世紀カロリング・ルネサンス数学などが復活するが、あくまでも神学の付属という位置づけだった。農業は家畜の利用が始まり、水車や風車といった動力を得て生産力を上げてゆく。

11世紀十字軍運動が起こり、中東地域への遠征が行われるようになる。このことによってヨーロッパがアラビア科学に出会い、コーランラテン語への翻訳に始まり、多数のアラビア語の文献が翻訳されるようになっていく。

12世紀まではヨーロッパの科学はキリスト教神学であったが、アラビア科学に触発されて積極的に哲学天文学数学、自然科学、論理学倫理学などをアラビア科学だけでなくギリシア科学からも研究されるようになり、パリ大学といった大学が開校されるようにもなる。古代科学もアラビアから翻訳され、神学と科学の融合も試みられる(スコラ学)。

13世紀には急激に大学の数が増え、ケンブリッジ大学パドヴァ大学などヨーロッパ各地で開校が進んだ。当時の大学はいくつかの学部が設けられ、世俗教師と修道会教師が教育にあたった。羅針盤が伝わり、造船技術の進歩とともに航海術の発展を可能にした。

14世紀にはパリ大学などで自然科学、特に力学や運動論についての研究が行われ、加速度運動や加速の原因論などが考えられた。オレームビュリダンが力学的考察を行い、ベーコンが実験の重要性を指摘するなど、近代科学の土台が築かれる。

15世紀ルネサンスには、ダ・ヴィンチヴェサリウスコペルニクスなどが活躍し、グーテンベルクによって活版印刷が発明された。1492年にレコンキスタが終了するころになると、教会よりもむしろ諸侯の権力が強くなってくる。また、十字軍遠征によって東方の文化と接触したことから、東洋に行きたいという商業的なモチベーションも高まり、大航海時代の幕開けに繋がった。

大航海時代は、やがて世界の市場を繋ぐことになった。三角貿易(奴隷貿易)などが発展した。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。一方、貿易によって富みを得た一部の商人達は、ブルジョワ階層を形成し、やがて市民革命の主体となった。市民革命の結果、農地囲い込み運動などにより、農業の生産性が大幅に改善する(農業革命)と、ヨーロッパの人口が増加する。この人口増加は都市化や産業革命に影響することになった。

16世紀イギリスでは工場制手工業が始まり、工場に労働者が集まり分業して働くことにより、生産性が高まる。鉱業・精錬・冶金技術が確立され、時計などの精密な機械の製作が可能となる。同時期にルターにより宗教改革が起こり、カトリック支配体制が揺らぎ始める。

17世紀科学革命の時代と呼ばれアリストテレス以来の価値観からの転換が始まる。ガリレイ望遠鏡を使って天体を観察し、コペルニクス地動説に賛同して教会の反感を買い幽閉されるが、その後も『天文対話』に自分の考えを残した。その後、ケプラーニュートンを経て地動説は確立する。ニュートンは光の研究も行い、世界を数学的に捉える力学の原理を打ち立てた。望遠鏡での発見とは逆に、レーウェンフック顕微鏡微生物を発見する。ギルバートはイギリス女王の前で磁石の実験を行い、ウイリアム・ハーベーは動物の解剖と観察から血液の循環を発見する。デカルト機械論自然観に立って宇宙のエーテルや人間の動物精気を論じた。ボイルは気体の研究を行った。


ちなみに、私が高校のときに
大学受験のために使った参考書には
こう書いてある。

西洋の大学の起源

12~13世紀にいたって、交換・貨幣経済が開始され、
人と文物の交流がさかんになると、各地に
大学(university)が設立された。
教師や学生はギルド的な団体を形づくり、
(university の語は中世ではギルドの
意味であった)、
しだいに聖俗諸侯の支配からはなれて、
あらたに学問研究の中心機関となり、
西欧の学問は本格的に始められた。
ボローニャ(Bologna)は当時復活した
ローマ法の研究で、
サレルノ(Salerno)は医学、
パリ(Paris)は神学で有名となり、
このほかオックスフォード(Oxford)、
ケンブリッジ(Cambridge)などがあり、
15世紀末までに、約80の大学が生まれた。

講義はすべてラテン語であったが、当時の
大学の教授科目は神学・法律・医学・哲学の
4科で、最後の哲学は七つの教養学科
(seven liberal arts)に分かれ、
文法・修辞・弁証法(論理)・算術・幾何・
天文・音楽があった。
のちにはこの7教養学科が主要な科目の地位を
うるようになり、
とくにアリストテレスの論理学は重要視された。


いいかね、日本人諸君、
日本の歴史上の明治までに、
このような大学が日本にあったかね?
日本の歴史に学問はなかったんだぜ。
すなわち、
日本は、明治まではサルの国だったんだぜw。



大学 (universitas) の歴史[編集]

大学を近代西欧語の大学(: università: university: université: Universität)という意味で捉えるならば、その歴史は12世紀-13世紀に始まる。もともとはラテン語の "universitas" (ウニベルシタス)を起源とし、学生のギルド(組合)から始まる。世界最初の校則は、学生のギルドから教師達への規則(「学生ギルドに無断で授業を休まない」「学生ギルドに無断で都市からでない」など)として作られた。その後、教師のギルドも作られ、連合体を意味するようになる。ギルド=組合を意味する大学は、学生間で上下関係がなく、日本語の訳語としては「大学」ではなく「組合」とした方が原義に近い[1]。ウニヴェルシタスという語はもともと団体全般を指していたが、特に「教師と学生の団体」(Universitas societas magistrorum discipulorumque 大学ハ教師ト学生ノ組合ナリ)を指すようになった[2]

中世の大学の中でも最初期の代表的なものはイタリアのボローニャ大学とフランスのパリ大学である。ボローニャ大学は自由都市国家ボローニャで生まれた。11世紀末以来、『ローマ法大全』を研究したイルネリウスをはじめとして多くの法学者が私塾を開いていたボローニャは、法学校のある学都として有名になり、ここに各国から集まってきた学生たちが市民や市当局に対して自分たちの権利を守るために結束して作った組合が大学の起源である。この意味での大学は自然発生的に成立したものであるため、創立年を明確に示すことはできない[3]。一方、12世紀のパリにはノートルダム司教座聖堂付属学校や聖ジュヌヴィエーヴ修道院付属学校をはじめとして多くの学校があり、アベラールもパリでよく講義を行っていた。12世紀末までにこれらの教師たちが権力者の介入に対抗して結集したのがパリ大学の始まりである。私塾の連合体としてのパリ大学がいつ成立したかを明確にすることはできないが、1200年にフランス王の勅許を得、1231年の教皇勅書『諸学の父』によって自治団体として認められた。イングランドオックスフォード大学とフランスのモンペリエ大学もこのように自然発生した大学である[4][5]。こうした初期の大学では、何らかの事情により教師と学生が集団で他の都市に移住することがあり、それによってオックスフォード大学からケンブリッジ大学が、パリ大学からオルレアン大学が、ボローニャ大学からパドヴァ大学が生まれた。さらにローマ教皇によってトゥールーズ大学が、王権によってサラマンカ大学ナポリ大学が設立された。14世紀に入ると神聖ローマ帝国の領邦君主らによってプラハ大学ウィーン大学ハイデルベルク大学が相次いで創設された。

中世の西ヨーロッパにおいて、大学は、神学部キリスト教聖職者の養成)、法学部法律家の養成)、医学部医師の養成)の3つの上級学部と自由学芸学部との4学部からなり、専門職を養成することが大きな役割であった。12世紀から13世紀の間の社会の専門職化の増大に伴って、同様の要求が職業的聖職者に対しても増大した。12世紀以前には、ヨーロッパの知的生活は修道院に託されていた。修道院は、もっぱら典礼と祈りの研究に関わっており、少数の修道院が本当の知識人を誇ることができた。教会法秘蹟の研究についてのグレゴリウス改革の重点化に従って、司教は、教会法に基づいて聖職者を養成するための、さらに説教と神学的議論で使うための論理学や論争、より効果的に財務を管理するための会計学をふくむ教会運営のより世俗的側面においても聖職者を養成するための司教座聖堂学校を組織した。西方ラテン教会圏で中世末までに生まれた多くの大学は、カトリック教会の後援により、教皇や世俗君主の主導で設立された。これらの大学は、ボローニャ大学やパリ大学が「自生的大学」であるのに対して、「創られた大学」と呼ばれる。


by kabu_kachan | 2019-08-14 23:07 | 科学 | Comments(1)