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カテゴリ:科学( 30 )

日本の歴史上の最大の失敗は「鎖国」である

日本史上の最大の失敗政策は鎖国である。

私はこのテーマについて、
これから先も、
徹底的に追及していくつもりだ。
なぜなら、鎖国が世界史上における
その後の日本人と日本語のの運命を
決定づけたからだ。

何度も言っているが、
1543年に、種子島に鉄砲が伝来しただろ。
この同じ年に、コペルニクスが
地動説の本を出しているんだぜ。

1575年に、織田信長が長篠の戦で、
この鉄砲を大量に使って、武田軍に勝っただろ。
もし、織田信長が天下を取っていたなら、
武士全員に鉄砲を持たせただろうから、
鎖国はしなかっただろう。
織田信長は、このポルトガル人が伝えた鉄砲から
西ヨーロッパで起こっている
科学革命の匂いを
嗅ぎつけていたかもしれない。

この後、1582年に、天正遣欧使節として
ヴァリニャーノとともに4人の日本人が
ポルトガル、スペイン、イタリアを訪れている。

1585年に、この4人の日本人は
ピサの斜塔を訪れている。
奇しくも、このとき、ガリレオ・ガリレイは
ピサ大学の学生であった。
この4人の日本人が、
西ヨーロッパで起きている科学革命の進行に
気がつくには時期が早すぎたか。
もしくは、この4人の日本人がサルだったから
気がつかなかったのか。
奇しくも、同じ年に、
イギリス人が、アメリカ大陸のヴァージニアに
上陸して、植民地建設を始めている。
いいかね、この時点(1585年)では、
アメリカという国は
まだ存在していないんだぜ。

しかし、彼ら4人が持ち帰った
グーテンベルク印刷機や海図から
日本人は何も気がつかなかったのか。

このあと、豊臣秀吉はキリシタン弾圧
(26聖人殉教)を行なって、
徳川家康が鎖国をやるわけだ。

すなわち、豊臣秀吉と徳川家康は
お猿の殿様だったわけだ。(笑)

いいかね、日本人諸君、
この豊臣秀吉と徳川家康は
自分のことだけしか考えていなかったんだぜ。
「世界の中の日本がどうあるべきか」
なんてことは、まったく頭になかったんだぜ。
しかし、西ヨーロッパでは
大航海時代と科学革命が進行中であることに
気がつくチャンスは何度もあったはずだ。

まったく気がつかないということは、
豊臣秀吉と徳川家康にサル体質が
あるからなんだぜ。
今の日本人も同じサル体質があるんだぜ。
スマホでサルゲームやっているのが
いい例だろ。
この英語もわからんバカ猿どもめ!

A hands-on introduction to Python for beginning programmers
https://www.youtube.com/watch?v=rkx5_MRAV3A

サル体質とはサルのDNAを持っていることである。

ここで一句。

サルは皆 サルの世界に 閉じ籠る


日本の鎖国の功罪
・日本人をアホ民族にした張本人は
豊臣秀吉と徳川家康
https://kabukachan.exblog.jp/30126968/



いいかね、日本人諸君、
スマホの画面を動かして、
なぜ動くのかを考えない
この日本人のサル頭は、
このときの鎖国が原因なんだぜ。

[HD] Steve Jobs - iPhone Introduction in 2007 (Complete)
https://www.youtube.com/watch?v=9hUIxyE2Ns8


大英帝国と日本の鎖国
https://kabukachan.exblog.jp/30095198/



by kabu_kachan | 2019-09-13 14:06 | 科学 | Comments(5)

イスラム科学と数学は近代西洋科学の基礎となった

いいかね、日本人諸君、
西洋の近代科学は西洋(ヨーロッパ)人が
作ったんじゃないんだぜ。
ヨーロッパ人が、
アラビア(イスラム)世界から学んだんだぜ。

ヨーロッパ人(白人)は
自分たちがイスラム世界から科学や数学を
学んだことが腹立たしいんだぜ。
だからイスラム教徒を悪く言うんだぜ。
これはちょうど、
中国が日本から近代化を学んだことが
腹立たしくて、中国人が日本人を
悪く言うのと同じなんだぜ。


イスラム科学(イスラムかがく)とは、8世紀から15世紀イスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。

「イスラム科学」と呼ばれるが、ムスリム(イスラム教徒)だけが築き上げたのではなく、ユダヤ教徒キリスト教徒など、様々な宗教に属する人々によって発達させられてきた。

また「アラビア科学」とも呼ばれることがあるが、アラビア半島を中心とする地名としてのアラビアでのみで発達したわけではなく、東は中央アジアから西はイベリア半島までいたる地域的な広がりをもっていた。

また、「アラブ科学」とも呼ばれることがあるが、ペルシア人トルコ人など様々な出自の学者たちが活躍した。

歴史[編集]

イスラム帝国が形成されアラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の、エジプトメソポタミアといった古代オリエントの文化や古典古代ギリシャペルシアインド中国などで発展していた科学をもとに発展した。

法学神学語学文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」があったが、これに対し、上記のようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学論理学幾何学天文学医学錬金術などがあり、博物学地誌学などとともに「外来の学問」と呼ばれた。ただし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしても神の意思を知るためのイスラムに相応しい行為とされ、「固有の学問」を修める学者が「外来の学問」を兼修することはまったく珍しいことではなかった。

ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳が始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設した研究施設バイト・アル=ヒクマ智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。

9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。

10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、アラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン・アル・ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン・スィーナーらが活躍したが、中世以降のヨーロッパにおいて科学が劇的に発展し、14世紀から15世紀にかけて、アラビア科学は廃れた。

アラビア数学[編集]

特に数学の分野ではアラビア数学がもたらした成果は大きく、代数学三角法アラビア数学が開拓した分野である。また、アラビア語とともに使われていた数字は、インドから取り入れたゼロの概念を反映して、ゼロの数字をもっており、これがアラビア数字としてヨーロッパに伝わり、世界中で使われるに至った。

光学[編集]

イブン・アル・ハイサム(ラテン名アルハゼン)はプトレマイオスが導き出した光学を徹底的に批判し分析を行った。彼は、目から光線が放出されることで視覚が生じるというプトレマイオスの理論を否定し、太陽その他の光源から放出された光が対象に反射し、それが目に入って像を結ぶという正しい理論を発見した。彼は目の精密な解剖図も著している。彼の著作『Kitab al-Manazir』(光学の書)はヨーロッパの光学の基礎となったものであり、デカルトケプラーイブン・アル・ハイサムの著作から光学を学んだ。

化学[編集]

化学の分野でもアラビア科学の果たした役割は大きい。

アラビア語のالكيمياء, al-kīmiyā’錬金術)は英語の「alchemy(錬金術)、alchemist(錬金術師)」の基になっており、「chemistry(化学)」という言葉もここから転じている。al-kīmiyā’が、12世紀ヨーロッパで: ALchemia「Alchimiaアルキミア」とラテン語に翻訳されて紹介され、ヨーロッパの錬金術は、やがて17世紀科学革命を経てアラビア語の定冠詞「al」が取れて: Chimica(化学)となった。また、「アルコール」、「アルカリ」などの名称にもその痕跡を留めている。

Kimyaは: Χημεία(Khemeiaケーメイア)に由来する。 「ケーメイア」の語源には諸説あるが、: Χημ「Khem (ケム)」 の派生語で、「黒い地」「エジプト」を意味するのではないかと言われている。結局、以下のように変遷したことになる。

: Χημ: Χημεία: الكيمياءal-kīmiyā’: ALchemia: Chimica → Chemistry

この変遷自体が、古代エジプト古代ギリシアの科学がイスラム世界のるつぼに流れ込み、中世ヨーロッパに伝えられ、科学革命を経て西欧近代科学に繋がるという科学史をそのままに写している。

8世紀アッバース朝の5代目カリフに仕えたジャービル・イブン・ハイヤーン: geber(ゲーベルまたはジーベル)は、ヨーロッパにおいて伝説的な錬金術師とされ、化学の祖ともされる(レトルトの発明者)。

9世紀のアル・ラーズィー、10世紀のイブン・スィーナー(ラテン名「アウィケンナ」)、ラゼスらも有名である。


科学的方法[編集]

イブン・アル・ハイサムは経験知や実験観察を重視し、そこから帰納法的な推論を用いて理論を打ち立てた最初期の科学者である。彼の手法(科学的方法)は、彼の著作に学んだロジャー・ベーコンヨハネス・ケプラーらに受け継がれた。

近代西洋科学の基礎[編集]

これらのアラビア科学の成果は、12世紀以降にムスリムの手からキリスト教徒に再征服されたシチリアやイベリア半島においてラテン語への翻訳が進められ、近代ヨーロッパ科学の基礎を提供した。

また、この時代には数学・天文学の分野でオマル・ハイヤームなどの学者が活躍し、13世紀にはモンゴル帝国のもとで、イスラム科学の先端の天文学が中近東から中国へと伝えられた。








by kabu_kachan | 2019-09-12 22:57 | 科学 | Comments(0)

ノーベル賞とは何か(日本人はアホ民族である・その4)

日本人諸君、
日本人のノーベル賞受賞者の数は
何人か知っているかね?
今のところ(2018年まで)、27人だぜ。

わ~い、わ~いと喜ぶかね?
これをサルの糠喜びと言うんだぜ。

おい、アメリカ合衆国の
ノーベル賞受賞者の数を数えてみろ。

日本人がアホ民族であることがよくわかるだろ。
いいかね、アメリカ合衆国は英語の国だぜ。

Top 21 Countries Ranked By Nobel Laureates (1901 - 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=W6nALhlafxI

Top 20 Countries Ranked By Total Miss Worlds (1951 - 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=hNLajzlUcIc

アメリカ合衆国[編集]

  1. セオドア・ルーズベルト、平和賞、1906年
  2. アルバート・マイケルソン(当時プロイセン王国、現ポーランド)、物理学賞、1907年
  3. エリフ・ルート、平和賞、1912年
  4. セオドア・リチャーズ、化学賞、1914年
  5. ウッドロウ・ウィルソン、平和賞、1919年
  6. ロバート・ミリカン、物理学賞、1923年
  7. チャールズ・G・ドーズ、平和賞、1925年
  8. アーサー・コンプトン、物理学賞、1927年
  9. フランク・ケロッグ、平和賞、1929年
  10. シンクレア・ルイス、文学賞、1930年
  11. ジェーン・アダムズ、平和賞、1931年
  12. ニコラス・バトラー、平和賞、1931年
  13. アーヴィング・ラングミュア、化学賞、1932年
  14. トーマス・ハント・モーガン、生理学・医学賞、1933年
  15. ハロルド・ユーリー、化学賞、1934年
  16. ジョージ・H・ウィップル、生理学・医学賞、1934年
  17. ジョージ・リチャーズ・マイノット、生理学・医学賞、1934年
  18. ウィリアム・P・マーフィ、生理学・医学賞、1934年
  19. カール・デイヴィッド・アンダーソン、物理学賞、1936年
  20. ユージン・オニール、文学賞、1936年
  21. クリントン・デイヴィソン、物理学賞、1937年
  22. パール・S・バック、文学賞、1938年
  23. アーネスト・ローレンス、物理学賞、1939年
  24. オットー・シュテルンドイツ、化学賞、1943年
  25. エドワード・アダルバート・ドイジー、生理学・医学賞、1943年
  26. イジドール・イザーク・ラービ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現ポーランド)、物理学賞、1944年
  27. ジョセフ・アーランガー、生理学・医学賞、1944年
  28. ハーバート・ガッサー、生理学・医学賞、1944年
  29. コーデル・ハル、平和賞、1945年
  30. パーシー・ブリッジマン、物理学賞、1946年
  31. ジェームズ・サムナー、化学賞、1946年
  32. ジョン・ノースロップ、化学賞、1946年
  33. ウェンデル・スタンリー、化学賞、1946年
  34. ハーマン・J・マラー、生理学・医学賞、1946年
  35. エミリー・グリーン・ボルチ、平和賞、1946年
  36. ジョン・モット、平和賞、1946年
  37. カール・コリ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現チェコ)、生理学・医学賞、1947年
  38. ゲルティー・コリ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現チェコ)、生理学・医学賞、1947年
  39. ウイリアム・ジオークカナダ、化学賞、1949年
  40. ウィリアム・フォークナー、文学賞、1949年
  41. エドワード・カルビン・ケンダル、生理学・医学賞、1950年
  42. フィリップ・ショウォルター・ヘンチ、生理学・医学賞、1950年
  43. ラルフ・バンチ、平和賞、1950年(アフリカ系アメリカ人初の受賞者)
  44. エドウィン・マクミラン、化学賞、1951年
  45. グレン・シーボーグ、化学賞、1951年
  46. フェリクス・ブロッホスイス、物理学賞、1952年
  47. エドワード・ミルズ・パーセルスイス、物理学賞、1952年
  48. セルマン・ワクスマンウクライナ、生理学・医学賞、1952年
  49. フリッツ・アルベルト・リップマン(当時ドイツ帝国、現ロシア)、生理学・医学賞、1953年
  50. ジョージ・C・マーシャル、平和賞、1953年
  51. ライナス・ポーリング、化学賞、1954年、平和賞、1962年
  52. ジョン・フランクリン・エンダース、生理学・医学賞、1954年
  53. トーマス・ハックル・ウェーラー、生理学・医学賞、1954年
  54. フレデリック・チャップマン・ロビンス、生理学・医学賞、1954年
  55. アーネスト・ヘミングウェイ、文学賞、1954年
  56. ウィリス・ラム、物理学賞、1955年
  57. ポリカプ・クッシュドイツ、物理学賞、1955年
  58. ヴィンセント・デュ・ヴィニョー、化学賞、1955年
  59. ウィリアム・ショックレー、物理学賞、1956年
  60. ジョン・バーディーン、物理学賞、1956年、1972年
  61. ウォルター・ブラッテン、物理学賞、1956年
  62. アンドレ・フレデリック・クルナンフランス、生理学・医学賞、1956年
  63. ディキソン・W・リチャーズ、生理学・医学賞、1956年
  64. 李政道当時中華民国、物理学賞、1957年
  65. 楊振寧当時中華民国、物理学賞、1957年
  66. ジョージ・ウェルズ・ビードル、生理学・医学賞、1958年
  67. エドワード・ローリー・タータム、生理学・医学賞、1958年
  68. ジョシュア・レダーバーグ、生理学・医学賞、1958年
  69. エミリオ・セグレイタリア、物理学賞、1959年
  70. オーウェン・チェンバレン、物理学賞、1959年
  71. セベロ・オチョアスペイン、生理学・医学賞、1959年
  72. アーサー・コーンバーグ、生理学・医学賞、1959年
  73. ドナルド・グレーザー、物理学賞、1960年
  74. ウィラード・リビー、化学賞、1960年
  75. ロバート・ホフスタッター、物理学賞、1961年
  76. メルヴィン・カルヴィン、化学賞、1961年
  77. ゲオルク・フォン・ベーケーシハンガリー、生理学・医学賞、1961年
  78. ジェームズ・ワトソン、生理学・医学賞、1962年
  79. ジョン・スタインベック、文学賞、1962年
  80. ユージン・ウィグナーハンガリー、物理学賞、1963年
  81. マリア・ゲッパート=メイヤー当時ドイツ帝国、現ポーランド、物理学賞、1963年
  82. チャールズ・タウンズ、物理学賞、1964年
  83. コンラート・ブロッホドイツ、生理学・医学賞、1964年
  84. マーティン・ルーサー・キング、平和賞、1964年
  85. ジュリアン・シュウィンガー、物理学賞、1965年
  86. リチャード・P・ファインマン、物理学賞、1965年
  87. ロバート・バーンズ・ウッドワード、化学賞、1965年
  88. ロバート・マリケン、化学賞、1966年
  89. ペイトン・ラウス、生理学・医学賞、1966年
  90. チャールズ・ブレントン・ハギンズカナダ、生理学・医学賞、1966年
  91. ハンス・ベーテ(当時ドイツ帝国、現フランス)、物理学賞、1967年
  92. ハルダン・ケファー・ハートライン、生理学・医学賞、1967年
  93. ジョージ・ワルド、生理学・医学賞、1967年
  94. ルイ・アルヴァレ、物理学賞、1968年
  95. ラルス・オンサーガーノルウェー、化学賞、1968年
  96. ロバート・W・ホリー、生理学・医学賞、1968年
  97. ハー・ゴビンド・コラナインド、生理学・医学賞、1968年
  98. マーシャル・ニーレンバーグ、生理学・医学賞、1968年
  99. マレー・ゲルマン、物理学賞、1969年
  100. マックス・デルブリュックドイツ、生理学・医学賞、1969年
  101. アルフレッド・ハーシー、生理学・医学賞、1969年
  102. サルバドール・エドワード・ルリアイタリア、生理学・医学賞、1969年
  103. ジュリアス・アクセルロッド、生理学・医学賞、1970年
  104. ノーマン・ボーローグ、平和賞、1970年
  105. ポール・サミュエルソン、経済学賞、1970年
  106. エール・サザランド、生理学・医学賞、1971年
  107. サイモン・クズネッツ(当時ロシア帝国、現ウクライナ)、経済学賞、1971年
  108. レオン・クーパー、物理学賞、1972年
  109. ジョン・ロバート・シュリーファー、物理学賞、1972年
  110. クリスチャン・アンフィンセン、化学賞、1972年
  111. スタンフォード・ムーア、化学賞、1972年
  112. ウィリアム・スタイン、化学賞、1972年
  113. ジェラルド・モーリス・エデルマン、生理学・医学賞、1972年
  114. ケネス・アロー、経済学賞、1972年
  115. アイヴァー・ジェーバーノルウェー、物理学賞、1973年
  116. ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(当時ワイマール共和国、現ドイツ)、平和賞、1973年
  117. ワシリー・レオンチェフソビエト連邦、経済学賞、1973年
  118. ポール・フローリー、化学賞、1974年
  119. ジョージ・エミール・パラーデルーマニア、生理学・医学賞、1974年
  120. レオ・ジェームス・レインウォーター、物理学賞、1975年
  121. デビッド・ボルティモア、生理学・医学賞、1975年
  122. レナト・ドゥルベッコイタリア、生理学・医学賞、1975年
  123. ハワード・マーティン・テミン、生理学・医学賞、1975年
  124. チャリング・クープマンスオランダ、経済学賞、1975年
  125. バートン・リヒター、物理学賞、1976年
  126. サミュエル・ティン、物理学賞、1976年
  127. ウィリアム・リプスコム、化学賞、1976年
  128. バルーク・サミュエル・ブランバーグ、生理学・医学賞、1976年
  129. ダニエル・カールトン・ガジュセック、生理学・医学賞、1976年
  130. ソール・ベローカナダ、文学賞、1976年
  131. ミルトン・フリードマン、経済学賞、1976年
  132. フィリップ・アンダーソン、物理学賞、1977年
  133. ジョン・ヴァン・ヴレック、物理学賞、1977年
  134. ロジャー・ギレミンフランス、生理学・医学賞、1977年
  135. アンドリュー・ウィクター・シャリー(当時ポーランド、現リトアニア)、生理学・医学賞、1977年
  136. ロザリン・ヤロー、生理学・医学賞、1977年
  137. アーノ・ペンジアスドイツ、物理学賞、1978年
  138. ロバート・W・ウィルソン、物理学賞、1978年
  139. ダニエル・ネイサンズ、生理学・医学賞、1978年
  140. ハミルトン・スミス、生理学・医学賞、1978年
  141. アイザック・バシェヴィス・シンガー(当時ロシア領ポーランド)、文学賞、1978年
  142. ハーバート・サイモン、経済学賞、1978年
  143. シェルドン・グラショー、物理学賞、1979年
  144. スティーヴン・ワインバーグ、物理学賞、1979年
  145. ハーバート・ブラウンイギリス、化学賞、1979年
  146. アラン・コーマック南アフリカ、生理学・医学賞、1979年
  147. セオドア・シュルツ、経済学賞、1979年
  148. ジェイムズ・クローニン、物理学賞、1980年
  149. ヴァル・フィッチ、物理学賞、1980年
  150. ポール・バーグ、化学賞、1980年
  151. ウォルター・ギルバート、化学賞、1980年
  152. バルフ・ベナセラフベネズエラ、生理学・医学賞、1980年
  153. ジョージ・スネル、生理学・医学賞、1980年
  154. チェスワフ・ミウォシュ(当時ポーランド、現リトアニア)、文学賞、1980年
  155. ローレンス・クライン、経済学賞、1980年
  156. ニコラス・ブルームバーゲンオランダ、物理学賞、1981年
  157. アーサー・ショーロー、物理学賞、1981年
  158. ロアルド・ホフマン(当時ポーランド、現ウクライナ)、化学賞、1981年
  159. ロジャー・スペリー、生理学・医学賞、1981年
  160. デビッド・ハンター・フーベルカナダ、生理学・医学賞、1981年
  161. ジェームズ・トービン、経済学賞、1981年
  162. ケネス・ウィルソン、物理学賞、1982年
  163. ジョージ・スティグラー、経済学賞、1982年
  164. スブラマニアン・チャンドラセカール(当時英領インド、現パキスタン)、物理学賞、1983年
  165. ウィリアム・ファウラー、物理学賞、1983年
  166. ヘンリー・タウベカナダ、化学賞、1983年
  167. バーバラ・マクリントック、生理学・医学賞、1983年
  168. ジェラール・ドブリューフランス、経済学賞、1983年
  169. ロバート・メリフィールド、化学賞、1984年
  170. ハーバート・ハウプトマン、化学賞、1985年
  171. ジェローム・カール、化学賞、1985年
  172. マイケル・ブラウン、生理学・医学賞、1985年
  173. ジョーゼフ・ゴールドスタイン、生理学・医学賞、1985年
  174. フランコ・モディリアーニイタリア、経済学賞、1985年
  175. ダドリー・ハーシュバック、化学賞、1986年
  176. 李遠哲中華民国、化学賞、1986年
  177. スタンリー・コーエン、生理学・医学賞、1986年
  178. リータ・レーヴィ=モンタルチーニイタリア、生理学・医学賞、1986年
  179. エリ・ヴィーゼルルーマニア、平和賞、1986年
  180. ジェームズ・M・ブキャナン、経済学賞、1986年
  181. ドナルド・クラム、化学賞、1987年
  182. チャールズ・ペダーセン当時大韓帝国、化学賞、1987年
  183. ヨシフ・ブロツキーロシア、文学賞、1987年
  184. ロバート・ソロー、経済学賞、1987年
  185. レオン・レーダーマン、物理学賞、1988年
  186. メルヴィン・シュワーツ、物理学賞、1988年
  187. ジャック・シュタインバーガードイツ、物理学賞、1988年
  188. ガートルード・エリオン、生理学・医学賞、1988年
  189. ジョージ・ヒッチングス、生理学・医学賞、1988年
  190. ノーマン・ラムゼー、物理学賞、1989年
  191. ハンス・デーメルトドイツ、物理学賞、1989年
  192. シドニー・アルトマンカナダ、化学賞、1989年
  193. トーマス・チェック、化学賞、1989年
  194. J・マイケル・ビショップ、生理学・医学賞、1989年
  195. ハロルド・ヴァーマス、生理学・医学賞、1989年
  196. ジェローム・アイザック・フリードマン、物理学賞、1990年
  197. ヘンリー・ケンドール、物理学賞、1990年
  198. イライアス・コーリー、化学賞、1990年
  199. ヨセフ・マレー、生理学・医学賞、1990年
  200. エドワード・ドナル・トーマス、生理学・医学賞、1990年
  201. ハリー・マーコウィッツ、経済学賞、1990年
  202. マートン・ミラー、経済学賞、1990年
  203. ウィリアム・シャープ、経済学賞、1990年
  204. ルドルフ・マーカスカナダ、化学賞、1992年
  205. エドモンド・フィッシャー当時中華民国、生理学・医学賞、1992年
  206. エドヴィン・クレープス、生理学・医学賞、1992年
  207. ゲーリー・ベッカー、経済学賞、1992年
  208. ラッセル・ハルス、物理学賞、1993年
  209. ジョゼフ・テイラー、物理学賞、1993年
  210. キャリー・マリス、化学賞、1993年
  211. フィリップ・シャープ、生理学・医学賞、1993年
  212. トニ・モリソン、文学賞、1993年
  213. ロバート・フォーゲル、経済学賞、1993年
  214. ダグラス・ノース、経済学賞、1993年
  215. クリフォード・シャル、物理学賞、1994年
  216. ジョージ・オラーハンガリー、化学賞、1994年
  217. アルフレッド・ギルマン、生理学・医学賞、1994年
  218. マーティン・ロッドベル、生理学・医学賞、1994年
  219. ジョン・ハーサニハンガリー、経済学賞、1994年
  220. ジョン・ナッシュ、経済学賞、1994年
  221. マーチン・パール、物理学賞、1995年
  222. フレデリック・ライネス、物理学賞、1995年
  223. マリオ・モリーナメキシコ、化学賞、1995年
  224. フランク・シャーウッド・ローランド、化学賞、1995年
  225. エドワード・ルイス、生理学・医学賞、1995年
  226. エリック・ヴィーシャウス、生理学・医学賞、1995年
  227. ロバート・ルーカス、経済学賞、1995年
  228. デビッド・リー、物理学賞、1996年
  229. ダグラス・D・オシェロフ、物理学賞、1996年
  230. ロバート・C・リチャードソン、物理学賞、1996年
  231. ロバート・カール、化学賞、1996年
  232. リチャード・スモーリー、化学賞、1996年
  233. ウィリアム・ヴィックリーカナダ、経済学賞、1996年
  234. スティーブン・チュー、物理学賞、1997年
  235. ウィリアム・ダニエル・フィリップス、物理学賞、1997年
  236. ポール・ボイヤー、化学賞、1997年
  237. スタンリー・B・プルシナー、生理学・医学賞、1997年
  238. ジョディ・ウィリアムズ、平和賞、1997年
  239. ロバート・マートン、経済学賞、1997年
  240. マイロン・ショールズカナダ、経済学賞、1997年
  241. ロバート・B・ラフリン、物理学賞、1998年
  242. ダニエル・ツイ当時中華民国、物理学賞、1998年
  243. ウォルター・コーンオーストリア、化学賞、1998年
  244. ロバート・ファーチゴット、生理学・医学賞、1998年
  245. ルイ・イグナロ、生理学・医学賞、1998年
  246. フェリド・ムラド、生理学・医学賞、1998年
  247. アハメッド・ズウェイルエジプト、化学賞、1999年
  248. ギュンター・ブローベル(当時ドイツ帝国、現ポーランド)、生理学・医学賞、1999年
  249. ジャック・キルビー、物理学賞、2000年
  250. アラン・ヒーガー、化学賞、2000年
  251. アラン・マクダイアミッドニュージーランド、化学賞、2000年
  252. ポール・グリーンガード、生理学・医学賞、2000年
  253. エリック・カンデルオーストリア、生理学・医学賞、2000年
  254. ジェームズ・ヘックマン、経済学賞、2000年
  255. ダニエル・マクファデン、経済学賞、2000年
  256. エリック・コーネル、物理学賞、2001年
  257. カール・ワイマン、物理学賞、2001年
  258. ウィリアム・ノールズ、化学賞、2001年
  259. バリー・シャープレス、化学賞、2001年
  260. リーランド・ハートウェル、生理学・医学賞、2001年
  261. ジョージ・アカロフ、経済学賞、2001年
  262. マイケル・スペンス、経済学賞、2001年
  263. ジョセフ・E・スティグリッツ、経済学賞、2001年
  264. レイモンド・デイビス、物理学賞、2002年
  265. リカルド・ジャコーニイタリア、物理学賞、2002年
  266. ジョン・フェン、化学賞、2002年
  267. ロバート・ホロビッツ、生理学・医学賞、2002年
  268. ジミー・カーター、平和賞、2002年
  269. ダニエル・カーネマン(当時イギリス領パレスチナ)、経済学賞、2002年
  270. バーノン・スミス、経済学賞、2002年
  271. アレクセイ・アブリコソフロシア、物理学賞、2003年
  272. アンソニー・レゲットイギリス、物理学賞、2003年
  273. ピーター・アグレ、化学賞、2003年
  274. ロデリック・マキノン、化学賞、2003年
  275. ポール・ラウターバー、生理学・医学賞、2003年
  276. ロバート・エングル、経済学賞、2003年
  277. デイビッド・グロス、物理学賞、2004年
  278. H. デビッド・ポリツァー、物理学賞、2004年
  279. フランク・ウィルチェック、物理学賞、2004年
  280. アーウィン・ローズ、化学賞、2004年
  281. リチャード・アクセル、生理学・医学賞、2004年
  282. リンダ・バック、生理学・医学賞、2004年
  283. エドワード・プレスコット、経済学賞、2004年
  284. ロイ・グラウバー、物理学賞、2005年
  285. ジョン・ホール、物理学賞、2005年
  286. ロバート・グラブス、化学賞、2005年
  287. リチャード・シュロック、化学賞、2005年
  288. ロバート・オーマンドイツ、経済学賞、2005年
  289. トーマス・シェリング、経済学賞、2005年
  290. ジョン・C・マザー、物理学賞、2006年
  291. ジョージ・スムート、物理学賞、2006年
  292. ロジャー・コーンバーグ、化学賞、2006年
  293. アンドリュー・ファイアー、生理学・医学賞、2006年
  294. クレイグ・メロー、生理学・医学賞、2006年
  295. エドムンド・フェルプス、経済学賞、2006年
  296. マリオ・カペッキイタリア、生理学・医学賞、2007年
  297. オリヴァー・スミティーズイギリス、生理学・医学賞、2007年
  298. アル・ゴア、平和賞、2007年
  299. レオニード・ハーヴィッツロシア、経済学賞、2007年
  300. エリック・マスキン、経済学賞、2007年
  301. ロジャー・マイヤーソン、経済学賞、2007年
  302. 南部陽一郎日本、物理学賞、2008年
  303. マーティン・チャルフィー、化学賞、2008年
  304. ロジャー・Y・チャン、化学賞、2008年
  305. ポール・クルーグマン、経済学賞、2008年
  306. チャールズ・K・カオ、物理学賞、2009年
  307. ウィラード・ボイル、物理学賞、2009年
  308. ジョージ・E・スミス、物理学賞、2009年
  309. エリザベス・H・ブラックバーン、生理学・医学賞、2009年
  310. キャロル・W・グライダー、生理学・医学賞、2009年
  311. ジャック・W・ショスタク、生理学・医学賞、2009年
  312. ヴェンカトラマン・ラマクリシュナン、化学賞、2009年
  313. トマス・A・スタイツ、化学賞、2009年
  314. バラク・フセイン・オバマ・ジュニア、平和賞、2009年
  315. エリノア・オストロム、経済学賞、2009年
  316. オリバー・ウィリアムソン、経済学賞、2009年
  317. リチャード・ヘック、化学賞、2010年
  318. ピーター・ダイアモンド、経済学賞、2010年
  319. デール・モーテンセン、経済学賞、2010年
  320. ブルース・ボイトラー、生理学・医学賞、2011年
  321. ソール・パールマッター、物理学賞、2011年
  322. アダム・リース、物理学賞、2011年
  323. ブライアン・P・シュミット、物理学賞、2011年
  324. トーマス・サージェント、経済学賞、2011年
  325. クリストファー・シムズ、経済学賞、2011年
  326. デービッド・ワインランド、物理学賞、2012年
  327. ロバート・レフコウィッツ、化学賞、2012年
  328. ブライアン・コビルカ、化学賞、2012年
  329. アルヴィン・ロス、経済学賞、2012年
  330. ロイド・シャープレー、経済学賞、2012年
  331. ランディ・シェクマン、生理学・医学賞、2013年
  332. ジェームズ・ロスマン、生理学・医学賞、2013年
  333. トーマス・スードフドイツ、生理学・医学賞、2013年
  334. マーティン・カープラスオーストリア、化学賞、2013年
  335. アリー・ウォーシェル(当時イギリス領パレスチナ)、化学賞、2013年
  336. マイケル・レヴィット南アフリカ連邦、化学賞、2013年
  337. ユージン・ファーマ、経済学賞、2013年
  338. ラース・ハンセン、経済学賞、2013年
  339. ロバート・シラー、経済学賞、2013年
  340. 中村修二日本、物理学賞、2014年
  341. ジョン・オキーフイギリス、生理学・医学賞、2014年
  342. エリック・ベツィグ、化学賞、2014年
  343. ウィリアム・モーナー、化学賞、2014年
  344. ウィリアム・セシル・キャンベルアイルランド、生理学・医学賞、2015年
  345. ポール・モドリッチ、化学賞、2015年
  346. アジズ・サンジャルトルコ、化学賞、2015年
  347. アンガス・ディートンイギリス、経済学賞、2015年
  348. デイヴィッド・J・サウレスイギリス、物理学賞、2016年
  349. ダンカン・ホールデンイギリス、物理学賞、2016年
  350. ジョン・M・コステリッツイギリス、物理学賞、2016年
  351. ボブ・ディラン、文学賞、2016年
  352. オリバー・ハートイギリス、経済学賞、2016年
  353. ジェフリー・ホール、生理学・医学賞、2017年
  354. マイケル・ロスバッシュ、生理学・医学賞、2017年
  355. マイケル・ヤング、生理学・医学賞、2017年
  356. レイナー・ワイスドイツ、物理学賞、2017年
  357. バリー・バリッシュ、物理学賞、2017年
  358. キップ・ソーン、物理学賞、2017年
  359. ヨアヒム・フランクドイツ、化学賞、2017年
  360. リチャード・セイラー、経済学賞、2017年
  361. ジェームズ・P・アリソン、生理学・医学賞、2018年
  362. アーサー・アシュキン、物理学賞、2018年
  363. フランシス・アーノルド、化学賞、2018年
  364. ジョージ・P・スミス、化学賞、2018年
  365. ウィリアム・ノードハウス、経済学賞、2018年
  366. ポール・ローマー、経済学賞、2018年





by kabu_kachan | 2019-09-10 21:02 | 科学 | Comments(3)

科学とは何か(代数学の歴史)

いいかね、日本人諸君、

中世ヨーロッパの大学では、
500年間にわたって、
アラビア数学が教えられていたんだぜ。

Science and Islam, Jim Al-Khalili - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=chEjJ5uYlSs

algebra という語はアラビア語al-jabr (アラビア文字表記:الجبر、"reunion of broken parts"(バラバラのものの再結合)[2])に由来し、近代代数学はアラビア数学から発展したもので、その起源を遡ると古代インドの数学にたどり着く。9世紀のバグダードの数学者アル=フワーリズミーが著作した 『イルム・アル・ジャブル・ワル・ムカバラ("Ilm al-jabr wa'l-muqabalah")(約分と消約との学=The science of reduction and cancellation)』(820年)を、チェスターのロバート(あるいはバースのアデラード) )が、"Liber algebrae et almucabala"としてラテン語に翻訳した。この書によってフワーリズミーは代数学を幾何学算術から独立した一分野として確立した[3]。これが後500年間にわたってヨーロッパの大学で教えられたという。al-jabr は、アラビア語では「al」(: ال‎)が定冠詞、「jabr」(: جبر‎)が「バラバラのものを再結合する」「移項する」という意味であることから、インド数学のことである。それ以前にフワーリズミーはインドの数学から学んだことを『インドの数の計算法』として著し、イスラム世界に広めた[4][5]。これは二次方程式四則演算十進法0などの内容でラテン語に翻訳され、著者の名は「アルゴリズム」の語源であるといわれている。

代数学の起源は古代バビロニアとされており[6]、古代バビロニア人はアルゴリズム的に計算する高度な算術的体系を生み出した。古代バビロニア人は、今日一次方程式二次方程式不定一次方程式を使って解くような問題を計算するための公式を開発した。一方同時代(紀元前1千年紀)のエジプトやギリシアや中国では、そのような問題は幾何学的に解かれていた。例えば、「リンド数学パピルス」、ユークリッドの『原論』、『九章算術』などである。『原論』に代表される古代ギリシアにおける幾何学では、個別の問題を解くだけでなくより一般化した解法の枠組みを提供していたが、それが代数学へと発展するには中世アラビア数学がヨーロッパに紹介されるのを待つ必要があった。





by kabu_kachan | 2019-09-08 09:23 | 科学 | Comments(1)

科学とは何か(海底ケーブルと通信技術)

いいかね、日本人諸君、
日本の歴史上、1868年は明治維新の年だろ。
それ以前は江戸時代だよな。

The Meiji Revolution (entire)
https://www.youtube.com/watch?v=gURiHVTJX4A

頭にちょんまげつけていた時代で、電気もなく
通信手段は飛脚だったよな。
人間が、エッサ、エッサと猿みたいに走って
手紙を届けるんだぜ。

この頃のイギリスやアメリカは
どうであったのかちょっと調べてみよう。

最初の実用的な海底ケーブルは1850年、イギリスのドーバーとフランスのカレーの間に開設され、翌年に開局。以降、様々な研究が重ねられ、大西洋横断ケーブルが1858年に開通した。これは2か月半しか稼働しなかったが、1865年に再稼働を果たしている。続いて1903年太平洋横断ケーブルが商業太平洋海底電信会社英語版によりサンフランシスコ-マニラ間で完成した。


電磁気学的テレグラフ」を最初に発明した人物は、ロシアの外交官であったパーヴェル・シリング英語版であると考えられている。シリングは1820年代に発見された電気回路の導線に電流が流れると磁針が振れる現象を利用して、1825年に電磁気学的電信機を発明した。[7]

1837年にウィリアム・フォザーギル・クック英語版により考案されたテレグラフは、実用的なものであった。クックは既存の「電磁気学的テレグラフ」に改良を加えようと考えた。そして、チャールズ・ウィートストンとの協働のもと開発した改良型5針6線システムは、1838年に商業利用段階に入った[12]。同システムは複数の針のふれ具合に基づいて通信文を伝え、1839年4月9日からグレート・ウェスタン鉄道の21キロメートルを超える長さの区間で利用開始された。もっとも、ウィートストンとクックは2人とも、自分たちの装置が新しいものであるとは思っておらず、「(既存の)電磁気学的テレグラフの改良」であるとみなしていた。

テレグラフ・ティッカー(右)とサウンダー(左)

時を同じくして1837年の9月2日、サミュエル・モールス(以下、「モールス」と呼ぶ)が自身の開発した電気的テレグラフ(電信電報)の公開試験を行った。この実験を見学したアルフレッド・ヴェイルがモールスに協力し、レジスタという、通信文を紙のテープに記録するための端末装置を開発した。1838年1月6日に行った公開試験で、このレジスタを含むシステムは首尾よく5キロメートル離れたところまで通信文を伝えた。1844年5月24日にはワシントンD.C.ボルティモアの間の64キロメートル以上の区間の実験にも成功した[注釈 1]

モールスらの発明には特許権が設定されたが、1851年までの間に全米で32,000キロメートル以上もの長さに電報網が広がったことで儲かるものであったことも証明された[14]。モールスは、モールス符号をヴェイルと共同で開発したことで、この電報システムに対して最も重要な技術的貢献をした。モールス符号は、単純でしかも効率が良いため、たった2本のワイヤーしか必要としない。このことがウィートストンの複雑で高価なシステムに対して大きく有利に働いた。モールス符号による通信の効率の良さは、データ転送技術におけるハフマン符号化に先駆けること100年以上も前に実現したものであるが、モールスとヴェイルの2人がより多くの文字をより短いコードで表現しようと試行錯誤した結果、もたらされたものである。

1851年にはイギリス海峡に、ガタパーチャで被覆された海底ケーブルが敷設された[15]。最初の大西洋横断海底ケーブルは1857年と1858年にそれぞれ敷設されたけれども、数日又は数週間、ブキャナン第15代米大統領ヴィクトリア英女王との挨拶文のやり取りに運用されただけで失敗に終わった[16]。新しい大西洋横断海底ケーブルを敷設する計画は南北戦争が原因で5年間先延ばしにされ続けたが、1866年7月27日における大西洋横断電信ケーブルの開設に結実した。こうして大西洋を越える遠隔通信が現実のものとなった。


驚いたかね、日本人諸君、
当時の日本と欧米との間には
とてつもなく大きな文明の差があったんだぜ。
日本で飛脚がサルみたいに走って
手紙を届けていた時代に、
大西洋を隔てたイギリスとアメリカは
海底ケーブルで繋いで、
通信信号でやり取りしていたんだぜ。

Modern Marvels Transatlantic Cable full documentary
https://www.youtube.com/watch?v=4ecxBWvniTU
白人たちが日本人をサルだと見る理由が
ここにある。
1837年と言う年は、日本史に詳しい人は
モリソン号事件が思い浮かぶだろ。
同じこの年にモールス信号が作られたんだぜ。
ちなみに、
1543年に種子島に鉄砲が伝えられた同じ年に、
ポーランド人のコペルニクスが、
地動説の本を刊行したんだぜ。
いいかね、日本人諸君、
日本人が江戸時代の鎖国をする前から、
西ヨーロッパでは、科学革命が進行してたんだぜ。
このアホ猿徳川め!
100回言っても足りないぜ。

ここで一句。
日本猿 鎖国をやって 白痴猿
鎖国とは ニッポン猿の DNA
サル同士 みんなで籠る サル世界
サル同士 サルの世界で サル喧嘩
サル喧嘩 やればやるほど 退化する
日本猿 ケンカするしか 能がない

いいかね、幕末の志士たちは
サル喧嘩をやってたんだぜ。
志士たちの中で、電磁気学的電信機を
作ったものがいるかね。
1825年にすでにロシア人が作っているんだぜ。
今の日本人も同じなんだぜ。
スマホの動く原理も知らないで、
ネット上でサル喧嘩ばかりやっているんだぜ。
サル喧嘩する暇があるなら、
少しは頭が進化することを考えろ。
サルだから無理だろ。(笑)
「オ、オレはサルなのかぁ~~~~~~?!」
って吠えてろ。

NIKOLA TESLA documentary 2015 - BEST Documentary about TESLA !
https://www.youtube.com/watch?v=qpZL9WCvuTI



ロシア人も大したもんだろ。
何度も言っているが、ロシア人は
白人中の白人なんだぜ。
もともと白人の発祥の地は
コーカサス山地(ロシアの南部)なんだぜ。

今現在、日本人は、インターネット時代、
インターネット時代とサルみたいにはしゃいでいるだろ。
このインターネット通信時代のすべて
(海底ケーブルからパソコンやスマホまで)を
つくり上げたのが白人たちなんだぜ。
その中心となったのが、
英語の国のイギリスとアメリカなんだぜ。
私が「英語は世界言語である」と言う理由が
ここにある。

Interview Steve Jobs and Bill Gates by Kara Swisher and Walt Mossberg at D5 Conference 2007.avi
https://www.youtube.com/watch?v=-LUGU0xprUo


パソコンとスマホを繋いだ天才=スティーブ・ジョブズ
https://kabukachan.exblog.jp/30301536/



by kabu_kachan | 2019-08-29 23:34 | 科学 | Comments(0)

科学とは何か?(科学とは西洋人の文化なり・ニッポンの伝統文化はサル文化)

科学とは何か?

日本人が永遠に問い続けなければならない
テーマなんだぜ。
なぜなら、科学は日本やアジアで
起こったのではないからである。
日本の科学はすべて猿真似科学なんだぜ。

いいかね、日本人諸君、
毎日、毎日、パソコンやスマホと睨みっこして
時間の暇つぶしをする間があるなら、
なぜ、パソコンやスマホやドローンを
世界で最初に
日本人が作らなかったのかを考えろ。
パソコンもスマホもドローンも
最初に作ったのはアメリカ人なんだぜ。

結論はひとつ。
日本人はサルだからだぜ。(笑)
スマホでサルゲームは一人前にやるが
英語もろくにわからんバカ猿なんだぜ。

Intro to History of Science: Crash Course History of Science #1
https://www.youtube.com/watch?v=YvtCLceNf30

Crash Course History of Science Preview
https://www.youtube.com/watch?v=-hjGgFgnYIA&list=PL8dPuuaLjXtNppY8ZHMPDH5TKK2UpU8Ng

Mathematics | BBC Science Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=qNlYMPmaMhs

What is a function? | Functions and their graphs | Algebra II | Khan Academy
https://www.youtube.com/watch?v=kvGsIo1TmsM

How To Use Functions In Python (Python Tutorial #3)
https://www.youtube.com/watch?v=NSbOtYzIQI0

The Birth Of Calculus (1986)
https://www.youtube.com/watch?v=ObPg3ki9GOI

Calculus -- The Foundation of Modern Science | documentary national geographic,
https://www.youtube.com/watch?v=5VLzD33_yyQ

Big Picture of Calculus
https://www.youtube.com/watch?v=UcWsDwg1XwM

Science and Islam, Jim Al-Khalili - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=chEjJ5uYlSs

Introduction to Calculus: The Greeks, Newton, and Leibniz
https://www.youtube.com/watch?v=rBVi_9qAKTU

Understand Calculus in 10 Minutes
https://www.youtube.com/watch?v=WjJ-kpgps1c


ここで科学の歴史を説明しよう。

何度も言っているが、
アラビア数字(0.1.2.3.4.5.6.7.8.9)は
インド人が発明したんだぜ。
このインド人が発明した数字が
アラビア世界に伝わり代数学が発達したわけだ。
一方、古代ギリシアではユークリッド幾何学の
証明のために論理学が発達したわけだ。

そして16世紀から17世紀にデカルトが
座標と文字式を考案し、アラビア数字と代数学と
古代ギリシアの論理学を統合して、
ニュートンが運動力学を発明して
近代科学思想が生まれたわけだ。

この近代科学思想が日本に入って来たのは
蘭学の時代であろう。
しかし当時の日本人は、
科学を完全には理解できなかったであろう。
そして明治になって、西洋の科学を
本格的に導入したのであるが、
やはり完全には理解できなかったのである。
そこで明治の日本人は、
完全に理解することを諦めて、
完全な猿真似をやったのである。
このときの猿真似伝統は現在も続いている。
たとえば、大学入試の数学や物理の問題を
公式を使って解くだろ。
なぜその公式が生まれたのかを
根本的に考えないだろ。

科学の根本的概念ですら、
もともと存在していたのではなくて、
人間の頭で作ったものである
ということがわからないのである。
だから日本人には新しい科学や技術を
生み出せないのである。

すなわち、
近代科学思想とは西洋人の文化なんだぜ。
言い換えると、
科学とは、西洋人の論理文化なんだぜ。

いいかね、日本人諸君、
日本の歴史の中に、論理文化はない。


何度も言っているが、ヒストリーチャンネルの
「古代の宇宙人」を見ているかね?
この番組で、アインシュタインの
相対性理論が出てくるだろ。
タイムトラベルの話も出てくるだろ。
古代の宇宙人も出てくるだろ。
古代の宇宙人の遺伝子操作も出てくるだろ。

この番組は、科学と嘘と空想を織り交ぜた
SF小説なんだぜ。
なぜ、宇宙人、宇宙人と騒ぐのかというと、
嘘でも何でもいいから、結果として
科学が進歩すればいいという
究極の目標があるわけだ。
常に科学を進歩させようと言う意思、
つまり文化があるわけだ。
近代科学を我々が作ったと言う意識が
働いているわけだ。
アメリカ人にその意識が強いのは、やはり、
近代科学の父がアイザック・ニュートンだからだろう。
いいかね、
英語の世界の中に、アイザック・ニュートンはいるんだぜ。
日本語の世界の中には誰がいるのかね?
ドラえもんかね?(笑)

Isaac Newton: His life and Work - Simon Schaffer 1983
https://www.youtube.com/watch?v=GvW_Y9sw6hk

Newton and Leibniz: Crash Course History of Science #17
https://www.youtube.com/watch?v=9UKGPOwR-iw

Documentary : Top 10 equations that changed the world | 1080p
https://www.youtube.com/watch?v=0K-t090uvL4

日本人にはこの意識は働かない。
日本人の科学技術はすべて猿真似だからである。
今現在、日本の社会で広く普及している
洋式のウォシュレット・トイレがあるだろ。
これだって、元の技術はアメリカなんだぜ。

いいかね、日本人諸君、
この「古代の宇宙人」を見て、
宇宙人はいる、いや、いないと
議論するのはサルレベルなんだぜ。

架空の宇宙人を登場させることによって、
さらに宇宙科学を進歩させようと言う
この番組の意図を読み取らないとだめだぜ。
かつて大航海時代に、
真っ先に大陸を発見した者が
その大陸を自分たちの領土に
できると言う時代があっただろ。
これから先、大宇宙航海時代がやって来て
真っ先に他の惑星に行った者が
その惑星を所有できると言う時代が
やってくるかもしれないんだぜ。
そうなると、宇宙科学や宇宙航空技術が
いちばん進んだ国がいちばん有利となるだろ。
その国は間違いなく英語の国アメリカだぜ。
残念ながら、サルレベルの国の日本じゃないんだぜ。


ここで一句。

猿真似は ニッポン猿の 得意技
才よりも カネがすべてと 日本猿
猿真似は ニッポン国の カネ儲け
猿真似を 科学の進歩と 勘違い



レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452年~1519年)

レオナルドは多才な人物だったが、存命中から現在にいたるまで、画家としての名声がもっとも高い[2]。とくに、その絵画作品中もっとも有名でもっとも多くのパロディ画が制作された肖像画『モナ・リザ』と[4]、もっとも多くの複製画や模写が描かれた宗教画『最後の晩餐』に比肩しうる絵画作品は、ミケランジェロ・ブオナローティが描いた『アダムの創造』以外には存在しないといわれている[1]。また、ドローイングの『ウィトルウィウス的人体図』も文化的象徴英語版と見なされており[5]、イタリアの1ユーロ硬貨、教科書Tシャツなど様々な製品に用いられている。現存するレオナルドの絵画作品は15点程度と言われており決して多くはない。これはレオナルドが完全主義者で何度も自身の作品を破棄したこと、新たな技法の実験に時間をかけていたこと、一つの作品を完成させるまでに長年にわたって何度も手を加える習慣があったことなどによる[注 1]。それでもなお、絵画作品、レオナルドが残したドローイング科学に関するイラストが描かれた手稿、絵画に対する信念などは後世の芸術家へ多大な影響を与えた。このようなレオナルドに匹敵する才能の持ち主だとされたのは、同時代人でレオナルドよりも20歳余り年少のミケランジェロ・ブオナローティだけであった。

レオナルドは科学的創造力の面でも畏敬されている[2]ヘリコプター戦車の概念化、太陽エネルギーや計算機の理論[6]、二重船殻構造の研究、さらには初歩のプレートテクトニクス理論も理解していた。レオナルドが構想、設計したこれらの科学技術のうち、レオナルドの存命中に実行に移されたものは僅かだったが[注 2]、自動糸巻器、針金の強度検査器といった小規模なアイディアは実用化され、製造業の黎明期をもたらした[注 3]。また、解剖学土木工学光学流体力学の分野でも重要な発見をしていたが、レオナルドがこれらの発見を公表しなかったために、後世の科学技術の発展に直接の影響を与えることはなかった[7]。 また、発生学の研究も行っていた。更に眼を調べることで光と眼鏡の原理も解明していた。

History Documentary BBC ❖ Leonardo DaVinci, behind a Genius
https://www.youtube.com/watch?v=5yT4IkPtTRo

Leonardo da Vinci Technology - Full Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=uzPKEO-0y0k

Will Durant---Leonardo da Vinci
https://www.youtube.com/watch?v=Z46opeQ4kek


おまけ!

Victory Parade in Moscow 2015 HD (70th anniversary of the Great Victory)
https://www.youtube.com/watch?v=eCVLx0tBsV0

The Power of Putin - Documentary 2018, BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=ZZ-Kwr0VFUE


by kabu_kachan | 2019-08-16 18:31 | 科学 | Comments(1)

日本には明治まで学問はなかった(日本人はアホ民族である・その3)

日本の歴史には、明治まで学問はなかったんだぜ。
それでは、西洋ではどうであったか。

Cathedrals and Universities: Crash Course History of Science #11
https://www.youtube.com/watch?v=0wDlLwLIFeI



西洋[編集]

ローマ帝国が分裂した後、ヨーロッパはキリスト教封建制に基づく時代が続く。技術革新が皆無だったわけでは無いが、アウグスティヌスが「真実は、手探りで模索する人間が推測することよりも、むしろ神が明らかにすることである」と言ったように、あらゆるものは発見されているからアリストテレスガレノスなどの先人の研究だけをすればよい、といったような後ろ向きの状態が続いた。さらに6世紀から10世紀の間にギリシャ語ラテン語の文献も失われていった[8]。この西洋中世カトリック支配の時代は暗黒時代と呼ばれることも多いが、反論もある。

8世紀カロリング・ルネサンス数学などが復活するが、あくまでも神学の付属という位置づけだった。農業は家畜の利用が始まり、水車や風車といった動力を得て生産力を上げてゆく。

11世紀十字軍運動が起こり、中東地域への遠征が行われるようになる。このことによってヨーロッパがアラビア科学に出会い、コーランラテン語への翻訳に始まり、多数のアラビア語の文献が翻訳されるようになっていく。

12世紀まではヨーロッパの科学はキリスト教神学であったが、アラビア科学に触発されて積極的に哲学天文学数学、自然科学、論理学倫理学などをアラビア科学だけでなくギリシア科学からも研究されるようになり、パリ大学といった大学が開校されるようにもなる。古代科学もアラビアから翻訳され、神学と科学の融合も試みられる(スコラ学)。

13世紀には急激に大学の数が増え、ケンブリッジ大学パドヴァ大学などヨーロッパ各地で開校が進んだ。当時の大学はいくつかの学部が設けられ、世俗教師と修道会教師が教育にあたった。羅針盤が伝わり、造船技術の進歩とともに航海術の発展を可能にした。

14世紀にはパリ大学などで自然科学、特に力学や運動論についての研究が行われ、加速度運動や加速の原因論などが考えられた。オレームビュリダンが力学的考察を行い、ベーコンが実験の重要性を指摘するなど、近代科学の土台が築かれる。

15世紀ルネサンスには、ダ・ヴィンチヴェサリウスコペルニクスなどが活躍し、グーテンベルクによって活版印刷が発明された。1492年にレコンキスタが終了するころになると、教会よりもむしろ諸侯の権力が強くなってくる。また、十字軍遠征によって東方の文化と接触したことから、東洋に行きたいという商業的なモチベーションも高まり、大航海時代の幕開けに繋がった。

大航海時代は、やがて世界の市場を繋ぐことになった。三角貿易(奴隷貿易)などが発展した。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。一方、貿易によって富みを得た一部の商人達は、ブルジョワ階層を形成し、やがて市民革命の主体となった。市民革命の結果、農地囲い込み運動などにより、農業の生産性が大幅に改善する(農業革命)と、ヨーロッパの人口が増加する。この人口増加は都市化や産業革命に影響することになった。

16世紀イギリスでは工場制手工業が始まり、工場に労働者が集まり分業して働くことにより、生産性が高まる。鉱業・精錬・冶金技術が確立され、時計などの精密な機械の製作が可能となる。同時期にルターにより宗教改革が起こり、カトリック支配体制が揺らぎ始める。

17世紀科学革命の時代と呼ばれアリストテレス以来の価値観からの転換が始まる。ガリレイ望遠鏡を使って天体を観察し、コペルニクス地動説に賛同して教会の反感を買い幽閉されるが、その後も『天文対話』に自分の考えを残した。その後、ケプラーニュートンを経て地動説は確立する。ニュートンは光の研究も行い、世界を数学的に捉える力学の原理を打ち立てた。望遠鏡での発見とは逆に、レーウェンフック顕微鏡微生物を発見する。ギルバートはイギリス女王の前で磁石の実験を行い、ウイリアム・ハーベーは動物の解剖と観察から血液の循環を発見する。デカルト機械論自然観に立って宇宙のエーテルや人間の動物精気を論じた。ボイルは気体の研究を行った。


ちなみに、私が高校のときに
大学受験のために使った参考書には
こう書いてある。

西洋の大学の起源

12~13世紀にいたって、交換・貨幣経済が開始され、
人と文物の交流がさかんになると、各地に
大学(university)が設立された。
教師や学生はギルド的な団体を形づくり、
(university の語は中世ではギルドの
意味であった)、
しだいに聖俗諸侯の支配からはなれて、
あらたに学問研究の中心機関となり、
西欧の学問は本格的に始められた。
ボローニャ(Bologna)は当時復活した
ローマ法の研究で、
サレルノ(Salerno)は医学、
パリ(Paris)は神学で有名となり、
このほかオックスフォード(Oxford)、
ケンブリッジ(Cambridge)などがあり、
15世紀末までに、約80の大学が生まれた。

講義はすべてラテン語であったが、当時の
大学の教授科目は神学・法律・医学・哲学の
4科で、最後の哲学は七つの教養学科
(seven liberal arts)に分かれ、
文法・修辞・弁証法(論理)・算術・幾何・
天文・音楽があった。
のちにはこの7教養学科が主要な科目の地位を
うるようになり、
とくにアリストテレスの論理学は重要視された。


いいかね、日本人諸君、
日本の歴史上の明治までに、
このような大学が日本にあったかね?
日本の歴史に学問はなかったんだぜ。
すなわち、
日本は、明治まではサルの国だったんだぜw。



大学 (universitas) の歴史[編集]

大学を近代西欧語の大学(: università: university: université: Universität)という意味で捉えるならば、その歴史は12世紀-13世紀に始まる。もともとはラテン語の "universitas" (ウニベルシタス)を起源とし、学生のギルド(組合)から始まる。世界最初の校則は、学生のギルドから教師達への規則(「学生ギルドに無断で授業を休まない」「学生ギルドに無断で都市からでない」など)として作られた。その後、教師のギルドも作られ、連合体を意味するようになる。ギルド=組合を意味する大学は、学生間で上下関係がなく、日本語の訳語としては「大学」ではなく「組合」とした方が原義に近い[1]。ウニヴェルシタスという語はもともと団体全般を指していたが、特に「教師と学生の団体」(Universitas societas magistrorum discipulorumque 大学ハ教師ト学生ノ組合ナリ)を指すようになった[2]

中世の大学の中でも最初期の代表的なものはイタリアのボローニャ大学とフランスのパリ大学である。ボローニャ大学は自由都市国家ボローニャで生まれた。11世紀末以来、『ローマ法大全』を研究したイルネリウスをはじめとして多くの法学者が私塾を開いていたボローニャは、法学校のある学都として有名になり、ここに各国から集まってきた学生たちが市民や市当局に対して自分たちの権利を守るために結束して作った組合が大学の起源である。この意味での大学は自然発生的に成立したものであるため、創立年を明確に示すことはできない[3]。一方、12世紀のパリにはノートルダム司教座聖堂付属学校や聖ジュヌヴィエーヴ修道院付属学校をはじめとして多くの学校があり、アベラールもパリでよく講義を行っていた。12世紀末までにこれらの教師たちが権力者の介入に対抗して結集したのがパリ大学の始まりである。私塾の連合体としてのパリ大学がいつ成立したかを明確にすることはできないが、1200年にフランス王の勅許を得、1231年の教皇勅書『諸学の父』によって自治団体として認められた。イングランドオックスフォード大学とフランスのモンペリエ大学もこのように自然発生した大学である[4][5]。こうした初期の大学では、何らかの事情により教師と学生が集団で他の都市に移住することがあり、それによってオックスフォード大学からケンブリッジ大学が、パリ大学からオルレアン大学が、ボローニャ大学からパドヴァ大学が生まれた。さらにローマ教皇によってトゥールーズ大学が、王権によってサラマンカ大学ナポリ大学が設立された。14世紀に入ると神聖ローマ帝国の領邦君主らによってプラハ大学ウィーン大学ハイデルベルク大学が相次いで創設された。

中世の西ヨーロッパにおいて、大学は、神学部キリスト教聖職者の養成)、法学部法律家の養成)、医学部医師の養成)の3つの上級学部と自由学芸学部との4学部からなり、専門職を養成することが大きな役割であった。12世紀から13世紀の間の社会の専門職化の増大に伴って、同様の要求が職業的聖職者に対しても増大した。12世紀以前には、ヨーロッパの知的生活は修道院に託されていた。修道院は、もっぱら典礼と祈りの研究に関わっており、少数の修道院が本当の知識人を誇ることができた。教会法秘蹟の研究についてのグレゴリウス改革の重点化に従って、司教は、教会法に基づいて聖職者を養成するための、さらに説教と神学的議論で使うための論理学や論争、より効果的に財務を管理するための会計学をふくむ教会運営のより世俗的側面においても聖職者を養成するための司教座聖堂学校を組織した。西方ラテン教会圏で中世末までに生まれた多くの大学は、カトリック教会の後援により、教皇や世俗君主の主導で設立された。これらの大学は、ボローニャ大学やパリ大学が「自生的大学」であるのに対して、「創られた大学」と呼ばれる。


by kabu_kachan | 2019-08-14 23:07 | 科学 | Comments(1)

日本の歴史に科学はない(日本人はアホ民族である・その2)

科学とは 西洋人の 文化なり

いいかね、日本人諸君、
日本の歴史上に科学は存在しないんだぜ。
日本の歴史において、科学の始まりはいつかと考えると、
種子島の鉄砲の伝来(1543年)の年を言う人がいるだろ。
しかしこの時は、日本人は西洋の科学を認識していない。
鉄砲は日本人の得意な猿真似で作ったんだぜ。
奇しくも、1543年にはコペルニクス(ポーランド人)が
地動説の本を刊行している。
日本人が西洋の科学を認識したのは、
江戸時代の蘭学のときなんだぜ。
そしてこのあとの明治に、日本人は
西洋科学文明の見事な猿真似をやったわけだ。
いいかね、西洋では科学は
古代ギリシア時代から
存在しているんだぜ。
すなわち、科学とは西洋人の文化なんだぜ。
だから日本の文化に科学はない。
日本の学問では、日本文化史と科学は区別しているだろ。
すなわち、文系と理系で区別しているわけだ。
当然、科学は理系に含まれていて、
外来の学問として認識されている。
科学は外来の学問だから、日本人には
関係ないと考えているんだよな。
これが日本人の頭に科学的精神が
育たない理由なんだぜ。
外来の学問は猿真似をすれば済むと
考えているんだぜ。
これって、サルそのものじゃないのかね?
だから、スマホを見て画面を動かしても、
なぜ動くのかを考えないんだよな。
サルだからな。(笑)

Intro to History of Science: Crash Course History of Science #1
https://www.youtube.com/watch?v=YvtCLceNf30

Mathematics | BBC Science Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=qNlYMPmaMhs

The History of Mathematics and Its Applications
https://www.youtube.com/watch?v=2No_CMrxBe8

The Hindu-Arabic number system | Elementary Mathematics (K-6) Explained 4 | NJ Wildberger
https://www.youtube.com/watch?v=y6oS7zE71Dw

Math is the hidden secret to understanding the world | Roger Antonsen
https://www.youtube.com/watch?v=ZQElzjCsl9o




by kabu_kachan | 2019-08-02 18:39 | 科学 | Comments(1)

デカルトによる科学革命(ドローンの歴史)

ルネ・デカルト(1596年~1650年)
徳川家康 (1543年~1616年)
アイザック・ニュートン(1642年~1727年)
関孝和  (生年不明~1708年)

Scientific Method - Galileo,Newton,Descartes, Bacon
https://www.youtube.com/watch?v=SBx2XAhR8PI

07. What did Newton learn from Descartes and Wallis?
https://www.youtube.com/watch?v=UiHiQmq1Ho0

Isaac Newton: The Man and his Hidden Life
https://www.youtube.com/watch?v=TJawNbIGYbo

BBC Documentary, Full Documentary, History - Sir Isaac Newton
https://www.youtube.com/watch?v=KUW-xcAbsVY

GL Isaac Newton and Rene Descartes - Google Slides
https://www.youtube.com/watch?v=GtcFB-FYdH4

Tesla Descartes Newton Voltaire Laplace
https://www.youtube.com/watch?v=diID_B17ikQ

Will Durant --- René Descartes (1596 - 1650)
https://www.youtube.com/watch?v=eyJUahX_b3A

いいかね、日本人諸君、
デカルトやニュートンと
パソコンやスマホは
つながっているんだぜ。
ここがわかっている日本人がいるのかね?
     ☟

A hands-on introduction to Python for beginning programmers
https://www.youtube.com/watch?v=rkx5_MRAV3A
このPythonを解説しているお姉さんは
MITを出ているんだぜ。
日本のサル諸君では無理だぜ。

Interview Steve Jobs and Bill Gates by Kara Swisher and Walt Mossberg at D5 Conference 2007.avi
https://www.youtube.com/watch?v=-LUGU0xprUo

いよいよ、暑い夏がやって来ただろ。
いいかね、日本人諸君、
アホ祭りも、アホ野球も、アホ相撲も、
サルでもできるんだぜ。
サルができることに感動してたら
サルと同じじゃないか。
サルがパソコンやスマホを作れるかね。
サルがプログラミング言語を作れるかね。
おい、パソコンやスマホと睨みっこして
サル遊びする暇があったら、
パソコンやスマホの動く原理は何かを考えろ。
演歌で水前寺清子が歌っているだろ。
「サルが~できな~い~ことをやれ~~!」

スマホの動く原理がわかって感動してみろ。
サルだから無理だろ。(笑)
「オ、オレはサルなのかぁ~~~~~~?」
って、また叫んでいるだろ。
スマホでサルゲームやっているときは
感動するくせに、スマホが動く原理が
わからないことをサルと言うんだぜ。

Steve Jobs Unveils The Original iPhone - Macworld San Francisco 2007
https://www.youtube.com/watch?v=e7EfxMOElBE

私の名句。
日本猿 車とスマホが おもちゃなり
日本人 サルがやること 自慢する
日本猿 進化の意味が わからない
科学とは 世界支配の 道具なり


いいかね、日本人諸君、
ミサイルもパソコンもスマホも、
科学に関するいっさいすべてが
世界支配の道具なんだぜ。
そして科学の最先端を
リードしている言語が英語なんだぜ。
残念ながら、日本語じゃないんだぜ。
いいかね、日本のサル諸君、
スマホも、現在注目されているドローンも、
最初に開発したのはアメリカ人なんだぜ。
残念ながら、日本人じゃないんだぜ。

The Drone Age
https://www.youtube.com/watch?v=9e_HkxOYgAE

History of the Modern Consumer Drone
https://www.youtube.com/watch?v=cR8M4Xl6N3U

7 Years Of Consumer Drone History (2012-Present)
https://www.youtube.com/watch?v=s35HIK_OGtY

RISE OF THE DRONES - NOVA (full documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=ikuu2VU2WCk




数学史の窓から ― 教室で使える話題 ⑥

デカルトによる数学の革新

東京海洋大学名誉教授・学習院大学非常勤講師
中 村 滋

以下抜粋

「数学史の窓から」シリーズも6回目になりました。
今回はデカルトを取り上げます。
私の高校時代に次のエンゲルスの言葉を聞いて以来、
「デカルトによる変量の導入」はずっと気になっていたのです。
数学における転回点は、デカルトの変量であった。これによって、運動が,また従って弁証法が、数学に導入された。そのおかげで、微分的な方法と積分的な方法とが必然的なものとなった。微分法や積分法はすぐに相次いで発生し、ニュートンとライプニッツによってほぼ完成されたのであって、彼らの手で発見されたのではない。 (エンゲルス著『自然弁証法』)


デカルト登場

1637年にデカルトは、「我思う、ゆえに我あり」で有名な『方法序説』を出版します。これは近世合理主義哲学の基礎を築いたとされるエポック・メーキングな書物でしたが、序説はあくまでも序説であって、その後に大部の科学論考が3つ付いている大著でした。全体で500ページを超える大著の最初の78ページが哲学の歴史を変えたのです。3つの科学論考は試論と呼ばれ、『光学』『気象学』『幾何学』から成っていました。このうちの『幾何学』が数学の歴史を変えることになるのです。これは座標を使って幾何学の問題を代数的に解く「解析幾何学」を創始したと評される重要な歴史的な書物ですが、実はその中身 を見るともっとずっと重要なことがあります。

記号代数学の完成


一つは、記号代数学を完成したことです。前世紀末のヴィエトの画期的なアイディア をうけてそれをさらに徹底し、既知の定数を、a,b,c,d,・・・ などアルファベットの 初めの方で、未知数をx,y,z,・・・ などアルファベットの後の方で表すことにしました。 これだけではただ使った文字が変わっただけですが、デカルトは古代ギリシア以来の重い伝統だった「次元へのこだわり」を取っ払ってしまったのです。これはどういうことかと言うと、長さという量を2つ掛け合わせると面積になり、3つ掛け合わせれば体積になりますが、面積と長さを加えたり、面積と体積を加えたりすることは意味がないものとして、固く禁じられていたのです。この次元合わせのために次元の低い方に定数を掛ける必要がありましたし、長さを4つ以上掛ける意味もなかったのです。
デカルトは巻頭で「幾何学のすべての問題は、作図するために必要ないくつかの直線の長さを知りさえすればよいということに容易に還元することが出来る」と宣言した後で、加減乗除および累乗根の作図法を述べています。そして単位(1)を導入して、何次の式でも直線上の長さとして表されるとしたのです。これによって古代ギリシアの束縛から離れることが出来ました。これこそ近世数学の離陸の瞬間といえるでしょう。デカルトによっ て可能になった表現法を使うと、古代ギリシアでは、x2=ax+b2 のように次元を 揃えなければいけなかったものが、今度は、x3+bx=ax2+c などと書くことも 可能になったのです。なお、ここで出てきたx3 やb2 などの表記法もデカルトの創意です。等号だけ = ではない特別の記号を使ったのを除けば、今とほとんど同じ感覚で読むことが出来ます。これが記号代数学を完成させたという意味です。

変量の導入

もう一つ重要なことは、この融通自在の数式表現法完成と密接に関連しています。どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質は明らかにできる、とした彼は、いくつもの曲線を取り上げて分析をしています。例えば、デカ ルトは式 y2=2y-xy+5x-x2 から直ちに、y=1-x/2+√(1+4x- (3/4)x2 )を導いています。これは楕円を表していますが、xの値を決めればyの値 が決まることは明らかですね。
曲線y2=2y-xy+5x-x2 のような表記法が可能なのは、xが色々な値をとると、それに対応してこの式を満たすようなyの値が決ま るからです。こうしてこの軽やかな記号法によって「変量(変数)」(quantitès indeterminèes & inconnuës,不定かつ未知の量) の考え方が初めて可能になったの です。これがデカルトによる変量の導入です。

最新数学の普及

デカルトによるこれらの「革命」の意義をはっきりと認識し、フランス語で書かれた原書を当時の学問の共通語であるラテン語に訳したのは、オランダにいたデカルトの弟子スホーテンです。注釈や解説をつけて1649年にラテン語訳第1版を出版し、さらに自分で書いた解説的な著書や他の人の論文などを加えて、翻訳の第2版を1659年と61年に2巻本として出版しました。第2巻の巻頭にはスホーテンのライデン大学での講義録『普遍数学の諸原理 ― ルネ・デカルト幾何学の方法への序説』が収められていて、これが新数学への良い手引きになったのです。若き日のニュートンもライプニッツも『幾何学』だけではなく、これを読んでデカルトの記号法や考え方をマスターした のでした。 (以上、中央区民カレッジのレジュメより)


2.デカルトによる革命

もしも私が他の人よりも遠くまで見ることが出来たとすれば、それは単に私が巨人たちの肩の上に立っていたからなのです。(ニュートンのフック宛の返信(1676.2)の一節)

巨人たちの肩の上

1675年に王立協会でニュートン・リングに関するニュートンの論文が読まれた後でフックはニュートンに手紙を送り、光学上の意見を述べるとともに、間に人を介さずに直接文通することを提案しました。その返信の中でニュートンは、「デカルトの業績は大きな一歩です。あなた自身、様々な方法で、・・・、そこに多くのものを付け加えられました。」と書いた後、とても有名な上記の言葉を書いたのです。いつものニュートンらしくもなく、極めて謙遜なこの言葉は、直接にはデカルトとフックの光学上の業績を頭において書かれたものです。でも力学に例をとっても、慣性の法則を最初にきちんと捉えたのはガリレオ・ガリレイではなくデカルトでした。だからニュートンの言う「巨人」としては、真っ先にデカルトを考えるべきなのでしょう。ニュートンの言う巨人とは、8-9割方デカルトをさすと言い切る著者もいるほどです。

数学上の偉業

しかし、先駆者デカルトのこれら自然科学における偉業よりも、はるかに大きな仕事が、数学という世界でデカルトによってなされました。それが、記号代数学の完成であり、それによって可能になった変量の導入でした。それを少し詳しくお話しします。
彼が始めたことをまとめると、次のようになります。
(1)未知数をx,y,z,・・・ などで表し、既知数をa,b,c,・・・ などで表す。
これはヴィエトが導入したアイディアを引き継いで完成させたものでした。 (2)a2,b3,cx4,などのべき乗の書き方を工夫したのも彼でした。(1)とあわせて、記号代数学をほぼ完成させたと言ってよい仕事です。
(3)そして、以上のことよりも大きいのは、何次の式でも線分の長さで表せるとして、古代ギリシア以来の「次元の束縛」を脱したことです。これによって初めて、現在 学校教育でも普通になっている y=ax2+bx+c のような表記が可能になりました。一つの文字は何らかの長さを表す、とした無言の束縛の影響は大きくて、面積と体積を加えたり、そこから長さを引いたり、というようなことは古代ギリシア以来、意味のないことになっていたのでした。しかし、今から4000年近く昔の古代バビロニアでは、次のような問題が普通に解かれていました。
私が面積の中から私の正方形の1辺を引いたら870であった。 (BM13901№2)
正方形の面積から1辺の長さの4倍が引かれて780。1辺の長さはー(TMS 6)
このように、昔は自然に面積から長さを引いて2次方程式を解いていたのです。「次元の束縛」は厳密すぎる古代ギリシアで生まれたもので、ある意味では、数学のその後の自然な発展を阻害するものだったとも言えるのです。
以上をまとめると、彼の工夫によって初めてデカルトの正葉曲線 x3+y3=3xy
などを論じることが出来るようになったことが分かります。

変量の導入

そしてこの軽やかで万能な記号法は、数学の世界にもう一つの大きな変革をもたらします。それが変量の導入です。
(4)最初に引用したように「どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質は明らかにできる」とした上で具体的な曲線、例えば楕円 y2=2y-xy+5x-x2 からy=1-x/2+√(1+4x-(3/4)x2 )
を導きます。こう書けば明らかにxの値を決めるとyの値が決まることが分かりま す。そこで、任意のxに対してy2=2y-xy+5x-x2 を満たすyを求めて、
点 (x,y) を全部集めると、楕円になるのです。xが色々な値をとると、それに対応してこの式を満たすようなyの値が決まるからです。「こうしてこの軽やかな記号法によって変量(変数)(quantitès indeterminèes & inconnuës,不定かつ未知の量) の考え方が初めて可能になったのです。」
その後の数学の発展を考えるとき、この一歩は実に大きな一歩でした。数学史上の一つのエポックですが、その重要性のわりに正面から論じられることの少ないのは不思議です。今日のタイトルを、デカルトによる数学の革新、とした理由です。その重要性に気付いたスホーテンのような人たちは、この新しい記号法について大学で講義をし、
本を出版し、さらにデカルトの『幾何学』を当時の学問の共通語であるラテン語に翻訳し、多くの解説や講義録をつけて出版したのでした。

新世代による受容

デカルトの次の世代の数学者たちは、この画期的な記号法を急速に吸収し、自由自在に使いこなし始めました。若き日のニュートンもライプニッツも、スホーテンによる『幾何学』ラテン語訳(第2版、1659/61)とその解説論文を読んで最新の数学をマスターしたのです。ライプニッツは上記(4)の中に含まれているけれども、はっきりとは書かれていなかったxとyの対応関係に気付き、関数概念を functio というラテン語で表しました。ですから、新世代による受容と言っても、単なる受容を超えて、新たな発展をも意味していました。現代の数学にまで使われている便利な記号法は、若い世代によってその威力を存分に発揮し始めたのです。

微分積分学の構築へ

そして、ケプラー、カヴァリエーリ、トリチェリ、バロー、フェルマー、パスカルなどの天才たちによる、17世紀の初めから続いていた微分積分学形成への胎動は、デカルトが切り開いたこの新しい数学をマスターした2人の天才、ニュートンとライプニッツによってついに一つのアルゴリズムへと結晶していくのです。このときの微分積分学を作り上げるダイナミックな動きを追ってみると、ギリシア数学の幾何学的な厳密さにこだわったトリチェリやバローは、実質的に「微分積分学の基本定理」に気付きながら、それをアルゴリズムとすることが出来なかったことが分かります。「微分積分学」≒「無限小解析」は「無限小幾何学」 からではなく、「無限小代数」から生まれ出る運命にあったのです。こんなところからも、デカルトによる数学の革新の意義の大きさが分かります。
なお参考までに、日本の和算の記号について一言述べておきましょう。ニュートン、ライプニッツと同時代の天才関孝和は、傍書法と呼ばれる記法を考案して高次方程式を解きましたが、算木式に数を書いた脇に係数などを書く方法にはやはり限界がありまし た。次の図は、-c+(ab-c2)x+(a-2b2)x2-x3=0 を表していますが、これでは、工夫を重ねて高次方程式を解くのが精一杯ですね。関孝和に関数概念の萌芽が見られるといっても、これでは関数概念が発達しなかったのも当然だと思えます。


デカルト革命の完成

現在の数学に直結している記号法の基礎を作り上げたデカルトは、1650年に極寒の地スウェーデンで生涯を終えますが、その影響は死の直後からじわじわと浸透し、数学の書き表し方をまるで変革してしまいました。しかも、単に書き方を変えただけではなく、数学そのもののあり方を大きく変えるものになったのでした。なぜなら、それは「変数」概念を可能にし、それによって変数の間の対応関係を「関数」として捉え、表現することを可能とし、そして現在の数学の脊柱と言っても良い「関数」登場の素地を作ったからです。
実際に「関数」概念を数学の中心に据えたのは、およそ100年後のオイラーでした。
1748年に出版された『無限解析入門』は、変数、関数の定義から始めて、三角関数や指数関数を含む多くの関数を導入し、有名なオイラーの公式や、偶数の自然数に対するゼータ関数の値などを紹介した名著です。関数記号なども含めて、
「デカルト革命」はここに完成したといって良いでしょう。最後にこの本の、オイラーの公式を書いたページを見ていただきましょう。√-1 はもちろん虚数単位です。
今日のお話はここまでです。皆様、どうもお疲れさまでした。


おまけ!

Top 10 Best Countries To Live In The World In 2019
https://www.youtube.com/watch?v=VoCZgykBynw


by kabu_kachan | 2019-07-25 22:21 | 科学 | Comments(0)

日本人はアホ民族である(アラビア数字と科学革命)

日本人はアホ(サル)民族である。

いいかね、日本人諸君、
今現在、パソコンやスマホで何気なく
アラビア数字(0.1.2.3....)を使っているだろ。
このアラビア数字はインド人が発明したんだぜ。

History of Zero: An Innovation in Nothingness by Camden Raines
https://www.youtube.com/watch?v=bXdmc-5-DiA

Amir Aczel: "Finding Zero" | Talks At Google
https://www.youtube.com/watch?v=7ebTK02bap0

12 Great Inventions We Should Thank India For
https://www.youtube.com/watch?v=0uGBL1Lfkv4

アラビア世界を経由して中世ヨーロッパに
伝えられたんだぜ。

フィボナッチ数列で有名なレオナルド・フィボナッチが
アラビア数字を紹介している。

フィボナッチは、近代では主に次のような業績で知られている[3]。
●13世紀初頭に、『算盤の書』の出版を通じてアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入した。
●自身で発見したわけではないが、『算盤の書』の中で例として紹介したことで、「フィボナッチ数列」に名前を残した[4]。


レオナルドはイタリアのピサで生まれた[5]。父親のグリエルモ(Guglielmo)はイタリア語で「単純」という意味のBonaccioというニックネームを持っていた。母親のアレッサンドラ(Alessandra)はレオナルドが9歳の時に亡くなっていた。レオナルドは、「Bonaccioの息子(filius Bonacci)」という意味のFibonacciという諡を贈られた[6]。

グリエルモは貿易商人の職を求めてムワッヒド朝(現・アルジェリア)のベジャイアに移住した。まだ少年だったレオナルドも父親を助けるために現地に赴き、そこでアラビア数字を学んだ。

レオナルドはアラビア数字の体系がローマ数字よりも単純でより効率的なことに気づき、当時のアラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行した。1200年頃には帰国し、32歳になった1202年に、彼は自身の学んだことを「算盤の書(Liber Abaci)」にまとめ、ヨーロッパで出版した。


このあと、ローマ数字を使っていた
キリスト教世界観の中世ヨーロッパが
アラビア数字の使用により
変わっていくのである。
ヨーロッパで普通に使用されるようになったのは
15 世紀のことである。
それ以前はローマ数字を使用していた。
大きな数の計算も、小さな数(小数)の計算も
アラビア数字の位取りによって、素早く
正確に計算できるようになったからである。
日本にアラビア数字が入って来たのは
江戸時代(蘭学時代)かもしれないが、
日本人がアラビア数字を使いだしたのは
明治になってからなんだぜ。
西洋人より何百年遅れているのか考えろ。
「オ、オ、オレはサルだから考えられ~ん」だろ。

16世紀から17世紀にかけて、デカルトが
現れて、アラビア数字と文字を使った数式と
ゼロを含む座標を考案しただろ。
これをこのあと出現したアイザック・ニュートンが
盗み取って、ニュートン力学と微積分を
発明したわけだ。
Isaac Newton: His life and Work - Simon Schaffer 1983
https://www.youtube.com/watch?v=GvW_Y9sw6hk

そして世界史上の科学革命が起こったわけだ。
アラビア数字がなかったなら、
科学革命は起こらなかったんだぜ。

このときの日本は、織田信長や豊臣秀吉や
徳川家康が出てきて、
サルのチャンバラごっこをやってたんだぜ。
そしてこのあと、鎖国をやっただろ。
西ヨーロッパで科学革命が進行しているときに
日本は300年近くも鎖国をしてたんだぜ。
日本人はとんでもないマヌケ猿だぜ。
サルが聞いたらサル笑いするぜ。
「キィーキッキ、キィーキッキ」

そしてペリーの黒船がやって来ただろ。
西洋の科学技術文明の象徴が
ペリーの黒船だったんだぜ。
ペリーは蒸気機関車の小型模型を持ってきて、
実際に動かして日本人に自慢しただろ。

すなわち、日本人の頭は科学の進歩に関して、
白人よりも300年遅れているんだぜ。
だから、科学史上の重要な発見や法則には
すべて白人の名前がついているだろ。
日本人の名前はひとつもない。
今の日本の科学技術は、すべて西洋の猿真似なんだぜ。
日本人は科学技術はすべて猿真似をすればいいと
思っているんだぜ。
猿真似をして、カネさえ儲かればいいと
思っているんだぜ。
このアホ猿民族め!
だから日本人の頭には、科学的精神が育たないんだぜ。
パソコンやスマホを最初に作ったのも
アメリカ人(白人)だろ。
Steve Jobs Unveils The Original iPhone - Macworld San Francisco 2007
https://www.youtube.com/watch?v=e7EfxMOElBE

アホ猿民族は
遅かれ早かれ滅びる運命にあるんだぜ。
当然、アホ猿言語も消滅する。
まぁ、サルにはどうでもいいことなんだよなぁ。

NIKOLA TESLA documentary 2015 - BEST Documentary about TESLA !
https://www.youtube.com/watch?v=qpZL9WCvuTI

Nikola Tesla: The Greatest Genius who Ever Lived
https://www.youtube.com/watch?v=vqBMTkA5c0w

日本人よ、ニコラ・テスラを
超えれるかね?
「オ、オレはサルだから無理だぁ~~~!」

日本人がサルたる所以である。
自分がサルがやることをやっていることに
気がつかないんだよな。
「オ、オレはサルだから
 サルゲームしか興味がな~い」だろ。
こういうアホ政策(鎖国と猿真似)は、
日本人がアホ民族だからできたんだぜ。
サルはこの歴史を反省しないんだよな。
サルだからな。(笑)


すると、サルまる子ちゃんが出てきて、
「何~~~~~!」って言うんだよな。(笑)

ちなみに、ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」で
日本特集をやってただろ。
神武天皇が古代の宇宙人とつながっているんだとさ。
笑わせるな。サルとつながっているだけさ。
だから日本人はサルがやることばかりやる。
この番組は日本人に人気があるから、
サルのご機嫌をとっているんだぜ。


おまけ!
Mary-Kate and Ashley season 8 switches
https://www.youtube.com/watch?v=6x_ETMypLjw
犬でも英語がわかるんだぜ。
サルにはわかんだろ。(笑)
「オ、オレはサルなのかぁ~~~~~?」
Full House Very Funny Moments (All 8 Seasons)
https://www.youtube.com/watch?v=8qp4WJiUeTc

おまけのおまけ!
2017 Nobel Peace Prize Ceremony
https://www.youtube.com/watch?v=P1daV8n6fTY

Committee of 300... The Power Behind the New World Order {Full Documentary}
https://www.youtube.com/watch?v=R9HZvsliT5E


    • by kabu_kachan | 2019-07-06 21:48 | 科学 | Comments(0)