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カテゴリ:ユダヤ( 66 )

ヘッジファンドとユダヤ人

NHKのニュースより。

【公的年金積立金の運用実績 4~6月は5兆円余の赤字】


8月26日 15時33分

公的年金の積立金を運用しているGPIF=年金積立金管理運用独立行政法人は、ことし4月から6月の運用実績が、イギリスが国民投票でEU=ヨーロッパ連合からの離脱を決めたことで、世界的な株安となったことなどの影響で、5兆2000億円余りの赤字になったと発表しました。


ここで一句。

ユダ金の いいカモネギだ 
日本人

ユダ金は 売りが得意な
トレーダー

日本人 買いしか知らない
猿集団

日本人 ユダヤから見て 
間抜け猿

商いと マネーギャンブル 言い換える

日本人 相場は 天が決めるもの

ユダ金は 相場は 自分が決めるもの





公的年金の積立金を運用しているGPIFは26日午後、ことし4月から6月の運用実績を発表しました。

それによりますと、積立金全体の収益は5兆2342億円の赤字で、収益率はマイナス3.88%でした。このうち、市場運用分の収益の内訳は、国内株式が2兆2574億円の赤字、外国株式が2兆4107億円の赤字、国内債券が9383億円の黒字、外国債券が1兆5193億円の赤字などとなっています。これにより、GPIFが運用する積立金の総額は129兆7012億円になりました。

GPIFは運用の収益性を高めるため、おととし10月に積立金の運用方針を見直し、国内株式と外国株式の割合を、それぞれ「12%」から「25%」に引き上げましたが、それ以降の運用実績の累積も、今回初めて赤字になりました。

GPIFは、昨年度の運用実績も、中国経済の減速に端を発した世界同時株安などの影響で5兆3000億円余りの赤字になっています。

GPIFの森新一郎広報責任者は、26日の記者会見で、「イギリスが国民投票でEUからの離脱を決めて、世界的な株安になったことなどが影響した。短期的な運用評価損によるもので、年金給付には影響しない。GPIFの運用方針は、優良な資産を長期に保有していくところにあり、着実に資産を増やしていける」と述べました。


運用実績悪化 その背景は

GPIF=年金積立金管理運用独立行政法人の運用が悪化した背景には、金融市場で円高と株安が急激に進んだことがあります。

ことし4月から6月までの3か月間で、日経平均株価は1180円余り、率にして7%余り値下がりしました。
また4月上旬に、1ドル=112円台をつけていた円相場は、6月末には102円台まで値上がりしました。
これは、EU=ヨーロッパ連合からの離脱の賛否を問うイギリスの国民投票への警戒感が市場で強まっていたことに加えて、多くの投資家の予想に反して実際に離脱が決まったことが背景にあります。

一方でGPIFが保有する株式の時価総額は、ことし3月末時点で東京証券取引所1部に上場している株式全体の6%を占めていて、市場関係者は株式市場に影響を与える機関投資家として、その運用方針に注目しています。






【ヘッジファンドとユダヤ人】


ヘッジファンドの運用残高(総額)は2011年10月末で約2兆ドル。このうち年金基金を中心とする機関投資家の資金は約1.1兆ドルと50%を超えています。この1.1兆ドルを地域別で見ると、北米が70%、欧州が27%で、欧米の年金が大半を占めています。ヘッジファンドは、どこに拠点を置いて活動しているのでしょうか。ヘッジファンドの多くが、形式上の本社(ペーパーカンパニー)をタックスヘイブン(租税回避地)の国や地域に置いています。それを具体的な数字で見てみましょう。2005年7月に出された「ヘッジファンドを巡る最近の動向」(日本銀行)によれば、次のようになっています。

投資資金を管理する事業主体の所在地を見ると、ケイマン諸島33%、米国31%、英国領ヴァージン諸島11%、バミューダ諸島8%、バハマ3%、ルクセンブルグ3%、アイルランド3%、その他8%となっています。この数字で見る限り、タックスヘイブンの国や地域が55%に達しています。その他を含めると、もっと多くなる可能性があります。タックスヘイブンの国や地域に本社(その大半がぺーパーカンパニー)を置いていると、本国による監督・取り調べの手が及びにくく、情報が外部に漏れない、という利点があるほか、税金も格段に安い、というメリットもあります。

ヘッジファンドにおける投資マネジャーの所在地の割合を見ると、米国52%、英国19%、バーミューダ諸島6%、フランス3%、オーストラリア1%、香港1%、シンガポール1%、日本0.4%、その他17%となっています。
この数字で分かるのは、ヘッジファンドの大半は米国と英国に集中しており、両国を合わせると約7割を占めている、ということです。EU諸国が求めるヘッジファンドの規制に米英が強く反対し続けてきたのは、ヘッジファンドを守ることが、両国の国益につながるからにほかなりません。

ヘッジファンドの運用法は、主としてオルタナティブ運用によって行われています。オルタナティブ運用とは、実物資産(株式、債券、通貨、原油・金・穀物などの国際商品など)を直接運用するのではなく、先物、オプション、スワップなどのデリバティブ(金融派生商品)、空売りなどを使って運用することをいいます。デリバティブ取引は、買いから入ることも、売りから入ることもできるため、相場が上がる時も下がる時も利益を出すことが可能です。
このように、相場が上がっても下がっても出せる利益を絶対的収益と呼んでいます。ヘッジファンドはこの絶対的収益を目指して、資金運用を行っています。
また、報酬は運用手数料(純資産の1~2%程度)に加えて、成功報酬となっているため、高い運用成績を挙げれば挙げるほど、ヘッジファンドの報酬が増えるため、高い運用利回りを目指して、ハイリスク・ハイリターンの運用を行う傾向があります。ちなみに、成功報酬は利益の10~20%程度が一般的とされています。

ヘッジファンドは特定の大口投資家から資金を集め、さらに金融機関から資金を借りて、投資資金を大きく膨らませて、その資金をデリバティブ技術を駆使して、運用しています。また、デリバティブ取引を利用すると、手元にある運用資金の何十倍、何百倍もの投資ができますので、相場が予想通り動けば、大きな利益を手にすることが可能です。その仕組みは投資信託と非常によく似ていますが、投資信託は不特定多数の投資家から資金を集めるのに対して、ヘッジファンドは特定少数の大口投資家から資金を集めています。

ヘッジファンドに運用資金を委託しているのは、主として大手金融機関や年金基金、個人の資産家などです。つまり投資信託に投資するのは、小口の個人投資家なのに対して、ヘッジファンドに投資するのは、プロの投資家が多いという違いがあります。このため、投資信託では素人の個人投資家を保護するため、細かい規制が設けられていますが、ヘッジファンドに対する規制はほとんどありません。

★また、米政府の元要人や米連邦準備理事会(FRB)の元幹部などが大手ヘッジファンドの幹部に就任していたことがかつて明らかになって話題になったように、政府やFRBなどに太いパイプを持っているヘッジファンドも少なくありません。また、米国のヘッジファンドの主催者、あるいはファンドマネジャーにはユダヤ系米国人が多く、同じくユダヤ系米国人が深く関わっている大手金融機関とも太いパイプでつながっているといわれています。

ユダヤ系米国人は、学者やジャーナリスト、実業家などで大きな成功を収める人が多く、人口に占める割合は低いものの、米国の政界、財界、学会、マスコミ界などにおける影響力は絶大です。

「金融資本はどこであれ、最も儲(もう)かるところに移動していく。個々の国はそれを繁栄の先駆けとしてこぞって引き寄せようとする」とユダヤ系アメリカ人の著名投資家ジョージ・ソロス氏は語っています。「金融資本はどこであれ、最も儲かるところに移動していく」というのは事実です。

しかし、「個々の国はそれを繁栄の先駆けとしてこぞって引き寄せようとする」というのは、かなり疑問です。そういう国もあるのでしょうが、そうでない国の方が圧倒的に多い、というのが実態をより正確に表している、といえるでしょう。

へッジファンドなどに通貨や国債などを売り叩かれた国(昔の英国、東南アジア諸国、最近のEU諸国など)は、国内経済が大混乱に陥り、国際通貨基金(IMF)などの支援を受けないと、立ち直れないほど大きなダメージを受けています。国際的な投機資金が大量に流入し、株価が高騰した新興国の株式市場も、それらの資金が立ち去った後は、株価が急落・低迷(バブル崩壊)し、景気に深刻な悪影響を与えています。
その一方で、ジョージ・ソロス氏は、そういう投機資金の投機活動が、世界経済に大きな弊害をもたらすことを熟知しており、かなり早い時期から次のように規制の必要性を唱えています。
「市場原理に任せたらどうかという議論が騒がしいが、市場原理に任せるというのが不安定に任せるという意味だとすれば、社会はどの程度の不安定まで受け入れることができるだろうか。市場原理はもう1つの原理によって補完されなければならない。それは公共政策である」と。

各国政府(特に米、英)は、この声に謙虚に耳を傾け、行動に移すべきときに来ているようです。【日経新聞 7:00引用終わり】




★「ユダヤネットワーク」の存在
http://kabukachan.exblog.jp/22994972/


   ☟
★国際金融資本の正体
http://kabukachan.exblog.jp/24251377/

   ☟
★米国の ユダヤが乗っ取る マスメディア
http://kabukachan.exblog.jp/24966612/

   ☟
★ユダヤ国際金融資本家(ユダ金)の誕生
http://kabukachan.exblog.jp/19077084/

   ☟
★ロスチャイルドの歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25345027/

ロスチャイルドの「世界革命行動計画」
http://kabukachan.exblog.jp/20828153/

<シオンの議定書>を知れ!
http://kabukachan.exblog.jp/23828950/

   ☟
Dissecting The joo World Order
https://www.youtube.com/watch?v=1RYibLDClYs





★All Wars Are Banker Wars, All Bank Owners are Jews
https://www.youtube.com/watch?v=tWl1wORuugk



★The International BANKERS Conspiracy : the full Truth
https://www.youtube.com/watch?v=FHEdBQZxorc



★The Illuminati, Freemasonry and the New World Order
jewish bankers behind all wars and revolutions of 20th century (Evan Sadler )
https://www.youtube.com/watch?v=zdw5_J17V9o




★full documentary Khazars
https://www.youtube.com/watch?v=eBTKX4YhXuI




★Jewish Bankers control the world - Interview Part 1
https://www.youtube.com/watch?v=tk2_BJUB70U
☝「日本に対する全面石油禁輸によって真珠湾攻撃を誘導して、アメリカは第二次世界大戦に参加することができた」と言っているじゃないか。



★HUGO De GARIS Jewish Bankers control the world Part 2
https://www.youtube.com/watch?v=n1IWXfF28tY




The Jewish Americans (1 & 2): They Came to Stay & A World of Their Own
https://www.youtube.com/watch?v=M52S1A6k4c0


The Invention of the Land of Israel - book launch with Shlomo Sand | Frontline Club Talks
https://www.youtube.com/watch?v=j5s_trEBcbU




おまけ

ヒトラーは生きていた!

★Documentary Hitler's Escape to Argentina
https://www.youtube.com/watch?v=XPZecYezhoY


Hitler's Escape to Argentina (Part 1 of 2) - A conversation with Harry Cooper
https://www.youtube.com/watch?v=hpoWRZS4X9w


Hitler's Escape to Argentina (Part 2 of 2) - A conversation with Harry Cooper
https://www.youtube.com/watch?v=cOOQMFqG0iQ


Hitler's Escape
https://www.youtube.com/watch?v=7U5FtWxvamk


Unveiling The Truth #21: Hitler's Escape From Germany
https://www.youtube.com/watch?v=53PnJFpOS50



★Revealed: Hitler in Argentina
https://www.youtube.com/watch?v=Gw1hgOlHTD4



Hitler and Eva Braun fled Berlin and died (divorced) of old age in Argentina
https://www.youtube.com/watch?v=O91fk5ERMMM






【新春特別対談】西尾幹二と大いに語る[桜H27/1/2]
https://www.youtube.com/watch?v=oHLYTkZcDXE



by kabu_kachan | 2016-08-26 22:13 | ユダヤ | Comments(0)

トランプと愛娘イヴァンカ(アメリカ大統領選挙)

ドナルド・トランプはアメリカ大統領になるか?
日本で言えば、田母神ってところか。
しかし、アメリカでは右翼が受ける。

★トランプの愛娘イヴァンカ・トランプの見事なスピーチ!

FULL VIDEO: Ivanka Trump Delivers IMPRESSIVE SPEECH at 2016 GOP Convention, Introduces Father Donald
https://www.youtube.com/watch?v=yzmrQKmwGfc


★FULL SPEECH: Donald Trump Speaks at 2016 Republican National Convention, Accepts GOP Nomination
https://www.youtube.com/watch?v=o6tYJBxiRsg


★Hillary Clinton - Full Speech Democratic Convention 2016 - July 28
https://www.youtube.com/watch?v=cOunQw1ZPeY



http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68435274.htmlより。

フライデー・ナイト・スペシャル / 大統領にたかる異邦人 (後編)

増殖するユダヤ人


  ユダヤ人は吸血鬼に似ている。人間が吸血鬼に噛みついても、ドラキュラ伯爵は人間に戻らないが、吸血鬼になった貴族が人間に噛みつけば、その犠牲者は吸血鬼になってしまう。ユダヤ信仰の有無は関係なく、ユダヤ人とセックスして身ごもった西歐女性は、ユダヤ人の子供を産むことになる。しかも、ユダヤ教徒は異教徒の配偶者に改宗を迫るから狡猾だ。ユダヤ教徒のジャレッド・クシュナーは、ドナルド・トランプの娘イヴァンカとデートを重ねたが、心配の種が一つあった。彼女が名目上であれキリスト教徒であるからだ。ジャレッドの父チャーリーは敬虔なユダヤ教徒で、ジャレッドがキリスト教徒になるなんて想像も出来ないし、絶対に許さない。チャーリーは兄のマレーが西欧文化に同化したユダヤ人女性リーを娶ったことでさえ気に入らなかったくらいだ。しかし、ジャレッドの心配は杞憂だった。大した信仰心も無いイヴァンカは、気軽に「OK !」と言ったかどうかは不明だが、すんなりとユダヤ教に改宗することを承諾したのである。善は急げとばかりに、彼女はラビのハスケル・ルックシュタイン(Haskel Lookstein)のもとに向かい、真面目にユダヤ教を勉強したそうだ。プレスビテリアン(長老派キリスト教徒)からユダヤ教徒に変身したイヴァンカには、ヤエル(Yael)というユダヤ名が与えらた。晴れて結婚した二人には、目出度く二人の子供が生まれ、娘はアラベラ・ローズと名づけられ、息子の方はジョセフ・フレデリックと命名されたそうだ。こうして、ドナルド・トランプは、真正なユダヤ教徒の孫を持つことで、ユダヤ社会の仲間入りが可能となった。娘の結婚式にはキッパ(ユダヤ教徒の帽子)を被って、祝福していたそうだ。


  ユダヤ教に改宗するアメリカ人は少ないが、有名人でユダヤ教徒になった者を、ここでちょっと紹介したい。日本人には意外かも知れないが、大女優のエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)とマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)はユダヤ教徒であった。しかし、両者とも敬虔な信徒とは思えない。モンローは結婚3回で、野球選手のジョー・ディマジオと一緒になったことは日本でも有名だ。一方、テイラーは7回の結婚歴があり、俳優リチャード・バートンとは2回結婚している。彼女は元クリスチャン・サイエンスの信徒であったが、27歳の頃思うところがあってユダヤ教徒になったようだ。ちなみに、「クリスチャン・サイエンス」といえば、新聞の「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙を思い浮かべるだろうが、この宗派はどちらかと言えば、「オカルト」信仰ないし「超能力現象」を基にした宗教と理解した方がいい。信仰によって病気を治すとか、異次元の霊と語るための集会を催したりと、怪しげな宗教組織であったから、メジャーなキリスト教会とは一線を画していた。誤解を恐れずに言えば、俳優のトム・クルーズが夢中になった「サイエントロジー」の類いと考えた方が分かりやすいかも。とにかく、テイラーがユダヤ教徒になったのは、結婚がキッカケではなかったようだ。彼女のユダヤ名はエリシバ・レイチェル(Elisheba Rachel)である。


  結婚でユダヤ教に改宗した女優といえば、ケイト・キャプショー(Kate Capshaw)とアン・ハザウェー(Ann Hathaway)だろう。映画『インディアナ・ジョーンズ』に出演したキャプショーは、離婚したけど、元スティーヴン・スピルバーグ夫人として知られている。一方、バットマン・シリーズの『ダーク・ナイト』で注目されたハザウェーは、元カトリック信徒で、幼い頃は修道女になりたかったほど熱心だった。ところが、兄のマイケルがゲイなので、兄弟思いのアンは同性愛を許さぬカトリック教会と訣別することにしたという。そんな彼女の前に、ユダヤ人のアダム・シュルマンが現れ、恋仲となった二人は結婚に至る。でもさぁ~、ユダヤ教も同性愛を否定しているはずなんだが。でも、心配ご無用。そんな時は、頭の良いラビが教義の解釈を何とか枉げて大目に見てしまう。ユダヤ人なら、こういう藝当は得意だ。不思議なのは、戒律が厳しいユダヤ教に入信すると、藝能活動に支障が生じるのに、それでもアンがユダヤ教徒になった点だ。まさに女優の精神構造は謎である。もっとも、戒律に縛られない改革派に入ればいいのかも。しかしなんだねぇ~、ユダヤ人に惚れた女はユダヤ教に改宗しやすいよなぁ。


  ユダヤ教に改宗した有名人と言えば、大ヒット映画『ハンガー・ゲーム』や『スパイダーマン』に出演したエリザベス・バンクス(Elizabeth Banks)が挙げられる。彼女も結婚を機にユダヤ教に改宗した女優だ。彼女はカトリック信徒だったが、マックス・ハンデルマン(Max Handelmaqn)と結婚したことでユダヤ教徒になった。もしかしたら、重役クラスのユダヤ人映画制作者に気に入って貰える、という計算があったのかも知れない。本人はそれでもいいが、家族の心情はどうなのか? ハリウッドにはユダヤ人がうようよしているので、娘が藝人になることを許した親は、子供の改宗はもとより、ユダヤ人の孫まで持つ覚悟をせねばならない。ちょうど、日本人の親が娘の藝能界入りを許すようなものだ。娘が朝鮮人を連れて結婚の報告に来る、という悪夢を予想せねばならないのと一緒。ヤクザまで横行する藝能界で、娘が朝鮮人の藝能関係者に輪姦されて、ボロ切れのように捨てられることだって考えられるのだ。しかし、起こりうる悲劇を覚悟している親は少ないだろう。黒人でユダヤ教に改宗する者は少ないが、タップダンスで名を馳せたサミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis, Jr.)は、例外的存在だ。それにサミーは白人女性と結婚する、というダブーまで犯している。昔のアメリカ社会を回想してみれば分かるだろう。もし1960年代のアメリカで、キリスト教徒の白人の娘が、黒人のユダヤ教徒を夫にする、なんて言ったら一大事である。サミーが結婚した相手はメイ・ブリット(May Britt)嬢だったが、彼女の両親はどんな気持ちだったのか。異人種結婚への嫌悪感が強かった当時、サミーの友人でさえ彼の結婚に反対したという。


  ユダヤ教に改宗したわけではないが、ユダヤ人として知られていないのはエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)である。もっとも、彼は生真面目なキリスト教徒であったが、母親のグラディス(Gladys)がユダヤ系なのだ。ユダヤ人という本性は、母親を通して継承される。祖母のオクタヴィア(本名マーサ・タケット/Martha Tacket)がユダヤ人であったから、エルヴィスは自動的にユダヤ人となっていた。ロックン・ロールの神様がユダヤ系キリスト教徒であるのは残念であるが、彼の遺伝子が損傷なく孫娘ライリーに継承されたことは喜ばしい。1967年、エルヴィスが美人モデルのプリシラ(Pricilla)と結婚したことは、ゴシップ雑誌でよく取り上げられていたから、ご存知の方も多いだろう。しかし、エルヴィスの幸せは長く続かなかった。1968年に生まれた娘のリサ・マリーは、1977年に父を失ってしまう。偉大なミュージシャンの娘は幼くして父を亡くし、継父と上手く行かず麻薬に溺れる人生を送った。あのマイケル・ジャクソンとの交際は大変な話題となったから、今でも世間の語り草になっている。。しかし、この大スターと結婚する前、彼女はミュージシャンのダニー・キーオと結婚していて、子供を二人もうけていた。その娘が女優となったダニエル・ライリー・キーオ(Daniell Riley Keough)である。


  いやぁー、良かったねぇ、ライリーがマイケル・ジャクソンとの混血児に生まれなくて。ジャクソン氏の父ジョセフは、息子の鼻を醜いと罵っていたから、マイケルはとても気にしていたそうだ。もし、マイケルが父親になっていたら、その鼻の形が娘に遺伝することだって充分考えられる。マイケルが鼻の整形手術を受けたのは父からの侮辱が原因かも知れない。晩年は鼻が崩れだして、端から見ていても気の毒であった。こうしたマイケルの人生を振り返れば、息子の外見を馬鹿にしたジョセフは残酷な父親である。ダニーを父に持ったライリーは美人に生まれて、女優やモデルになれた。祖母のプリシラ、母のリサ・マリー、孫娘のライリーを見たら、天国のエルヴィスも安心するんじゃないか。(そういえば、リサは三度目の結婚を京都で挙げたのは何故だろう? 夫のマイケル・ロックウッドが日本風結婚式を提案するわけないから、リサの思いつきだろう。ローリンクストーン誌の記事には理由が載っていなかったので、真相は不明なままだ。)


ちなみに、エルヴィスの大ファンであるニコラス・ケイジはリサ・マリーと結婚して直ぐ別れたけど、彼の魂胆は何だったのか。以前、パトリシア・アークエットと結婚していたニコラスは、リサと離婚した後、ロサンジェルスの日本レストランで女給をしていた朝鮮人アリス・キムと結婚したそうだ。朝鮮人と結婚すると運(ツキ)がなくなるみたい。最近は、ヒット映画に恵まれぬニコラスには、朝鮮人妻というバチが当たったのだろう。でも、中野にある「まんだらけ」のファンであるニコラスには好印象を持っているんだけど。日本のアニメ・コミック文化を好きなニコラスには復活してもらいたい。


おぞましい男色の州知事

  随分横道に逸れてしまったので、ここらで本題に戻る。不動産業でのし上がったチャーリー・クシュナーは、政治家にかなりの政治献金を行っていたという。なかでも地元ニュージャージー州の知事になったジェイムズ・マクグリーヴィー(James McGreevey)には大金を注ぎ込んでいた。彼には合計150万ドルくらい貢いでいたらしい。(Adam Dicker, Kushner's Fallout Unclear, The Jewish Week, July 23, 2004) しかも、そうした献金は家族ぐるみで行ったいたようだ。いくら何でも、チャーリーだけで民衆党に巨額の寄付をするわけにも行かないので、女房子供の名義でお金を渡していたのである。まだ21歳で大学生だったジャレッドが8万2千ドル、17歳だったジョシュアが4万4千ドル寄附したと思いきや、19歳になる姉のニコールは6万7千ドルも献上していたのだ。2000年には、ニコールが3万ドルの小切手、ジョシュアが2万ドルの小切手を民衆党に渡していたのである。ユダヤ人と民衆党との癒着は珍しくもないが、クシュナーとマクグリーヴァーの仲は濃厚だ。しかし、この蜜月関係も両者の没落で消えて行く。


  政治家にスキャンダルはつきものだ。島倉千代子じゃないけれど、人生色々、議員も様々。他人の不幸は蜜の味だから、隠し事を暴くのは楽しい。横領、脱税、不倫に暴力。政治家も人間だから誤りを犯す。しかし、同性愛のスキャンダルは致命的である。三年目の浮気は許せても、男同士の恋愛は許せない。なんてったって気持ち悪い。民衆党の人気者、マクグリーヴィー知事はゲイだった。驚くことに、二回とも女性と結婚した同性愛者で、それぞれの夫人との間に子供をもうけていた。最初の結婚は1991年になされたそうで、相手はカレン・ジョアン・シュルツ(Karen Joan Shultz)という女性である。マクグリーヴィ氏は彼女との間にモラグという娘をもうけたが、1997年に離婚となり夫人が娘を引き取ってカナダに移住。亭主がゲイじゃ離婚も当然だ。娘だって父親が男とキスでは嫌だろう。ところが、マクグリーヴィー氏は懲りなかった。2000年、彼はまたもや女と結婚。今度のお相手は、ポルトガル系移民の女性である。だが、2番目の妻となるディーナ・マトス(Dina Matos)夫人はくせ者だったった。(Michelle O'Donnell, The Governor Resigns: The Wives; with Discretion, Two Women Stand Bythe Governor in His Time of Tribution, The New York Times, August 14, 2004) 一見すると貞淑な妻に思えるディーナ夫人には意外な性癖があったのだ。これについては後で述べる。とにかく、ゲイの亭主は子作りには励んだらしい。彼らの間にはジャクリーヌという娘が生まれたのである。

  政治家を利用しようとするチャーリーにとって、州知事が真面目でも変態でも構わない。マクグリーヴィー知事には金融業界に勤めるマーク・オドンネル(Mark O'Donnell)という恋人がいた。チャーリーはオドンネルとある不動産取引をして、クシュナー社から不正な資金を流したらしい。その額は少なくとも30万ドルを下らなかったようだ。ところが、クシュナー社に出資していたウェストミンスター・バンクの頭取が、チャーリーの怪しい支出に目をつけて、彼をを訴えたという。知事の愛人との取引なら、ビジネスというより賄賂に近いんじゃないか? 何はともあれ、マクグリーヴィー知事が男好きなら、その性格を受け入れて御機嫌を取った方が悧巧だ。そこで、チャーリーはイスラエル国籍のゴラン・シペル(Golan Cipel)という人物を知事の隣に置いてやった。気配りの利くチャーリーは、シペル氏が米国で働けるよう、正式な労働許可を取ってあげたという。でも、この人物に与えられたポストがすごい。知事に仕える国家安全保障補佐官で、対テロリズム担当の要職に就いたそうだ。しかも、年俸11万ドル(日本円で1千260万円くらい)なんだって。(Ronald Smothers, Democratic Donor Receives Two-Year Prison Sentence, The New York Times, March 5, 2005) )


   ところが、シペル氏は国防政策や安全保障の知識なんて全く持ち合わせていないズブの素人だった。だって詩人だもん。「なにぃぃ~ぃ ! 詩人だって?」と驚くのは普通の常識人。いくらポエムの達人だって、テロリストからアメリカ国民を守るなんて無理だろう。しかし、男性に目の無い知事にはどうでもいい事だ。給料なんか所詮みんなから集めた税金じゃないか。誰にいくら呉れようが、お代官様の勝手である。ところが、男の尻を見て我慢できなくなったのか、マクグリーヴィー知事はシペル氏にセクハラをはたらいてしまった。親切なチャーリーが贈ってくれた"遊び相手"と勘違いしたのだろう。男から性的辱めを受けたシペル氏は、知事が数百万ドルの慰謝料を払わなければ、セクハラ訴訟を起こすぞと迫った。これに対し、マクグリーヴィー知事は彼の脅迫を明らかな強請(ゆすり)だ、と反論したそうだ。(Yael Kohen, McGreevey to Quit, Declears I'm A Gay American, The New York Times, August 13, 2004)

  シペル氏からの訴訟を恐れたマクグリーヴィー知事は、観念したのか突如辞任表明を行った。これには州の有権者もビックリ。記者会見ではディーナ夫人を隣に置いて、深刻な表情を見せる知事は口を開いた。「真実を申せば、私はゲイのアメリカ人です」と宣言。彼は続けて「恥ずかしいことですが、私は或る男性と大人の肉体関係を持ってしまいました。これは我々夫婦の絆を損なうものです。私がしたことは間違いであり、愚かで、言い訳が出来ぬものであります」、だって。でもさぁー、なぜ、アメリカの政治家は性的不祥事を起こすと、被害者の女房を側に置いて記者会見に臨むんだろう? 高級娼婦を買った元ニューヨーク州知事のエリオット・スピッツァーも事件が発覚した時、夫人を伴って記者会見に応じていたのだ。浮気をした亭主に附き添う女房は辛いよなぁ。マクグリーヴィー知事の場合は男との情事だったから、さぞかしディーナ夫人は恥ずかしかったに違いない。それに、娘のジャクリーヌは学校に通えないだろう。

  夫のゲイ宣言で辛い立場になったディーナ夫人だが、この辞任劇が契機となって、更なる破廉恥行為が明らかになってしまった。輝かしい地位に就いた亭主がゲイとなれば、面目を失ったディーナ夫人が離婚に踏み切っても当然だ。ここまでは我々だって納得できよう。ところが、この離婚訴訟でマクグリーヴィー夫妻の驚くべき過去が暴露されることになった。ディーナ夫人は法廷に於ける自分の証人として、選挙中の運転手だったテディー・ペダーセン(Teddy Pedersen)を召喚したのだ。彼はジェイムズ・マクグリーヴィーが、まだウッドブリッジ市長の頃に雇われた運転手であった。デディーとジェイムズ、そしてディーナは、いつも仲良し三人組だったという。そう、本当に仲が良かったらしい。ただし、三人とも裸の付き合いだが。何か嫌ゃ~な予感がした人は正解。彼ら三人はセックス・パートナーであった。(Jeane MacIntosh, I Was MCG and Wife's Three-Way Sex Stud: Ex-Driver, New York POst, March 17, 2008) やっぱり、きゃ~ぁ !!  

  三つ巴のセックスが始まったのは1990年代後半のことだった。当時はジェイムズとディーナがまだデート中で、結婚式を挙げる前だったという。 彼ら三人のセックスは、たいていお酒を引っ掛けてから始まった。それも、お酒でリラックスしたことろで、ハード・コア・ポルノ並の絡み合い、というパターンだったようだ。名づけて「フライデー・ナイト・スペシャル」だって。でも、土曜日にもセックスをしたんじゃないか? しかし、「サタデー・ナイト・スペシャル」じゃコンビニ強盗みたいだから、"金曜日のお楽しみ"と呼んだのであろう。ディーナはジェイムズとのセックス行為を、そばでテディーに見て貰うのが好きだったという。テディーは二人のセックスを見つめながら、ディーナの脚をさすったり愛撫したりしたんだって。そして、テディーがジェイムズと抱き合っているのをディーナが眺める。もう、異常だ。山崎拓さんしか分からぬ世界である。山崎元副総理は、愛人とそのお母さんとプレーするのが夢だったそうな。実現しなくて良かった。


  マクグリーヴィー知事は西歐キリスト教国に生まれて幸運だ。もし、イスラム教国に生まれていたら、今頃市中引き廻しの上、斬首刑になっていただろう。セクハラ訴訟を回避するために辞任した元知事は、意外なことにマンハッタンにある神学校に入った。子供の頃はカトリック信徒だったマクグリーヴィー氏は、同性愛が発覚したことでカトリック教会に居づらくなったのであろう。そこで、彼は英国系のエピスコパル(監督)教会に鞍替えしたそうだ。驚くなかれ。彼は同教会の司祭になりたいんだって。(Laura Craven, McGreevey seeking to become Episcopal priest, N.J.com, May 2, 2007) 日本人ならもう呆れてしまうだろう。ホモがバレて辞めた政治家が、今度は教会の牧師になりたいなんて、ふざけるにしても程がある。だが、マクグリーヴィー氏は本気だった。大阪府知事だった横山ノックだって、セクハラで辞職してからテレビ復帰せずに亡くなったたじゃないか。たとえ、ノックが反省して坊主になっても、厳しい世間は許さないだろう。アメリカ人の政治家には「恥」という概念が無いのかも知れない。

  橋本龍太郎が支那人工作員を情婦にしたまま、涼しい顔をして総理大臣を続けていたので、保守派国民が激怒したことがある。公職に就いていた者が不祥事を起こせば、蟄居して謹慎生活を送るのが普通だろう。しかし、マクグリーヴィー元知事は違った。彼はキーン大学(Kean Unicersity)で法学と倫理学を教えることにしたそうだ。(Lloyd Vries, Ex-N.J. Gov. McGreevey Noe Teaches Ethics, CBS News, April 19, 2007) 確かに、彼は知事の職にあった時、道徳の頽廃を嘆いていたが、その偽善がバレたのに、大学で若者に倫理を説教するなんて。彼を雇った大学もおかしいが、受講する大学生はどんな奴らなんだ? 元空き巣犯が防犯講師になることはあるが、男のペニスをしゃぶったゲイが教える倫理って何なんだ? まさか性別や国籍を超えた人類愛じゃないよな。まぁ、日本でも女装する東大教授の富永歩(とみながあゆむ)みたいなホモがいるから、アメリカの事をどうこう批判できないけど、学校の先生は立派で健康な常識人がいい。富永教授が教える「社会生態学」なんて、胡散臭い学問にしか思えてならない。乞食と大学教授は3日やったらやめられない、と言うから何でもアリなんだろう。


ユダヤ人をめぐる大統領選挙

  ドナルド・トランプについて述べるつもりが、チャールズ・クシュナーやジェイムズ・マクグリーヴィーの醜聞になってしまった。とにかく、アメリカの大統領選挙は異常である。民衆政治が金権政治に堕落し、政治家が一般国民をよそに、ユダヤ票の取り合いで夢中なのだ。合衆国大統領を決めるのはアメリカ国民なのに、数十ドルしか献金できない普通のアメリカ国民は蚊帳の外になっている。ヒスパニック移民を嫌う保守層はトランプ氏を熱心に支持しているが、彼の背後にはユダヤ人が控えているし、彼の野心はユダヤ人大富豪にかかっているのだ。トランプ氏はユダヤ人ビジネスマンのラリー・シュピワク(Larry Spiewak)の大ファンらしい。シュピワク氏は小間物を製造して財を成した有力者で、フラットブッシュにあるユダヤ人評議会(Council of Jewish Organization of Flatbush)の総裁である。彼はトランプ氏の娘が結婚式を挙げた時に同席していたという。


  また、トランプ氏にはユダヤ人の側近がついている。オバマ大統領に首席補佐官のラーム・エマニュエルが附いていたように、トランプ氏にもユダヤ人のマイケル・コーエン(MIchael Cohen)が影のように附いている。彼はフィリップス・ニッツァー(Phillips Nizer)という法律事務所の共同経営者を経て、トランプ・オーガニゼーションの副総裁になった人物だ。(Josh Nathan-Kazis, Meet Michael Cohen; Donald Trump's Jewish Enforcer, Haaretz, July 21, 2015) トランプ氏の忠犬(pit bull)と呼ばれたコーエン氏は、親分がマス・メディアに批判されれば即座に噛みつき、「お前が何か間違ったことをすれば、俺がお前の所に出向いて、テメエの首根っこを掴み、徹底的にとっちめるぞ」と凄む懐刀である。こんな風にドスを利かすコーエン氏だが、2008年の大統領選挙ではオバマに投票した民衆党支持者である。更に遡った1988年の大統領選挙では、マイケル・デュカキスの応援団に属していたのだ。彼はテッド・ケネディー上院議員と一緒に、ヨットで航海をしたこともある。コーエン氏は典型的な民衆党支持のユダヤ人であるが、親分のトランプ氏だって、ヒラリー・クリントンはおろか、マリオ・クウォモ知事やチャールズ・シューマー上院議員を支持していたのだから、部下の過去をあれこれ言えないだろう。


  今回の大統領選挙では、候補者の周囲にはやたらとユダヤ人が多い。対抗馬となるヒラリー・クリントンの娘チェルシー(Chelsea)は、元ゴールドマン・サックスの投資家でユダヤ人のマーク・メツヴィンスキーと結婚。マークの両親は共に下院議員を務めたことがある。母親のマジョリー(Majorie Margolie)は元テレビ・ジャーナリストでNBCのワイドショーである「トゥディ・ショー」に出演していた。(彼女が結婚でユダヤ教徒になったのかは不明。) ユダヤ教徒の夫のエドワード(Edward Mezvinsky)が、ペンシルヴァニア州の民衆党大会を仕切っていた時、彼らは出遭って結婚したらしい。そこで、彼女は同州から下院に出馬して当選。しかしその後、議員を辞めた彼女は離婚して、ペンシルヴァニア大学の教授に納まった。問題なのは亭主のエドワード。1970年代にアイオア州選出の下院議員になったが、その後金銭詐欺をはたらいてしまった。約1千万ドルもの大金をかすめ取ったという。彼は31件の容疑で有罪となり刑務所行き。しかし、精神病を理由に2008年釈放となった。元連邦下院議員のユダヤ人詐欺師なんて父親に持ちたくない。子供は両親と人種を選べないから不憫だ。呆れてしまうのはマークの父親だけじゃない。チェルシーの父親ビルは、兵役忌避者でマリファナを吸っていた浮気亭主。それだけでも酷いのに、ホワイト・ハウスでモニカ・ルウィンスキー嬢の口の中に、ペニスを入れていた破廉恥大統領ときている。その時ホワイト・ハウスに居た女房のヒラリーは、亭主の情事を知らなかったらしい。アメリカ国民は今頃になって、ヒラリーの外交手腕に疑問を投じているが、そんなの端っから分かっていたじゃないか。だいたい、亭主のチンチンが何処にあるかも分からなかったヒラリーが、国務長官になったからといって、世界中に潜伏するテロリストをあぶり出せるとでも思ったのか? ベンガジの一件だって真相は闇に葬られている。いずれにせよ、チェルシーもマークも、とんでもないオヤジを持っているというわけだ。


  黒人が大統領になれたから、いずれはユダヤ系かヒスパニック系アメリカ人が、大統領になれる日が来るだろう。民衆党代表を競っているヴァーモント州選出の上院議員バーニー・サンダース(Bernie Sanders)がユダヤ人であることはよく知られている。ユダヤ人が名実共にアメリカの支配者になる時代は、直ぐ近くにあるんじゃないか。しかし、問題なのはジェブ・ブッシユの方だ。ユダヤ人に対し不熱心だった父親のジョージ・ハーバートを反省したジェブは、ユダヤ人に殊のほか媚びている。彼の背後にはユダヤ人の大物が控えている。例えば、フレッド・ズィードマン(Fred Ziedman)はテキサス州ヒューストンを拠点としたユダヤ人で、セイテル社(Seitel, Inc.)の元会長。彼はインターシステム社のCEOも務めた人物で、ヒューストン・ヴェンチャー・キャピタルを創設したことでも知られている。ジョージ・ハーバート・ブッシュ大統領により、米国ホロコースト博物館評議会の会長に任命されたこともあるので、息子のジェブのために資金集めをしているという。フレッドの息子ジェイ(Jay Zeitman)は、ジェブの息子ジョージ・プレスコットと親しく、マーヴェリックPACの共同代表を務めながら、ブッシュ家のために尽くしているようだ。


  もう一人のユダヤ人支援者はメル・センブラー(Mel Sembler)である。彼は元々ニュージャージー州知事を務めたクリス・クリスティー(Chris Christie)の支援者だったが、どうやら勝ち目のあるジェブに乗り換えたようだ。センブラー社の創設者の経歴がこれまた凄い。彼は数々の銀行で重役を務めていたのだ。例えば、ナショナル・バンクやファースト・ユニオン・バンク、アメリカン・モニメンタム・バンクなどを経て、共和党全国委員会の共同代表になったという。しかも、彼はジョージ・ハーバート・ブッシュ大統領によって、駐イタリア大使に任命されたことがある。これならブッシュ家に仕えて当然だ。センブラー氏のほか、ジェブにはたくさんのユダヤ支援者がついている。例えば、大口献金者のポール・シンガー(Paul Singer)がそうだ。彼はユダヤ系雑誌『コメンタリー』の相談役だし、共和党ユダヤ連合(Republican Jewish Coalition)とか、ユダヤ国家安全保障研究所(Jewish Institute for National Security Affairs)で理事を務めていた。この他にも、中東メディア研究所(Middle East Media Research Institute)や安全保障政策センター(Center for Security Policy)、民衆政国家防衛財団(Foundation for Dedense Democracies)などを設立しているのだ。(Stphen Sniegoski, Jeb Bush, James Baker, and the Pro-Israel Mega-Donors, My Cabinet Seat, May 24, 2015) 最も注目すべきは、彼が作ったポール・シンガー財団から、ネオコンで有名なアメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterprise Institute)に、資金が流れていたことである。ジェブの兄ジョージが、ネオコンのユダヤ人どもに取り囲まれていたことは有名だが、その偽装保守のユダヤ人に活動資金を提供していたのがポール・シンガーだった。この親玉は再びブッシュ家の息子を担いで、イスラエルのために合衆国の軍隊を動かすつもりなんだろう。


  合衆国大統領を目指なら赤いロバ(共和党のマスコット)と青いゾウ(民衆党のマスコット)は、ユダヤ人がぶら下げる人参に喰らいつく。オバマはヘッジ・ファンドの帝王ジョージ・ソロスから巨額の資金を貰っていた。ジェブも負けずにヘッジ・ファンド王のユダヤ人デイヴィッド・テッパー(David Tepper)をパトロンに持った。元ゴールドマン・サックスの投資家は、退社後自分の会社アパルーサ・マネージメントを設立し、数十億ドルの利益を上げている。特に有名なのは、リーマン・ショックの時下落した銀行株を買いあさって、最終的に70億ドルくらいの利益を得たことだ。こんなユダヤ人投資家がジェブにお金を注ぎ込んだら、何を見返りに求めるのか、容易に想像がつくだろう。ジェブには金融界の大御所だけではなく、政界の大物ユダヤ人が支援に回っている。あのエリック・カンター(Eric Cantor)だ。下院で共和党の多数派リーダーだったのに、共和党保守派の支援を受けたデイヴ・ブラット(Dave Brat)に予備選で敗れ、予想外の失脚に苦しんだ人物である。元下院議員のカンターは、ブッシュ陣営に加わることで復活を目指しているのだろう。資金集めが上手なカンターは、ジェブのためにその辣腕を振るい、当選の曉には閣僚ポストをねだるかも知れない。


  現在のアメリカ政治を眺めていると、合衆国大統領選挙はイスラエル統治領の総督選挙のように思えてしまう。どの候補者もユダヤ人有権者やイスラエル・ロビー、ユダヤ教指導者に媚びている。今のところトランプやジェブ・ブッシュ、ヒラリー・クリントンが有力視されているが、意外な本命はネタニアフ首相じゃないか、という冗談すらあるのだ。ネオコンのユダヤ人ビル・クリストル(William Kristol)は、自身が主宰する『ウィークリー・スタンダード』誌でこう述べた。「ベンジャミン・ネタニアフ首相は共和党員の求心力となっている。もし、外人でも出馬が合法となれば、ネタニアフ首相が共和党の指名を獲得するんじゃないか」と。こんなジョークを笑えるのは政治の素人くらいなものだろう。誰が大統領になっても、イスラエル首相の勅命に背けないから、ネタニアフ氏が大統領にならなくても問題はない。今やアメリカ人はユダヤ人の下僕(しもべ)である。気前よくユダヤ移民や難民を受け入れた代償は大きい。異質な民族が増殖したことで、イギリス系アメリカ人は主流から傍流国民へと転落してしまった。日本人はこうした惨状を直視して、移民問題を考えなくてはならない。保守派に好評な産経新聞を読んでいたって、移民の脅威は理解できない。青木伸行みたいに適当な記事を書いて、毎月給料を貰っている産経のアメリカ特派員ていいなぁ。

月々NHKに受信料を払い、そのうえ空っぽ記事を載せる新聞を購読している日本の保守派って何だろう?



by kabu_kachan | 2016-07-24 21:57 | ユダヤ | Comments(1)

「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文(3)

第二節 ドイツ系ユダヤ移民との比較


ここで社会的成功要因を述べる前にロシア系ユダヤ人とドイツ系ユダヤ移民との比較を しておきたい。ドイツ系ユダヤ移民はおおよそ 17 万人、ロシア系ユダヤ人は 250 万人近 くが移住している。


1.居住と職業

ドイツ系ユダヤ移民は、国中に散らばったことでアメリカ文化に融けこむことが容易に なった。ドイツ系ユダヤ移民が移住した時期は 1820 年代からでアメリカが地理的にも経 済的にも拡張期にあった時だった。彼らは拡張ルートに従い、東部、中西部、極西部さらに南部を、行商人として扇形に広がっていった。行商には資本や技術もいらなかったが、郵送販売が発明されるまで行商は都会の商品を地方に普及させる主要な方法であり、重要な経済的需要を満たしていた。しかし、行商生活の不安定さや孤立感、肉体労働の苦しさは否めず、チャンスがあり次第一定の場所に定住して店を出すか、他のビジネス、例えば衣料産業、投資銀行家、大手の小売商などを確立することが彼らの目標であった。ジョセフ・セリグマン、マーカス・ゴールドマン、ソロモン・ロエブなどがドイツ系ユダヤ移民として挙げられる。あらゆる大きさの都市や町において商業ビジネスを打ち立てたドイツ 系ユダヤ移民のため、1860 年代までに 160 を下らないユダヤ人コミュニティが存在する ようになった(40)。 一方、ロシア系ユダヤ移民は 1900 年代前後の都市化と産業化が頂点に達した時に移住 してきた。彼らは行商人になるにも貧しすぎた。1900 年に到着した移民全体について一人 当たり 15 ドルを所持していたことと比較すれば、ロシア系ユダヤ移民は平均 9 ドルしか 持っていなかったのだ(41)。そこで彼らは衣料工場などに飛びついたが、人口過密なユダヤ 貧民街を大都市に作り出していったのだった。


2.宗教

ドイツ系ユダヤ移民は居住をよりよい地区、アッパーイーストサイドなどへ移っていくにつれてシナゴーグと呼ばれるユダヤ教会にもお金をかけて建築するようになった。と同時に祈祷文と礼拝形式にも急激な変化が起こった。礼拝の長さは極端に縮められ、エルサレム神殿の復興、ダビデ王時代のような王政復古への伝統的な祈りは放棄された。オルガン音楽が導入され、祈祷の主要語としてヘブライ語の代わりに英語が用いられるようになった。そして、家族席で男女共に座れるように差別が取り払われ、男性礼拝者がショールと帽子を身に付けることを禁じる規則が作られたのだ。この点は伝統との最終的な訣別を意味し、最も意味の深いことであった。なぜならそれは、ユダヤ教とプロテスタント礼拝の目に見える不要な相違を取り除いたからである。ドイツ系ユダヤ移民はアメリカ社会に受け入れられようと同化への意欲が高いことを示している。反対にロシア系ユダヤ人は正 統派ユダヤ教であり、アメリカに移住してからも伝統を貫いていった。 ロシア系ユダヤ人はユダヤ教会に限らず、ユダヤ食用のコシェー肉、公衆浴場、イディッシュ語新聞の発行など移住前の生活やユダヤの伝統を崩すことなくその地域にユダヤ社会をつくり上げたといえる。ユダヤ人街は異国風の活気と強烈さに溢れていた。アメリカに社会に同化したドイツ系ユダヤ移民にとってはロシア系ユダヤ移民の強烈な信心深さ、貧しさ、急進主義は反ユダヤ主義を起こさせるのではないかと震え上がらせた。しかし、ロシア系ユダヤ移民の支援をいち早く開始したのもドイツ系ユダヤ移民であった。移民住宅、無利子ローン貸付会、孤児収容所など衣食住の面倒を見、多岐に渡ってロシア系ユダ ヤ移民を"向上"させ、アメリカ社会への定着を試みたのだった。


第四章

社会的成功の原動力

これまで見てきたようにロシア系ユダヤ移民はドイツ系ユダヤ移民より極貧の生活にも関わらず、急速なスピードで中産階級入りを果たし、地位を上昇させていった。この社会的地位上昇の原動力、要因は何なのだろうか。ロシア系ユダヤ移民についての要因を第一節で挙げ、続く第二節でドイツ系も含めたユダヤ移民全体についていえる要因について述べていきたい。以下に挙げる要因①~⑦はユダヤ人の適性、歴史、環境、宗教といった視 点で分類できる。


第一節 ロシア系ユダヤ移民における原動力

① 天職の不動産業 ―機会の利用―

ロシア系ユダヤ移民が社会的上昇の階段を登る一番の要因・原動力になったのがこの不動産業との出会いだと思われる。ロシア系ユダヤ移民は手近にある機会を何であれ利用することに長い習練を積んでいた。生計を立てるためには麻薬売買などの犯罪すらもやってのけたし、数種にまたがって仕事をする器用さも持ち合わせていた。アメリカの都市化と工業化は、ユダヤ人が長期にわたって持っていた小売業と卸売業を拡大させた。住宅の需要増加と都市の住民、なかでもユダヤ人の居住地から居住地への頻繁な移転が、大工や電 気工、不動産関係者に仕事の機会を創り出していた。20 世紀初めの土地需要の増加によっ てロワーイーストサイドからブラウンズビルにかかる土地価格は一区画の値段を二年間に 50 ドルから 3000 ドルに高騰した(42)。1920 年までにニューヨーク市の建設業者や開発業 者の 40%がロシア系ユダヤ移民になっていたが、大工やペンキ屋、あるいは店主や衣料品 製造業者出身であり、少ない資本金で一軒の家屋を買うことから始め、徐々に増やしていき、自前の建設業者へとなったのだった。資本金を貯める方法は前述したが、自宅に下宿 人を置くことであった。1911 年の調査では、ニューヨーク市内のロシア系ユダヤ移民世帯 の 56%が少なくとも一人の下宿人を置いていた。あるロシア系ユダヤ移民主婦は下宿人を 家におくと、彼女の料理が評判になり、その評判を聞いて人が集まってくるのでレストランを経営すると繁盛した。彼女は産婆としても働き、夫も衣服工場に仕事を持っていたの で毎週いくらか貯金できた。ニューヨーク到着後 8 年経った 1911 年、夫は小さな貯金で ビルを買うことを提案した。そして小さな不動産物件を次々に買っていき、1920 年までに その夫婦は裕福になっていた、ということが実際に起きていたのである。 不動産業はロシア系ユダヤ移民にとって理想の天職であった。理由として主に二つ挙げよう。

第一に、不動産業はロシアで長い間禁止されてきた土地所有への欲求を満たしてくれるからだ。土地を所有することは蔑まれてきた自分たちが「自由の国アメリカ」で「尊敬に値する市民」になったことを宣言する行為であり、同時に流浪の歴史に終止符を打ち、アメリカを安住の地として定めたことの決意表明に他ならなかった。ただし、感情的愛着だけで土地を求めたのではなく、権力者によって容易に奪われてしまう土地そのものに本質的な価値があるのではなく、土地が生み出す利潤こそに価値があるという認識をロシア 系ユダヤ移民は体得していた。この点の認識は他の移民とは異なるところだった。1915 年の研究で、ハーバード大学と MIT 大学の学者たちは、「ユダヤ人は不動産所得に異常に 飢えている」と報告している(43)。移住前は不動産を持つことができた時でさえ、ロシア系ユダヤ移民はそれをせず、なんらかの固定資産に投資することは差し控えていた。彼らの世界では、どんな時でも逃げ出せるように資本をできるだけ流動的なものにしておきたがったのである。資本の流動性への要求は強いものであり、現在も専門職を好むように、ユダヤ人の行動を規定しているとされる。

第二に、不動産業のいくつかの特殊性はロシア系ユダヤ移民にとって魅力的であったのだ。製造業とは違い、多額の設備投資は必要なく、卸売業のように仕入れた商品の在庫を常に抱え込むリスクを負う必要もなかった。知的専門職のように高い学費を払いながら何年も高等教育機関で学ぶ必要もなかった。さらに、通常、借入金で仕事に着手するため、自己資金もわずかで済んだのだ。何よりもエリート度の高い産業に存在したようなユダヤ人を排除する社会的障壁が、この業界には存在しなかったのである。サンフランシスコの不動産開発業者ウォルター・ショレンスタインがいうように「不動産の仕事は会社組織としては成り立ちにくいので」、完全に開かれていたのである。事実それは興行性のある活動 であり、大きなリスクと同時に大きな報酬を伴う仕事である(44)。ショレンスタインの公式によれば「個人こそが鍵を握っている」のであり、さらに「ユダヤ人は自分に賭けるのが好き」なのである。不動産業は貧しいユダヤの移民家庭に育った野心的な若者にとって文 字通り理想的な天職となった。1920 年までにニューヨーク市内の不動産開発業者、建設業 者の実に 4 割までを彼らが占めるようになっていた(45)。 ビジネス雑誌『フォーブス』が毎年 10 月に特集として掲載している「全米資産家最上 位 400 人の長者番付」の 2000 年版では 400 人中 64 人、16%がユダヤ人であった(46)。対照的に黒人、ヒスパニック系、イタリア系、東欧系のキリスト教徒はほとんど登場しないのだ。この 16%という数値はユダヤ人がその人口比、全米総人口の 2%強を大幅に上回る 経済力の持ち主であることを示す証拠といえる。2000 年度では 1990 年から 1993 年の深刻な不動産不況に遭い、後退しているものの 1985 年度版をみるとわかるようにユダヤ系資産家最上位 20 組のうち、10 組までを不動産業が占めている(47)。1985 年の長者番付 400 人中ユダヤ人は 26%を占めており、これがピークの年とされている。不動産業ではシカゴ のプリッカー家、ロサンゼルスのイーライ・ブロード、同じくドナルド・ブレンが有名である。プリッカー家は複合企業「マーモン・グループ」の社主でハイアットホテル・チェ ーンなど 100 以上のホテルを所有し、個人資産額は 55 億ドルとされる。イーライ・ブロ ードは短期企業貸付の「サン・アメリカ」の会長であり、住宅建設の「カウフマン&ブロ ード」の社主でもある。個人資産額は 52 億ドルである。ドナルド・ブレンは太平洋岸諸 州で不動産経営管理を行う「アービン・アパートメント・コミュニティーズ」の社主であ り、カリフォルニア州オレンジ郡最大の土地所有者でもある。個人資産額は 40 億ドルと される。残り 10 組のうち 5 組が渡米前に行っていたエスニック・ビジネス(被服の製造 と小売、穀物取引、蒸留酒製造など)で資産を築き、さらに 4 組は化粧品やマスメディア、 残りの 1 組が古くから WASP に支配されていた「伝統的基幹産業」である石油業であった (48)。以上よりユダヤ人大富豪のうち半数が不動産の開発・投資により資産を形成していた ことがわかる。不動産業は 19 世紀末から 1980 年代に至るまでアメリカ・ユダヤ人最大の 蓄財源であったのだった。 ② 帰国率の低さ 1908 年から 1925 年の帰国率は、イタリア系移民は 55.8%、ルーマニア系移民は 67%、 日系移民は 40%に達している(49)。一方のロシア系ユダヤ移民は 5.2%であった。他の移民 は出稼ぎ的意識が強く、結婚資金や故郷で農地を手に入れるための金稼ぎができると帰国してしまったのに対し、ロシア系ユダヤ移民は法的差別を受け、賤民だった本国に戻る気は毛頭なかったのである。新天地アメリカで成功するという不退転の決意を胸に秘めてい
たのであった。移民は、くつろげる我が家にいる立場から軽蔑される外国人になるという、多数派から少数派への苦しい移行を経験しなくてはならなかったが、イタリア人やポーランド人に比べて、アメリカ社会への調整の過程でさほど傷つかずに済んだともいえる。本国にいても主流に入れなかったロシア系ユダヤ移民にとってアメリカへ来ることは地位の上昇でこそあれ、下落ではなかった。生活が事実いかに困難であろうと以前より自由であ り、将来にも楽天的であった。 ③ 都市的・商工業的背景 第二章第二節の2でも触れたようにロシア系ユダヤ移民は 82%が都市型集落に居住し、 3 分の 2 のユダヤ人は仕立工や靴職人、大工など何らかの職を身に付けて商工業の技術を 蓄積してきた(50)。とくにロシア帝国内における衣服製造業には 25 万人、ユダヤ人製造業 従事者の 47%を占めており(51)、もともと高度な技術を擁していたのだった。このことは 20 世紀のアメリカで急速に発展した都市化・産業化の流れにユダヤ人が適応することを可 能にさせたのである。都市化により自給自足の農場とは異なり、人々は生産者から消費者へと変化し、産業化はコストを大幅に下げ、急成長下の消費物資の需要を満たすことを容易にした。そこで、ロシア系ユダヤ移民はロシア帝国でも従事していた衣服製造の術をアメリカでも活かしていき、他移民との差別化を図ったのである。対照的に、イタリア系移 民の 4 分の 3 は、農民出身の手に職のない労働者であり、都市的生活環境への適応力をロ シア系ユダヤ移民ほどには持たなかったのである(52)。


第二節 ユダヤ移民の原動力


次に、ドイツ系、ロシア系含めたアメリカのユダヤ移民全体についていえる環境とユダ ヤ教観による原動力について述べる。 ④ 周辺性 ユダヤ人は伝統的なユダヤ人の社会から離れたものの、キリスト教徒の世界では完全に受け入れられなかったからこそ、一つの文化に固執する先入観や懐疑的な敵意からも解放 されて創造力の源になったという周辺性の考えがある(53)。しかし、ロシア系ユダヤ移民はもともと熱心なユダヤ教正統派であり、ユダヤ教の伝統を遵守した生活を送っているのでユダヤ人社会から離れた存在とは言えないだろう。イギリス系ユダヤ人の政治哲学者で歴 史家であるサー・イザイア・ベルリンが述べているように(54)、ユダヤ人の周辺性の結果はそのための疎外ではなく、その先にある社会の受容への強烈な欲求であり、ユダヤ人はそのために隣人を執念と言えるほどの注意深さで研究したのであると示唆している。習慣のわからない部族のなかに居を構えた一群の旅人にロシア系ユダヤ移民を例えると旅人には自分が歓迎されているかわからないのでホストの考え方や行動の仕方をすべて学ぼうとする。その過程において、ユダヤ人の異邦人たちはその部族の権威になる。彼らはその言語や習慣を分類し、その部族の辞典や百科事典を編纂し、その社会を外部から解釈するのである。ここから時流を探知し、変化する個人や社会情勢の持つニュアンスの違いに早く注目する力が発達するのだ。批評力、分析力、観察・分類・解釈の能力をこうして身につけ
ていった。

具体例を2つ挙げる。一つ目は、映画産業初期の大御所の一人、かつては衣服産業で働いていた東欧系ユダヤ人サミュエル・ゴールドウィンだ。彼は映画館の前列に座り、映画を見るよりも観衆の反応を見るためにスクリーンに背を向けて座ったという。大 衆をつぶさに観察し、時流を嗅ぎわけ、社会情勢のニュアンスを見分けていたのだった。

二つ目の例は 1980 年代のウォール街で企業乗っ取り屋として恐れられたロシア系ユダヤ移民アーウィン・ジェイコブズ(1941 年~)である。彼は少年時代、ミネアポリスで中 古の麻袋の売買に携わった父を手伝っていた。穀物が一度穀物エレベーターの中に収納されると袋は不要となる。アーウィンはこの使用済み袋を安く買い求め、破れ目につぎ当てを施した後に、新品の袋よりも安い値段で飼料業者へ売り歩いたのであった。これは、ロシア系ユダヤ移民のエスニック・ビジネス、廃品回収業の一形態である。彼は、他の同業者が捨てた袋の中に価値を見出したのである。アーウィンはこの父の商売から「他人が見 落としたところに価値を見出す術を学んだ」と述懐している(55)。 ⑤ 教育・節約 教育を重視する宗教的・歴史的伝統が挙げられる。幾多の迫害に遭い、その度に逃避行を繰り返してきたユダヤ民族は身ぐるみを奪われるような迫害を受けたとしても、頭の中の知識だけは人が生きている限り、誰にも奪われることはない。その知識をもとに頭脳を使ったニュービジネスを考案して生き延びていくことができると歴史的に考えるようになった。宗教的には、ユダヤ教徒にとって無学なことは恥とされ、ユダヤ教の聖典を読めないことは罪とみなされ、来世では永遠の罰が定められていると信じられていたのである。

そのため識字率は高く、ヘブライ語、イディッシュ語、ロシア語、ポーランド語などの読み書きもできる者が多かった。ロシア系ユダヤ移民は識字率だけではなく、教育水準・勉 学への傾倒も比類ないものであった。

ただし、ニューヨークにおける 1908 年の調査では、 ドイツ系移民の子供たちは最も成績がよく、次にアメリカ生まれの子供たち、そしてロシア生まれのユダヤ人、その次にアイルランド系、イタリア系移民の子供たちという順になっていたのでロシア系ユダヤ移民学童が他の諸民族の学童に比べて飛びぬけて優秀だった というわけではない(56)。一つロシア系ユダヤ移民学童の特徴として言えるのは、多くが非常に勉強熱心であり、その理想主義、知識の渇望が教師たちを魅了したことである。欠点としては肉体を犠牲にしての精神の過剰な発達、極度にラディカルな思考、過剰な感受性、 体育への無関心が挙げられている。 子供たちが専門職を得るために必要な長期の学問への費用を捻出するため、節約を欠かさなかった。ユダヤ人は未来に焦点をあてているのであり、現在よりも未来を期待している度合いが他の移民よりも高い。この視点の置き方は、メシヤ到来に重きをおき、贖いは歴史の外でよりも歴史の中で起こるという信念を持つユダヤ教の世界観に補強されている (57)。他の移民集団の若干を特徴付けていた運命主義と対照的に、ユダヤ人はつねに世界を人間の統制の受けやすいものと考えてきた。神と人は創造行為においてパートナーであるとみなしているのだ。この思考により、教育や節約に重点を置くのであろう。未来は自分 次第なのである。 教育と節約の結果、1915 年のロードアイランド州プロビデンスにおいてロシア系ユダヤ 人男子の中に占める高卒者の占める割合が、既に 21.9%に達していた。他の移民集団全体 の平均値 11.9%、アメリカ生まれの白人の平均値 13.8%を上回る数値であった(58)。ロシ ア系ユダヤ移民の教育水準の高さは社会的地位上昇において土台になったことは言うまで もない。現在でもユダヤ人の 60%以上が大卒で、非スペイン語系白人の 3 倍に達している。 高校男女を対象にした進路調査でも全体では 50%が大学進学希望でうち 20%が専門職の 資格取得あるいは大学院への進学を希望していたが、ユダヤ人の 83%が大学進学希望、そ の半数以上が専門職の資格取得あるいは大学院への進学を希望している(59)。進学への意識 が高いといえよう。 ⑥ 親子関係 ⑤に挙げたような未来に期待する考えは一方で、子供の将来のために自分の快楽や幸福 を犠牲にさせるようになる。ユダヤ人の親は伝統的に、子供を従属物はおろか、別の存在 というよりも自分の分身と考えてきた。ロシア系ユダヤ移民の公式に従えば、子供たちは両親のナハス(60)である。子供の成功と功績は両親の成功と功績になる―子供の失敗は親の失敗になる。とくに息子は幼少の頃から家庭生活の中心になる傾向がある。子供たちは思春期が終わるまでは壊れやすい、保護を必要とする生き物とみなされるので外部の人間には、ユダヤ人の両親は子供を甘やかすと見えた。アングロアメリカの伝統に基づいて育てられたキリスト教徒は子供にさほど依存しないために、子供の要求にもそれほど動かされなかったのでユダヤ人の許容度を甘やかしと見たのだが、ロシア系ユダヤ移民の親たちは子供が望むようなやり方で業績を上げるよう褒美をあげていたのである。子供たちが溺愛されていたのは確かであり、それは反対に、高度の期待と一番以外は受け入れられないという厳しい基準が伴っていたことを意味する。親たちが子供にかける野心には謙虚さは微塵もなかったのである。自営業の父親は子供に跡を継がせたかったが、大抵母親は医者や弁護士の専門職になることで出世するのを望んでおり、高度の教育こそが身を立てる方法だと考え、母親の意見が通ることが多かった。しかし、子供全員が母親からの愛情と期待を受けていてもトップをとれたわけではない。期待に応えられず、子供の精神が病んでし まうことはなかったのであろうか。5 つの大都市圏内での精神衛生や精神病の研究による とユダヤ人はプロテスタントやカソリックよりも"軽度"または"中ぐらい"の神経症の 率がやや高めであるといえ、重大な機能不全の精神病者の率は相当に低いという(61)。実は子供たちにとっては、これは逆にプラスに働いているのである。愛情や世話の行き過ぎがもたらすリスクは、それらが少なすぎる場合に比べてはるかに小さい。息子たちの若干が母親の献身でつぶされるとしても大部分は学校やキャリアで成功するのに必要な強力なエゴを発達させるのだ。事実、ユダヤ人学生はクリスチャン学生より自信が強く、リーダーシップ、学術能力、オリジナリティで自分を平均以上と位置づける学生が多い。こうしてロシア系ユダヤ移民の子供たちは親の愛情と期待を背負って熱心に専門職への道を歩んだ のである。 ⑦ ユダヤ人社会ネットワーク 新たに事業を立ち上げようとするものにとり、資金調達は極めて切実な問題である。この点に関して、小口の事業資金を無利子で貸付ける制度がユダヤ人社会の中に存在した。 その代表が 18 世紀のヨーロッパに起源を持ち、19 世紀末、ロシア系ユダヤ移民が移住す ると共に続々と全米各地に設立された「ヘブライ人無利子貸付協会(Hebrew Free Loan Society )」であった。商才に長けた日系や中国系は母国から無尽や互助会といった同胞同 士の資金調達システムを持っていたが有利子であり、出資者も借り手と同じく貧しい移民であるのに対して、「ヘブライ人無利子貸付協会」は無利子で、出資者は借り手と異なり、アメリカですでに成功を収めていた比較的裕福なドイツ系ユダヤ移民などであった。さらに、日系の宗教色を持たない団体と違ってこの協会はユダヤ教の教えに乗っ取って設立さ れた宗教的慈善団体であった。1927 年時に全米で 509 存在した「ヘブライ人無利子貸付 協会」のうち、実に 427 までがユダヤ教会堂の中に設置されていた事実からも明らかであ る。協会設立背景には、貧しい同胞に無利子で金を貸すことを宗教的義務と定めたユダヤ教律法の規定、そして同胞が貧困の悪循環を断ち切り、商売で身を立てられるよう援助す ることこそ最高の慈善行為と称えた中世のユダヤ教賢者マイモニデス(1135~1204 年) の教えがあったのである。1892 年に設立された「ヘブライ人無利子貸付協会」のニューヨ ーク支部が創設以来、1 世紀の間に数十万人の借り手に対して総額 1 億 800 万ドルもの貸 付を行い続けてきた事実からも明らかである。貧者救済に加えて雇用斡旋部と職業訓練学 校をも運営し、小事業を発足させようとする者を援助していた(62)。 とくにロシア系ユダヤ移民コミュニティは家族生活の上に立脚していたのであり、家族を最小単位としつつ、移民たちはランズマンシャフトと呼ばれた同郷集団の網の目を打ちたて、多くの種類の諸組織を作り出していった。宗教的にはシナゴーグと宗教学校、慈善・相互扶助団体、教育機関、労働団体が設立され、活気に満ちたエスニック・コミュニティが成立した。具体的には老齢者を保護した「ヤコブの娘たちの家」、孤児を収容した「ヘブライ孤児院協会」、「ヘブライ収容保護協会」、身体障害者を受け入れた「聾唖者教育協会」、 到着するユダヤ移民の援助をするための「ヘブライ移民協会」、などが挙げられる。 「ヘブライ人無利子貸付協会」の他にもう一つ移民に密着していたのは故国の同じ町や地域からきた移民たちからなる団体、ランズマンシャフトだった。ユダヤ人は国としてのロシアやポーランドに対して強い忠誠心を感じることは稀だったが、かつて住んだ小さな土地に対しては強烈な愛着をよせ、ノスタルジーにかられて同郷者団体を作り上げていた。 1914 年にニューヨーク市内には 534 のランズマンシャフトがあった。機能としては、病 気や死亡、失業に対する相互扶助組織だった。第二の機能はユダヤ人墓地の一区画を購入することだった。生活の必要に迫られて異邦人のあいだで過ごすとしても、ユダヤ人はユダヤ人のあいだで永遠を過ごすことを望んだのである。第三の機能として、非公式的な雇用斡旋機関としても役に立ったのである。ボスは自分の企業に同郷者を雇おうとしたからである。こういったネットワークはロシア系ユダヤ移民にとって苦しみを分かち合える憩いの場であり、ドイツ系ユダヤ移民なども含めてユダヤ移民全体で社会的上昇を目指して いける支え、原動力だったのである。 以上①~③が、特にロシア系ユダヤ移民について、④~⑦がユダヤ移民全体について言 えるアメリカ社会で地位を上昇していくことのできた要因であると考える。


終章

現在のアメリカにおけるユダヤ人の社会的影響力がどのようにして得られていったのか を探るため、今日のアメリカ・ユダヤ人 9 割を占める 1900 年代前後に移住したロシア系 ユダヤ移民を通して検証してきた。

ロシア系ユダヤ移民が移住当初の窮乏した生活から中産階級へと上昇を遂げていき、アメリカ社会のメイン・ストリームまで上り詰めた原動力、 要因は何だったのかという論文の目的の答えとして 7 点を列挙した。①天職の不動産業と の出会い、②帰国率の低さ、③都市的・商工業的背景、④周辺性による視点、⑤教育・節 約、⑥親子関係、⑦ユダヤ人社会ネットワーク、の 7 点である。

この中で、ロシア系ユダヤ移民にとくに限って言えるのは①~③の要因だろう。数字の扱いに長けたユダヤ人の不 動産業における適性も関係するが、3 点ともロシアでの土地所有を認められず、土地獲得 への情熱が強かったことや賎民扱いを受けていたことなど移住前の生活や歴史が大きく関 係している。行商人として全国に散らばったドイツ系ユダヤ移民とは背景が異なっている。 第二節で挙げた④~⑦の要因は 2000 年以上の長い迫害・流浪の歴史からくるユダヤ人 の宿命、周辺性といった環境要因と教育・親子関係などのユダヤ教観によるものである。
これらは第一、第二の波でアメリカに移住したセファルディやアシュケナジィのユダヤ移民にも共通していえることである。ロシア系ユダヤ移民を成功させた原動力は①~⑦の順 に重要度が高い順であるとの見方もできる。 夏にアメリカを旅行した際、黒くて長い帽子を被って正装に身を包んでいたユダヤ教徒を見かけ、強烈な印象と共に興味を抱いた。どこの国・社会に行っても流されることなく、ユダヤ教を遵守し、迫害を恐れて自ら多く語らないユダヤ人はベールに包まれた存在となりやすい。そしてアメリカ・ユダヤ人の経済力のみが誇張され、ねたましさを生んでしまったのだろう。アメリカのユダヤ人は成功者であり、果ては世界制服まで狙っているのだ とユダヤ人陰謀説を説く本すら出版されている。日本でもとりわけ 1987 年以後、アメリ カ国内のユダヤ人団体から抗議が相次ぐなか、反ユダヤ主義的出版物のブームが、日米摩擦の火種にもなった。しかし、この論文でも触れたようにロシア系ユダヤ移民は最初からアメリカで富を掴んでいたわけではなかった。衣服産業労働者という立場で貧困に耐えつつ、上昇していったのだった。自分の身と財産の安全を保障するために努力していたのである。ユダヤ人のアメリカでの進出が目覚しかったために「サクセス・ストーリー」と特別視してしまうが、その土台には少数者に対しても競争と共存の機会を等しく提供したアメリカの自由な土壌があって初めて可能であったといえよう。ユダヤ移民の社会的成功要因には挙げなかったが、規制の少ない自由競争社会であることと実利重視の拝金主義的風 土というアメリカ的特質(63)がユダヤ移民に合っていたことも前提としていえる。『アメリカの民主主義』を執筆したアレクシス・ド・トクヴィルもこのアメリカ的特質に合ったユ ダヤ人は水を得た魚のようにアメリカで生き生きと暮らしていると述べている。 多くの移民の中でも成功例として語られるアメリカ・ユダヤ人は、中産階級になった現在でも一方では常に再び迫害や虐殺の歴史がアメリカでも繰り返されてしまうのではという緊張状態に置かれている。中産階級以上のアメリカ・ユダヤ人でも、毎日ユダヤ人迫害の記事が載っていないことを朝刊で確認し、安心することが日課だという。ユダヤ移民に限っても他の人種に対する不信感はまだ拭えず、アメリカ文化への同化の枠にはまっていないことを考慮するとヒスパニック、黒人、日系人、など益々移民が増えているアメリカで多人種が共存していくにはアメリカ人としての自覚・信念を持たせる国歌斉唱や国への 祈り、そして移民それぞれの歴史・文化・宗教を踏まえた相互理解が必要だと強く感じた。


<注釈> (1)佐藤唯行 「アメリカ・ユダヤ人の政治力」PHP 研究新書 2000 年 p48 (2)同上 p48 (3)現ニューヨーク (4)丸山直起 「アメリカのユダヤ人社会―ユダヤ・パワーの実像と反ユダヤ主義―」 ジャパン タイムズ 1990 年 p20 (5)丸山直起 「アメリカのユダヤ人社会―ユダヤ・パワーの実像と反ユダヤ主義―」 ジャパン タイムズ 1990 年 p24 (6)佐藤唯行著「アメリカ経済のユダヤ・パワー」ダイヤモンド社 2001 年 p208 (7)野村達朗「ユダヤ移民のニューヨーク ―移民の生活と労働の世界― 」 山川出版社 1995 年 p20 (8)同上 p22 (9)滝川義人「ユダヤを知る事典」東京堂出版 1994 年 p88 (10)リトアニア (11) 滝川義人「ユダヤを知る事典」東京堂出版 1994 年 p89 (12) 野村達朗「ユダヤ移民のニューヨーク ―移民の生活と労働の世界― 」 山川出版社 1995 年 p33 (13) 同上 (14) 同上 p42 (15) 滝川義人「ユダヤを知る事典」東京堂出版 1994 年 p91 (16)同上 (17)同上 p92 (18)野村達朗「ユダヤ移民のニューヨーク ―移民の生活と労働の世界― 」 山川出版社 1995 年 p37 (19)同上 (20)同上 p39 (21)同上 (22)同上 p40 (23) 同上 p42 (24) 同上 p46 (25)同上 p45 (26)同上 p49 (27)シーモア・M・リプセット著 上坂昇、金重紘訳 「アメリカ例外論」明石書店 1999 年 p234 (28)野村達朗「ユダヤ移民のニューヨーク ―移民の生活と労働の世界― 」 山川出版社 1995 年 p91




最後にもう一度、映画鑑賞会です。

★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk



★「アメリカのユダヤ人」の研究
http://kabukachan.exblog.jp/25292635/


★米国の ユダヤが乗っ取る マスメディア
http://kabukachan.exblog.jp/24966612/


★イディッシュ語はドイツ語起源ではない
http://kabukachan.exblog.jp/25184891/


by kabu_kachan | 2016-07-18 09:10 | ユダヤ | Comments(0)

「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文(2)


第二章 アメリカでのロシア系ユダヤ移民

アメリカに行くために、密出国を助ける非合法のネットワークに頼り、伝染病の有無を調べる医療検査と列車、船を乗り継いだ長旅とを経験したロシア系ユダヤ移民はアメリカに到着してどのような生活を送ったのであろうか。移民生活当初の居住地、職業などから ロシア系ユダヤ移民の暮らしぶりをはかる。

第一節 ロシア系ユダヤ移民の特徴

ロシア系ユダヤ移民は先に渡米していたドイツ系ユダヤ移民とは著しく異なっていた。
ドイツ系ユダヤ移民は中産階級化し、改革派ユダヤ教を奉じ、英語を習得して急速なアメリカ化を遂げ、アッパーイーストサイドなどの優雅なアパートメントに住んだ。これに対してロシア系ユダヤ移民はイディッシュ語を話す正統派のユダヤ教徒で、極貧であった。 2 つの種類のユダヤ人はそれぞれ「アップタウン・ジュー」、「ダウンタウン・ジュー」と 呼ばれるようになっていた。ただし、ロシア系ユダヤ移民が居住したロワーイーストサイドにはイタリア人、シリア人、スロヴァキア人、アイルランド人など他の移民族も混合して住んでいた。ロシア系ユダヤ移民は個人単位の移住ではなく、家族単位の移民であった。
成年男子が最初に渡来し、しばらく働いたあと妻や子供たちの渡航費を送金することもあったが、多くは家族一緒だった。移民委員会の調査によれば、ニューヨーク市衣服労働者 のあいだで夫が妻を故郷に残している者の割合は、ロシア系ユダヤ移民の場合、滞米 5 年 以下の者は 43%だったのに対し、5~9 年の者は 6.1%、10 年以上の者は 1.4%にすぎなか った(28)。ほぼ 5 年間で故国から妻を呼び寄せ、家族生活を再建したのである。こういった 家族の絆が深いのも特徴である。リベラルの人は少なく、極端に正統派的な者や急進主義 の革命志向者に分かれていた。

第二節 アメリカでの生活

1.居住地 ―テネメント―

行商人として米国中に広がっていたドイツ系ユダヤ移民と異なり、窮乏の底をついていたロシア系ユダヤ移民は東部・および中西部の大都会に定着した。ニューヨークでは、ロワーイーストサイドに集中して居住した。マンハッタン島の南東部を占め、北はヒュース トン街および東 10 番街、西はバワリー、東と東南はイースト・リヴァーに囲まれた地域 である。ユダヤ人地区が成立したのは、ドイツ系ユダヤ移民がロワーイーストサイドに卸売り商店を開き、衣服工場を建てたときに始まったとされる。そしてロシア系ユダヤ移民 が 1882 年に同地区に引き付けられ、以後彼らの居住区が膨張していったのだった。ドイ ツ系ユダヤ移民は北方に移住していった。ロワーイーストサイドは典型的なスラム状況を呈した。最大の特徴は人口過密にあった。当時、そこはインドのボンベイを除けば最も人口密度の高い都市空間であったといわれる。1910 年の統計によれば一エーカー当たり、 730 人の住民がひしめいていた計算となる(29)。 ロシア系ユダヤ移民労働者がニューヨークで住んだのは、ほとんどがテネメントと呼ばれる共同賃貸住宅であった。相互に独立に生活し、かつ家屋内で炊事する三家族以上の住居として賃貸され、廊下、階段、裏庭、トイレなどについて共同の権利を分有するような 家屋と定義される。家賃は世帯の平均月額 13 ドルに対して、ロシア系移民の住んだテネ メントは 17 ドルと高かった(30)。密集した劣悪な地区において高い家賃にも苦しんだのだ。 低賃金と頻繁な失業のために家賃滞納による追い立てがしきりに起こった。そのためロシ ア系ユダヤ移民の世帯では 48%が下宿人をおいて家賃の重圧を軽減しようとしたのであ る。彼らが下水溝も整備されておらず、悪臭が漂い、過密で不潔な住居に耐えてニューヨーク市の中心部に近い同地区に住み続けた理由は、雇用の確保であった。移民たちの主な職場は大都市中心部に集中しており、公共市街交通が未整備かつ高料金であった当時にあっては、職場へ徒歩で通える距離に居住する必要があったからだ。テネメントの多くが住 居でもあり、家内仕事の場として利用されていた。


2.職業

1905 年のニューヨーク州センサス原票に基づいて、ロワーイーストサイドの 3711 軒の ユダヤ人世帯(住民数 2 万 1406 人)を調査したガットマンによると(31)、20 歳以上の男性 有業者 5990 人の中では労働者が 73.2%を占めた。内訳は不熟練労働者 7.1%、衣服労働 者 45.2%、熟練労働者 20.9%だった。1900 年代初頭のロシア系ユダヤ移民は労働者、と くにロシア帝国でも従事していた衣服労働者として生計を立てていた。ユダヤ人コミュニティが拡大するにつれて労使ともユダヤ人から構成される「ユダヤ人職」が発展した。これには二つのタイプがある。一つめのタイプは、ユダヤ人だけに奉仕する職業である。宗教上のコウシャーといわれる清浄肉のための屠殺業、ユダヤ・パンの製造などはユダヤ人によってされる必要があった。ヘブライ語、イディッシュ語の出版需要のために、ユダヤ人熟練印刷工の職も増大した。二つめのタイプは、市場に向かって開かれている産業であり、衣服産業を典型としてタバコ製造、建築、金属加工などがあり、ユダヤ人雇主がユダ ヤ人労働者を雇う場合が多かった。 こうしてユダヤ人コミュニティは一つの経済圏を形成した。多くのユダヤ人労働者が「ユダヤ人経済」の内部にあり、ユダヤ人が必要とする物品の多くはその「経済」内部で購入することができた。ロシア系ユダヤ移民は他移民とは違い、労使関係において宗教、文化、 歴史をともに分かち合うユダヤ人同士であることが多かったのである。


3.衣服産業の構造と状態

ロシア系ユダヤ移民の生活を詳しく知るため、「ユダヤ人経済」の中核を構成し、ロシア 系ユダヤ人労働者の半分を雇用した衣服産業の構造と状態について述べたい。20 世紀初頭 ニューヨーク市の衣服産業は、全国既製服の約半分、婦人服の場合は 4 分の 3 を占めた大産業であり、1910 年マンハッタンでは 41 万 4000 人の工業労働者のうちの 21 万 4000 人(52%)を占めていた(32)。さらにほぼ 9 割がユダヤ人の手中にあり、労働者の 70~80% もユダヤ人によって占められていた。ユダヤ人労働者は悪名高いスウェットショップ状況に苦しんだ。スウェットショップは「汗をたらして働く仕事場」という意味で、低賃金、長時間労働、不衛生な状態での仕事場を意味する。工場とは区別された小仕事場であり、これは下請け制度に関連していた。衣料材料が配分され、加工をするような零細仕事場の状況がスウェットショップであった。分業によるタスク制度が導入されると競争はますます激しくなり、労働時間は無制限になった。忙しいシーズンには深夜まで働いて職場の服 地束の上で仮眠をとることもあった。朝 5 時から夜 9 時まで 1 日 15~16 時間の労働はざ らであったのだ。作業は季節的変動が大きく、雇用は不規則であり、労働者は周期的な失業に苦しんだ。経費を切り下げて季節的変動に対応するために下請け業者は家庭の内職に仕事を出したりもした。下請け制度は次第に工場制度に道を譲ったが、「大量生産方式」により生産量の増加、コストの低下が生じ、一部の熟練工の賃金は上昇したものの、過半数の労働者の賃金には低下が生じた。ロシア系ユダヤ移民が高い比率で衣服産業にはいって きた第一の理由は、彼らの職業的伝統にあった。1899 年~1909 年に入国したロシア系ユ ダヤ移民の場合、衣服製造労働者は 50%近くに及んだ。ロシアとアメリカとのあいだに職 業的伝統が継続していたのである。第二の理由は、農場労働を主とすることが稀だったロシア系ユダヤ移民は他の民族に比較して肉体的労働の経験に乏しかった。他の移民は鉄道・道路・トンネルなどの建設労働、鉱山労働に従事したが、彼らは強度の肉体的重労働を必要としない衣服産業についたのだった。第三の理由は、故国でシュテットルの職人だった彼らにとって「自分自身のボス」でいられるスウェットショップ制が伝統や志向に合致していたのだった。そして最後の理由は、ユダヤ人雇主のもとで働くことでユダヤ教の土曜日の安息日と祭日を遵守することができたからだった。ユダヤ人の共同体的絆がやはり大事にされていたのだ。厳しい仕事ではあったが、同人種の「家庭的」な雰囲気が下請 け業者や小製造業者の職場には存在していた。


第三章 アメリカ社会のメイン・ストリームへ

これまで見てきたようにロシア系ユダヤ移民はアメリカへ希望を求めて移住したものの、移住初期はスウェットショップで朝から夜まで働き、賃金は低く、高い家賃のために下宿人を何人も住まわせるなど厳しい生活を強いられていた。それにも関わらず、ロシア系ユダヤ移民は一世代で労働者階級を脱し、急速な社会的上昇を遂げていったのである。1900 年に連邦委員会が報告したように、「これら赤貧のユダヤ人の経済的な向上は、驚くべき速 さでやってくる」。1899 年~1905 年の間にアメリカへ入国した移民たちの入国時における 平均所持金額は 22.78 ドル、これに対してロシア系ユダヤ移民のそれは 20.43 ドルであっ たことが判明している(33)。しかし、ニューヨークでは 15~25 年以内に半数以上の者が中 産階級入りしている。 アメリカ社会のメイン・ストリームに入ったと言えるロシア系ユダヤ移民のデータを示すと共に、なぜ同時期に来住した他移民と違って上昇していくことができたのだろうか、
似通った境遇からなぜ彼らは今日のアメリカで裕福なエスニック集団として成功を収める ことができたのであろうか、考察していきたい。

第一節 社会的地位上昇のデータ

ユダヤ人は全員が裕福な暮らしをしているわけではないが、他の人種的宗教集団よりは 平均してよい生活をしているといえよう。19 世紀後半から移住してきて一世代で労働者階 級を抜け出し、中産階級化していった。合衆国移民委員会はニューヨーク市の衣服産業労働者について、アメリカ滞在期間と週賃金との関係を調査し、滞米期間が長くなれば賃金 も高くなることを示した。週 12.5 ドル以上の者は滞米年数 5 年以下の者では 30%にすぎ ないのに、5~9 年の者では 57%、10 年以上の者では 68.6%となっている(34)。滞米 5~9 年になると熟練のある程度の上昇、雇用序列上の昇進が生じ、それと共に住居・食事の改善、半耐久消費財購入の形で彼らの消費支出は上昇傾向を示した。妻や子供の稼ぎに頼る割合も減少し、文化的・教育的活動や娯楽への支出が増大していった。ヒスパニックなどの新しい移民の流入もロシア系ユダヤ移民の地位を押し上げていた。最近のデータでは 1984 年にアメリカのユダヤ人家庭で年収 2 万ドルを超えないものは 6 戸のうち 1 戸に満 たない、すなわち 16%ほどである(35)。一方、非スペイン語系の白人家庭では、2 戸に 1 戸、50%も占めている。収入ピラミッドの高い方ではユダヤ人家庭の 41%が 5 万ドル以 上の収入を得ており、非スペイン語系白人家庭の 10%に比べて 4 倍の比率である。 このような中産階級入りを果たした全体的な上昇だけではなく、経済的成功を収める企 業家も続々と現れた。

『フォーブス』が提供している「全米で最も富裕な 400 人の長者番 付」には 23~26%のユダヤ系移民が毎年載っており(36)、具体的には、後に RCA(Radio Corporation of America)の総帥となるデービッド・サーノフ(1891 年~1971 年)や 11 歳から被服産業で働き始めたウィリアム・フォックス、20 世紀フォックス社の創業者など 多数いる(37)。医者や弁護士といった専門職でのユダヤ移民の割合も 40%と高い(38)。 知的・文化的な領域においてもトップに立っている。

1975 年にアメリカの全大学でユダ ヤ人は教職員の 10%、同時にエリート大学の教鞭者の 20%を占めており、24%の聖公会 派、17%のカソリック教授たちに比べて 50%近くのユダヤ人教授がトップランクの諸大学 で教鞭をとっていた。ユダヤ人は非ユダヤ人教授の同僚に比べると学術ジャーナルなどに 論文を発表することがかなり多い。20 以上の論文を発表した学術エリートの 24%に上っ ている。


ジャーナリズムの世界でも 1936 年には WASP が圧倒的に優勢であったが、1970 年頃のアメリカには 1748 紙の日刊紙が存在し、そのうちの 3.1%をユダヤ人の社主が所有 していた。これを総発行部数でみると、全体の 8%をユダヤ人所有の新聞が占めていたこ とになる(39)。ちなみに 8%のうち半分以上を占めていたニューハウス社の創業者は新聞王 と呼ばれたサミュエル・J・ニューハウス(1895~1979 年)で、ロシア系ユダヤ移民の移 民二世としてニュージャージー州、ベイヨンで育っている。他にナショナル・レヴュー誌のウィリアム・バックレー、アトランティック誌のウィリアム・ウィットワースなどの例外はあるにせよ大部分の教養雑誌はユダヤ人の手で編纂されている。


ディセント誌のアービング・ハウィ、ニューヨーカー誌のウィリアム・ショーン、パブリック・インタレスト誌のアービング・クリストルおよびネイサン・グレイザーなどが挙げられる。アメリカの ノーベル科学賞受賞者の 30%、全米科学アカデミーの会員としても 30~40%を占めている。極貧生活からアメリカ社会への目覚しい進出である。



by kabu_kachan | 2016-07-18 05:16 | ユダヤ | Comments(0)

「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文(1)

★The Illuminati, Freemasonry and the New World Order
jewish bankers behind all wars and revolutions of 20th century
Evan Sadler
https://www.youtube.com/watch?v=zdw5_J17V9o



「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文

柳沼 久美子 さんの研究論文を紹介します。

その前に映画鑑賞会。
★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk



アメリカにおけるロシア系ユダヤ移民 ―社会的成功の原動力は何か―
法学部政治学科 4 年K組
久保文明研究会 12 期生 柳沼 久美子


目次
序章

第一章 ロシア帝国のユダヤ人

第一節 ロシアでの歴史
第二節 ロシアでの生活
1.居住地 ―シュテットル―
2.職業
第三節 アメリカへの移住要因
1.ツァーリズムとポグロム
2.社会経済的要因

第二章 アメリカでのロシア系ユダヤ移民
第一節 ロシア系ユダヤ移民の特徴
第二節 アメリカでの生活
1.居住地 ―テネメント―
2.職業
3.衣服産業の構造と状態

第三章 アメリカ社会のメイン・ストリームへ
第一節 社会的地位上昇のデータ
第二節 ドイツ系ユダヤ移民との比較

第四章 社会的成功の原動力
第一節 ロシア系ユダヤ移民における原動力
第二節 ユダヤ移民の原動力

終章


序章

今日、世界にはおよそ 1290 万人のユダヤ人が存在する。その実に 43%、550 万人がア メリカに集中している(1)。アメリカは「ユダヤ人の国」イスラエルをしのぐ世界最大のユダヤ人口を擁する国なのである。彼らはこの国の文化、学問、経済、芸術の各分野にあまたの優れた人材を輩出し続け、アメリカの発展に多大な貢献を果たしてきた。1995 年に出 版されたSeymour Martin Lipset and Earl Raabらによる "Jews and the New American Scene"によれば、過去 30 年間のあいだにユダヤ人は全米のトップクラスの知識人 200 人 のうち 50%を、ニューヨーク市とワシントン特別区の一流大手法律事務所共同出資経営者 の 40%を占めている。1990 年度においては全米トップ 30 の大学において教授陣の 30% を占めている(2)。創造的活力に溢れた彼らの存在を抜きにしてアメリカは語れないのであ る。 しかし、そのユダヤ人も移民としてアメリカに移住してきており、他の移民と同様、ゼロからのスタートだったはずだ。それが、なぜ同時期の他移民よりも速いスピードでユダヤ移民が社会的地位上昇を遂げ、現在のような社会的影響力を持つに至ったのだろうか。
一体何が彼らの原動力になっているのだろうか。以上の点について明らかにするのが、この論文の目的である。

ユダヤ移民と一口に言っても、三つの移民の波があった。第一の波は、セファルディと呼ばれるスペイン・ポルトガル・地中海系のユダヤ人である。アメリカへの組織的移民が 行われたのは 1654 年のことで、ブラジルから渡った 23 人のセファルディ系ユダヤ人がニュー・アムステルダム(3)に到着し、最初の入植を行ったとされている。アメリカ・ユダヤ人社会の歴史はこのときに始まった。その後 1776 年までにアメリカのユダヤ人口は 1000 ~2500 人に達した(4)。続く第二の波は、1820 年代で主にドイツからのアシュケナジィ系 ユダヤ教徒が登場する。ドイツから大量の移民が到着した結果、アメリカのユダヤ人口は 1880 年には 25 万人と増加した。そして第三の波が、19 世紀末に移住してきたロシア系ユ ダヤ人であり、1928 年には、ユダヤ人口は 420 万に上っていた(5)。 ここでは、二つの理由からロシア系ユダヤ移民を取り上げる。
第一に、ロシア系ユダヤ 移民は三つの移民の波の中で最も多い250万人以上がアメリカに移住しており、現在 2003 年におけるアメリカ・ユダヤ人を構成する割合は 9 割と言われる(6)。よってロシア系ユダヤ移民を通して全体的な今日のユダヤ人を検証することが可能になると考えた。
第二に、三つの波の中で一番極貧の生活を経験し、まさにアメリカでのゼロからの上昇を遂げたグループであるからだ。 先行研究としてユダヤ人に関する本は多く出版されているが、その経済的成功についての本は少ない。これまでユダヤ人たちは自分たちが成し遂げた経済的成功と蓄積した富について、学問的な論議を行い、その成果を公表することを回避してきたのだった。そうした行為が現実のアメリカ社会に潜むユダヤ人への偏見を目覚めさせることを恐れたからである。危惧を抱き続けたのは実業界の指導者ばかりではない。学者、ジャーナリストも根強い恐れを抱き続けたのである。ユダヤ人大富豪の家族史を描いたベストセラー本の著者が、比較的最近まで非ユダヤ人のジャーナリストによって占められてきた事実は、そのことを如実に物語っている。ユダヤ人の歴史家、ジャーナリストのほとんどは、近年までアメリカ・ユダヤ人の大富豪が果たした歴史的役割について、慈善事業家としての側面を除き、全く無視するか、あるいは低い評価しか与えてこなかった。そうした中、チャールズ・ E・シルバーマンによる『アメリカのユダヤ人』は筆者自身がロシア系ユダヤ人であり、 18 世紀~19 世紀にかけてのヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史やアメリカ社会におけるユ ダヤ人の地位変遷を自分の経験やユダヤ人の日記、手紙などの膨大な過去の資料から綴っ ている。1979 年に大企業デュポン社の会長兼代表取締役になったアービング・S・シャピロを具体例として取り上げ、ユダヤ人の経済的成功への野心と原因について述べている。
その原因として不動産、教育や節約といったユダヤ教観を挙げているが、経験や心理面の視点から述べているため、具体的数字によるデータは少ない。さらにユダヤ人、と一括しているためドイツ系とロシア系といった区別がされていない。Seymour Martin Lipset and Earl Raab らによる "Jews and the New American Scene"ではアメリカ・ユダヤ人の 移住の歴史を振り返り、成功要因について教育を重視するユダヤ教について触れている。 Marc Lee Raphael の"Profiles in American Judaism"では、1810 年~1885 年、1885 年 ~1937 年、1937 年~1983 年の三つの時代に分け、それぞれのユダヤ人移住と社会建設の 歴史、イデオロギーやユダヤ人組織について 1886 年から 1983 年に至るまで詳細に記して いる。経済的成功よりも歴史の事実に照準があり、ユダヤ人を知る土台となる文献だ。また日本人による文献では、佐藤唯行氏の『アメリカ・ユダヤ人の経済力』、『アメリカ経済のユダヤ・パワー』等がある。金融界・百貨店・メディア・不動産業などの各界におけるユダヤ人の活躍ぶりについて具体的事例を挙げて検証している。成功要因よりも今日のアメリカ・ユダヤ人の経済的成功の事実を主に述べており、ユダヤ人も一括されている。 以上の点からこの論文のオリジナリティとして、三点挙げたい。第一点目は、今まであまり触れられてこなかったユダヤ人のアメリカ社会における成功の原動力について取り上げること、第二点目は、中でも第三の波で移住したロシア系ユダヤ移民に絞ること、そして第三点目は、ドイツ系ユダヤ移民との比較を交えること、の三点だ。極貧であったロシア系ユダヤ移民が社会的地位を上昇させていった原動力は何だったのか、明らかにしてい きたい。 第一章では、ロシア系ユダヤ人の移民前のロシア帝国における歴史、生活、アメリカへの移住に至った要因について、第二章ではロシア系移民の特徴と移住当初のアメリカでの生活を、第三章では、社会的上昇を遂げたデータとドイツ系ユダヤ移民との比較、そして第四章では、ロシア系ユダヤ移民とユダヤ人全体における社会的成功の原動力を適性・歴 史・環境・宗教といった観点から分析していく。


第一章 ロシア帝国のユダヤ人


今日 600 万人に及ぶ合衆国のユダヤ人の圧倒的多数は、1880 年代~1910 年代の 40 年 間に洪水のように押し寄せたロシア・東欧系のユダヤ移民の子孫である。1881 年~1920 年の間に 205 万人以上のユダヤ移民が入国した。その結果、アメリカのユダヤ人口は 25 万人から 350 万人へと 1300%もの増加を見せた。1880 年代に総移民数の 3.7%だったユ ダヤ移民は、1890 年代には 10.7%、1900 年代には 11.1%を占め、1910 年代にも 8.6%を 占めた。1881 年~1910 年の 30 年間についてみると、ユダヤ移民の出身国はロシア帝国 112 万人(71.6%)、オーストリア・ハンガリー帝国約 28 万人(18%)、ルーマニア 6 万 7 千人(4.3%)となっている(7)。9 割以上がロシア・東欧系ユダヤ移民であったのだ。ロシア帝国内における 1897 年の最初の包括的国勢調査で、帝国内ユダヤ人総数は 521 万 5805 人とされている。その前後 33 年間(1881~1914 年)にユダヤ人国外移住者は約 200 万人 であり、うち 75~81%にあたる 156 万人が合衆国へ渡ったのであった。ロシア系ユダヤ 移民全体の 3 分の 1 以上が出国したのであり、まさに「民族大移動」の時期であったと言 える(8)。では一体なぜこの時期にロシアからアメリカへ渡るユダヤ移民が激増したのだろうか。ロシアでの歴史を踏まえつつ、アメリカ移住の要因をこの章では探ってみたい。

第一節 ロシアでの歴史

ロシアのユダヤ人居住史は古く、紀元二世紀にはクリミア半島東端パンティカペリム、タマン半島東のアナパ、ドニエプル河口のオルビアにユダヤ人社会がつくられていたとされる(9)。紀元 300 年頃、キリスト教の布教活動がこの地にも及び、紀元 989 年、キエフ公 国のウラジミル大公は、ロシア初のキリスト教徒となり、ギリシャ正教を導入した。
その後キエフ公国はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒など異教徒が住んでいたハザール王国を滅ぼし、住民の多くをキリスト教へと改宗させたのだった。十字軍の第二次遠征 が始まる 12 世紀中頃になると、ロシアのユダヤ人社会は西側のユダヤ人社会と接触する ようになり、1240 年のモンゴルのロシア征服によって交流は促進した。 ロシアのユダヤ人口は、この国がウクライナ地方、小ポーランド(10)などを併合するたびに増えていった。その最たるものが、プロシア、オーストリアと分けたポーランド分割である。1772 年の第一回に始まる三度の割譲で、ロシアは 90 万人のユダヤ人を取り込み、 世界の半数近いユダヤ人を支配下に置くようになったのである(11)。キリスト教徒とは異質の存在であるユダヤ人は厄介者扱いを受け、1753 年までにロシアはユダヤ人 3 万 5 千 人を追放し、隔離地に囲い込む政策をとった。それは居留地(ペール・オブ・セツルメン ト)と称されたが、ポーランドの第一次分割と同じ 1791 年に設定され、第一次大戦まで 続いた。1801 年~1825 年に即位したアレクサンドル一世は、1804 年にユダヤ人の権利の 章典を発布したが、反ユダヤ勢力に押されて取り消してしまった。次のニコラウス一世時代もロシアの民族的純潔を考え、ユダヤ人に厳しい政策をとった。ユダヤ人が「有害な要素であり、統制されるべき疫病である」という前提がツァーリズムの政策の基礎にあるの だった。


第二節 ロシアでの生活


1.居住地 ―シュテットル―

ロシアでユダヤ人は帝国内の通常の臣民としてではなく、最下層の「異族人」の身分 に属するものとされ、「賤民」であった。課せられた制限のうち特徴的なものは、隔離地、ペール・オブ・セツルメントの存在である。そこは、ポーランド分割以前にユダヤ人が居住していた地域を主要部分としてバルト海から東南ヘアゾフ海にいたる線の西側に当たっており、リトアニア 3 県、ベラルーシ 3 県、ウクライナの南西ロシア 5 県と南ロシアの 4 県がロシア・ペール、これにロシア領ポーランド 10 県が含まれていた。これは、全ロシア帝国面積の 4%に当たる(12)。ペールの東方に広がる内陸諸県への移動を禁止されていた だけではなく、ペール内部においてもキエフ、ニコラエフ、セヴァストポリなどの都市の居住は禁止され、農村地域の居住も制限されていた。帝政政府はユダヤ人の宗教生活、共同体生活、経済活動、財産権、教育などに制限を課し、12 歳以上のユダヤ人少年を 25 年 の兵役につかせる徴兵制度や特別税を課すことも行った。20 世紀初頭には 1000 か条以上 のユダヤ人に対する特別立法が存在したのだった(13)。ユダヤ人はシュテットルにかたまって生活を営んでいた。シュテットルとはイディッシュ語で「小さな都市」を意味し、都市という行政上の区画外の郡部にある都市型集落で、住民の大部分がユダヤ人からなり、農民を中心とする周辺の非ユダヤ人を相手に商工業を営んだユダヤ人の小さな町であった。

2.職業

1907 年に刊行されたアイザック・ルビノウによる分析『ロシアにおけるユダヤ人の経済 的状態』(14)によると 1897 年のペールにおけるユダヤ人有業人口 133 万人中の職業構成は、 製造業従事者 38%、商業従事者32%、農業従事者 3%となっている。63%が農業従事者である非ユダヤ人に囲まれて、ユダヤ人は著しく商工業化した特異な存在だったのである。
中には富を蓄積できた商人もいたが、大部分は貧しい零細商人であった。ユダヤ人の製造 業従事者はペール内で 50 万人を超え、家族まで含めると 175 万人が製造業で生活していた。ロシア帝国内でユダヤ人は最も工業化が進展した民族集団だったのであり、中でも衣服製造業従事者は 25 万人、すなわちユダヤ人製造業従事者の 47%を占めていたことが注目される。


第三節 アメリカへの移住要因

1881 年~1910 年の 30 年間にアメリカへのユダヤ移民がなぜ急増したのだろうか。こ れまでのロシア系ユダヤ人の歴史、生活等を踏まえてその要因について検証していく。

1.ツァーリズムとポグロム

★ポグロムとユダヤ人のアメリカ移住
http://kabukachan.exblog.jp/25450166/

帝政が崩壊に向かい、社会混乱が増すにつれてユダヤ人社会を囲む環境は悪化の一途を辿った。それはポグロムとなって爆発する。ポグロムとはロシア語で暴行・掠奪・殺人などを伴う攻撃を意味するが、とくにユダヤ人に対する集団的な掠奪・破壊・虐殺を意味する言葉である。社会不安を反映してユダヤ人が身代わりになり、あるいはフラストレーシ ョンのはけ口にされ、1880 年代から 1920 年代までに三度大きいポグロムが発生した。そのうちの一つ、第一番目のポグロムが 1881 年から 1884 年にかけてウクライナで発生したものである。革命集団ナロドナヤ・ボルヤによるアレクサンドル二世暗殺事件にユダヤ人女性ハシャ・ヘルフマンが関与していたことが引き金となった。アレクサンドル二世は農奴解放を始め改革政治を展開し、ユダヤ人にも少年兵制度の廃止、都市や自治機関への参加、ペール以外の地域への居住を許す例外規定の設置などを行っていた。しかし、この事 件はロシア政治に反動への逆転をもたらしたのだった。皇帝は同年 3 月 13 日に死亡した が、4月 27 日の復活祭のとき、ウクライナのエリザベツグラードでポグロムが発生し、 キエフ、オデッサなどへと波及、1884 年まで断続的に各地で起きた。襲われた地域は 100 ヶ所を越えたという(15)。次のアレクサンドル三世(1881~1894 年)は、自分の家庭教師 ポビエドノスツエフを東方教会の最高会議議長に任命した。議長は西ヨーロッパの議会制民主主義よりロシア型独裁を指向する人物で、ロシア正教会を核とした宗教上の統一をスローガンとしたので、ユダヤ人にとっては改宗か追放あるいは死のいずれかを選択しなけ ればならない苦しい状況に陥った。 ポグロムに追い討ちをかけるようにして、1882 年 5 月にユダヤ人の公職と経済活動を 制限する臨時法、『 五月法』が導入された。これによってユダヤ人は都市やシュテットル外部の農村地区に新たに居住することを禁止され、農村での土地の取得や賃貸、管理が禁止
され、日曜日やキリスト教祭日における商取引も禁止された。モスクワはユダヤ人居留地 ではなかったが、専門技術を身につけているため居住を許されていたユダヤ人職人 14000 人が追放された(16)。ノブゴロド、ヤルタなどでも同じ処置が講じられ、多数の人々が路頭に迷うこととなった。ツァーリズムの厳しい政策が進むと同時に、ポグロムはガリチア、 ルーマニアにも広がり、90 年代末までにロシアを含む 3 地域からユダヤ人 100 万人が難 民となって流出していた(17)。ポグロムの最高潮は 1903 年~1906 年キシニョフで起きたも ので 1905 年 10 月には 101 の都市で 3000 人の死者、一万人以上の負傷者が出ている(18)。 ロシア系ユダヤ移民の大量移住の原因としてツァーリズムによる抑圧政策の強化とポグロムが重大であったことは以上から言えよう。生命と財産が危険にさらされていたのである。実際、ロシア系ユダヤ移民のアメリカ移住の年々の変動は、抑圧とポグロムの変動を 反映していた。1882 年の移民数の小ピークは 1881 年に始まるポグロムを、1887 年のピ ークは五月法の施行につづく追放や制限措置を、1892 年のピークはモスクワ追放事件を、 1890 年代末からの増大はロシア国内で高まる社会的緊張に関連しており、1903 年~1906 年の急上昇はキシニョフ・ポグロムに始まって第一次ロシア革命中に高まったポグロムの 大波を反映していた(19)。


2.社会経済的要因

実はロシア帝国内で多くのユダヤ移民を出したのはポグロムの激しかった南ロシアではなく、経済的に最も貧しかった北西ロシアであった。アレクサンドル二世のもとで改革がなされ、資本主義化が急速な前進を開始し、ロシアは工業発展期を迎えていた。このロシア帝国の近代化の波のなかで、ロシア系ユダヤ人の間で変化が三つ生じた。第一の変化は、 人口の増加である。1897 年の国勢調査ではロシア帝国内ユダヤ人口は 521 万 5805 人、ロシア帝国全人口の 4%にあたっていた。ジェイコブ・レスチンスキーの推定ではロシア帝 国内ユダヤ人口は 1825 年では 160 万人、1850 年では 235 万人、そして 1880 年 398 万人 となっており、70 年あまりで 3 倍以上に増えたことがわかる(20)。人口増加はペール内の 限られた地域のユダヤ人人口の過密を招き、出移民増加への圧力となったのである。 第二の変化は、都市化の発展である。19 世紀末のユダヤ人は農村的な多数派人口の中で 都市・小都市に居住する特異な存在であった。1897 年ペールでは 49%が都市(ゴロド) に、33%がシュテットルに、計 82%が都市型集落に居住していた(21)。19 世紀前半は一万 人以上のユダヤ人人口をもったのは、三都市にすぎなかったが、その 50 年後、19 世紀後 半にはペール内の農村地域やペール外の諸都市から追放されたこともあってオデッサで 14 万人、ヴィリニュスで 6 万人、キシニョフで 5 万人、など 10 倍以上の大都市へと発展 し、ユダヤ人は高度に都市化した集団へと変容していった(22)。1881 年~1897 年における ユダヤ人増加率の推定は北西ロシア、南西ロシアとも 10%なのに対し、南ロシアは 61% という高率を示している。国外移住の前提条件として南ロシアやポーランドといった工業 地帯への国内移住が増大しつつあったことを示している(23)。 第三の変化は、ロシア系ユダヤ人におけるプロレタリア化の進行である。農業的職業からの排除によって商業従事者が増加し、ペールには平均ユダヤ人1人に対して非ユダヤ人 が 9 人しかいないため非ユダヤ人顧客に対するユダヤ人商人の比率が高くなり、競争が激 化してユダヤ人商人の状況は全般的に悪化していった(24)。多くが工業的職業に転化するこ とを余儀なくされ、19 世紀末には工業的な民族に転換し、ユダヤ人の「勤労者化」、「生産 者化」の現象が進行したのである。手工業の場合、1898 年彼らは親方 52%、職人 28%、 徒弟 20%から構成されており、ルビノウはこのうち職人と徒弟の合計約 24 万人(48%) を「賃金労働者」に規定している(25)。1888 年のユダヤ人問題調査委員会は「ユダヤ人の 90%が貧困と劣悪な状況のなかにある大衆」とし、彼らをプロレタリアートと呼んだのだった。 19 世紀後期のペールにおいては、資本主義化進行のなかで人口増加、都市部への集中によってユダヤ人の経済活動の伝統的構造である商業が崩れ、工業地域への国内移住が見られるようになり、「勤労者化」を通じて製造業者が増大し、賃金労働者化も進行した。そしてこのような過程の先端にあった職業グループが高いアメリカへの移住性向を示していたのである。アメリカに到着したユダヤ移民の職業統計(1901~1906 年)をみるとロシア系ユダヤ人の間で 38%を占めていた製造業従事者がユダヤ移民の間では 63%をも占めた (26)。商業従事者は 8%、農業従事者は 1.3%と低い移住性向を示している。大半が製造業 従事者であった理由は、腕に技能をもつ彼らはアメリカでも製造業において働ける場合が多かったからである。 以上ロシア国内における二つの要因からアメリカを選んだと言えるが、アメリカが国と してユダヤ人を支援している点も重要だ。1881 年、アメリカのジェームズ・ガーフィール ド大統領はユダヤ人虐殺を非難する中で、ロシアのユダヤ人の扱い方について一連の抗議の口火を切った(27)。それから第一次世界大戦までの間は、アメリカ政府は頻繁にロシアのユダヤ人に同情を示し、ロシア政府への批判を鮮明にしたのだった。アメリカの外交姿勢 がユダヤ人に魅力的であったのは言うまでもない。



by kabu_kachan | 2016-07-17 23:06 | ユダヤ | Comments(0)

アシュケナージの先祖

2016年04月23日 12:01

科学者たちは、アシュケナージ(中央ヨーロッパに形成されたユダヤ人グループ)の先祖はほとんどが2000年前、今のトルコ北部に住んでいたことを突き止めた。インディペンデントが報じた。


紀元1世紀ごろ、ペルシャからのユダヤ人の影響を受けて、彼らはユダヤ教に改宗した。

英国の遺伝学者らが北部・東部ヨーロッパに住むユダヤ人367人の DNA調査を実施し、

アシュケナージの祖先の90%が現代のトルコの北東にあるコミュニティの一員であったことを突き止めた。





続きを読む http://jp.sputniknews.com/science/20160423/2012463.html#ixzz46t0a3hAa



10世紀のカザール(ハザール)王国



このように、東欧ユダヤ人(アシュケナージ)=ハザール起源説というのは、世界的に現在も進行中のテーマなのである。ただし、アメリカのマスメディアは一切報道しないが。


         
Get this! 90% of Proclaimed Jews are not Jews at all (KHAZARS Exposed)
https://www.youtube.com/watch?v=DoCNZWIgP7w

     ☟
The Khazarian Conspiracy: Fake Jews of the Synagogue of Satan!
https://www.youtube.com/watch?v=tE7S4uYAEAs

       
世界の百科事典のカザール(ハザール)人
http://kabukachan.exblog.jp/25167733/


        ☟
Khazars full video
https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk
.............☟
The Hidden History - The Khazar Empire
https://www.youtube.com/watch?v=k2oW63XkBhw

     ☟
Khazar : Secret Ruling Empire of The World Exposed : Sheikh Imran Hosein
https://www.youtube.com/watch?v=b6rEts1BuN8

      ☟
米国の ユダヤが乗っ取る マスメディア
http://kabukachan.exblog.jp/24966612/
     ☟
イディッシュ語はドイツ語起源ではない
http://kabukachan.exblog.jp/25184891/

ハザール王国がモンゴル帝国に滅ぼされた時に、ハザール人はポーランドに逃げ込んで定住したのである。その後、ポーランドにできたユダヤコミュニティーの中に、ロシア系ユダヤ人が流入して来て、大多数をロシア系ユダヤ人が占めるユダヤコミュニティーができ上がったのである。
イディッシュ語を作ったのもロシア系ユダヤ人である。
そして1900年前後に、ポグロムから逃れるために300万人のロシア系ユダヤ人がアメリカに渡って、アメリカのメディア界とハリウッドを作り上げたのである。

       
★「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文(3)
http://kabukachan.exblog.jp/25800918/

       

★ポグロムとユダヤ人のアメリカ移住
http://kabukachan.exblog.jp/25450166/

       
★世界支配とは <ユダヤ化> のことである
http://kabukachan.exblog.jp/24849026/


ちなみに、ロシア語と英語は文法構造は同じである。(ロシア語も英語もインド・ヨーロッパ語族に属する。)
だから、ロシア人が英語を学ぶのは簡単なのである。
これはちょうど、日本人が韓国語を学ぶのと同じなのである。
ついでに言うと、トルコ語と韓国語と日本語は文法構造も語順も同じである。(トルコ語も日本語も、広い意味でのウラル・アルタイ語族に属する。)
わかりますか?
トルコ人に対して、日本語を話すような感覚で単語を並べて話すだけで意味が通じるのである。
このことが分かっている日本人が何人いるのか? これが問題だ!

       

英語は難しい
http://kabukachan.exblog.jp/24620492/



by kabu_kachan | 2016-04-26 09:07 | ユダヤ | Comments(5)

ポグロムとユダヤ人のアメリカ移住

ポグロムとユダヤ人のアメリカ移住


ポグロムпогром パグローム)とは、ロシア語で「破滅・破壊」を意味する言葉である。特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。チェコ語には同系のポフロマpohroma」という言葉があり、不時の災難を意味する。

歴史的にこの語は、ユダヤ人に対して、自発的計画的に広範囲に渡って行われる暴力行為と、同様な出来事について使われる。ポグロムは標的とされた人々に対する物理的な暴力と殺戮を伴っている。

13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をシュラフタ(ポーランド貴族)およびポーランド王の庇護のもとに保障されたことから、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。

1543年にプロテスタント運動の創始者の一人であるマルチン・ルターが著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』においてユダヤ人への激しい迫害及び暴力を理論化し熱心に提唱した。

17世紀ウクライナ・コサックフメリニツキーの乱で起こったポグロムはその犠牲者の数で最悪のものとなった。

■■ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件が発生


●1648年、まだウクライナがポーランド領であった頃、ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件が発生した。いわゆる「フメリニツキーの乱」である。ボグダン・フメリニツキーのもとに集まったウクライナ・コサックは、ウクライナとポーランドの行く先々でユダヤ人を襲い、金品を略奪したあげく虐殺した。約50万ものユダヤ人が殺された。

●ボグダン・フメリニツキーは、ロシア史においては、コサックと農民の反乱指導者として、ウクライナをポーランドから解放し、ロシア支配に至らせたとして高く評価されている。しかしその反乱において、ユダヤ人を虐殺し、ユダヤ共同体を破壊したために、ユダヤ年代記では「邪悪なフメル」と記されている。虐殺は、ガリチア地方(西ウクライナ)を中心として、ベロルシア、さらにウクライナ南東部にも及んだ。この虐殺と破壊によって、ユダヤ人共同体は、崩壊的危機に立たされた。


1795年の第三次ポーランド分割によりポーランド・リトアニア共和国が完全に消滅してその東部(旧リトアニア公国領)がロシアに併合された。もはや消滅したポーランド国家による庇護を受けることができなくなったポーランドやリトアニアのユダヤ人はハプスブルク家に庇護を求めたが、ウクライナ人・ベラルーシ人には裏切り行為と受け取られた。

1819年ドイツヴュルツブルクでポグロムが発生すると瞬く間にドイツ文化圏の全域に大規模な反ユダヤ暴動が広まった(ヘプヘプ・ポグロム英語版)。1821年オデッサ・ポグロム英語版

19世紀後半になると、主に旧リトアニア公国の領域(ベラルーシウクライナモルドヴァ)で、ウクライナ人・ベラルーシ人農民、コサックなどの一揆の際にユダヤ人が襲撃の巻き添えとなった。1881年アレクサンドル2世が暗殺されると、ロシアで反ユダヤ主義のポグロム1881年-1884年)が起こった。後にはロシア帝国をはじめ各国でユダヤ人殺戮のポグロムが盛んに行われた。

1905年、ロシアのエカテリノスラフにおけるポグロムで犠牲になったユダヤ人の子供たち

帝政ロシア政府は社会的な不満の解決をユダヤ人排斥主義に誘導したので助長されることになった。1903年から1906年にかけての度重なるユダヤ人襲撃はユダヤ人の国外脱出の引きがねとなりシオニズム運動を招くことになった。第二次世界大戦でもポーランド東北部の村落を中心にユダヤ人がソ連および赤軍と密通しているとの疑いを掛けられ、時にはポーランド人やウクライナ人などナチス・ドイツ支配下に置かれた民族によってポグロムが起こされている。その代表的なものにイェドヴァブネ事件が挙げられ、数百人のユダヤ教徒の村人たちが近隣のキリスト教徒に殺された。ユダヤ教徒の住民の一部は実際にソ連側と密通していたとされているが、罪のない住民も同様の疑いを掛けられて巻き添えとなった。

このような暴動を起こす人物は「理性をなくした、へべれけに酔っ払った農民」[1]だという者もいるが、実際には計画的、組織的に徹底して行われた[2]




19世紀前半に始まったユダヤ人のアメリカ合衆国移住  


1882年のロシアのポグロムによりアメリカ合衆国を移住先と選んだロシアのユダヤ人たち、そして他の東欧からアメリカへの移住が進んだ結果、日本ではアメリカへのユダヤ人の移住は19世紀末とされることが一般的である。しかし、実際にはドイツ系ユダヤ人たちが19世紀前半、サウスカロライナ州チャールストンで改革派神殿の典礼と似た礼拝が行われるようになった。ニューヨークでは、1842年までに3つのドイツ系シナゴーグが建てられ、さらに1845年、マンハッタンの中心地の一つ5番街に巨大な改革派神殿「イマニュエル・テンプル」が建立され、改革派の典礼が行われるようになった。


ニューヨーク市5番街にあるエマニュエル・テンプル:現在のシナゴーグは1928-29年に建てられたもの。もとのシナゴーグは1845年に創建をされ、アメリカのユダヤ教の中心の一つとして機能をして今に至っている。


イマニュエル・テンプルの内部:キリスト教の礼拝所と似ています。

フィラデルフィアでは1869年に第1回アメリカ・ラビ会議が行われており、この会議の結果、常設のラビ組織であるアメリカ・ヘブライ会衆連合が創設された。

Union for Reform Jedaismは、現在も全米で活発な活動を展開をしている。

西部開拓の中心の一つであったオハイオ州では、1875年シンシナティにおいて、アメリカで最初のラビ神学校ヘブライ・ユニオン・カレッジが誕生している。


創建頃(1875)のヘブライ・ユニオン・カレッジ(ラビ、指導者の育成が行われた。現在、ニューヨーク、ロサンゼルス、エルサレムにも姉妹校がある。

1880年ごろ、アメリカのユダヤ人人口は約25万人であり安定をしていたが、ラビ連合とヘブライ・ユニオン・カレッジが以降のアメリカにおけるユダヤ教発展の礎となった。

しかし、最初に指摘をしたように19世紀末に東欧からのユダヤ人移民が急増をしたのだが、彼らはドイツ系ユダヤ人の簡略化した改革派典礼では満足ができなかった。伝統主義に則ったラビの育成のためのユダヤ神学校がニューヨークに設立され、保守派ユダヤ教徒の中心組織となった。さらに国外ユダヤ人問題に関して、合衆国政府にロビー活動を行う団体として名高いアメリカ・ユダヤ委員会(現在はアメリカ・イスラエル広報委員会)も設立をされた。2世代もすると「豊かなドイツ系ユダヤ人と貧しいロシア系移民」という区別はなくなった。両グループ間の婚姻も増加しながら「アメリカ人」となっていった。

American Israel Public Affairs Committee はアメリカのロビー団体、最強の圧力を持つと言われている。

第2次世界大戦後まで、アメリカ名門大学や医学校にはユダヤ人学生の受け入れが制限をされていたし、特定の地区ではユダヤ人への住宅販売ができない「紳士協定」が行われていた。これに対して、ユダヤ人社会は、子供たちに高水準の教育を受け、アメリカ・アクセントで英語を話、多数派文化に溶け込むことを強く望んだ。実際、政治・経済・科学・文学・芸術の分野で成功する者が続出をし、ハリウッドの映画産業は実質的にユダヤ人産業であった。

★ハリウッドの歴史
http://kabukachan.exblog.jp/21116852

現在のアメリカではユダヤ人に対する社会上の制限は撤廃をされ、ユダヤ人コミュニティーはアメリカでもっとも成功をしたグループとして認められるまでになっている。

しかし、ユダヤ教徒の間での宗教上の差異は現在も残されており、保守派と改革派は周囲の環境に順応することを心掛けている。

現在のアメリカにおけるユダヤ人の最大問題は、同化問題と異教徒との結婚である。次世代のユダヤ教徒が少なくなる傾向にどのように対処するのか、ということである。


http://blue.ap.teacup.com/qmss/2697.htmlより。



★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk


★The Jews of Khazaria Jewish Biography as History Dr. Henry Abramson
https://www.youtube.com/watch?v=wWXCLQ3DBqw


18世紀には、東欧ユダヤ人(アシュケナジー)たちは黒い太線で囲まれた区域に住んでいた。


ロシアと中央アジアから流入した、ポーランドを中心とした地域に住んでいた東欧ユダヤ人(アシュケナジー)たちは、西と東の両方からの迫害を逃れるために、集団でアメリカに渡った。その数300万人である。その大半がニューヨークに移住した。アメリカにロシア系ユダヤ人(白人)が多い理由がこれで分かるというものだ。


★米国の ユダヤが乗っ取る マスメディア
http://kabukachan.exblog.jp/24966612/


★イディッシュ語はドイツ語起源ではない
http://kabukachan.exblog.jp/25184891/


by kabu_kachan | 2016-03-26 09:20 | ユダヤ | Comments(0)

「アメリカのユダヤ人」の研究

【アメリカに住んでいるユダヤ人の解明】

★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk

★Fake Jewish Peoples Exposed An The Real Hebrew Israelites Awaken
https://www.youtube.com/watch?v=gta4uOM6Y2U


★「東欧ユダヤ人のハザール起源説」を否定する説 ⇦ に対する反論。

https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk


①イディッシュ語はドイツ語(ゲルマン系)起源ではない。スラブ語系起源である。

★イディッシュ語はドイツ語起源ではない

http://kabukachan.exblog.jp/25184891/

②東欧ユダヤ人が西方(フランスやドイツ)から来たという説は確かな根拠がなく、なぜロシア国内にユダヤ人が多いのかを説明できない。

★ロシア系ユダヤ人(金髪白人)のハザール王国起源説

http://kabukachan.exblog.jp/25157464/

③ロシア革命はユダヤ人による革命だが、これも説明できない。

★アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人
https://www.youtube.com/watch?v=fKY7YAYynUU

https://www.youtube.com/watch?v=OYsdJjmT4sQ

https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk

★ソ連とは何か(5)

http://kabukachan.exblog.jp/18440055/

④ハザール王国がモンゴル帝国に滅ぼされた時に、ハザール人は周辺のユダヤ教に改宗したスラブ人(ロシア人)とともにポーランドに逃げ込んで定住したのである。そしてスラブ人(ロシア人)が中心となって、ドイツ語の語彙を取り入れながらイディッシュ語を作ったのである。

The history of the ancient Khazar Empire, a major but almost forgotten power in Eastern Europe, which in A.D. 740 converted to Judaism. Khazaria, a conglomerate of Aryan Turkic tribes, was finally wiped out by the forces of Genghis Khan, but evidence indicates that the Khazars themselves migrated to Poland and formed the cradle of Western (Ashkenazim) Jewry...

The Khazars' sway extended from the Black sea to the Caspian, from the Caucasus to the Volga, and they were instrumental in stopping the Muslim onslaught against Byzantium, the eastern jaw of the gigantic pincer movement that in the West swept across northern Africa and into Spain.

Thereafter the Khazars found themselves in a precarious position between the two major world powers: the Eastern Roman Empire in Byzantium and the triumphant followers of Mohammed.
As Arthur Koestler points out, the Khazars were the Third World of their day, and they chose a surprising method of resisting both the Western pressure to become Christian and the Eastern to adopt Islam. Rejecting both, they converted to Judaism.


⑤その後、ポーランドでイディッシュ文化が栄えて、さらにロシア系ユダヤ人は増えていった。そして1900年前後のロシア帝国による大規模なユダヤ人迫害(ポグロム)によって、ポーランドや中央アジアに住んでいたロシア系ユダヤ人は大量に(およそ、300万人が)、アメリカに渡ったのである。

★真のユダヤ史(ユースタス・マリンズ著)(3)
http://kabukachan.exblog.jp/18834478/


Khazars full video
https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk

Forbidden Knowledge - History of the Khazar Empire - Lecture by Jack Otto
https://www.youtube.com/watch?v=5TVd8ovSPl4

The Khazarian Conspiracy: Fake Jews of the Synagogue of Satan!
https://www.youtube.com/watch?v=tE7S4uYAEAs

The Hidden History - The Khazar Empire
https://www.youtube.com/watch?v=k2oW63XkBhw

Get this! 90% of Proclaimed Jews are not Jews at all (KHAZARS Exposed)
https://www.youtube.com/watch?v=DoCNZWIgP7w

Texx Marrs Khazar Fake Jews And The Coming Destruction Of Israel
https://www.youtube.com/watch?v=qsbSVtxS83c

Khazar : Secret Ruling Empire of The World Exposed : Sheikh Imran Hosein
https://www.youtube.com/watch?v=b6rEts1BuN8




以上のことを頭に入れて以下の記事を読むとすべてが見えてくる。何度も言うが、下⇩のサイトは、世界最高水準である。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/_floorA4F_ha.html#02より。


最初にやってきたのは、第1章で紹介したように、カトリック教国のスペインとポルトガルから追放されたユダヤ人(スファラディム)だった。1654年、ブラジルを経由してニューヨークに到着した。

●アメリカ独立後も、州によってユダヤ人に対する扱いは異なっていた。宗教的にこりかたまったマサチューセッツ州はユダヤ人を排除し、逆にメリーランド州は完全な信仰の自由を認めるといった具合だったが、やがてスペイン系ユダヤ人の多くは、企業家としてのたゆまぬ努力によって、しだいに経済的実力を蓄積してゆく。

●ユダヤ移民の第2波は、1820年から1870年頃まで続く。これは主にドイツからやって来た。特に1848年の革命の敗北によってアメリカに避難したものが多かったので、彼らは「フォーティエイター」と呼ばれている。

●ドイツ系ユダヤ人たちの多くは徒手空拳の街路商人からキャリアを開始した。先住の貴族化したスペイン系ユダヤ人の軽蔑を尻目に、かれらは未開拓の分野に進出する。綿花、銀鉱、金鉱、鉄道、土地投機、そして当時は悪所扱いされていたウォール街。

ドイツ系ユダヤ人は、母国ドイツとヨーロッパ各地のユダヤ系資本とのコネクションを武器として、国際的な資本移動の仲介役として活躍した。鉄道業を中心にした当時のアメリカ国内の主要な企業活動に対する国際的資金調達こそ、彼らの活躍の場となった。ドイツ系ユダヤ人が所有・利権支配した投資銀行は、その後長らく、アメリカ国内の投資銀行業界を二分する勢力のひとつとして栄えた。

●さて、ここで、アメリカ・ユダヤ人口の変動を見てみたい。

アメリカ独立当時のアメリカ・ユダヤ人口は、取るに足りない少数であった。独立前夜のアメリカ全人口300万人中、ユダヤ人口は約2500人であったと言われている。たったの2500人である。

その後も、アメリカ・ユダヤ人口の増加ぶりはまことに緩慢で、1840年当時でも総数1万5000人にすぎなかった。


●しかし、スペイン系ユダヤ人(スファラディム)を中心としてきたそれまでのアメリカ・ユダヤ人社会に、ドイツ系ユダヤ人が合流した結果、以後ようやくユダヤ人口も増加が目立ち始めた。1848年には総数5万人、1860年代半ばには20万人に達していた。


●しかし、ドイツ系ユダヤ移民の渡米は長くは続かなかった。1870年以後は急速に衰え、1880年当時でもユダヤ総人口は合計23万にすぎず、アメリカ全人口中の0.5%弱にしかならなかった。

●1880年代初頭、アメリカ・ユダヤ人社会史上に、決定的な転換期が訪れた。

当時、ロシア国内で始まった「ポグロム」(ユダヤ人迫害)の嵐で、大量の東欧ユダヤ人がアメリカに流入することになったのである。ユダヤ移民の第3波である。まさに、どっと押し寄せてくるという感じでやって来た。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、帝政ロシアでは激しいユダヤ人虐殺が進行したが、このとき殺されたユダヤ人のほとんどはアシュケナジームであった。

ヒトラーによるユダヤ人迫害が発生するまで、帝政ロシアは、間違いなく、ユダヤ人が最も大量に殺された国であった。(当時のロシアは、世界で最も多くユダヤ人が住む国であった)。「ポグロム」はロシアから東ヨーロッパにかけて大規模に広がり、この結果、多くのユダヤ人がアメリカに渡ってきたのである。その数、300万人である。

●1880年代初頭、アメリカ・ユダヤ人社会史上に、決定的な転換期が訪れた。

当時、ロシア国内で始まった「ポグロム」(ユダヤ人迫害)の嵐で、大量の東欧ユダヤ人がアメリカに流入することになったのである。ユダヤ移民の第3波である。まさに、どっと押し寄せてくるという感じでやって来た。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、帝政ロシアでは激しいユダヤ人虐殺が進行したが、このとき殺されたユダヤ人のほとんどはアシュケナジームであった。

ヒトラーによるユダヤ人迫害が発生するまで、帝政ロシアは、間違いなく、ユダヤ人が最も大量に殺された国であった。(当時のロシアは、世界で最も多くユダヤ人が住む国であった)。「ポグロム」はロシアから東ヨーロッパにかけて大規模に広がり、この結果、多くのユダヤ人がアメリカに渡ってきたのである。その数、300万人である。


★ロシア・ペール
19世紀末から20世紀初頭にかけて、帝政ロシアでは激しいユダヤ人虐殺が進行した。このロシアにおけるユダヤ迫害は 「ポグロム」と呼ばれ、このとき殺されたユダヤ人のほとんどはアシュケナジームであった。


ロシアの巨大なゲットーと呼ばれる「定住区域」⇧
(ユダヤ人制限居住地域)
ちょうど「ハザール王国」があった場所と重なっていることが分かるだろう。1791年から1917年まで、ユダヤ人が移動することが禁じられた。1897年までに500万人以上のユダヤ人が住んでいた。定住区域外の東部の町にも多くのユダヤ人が住んでいた。



The Pale of Settlement (Russian: Черта́ осе́длости, chertá osédlosti, Yiddish: דער תּחום-המושבֿ‎, der tkhum-ha-moyshəv, Hebrew: תְּחוּם הַמּוֹשָב‎, tcḥùm ha-mosháv) was a western region of Imperial Russia, in which permanent residency by Jews was allowed and beyond which Jewish permanent residency was generally prohibited. It extended from the eastern pale, or demarcation line, to the western Russian border with the Kingdom of Prussia (later the German Empire) and with Austria-Hungary.

The archaic English term pale is derived from the Latin word palus, a stake, extended to mean the area enclosed by a fence or boundary.

Jews were, however, excluded from residency at a number of cities within the Pale, while a limited number of categories of Jews were allowed to live outside it.

With its large Catholic and Jewish populations, the Pale was acquired by the Russian Empire (which was majority Russian Orthodox) in a series of military conquests and diplomatic maneuvers between 1791 and 1835, and lasted until the fall of the Russian Empire in 1917. It comprised about 20% of the territory of European Russia and largely corresponded to historical borders of the former Polish–Lithuanian Commonwealth and the Crimean Khanate; it included much of present-day Lithuania, Belarus, Poland, Moldova, Latvia, Ukraine, and parts of western Russia.

●1880年に23万にすぎなかったアメリカ・ユダヤ人口は、1900年にはついに100万を突破した。この間の20年間、アメリカ総人口が1.5倍増であったのに対し、ユダヤ人口は4.4倍に達したのであった。そして、その後も東欧ユダヤ人のアメリカ流入は続いて、20世紀初頭までに総数280万人に達する莫大な数の東欧ユダヤ人がアメリカに流れ込んだのだった。

これにより、世界で一番ユダヤ人が多い国は、徐々にロシアからアメリカにバトンタッチされていくことになる。(東欧ユダヤ人はアメリカ・ユダヤ人口の85%を占めるようになった)。

Influence of the pogroms[edit]

The pogroms of the 1880s caused a worldwide outcry and, along with harsh laws, propelled mass Jewish emigration. Two million Jews fled the Russian Empire between 1880 and 1914, with many going to the United Kingdom and United States.

In reaction to the pogroms and other oppressions of the Tsarist period, Jews increasingly became politically active. Jewish participation in The General Jewish Labor Bund, colloquially known as The Bund, and in the Bolshevik movements, was directly influenced by the pogroms. Similarly, the organization of Jewish self-defense leagues (which stopped the pogromists in certain areas during the second Kishinev pogrom), such as Hovevei Zion, led to a strong embrace of Zionism, especially by Russian Jews.


★以上のことを知っておかなければ、なぜロシア革命をアメリカが支援したのかも、なぜ911のいかさまテロをアメリカのマスメディア(すべてをユダヤ人が作っている)が報道しないのかもわからない。


History of the Jews in Russia

From Wikipedia, the free encyclopedia
(Redirected from Russian Jews)

The vast territories of the Russian Empire at one time hosted the largest population of Jews in the world.[9] Within these territories the primarily Ashkenazi Jewish communities of many different areas flourished and developed many of modern Judaism's most distinctive theological and cultural traditions, while also facing periods of antisemitic discriminatory policies and persecutions. Russian Jewry consists predominantly of Ashkenazi Jews but also comprises a number of other Diasporan Jewish groups, such as Mountain Jews, Crimean Karaites, Krymchaks, Bukharan Jews, and Georgian Jews.

The presence of Jewish people in the European part of Russia can be traced to the 7th–14th centuries CE. In the 11th and 12th centuries, the Jewish population in Kiev, in present-day Ukraine, was restricted to a separate quarter. Evidence of the presence of Jewish people in Muscovite Russia is first documented in the chronicles of 1471. During the reign of Catherine II in the 18th century, Jewish people were restricted to the Pale of Settlement within Russia, the territory where they could live or immigrate to. Alexander III escalated anti-Jewish policies. Beginning in the 1880s, waves of anti-Jewish pogroms swept across different regions of the empire for several decades. More than two million Jews fled Russia between 1880 and 1920, mostly to the United States.


by kabu_kachan | 2016-02-12 21:39 | ユダヤ | Comments(0)

アメリカに住んでいる「ロシア系ユダヤ人」

【 ロシア系ユダヤ人(金髪白人)が一番多い国はどこか? 】

Famous Jews who changed their names
https://www.youtube.com/watch?v=7zS7aMGByxY


一番目がロシア、次に多い国がアメリカ合衆国である。
ロシア系ユダヤ人(金髪白人)がロシアとアメリカという二つの大国に分かれて住んでいるのである。

★ここに世界史上の近現代史と現在の世界情勢を解く鍵がある。

★アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人
https://www.youtube.com/watch?v=fKY7YAYynUU

★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk


この謎を詳しく歴史的に説明したサイトがある。
以下は、
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb200.html#01からの抜粋である。

世界史の教科書に、このことを書かないから、いつまで経っても日本人は世界の歴史と世界情勢が分からないのである。



6世紀頃、ドン川、ボルガ川下流地域を中心に「ハザール王国」(ハザール汗国)が勃興し、北方森林地帯のスラブ諸族を支配した。のちにこのハザール王国は、世界史上例を見ない「改宗ユダヤ教国家」となる。


9世紀頃には、都市キエフを中心に、現在のロシアのルーツとされる「キエフ・ロシア国」(キエフ・ルーシ)が成立。その担い手は東スラブ人であり、彼らは自分たちをルーシ(ルス人)と呼んでいた。現在にまで至る「ロシア」の名はこれに由来している。




   10世紀のハザール王国
 

●このキエフ・ロシア国はハザール王国の衰退に乗じてこの地域の主権を握り、西のカルパチア山脈から、東のボルガ川、そして南の黒海から、北の白海にかけて勢力を誇った。

なお、『原初年代記』によれば、ハザール王国のユダヤ人が、キエフ・ロシア国のウラジミール公にユダヤ教改宗を進言したとある。しかしウラジーミル公は、988年に、先進的な文明国であったビザンチン帝国(東ローマ帝国)からキリスト教を取り入れ、この地にキリスト教文化を広めることになる。ハザール・ユダヤ人は以後、キリスト教会側からロシア人に改宗を挑んだ者として敵意をもって見られるようになり、11世紀に入ると、ハザール王国は、キエフ・ロシア国とビザンチン帝国の連合軍に攻撃され、大きなダメージを受けてしまう。


★ここでハザール王国起源説を否定する動画も載せておく。
https://www.youtube.com/watch?v=ORgFRsV_O5c
https://www.youtube.com/watch?v=MHKcLAuz670
https://www.youtube.com/watch?v=0zt9EgTj3Ug
https://www.youtube.com/watch?v=Z1ruB2GB2j0
https://www.youtube.com/watch?v=Q0g00-eWJys

この動画も説得力があるとは思えない。

★イディッシュ語はドイツ語(ゲルマン系)の一方言ではない。スラブ系(ロシア系)である。

Wikipediaより。

イディッシュ語スラブ系説[編集]

通説によれば[要出典]イディッシュ語ライン川地方に起源をもち、変形したドイツ語を基礎に、スラブ諸語ヘブライ語アラム語ロマンス諸語からの借用語を交えたものとされてきた。

1993年、テルアビブ大学の教授である言語学者ポール・ウェクスラー (Paul Wexler) は
イディッシュ語がスラブ系言語に起源を持ち、後にドイツ語の語彙を取り入れたものであることを示し、
東欧のアシュケナジムはユダヤ教に改宗したスラブ系およびトルコ系民族にごくわずかの中東系ユダヤ人が合流したものであるとする
『The Ashkenazic 'Jews': A Slavo-Turkic People in Search of a Jewish Identity』を発表している。

ポール・ウェクスラーの説は、12世紀以前にユダヤ人との接触やキリスト教化への反発を背景に、ユダヤ教に改宗したスラヴ人がアシュケナジムの主体となったと説明しており[27]
ハザール起源説と言うよりスラヴ起源説の色がある。

★イディッシュ語スラブ系説が正しいとするなら、カザール王国がユダヤ教に改宗した時に、その周辺にいたスラブ人(ロシア人)も影響を受けてユダヤ教に改宗したのではないだろうか。
その後、カザール王国がモンゴル帝国に滅ぼされた時に、トルコ系のカザール人たちはユダヤ教徒のスラブ人とともにポーランドに逃げ込んで、そこでスラブ人たちが中心となってドイツ語の語彙を取り入れながらイディッシュ文化を開花させたことになる。

★この説は合理的かつ画期的ではないだろうか。

なぜロシア人(スラブ人)の中に

ユダヤ教徒が多いのかを説明できる。


★私見

ハザールがトルコ系かどうかは確かな証拠はない。ただし白色系トルコ人もいる。
現在の世界状況をよく観察せよ。ロシアに住んでいるユダヤ人とアメリカに住んでいるユダヤ人は顔つきが良く似ていると思わないですか。しかも共に金髪白人(例:ヒラリー・クリントン、ただし彼女はオランダ系ユダヤ人)である。ロシアに住んでいた金髪白人たちが迫害を逃れるためにアメリカに渡ったのである。
そもそも、なぜロシアやポーランドに金髪白人のユダヤ人が多いのか?
中東のユダヤ人がわざわざロシアまで行って白人たちに布教して回ったんですか?クララさ~ん!

私は肯定派だが、そもそも肯定派であろうが否定派であろうがどちらでもいいのである。
以下で述べているように、ユダヤ人たちが何度も迫害を受けてきたということは、ユダヤ教そのものに問題があるのである。
下で述べているユダヤ人迫害は全て、ヒトラーが出現するずっと前の迫害なのである。

宇野氏が言うように、民族の問題ではなく宗教の問題なのである。


「偽ユダヤ人と本物のユダヤ人」というのは、
「偽ユダヤ人=悪 で 本物のユダヤ人=善」
という意味ではない。
本物であろうと偽者であろうと、外から見ればわからない。しかしその行いからユダヤ教徒であることはわかる。ユダヤ教徒だから迫害されてきたのである。これはユダヤ教そのものに問題があるからである。

偽ユダヤ人の存在というのは、イスラエル国の存在を否定することになるので、アメリカメディアは一切黙殺するのである。
アメリカの白人たちはなぜユダヤ教徒であることを隠すのか?
白人のユダヤ教徒は目立つからである。明らかに中東のユダヤ人とは違う。


 

■■ロシア帝国の台頭


●12~13世紀頃に、キエフ・ロシア国は内紛とステップ地域の遊牧民との争いによって力を弱め、13世紀になると、バトゥ・ハン率いるモンゴル軍によって滅ぼされ、「キプチャク汗国」が成立。(「タタールのくびき」の始まり)。

これ以降、この地域の北東部ではモンゴル支配を受けつつも、モスクワ公国が中心になって統一へ進む一方、キエフを含む南西部は、バルト海沿岸から拡張しつつあった新興国リトアニアの支配下に入り、16世紀にはポーランドの支配下に入った。


●そして、この頃から、ウクライナ南部に逃亡農奴を中心にした「ウクライナ・コサック集団」(自治国家)が形成され、勢力を誇るようになる。これが直接的なウクライナ国家の起源とされる。

しかし、コサックたちの自治国家は、当時、東欧の大国であったポーランド=リトアニア連合王国や、さらにロシア帝国、オスマン・トルコ帝国に挟まれ、長くは続かなかった。彼らの領土は、ロシア帝国とポーランドによって東西分割され、ポーランドが滅亡すると、ガリチア地方はハプスブルク帝国の支配下に、その他の大部分はロシア帝国の領土となってしまうのであった。

※ ガリチア地方とは、ウクライナ北西部とポーランド南東部にまたがる地域で、カルパチア山脈一帯のことを指し、ハザール王国領に隣接していた地域である。


●19世紀の民族運動の発展において、ウクライナ地域では、ウクライナの過去の栄光を象徴する存在としてコサックが理想化された。そして、ウクライナ独立という目標を掲げたウクライナ民族運動が起きるようになるが、ロシア帝国下では、ウクライナ民族主義は徹底的に弾圧され、ロシア化が図られた。

しかし、ウクライナ人への弾圧は、かえってウクライナ人としての民族意識を根強いものとした。また一方で、ウクライナ人は、ハザール王国時代以来の同居人であるユダヤ人を迫害することによっても、自らをウクライナ人として意識したのであった。

※ このウクライナ人によるユダヤ人迫害については、後で詳しく触れていきます。


■■■第2章:ロシア帝国における反ユダヤ政策の実態


■■ロシア皇帝が相次いで実施した反ユダヤ政策


●ロシア国内における反ユダヤ主義は、1470年代に発生した「ユダヤ教的異端」をきっかけに現れた。この異端は、モスクワ宮廷内に広がり、高級聖職者、貴族、さらにはイワン3世の義娘によっても信奉された。この異端の広がりにより、1487年にはノヴゴロド大司教がユダヤ教徒追放令を、1504年には、イワン3世が、この異端信奉者を火刑にする命令を出した。


●イワン4世もまたユダヤ人に対する敵意を示している。彼はユダヤ人を“毒薬商人”とみなし、1545年にはモスクワにおいて、ユダヤ人の商品を焼き、彼らのモスクワでの商業活動を禁じた。また1555年には、リトアニアのユダヤ商人がロシアに入国することを要求したが、ポーランド王ジイグムントが拒否している。さらには、プスコフ併合後、1563年に、ポオツク市において、キリスト教への改宗を拒むユダヤ人を川に投げこむように命じた。

 

●ユダヤ人追放令は、以後何度も出された。1610年にはシュイスキー、1727年にはピョートル2世が、さらに1744年には女帝エリザベータが約3万5000人のユダヤ人をリヴォニアから9年以内に追放するように命じた。この追放令に対しては、ユダヤ人の商業活動による利益を考慮した元老院からの反対があったが、エリザベータは、「私はキリストの敵から利益を得たくない」としてこれを拒否した。

 

■■ロシアは当時、世界で一番ユダヤ人の多い国となった


●1762年に就任した女帝エカチェリーナ2世は、それまでの皇帝によるユダヤ人政策を受け継ぎ、1762年に、ユダヤ人以外の外国商人に対しては、入国許可令を出した。しかしこのようなユダヤ人の入国を許可しない政策は「ポーランド分割」によって無意味になった。

なぜなら、1772年の第1回ポーランド分割によって約20万人のユダヤ人が、さらに1793年と1795年の分割によって約70万人のユダヤ人がロシア支配下となり、短期間で合わせて約100万人ものユダヤ人がロシア支配下になったためだ。その結果、ロシアは、当時、世界で最大のユダヤ人口を有する国となったのであった。同時に、それまでのユダヤ人追放令は機能しなくなり、廃止せざるをえなくなってしまった。

●こうして、エカチェリーナ2世は反ユダヤ政策を改め、その植民地化政策の過程で、特別な制限を加えることなく、ユダヤ人がロシアへ入ってくるままにまかせるようになったのである。

彼女の政治的、経済的実用主義は「啓蒙主義」の思想の影響によって本質的に強化された。啓蒙主義者たちはユダヤ人に対して、宗教的な偏見を抱いていなかった。彼らはユダヤ人を、すべての人々と同じ権利と義務とを具えた良き国民につくり上げようとした。

この、第1次ポーランド分割後のロシアの政策は、短期間にユダヤ人を同権をもって遇するということにおいて、他のすべてのヨーロッパの国家に大きく先んじたのであった。


●とはいえ、同権の待遇は、結果として種々の規制も招来した。時間が経つにつれて、とくに第2次および第3次のポーランド分割の後、ユダヤ人がますます大量にロシア帝国の支配下に帰するようになると、かなり大きな反動が現われてくるようになった。

このままユダヤ人を自由にさせていては、ロシア帝国内にユダヤ人が流れ込んでしまう。そのことを内心恐れ始めていたエカチェリーナ2世は、ロシア帝国の支配下に入った地域のユダヤ人全員の移住を禁じ、その土地に縛り付ける政策を実施するようになる。いわゆる「定住区域」という名の巨大なゲットーのスタートである。

 

■■エカチェリーナ2世によって作られた巨大なゲットー=「定住区域」


彼女は1772年8月16日に、ユダヤ人と非ユダヤ人とを区別し、ユダヤ人はポーランド分割以前の定住地から移動することを禁じる勅令を出した。そして1791年には、ユダヤ商人、職人の身分登録地をベロルシアに限定した(「定住区域」の成立)。その後1793年にはミンスク、ウクライナ、小ロシア、1795年にはリトアニアなども登録地となり、ユダヤ人は、これらの区域以外には定住することができなくなった。

このようにしてエカチェリーナ2世は、「定住区域」の基礎を作った。ユダヤ人は少数の例外を除いて、1917年のロシア革命直前に至るまで、この区域を離れることが許されなかった。こうした区域は形式的には、長期にわたる準備の後に1804年に発せられたロシアにおける「ユダヤ人に対する条例」によって確定した。ただし、区域内のユダヤ人をロシアに同化させるかどうかについては、明確な政策を取らなかった。




上の図の太い黒線で囲まれた部分がロシアの巨大なゲットーと呼ばれる
「定住区域」(ユダヤ人制限居住地域)である。

★私見
13世紀にハザール王国がモンゴル帝国に滅ぼされた時に、ハザール系ユダヤ人(金髪白人)はユダヤ教に改宗しているロシア人とともに、上の黒線で囲まれた区域に逃げ込んで定住したのである。シュロモー・サンド氏の言うように、この考え方がいちばん自然なのである。ポーランドや中央アジアに大量の金髪白人のユダヤ人が住んでいたことを説明する根拠は、他にはないし、他の根拠を示した学者はいない。

1791年から1917年まで、ユダヤ人が移動することが禁じられた

 

エカチェリーナ2世がこの「定住区域」を設定したのは、皇帝による伝統的なユダヤ人追放令の延長ともいえるが、直接には、ユダヤ商人によるロシア国内での商業活動を恐れたロシア商人の要求によるものであった。

この「定住区域」の広さは約100万平方キロメートルにも及び、ロシアにおけるいわば巨大な「ゲットー」のような存在であった。1897年までに500万人以上のユダヤ人が住んでいた。(※ この「定住区域」は、英語では「ロシア・ペール」と呼ばれている)。


●このように啓蒙君主であるピョートル大帝を除くと、ほとんどのロシア皇帝は、18世紀後半のポーランド分割に至るまでは、ユダヤ人追放という一貫した政策を取ったことがわかる。そのため、女帝エカチェリーナ2世によって「定住区域」が設置される以前の東欧ユダヤ人は、度重なる追放令によってロシア国内には法的には存在せず、もともとハザール王国の領域だった地域──黒海北部・ウクライナの地域で多く生活していたのである。この時期のウクライナはポーランド領である。

■■スラブ主義者とウクライナ民族主義者の台頭


●1801年に就任したロシア皇帝アレクサンドル1世は、「ユダヤ人改善委員会」を設置して、漸進的にユダヤ人を矯正して改宗させようとしたが、それはユダヤ人の反対にあい失敗に終わった。そこで、次に就任したロシア皇帝ニコライ1世は、「兵営学校制度」などを施行し、ユダヤ人の強制同化策を取った。しかしこの制度によって改宗したユダヤ人はごく少数であった。また改宗を拒んだユダヤ人の中には、自殺した者も少なくなかった。

ニコライ1世は、1841年には、ユダヤ人の改宗を目的とする公立学校とラビ神学校を設立し、1844年にはユダヤ人自治組織を廃止する法令を出した。また、1851年にはユダヤ人分類計画を提案した。しかし、これらの強制同化の試みは、あるものは廃止され、あるものはユダヤ人の反対にあって実施されず、全体的には失敗に終わった。

●ニコライ1世の次に就任したロシア皇帝アレクサンドル2世は、最初は自由主義的な政策を実施し、ユダヤ人に対しても比較的寛容であったが、1861年のポーランド反乱後、急変。ユダヤ人に対する政策は厳しくなり、1870年には都市条例を出し、ユダヤ人が市役所職員の3分の1以上を占めることと、市長職に就くことを禁止した。また1873年には、ユダヤ人の公立学校とラビ神学校を閉鎖した。

●一方、ロシア国内においては、スラブ主義者とウクライナ民族主義者が台頭し、反ユダヤ宣伝が繰り広げられた。その最たるものがヤコブ・ブラフマンによって1869年に出版された『カハルの書』であった。この序文は、ユダヤ人が国家の中に国家を形成し、その目的は一般市民を服従させ、搾取することである、という反ユダヤ宣伝になっている。この書は主として政府高官に好評を得た。

また、1880年には、新聞『ノーヴォエ・ヴレーミヤ(新時代)』が、自由主義から反動的立場に転じ、「ユダヤ人がやってくる」という警告文を掲載し、ユダヤ人のロシア文化への進出に対する危険性が述べられた。

■■■第3章:ウクライナ人によるユダヤ人迫害 (ポグロムの始まり)


■■ウクライナで生活していた富めるユダヤ人と貧しいユダヤ人


●ウクライナに住んでいたユダヤ人は、活発な商業活動を展開していた。例えば当時、ウクライナの周辺都市に点在していた居酒屋の80%近くはユダヤ人が経営していた。また、ユダヤ人たちは借地小作雇主としても活動し、目立つ存在であった。

こんなユダヤ人たちに対し、ウクライナの農民とコサックたちは、「搾取者」とみなして敵意を募らせていた。


●S・エティンゲルの調査によれば、東欧におけるユダヤ人の都市の数は、ハザール王国滅亡後の14世紀には41、15世紀には62、16世紀には、実に198に増加している。ユダヤ共同体も、1503年から1648年に至る期間、ウクライナだけにおいても115も形成されていた。

さらに、C・M・ドゥブノーフによれば、1501年から1648年に至る期間、ポーランドに居住するユダヤ人は、5万人から実に50万人に増加したことになる。ポーランドはロシアに分割される前は、当時、最大のユダヤ人口を有していたのである。


●1817年、ウクライナにおいて工場の30%はユダヤ人が所有していた。とりわけ製酒工場の90%、製材工場の56.6%、タバコ工場の48.8%、製糖工場の32.5%がユダヤ人経営であった。これらは中小企業にすぎないが、このような産業から何人かのユダヤ人資本家が登場していた。

例えば、製糖業では「砂糖の王」と称されたA・ブロッキー、鉄道建設業ではC・ポリャコフが1850年から1870年にかけて第一人者であった。また黒海北部に1883年開始されたドニエプル運河搬業、1876年のヴォルガ河蒸気船業などはいずれもユダヤ資本家によるものであった。


●なお注意しないといけないのは、ウクライナに住んでいた一般のユダヤ市民のほとんどは、都市下層民に属していたという点である。この地域のユダヤ人は、北西ロシアに比較すると、経済的には恵まれてはいたが、貧しさは共通していた。当時のユダヤ人の状況に関する調査報告には、ユダヤ人の多くは貧困状態にあり、食事は通常、パンと野菜のみであったと記されている。キエフのある地主の報告によれば、ほとんどのユダヤ人はウクライナ農民よりも貧しかったとさえ述べられている。

 

■■ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件が発生


●1648年、まだウクライナがポーランド領であった頃、ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件が発生した。いわゆる「フメリニツキーの乱」である。ボグダン・フメリニツキーのもとに集まったウクライナ・コサックは、ウクライナとポーランドの行く先々でユダヤ人を襲い、金品を略奪したあげく虐殺した。約50万ものユダヤ人が殺された。

●ボグダン・フメリニツキーは、ロシア史においては、コサックと農民の反乱指導者として、ウクライナをポーランドから解放し、ロシア支配に至らせたとして高く評価されている。しかしその反乱において、ユダヤ人を虐殺し、ユダヤ共同体を破壊したために、ユダヤ年代記では「邪悪なフメル」と記されている。虐殺は、ガリチア地方(西ウクライナ)を中心として、ベロルシア、さらにウクライナ南東部にも及んだ。この虐殺と破壊によって、ユダヤ人共同体は、崩壊的危機に立たされた。


●さらに、1734年から1736年にかけてもウクライナにおいて「ハイダマク」という名称の集団が、ユダヤ人虐殺を行なった。このハイダマク運動においては、フメリニツキー以上にユダヤ人虐殺に目標が置かれ、しかもロシア正教会が反ユダヤ宣伝を行なったのである。

■■「ポグロム」はウクライナ南部(黒海北岸)で始まった


●ロシアにおけるユダヤ迫害は、一般に「ポグロム」と呼ばれているが、一番最初のポグロム(本格的なタイプ)がどこで起きたのか知る人は少ない。一番最初のポグロムは、1871年にウクライナ南部──黒海北岸の都市オデッサで発生した。

オデッサは1794年に創設された多民族都市であり、ギリシア人、ユダヤ人などが多数存在し、ロシア・ユダヤ文化の中心地であった。市の3分の1がユダヤ人だった。後にオデッサからはロシア革命の指導者の1人トロツキーや、シオニズム運動の理論的指導者となるジャボチンスキー、散文作家バーベリなど著名なユダヤ人が輩出した。

●1881年の春、アレクサンドル2世が暗殺されると、この犯行グループの中にユダヤ人女性革命家ゲシア・ゲルフマンがいたことから、民衆の間で「皇帝殺しのユダヤ人に制裁を加えるべきだ!」という煽動がなされた。そのため、この皇帝暗殺事件を機にポグロムは爆発的に波及したのだが、興味深いことに、ほぼ全てのポグロムがウクライナ南部の定住区域──かつてのハザール王国領と重なる地域(黒海北岸)に集中していたのである。当時のユダヤ人作家は、この時のポグロムを「ウクライナ南部(黒海北岸)の暴風」と呼んでいた。

ポグロム加害者は、ウクライナ農民と町人、それも下層労働者が多く、被害者はユダヤ町人、商人であり、こちらも下層民が多かった。

●このように、かつてハザール王国があった領域に住んでいたユダヤ人たちは、その地に住むウクライナ人によって、とんでもない迫害に遭遇したのである。

■■反ユダヤ政策の「5月法」成立


●1881年のポグロム後、内相イグナチエフは、皇帝アレクサンドル3世に、ポグロムの原因をユダヤ人の商業、工業への進出に対する一般民衆の抵抗の表明であるとし、ユダヤ人の“有害な”活動を阻止する必要があることを報告した。これを受けて、アレクサンドル3世は特別委員会を開設し、この問題について討議させた。この結果として翌1882年5月3日に、種々の反ユダヤ法が成立した。

●「5月法」と呼ばれる反ユダヤ法の内容は以下の通りである。


◎ 町以外におけるユダヤ人の居住を禁止する

◎ 町以外におけるユダヤ人の商業活動、および土地賃貸の中止

◎ ユダヤ人の日曜日(キリスト教祭日)の商業活動の禁止



●これらはいずれもロシア人地方商人階級の要求を満たすものであり、特に定住区域の15県において実施された。1887年には、1882年以前から村に居住しているユダヤ人の村間の移動が禁止された。


●帝政ロシアにおけるユダヤ人政策は、この「5月法」にその完成をみる。ユダヤ人の商業活動と都市進出に注目し、それをロシアに同化させ利用しようとした試みも失敗し、最後には、差別政策を押し出さざるを得なかった。その背景の一つとしてユダヤ人迫害の伝統のあるウクライナを中心とする民衆運動が、政府に影響を与えたことは無視できない。



●なお、ロシアの支配機構の内部には、人道的ないしは経済戦略的な理由から、反ユダヤ政策の段階的撤廃を望む人物もいた。とくにロシアの大蔵大臣らは種々の規定の緩和を支持した。彼らは、ユダヤ人がロシア帝国において重要な経済的要素たり得ることを理解していた。そして、ユダヤ人敵視の政策がこの先ずっと継続した場合、国際的な枠組みにおいて──外国のユダヤ人銀行家からの影響に基づいて、不利益が生じることを恐れていた。

重責を負っていた大蔵大臣セルゲイ・ヴィッテが、ロシア皇帝アレクサンドル3世と行なった対話は、この関連で示唆に富んでいる。

アレクサンドル3世は大蔵大臣のセルゲイ・ヴィッテに、ユダヤ人に好感をもっているかどうか訊ねた。これに対してセルゲイ・ヴィッテは、「ユダヤ人を全員黒海で溺死させることが可能でしょうか?」と問い返し、言葉を続けて、「もしそれができないとすれば、ユダヤ人は『生きていて』もよいとせざるをえません。それはとりもなおさず、ユダヤ人に結局、ほかの全臣民と同様の権利を承認することを意味するものです」と答えた。

しかし、本質的な改善は実施され得なかった。


■■■第4章:ロシア・ユダヤ人社会に“3つの動き”が生じる


■■3つの動き


1881年にウクライナ南部(黒海北岸)において発生した一連のポグロムは、ロシアにいるユダヤ人たちに大きな衝撃を与え、ロシア・ユダヤ人社会に大きく分けて“3つの動き”を生み出すことになった。


1つめの動きは、ユダヤ人の大移住である。1881年から1910年まで、300万人近くのユダヤ人が、ロシアを離れて他国へと移住した。その7割は、アメリカ合衆国を目ざしている。ユダヤ人は、エルサレム陥落以後、全世界に「離散の民」として移り住んだが、これほど短期間における大規模な移住は、かつて例を見ない。しかも彼らは組織もなく自発的にロシアを去ったのである。


1881年から1910年まで、
300万人近くのユダヤ人が、
ロシアを離れて他国(主にアメリカ)へと移住した。

写真は省略
大型の蒸気船に乗って大西洋を越えるユダヤ移民たちの群れ

 


★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk



•2つめの動きは、革命への積極的参加である。ロシアに残ったユダヤ人、とりわけ青年の一部は、革命によって自由と権利を得ることこそユダヤ人問題の唯一の解決だとして、革命運動に参加したのであった。

★ソ連とは何か(4)

http://kabukachan.exblog.jp/18440013/

★ソ連とは何か(5)

http://kabukachan.exblog.jp/18440055/

★ソ連とは何か(6)

http://kabukachan.exblog.jp/18440100/

★ソ連とは何か(7)

http://kabukachan.exblog.jp/18440146/


ロシアの革命直後における共産党員の民族別構成比の統計に目を通すと、次のような現象が見い出される。それは、総人口中の比に対して、ユダヤ人の場合、他と比較して党員中の割合が、かなり高いということである。ロシア革命期に目を転じると、この時期にもユダヤ知識人の革命家が、実に多く存在していたことがわかる。トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフ、ラデック、さらにメンシェヴィキのマルトフなど、革命指導者のほとんどは、ユダヤ人であったといえる。革命指導者だけでなく、革命参加者の中にも多数のユダヤ青年が存在していた。

 ロシアに残ったユダヤ人、とりわけ青年の一部は、
革命によって自由と権利を得ることこそユダヤ人問題の
唯一の解決だとして、革命運動に参加した。

 

3つめの動きは、シオニズム運動の開始である。一部のユダヤ人は、当時オスマン・トルコ帝国下にあったパレスチナにユダヤ人の国家を樹立することこそ、迫害の唯一の解決と考え、シオニズム運動を展開した。

 イスラエル
一部のユダヤ人は、パレスチナにユダヤ人の国家を
樹立することこそ、迫害の唯一の解決と考え、
シオニズム運動を展開した

 

まず1881年に、黒海北岸都市オデッサのユダヤ人医師レオン・ピンスケルが、オデッサ・ポグロムに遭遇したショックをもとに『自力解放』という本をドイツ語で出版し、ユダヤ人は自分たちの国を作って隷属状態から解放されるべきだと主張した。そして彼は、パレスチナにユダヤ人の植民化を推し進めるインテリや学生たちの「ヒバト・ツィオン」(1884年)に加わり指導的役割を演じたのであった。

 

1882年にはユダヤの学生組織ビールー派によって「ビールー運動」が開始された。「ビールー」とは「ヤコブの家よ、来れ、行かん」(イザヤ書2章5節)のヘブライ語の頭文字の組み合わせである。ビールー運動は、またたく間にロシアのユダヤ人青年の間に広まった。1884年には秘密警察を避けて、国境を越えたドイツ領内の町カトヴィッツで第1回の全国大会を開いた。その後、十数年間に約1万人のユダヤ青年がパレスチナへ渡り、約40ヶ所の地点に定着した。これがいわゆるシオニストの“第一波移民”である。

このパレスチナへの移住運動は「アリヤー運動」と呼ばれ、1904年から1914年までの10年間に、約4万人の東欧ユダヤ人がパレスチナに流入したのであった。



•このように、一般には、ハンガリー生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルが“近代シオニズムの父”とされているが、帝政ロシアにおいてすでにシオニズム運動は生まれていたのである。


★偽ユダヤ人の証明

http://kabukachan.exblog.jp/23262672/

★アシュケナージユダヤ人考

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_asukenajico.htm


★要するに、「金髪白人のユダヤ人がロシアとアメリカの両方の国に大量に住んでいることをどのように説明するのか」
ということである。




by kabu_kachan | 2016-01-08 07:04 | ユダヤ | Comments(0)

「コロンブスのアメリカ大陸発見」の意味

The World In, the 30th edition of The Economist’s annual compilation of predictions for the year ahead, is out now

ロスチャイルド(偽ユダヤ人)さんちの
ECONOMIST2016年
1月版の表紙の絵。

http://www.digitalnewsagency.com/stories/9547-the-world-in-the-30th-edition-of-the-economists-annual-compilation-of-predictions-for-the-year-ahead-is-out-now

Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk


★ロスチャイルド家(✡)について

http://kabukachan.exblog.jp/20811829/

★現代の「ロスチャイルド一族」

http://kabukachan.exblog.jp/22220485/

表紙は、人物だけですが、背景の加筆されたバージョン↑も掲載されています。中央に五重塔があって、西洋の騎士みたいのが屋根の上にいます。
Image result for columbus
ピサロ?コルテス?とも思ったけれど、どうやらコロンブスのようです。


偽ユダヤ人(白人)たちは、アメリカを征服した。
ヨーロッパはすでに征服している。
中東は只今、征服しつつある。中国とロシアはこれから。
そして日本は最後に征服する。

と言う意味じゃないですか?

誰か違うと言ってよ~w。

★Committee of 300... The Power Behind the New World Order
https://www.youtube.com/watch?v=R9HZvsliT5E

https://www.youtube.com/watch?v=7Jz7xdf75tQ







★アメリカの ユダヤが乗っ取る マスメディア

http://kabukachan.exblog.jp/24966612/


「コロンブスのアメリカ大陸発見」というのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見したかどうかという意味ではない。発見したのは別の人物であることは分かっている。
「コロンブスのアメリカ大陸発見」というのは、ヨーロッパの白人とユダヤ人による世界植民地征服の端緒となった世界史上の大事件であることを象徴して使うのである。ちなみに、コロンブスはユダヤ人と言う説がある。


コロンブスはマルコポーロの書いた「東方見聞録」を読んで、その本に書かれている「黄金の国・ジパング(日本)」に到達することを考えて航海に出た。



以下は、この意味を説明している。

『ユダヤ問題入門』 

太田龍 著   泰流社   2007年(復刻版)

序 文

 ユダヤは、単なるありきたりの民族の一つでもないし、数ある宗教の一つでもなく、イスラエルは、百数十の国家の単なる一つでもありません。
 ユダヤは、今日では全人類、全地球に通用する唯一の普遍的文明です。唯一の普遍的な生活スタイルなのです。
 この地上のなんびとも(当然、我々日本民族も)ユダヤ文明から逃れることはできません。
 ユダヤ文明、ユダヤ式生活スタイルとは、どんなものでしょうか。
 それはおかね(あるいは、おかね万能社会)です。
 これこそユダヤの発明であり、2,500年かかって、ユダヤはこれを全人類に伝染させたのです。ユダヤ教は、マモンの神(おかねの神)を崇拝する宗教です。
 このマモン(おかね)崇拝教に取り憑かれると、人間の貪欲と強欲が無制限に膨張します。
 ユダヤは17世紀に、英国とオランダの国家を乗っ取り、18世紀末にはフランス革命を起こしてフランスの国も盗りました。
 更に19世紀末にはアメリカも盗り、この4つの国家を道具にして世界を支配するに至りました。そのおかげで、全人類がユダヤ文明に毒され、人間の欲望と浪費が爆発したのです。
 ユダヤ文明は人類を滅亡に導くでしょう。
 日本民族は、質実剛健なゲルマン民族と共に、このユダヤの毒に対してもっとも頑強に抵抗しました。実は、それがあの「大東亜戦争(太平洋戦争)」だったのです。
 従って、日本民族はユダヤ禍に立ち向かうに当たって、「大東亜戦争」の名誉を回復しなければなりません。
 「大東亜戦争」はまた、幕末の「尊皇攘夷」の継続でもあります。
 いずれの場合でも、我々の父祖、先輩たちは、日本(そしてアジア)を侵略する敵の正体がユダヤであることを見抜いていませんでした。
 そこに日本の敗因があります。
 今からでも遅くはありません。日本民族は、国家民族の総力を挙げて、日本を食い潰そうとかかって来ている敵・ユダヤの真の姿の研究に着手すべきではないでしょうか。




ユダヤの世界征服の糸口となったコロンブスのアメリカ「発見」


  1492年10月、コロンブスの艦隊がアメリカ大陸(実は、カリブ海諸島のひとつ)を発見して、ここに「大航海時代」が開幕した――などと、ふつうの歴史の教科書には記述してあるわけですが、この言い方は真実を著しく歪曲しています。
  その当時、ユダヤはスペインを本拠地としていたのですが、スペイン政府はユダヤ人にたいして「キリスト教に改宗すればスペインに住み続けることを許すが、改宗しないユダヤ人は国外に追放する」と決定したのです。
  そこで彼らは、民族の本拠地をオランダ(アントワープ、アムステルダム)に移すと同時に、一か八かの大バクチを打つことにしたのです。
  それが、スペイン国王とキリスト教の仮面をつけたコロンブス大艦隊の派遣です。
  当時のスペインは、王室も、政府も、ユダヤの財力によって操作されていたのです。

  スペインの国旗はかかげていても、事実上、ユダヤの資本でこのコロンブス艦隊が編成されていた上、コロンブス自身に、ユダヤの血が入っています。有力な乗組員の中にも、ユダヤ人が加わっていたのです。
  コロンブス艦隊が発見した島は「エスパニョーラ島」と命名されましたが、続々とこの島と、そして新大陸(中南米)にやって来たユダヤ人たちは、その後の僅か50年のうちに、原住民(インディオ)社会に襲いかかり、筆舌につくし難い暴虐なやり方で、金銀を略奪しました。
  この金銀の一部はスペイン王室に献金されたでしょうが、その大部分はユダヤの民族財産となり、ユダヤ2千年の野望、世界征服作戦開始のための軍資金に化けたものと推定されます。
  それゆえ、15世紀末から16世紀半ばにかけての半世紀の真相は、非ユダヤ(ゴイム)にとっては、実に戦慄すべき地獄図の始まりであり、同時に、ユダヤにとっては、ユダヤ地上天国の展望が見えて来た時代でもありました。
  彼らのこの「大航海」の目標が、マルコポーロの旅行記(13世紀末)に描かれていた「黄金に充ち満ちた夢の国ジパング(すなわち、我々の国、日本)」であったことは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
  この50年の間に、ユダヤという化け物は、さなぎから成虫に羽化したのです。
  そして、彼らは、キリスト教会とポルトガル、スペインの仮装をして、日本列島にも魔の手を伸ばすに至ったのです。
  ユーラシア大陸の最西端からぐるっとひとまわりして、地球をくまなく覆うユダヤの毒のネットワークが完成したのです。

 ユダヤは、エスパニョーラ島の原住民3百万人を、50年で皆殺しにした!

  この島の原住民は、もとをたどれば、何万年か前アラスカ経由で新大陸を南下したモンゴル族、すなわち、我々日本民族と同族の人々です。
  スペイン国籍のユダヤ人は、この島の人々の保有する黄金を奪取する目標を立て、キリスト教の伝導を目くらましに使って原住民を油断させてから、悪魔の本性をさらけ出しました。
  彼らは、馬にまたがり、剣や槍や銃を持って、原住民の村落を襲い、老若男女長幼の別なく手当り次第に惨殺した。身重の女の腹を裂き、誰が一太刀で体を真っ二つに斬れるか、誰が一撃のもとに首を落とせるかの腕だめしを競った。また母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭をたたきつけたり、幼児を川へ突き落としておいて、「さあ、泳いでみな」と冷笑したりした。
  ユダヤ、スペイン侵略者たちは、ようやく足が地につくぐらいの高さの絞首台を13作り、キリストと12人の使徒をたたえるのだと言って、13人をこの台に吊し、その下に薪をおいて火を付け、生きたままの原住民を火あぶりにして殺した。また、原住民の手足を鎖でしばり、その体に乾燥した麦藁を巻き付け、それに火をつけてころがし、その焼け死ぬ様を見て拍手を送るというふざけ方をした。
  インディオの家族を殺す手口は入念だった。地中へ打ち込んだ4本の棒の上に、細長い丸太棒で作った板を取り付け、その下で火を焚いた。耐えかねて悲鳴をあげるのを面白がってじわじわと死んでいくのを楽しそうに眺めていた。
  怒った原住民が、稀にユダヤ、スペイン侵略者を殺害したが、インディオが1人のキリスト教徒(実はユダヤ)を殺したら、その仕返しに百人のインディオを殺すという掟をつくった。この島のある王国の有力者300人を集めたスペイン総督(ユダヤ)は、出入り口をふさいで閉じ込め、火を放って焼き殺した。
  ――といった記録が残っています。
  こうして、エスパニョーラ島300万人は200人を残して全滅し、この200人も間もなく死滅した、というのです。
  我々日本人にはとても信じられない話ですが、旧約聖書とタルムードでユダヤの本音を知って見れば、いかにもユダヤのやりそうなことと納得できるではありませんか。


★欧米植民地主義の凄まじい実態─学校が教えてくれない戦争の真実
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8


★自由、平等、博愛 の本当の意味

http://kabukachan.exblog.jp/23872677/

このように、「コロンブスのアメリカ発見」が端緒となって白人とユダヤ人による世界征服が始まったのである。
この世界征服の一環として日本征服にやって来たのがペリーの黒船艦隊であった。(本当はユダヤ人のザビエルが最初である。)

★フランシスコ・ザビエルはユダヤ人である

http://kabukachan.exblog.jp/19557519/

★ザビエルのキリスト教布教の目的は日本占領である

http://kabukachan.exblog.jp/19600087/

★「鎖国」の本当の理由
http://kabukachan.exblog.jp/23511124/

この白人による世界征服という大きな世界史上の流れを食い止めたのが日露戦争における日本の勝利だったのである。

★日露戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19062401/

★全国の日本人よ、泣き給え!
http://kabukachan.exblog.jp/24939240

ここで一句。
ニッポンが 日露戦争 負けてたら
今でも世界は 白人支配

https://www.youtube.com/watch?v=r9zriSvwhgc&list=PL6mu43UnNThAhNNLwejuQWyLAk0DGA17s&index=51

https://www.youtube.com/watch?v=ThokovrL1XM&list=PL6mu43UnNThAhNNLwejuQWyLAk0DGA17s&index=52

なぜ学校の世界史の教科書にこのように書かないのか?
それは反日派が歴史教科書を書いているからである。反日の歴史学者は日本を悪く書くことに誇りを持っている。

日本では、歴史学者は日本を悪く書かなければ学者として出世できない。
アメリカでは、歴史学者はアメリカを良く書かなければ学者として出世できない。
どちらの学者も、生活が懸かっているから仕方ないのである。
https://www.youtube.com/watch?v=xzksJvbtyp8

★白人の世界侵略史
https://www.youtube.com/watch?v=XPqV4Q1f4t8

【水間政憲】従軍慰安婦捏造の根源「アメリカ」の真実[桜H25/8/26]
https://www.youtube.com/watch?v=NI1mUpEhack

★本当のことがわかる昭和史
https://www.youtube.com/watch?v=FcXUdAO0ngc

★日本のテレビと新聞の正体(復習!)

http://kabukachan.exblog.jp/25001461/

ここで一句。
日本人 バカで良し良し テレビ局
国民は 猿と同じさ テレビ局



★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★

  過去500年にわたる白人の歴史が「侵略の歴史」といってもよいものであることは、清水馨八郎氏の著書『侵略の世界史』(祥伝社)に詳しく紹介されています。『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の著者の宇野氏は、その白人社会を裏から牛耳っているのが“ユダヤ”であると言っているのですが、そのユダヤ人には、カザール人がユダヤ教に転向して自らをユダヤ人と名乗るようになったアシュケナジー・ユダヤ人と、聖書に出てくるアブラハムの子孫であるスファラディ・ユダヤ人の2種類がいると述べています。そのことを、わが国で初めてわかりやすく説明したのが宇野氏なのです。
  その説によれば、白人社会を裏から支配し、超大国アメリカをもコントロール下に置いているユダヤ人はアシュケナジー・ユダヤ人ということになります。本来のユダヤ人ではないアシュケナジー・ユダヤ人が、過去500年以上にわたって世界中の国々の植民地化を進めてきたというわけです。アメリカにおいても、コロンブスが入植する前は500万人もいた先住民(インディアン)が、その後短期間で25万人にまで減らさせてしまったことを見ても、白人による民族抹殺のスピードがいかに激烈なものであったかがわかります。
  しかしながら、そのような白人による侵略の歴史は今日ではほとんど表面に出てくることはありません。彼らは自らの“醜い過去”は見事に葬り去ってしまうからです。長年にわたる白人の侵略の歴史の中で、東洋の一国である日本だけは最後まで抵抗を続けたことで、世界支配層から“手強い相手”ということで徹底的な破壊の対象とされ、ついに第二次世界大戦によってドイツ民族とともに完全に骨抜きにされてしまったのです。ドイツには「ユダヤ人を大量殺戮した」という罪を、日本には「アジアの国々を侵略した」という罪を負わせて、それぞれの民族の誇りを奪ってしまいました。そして、自らが長年にわたった世界中で行なってきた大虐殺の歴史はちゃっかりと封印しているのです。


★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度

http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

★大東亜戦争の真実
http://kabukachan.exblog.jp/24591113/

★「ユダヤネットワーク」の存在

http://kabukachan.exblog.jp/22994972/


★目覚めよ! 人類を支配する "情報帝国主義"!
https://www.youtube.com/watch?v=3Swq63sbPLo

★歴史教科書を信じてはいけない
https://www.youtube.com/watch?v=n9pS9tyTUN4

★学校狂育で、人生つぶされてはいけない
https://www.youtube.com/watch?v=z2hdm_v_Z1o


★メディア情報を鵜呑みにしてはいけない
https://www.youtube.com/watch?v=JMJvBOpNA9c

★ワクチンをうってはいけない
https://www.youtube.com/watch?v=krH_vQjVdJA



【吉田松陰の名言】


★死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。


死んでも後世に残るだろうと考えるなら死んでもいい。
生き延びて大きな仕事ができそうだと思うならどんな状況でも生き続けろ。



★かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂。

★身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂。


Khazars full video
https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk

Forbidden Knowledge - History of the Khazar Empire - Lecture by Jack Otto
https://www.youtube.com/watch?v=5TVd8ovSPl4

The Khazarian Conspiracy: Fake Jews of the Synagogue of Satan!
https://www.youtube.com/watch?v=tE7S4uYAEAs

The Hidden History - The Khazar Empire
https://www.youtube.com/watch?v=k2oW63XkBhw

Get this! 90% of Proclaimed Jews are not Jews at all (KHAZARS Exposed)
https://www.youtube.com/watch?v=DoCNZWIgP7w

Texx Marrs Khazar Fake Jews And The Coming Destruction Of Israel
https://www.youtube.com/watch?v=qsbSVtxS83c

Khazar : Secret Ruling Empire of The World Exposed : Sheikh Imran Hosein
https://www.youtube.com/watch?v=b6rEts1BuN8










by kabu_kachan | 2015-12-26 09:28 | ユダヤ | Comments(0)