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カテゴリ:ユダヤ( 66 )

国際金融資本の正体

西暦10世紀の ハザール(カザール)王国



(★(アシュケナージ)ユダヤ人(白人)の本当の故郷。8世紀、コーカサス地方のハザリアにおいて、一斉にユダヤ教への改宗が行われた。これらの人たち(アシュケナージユダヤ人)は古代(ユダヤ人)のイスラエルとは何ら関係が無く、東ヨーロッパや西ヨーロッパに侵入して行った。そして、アメリカ合衆国と現代イスラエルに向かって行って、現在の人口規模を実現した。)

 ハザール人(アシュケナージユダヤ人)が信仰しているユダヤ教は本当のユダヤ教ではなく、もともとのユダヤ教に彼らのタルムードをベースにした悪魔教を混合したものです。
ですから、ユダヤ教=悪魔崇拝というのは間違いで、途中からハザール人がユダヤ教=悪魔崇拝にしてしまったのだということが分かります。
ハザール人は、世界中の老舗の宗教をある時点から悪魔教にしてしまったのではないでしょうか。
イエズス会もハザール・マフィアの組織なのではないでしょうか。

以下の記事は、シオニスト、タルムード、アシュケナージユダヤ、ハザール人に関して、点と線をつなげてくれたため、彼らに関する漠然とした知識がはっきりと分かってきたように感じられます。


http://beforeitsnews.com/alternative/2015/03/the-hidden
-history-of-the-incredibly-evil-khazarian-mafia
-3119728.html?currentSplittedPage=1
 

鬼塚英昭
https://www.youtube.com/watch?v=qZve5N-_doI&index=1&list=PL7ozjMqLc1qSGbbZmsKVJnuc5kmR8WpZL


3月10日付け:

 【非常に邪悪なハザール・マフィアの隠された歴史について】

紀元前100年~600年:
 古代バビロンの黒魔術オカルトを実践していたオリガルキーが仕える非常に邪悪な王の下でカザール国が誕生した。

 ハザール国では、日常的に盗賊行為、窃盗、殺人が繰り返され、周辺国を脅かす非常に野蛮な国であった。

(★カザール国=ハザール国です。KHAZARを日本語でカザールと書くかハザールと書くかだけの違いです。)

西暦600年:

 ハザール国王に、ロシアや周辺国から最後通告が言い渡された。
 ロシアなどの周辺国の国民は長年の間、ハザール国から甚大な被害を受け続けた。
 そのため、ロシアや周辺国は、ハザール国王に、アラブの3種類の宗教(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教)のうちの1つを選びハザール国民(子供たちも)に実践させるよう通達した。
 ハザール国王はユダヤ教を選んだ。
 そして周辺国の要請に応えてバビロンの黒魔術オカルトは二度と実践しないことを約束した。

 しかしハザール国王とその取り巻き(オリガルキー)は、約束を破り、バビロンの黒魔術オカルト(の悪魔崇拝)を実践し続けた。
 彼らが実践していた悪魔崇拝儀式は、子供たちを生贄に捧げ、子供たちの身体から血液を抜き取り、その血液を飲み、心臓を食べるというものであった。

 このような闇のオカルト儀式は、バール信仰(エジプト、西セムの主神の偶像崇拝=フクロウ崇拝)から来ている。

 ハザール国王はロシアや周辺国に彼らが黒魔術オカルトを実践し続けていることを隠すために、ユダヤ教と彼らが信仰していたルシファーの黒魔術をユダヤ教に併合させ、新たなユダヤ教(悪魔のハイブリッド密教)、つまりバビロンのタルムード・ユダヤ教(これまで通りの邪悪なオカルト)をハザールの国教にした。

 そしてハザール人は、これまで通り、周辺国から来た旅人らに盗賊行為、窃盗、殺人を繰り返した。

 そして周辺国の旅人らを殺害した後、彼らの身分証明書を盗み、彼らに扮して生き続けた。
彼らは現在まで身分を偽り続けてきた。また、今でも子供を生贄にする古代バール信仰のオカルト儀式を実施している。

西暦1,000年

 ロシアや周辺諸国は野蛮なハザール国の犯罪行為(ハザールの子供たちを拉致し生贄にしていた)に対し我慢の限界に達したため、それを止めさせるためハザール国を占領した。
 このようにハザール国民を虐殺するなど数々の野蛮な犯罪行為を行ってきたハザール国王とその取り巻きのオルガルキーをハザール・マフィアと呼ぶ。

 ハザール国王とその取り巻きはハザール国を占領し、彼らの地位や権力を奪ったロシアや周辺国を恨み、ロシアや周辺国に対する永遠の報復を計画した。

 ヨーロッパの国々に逃げたハザールのリーダーらは、十分なスパイ・ネットワークを構築していた。
 彼らはヨーロッパにあった大量の金や銀を強奪した。そして彼らは新たな身分を得た後に再編成を行い、彼らがハザール人であることを隠した。
 しかし彼らは秘密裡に黒魔術のオカルト儀式を行い続けた。彼らが崇拝する悪魔のバール神は、これまで通りの儀式(子供たちを生贄に捧げ、子供たちの身体から血液を抜き取り殺害する)を続けるなら、彼らに世界の支配権と富を与えると約束した。

 ハザール・マフィアはハザール国から追放された数百年後にイングランドを侵略した。

 イングランドを侵略するために、彼らはオリバー・クロムウェルを雇い、チャールズ一世を殺害させた。
(★教科書でいう「ピューリタン革命」における1649年チャールズ1世の処刑。)

 そしてイングランドを彼らの金融ビジネス天国にした。
 その後、イギリスでは10年間内戦が続き、イギリスの王族や純粋なイギリス貴族が大勢殺害された。
 このようにしてハザール・マフィアはロンドンをヨーロッパの金融の中心地にし、英国帝国の歴史が始まった。


(★(アシュケナージ)ユダヤ人(白人)の本当の故郷。8世紀、コーカサス地方のハザリアにおいて、一斉にユダヤ教への改宗が行われた。これらの人たち(アシュケナージユダヤ人)は古代(ユダヤ人)のイスラエルとは何ら関係が無く、東ヨーロッパや西ヨーロッパに侵入して行った。そして現在の人口規模を実現するために、アメリカ合衆国と現代イスラエルに向かった。)

 ハザール・マフィアは、バビロンの黒魔術オカルトの一種である、無からお金を生み出したり、悪質な高利貸しを行い巨額の富を得るバビロンの金融マジックを使って、世界中の金融ビジネスを奪い支配した。

(★金融マジックとは、預金と貸金を同時に行う金融業者、つまり、他人から預かったお金(預金)を他人に高利で貸し付ける(貸金)、それも何度も何度も。文字どおり何もない所から貸金(利息)を作り出すマジック。普通、他人から借りているものを、高利を付けて他人に貸し付ける等という事はありません。現代において、銀行に預けられたお金は、貸金→預金→貸金→預金が10回以上繰り返されています。このことを金融マジックと呼んでいます。)

 彼らは、悪魔崇拝儀式を通して悪魔のバール神から教えてもらった金融マジックにより巨額の富を得た。
 そして彼らが独占する金融システムを構築した。
(彼らの金融詐欺ビジネスの詳細については省略)

 その後、ハザール国王と彼の取り巻きはドイツに侵入し、Bauersという集団を結成し、バール神の魔力を得た悪魔システムを実践し続けた。
 Red ShieldのBauersとは、子供を生贄にした秘密の儀式を執り行う集団であり、のちに、口スチャイノレド(ロック=サタンのチャイルドと言う意味)と呼ばれるようになった。

(★以下、wikipedia「マイアー・アムシェル・ロートシルト(口スチャイノレド家の祖)」から
 当時フランクフルト・ユダヤ人に家名はなかったが、自称や呼称の家名はあった。彼の家は家名を「ハーン」もしくは「バウアー」と名乗っていたが、一時期、「赤い表札(ロートシルト)」の付いた家で暮らしたため、「ロートシルト」という家名でも呼ばれた。マイヤーはこれを自分の家名として使っていくことになる。)

 ハザール・マフィアのリーダー格の口スチャイノレドらはイングランドに侵入しイングランドの金融ビジネスとイングランド全体を乗っ取った。

 Bauerの口スチャイノレドには5人の息子がいた。
 彼らは、ナポレオンが実際はイギリスに敗戦したのにもかかわらず、イギリスに勝利したなどとの嘘の歴史にすり替えるなど、ずる賢い秘密工作を行うことで、ヨーロッパの金融システムとロンドン金融街の中央金融システムを乗っ取った。
 イギリスやヨーロッパの金融システムを支配した口スチャイノレド家は詐欺と策略によりイングランドの貴族の富を盗み、ロンドン金融街の銀行を徐々に奪い取った。

(★我々ファミリーは500兆ドルの資産を有しています。そして世界のほとんどの中央銀行を所有しています。ナポレオンの時代から、我々は戦争する双方に融資してきました。我々はあなたの新聞等のメディア、あなたのエネルギーである石油、そしてあなた達の政府も所有しています。あなたは恐らく私の名を聞いたことがないでしょう。(あなたたちに気づかれずに、世界をコントロールしているのです。))

 口スチャイノレド家は、イギリス国民に預金させ、その預金を使って高利貸しを行うことで、無から偽造貨幣を作り出す不換紙幣本位制の民間金融システムを設置した。
 これがバビロンの黒魔術の金融マジックである。

 彼らは悪魔のバール神に継続的に子供を生贄として捧げ、血液を抜き取り続けることで、バール神からこのような秘密の技法を教えてもらった。

 彼らがイギリスの金融システムを完全に乗っ取ると、彼らはイギリスの王族と婚姻関係を結び、イングランドに存在していた全ての金融機関を乗っ取った。

 しかし、実際は、イギリスの王族を虐殺した後に、王族と婚姻関係を結んだハザール人が他のハザール人と不倫をし、イギリスの王族の血統を絶ち、彼らの仲間をイギリスの王族に仕立て上げたと言われている。

 ハザール・マフィアは、全知全能の神の神権により国を統治していた国王を全て排除した。

 ハザール・マフィアは、悪魔儀式を通して悪魔のバール神(ルシファー、サタンとも呼ばれる)と個人的な関係を築いており、彼らは、同胞のハザール人を侵入者や裏切り者から守る必要があると考えているため、全知全能の下で国を統治している全ての国王を憎悪した。

 1600年代に、ハザール・マフィアは、イギリスの王族を全て殺害し、ハザール人をイギリスの王族に仕立てあげ、英王室を乗っ取った。

 1700年代に、彼らはフランスの王族を殺害した。
 
第一次世界大戦直前には、彼らはオーストリアの大公を暗殺し、第一次世界大戦を勃発させた。
 
1917年に、彼らはハザール・マフィアの陸軍(ボルシェヴィックス)を結成しロシアに侵入しロシアを乗っ取った。
 彼らはロシア皇帝と皇族を平然と殺害し、ロシアの金、銀、重要美術品を強奪した。

(★1917年ロシア3月革命にてロマノフ朝ニコライ2世退位。1918年7月17日未明にエカテリンブルクのイパチェフ館において一家ともども虐殺された。)

 第二次世界大戦直前に、彼らはオーストリアとドイツの王族を殺害した。
 さらに彼らは中国の皇族を追放し、日本の天皇からも権力を奪った。

 ハザール・マフィアは、神の信仰者たちを憎悪している。
 彼らが崇拝している悪魔のバール神が彼らに国王や王族、皇族を殺害させ、二度と国を統治できないように仕向けた。

 彼らはアメリカでも同様に、彼らの巧みな秘密作戦を行うことで大統領の権力をことごとく削いだ。
 彼らの秘密作戦がうまくいかないと、彼らは大統領を暗殺した。
 黒魔術の金融マジック或いは小児性愛犯罪組織ネットワークで秘密の力を得ている彼らに従わない強いリーダーシップの大統領を憎悪し暗殺する。

 口スチャイノレド家はカザール・マフィアのための国際麻薬売買組織を結成した。
 さらに口スチャイノレド家は大英帝国を秘密裡に運営しており、イギリスが中国特産の高品質の絹やスパイスを購入する代金として中国に支払った大量の金や銀を中国から奪い取る計画を立てた。

 口スチャイノレド家は秘密工作によりトルコから非常に常習性のあるアヘンを購入し中国に売り、何百万人もの中国人をアヘン中毒にさせた。
 常習性のあるアヘンを必要とする中国人からその代金として大量の金や銀を巻き上げた。
 中国から奪い取った金や銀はイギリス人に返却されず、口スチャイノレド家の金庫に保管された。

 口スチャイノレド家による中国人のアヘン中毒作戦により、甚大な被害を受けた中国は2つの戦争を行った。それはアヘン戦争である。
(★1840年アヘン戦争、1856年第2次アヘン戦争(アロー戦争))

 アヘンを売って巨額の利益を得た口スチャイノレド家は、あぶく銭を得ることに夢中になった。
 口スチャイノレドは、ハドソンベイ社や他の貿易会社と組んでアメリカに新天地を築くために、アメリカの植民地化を行っていた組織に巨額の資金を提供しました。
 北米に埋もれていた豊富な天然資源を奪うために北米先住民(インディアン)を大量虐殺するように命令したのは口スチャイノレド家です。

(★北米先住民(インディアン)に対する侵略の過程については、岩波文庫『インディオスの破壊についての 簡潔な報告』ラス・カサス著 が最も具体的で明確であると私は感じています。わずか200ページほどの文庫本ですから、多くの方に読んでいただき、アメリカ大陸という新世界で一体何が行われていたのかを多くの日本人に知ってもらいたいと思っています。ただ、気分が悪くなって最後まで読めない方も居られると思いますので、あらかじめご了解下さい。)

 口スチャイノレド家はカリブ海やインドの亜大陸の罪のない人々を大量虐殺するように命じました。

 口スチャイノレド家は国際奴隷貿易会社を設立しました。
 この会社は非常に邪悪な会社であり、彼らは人々を拉致し、彼らを動物のように扱いました。
 ハザール人は、彼らの悪魔組織(古い黒い貴族)に所属していない世界中の人間はみな動物として扱います。

 口スチャイノレド家はアフリカの不正な首長と共謀して大量のアフリカ人を拉致し、首長に代金を払い、アメリカやカリブに連れていき奴隷として売った。

 口スチャイノレド家は戦争は彼らに短期間で莫大な利益をもたらすことを知り、戦争を行っている両サイドに軍事資金を貸した。

(★両建て)
 貸したお金を両サイドから確実に徴収できるようにするため、口スチャイノレド家は各国に(国民から税を必ず徴収させ、国の借金を口スチャイノレド家に強制的に返済させる)税法を制定させた。

 ハザール・マフィア(不換偽札を使った口スチャイノレドの詐欺金融マフィア)は、革命戦争で敗戦するように手を貸したアメリカの開拓者とロシアに対する永遠の復讐を企んだ。
 口スチャイノレド家がアメリカの革命戦争に負けた時、口スチャイルド家は負けた原因はロシア帝国とロシア人がアメリカの開拓者(イギリスの船を封鎖する)に手を貸したからだと非難した。

 ハザール・マフィアは西暦1000年にハザール王国を崩壊させ彼らを追放したロシア人とアメリカの開拓者に対する永遠の復讐を誓った。
 そのため、口スチャイノレド家とイギリスのオルガルキーらはアメリカを奪還する策略を考えた。
 その方法として、彼らはアメリカに中央銀行を創設し、バビロンの金融マジックと秘密の偽札造りを行わせることにした。

 口スチャイノレド家のカザール・マフィアは1812年にアメリカを奪還しようとしたが再びロシアの邪魔が入り、失敗に終わった。
(★米英戦争、英語: War of 1812)

 怒り狂った口スチャイノレド家はロシア人とアメリカの開拓者に復讐を企てた。
 それは、両国にハザール・マフィアを潜入させ、両国を乗っ取って圧政を行い、両国の国民を大量虐殺し、両国の資源をむしり取ることである。

 ハザール・マフィアはアメリカに民営の中央銀行を創設しようとしたが、ハザール・マフィアを悪魔崇拝者と呼んだジャクソン大統領がそれを阻止した。

 口スチャイノレド家の金融マフィアは引き続きアメリカ国内に中央銀行を創設し、バビロンの金融マジックを実行しようとした。

 そしてついに1913年に口スチャイノレド家はアメリカ国内に、アメリカ国民の邪悪な敵である中央銀行を創設することに成功した。
(★FRB:Federal Reserve Board)

 それ以来、邪悪なアメリカの敵がアメリカに入り込むようになった。


 次に口スチャイノレド家がアメリカで行ったことは、アメリカ人に高い税金を支払わせるために違法な税制度を設定した。

 ハザール・マフィアは、腐敗した不正な米連邦議会と大統領と言う名のパペットを使い、ハザール・マフィアに巨額の税金を横流しさせている。
 ハザール・マフィアは潤沢な資金を使って、彼らに都合のよい議員や大統領を選挙で勝たせて就任させた。
 彼らは、偽札を大量に刷ったり、アメリカ人から高い税金を支払わせたり、連邦議員に賄賂を与えることで、アメリカの金融界を支配してきた。
 その後、彼らは自分達(金融マフィア)を保護するために、FBIを創設し、彼らが行っている数々の犯罪行為(児童に対する性的虐待、生贄、虐殺)やそのネットワークを隠蔽させた。

 連邦議会の公文書に、FBIは正式に認められた機関ではないと書かれている。

 口スチャイノレドのハザール・マフィアはロシアにボルシェビック革命を起こし、ロシアに対する復讐のために、罪のないロシア人を大量に惨殺し続けました。

 ハザール・マフィアはロシアがハザール国を崩壊させ、海外に追放しために幾度となくロシアに対する復讐を試みた。
 その一環として、ロシア革命を仕組んだ。
 ハザール・マフィアの中央銀行から資金を拠出して、ロシアにボルシェビック革命を起こさせた。

http://www5.pf-x.net/~gotama/confusion/confusion7/cofusion7.htmより。


ロスチャイルドの歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25345027/


★911について
http://www.veteranstoday.com/2015/01/12/mapping-911-fort-lee/

Soon mainstream America will know that Bibi Netanyahu and his Likudist Party deployed the attack on America on 9-11-01 on behalf of the Rothschild Khazarian Mafia (KM):

They thought that they had complete control over the Media and could prevent any of the secret AEC Sandia labs investigation from ever being released to the American Public.

They made a serious tactical error because now as the truth about their role in the 9-11-01 attack on America is being published on the worldwide Internet, the World’s new Gutenberg Press. What the Rothschild Khazarian Mafia (KM) did not understand was the power of the Internet and how Truth nuggets published and broadcast on it resonate with the people of the World and spread like wildfire, at the speed of light being diffused to the masses everywhere.



by kabu_kachan | 2015-06-13 10:56 | ユダヤ | Comments(0)

自由、平等、博愛 の本当の意味


★ Khazars full video
https://www.youtube.com/watch?v=KE4Ess9NnDk


【シオンの議定書】


第1議定  


古代において真っ先に「自由」「平等」「博愛」を民衆に投げ与えたのは我々ユダヤ人である。この標語はその好餌に向かって駆けつける蒙昧な鸚鵡(おうむ)どもによって、いやになるほど繰り返され、世界の繁栄と、以前は下層民の猛威に対して善く保護されていた真の個人的自由を破壊し去った。
教養あり才智ありと称するゴイムも、この3つの標語の間に隠れた矛盾のあることに気がつかなかった。彼らは自然には平等の存立しないことや自由のあり得ないことに注意しなかった。

【別訳】はるか以前の時代にさかのぼれば、われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった。以来、幾度となく愚かなオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の福利と、以前は群集の圧力に対してよく保護されていた個々人の真の自由を、この餌をもって破砕し去った。
ゴイムのうちの賢者になりたがり屋ども、知識人たちは、もともと中味のないこれらの言葉から何も作りだすことができなかった。これらの言葉が意味するものと相互関係とを否定することには考え及びもしなかった。

どこをどう見ても平等はなく、自由などありえず、自然そのものはその掟に従わせるように作られているのと全く同じく、気質、性格、能力が不平等に作られていることを見なかった。

https://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=2


★ロスチャイルドの「世界革命行動計画」より。

http://kabukachan.exblog.jp/20828153/

★ヴァイスハウプトとフランス革命

http://kabukachan.exblog.jp/20525604/


10. 我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。 今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。 ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、 その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない。 これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。 「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。 ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。 それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。




地球上のいたるところに「自由」「平等」「博愛」の標語が、何もわからぬ旗持ち人足の熱心な努力で、莫大な人間を我々ユダヤの陣営に引き入れた。しかしこの標語はゴイムの繁栄を蝕み、いたるところで平和、安寧、協同一致を破壊し、国家の基礎を転覆しようとした害虫である。この状態がどれだけ我々の勝利に役立ったことかわかるであろう。

★ノーベル賞の本当の意味

http://kabukachan.exblog.jp/22773236



第2議定  


近代国家は国民の間に世論を起こす大きな力をその手に持っている。新聞がそれである。新聞の使命は必要な要望を明らかにし、人民の愁訴をかき立てて、不平不満を煽るのである。わかりやすい饒舌に勝利を占めさせることはまた新聞の重要な使命である。しかるに方々の国家ではこの力を利用することが出来なかった。

それで新聞の力が我々ユダヤの手に落ちてきた。その力を利用して我々は金を我々の掌中に収めた。それを集めるのは実に、血と涙の海の中においたやったのである。しかしそれには我々の同胞を犠牲にしなければならなかった。一人のユダヤ同胞の犠牲は、神の前においては千人のゴイムに相当するのである。



第3議定   


我々は、今日まさに目的を達せんとしているといえるまで、今少しの道しか残されていない。我々ユダヤ民族の象徴たる両頭の蛇が、輪を締め合わせるのはもうすぐだ。欧州各国はその両頭に締め上げられること、万力の間に挟まれたと同様になる。

権力階級の人々に権力の濫用を勧めるために我々はすべての勢力を対立させ、その各勢力の自由主義的主張を独立まで発展させることにした。我々はこの方面に向かって様々な発案を起こさせた。そしてすべての政権に力をつけ、権力者をすべての野望の目的物とした。我々は国家をもってひとつの競技場化したので、そこには現今、反国家運動が起こっている。やがて混乱と破産が各所に起こるであろう。

とめどのない法螺吹きが議場と行政の諸会議とも討論会場としてしまった。勇敢な新聞記者、恥を知らないパンフレット屋は毎日のように政府当局を攻撃する。権力者に対する誹謗はすべての政府を決定的に破壊し去る準備になるのだ。それは民衆を激怒に至らしめるからである。


人民は生活の困難から、かつての奴隷や雇傭の時代よりもさらに難儀な仕事に追い込まれる。以前の奴隷的雇用からは何とかして抜け出したが、生活の困難からはなかなか脱却できない。我々が憲法に書き込んだ人民の権利というのは幻夢的なもので決して実行のできるものではない。無産者たる労働者は骨の折れる仕事に腰をかがめて働き運命に弄ばれているのに、饒舌家は饒舌する権利を与えられ、新聞記者は真面目なことも書くがとんでもないことをも書く権利を与えられているのはどういうわけか。労働者には我々の代表者を選挙してくれるお礼として我々の食卓のパン屑を受け取るだけの権利しか憲法が与えないのはどういうわけか。共和国の憲法はこれらの不幸な人々にはひどい皮肉である。というのはほとんど毎日働かなければならぬから憲法を使うことが出来ない。かくのごとき必要から親方か仲間が組織する職業に頼らざるを得なくなって、恒久かつ確実な生活の保障を捨ててしまうことになる。


食糧が不足することは労働者に対する資本の力をいやがうえにも増すのであって、かつて君主の正統な政権が貴族に与えたよりもはるかに大きい。貧困とこれから起こる嫉妬によって、我々は下層階級を操縦して我々の前途に立ちふさがる者を打ち砕くのである。我々の世界支配の時が来れば、これと同じ方法を用いて、我々を邪魔するあらゆるものを一掃することができるだろう。


あらゆる秘密手段を用い、我々が全部押さえている金の力により、世界的経済恐慌を現出させて、欧州各国のおびただしい労働者群を一時に街頭に放り出すであろう。これらの群衆はその無知識のために、幼少の時から羨望の的となっていた人たちの血を流すことで痛快な気分を味わい、その財産を奪い取るであろう。

しかし、彼らは我々ユダヤ民族には害をなさない。それは攻撃の始まる時機は我々が知っているのだから、我々の利益を保護するための処置は事前に講じられるからである。


自由という言葉は、社会全体をすべての権力に向かって対抗せしめるのであって、神や天然の権力に対してさえ反抗せしめるものである。これが我々ユダヤ人が権力を掌握した暁には、この言葉は民衆を血に飢えた獣に改造する暴力の徴であるからと言って、辞書の中から抹消する所以である。



   ☟

★<シオンの議定書>を知れ!
http://kabukachan.exblog.jp/23828950/


by kabu_kachan | 2015-04-08 21:57 | ユダヤ | Comments(0)

<シオンの議定書>を知れ!

「シオンの議定書」


シオンはシオニズムのシオンでありエルサレム地方(シオンの丘)の歴史的名前である。よってこの議定書にもユダヤに関する内容が書かれていることになる。この議定書にもまた偽書物であるという話があるが、この場合も情報を追うのではなく、書かれていることと現在の世界を子供心に比較するということが重要であり、その点からこの議定書が偽書なのか、それさえ作り話なのかを考えることが重要である。もちろん私は原本の写しを持っている人を知っているが・・・

★「シオン長老の議定書」偽書説論争

http://kabukachan.exblog.jp/18098493/

http://kabukachan.exblog.jp/18098518/

http://kabukachan.exblog.jp/18098536/

http://kabukachan.exblog.jp/18098545/

http://kabukachan.exblog.jp/18303561/

ロスチャイルドの「世界革命行動計画」

http://kabukachan.exblog.jp/20828153/


タルムード

http://kabukachan.exblog.jp/21829084/

http://kabukachan.exblog.jp/21829258/


★タルムードを基にして、ロスチャイルドの「世界革命行動計画」書が作られたのである。そしてそれをさらに発展させて書かれたのが「シオンの議定書」である。

http://kabukachan.exblog.jp/17984905/

これは"ユダヤの神エホバから選民されたユダヤ人のみが人間であり非ユダヤはすべて家畜(ゴイム)である"とする教義(タルムード)に基づき二千年に亘り蓄積したぼう大な資本力と謀略を駆使し、地上のあらゆる国家、機関、組織、フリーメーソン人脈を利用し尽し、双頭戦略とかくれみの戦術で世界支配と人類総奴隷化を完成しつつある見えざる帝国、国際主義パリサイユダヤの恐るべき謀議の記録である。



第一の議定
ユダヤ人(ここでいうユダヤ人とはすべて偽ユダヤ人のことであり、ロスチャイルドシオニストのような人々のことをいう)の立場と非ユダヤ人=ゴイムの立場をはっきりさせ、暴力と恐怖によってゴイムを支配し、正義がユダヤ人の力によってもたらされるようにする。政治家にモラルは不要であり策謀と偽善を用いる必要があり、ユダヤ人は道徳を学んではならない。非ユダヤ人に自由というウソを洗脳すること、でユダヤ人はその裏ですべてを決めることができるように設定する。


第二の議定
直接的戦争よりも経済の支配によってユダヤ人たちの優越を決定化させる。すべてにスパイを放ちそれぞれの国家の法律を無効化し、享楽に非ユダヤ人を耽らせ、非ユダヤ人に吹き込んだ科学という偽の法則を信じこませる。そのためにメディアを利用し、インテリを利用し、新聞をユダヤ人が支配する。


第三の議定
権力者たちを裏から操って互いに争わせる。政治の党派や保守革新の思想などあらゆる分野においてである。制度を瓦解させ民衆を扇動し不秩序を招く。


第四の議定
非ユダヤ人に深く思想させないために商工業を利用する(いわゆる3S政策<スポーツ・スクリーン・セックス>などに代表される考え方だろう)。このことにより人民の共同の敵(つまり自分たち)を見逃すように仕向ける。商工業の利益はすべて最終的にユダヤ人に流れるよう設定し、非ユダヤ人を人情酷薄な存在とし、高尚な政治や宗教に対して考えさせなくし、金儲けだけに興味を持つよう設定する。


第五の議定
ユダヤ人が負けたときに負かしたものに軋轢が生じるように設定しておく。非ユダヤ人に感情に訴えるものだけで満足するよう設定し、政治の公約が実行されたか判断しないよう設定する。社会生活上の取り決めを複雑化し、人間同士を互いに理解し合えなくさせる。


第六の議定
商工業に保護を加え投機を奨励し、工業を不安定化させ農業を改良させないようにし、
世界のお金がユダヤ人の手に収まるようにする。そして非ユダヤ人を貧乏にしてユダヤ人の元にひざまずかせるように設定する。そのために非ユダヤ人に贅沢を奨励する。


第七の議定
大陸同士で騒乱、闘争、不和をかき立てる。それによってユダヤ人が二重の利益が出るようにする。暴動も鎮圧も支配できるシステムとし、気づいた非ユダヤ人であってもユダヤ人を必要悪と見るよう仕向ける。基本として狡猾さや奸計を用い、表向きは外交辞令として正直で偽善的にふるまう。


第八の議定
あらゆるインテリ(メディア関係者、弁護士、医師、政治家、官僚その他)に特殊教育を与えてユダヤ人に従うよう洗脳し、人間の深層心理とシステムを操るようにする。経済学という偽の学問をひろげ、銀行家や資本家も含めて彼らが悪いことをやっているように見せかけ、経済学の裏にユダヤ人がいることを気づかせないようにする。そのような非ユダヤ人で指令に従わない場合は死刑や追放を検討し、ユダヤ人の奴隷にする。


第九の議定
本当の自由の基礎である教育を崩す。嘘の学説を非ユダヤ人の青少年たちに教え、彼らを欺き愚鈍にさせ腐敗させる。法律を狂わせ法の意味を歪曲させ真の精神を失わせる。そして非ユダヤ人がユダヤ人の真意に気付き反抗することへの対策を立てる。


第十の議定
非ユダヤ人に自由主義という毒液を注射し、非ユダヤ人にとって健全だった専制政治を廃し立憲政治を生み出させる。憲法とは本来ユダヤ人が作ったものであり、その本当の目的は闘争と対立をかり立て、国の機能を弱め、個性的価値を奪う無益なものである。そしてロボットの大統領を作りユダヤ人に奴隷のごとく仕える者を選ぶ。国境や宗教を撤廃し平和と安らぎをとり戻すと錯覚させ、すべてを統一し、救済する世界の王を与えよと非ユダヤ人を思い込ませる。


第十一の議定
クーデターや戦争の時にユダヤ人の望む憲法を一挙に成立させる。非ユダヤ人が胆をつぶし頭が混乱しているうちに強制しなければならない。非ユダヤ人に反抗すれば弾圧されると印象操作する。非ユダヤ人は羊の群れでユダヤ人は狼である。


第十二の議定
情報をすべてユダヤ人が検閲する。世界のニュースは若干の通信社に集め支配して、ユダヤ人がが許すニュースだけが伝達されるようにする。新聞、雑誌、書籍といった、いわゆるジャーナリズムはすべて許可制する。出版と新聞をもっとも重要な洗脳の手段とする。また新聞にユダヤ人を攻撃させることで、非ユダヤ人に完全な言論の自由があると錯覚させる。


第十三の議定
非ユダヤ人に事情をさとらせないために、芸能、スポーツがもてはやされ愚鈍なクイズを扱わせる。娯楽により関心を方向転換させ、独立して自ら思索する能力を失わせる。進歩という錯覚を非ユダヤ人に与え、真理は唯一ひとつあるだけでこの世に進歩の余地などないことを決して気づかさせないようにする。
すべてのことが、幾世紀にもわたって我々の計画で謀られたことを誰も気付かなかったが、そのときこそはっきりするに違いない。


第十四の議定
非ユダヤ人に政治に幻滅させて、自由の権利より安楽に暮らせる奴隷の方がましだと思わせる。非ユダヤ人のために昔から、いわゆる先進諸国において不道徳な、劣悪な偽文字を創っておいたが、世界支配後もしばらくはこれを放置する。


第十五の議定
世界各国に革命を同時に勃発させ政府の無力さをみせつけて、結果的にユダヤ人の支配を強める。非ユダヤ人の反逆に警戒し武装蜂起する者どもは皆殺す。ユダヤ人の権力が確立するまでは、フリーメイソン支部を世界各国に増設する。メイソン全支部は誰も知らない中央管理機構(イルミナティ)の下に置く。メイソンの各支部は真の管理機構(イルミナティ)を覆い隠すために置かれる。


第十六の議定
真の大学はこれを廃止する。その上で新しい綱領に基づくユダヤ人に都合のいい新大学を創設する。学長や教授は洗脳教育し、ユダヤ人の計画からはみ出せないようにしておく。青年を従順にし支配者を敬愛し信頼させるようにする。古典と歴史の研究を廃するようにする。ユダヤ人に都合の悪い歴史事実を抹殺する。視覚教育により非ユダヤ人を考えられない動物にする。


第十七の議定
全人類にユダヤ人に背く犯人告発の義務を負わせる。監視社会を築くと同時にユダヤ人が政治の不正を正したと思い込ませる。ユダヤ人が不正や職権乱用や贈収賄などを広めたという歴史はわからなくさせる。


第十八の議定
ユダヤ人の王が陰謀や人々を怖がって身を隠すのだといった考えを、非ユダヤ人に考えさせないようにする。ユダヤ人の王が人民の請願書を受け取っているかのように錯覚させる。


第十九の議定
政治について告白するものを政治犯に仕立て上げ、彼らが英雄視されることをなくすため犯罪人とする。


第二十の議定
財産に対して課税し、金持ちたち国やユダヤ人の味方になるようにする。累進的な財産税で個人の富の増大を防ぐ。あらゆる国債は、政府が誤った行政を行う無能の告白なのでこれを広める。外債を募り非ユダヤ人政府は血を吸い取られて死ぬことになる。


第二十一の議定
公債発行に際して一般の誰でも買えるように額面を安くする。最初の応募者には割引きし、次の段階で人為的に価格の釣り上げを行う。これにより非ユダヤ人が政府の債権を信用しているように錯覚させる。後に残る債務は新公債を発行する。新税も借金のための借金として作り出す。


第二十二の議定
ユダヤ人の莫大な金をさらに世界征服のために有効に使う。多少暴力を使ってでもこれらの金を使い秩序を確立する。ユダヤ人の法律に従わせこの苦しみ多き地上に、真の幸福と自由をもたらし、平和と秩序を与える。


第二十三の議定
非ユダヤ人は強大な権力にだけ絶対服従するのでこれを推し進める。非ユダヤ人は王に天使のような優しさなど望んではいない。非ユダヤ人が求めているのは、不屈の権力の化身である。


第二十四の議定
我々はシオン賢者たちが、いままであらゆる障害を乗りこえて、世界の問題を処理し、人類の思想を導いてきた故智に学ぶだろう。そして我々が望む方向に非ユダヤ人を教育する。選ばれた者たちに政治の要諦を教えるのだが、他の誰にもその秘密が洩れないようにしなければならない。こうして、政治はその秘訣を知った唯一人の者によってのみ行われる、という原則が保たれる。



さて、あらためてこの24の議定を見て一体現代にどれだけが当てはまると考えるだろうか。これはもうほとんどすべてであろう。この議定書は最近書かれたものではなく100年以上前に書かれたものである。彼らは常に計画的に事を進めているに過ぎない。この内容は「シオンの議定書」の前に、1850年代にフランスで出版された『ユダヤの民の神秘』にも書かれていたそうだ。このシオンの議定書に記載されていることと現在の状況、他にも出版されていた可能性を考えると、この議定書をニセモノ扱いしていいのだろうか。


http://kabukachan.exblog.jp/21985348



by kabu_kachan | 2015-04-03 18:54 | ユダヤ | Comments(1)

ユダヤ人のアメリカ移住史(3)

アメリカヘのユダヤ移民の第4波は、1933年、ナチス・ドイツの成立とともに始まった。

ドイツとオーストリアから25万のユダヤ人がアメリカに来た。当時、アメリカは移民の受け入れを制限していたので、数はそれほど多くはない。しかし、この時やってきた人々には科学者、作家などが多く、アルバート・アインシュタインなど、20世紀を代表する知識人が混じっていたのが大きな特徴であった。

 

知的職業に進出するユダヤ人は、ただでさえ多いというのに、このユダヤ移民の第4波によって、アメリカのアカデミズムはユダヤ人の聖域と化した。

自然科学においても、人文・社会科学においても。例えば、アラブ諸国の留学生が自国の歴史や文化を研究しようと思って、ハーバード大学、プリンストン大学、コロンビア大学などの中近東研究所に入ったとしても、そこの研究スタッフはがっちりとユダヤ人で占められているというわけだ。


多くのドイツ系ユダヤ知識人がヨーロッパを去ることによってできた空白は、はっきり感じられた。例えば、1901年から1939年までの38年間に、物理学、化学、医学の分野でノーベル賞を受けたアメリカ人の数はわずか14人だった。ところが、1943年から1955年までの13年間、つまりドイツ系ユダヤ人たちがアメリカへ逃げてからは、この分野でノーベル賞を受けたアメリカ人は29人にものぼった。

ドイツではちょうど逆の現象が起きた。最初の38年間にはドイツは35人の受賞者を出したが、次の13年間には、ただの5人である。

★ノーベル賞の本当の意味

http://kabukachan.exblog.jp/22773236


ドイツの著名な歴史研究家であるセバスチャン・ハフナー(ユダヤ人)は、著書『ヒトラー注釈』の中で、次のように述べている。

「ヒトラーの反ユダヤ主義によって、ドイツの科学がこうむった頭脳の流失は相当のものだった。アインシュタインを初めとしてユダヤ人の科学者が亡命しただけではなく、ユダヤ人でない著名な科学者もユダヤ人の同僚や教師のあとを追った。そしてそれまで群をなしてドイツ参りをしていた外国の科学者も来なくなった。

ヒトラー以前には核物理学の研究では世界の中心はゲッティンゲンだった。それが1933年にアメリカに移った。ヒトラーの反ユダヤ主義がなかったら、アメリカではなく、ドイツが最初に原子爆弾を開発する国になったかもしれないというのはなかなか興味をそそる推測である。」

 

 
ところで、アメリカのユダヤ人口は1925年で380万人、第二次世界大戦中の1940年時点で480万人となり、世界一のユダヤ人社会となった。

現在、世界のユダヤ人総人口は約1400万人、そのうち大ざっぱに言うと約600万がアメリカ、約500万がイスラエル、約100万が旧ソ連に居住し、フランス、イギリス、カナダ、アルゼンチンに数十万単位、残りは数十から数万の単位で世界の国々に分散している。つまり約43%のユダヤ人が、アメリカ市民になっているのだ。

ただし、アメリカ・ユダヤ人の対全国人口比率は、1937年の3.7%をピークとして以後低下傾向を見せ、現在は2.7%に後退している。現在の人口規模は約600万人であるが、このうちの95%は都市に居住し、ニューヨーク(172万)、ロサンゼルス(50万)、フィラデルフィアとマイアミ(各25万)、ボストン(17万)、ワシントン(16万)のほか10万台の都市が7つある。


★ニューヨークはユダヤ人のエルサレム
https://www.youtube.com/watch?v=rtxxk2d_0C8


https://www.youtube.com/watch?v=4JCde1fPkLI

 

また、ユダヤ人社会は多様であり、決して一枚岩的な生活をしているわけではない。ユダヤ教内でも幾つかの宗派に分かれ、それらのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を中心としたコミュニティの数は、保守派830、改革派750、正統派2500(規模は小さい)となっている。けれども今日、アメリカのユダヤ人の半分ほどはシナゴーグに行かず、コミュニティ活動に関心を払わないと言われている。

教育面ではエシバ大学、ヘブルー・ユニオンカレッジがユダヤ教の神学大学として著名であり、ブランダイス大学もユダヤ系の学校として創設されたが、現在は他民族の学生も在学し、ユダヤ的というわけではない。その反面、アメリカの諸大学が1960年代初めからユダヤ関連の学問を導入するところが増え、いま300校がユダヤ学科をもっている。


全体として、ユダヤ人差別が完全に払拭されたわけではないが、ユダヤ人社会は社会的に認知され、少数派集団の中では最もたくましく躍動的であるといえよう。ただし一方では、一般社会への「同化」という別の悩みもある。ユダヤ教徒外との結婚が、1960年代の12%から現在は50%を超えるまでになっているという。また、他のエスニック集団と比べ全般的に出生率が低く、65歳以上の年齢層が多くて老齢化の傾向を示しているともされる。

このため、21世紀の半ばにはユダヤ人は1万人くらいになるだろうという大胆な予測まで出ている。


★結局のところ、ユダヤ人とは民族のことではなくユダヤ教を信奉する宗教集団のことである。そしてユダヤ教の根本にタルムードがある。

https://www.youtube.com/watch?v=7Jz7xdf75tQ

https://www.youtube.com/watch?v=DNP0ZWMGjsI

https://www.youtube.com/watch?v=c_3cEMt6-C4&index=11&list=RDDNP0ZWMGjsI

http://kabukachan.exblog.jp/21829084/

http://kabukachan.exblog.jp/21829258/
 


by kabu_kachan | 2015-03-28 02:07 | ユダヤ | Comments(0)

イスラエル建国の舞台裏

【「ロスチャイルド家」抜きにはありえなかったイスラエル建国】

https://www.youtube.com/watch?v=o_eRVZ9bM1Q

https://www.youtube.com/watch?v=msx3OPfgEpg

https://www.youtube.com/watch?v=TSuJd9zLqec

https://www.youtube.com/watch?v=3zPQ5EVeJJo

911事件とイスラム国事件
https://www.youtube.com/watch?v=6vFpkNMMaQo

ベンジャミン・フルフォード氏の見方①
https://www.youtube.com/watch?v=7dhfGwwOjvI

ベンジャミン・フルフォード氏の見方②
https://www.youtube.com/watch?v=KALyd01MmD4

https://www.youtube.com/watch?v=PVpN1_8QYfs

https://www.youtube.com/watch?v=K4u5AMudPJc

https://www.youtube.com/watch?v=VVD4-WHuxk4

https://www.youtube.com/watch?v=q8qHmuFjqqY

リチャード・コシミズ氏の見方
https://www.youtube.com/watch?v=9UvIqoSpD0s

偽旗作戦(イスラム国を使って中東全域を混乱状態にする作戦)
https://www.youtube.com/watch?v=o_eRVZ9bM1Q&list=PLGleeP1UM7l2tXhWXy6qxCRzTpOOqtAjA&index=13

マルクスとロスチャイルド

https://www.youtube.com/watch?v=gCNVIgtyHyk

ロスチャイルド・シオニスト帝国
https://www.youtube.com/watch?v=RSmFhv0UdQg

ロスチャイルド・シオニスト帝国2
https://www.youtube.com/watch?v=USmIEMsStco

イスラエル建国の父にして大慈善家・大資本家として知られるモーゼス・モンテフィオーレ。

彼はヨーロッパの金融王ネイサン・ロスチャイルドの義兄弟であった。

そしてもうひとりのイスラエル建国の父は、ずばりフランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであった。

彼らは、東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)をパレスチナに入植させるために資金を提供して力を尽くし、イスラエル建国の種をまいたのである。

 

一般に"近代シオニズムの父"は、ユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルだとされる。彼は1894年にフランスで起きた「ドレフュス事件」で、反ユダヤ感情が燃え上がるのを目の当たりにした。ユダヤ人の危機を感じた彼は、1896年、今日では有名になったパンフレット『ユダヤ人国家』を出版する。

しかし、この『ユダヤ人国家』の表紙に最初に記した言葉が、「ロスチャイルド家の人々へ」だったことは、ほとんど知られていない。フランスのドレフュス事件から間もなく、彼は日記に次のように建国案を記している。

「ベネチアの建国史をモデルにすることになるだろうが、ベネチアの失敗からも学ばなければならない。ロスチャイルド家が我々と手を組んでくれるなら、初代の『ドージェ』はロスチャイルドとしよう。」



ここにヘルツルが記したのは、7世紀末に独立したベネチア共和国水の都ベニスのことで、やがて大々的な植民地主義を推し進め、武力的商法でアドリア海を制圧した国家である。ヘルツルはその武力征服を理想像として想い描いている。このベネチアが19世紀後半に没落し、今日のイタリアに併合されてしまった歴史に、彼は学ぼうとした。そして、この国で「ドージェ」と呼ばれたのが大統領の地位であり、ヘルツルはユダヤ国家の初代大統領にロスチャイルドが就くことを夢想していたのである。

 


ユダヤ国家建国を熱望していたテオドール・ヘルツルは、何回も何回もロンドンのロスチャイルド家に書簡をしたため、会見の申し込みを行なった。

「貴方がすべての調和の要石なのです。もし貴方が拒絶されれば、私がつくり上げてきたすべてのものが壊されてしまいます。貴方が参加しないなら、私は異なった方法を取らねばならないのです。私は貴方にこのすべての運動の指導をお願いしたい。貴方が引き受けてくださるのであれば、私は喜んで指導者の座を下ります。」

このヘルツルの要請に対し、ロスチャイルド一族は、最初は無関心だったと表向き伝えられている。しかし実際には、ロスチャイルドは、石油などの利権支配のために中東での足場を築くかたわら、誰よりも深くシオニズムに関わっていたのである。(ちなみに、ドレフュス事件で逮捕されたユダヤ人アルフレッド・ドレフュス大尉は、ロスチャイルドの血族であった)。

 

ロスチャイルド家のイスラエル建国への働きかけ(パレスチナの利権獲得)は、第一次世界大戦終結と同時に急速に高まる。

ロスチャイルドを含む数人の有力なユダヤ人は、第一次世界大戦終結の際、敗戦国ドイツに課せられた条約の文言を任せられた。条約により、ロスチャイルド家はドイツが所有していたパレスチナ(トルコの領土)の「鉄道権」を得た。また、ロンドンのロスチャイルド家は、トルコ共和国に貸し付けを行なっており、その額は1億ポンドに迫るものだった。第一次世界大戦後、敗戦国側だったためにトルコ政府が崩壊すると、ロスチャイルド家はそのトルコに対する貸し付けの未払いを理由に、パレスチナに対する権利を要求した。このようにしてロスチャイルド家は、パレスチナに関する方針を押し通す確実な手段を得る道を開いたのである。



また、ロンドンのロスチャイルド家はイギリス政府内の代理人を通して、イスラエル建国へとつながる階段を強固に築いた。


第一次世界大戦後、イギリスはパレスチナに対する「委任統治権」を与えられたが、政府はロスチャイルド家の命ずるところに従った。1917年11月2日、イギリス外相バルフォアは、ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド宛に、「イギリス政府はパレスチナでのユダヤ人の国家建設を支持し、努力する」事を確約した書簡(手紙)を出したが、これが有名な「バルフォア宣言」である。

 


この「バルフォア宣言」は書簡形式をとっているが、この叩き台をつくったのはシオニズム運動の世界的指導者ハイム・ワイツマンとライオネル・ロスチャイルド自身で、彼らは既に1917年7月18日の時点で宣言の「草案」をバルフォアに手渡していたのである。

(ちなみに、この段階で入植地に提供された資金は170万ポンドに達していたが、そのうちの160万ポンドはライオネル・ロスチャイルド自身のポケットマネーであった)。



パレスチナへのユダヤ人の入植活動は、ハイム・ワイツマンの指揮下で行なわれた。

パレスチナのユダヤ人入植地は、1900年には22であったが、1918年には47まで増えた。

1909年には「キブツ」と呼ばれるユダヤ人の集団農場が作り始められ、ユダヤ人の町「テルアビブ」ができた。

 


このパレスチナへの入植活動には、当然、多くの資金が必要とされた。しかし、それは心配する必要がなかった。

なぜなら、パレスチナで活動していたユダヤ人たちに、「匿名の寄贈者」というサインの付いた「小切手」が送られていたからだ。

この膨大な資金によって、続々とユダヤ人たちがパレスチナに入植し、その金によって住宅、学校、農業地を購入することができたのである。またその資金援助によって、その地で採れるあらゆる農作物が当時の世界市場よりも高く買われ、全収穫物が毎年買い付けられるということが行なわれた。


後にこの「匿名の寄贈者」の正体は、フランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであったことが公にされた。(フランスとロンドンの両ロスチャイルド家は、1878年以来、パレスチナの土地を買収し続けてきたのだ)。

 


第一次世界大戦後の中東


その後、イスラエル建国運動は、ナチスの台頭によって急速に進展し、

第二次世界大戦後、正式にイスラエル共和国が成立する。

(※ この第二次世界大戦中に、シオニストたちはどういう活動をしていたのか? 第二次世界大戦でのシオニストたちの動きについては、別ファイル「ナチスとシオニストの協力関係」をご覧下さい)。

 


「イスラエル共和国」の独立宣言 (1948年)


初代イスラエル首相にはベングリオンが就いたが、彼は、次のように語ってロスチャイルド家を称えた。

「ロスチャイルド家がどのユダヤ人よりも、おそらく全世界のユダヤ人の総数を合わせたよりも、多くの費用をユダヤ人開拓地のために提供した。」



ロスチャイルド自身は、初代イスラエル大統領ワイツマンにこう語っている。

「私がいなかったらシオニズムは成功しなかっただろうが、シオニズムがなかったら私の仕事も台無しになっていただろう。」

 

★このように、パレスチナにユダヤ人国家を建設するのに、最も多額の金を注ぎこんだのがロスチャイルド家であった。パレスチナでのユダヤ人の入植活動は、ロスチャイルド家の資金援助によって実施された。これは厳然たる歴史的事実である。

そしてまた、ロスチャイルド家のシオニズム支持は、中東における「利権」獲得と裏腹になっていたことも歴史的事実である。一時期、パレスチナでサッスーン家(ロスチャイルド家の代理人として特に中国などアジアで活動)が暗躍したが、この間の事情を物語っている。



ちなみに、現在、イスラエル共和国の首都テルアビブには、ロスチャイルドの功績を称えて作られた「ロスチャイルド通り」が存在する。(エドモンド・ロスチャイルドは、イスラエルの切手やお札の顔にもなったことがある)。


http://satehate.exblog.jp/10070668

 



 

 


by kabu_kachan | 2015-02-17 14:46 | ユダヤ | Comments(0)

偽ユダヤ人論争

「127」 論文 アーサー・ケストラー著『ユダヤ人とは誰か―第13支族、カザール王国の謎』(宇野正美訳、三交社、1990年刊行)(1) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2011年1月28日

●カザール王国、セファラディー、アシュケナージについて

 この本は、アーサー・ケストラー(Arthur Koestler)が一九七六年に『第十三支族―カザール帝国とその遺産』(The Thirteenth Tribe: The Khazar Empire and its Heritage)というタイトルで発表した。

『ユダヤ人とは誰か―第13支族、カザール王国の謎』
https://www.youtube.com/watch?v=7Jz7xdf75tQ

アーサー・ケストラー

 カザール王国(Khazar)というのは、七世紀から一〇世紀の間にカスピ海から黒海の北側の、コーカサスとボルガ川の辺りに実在した、トルコ系遊牧民族の国である。その東側は現在のウクライナに当たる地域である。

カザ―ル王国の版図

 このカザール王国は、キリスト教国のビザンチンとイスラム教国に囲まれていたため、どちらにも服従させられることなく、独立を保つ選択として、ユダヤ教に改宗したと言われている。

 一〇世紀にロシアの台頭によって滅びてしまったが、重要なのは、その後彼らが移住したのが、ハンガリー、ポーランド、バルト海沿岸のリトアニア、そして現在のベラルーシ、ウクライナ辺りにまたがる「東方のヨーロッパ」だったということである。

 この地域は一〇世紀に王国が滅んだ後、現在に至る千年間、かれらカザール系ユダヤ人の一貫した居住地域だったのである。カザール系というのはすなわち、パレスチナ出身のいわば「本物のユダヤ人」ではなく、非セム系のトルコ系「白いユダヤ人」ということである。これを指して、「偽ユダヤ人」などと言われている。

 ユダヤ人というのは大きく二つに大別される。このことを普通の日本人は、はっきりと認識しなくてはならない。

 一つはスペイン系の「セファラディー(Sepharadi Jews)」である。これはイベリア半島のイスラム王朝、後ウマイヤ朝以来、アンダルシア地方のコルドバを中心にして、カスティリャの宮廷に仕えていた社会的・教育的地位の高いユダヤ人である。アンダルシアというのは、スペインの地中海側の地域である。

セファラディーの人々

 その後、彼らはスペイン王フェルナンド(スペイン語でエルナンド)とイザベラの治世に、スペインから追放されてしまう。これが一四九二年の話で、この後ヨーロッパ各地へバラバラになってしまったのを、聖書の故事にならって「離散(Diaspora、ディアスポラ)」と呼ばれている。この年はコロンブスのアメリカ大陸発見の年でもある。

 隣国のポルトガルは、カトリック国でありながら新教国のイギリス、オランダと同盟を結んでいたこともあって、ユダヤ人はそちらに逃れるのであるが、スペインの影響力の下、一四九七年に再度追放されてしまう。

 この時に移住先として彼らが選んだのが、オトマントルコ、ナポリ(イタリアの南半分)、そしてオランダであった。一六世紀末にオランダは近代国家として独立し、世界の海洋覇権を一瞬握りながらも、すぐにイギリスに受け継がれる。セファラディーは、二〇世紀に日本軍に壊滅的打撃を受けるまで、東アジアやアメリカ、インドにいたる世界的な海洋帝国をイギリスが築けるようになった、原動力となった人々である。

 もう一方のユダヤ人とは、ドイツ系の「アシュケナージ(Ashkenazi Jews)」である。こちらは通常ラインラントを西端としたヨーロッパ中部から、東欧のポーランド、ウクライナからロシアのユダヤ人のことを指す。一般的には「東欧系ユダヤ人」とか、「ドイツ系ユダヤ人」と言われている。

東ヨーロッパの地図

 ヨーロッパでのユダヤ人の「ディアスポラ」は、一一世紀の十字軍のユダヤ人迫害に端を発する、西ヨーロッパ諸国からの段階的な完全追放であった。この時、東欧のユダヤ人は含まれない。

 イギリスで一二九〇年、フランスで一三九四年に完全追放が行われた。ドイツでは追放は行われず、都市の旧城郭の外側に作られたゲットー(ghetto)という区画に押し込められた。

ゲットー

 歴史の皮肉ながら、このゲットー中から後に「宮廷ユダヤ人(Hofjuden、ホフユーデン)」と呼ばれる事実上の宮廷の財務官、財務大臣が生まれ、三十年戦争以降のヨーロッパの命運を握るようになってしまうのだ。

 なぜ地位の低いユダヤ人が、そこまでの力を持つようになったのか。ユダヤ人は商工業が禁じられていたために、「高利貸し」や「治金業者(ゴールドスミス、シュミット)」という業種しかできなかった。「お金の扱いの上手かったユダヤ人は、最終的に一国に支配者(領主、諸侯、皇帝そしてローマ教皇)に対する債権保持者となった」、一般的にはそのように言われている。

 本書でアーサー・ケストラーは、この近代を揺るがすこととなった「アシュケナージ」といわれる人々、とくにシオニズム運動からイスラエルの建国に至る、現代のユダヤ人達の大半は、実は、コーカサス地域出身のカザール人であると述べている。

 重要なのは、本書は「東欧のユダヤ人は、十字軍以降東へ向かったユダヤ人の子孫である、アシュケナージとはラインラントを中心としたドイツ系ユダヤ人である」という、これまでの通説を一蹴した論文でもある。

 現代のイスラエルの大半は、一九世紀から二〇世紀初頭にかけて、東欧・ロシアから移住してきたユダヤ人であるので、シオニスト運動に起因する現代のイスラエル国民は、聖書の民とはほぼ関係のない「偽ユダヤ人」である、ということにもなる。

(転載貼り付け開始)

「三交社ウェッブサイト」より http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/102-7.html

アーサー・ケストラー著 宇野正美訳
ユダヤ人とは誰か 
第十三支族 カザール王国の謎
ISBN4-87919-102-7 C1022
本体 1,922円(税別)  四六判上製 320頁
選定図書: 日本図書館協会選定図書

  原書タイトル:
The Thirteenth Tribe
The Khazar Empire and its Heritage
by Arther Koestler

(転載貼り付け終わり)

●ユダヤ人は西ヨーロッパから東に渡った証拠はない―移住ルートは常に東から西である

 本書のハイライトは、第六章「カザール・ユダヤ人と『真のユダヤ人』」である。ここで筆者は、西ヨーロッパのユダヤ人がライン川から、東側の地域、さらにその向こうのポーランドに渡ったというこれまでの通説を、人口の記録から否定している。

 西ヨーロッパのユダヤ人とは、フランスとドイツにまたがるラインラント地域のユダヤ人である。ラインラントとは河口を現在のオランダに持ち、現在のドイツ・フランス国境から少しドイツ側に入った地域から、フランス側領土に上流へと遡るライン川沿岸地域のことである(現在の区分でいえば、オランダ、ウエストファーレン(ウェストファリア)州、ヘッセン州、ラインラント・プファルツ州、アルザス地方のこと)。

西ヨーロッパの地図

 この地域には、古くからユダヤ人の共同体があったと言われる都市が集中している。ライン川の北から、ケルン、マインツ(ここからライン川支流のマイン河に沿って、西に一〇キロほどのところがフランクフルトである)、ヴォルムス、シュパイヤー、ストラスブール(ドイツ語でシュトラスブルグ)などである。

ドイツの地図

 特にマインツ、ヴォルムス、シュパイヤーがラインラント、つまりドイツ・ユダヤ人の集住地域である。

 これらの都市は、ローマ帝国時代の植民都市に起源を持っている。ユダヤ人はすでに紀元前のバビロン捕囚以降までには、地中海沿岸地域、すなわち小アジアからシリア、パレスチナ、エジプトに散らばっており、かなり大きなユダヤ人社会が存在していた。

 しかし、ラインラントのユダヤ・コミュニティーは、このローマ帝国の植民都市に由来を持つ地域であるから、少なくとも今のところ、ローマ時代以降に起源を持つものであるといえる。

 このラインラントから西のフランスでは九世紀以降、北のノルマンディーから南のプロバンス、地中海にいたるまでユダヤ人コミュニティーが存在した記録があるという。このノルマンディーから、一〇六六年征服王ウイリアムについてイギリスに渡った一団も存在した。

 これまでの見解では、一一世紀以降に十字軍から始まった、一連のユダヤ人迫害・虐殺事件が引き金となって、ユダヤ人が東欧に移動したということが言われていた。この常識は、ケストラーによって打ち破られてしまう。

 ケストラーは次の事実を挙げている。一〇世紀に、カスピ海から黒海にかけて存在したカザール王国が消滅したのと時を同じくして、その北西地域へ「ディアスポラ開始以来、未曾有の高密度でのユダヤ人の出現」(二四〇ページ)が確認されているとし、「カザール国からの移住民が、ポーランド内のユダヤ人口の増大に貢献した」(二四〇ページ)ということが、歴史学者の一致した見解であるとしている。

 これまでは「カザールの歴史については、ほとんど何も知られていなかったため、東ヨーロッパにどこからともなく出現した多数のユダヤ人の出所が(カザールの)他には考えられず、つじつまの合いそうな(ドイツからの移動という)仮説をでっち上げていた(二四八ページ)」ということなのである。

 この仮説の検証としてケストラーは、ラインラントとイングランドに渡ったユダヤ人の追放・虐殺時の人口の、圧倒的少なさを上げている。

 まずイングランドである。ここでは一二九〇年に、エドワード一世によって「ユダヤ令」が出されて、ユダヤ人は完全追放になるのだが、この時までのイングランドでのユダヤ人人口は、二五〇〇人を越えることがなかったという(二四二ページ)。これは、驚くべき少なさである。

 このユダヤ人の立場というのが非常に面白い。そのことをケストラーは、歴史学者バロンを引用して述べている。

(引用開始)

 彼らはイギリスでは「王室御用達高利貸し」という身分に遇せられた。その主な仕事というのは、政治経済の投機事業に資金を貸しつけることであった。この高利貸し達は、高利によって莫大な富を築いた後は、王室の利益のためにいろいろな形で、その富を吐き出させられた。彼らは完全な王室の庇護の下に置かれ、その裕福な生活はかなり長い間続いた。

 その豪華な住居や衣服、強大な発言力などに隠されて、彼らの置かれている危険極まりない状況には誰も気付かなかった。しかしその間にも、各階層に渡る負債者達の憤りは、少しずつ蓄積されていたのであった。

 やがて不満のつぶやきは極限に達し、まず一一八九~九〇年の暴動が起き、一二九〇年には、とうとうユダヤ人は国外追放とされてしまった。

 この二〇〇年余りの間のイギリス・ユダヤ人の隆盛のごとき登場、そして急激な衰亡は、一〇~一五世紀の全西ヨーロッパのユダヤ人の運命を鮮やかに描き出している。(二四一~二四二ページ、ケストラーによるバロンの引用)

(引用終わり)

 このバロンという人は、ユダヤの歴史の権威なのであろう。さまざまなユダヤ史の本に引用されているし、「エンサイクロペディア・ブリタニカ」の「ジューダイズム」の章のビブリオグラフィー(参考文献一覧)にも、最初に挙がっている。

 ユダヤ人は、その「数の少なさとは不釣り合いに大きな、ユダヤ人の社会的経済的影響力(二四二ページ)」を持っていたのである。

 もともとは非ユダヤ人の商人階級の勃興ゆえに、高利貸ししか出来なくなったのであるが、この「王室御用達高利貸し」というのは、支配者(君主、王、領主)に、徴税権を持つが故に、彼らにしか借りることの出来ない高利で貸すことによって、最終的には徴税権までも奪い取ることが出来たという、これは実は現在でも変わらぬ真実なのだが、相当に旨みのある商売なのである。

 この状況は西ヨーロッパ(イギリス・フランス・ドイツ)共通のものであった。これは当時、ユダヤ人人口が爆発していた、建国されたばかりのポーランドの状況とは相当異なっていたのである。

 しかも、ポーランドのユダヤ人は宮廷に使える身分ではなく、下層中産階級に属しており、熟練工や馬車やなどを営む庶民の中に根を張っていた。

 いずれにせよ、このイングランドのユダヤ人が、集団として東ヨーロッパに移動したとしても、ほとんど影響のない勢力だったのである。イングランドからの難民は、対岸のフランスに移動したようである。

 フランスでは、一三世紀にやはりラインラント地方に、初めてユダヤ人定住の記録が見つかる。彼らもまた、一三〇六年にフィリップ四世の極秘法案によって、フィリップの版図外に追い出される。この時脱出した先はプロバンス、ブルゴーニュ、アキテーヌなどであり、フランスからポーランドはおろか、ドイツにすら渡ったという記録はないという。

(引用開始)

 「フランス・ユダヤ民族が、まさに崩壊の危機に瀕していたこの時代にも、ドイツのユダヤ人人口がフランスからの流入によって、その数を増したという記録は、まったく残されていない。」とミエセスはのべている。(二五〇ページ)

(引用終わり)

 この後フランスは、一七世紀まで事実上のユーデンライン(judenrein)、つまりユダヤ人の存在しない地域であったわけである。(一七世紀は、スペインから逃れてきたセファラディムと、アルザス併合によるドイツからのユダヤ人の流入があっただけである。)

 最後のドイツ・ラインラントであるが、最も東であり、東欧系ユダヤ人アシュケナージがドイツ系といわれているし、十字軍のユダヤ人虐殺が行われたところでもあるので、最もユダヤ人難民が発生した可能性があるという点で、一番重要である(二四四ページから)。

ラインラントの地図

 ラインラントのユダヤ人は、一〇世紀頃にはいたという記録がある。これはローマ時代に、イタリアのルッカから移動したらしい。一二世紀のユダヤ人旅行家ツデラのベンヤミンの記録によれば「これらの地域(ラインラント)には、多くのイスラエル人がおり」とあるが、ケストラーはこの「多くの」という、何様にも解釈の出来うる「数のあいまいな表現」に注目し、「実はかなり少ない数であったようである」という仮説を、二つの事実によって証明している。

 一つ目は、ラインラントの都市といっても、「多くの」ユダヤ人が本当に住んでいた可能性があったのは、せいぜい二つか三つあるかどうかという程度だったということである。

 ユダヤ人が住んでいた可能性のあるラインラントの都市とは、フランス側ではトレブ、メス、ストラスブール、ドイツ側は南からシュパイヤー、ヴォルムス、マインツ、ケルンのことである。

 このマインツに十世紀から一一世紀にかけて、ゲルショム・ベン・ユダ(Gershom Ben Judah)というラビがいて、一夫多妻制の禁止を含む布告を出した。

 この布告の追加条項に、緊急の際にはどの条項も「ブルゴーニュ、ノルマンディー、フランス、およびマインツ、シュパイヤー、ヴォルムスから選ばれた一〇〇人会議によって、取り消すことが出来る(二四五ページ)」とされている。

●「ドイツのユダヤ人」とはヴォルムス、シュパイヤー、マインツの三都市だけ

 注意して欲しいのは、この文言のなかで触れられている都市は、マインツ、シュパイヤー、ヴォルムスであって、ブルゴーニュ、ノルマンディーは都市の名ではなく、広範な地域に広がる地方だということである。

 フランスの地方であるわけだから、その人口に対するユダヤ人の比率は、ごく少ないということなのである。しかも、先にのべたように、フランスから東ヨーロッパに渡ったという記録は残されていない。

 他の教会の記録も、ヴォルムス、シュパイヤー、マインツの三都市だけしか挙げられていない。それらのことからケストラーは、「一一世紀のラインラントでは、この三都市以外のユダヤ人コミュニティーは、まだ取るに足らない程度の存在であった(二四六ページ)」とひとまず結論づけている。

 この三つの都市だけが、ユダヤ人コミュニティーと言えるほどに、まとまった人口が確認出来るところだったということなのである。それ以外の都市は、たとえユダヤ人が住んでいたとしても、地域の全人口に対して、「存在している」と言い切れる数ではなかったのだ。こうして、ケストラーはユダヤ人居住地のドイツの三都市以外の可能性を切り捨てていく。

●しかもその人口は二四〇〇人だけ

 次にこの三つの都市における総人口が、いったいどれくらいのものであったか、ということがある。この証明のためにケストラーは、十字軍による死傷者数を挙げている。

 第一回十字軍は、一〇九六年に始まって、ライン川を南から北上していった。アブラム・レオン・ザハルの『ユダヤ人の歴史』によれば、フランス側のストラスブールでは、ユダヤ人への襲撃は全く報告されていない。

 同書によれば、その後ドイツ側三つの都市の、一番南にあるシュパイヤーでは、キリスト教の司教が司教館にユダヤ人をかくまうなどしたため、十字軍側にとっての成果はなかったようである。

 十字軍は、ライン川をさらに北上してヴォルムスにたどり着いた。「改宗か死か」という選択を迫られたヴォルムスのユダヤ人側からは、集団ヒステリーが起こり、多くの集団自殺、殉教が起こってしまう。

 この時の総数は、他殺を含めて約八〇〇人であったという。次の都市マインツでも同じようなことが起こった。結果、死者は九〇〇人から一三〇〇人であったらしい。(二四七ページ)

 ケストラーは、再びバロンを引用して「この両都市でのユダヤ人総数は、死者だけの人数とされている数より、さほど多かったとは考えられない」と述べ(二四七ページ)、次のような結論を下している。

(引用開始)

 ということは、ヴォルムスとマインツで生き残ったユダヤ人の数は、それぞれせいぜい二〇〇~三〇〇人程度にすぎなかったはずである。それにもかかわらず、この二つの都市(及び三番目としてシュパイヤーが挙げられるが)のみが、先のラビ、ゲルショムの布告の中で言及されるに値する大きさだったのである。(二四七ページ)

(引用終わり)

 この二つの証明からまとめて結論づけられるのは、次の通りである。

(一)ユダヤ人の大きな人口密集地域は、ヴォルムス、マインツ、シュパイヤーにしかなかった。

(二)この地域のユダヤ人の総数は、最大に見積もっても二四〇〇人しかいなかった。つまり、ラインラントには、十字軍による「大量殺戮」と集団自殺の前ですら、ユダヤ人は三〇〇〇人もいなかった、ということになる。

(三)この時に、ユダヤ人が東ヨーロッパへ逃れていったという可能性に対してもケストラーは、シモン・デュブノブという「十字軍難民説」を支持する学者を引用して、否定している。

(引用開始)

 「ユダヤ史にとって非常に重要な意味を持つ、この(東ヨーロッパへの)移動の状況に関し、詳しい記録は一切残されていない」(二四八ページ)

(引用終わり)

 さらに、ケストラーは、東ヨーロッパ・ユダヤ人の起源を説く第二の鍵だと長らくいわれていた「黒死病(Black Death)」すなわち、ペスト被害による大量脱出も、クッチェラという人を引用して反証している。

●ペストの流行もユダヤ人とは関係ない

 黒死病は、一四世紀半ばに、タタール人(モンゴル人)の攻撃によってもたらされたものとされている。一四四八年から一四五〇年の三年間に、ヨーロッパ人口の三分の一から四分の三を消し去ったと言われている。

 ヨーロッパの人口減が元に戻ったのは、一六世紀になってからだという。ラインラントのユダヤ人にいたっては、ただでさえ数の少なかった上に、ペストを撒き散らしたり、井戸に毒を撒いたりしたという流言飛語にさらされたため、ペストを生き延びても虐殺され、生き残ったのはほんのわずかだったということになる。

(引用開始)

 民衆は、運命から受けた打撃の恨みを、ユダヤ人を―疫病から逃れたユダヤ人に、火と剣をを持って―撃つことによってはらしたのである。

 最近の歴史学者の研究によると、ペストが去った後のドイツには、ユダヤ人は事実上一人も残っていなかった、と言ってよいほどの状態だったらしい。

 今我々が結論として言えることは、ドイツではユダヤ民族は歴史上一度も富み栄えることが出来なかったし、大きなコミュニティーを築き上げることも出来なかったということである。

 このような状況下にあったドイツのユダヤ人コミュニティーが、現在(一九〇九年)ドイツ・ユダヤ人の一〇倍の人口を持つ、ポーランド・ユダヤ人の基盤を作ることが、果たして可能であったのだろうか

 東ヨーロッパのユダヤ人の祖先が、西ヨーロッパ、特にドイツからの移住民であったとする説が、これまで一般に受け入れられてきたという事実は、なんとも理解しがたいと言わねばなるまい。

(引用終わり)

 十字軍の後、ドイツのユダヤ人の人口は多くても三〇〇人。その後、黒死病による被害と迫害で生き残った者の数は、微々たるものであったろう。少なくともポーランドを初めとして、ハンガリー・ロシア・ウクライナという広範囲に、かなりの人口密度をもって散らばっていた、東欧ユダヤ・コミュニティー勢力図に貢献した、というに値する数ではありえないと言えるだろう。

 ケストラーによれば、この黒死病によるユダヤ人の出ドイツ仮説を裏付ける証拠は、皆無である。そしてこの時のユダヤ人の生き残りの道は、ドイツの脱出ではなく団結して砦に立てこもったり、敵意の少ない地域にかくまってもらったりするしかなかった。

 この後のラインラントには、事実上ユダヤ人コミュニティーは消滅し、以後二〇〇年間、スペインを除く西ヨーロッパ全域は「ユダヤ人に汚されていない土地(ユーデンライン)」であったという。

(著者注記: 一六、一七世紀にオランダの方から入ってきたユダヤ人はセファラディムで、スペイン系であり、系統の違うユダヤ人である。)

 ケストラーは、居住都市、人口、資料という観点から、一五世紀頃、ユダヤ人が東ヨーロッパに移動し、ポーランド建国の基盤になったという勢力も、移動の証拠もない、という結論に達している。

 アシュケナージというのは、人口移動の点からはドイツ・ラインラント系ではないということになる。現在のアシュケナージと言われている人々は、ドイツとは何の関係もないということとなる。

●アシュケナージ達の作り出したイディッシュ語は、ドイツ語とは何の関係もない。

 次に言語の面で、ケストラーは自分の仮説を論証していく。一般にスペイン系のセファラディーは、スペイン語とヘブライ語の混成語といわれる「ラディノ語(Ladino)」を使うと言われている。これに対し、アシュケナージは、ドイツ語とヘブライ語のあいの子である「イディッシュ語(Yiddish)を作り出したと言われている。

 二六一ページの解説によれば、イディッシュ語とはユダヤ教の礼拝に使われる言葉で、ホロコースト以前は日常の話し言葉であったようだ。現在では、(当時の)ソ連とアメリカの伝統主義者の間で話されているだけだという。

 イディッシュ語はヘブライ文字を使ってかかれ、中世ドイツ語以外にスラブ語や、それ以外の言語が入って作られたものであると言われているが、ケストラーはここでドイツ語の借用が、本当に多いのかどうかという疑問を提示し、仮説の証明を行なう。

 まずは「どこの地方のドイツ方言が、語彙の中に入っているのか」という点である。ケストラーはここでミエゼスの引用を行なっている。ミエゼスは、それまで軽視されていたイディッシュ語を学問的に検証し、「語彙、音声、統語法を、中世の主なドイツ語方言のいくつかと比較研究した(二六二ページ)」人物である。

(引用開始)

 フランスと国境を接する地域のドイツからの言語要素は、イディッシュ語にはまったく見られない。J・A・バラスがまとめたモーゼル-フランコニア語起源の語彙リストからは、ただの一語もイディッシュ語に入っていないのである。

 もう少し西部ドイツの中心に近い、フランクフルト周辺の言語も、イディッシュ語に入らなかった。つまり、イディッシュ語の起源に関する限り、西部ドイツは除外されてよい

 では、ドイツ・ユダヤ人は昔々、フランスからライン川を渡ってドイツへ移住してきたという定説が、間違っていたということなのだろうか?然り。ドイツ・ユダヤ人―アシュケナージ―の歴史は、書き直されなくてはならない。

 歴史の間違いは、しばしば言語学の研究によって訂正されるものである。アシュケナージはかつて、フランスから移住してきたとするこれまでの定説も、訂正を待つ歴史の誤謬の一つである。(二六二ページ)

(引用終わり)

 フランコニアというのはフランスのことであるから、ラインラントのユダヤ人がフランスからドイツに移住してきたという説は、言語の見地からは否定できる、ということである。これはライン川よりも西側の地域のことであろう。

 さらに、ライン川の東側をもっと行った地域、フランクフルトとは、ライン川の東側支流であるマイン側沿岸にある、中部に近いところである。ここにもイディッシュ語の語彙は見当たらないという。(フランクフルトとは正式名称を「フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main、マイン河畔のフランクフルト)」という。)

 ということは、フランスからドイツ中部あたり、つまり旧フランク王国の版図には、もとからユダヤ人はいなかったし、通説のようにユダヤ人がライン川を渡って、東に移動したということはないのだ、ということの言語学的証明である。

 ではイディッシュ語に含まれているドイツ語は、一体何なのだという事になる。ミエセスによればそれは実は「東中部ドイツ方言」なのであるという。

(引用開始)

 ミエセスは、イディッシュ語に最も大きな影響を与えたのは、いわゆる「東ドイツ方言」であると指摘している。この方言は、一五世紀頃まで、オーストリアのアルプス地方および、バイエルン地方で使われていたものである。つまり、イディッシュ語に入ったドイツ語は、東ヨーロッパのスラブ・ベルト地帯に接する、東部ドイツのものだったのである。(二六三ページ)

(引用終わり)

 イディッシュ語のドイツ語は、西部ラインラントとは全く関係がなく、東部のスラブ系民族の言語と関連性がある。ということは、イディッシュ語は、東ヨーロッパ(おそらくはポーランド、チェコ=ボヘミア)で独自に発達した言語であり、西部からの大量の人口移動がなかったとしたら、ここに元々住んでいたユダヤ人独自の言語だった、ということになる。

 ポーランドを中心とする、東ヨーロッパに元々住んでいた「ユダヤ系民族」、少なくとも一〇世紀以降定住していた「ユダヤ人」とは、紛れもない「カザール・ユダヤ人」である。イディッシュ語は、カザール移民の生み出した言葉なのだ。これで言語学的に西ヨーロッパにユダヤ人が渡ったことは、証明出来ないことがわかったし、東西ユダヤ人の間には、何の関連性も見出せないということになるのだ。

 それでは、なぜ東ヨーロッパに、カスピ海沿岸コーカサス地方にいたはずのカザール人が住んでいたのか。それは、一〇世紀のポーランド建国に深く関係しているのである。そのためには、まずカザール王国の歴史を簡単に振り返り、カザール王国の崩壊と、それによって大量の住民達が、どこへ移動したのかを見てみなければならない。

(つづく)

http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun132.htmlより


by kabu_kachan | 2014-12-27 18:23 | ユダヤ | Comments(0)

偽ユダヤ人の証明

今の「ユダヤ人」が偽者であることを示す資料

以下のように、いくつもの資料がこのことを裏書きします。


ユダヤ年鑑

1980年度版における“ユダヤ人(Jew)という言葉の簡潔なる歴史”という項目は次のとおりである:

“そのことに関して厳密に言うならば、古代イスラエル人をユダヤ人と呼ぶこと、もしくは現代のユダヤ人をイスラエル人または、ヘブル人と呼ぶのは正しくない”(1980ユダヤ年鑑、3ページ)

すなわち、ユダヤ人の年鑑であるユダヤ年鑑が、「現代のユダヤ人をイスラエル人・・・と呼ぶのは、正しくない」ことを認めているのです。

もっとはっきり言えば、聖書で言うイスラエル人、すなわちアブラハム、イサク、ヤコブの血統の民族と現在のユダヤ人とは、民族的にも血縁的にも無関係であることを、このユダヤ年鑑は語っているのです。




Encyclopedia Americana(アメリカ百科事典1985)

“カザール人・・・7世紀から11世紀半ばにかけて、コーカサス山脈の北方のステップ地帯に巨大かつ強大な国家を統治した、いわゆる古代トルコ語を話す人々なのだが・・・8世紀にその政治的、宗教的指導者は、カザールの貴族社会の大多数を率いて異教を捨て、ユダヤ教に改宗した・・・(カザール人は、ロシアや東欧のほとんどのユダヤ人の先祖であると信じられている)”

すなわち、現在のロシアや東欧のほとんどのユダヤ人の先祖は、アブラハムでもイサクでもなく、逆にユダヤ教に改宗した白人系のカザール人種であることを権威あるEncyclopedia Americanaは、認めているのです。

(アメリカ百科事典)



Encyclopedia Britannica(ブリタニカ百科事典15th edition)

“カザール人・・・6世紀後半、現代のヨーロッパ=ロシアの南東部一帯に巨大な商業帝国を築き上げたトルコとイラン系部族の連合で、8世紀半ば、その支配階級は、彼らの宗教としてユダヤ教を受け入れた。”

権威あるブリタニカ百科辞典も、カザール人がユダヤ教を受け入れたことを語ります。アブラハムとは無縁の彼ら白人カザール人こそが、今のユダヤ人の先祖なのです。

(ブリタニカ百科事典)



The Jewish Encyclopedia(ユダヤ百科事典)

“カザール、セム系ではない、アジア系でもない、約1世紀に東欧に移住したモンゴル系部族国家で、拡大しつつあったロシアが、カザールの人口を吸収しようかというとき、7世紀に国家を挙げてユダヤ教に改宗し、よってそのことが、現在ロシア、ポーランド、リトアニア、ガラティア、ベッサラビア、ルーマニアなど東欧において、イディッシュを話すユダヤ人が多く存在する理由である。”

今の「ユダヤ人」の先祖であるカザール人がセム系でもなく、アジア系でもない、すなわちセム系であるアブラハムとは何の関係もない人種であることをユダヤ人の百科事典であるThe Jewish Encyclopediaが、認めているのです。

(ユダヤ百科事典)




さて、今度はユダヤ人自身の百科事典が、ユダヤ人はアブラハムとは無縁のアシュケナジー人種であることを認めている記事を見てみましょう。それは以下の通りです。


The Universal Jewish Encyclopedia(ユニバーサルユダヤ百科事典)

“ヘブル人の中でアシュケナジーのもっとも重要なポイントは、ドイツとドイツ人である。このことは、ドイツ人の元々の先祖の出身は古代メディヤ王国にあるという事実であって、メディヤは聖書のアシュケナジーであり、クラウスは、中世初期においてカザールは、時々アシュケナジーとして語られており、すべてのユダヤ人の約92パーセント、もしくはおおよそ1千450万人はアシュケナジーであるという学説がある。”

(ユニバーサルユダヤ百科事典)

上記のように、ユダヤ人の百科辞典でさえ、わざわざ、ほぼ、すべてのユダヤ人が(アブラハムとは無縁の)アシュケナジー人種に属することを書いています。

わざわざ百科事典に書くということは、それが無視できない、もしくは歴史上の変更することのできない事実であることを、彼ら自身が認めているからなのでしょう。さて、上記アシュケナジーとは、どのような民族かということは聖書に記載されています。

それは以下の通りです。

. ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次の通りである。洪水の後、彼らに子が生まれた。

. ヤペテの子孫はゴメル・・・

. ゴメルの子孫はアシュケナズ・・・

(創世記10:1-3)

今のユダヤ人の先祖であるアシュケナズ、すなわちアシュケナジーは、ヤペテ、すなわち白人系の人種であることを、上記節は明確に語ります。すなわち聖書は、アシュケナジー=ユダヤ(カザール)はアブラハムが属したセムの子孫ではないし、セム族でありえないということをはっきりと証明しているのです。

かくのごとく、多くの文書が彼らユダヤ人であると称する白人系の人々が、じつはアブラハムとは無縁のヤペテ系の人々であり、彼らの主張は嘘であることを証明しているのです。

ここでのとりあえずの結論は何かと言うと、この点、すなわち「偽ユダヤ人」が、まさに現代において存在する、という点において聖書の主張、黙示録の主張は正しかったということが確認できたということです。

https://www.youtube.com/watch?v=7Jz7xdf75tQ




by kabu_kachan | 2014-12-27 18:00 | ユダヤ | Comments(0)

泣く子も黙る「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC) 」

西岡昌紀2017/01/29「ミステリー講演会 アンネ・フランクはなぜ死んだか」1
https://www.youtube.com/watch?v=6GdDRTlPlkY

西岡昌紀氏『マルコポーロ廃刊事件と「出版の自由」弾圧の背景』ワールドフォーラム2004年11月
https://www.youtube.com/watch?v=RdvGUobdLKU

ユダヤ人虐殺を否定する人々1/3 1992
https://www.youtube.com/watch?v=-RSEEp2nUXU


<産経新聞>社長名でおわび掲載 ユダヤ系団体抗議受け

毎日新聞2014年12月6日(土)10:44

 産経新聞がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を「でっち上げ」などと記した書籍の紹介文を広告として掲載し、ユダヤ系団体から抗議を受けた問題で、産経新聞社は6日付の朝刊に経過説明と熊坂隆光社長名によるおわびの記事を出した。

 問題の広告は11月26日付の東海・北陸版に掲載され、「ネットジャーナリスト リチャード・コシミズがユダヤ独裁国家アメリカの謀略を暴く!!」と題して3冊の本を宣伝。これに対し、ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は4日付で、産経新聞の熊坂社長宛てに抗議文を送った。

 産経新聞によると、同センターは「これらの本はユダヤ人に対する危険極まりない虚言の流布」と指摘。広告を載せた産経新聞について「真実を追究するジャーナリズムの責任を売り飛ばした」と批判したという。

 おわび記事の中で、熊坂社長は「掲載に至る経緯は調査中だが、広告審査手続きに欠陥があったことは明らか。読者とユダヤコミュニティーの皆様に深くおわびいたします」などとコメントしている。【黒川晋史】




★「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」

http://kabukachan.exblog.jp/19132370/

日本に圧力をかけるシオニスト組織「SWC」

1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。
この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。
この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、更にその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。
また「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」は『マルコポーロ』への広告差し止めを呼びかけ、フィリップモリス、マイクロソフト、フォルクスワーゲン、三菱自動車などが広告出稿を拒否することになった。
結局、文藝春秋社側は一方的に謝罪し、『マルコポーロ』は廃刊となり、花田紀凱編集長は解任され、田中健五社長は辞任した。

この『マルコポーロ』廃刊事件で、サイモン・ヴィーゼンタールの名は、大きな衝撃をもって多くの日本人の心に刻まれることになった。

このサイモン・ヴィーゼンタールという男は、1908年、ガリチア(ウクライナ西部)生まれのユダヤ人である。

第二次世界大戦中多数の強制収容所を転々としているところを連合軍によって救出され、アメリカ軍の「戦略情報局(OSS)」の戦犯追及機関の情報員になり、オーストリアにおける戦犯捜索に協力したのだった。サイモン・ヴィーゼンタールや彼の妻の一族のうち、ナチスによって殺された人は89人にのぼったという。

1961年に連合軍による占領時代が終わると、サイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリアのウィーンに、「ナチ体制下のユダヤ人犠牲者連盟・記録センター」を設立した。この記録センターには、約2万2500名の元ナチスに関する情報が納められているという。

サイモン・ヴィーゼンタールの組織は、民間の情報収集機関のため、逮捕の権限はない。戦争犯罪人についての情報を収集し、犯罪の証拠を発掘し、関係当局にしかるべき情報を提供する活動に限られている。この組織の運営費は、全世界に散らばっているユダヤ人からの寄付によって賄われている。

1977年には、サイモン・ヴィーゼンタールの業績を称えて、アメリカのロサンゼルスに「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」が創設された。

このセンターは、ナチ戦犯の追跡調査ばかりでなく、「啓蒙組織」としての顔も持っている。

このセンターが運営する「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」は、非ユダヤ人を中心とする学生に、ナチスのユダヤ人迫害を理解してもらうためのガイド・コースが設けられていて、博物館を訪れた人々は、館内の資料や展示によって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように作られている。(毎年40万人以上の人が訪れるという)。

「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、トロント、パリ、エルサレムにもオフィスを開設している。

http://satehate.exblog.jp/7590315


「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が運営する
「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」=ホロコースト博物館

センターが運営するこの博物館は、1993年2月にロサンゼルスに設立された。館内は「マルチメディア資料室」 「公文書資料室」 「ホロコースト・セクション」の3つに分かれており、コンピュータを活用したマルチメディアや実際の展示品などによって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように作られている。年間40万人を超える来館者があるが、このうち約15万人は学校の授業で訪れる子供たちだという。




by kabu_kachan | 2014-12-06 15:40 | ユダヤ | Comments(0)

「ユダヤネットワーク」の存在

この問題に対する私なりの答えは「ユダヤ・ネットワーク」である。中世以来の欧州において、国際的なネットワークを持っていたのは、貿易決済の金融網を持っていたユダヤ人だけで、彼らは金融能力を生かして各国政府から資金調達を任され、各国政府の内部事情に通じていた。

▼ユダヤを重用したプロテスタント的イギリス

 ユダヤ・ネットワークといっても、関係していたのはユダヤ人の中のごくわずかの金融貿易業者だけだ。当時のユダヤ人の9割以上は、東欧、ロシアで主に農民(農奴)をしていた「アシュケナジー」(ドイツ系)と呼ばれる人々で、彼らはネットワークと関係なかった(9世紀のハザール汗国で改宗した人々)。商業ネットワークに入っていたのは、環地中海貿易圏の北アフリカ、南欧から西欧に広がっていった「スファラディ」(スペイン系)と呼ばれる、総数が数万人程度の少数派のユダヤ人で、彼らは西欧の多くの国で弾圧され、各都市の閉鎖居住区(ゲットー)に住みつつも、金融や貿易、財政運営の技能をかわれ、宮廷ユダヤ人として、各国政府にこっそり重用されていた。

 フランスやスペイン、オーストリアといった当時の欧州の有力国は、いずれもカトリック教徒の国で、ユダヤ人は「キリストをはりつけにした人々」として弾圧の対象だった。これに対しイギリスは16-17世紀の宗教改革、ピューリタン革命の流れの中で、プロテスタントが親近感を持つユダヤ教徒との政治的な親密さが増した。経済的にも、イギリスは貿易に力を入れたので、同じくプロテスタント・ユダヤ同盟体だった自由貿易のオランダ共和国との対抗もあり、イギリス中枢では積極的にユダヤ人が受け入れられた。

 イギリスのユダヤ人の中でも、特にロスチャイルド家は力があり、18世紀からイギリス・フランス・ドイツなどにネットワークを張っていた彼らは事実上、英政府の一部として機能し、19世紀のパックス・ブリタニカの成功に貢献した。産業革命後の欧州では、資本家にとって、欧州各国が戦争ばかりやっている状況(各国に戦費を貸し付けて儲ける策略)より、全欧的に政治の安定が続き、経済が発展して消費と工業化が拡大した方が儲けが大きかった。

 19世紀から現在まで、イギリスは世界最強の諜報技能を持っており、ほとんどこの技能だけで国を存続させている(経済の主力である金融も諜報技能が大事な業種であり、ユダヤ人の産業だ)。英のMI6(SIS)、米のCIA、イスラエルのモサドという世界3大諜報機関は、いずれも英諜報機関から派生した。米英イスラエルはいずれも、ユダヤ人の力で発展した国でもある。ソ連のKGBも強い諜報機関だったが、ロシアでは中世から経済がユダヤ人の担当だった(18世紀まで、モスクワでは「ジャーマンタウン」と呼ばれたゲットーのユダヤ商人が対欧州貿易を握っていた)。

 諜報機関の起源がユダヤ資本家のネットワークであるなら、彼らは政治謀略だけでなく、金融謀略を行う技能もあるはずだ。戦争や政変だけでなく、相場の暴落、急騰などの背後には、諜報機関が動いていると疑った方が良いことになる。

▼効率良い国家体制の試行錯誤

 イギリスが均衡戦略によって欧州の覇権国になれたことは、諜報と金融の国際的な「ネットワーク」を使って、イギリスが欧州大陸諸国の政治を外から操作できたことを意味する。イギリスに限らず「ネットワーク」を使いこなす勢力は、諸国の政治を操り、世界を間接支配できることになる。このような「ネットワーク」の存在を前提に考え直すと、国際政治は、常識的に考察されているものとは全く別の特徴を帯びる。まっとうな議論から排除されてきた陰謀論を視野に入れざるを得なくなる。

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▼アメリカの独立と産業革命

 1776年のアメリカ合衆国のイギリスからの独立と建国も、国際政治の実験として見ると興味深い。米が独立した時期は、産業革命が始まって英の工業生産が増え出し、米が英から産業革命の波及を抑制されて、英製品の市場の状態に甘んじるか、米自身が産業革命を行って工業化していくかという岐路であり、米は英から独立することで、英製品を売りつけられることを阻止し、独自の工業国になる道を進んだ。米に投資した資本家は、英からの独立を支援したはずである。

 この一件からは、資本家は親英の一枚岩などではなく、英が儲からない国家戦略に固執したら英を見捨てる存在だということがうかがえる。実際、19世紀末、英の経済力が陰り出すと、国際資本家の中心地はロンドンからニューヨークに移り、ニューヨークの資本家は覇権を英から米に移転させようとして、2度の大戦を誘発した。

 独立当時、アメリカの中心地はボストンだった。だがその後、米経済の中心はニューヨークになり、金融資本家の拠点はすべてニューヨークだ。なぜこうなったのか。その理由はおそらく、ニューヨークがかつて、ユダヤ資本家の戦略によって世界初の自由貿易として繁栄していたオランダの北米拠点「ニューアムステルダム」だったからだろう。ニューアムステルダム市のユダヤ人たちは、オランダが英に負けて同市が英領になってニューヨークと改名された後も同市に住み続け、米独立時にはユダヤ人の拠点となっていた。

スペイン・ポルトガルの覇権時代がピークを過ぎると、オランダのユダヤ商人たちはアムステルダムを「新エルサレム」と呼び慣わすまでの一大商業地に発展させ、後にはアメリカ大陸のマンハッタン地区を買い取って、「ニューアムステルダム」と名付けるまでに成長した。

ちなみに、買い取ったのはユダヤ資本が25%以上の株を占めていた「東インド会社」で、買い取られた地区「ニューアムステルダム」は後に「ニューヨーク」と名前が変わったが、現在ではユダヤ人(ジュー)が多いことから、「ジューヨーク」と皮肉られていることは有名である。

 
ボストン拠点のプロテスタントと、ニューヨーク拠点のユダヤ人は、宗教的にも聖書重視で親密性があり、米は独立時から、全欧的なユダヤネットワークの拡大された一部として機能していたと推測できる。しかし米中枢の人々は、独立直後から、英が形成していた均衡戦略には取り込まれず、独自の影響圏を形成する戦略を持っていた。その象徴が、1823年のモンロー宣言である。この宣言は「中南米はアメリカの影響圏なので、欧州諸国は中南米の政治に介入するな。その代わり米も欧州の政治に介入しない」という宣言である。


http://tanakanews.com/080829hegemon.htmより。


★国際情勢を考えるときに、日本の知識人の頭に思い浮かばないのが、この「ユダヤネットワーク」の存在である。


「ユダヤネットワーク」は、日本の歴史においては、幕末・明治のとき、日露戦争時、そして第二次世界大戦中にずっと存在してきた。

★坂本龍馬暗殺<幕末の政情>

http://kabukachan.exblog.jp/21000845/

第二次世界大戦後の新世界体制を構築する時もこの「ユダヤネットワーク」は大いに役に立った。

現在もこの「ユダヤネットワーク」は、メディアを使って世界中の人民をコントロールしている。


★「ユダヤネットワーク」を簡単に説明すると、日本人を排除した「世界のネットワーク網」ということである。日本人の知らないところで物事が決められている。
しかし、日本人からカネだけは取る。今回の「エボラ対策、新たに最大115億円支援の方針」のように。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASGC741LTGC7UTFK00B.html

言っておくが、この115億円は日本国民の税金である。

https://www.youtube.com/watch?v=Y1oUW3xzd1E



by kabu_kachan | 2014-11-08 14:35 | ユダヤ | Comments(2)

現代の「ロスチャイルド一族」

現在のアメリカに動く資産の大部分は、昔の大財閥から生まれ、政権とCIAの人脈も同じ大財閥に育てられた。これら当主は、大部分が第一線のビジネスマンから退き、遺産相続人として巨大な資産を有する投資家に変貌している事実を見てきた。

ところがこの広大な地球上に、たったひとつだけ、一族の直系相続人が多数、第一線のトップ・ビジネスマンとして活動を続ける大財閥ファミリーがある。それはアメリカに生まれた一族ではなく、ヨーロッパに誕生し、全世界の金融、石油、情報機関、原子力、軍事、政治、食品、メディアを支配するロスチャイルド家である。ナポレオンの時代から活躍してきた一族が、20世紀末のコンピューター時代にも現役で活動している姿には、驚くべきものがある。その役職や邸宅の一部を記すと以下の通りである。


◇イギリス家当主 ジェイコブ・ロスチャイルド男爵
1936年生まれ。80年以後のファイブ・アローズ証券会長。J・ロスチャイルド・ホールディングス社長。ロスチャイルド投資信託(RIT)キャピタル・パートナーズ会長として、ジョージ・ソロスらの金価格操作やヨーロッパ各国の企業買収、CIAレポートなどに暗躍。


◇アムシェル・ロスチャイルド〔ジェイコブの異母弟〕
1955年生まれ。世界一の酒造業者ギネス家の令嬢アニタ・ギネスと結婚し、ロンドン・ロスチャイルド銀行の資産運用会社ロスチャイルド・アセット・マネージメント会長として、世界貿易の背後で大掛かりな投資活動を展開していたが、96年7月8日に謎の自殺を遂げた。


◇エマ・ロスチャイルド〔ジェイコブの妹〕
1948年生まれ。ストックホルムのオロフ・パルメ記念財団理事。


◇エドマンド・ロスチャイルド〔ジェイコブの父ヴィクターの再従弟〕
1916年生まれ。ロンドン・ロスチャイルド銀行会長(70~75年)、重役(75年以後)として中心的に活動。タバコ会社のダンヒルとロスマンズのほか、アライアンス保険の重役をつとめ、ウラン・カルテルを形成したカナダ開発の中核として、ブリンコ副社長、ファイブ・アローズ証券の重役を歴任。イギリスのサウザンプトン近くにエドマンドの父ライオネル・ロスチャイルドが1919年に土地を買って22年かけて巨大な造園工事をおこない、エクスベリー・ガーデンと呼ばれる夢のような庭園をつくる。ライオネルは「趣味で銀行家をやっているが、本業は庭師だ」と語ったが、ヨーロッパ全土の力を集めても庭師の資産に勝てなかった。以来そこに、代々一族が受け継いできた邸宅エクスベリー・ハウスがあり、敷地が10万坪の広大な田園に、しばしばエリザベス女王も訪れる。森と湖ばかりか狩猟、乗馬、何でもできる天国。ここに10の館が聳えて、みな一族が住む。エドマンドの娘シャーロットは1955年生まれで、自称オペラ歌手だが、歌声はともかく、体格と資金は5代前の金融王として全ヨーロッパを支配したネイサン・ロスチャイルドそのままの女性。


◇レオポルド・ロスチャイルド〔エドマンドの弟〕
1927年生まれ。ロンドン・ロスチャイルド銀行重役、サン・アライランス保険重役のほか、70~83年にイングランド銀行理事を歴任して、サッチャー首相の経済政策について事実上の支配者となる。


◇イヴリン・ロスチャイルド〔エドマンドの従弟〕
1931年生まれ。99年現在ロンドン・ロスチャイルド銀行会長として、毎朝、全世界の金価格を決定。ニューコート・セキュリティーズ社長、デビアス重役、ファイブ・アローズ証券重役、パリ・ロスチャイルド銀行重役、金塊業者ジョンソン・マッセイ大株主、経済紙〝エコノミスト〟会長など、数多の金融機関と企業幹部を兼務。82年3月1日の国籍をスイスに移し、以後しばしばチューリッヒのロスチャイルド銀行が関与したと噂されるインサイダー取引き事件で疑惑が浮上。


◇フランス家当主 ギイ・ロスチャイルド男爵
1909年生まれ。戦時中はドゴールの密使をつとめたが、49年に父の死後パリ・ロスチャイルド銀行の資本金の半分を握って頭取就任。ニューヨーク・ロスチャイルド証券会長、メリル・リンチの中核細胞となったニューコート証券社長、日本に進出したファイヴ・アローズ証券会長、リオ・チント・ジンク重役を歴任して全世界のウラン・カルテルの頂点に立つ。フェリエールにある歴代の邸宅はギイの手で大改装され、敷地は地平線の彼方まで広がる領地で、農民600人が住む。18世紀ロココ調の邸内はクリスタル・ガラスと黄金の格子細工のシャンデリアのほか、至る所に宝石がちりばめられ、浴室の蛇口は純銀、金の象眼細工、ゴブラン織、鼈甲細工など財宝の山に囲まれる。
ギイの2人目の妻マリーエレーヌは、直系のロスチャイルド一族。彼女の祖母エレーヌ・ロスチャイルドは、あり余る資金を使って、オランダで最も有名なデ・ハール城をユトレヒト郊外に再建した。14世紀の古城を復元するその工事は1892年から1912年まで20年の歳月を費やし、アムステルダム中央駅や国立博物館を設計したオランダ随一の建築家ペトルス・コイペルスが指揮するなか、数百人の芸術家と職人が従事した。内部は建築というよりルイ王朝風の芸術品の宝庫で、絢爛豪華な大ホールの彫刻、柱と壁の文様、調度品、ステンドグラスなどに圧倒される。邸内の敷地には厩舎から教会、バラ園、乗馬コース、テニス・コート、レストランのほか、鹿が走り回り、運河まであるひとつの村。城内には発電機もあり、ギイの義弟にあたるハーヴァード大学出の現代当主ティエリーがそこに住む。


◇ダヴィッド・ロスチャイルド〔ギイの息子〕
1942年生まれ。92年以来ロンドン・ロスチャイルド銀行副会長。ロスチャイルド・ヨーロッパ社長、ロスチャイルド・カナダ会長、ジュネーヴのバンジャマン&エドモン・ロスチャイルド・ホールディング顧問など兼務。


◇バンジャマン・ロスチャイルド〔ギイの再従弟エドモンの息子〕
1963年生まれ。父エドモン・ロスチャイルドは、1926年生まれで97年に死去したが、パリ・ロスチャイルド家の数えきれぬ遺産を受け継ぎ、ナポレオン三世が愛人のために建てたパリのシャンゼリゼの大邸宅に住み、ミュージック・ホールのダンサーだった妻ナディーヌはしばしば来日して有名。デビアス重役のほか、ロスチャイルド財閥の持ち株会社である北部会社、世界一の観光会社である地中海クラブ、イスラエル・ジェネラル銀行、フランスのスーパーなど数多くの大会社で重役を兼ね、フランスの長者番付の常連だった。スイスのレマン湖のほとりにシャトーがあり、邸内はレンブラント、ゴヤ、ルーベンス、チェリーニなど美術品の宝庫で、フランスにも城のような邸宅があった。エドモン死後、息子のバンジャマンがこれら一切を相続し、デビアスの支配権も握る。ジュネーヴのバンジャマン&エドモン・ロスチャイルド銀行会長のほか、チューリッヒのロスチャイルド銀行重役をつとめる。


つまり彼らは、〝世界金融の総本山を成す財閥〟であって、〝シャトーに住んで150年前のワインをたしなむ男爵家の富豪〟であり、同時に、〝200年間も第一線のビジネスマン、ビジネスウーマン〟として驚異的な活動を続けてきた。ウォーバーグのようなユダヤ系の大金融業者でさえ、「ロスチャイルド家と共に事業をできることは生涯の夢であり、それが叶った時には狂喜したものだ」と述懐している。

金融帝国を築いた初代マイヤー・アムシェルの誕生250年を記念して、1994年2月23日、フランクフルトの墓地に一族70人ほどが集まり、一族の繁栄を祝した。
フランス革命直後の1790年代に、マイヤーがすでに豪商として財を成した時期から数えれば、200年の歳月が過ぎ去った。ヴァンダービルト財閥の2倍近い歳月が経ったことになり、この期間の投資と金利を計算すると、ウォール街の50年間の実績をあてはめただけで、当時の資産は現在までに600万倍に増大している。しかし金融界の胴元だった一家が、庶民と同じような利益率のコースを歩んだはずはなく、優に1億倍を超えているはずである。


ネイサン・ロスチャイルドは、1810年にロンドン証券取引所で金融王ベアリングと覇を争ってトップに立ち、以来数年間、イギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した4200万ポンドの資金の半分を彼が調達するまでに強大な権力者となった。同時期の1812年には、末弟ジェームズがパリに定住し、父マイヤー・アムシェルが68歳で死去した。この時、財閥の始祖と仰がれた彼が、「わが家の資産は一切公表しないこと」という遺訓を残したため、今日まで一家の資産がミステリーに包まれることになったのである。

敗戦国フランスがイギリス同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランに達し、1817~18年にこの支払いを公債として引き受けたのがジェームズ・ロスチャイルドで、彼は売却して得た金をヘッジファンドと同様に投機家の貸付けに流用しながら、年間50パーセントの利息をかせいだ。

1820年代に入ると、ほとんどの大国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、公債を発行して国が借金をつくっては、その2倍近い金をロスチャイルド商会に支払う取引きが横行した。2倍とは、利回り200パーセントである。
相争うイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの5ヶ国の対立構造のあいだを巧みに泳ぎ回り、プラスとマイナスの両者に投資して、必ずトータルでプラスにするという今日のヘッジファンドの手法で、利益を一手に独占したのである。1822年には、5人兄弟がハプスブルグ家のオーストリア皇帝から男爵位を授与され、当時のヨーロッパ諸国のすべてがロスチャイルド商会をあてにするようになり、ヨーロッパ全土の王室がロスチャイルド家に金を無心した。

こうした状況から、当時の資産は天文学的だったことが分る。5つのロスチャイルド商会の資産総額は1815年の333万フランが、3年後には4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランにふくれあがった。この額は自己資本だけの控えめな計算で、実際は1億6500万フランを超えていた。

このうちパリ・ロスチャイルド商会の推定資産3700万フランという金額は、とてつもなく大きかった。パリ第二位のラフィット銀行がようやく700万フラン、ヨーロッパの王者ナポレオンが設立した発券銀行であるフランス銀行でさえ資金6000万フランの時代だから、ロスチャイルド商会の総資産を1億6500万フランとすれば、フランス銀行三つ分近くの資金を持っていたことになる。

1830年にフランス7月革命でブルボン家が追放され、ネイサン・ロスチャイルドは1836年7月に58歳で死亡したが、フランクフルト・ロスチャイルド商会がアメリカに代表者としてオーガスト・ベルモントを派遣したのはその翌年のことで、彼がペリー提督の娘と結婚、その息子が元ヴァンダービルト夫人と結婚した。ネイサンの息子ライオネルの時代に、ロンドン・ロスチャイルド商会は18ヶ国の債券16億ポンドを取り扱ったが、1998年時価ほぼ10兆円にも達する金額であった。彼らはロシアに君臨した女帝エカテリーナ二世の後継者であるアレクサンドルと皇帝二コライの財政も支配し、パリの末弟ジェームズはフランスの8大鉄道で12の重役ポストを占めて鉄道王となり、彼が1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上、ないし4400万ポンドだったとされる。6億フランは、フランス国内の他のすべての金融業者の資産総額より1億5000万フラン多いと推定されているが、当時の純金に換算して174トンになる。4400万ポンドであればさらに多く、純金322トンになるが、当時の純金の価値は今日とは比較にならないものだったので、20世紀末のアメリカ中央銀行の保有金をはるかに超える価値の財産を個人が所有していたとは、信じられない事実である。


ロスチャイルド商会は、オーガスト・ベルモントの活躍でアメリカに広大な利権を広げ、ロンドン一族も国際的な事業に乗り出したが、1875年エジプトがスエズ運河の株を売りに出そうとしているのを知ったイギリスは、フランスに先手をうって急いで購入しようとしたが、イングランド銀行から金を出すには国会の承認が必要であった。ディズレリ首相はニューコートのライオネル・ロスチャイルドのもとに急使を飛ばし、「明日までに400万ポンドを貸してください」と頼んだ。ライオネルが「担保は」と尋ねると、「イギリス政府です」と使いが答えたので、「結構です」と言って、たちまちポンと400万ポンドを揃えて17万6000株を購入し、イギリスがスエズ運河の最大株主となった。

この伝説で重要なのは、ライオネルがこともなげに大金を貸したことではなく、400万ポンドの金額にある。大英帝国の歴史上、最大の富豪は、いまだ健在のヴィクトリア女王だったが、女帝の資産は最大でも500万ポンドと推定されていた。

これに対して、19世紀の100年間でロスチャイルド一族が得た富は、4億ポンド超えると推定されているのだ。ロスチャイルド家は、全員がヴィクトリア女王の何倍かを所有していたのである。4億ポンドは800億円になる。それから100年間の利回りで、黙っていても200兆円に増大していることは確実になる。時価の変化をまったく無視しても、である。


ひとつの事件が、1949年6月30日のパリ証券取引所に起こった。その日、何の理由もなく、リオ・チント・ジンク、ロイヤル・ダッチ・シェル、ル・ニッケル、デビアスという4大銘柄が、一斉に大暴落した。原因はギイ・ロスチャイルドの父エドゥアールが81歳で死去したことにあった。パリ・ロスチャイルド銀行の主だったエドゥアールとはいえ、この高齢で実業に関与しているはずもなく、無関係なはずだったが、彼の死去と株価は遺産相続人にとって重大な関係を持っていた。遺産にかかる相続税のうち、エドゥアールが保有していた株への課税は、死亡時の証券の時価によって算定されるからであった。4大銘柄はロスチャイルド株であり、一族が持ち株の価値を暴落させることによって、遺産相続にかかる税金が大幅に抑えられたのである。翌日には、一族が買い戻して株価はたちまち回復した。

以後、ロスチャイルド一族は現在の世代に継承され、さらに新しい屋敷と別荘を次々と建設してきた。1901年に閉鎖されたフランクフルト・ロスチャイルド銀行は、1989年ほぼ90年ぶりにオープンし、かつてのロスチャイルド邸の敷地に隣接して、ヨーロッパ中央銀行が建ち、99年1月1日に統一通貨ユーロ誕生の日を迎えたのである。

http://www.asyura2.com/0306/idletalk2/msg/981.htmlより



✡人工地震と日本のマスコミ

図12.東北地方太平洋沖地震と兵庫県南部地震の地震波形
(データ:防災科研K-NET(気仙沼)および気象庁(神戸))

これが⇧ 自然地震の地震波形であろうか?
1~2秒間のずれで、核爆弾による人工地震の地震波形が重なっているように見えないかね?

奴らは、人工地震を起こすのに、核爆弾を1個だけ使ったりはしない。1個だと地震波形でばれるからである。
奴らは必ず複数の核爆弾を使って、自然地震の地震波形のように見せかけるのである。
子供でもわかることに早く気が付けよ!
バカじゃないんだから!
それとも、日本人は子供並みのバカ集団か?
テレビが日本人をバカ集団にしているだけじゃないか。

何事も疑ってかかること。
懐疑こそ進歩の始まりである。

★人工地震をまだ知らない人へ

http://kabukachan.exblog.jp/21203034




by kabu_kachan | 2014-06-10 23:02 | ユダヤ | Comments(0)