カテゴリ:歴史( 67 )

「クリスマス」はイエス・キリストの誕生日ではない。

12月になると「クリスマス、クリスマス」と騒ぐ日本人諸君、
そもそも日本はキリスト教の国じゃないから騒ぐ必要がないのだが、
「クリスマス、クリスマス」と騒ぐことが世界の常識と思っているだろ。

そもそもイエス・キリストが12月に生まれたことを示す証拠はどこにもない。

もともと「クリスマス」というお祭りは実在しないんだぜw!

これは世界の常識だぜw!


聖書は,イエスがいつ生まれたかを述べていません。
それでも,12月に誕生したのではないと言える確かな根拠は示しています。
イエスはベツレヘムで生まれました。ベツレヘムにおける12月の気象状況を考えてみましょう。ユダヤ暦のキスレウの月(11月から12月にわたる期間)は,寒くて雨の多い時期でした。その翌月のテベト(12月から1月にわたる期間)は一年で最も気温が低く,高地では時々雪が降りました。では,その地域の気候について聖書が述べている事柄を調べてみましょう。

聖書筆者のエズラは,キスレウという月がまさに寒くて雨の多い気候で知られることを示しています。エズラは大勢の人たちが「第九の月[キスレウ],その月の二十日に」エルサレムに集まったことを述べてから,人々は「大雨のために震えていた」と伝えています。そこに集まった人々自身も一年のその時期の気象状況について,「大雨の季節ですから,外に立つことはできません」と述べました。(エズラ?10:9,13。エレミヤ?36:22)その地方に住む羊飼いたちも羊も,12月には戸外で夜を過ごさなかったであろうと考えられます。
しかし聖書によると,イエスが誕生した夜,羊飼いたちは野原で羊の番をしていました。実際,聖書筆者のルカは,その時に羊飼いたちがベツレヘム近くの「戸外に住んで,夜間に自分の群れの番をしていた」ことを示しています。(ルカ?2:8‐12)羊飼いたちが単に日中,屋外を歩いていたのではなく,実際に戸外で生活していたことに注目してください。羊飼いたちは夜間にも羊たちを野原に放しておいたのです。羊飼いが戸外で生活していたというこの記述は,冷たくて雨の多い12月のベツレヘムの気象状況に適合するでしょうか。適合しません。ですから,イエスの誕生に関する状況は,イエスが12月に生まれたのではないことを示しています。

神の言葉は,イエスが死んだ時については非常に正確に述べていますが,生まれた時を直接に示すものはほとんどありません。このことは「名は良い油に,死ぬ日は生まれる日に勝る」というソロモン王の言葉を思い起こさせます。(伝道の書?7:1)ですから,聖書がイエスの宣教と死について詳細な点を多く伝えているのに,イエスの誕生の時についてはほとんど記していないのも驚くべきことではありません。

【12月25日に生まれたのでなければ,イエスは一体いつ生まれたのか】と尋ねる人がいるかもしれません。マタイ 26章,27章からすると,イエスが亡くなったのはユダヤ人の過ぎ越しのときだということが分かります。それは,西暦33年4月1日に始まりました。さらに,ルカ 3章21節から23節によると,イエスが宣教を始めたのはおよそ30歳のときです。地上での宣教は3年半続いたので,イエスはおよそ33歳半で亡くなりました。キリストはその6か月後,つまり10月1日ごろには満34歳になっていたはずです。それでイエスの誕生日を逆算すると,12月25日や1月6日ではなく,西暦前2年10月1日ごろという結論が出てきます。


True Meaning of Christmas... What Are You Really Celebrating??? {Documentary on its Pagan Origins}
https://www.youtube.com/watch?v=mUgNZ0iyRo0


The REAL origins of CHRISTMAS: exposed!!
https://www.youtube.com/watch?v=ntJYhb2hZqg


CHRISTMAS AND ITS PAGAN ROOTS
https://www.youtube.com/watch?v=O9h5humhhzw


THE TRUTH about CHRISTMAS & EASTER - Jim Staley (Full)
https://www.youtube.com/watch?v=XAwkb2AcoO4


Is Christmas A Pagan Holiday? Ex Witch Speaks Out
https://www.youtube.com/watch?v=voTiz8ykDaI


Testimony Of An Ex Witch Transformed By Jesus!
https://www.youtube.com/watch?v=wqx8JKyJeDI


EXPOSED How Satan infiltrated Christianity with CHRISTMAS {Full Documentary} YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bjfXBsES-gI


Why was Christmas banned in America until 1820
https://www.youtube.com/watch?v=0lzVZ1lWu-w


Shocking But True- "Is Christmas Christian?"
https://www.youtube.com/watch?v=y-_v6whv3PM


The Truth About Christmas
https://www.youtube.com/watch?v=UgNQ5W2pex4


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by kabu_kachan | 2016-12-02 03:08 | 歴史 | Comments(0)

日本人よ、ケント・ギルバート氏に歴史を学べ!

ケント・ギルバート氏は日本人以上に歴史を知っているぜw。


【日いづる国より】ケント・ギルバート、政治家とマスメディアが闘う時代[桜H29/1/20]
https://www.youtube.com/watch?v=jjdqAFZtuOc

【日いづる国より】ケント・ギルバート、米国人も恥ずかしい東京裁判と慰安婦像[桜H29/1/27]
https://www.youtube.com/watch?v=-7j3weNWtqk

ケント・ギルバート:外国人だから言える日本のスゴさ Vol.1(インタビュワー:ロイス・クルーガー)
https://www.youtube.com/watch?v=t_pQrJhJYH0

【櫻井よしこ×ケント・ギルバート】日本について熱弁!江戸時代からの大国!素晴らしき国、そして人、これが日本!
https://www.youtube.com/watch?v=zCRrWJD6dxE

【櫻井よしこ×ケントギルバート】なぜ日本人は自国の素晴らしさに気づかない?
https://www.youtube.com/watch?v=jln3DNKx1j4

(Official) Who Are the Revisionists? Check the Facts (Kent Gilbert)
https://www.youtube.com/watch?v=qwumVaUQi2M

(Official) Anti Japanese Activists Risk Violating the Civil Rights Act (Kent Gilbert )
https://www.youtube.com/watch?v=6IKBG279sJk

【公式】Japanese Still Brainwashed by the War Guilt Information Program【ケントギルバート】
https://www.youtube.com/watch?v=fpmFSn2d5x4&list=PLglPdV6wZ1n6FedmBFzhd2uMyrOixB86j&index=210

(Official) Anti Japanese Activists Risk Violating the Civil Rights Act (Kent Gilbert )
https://www.youtube.com/watch?v=6IKBG279sJk

Revisionism of Japan's Textbooks | Tokyo on Fire
https://www.youtube.com/watch?v=VvXs5hYamGw

Revising Japan’s Constitution | Tokyo on Fire
https://www.youtube.com/watch?v=4EjuTWxFeJs

Tokyo 2020 Olympics | Tokyo on Fire
https://www.youtube.com/watch?v=f-ebH1QeSt0

2017​ ​Lower​ ​House​ ​Election​ ​Update​ | Tokyo on Fire
https://www.youtube.com/watch?v=goebPSfQjpA

End of the Abe era? | Tokyo on Fire
https://www.youtube.com/watch?v=uBMN54HiVeQ


★ケント・ギルバート氏講演『陰謀のレールに乗せられた日米開戦への道のり』2016.2.21〈歴史・公民〉東京塾#3
https://www.youtube.com/watch?v=0h4ZtiOEV4s


欧米の世界植民地時代に、有色人種の国の日本とタイとトルコが独立国であったと言ってますね。

ここで英語の苦手な諸君に安心することを教えて上げよう。

日本語とトルコ語は文法構造は同じなんですよ。言語学的には、どちらもウラル・アルタイ語族に属する。だから日本人がトルコ人に話すときに日本語を話すような感覚で単語を並べるだけで意味が通じるのである。すなわち言語の語順が同じと言うことです。
ところが日本語と英語は文法においても発音においても、まったく正反対の言語なんですよ。日本語の発音は世界の言語の中でいちばん単純で、英語の発音はいちばん複雑なのである。すなわち、日本語と英語は世の中の次元が違うほど音の世界が異なるのである。

だから日本人の耳には、英語は宇宙人が話している言葉のように聞こえるんですよ。日本人にとって英語の世界は異次元の世界なのである。(日本人にはこの認識が欠けている。)

宇宙人の言葉のように聞こえない諸君、君たちはアメリカ育ちか、アメリカで長年暮らしたかであろう。羨ましい限りだ。言っておくが、私はアメリカへ行ったことがないんですよ。
すなわち、日本人にとって英語は
「悪魔の言語」(devil's tongue) である。

 ☟
★英語は難しい
http://kabukachan.exblog.jp/24620492/


★「英語と日本語の違い」について
http://kabukachan.exblog.jp/25369502


★英語が「世界共通語」になることの意味
http://kabukachan.exblog.jp/23985697/


★「国際共通語としての英語」の意味
http://kabukachan.exblog.jp/25050857/



★ケント=ギルバート×藤岡信勝「『南京事件』が教科書から消えた!」2015 06 14
https://www.youtube.com/watch?v=l3hdCmgnjUo


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった![桜H27/8/21]
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M



(☝ pursuit of happiness って聞き取れましたか?)

【ケント・ギルバート】日本人の洗脳はなぜ?深いのか?
https://www.youtube.com/watch?v=X75ZpUwNfvg

櫻井よしこ、ケントギルバート 素晴らしき国、そして人、それが日本!
https://www.youtube.com/watch?v=gsc5LiI97vM

カラー映像で見る、沖縄戦
https://www.youtube.com/watch?v=lwWsnyO0sGQ


【ケントギルバート】硫黄島の真実!!アメリカ人は硫黄島の戦いで日本人の本当の恐ろしさを知った!!
https://www.youtube.com/watch?v=4aWRsRreWsg

   ☟
★実録 硫黄島玉砕
https://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY

★【実録映像】硫黄島の戦 い、日本の激烈抵抗(涙なしには見られない)
https://www.youtube.com/watch?v=G-Ugm-hsbF8


【3S政策・日本人洗脳白痴化計画】『新・霊界物語 十九話』
https://www.youtube.com/watch?v=w30RSuafR1M


★なぜ日本人は、 大東亜戦争(太平洋戦争、第二次世界大戦)を戦ったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=SuANLbviDFw


★大東亜戦争(太平洋戦争)とは何だったのか?
http://kabukachan.exblog.jp/24554821/



★「コロンブスのアメリカ大陸発見」の意味
http://kabukachan.exblog.jp/25106055/



へたな日本人の歴史学者や学校の先生から学んではいけない。

間違った歴史観は、その人の一生を左右する。

ただし、ケント・ギルバート氏の歴史観には「ユダヤの視点」が欠けている。

これは小林よしのり氏の歴史観にも当てはまる。

    ☟
「ロシア系ユダヤ人のアメリカ移住」の研究論文(3)
http://kabukachan.exblog.jp/25800918/

ロスチャイルドの歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25345027/

ユダヤ人の視点を入れると闇はもっと深くなる。フランス革命以後の戦争は、ロスチャイルドによって引き起こされる。フランス革命で王室を破壊、共産主義で民族の伝統を破壊、グローバリズムで国境を破壊。すべてユダヤ人が望んできたこと。マルクスもノーベルもFRBの議長もみんなユダヤ人。彼らは世界のメディアを支配し、NWOへと誘導。NWOでは、今の73億人から5億人にするという。明治維新はロスチャイルドの手先のトーマス・グラバーが主導。坂本竜馬や長州ファイブが操られる。日本の歴史と伝統の素晴らしさを取り戻すには命がけの覚悟が必要。


すなわち、ロスチャイルド=ユダヤ=カール・マルクス=共産主義=コミンテルン=ルーズベルトとなる。

★カール・マルクスはユダヤ人である
http://kabukachan.exblog.jp/19923152/

★ユダヤの手先 <カール・マルクス>
http://kabukachan.exblog.jp/21883923/

または、ユダヤ=フリーメイソン=コミンテルン=ルーズベルトとなる。


Babylonian Mystery Religion/Kabbalah/Talmud/Gnostics/Templars/Rosicrucians/Jesuits/Illuminati/Freema
https://www.youtube.com/watch?v=81ENZcAcLbk



★ルーズベルト一族について
http://kabukachan.exblog.jp/20918889/

★ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景
https://www.youtube.com/watch?v=9254tkUe8Hw



★ケント・ギルバート氏と

 ベンジャミン・フルフォード氏の歴史観を

 合わせて持てば最高の日本人になるぜw。

ちなみにケント・ギルバート氏はアメリカ生まれのアメリカ育ちにもかかわらず、18歳になるまで黒人を見たことがなかったそうだ。(驚き!)

私が学生時代に神戸の安アパートに住んでいたとき、アメリカ人の20歳前後くらいのモルモン教の宣教師が勧誘にやって来た。これはいい英会話の練習になるぞと思って何気なく「Have you been to New York?」と聞いたら「No.」と言っていた。(驚き!)



ケント・ギルバート氏が2歳のとき、アメリカはまだアパルトヘイトであったと言ってますね。


★そのアパルトヘイトを崩したのが日本なのである。



    ☟
GHQの日本人洗脳工作 <プレスコード>
http://kabukachan.exblog.jp/24510096/


大東亜戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19094794/


日露戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19062401/


日本海海戦1.
https://www.youtube.com/watch?v=RFt60lGX-KI


世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』
http://kabukachan.exblog.jp/22400185/


大東亜戦争(太平洋戦争)とは何だったのか?
http://kabukachan.exblog.jp/24554821/


大東亜戦争の真実 
http://kabukachan.exblog.jp/24591113/


GHQ焚書図書開封 第121回
https://www.youtube.com/watch?v=_LDOodOxQ0c


真珠湾攻撃と暗号解読
http://kabukachan.exblog.jp/24391093/


「山本五十六」を研究せよ!
http://kabukachan.exblog.jp/25711880/



日本人よ、昭和20年を知ってるか!
http://kabukachan.exblog.jp/25515850/


反日左翼とネット右翼(ネトウヨ)
http://kabukachan.exblog.jp/26105190/


<真珠湾攻撃と911>(パールハーバー と ニューパールハーバー)
http://kabukachan.exblog.jp/26214028


日本人よ、涙せよ!
http://kabukachan.exblog.jp/24939240/





     おまけ!

   ☟
The Jew World Order Agenda Exposed [Docu-Movie]
https://www.youtube.com/watch?v=Ahuzw_XPnBw


NWO NEW WORLD ORDER HAS BEGUN - FINAL WARNING [DOCUMENTARY] POPE FRANCIS AT UNITED NATIONS
https://www.youtube.com/watch?v=KrQ2EjTY6ag


Wake Up Call New World Order Full Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=UVQvlG59sJ8




世界のフリーメイソン

How EXACTLY will the New World Order TRY TO MAKE YOU WANT to be part of it? 2017 BEST EVIDENCE
https://www.youtube.com/watch?v=nvRMJwJEa8Y



Babylonian Mystery Religion/Kabbalah/Talmud/Gnostics/Templars/Rosicrucians/Jesuits/Illuminati/Freema
https://www.youtube.com/watch?v=81ENZcAcLbk

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by kabu_kachan | 2016-10-28 00:55 | 歴史 | Comments(0)

「神風特攻隊」はなぜ生まれたのか?

「特攻隊」と聞いて何を思う?

神風特別攻撃隊の実写映像【第二次大戦】
https://www.youtube.com/watch?v=vOJ274wBTZc

Kamikaze Attacks
https://www.youtube.com/watch?v=33dh14dJ_Dw

Japanese KAMIKAZE PART 1 of 4 In color
https://www.youtube.com/watch?v=3Vzz_QUl-7Y

Japanese KAMIKAZE PART 2 of 4 In color
https://www.youtube.com/watch?v=SRRjG9V4t1k

Japanese KAMIKAZE PART 3 of 4 in color
https://www.youtube.com/watch?v=yxss-MGLDPk

Japanese KAMIKAZE PART 4 of 4 In color
https://www.youtube.com/watch?v=P6ClLyVHF6g

世界が語る神風特攻隊
https://www.youtube.com/watch?v=EHZYOPI89SY

RARE WWII Kamikaze footage. IN COLOR.
https://www.youtube.com/watch?v=bmyq2OJOVDw

Kamikaze In Colour
https://www.youtube.com/watch?v=VNeu_DgJG6Y

★米中韓の歴史捏造プロパガンダに対抗するツール「ひと目でわかる『日の丸で歓迎されていた』日本軍」を、著者・水間政憲が徹底解説
https://www.youtube.com/watch?v=IJv_2rlLe_U

★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U


①自殺を前提としたキチガイじみた戦闘行為。

大多数の日本人はこのように考えているだろう。
学校でもマスコミもこのように教えているからである。



②日本国(自分の家族や友人)を守るための崇高な、
涙なしには語れない、自衛を前提とした戦闘行為。

一部の日本人(特に右翼系と言われる人たち)に多い。
私もこの考え方である。



ところが、山本五十六のことを考えているうちに、
第三の考え方があることに気がつきました。

③これを「山本五十六的」な考えに基づいた「特攻隊」と呼ぶことにします。


日本軍は真珠湾攻撃をやるのと同時にフィリピンのアメリカ軍の基地やシンガポールのイギリス軍の基地も攻撃したのである。
真珠湾攻撃が不十分であっても東南アジアでの初戦の勝利が日本国民を有頂天にした。
このとき、日本国民や軍部はアメリカに勝てると思ったかもしれない。形勢が不利になったとしてもどこかで和平に持っていけると思ったに違いない。日露戦争のような限定戦争を想定していた。

ミッドウェー海戦で大敗した後も限定戦争の望みを持っていたが、おそらく日本海軍の中でアメリカにはもう勝てないという悲観論が出てきたのである。

「どっちみちアメリカ軍に負けるのなら無駄な抵抗はしないほうが得策である」という考えと「アメリカ軍と戦ってアメリカ人を殺せば死刑になるのなら自分も死んでアメリカ人をより多く殺そう」という考えが生じたのである。

すなわち日本が負けた後、自分たちがどうなるのかを議論しだしたのである。
ミッドウェー海戦の後のどこかの時点で、山本五十六が想定したような日本敗戦後の東京裁判を日本海軍全体が考えるようになったのである。

そこで生まれたのが「特攻隊」という発想である。

どうせ死刑になるのなら特攻でより多くのアメリカ人を殺せば一石二鳥である。しかも戦犯になる特攻隊は死んでいない。

もう一方で戦犯になりたくない日本海軍の軍人はわざと負ける。しかも自分が助かるようにする。ここは山本五十六と同じである。

かくして日本敗戦後の東京裁判で、海軍から戦犯が出なかったのである。六千人近くの特攻隊の戦死者が出たにもかかわらずである。

山本五十六と特攻隊は発想の原点は同じだが、とった行動が正反対なのである。



      

「山本五十六」を研究せよ!
http://kabukachan.exblog.jp/25711880/


(大田龍氏の週刊日本新聞 時事寸評 平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)第一千五百五十二回 転載))

F・D・ルーズベルト米大統領暗殺疑惑と、そしてその意味。


更新 平成18年01月13日00時04分

平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)
(第一千五百五十二回)

○「操られたルーズベルト」
  カーチス・B・ドール著、
  馬野周二(訳・解説)、プレジデント社、一九九一年十月刊

○この本の英文原題は、
  FDR: My Exploited Father-in-Law
  By Curtis B Dall(一九六八年)

○本書の著者、カーチス・B・ドールは、
 F・D・ルーズベルト米大統領の娘と結婚して居る。

○従って、F・D・ルーズベルトは、ドールの義父であり、
 エレノア・ルーズベルトは、ドールの義母にあたる。

○そしてずっと後になって、ドールは、
 ウイリス・カートの主宰するリバティー・ロビーと言う政治団体の
 代表に就任した。

○本書は、
 シオニストユダヤ、ADLの一味に不法に乗っ取られる以前の
 IHR(歴史修正研究所)によって発行された。

○一九四一年十二月八日(七日)当時の米真珠湾海軍艦隊司令官で
 あった、キンメル海軍大将と、

○ドールは、一九六七年二月三日、対談した。

○そこでキンメル提督は、

○前任のリチャードソン提督が解任された、その後任として任命され
 た、一九四一年晩秋、

○ワシントン(米海軍省)は、
 主力艦数隻、輸送船を他の地域に派遣せよ、と命令してきた。

○更に、日本軍のパールハーバー攻撃の少し前、ワシントンの海軍省は、
 パールハーバーの航空母艦五隻を他地域に移せ、と命令して来る
 (前出、二百九十一頁)。

○つまり、そこで、パールハーバー米艦隊は、
 空母はゼロ、と成ったわけである。

○キンメル大将も、カーチス・ドールも、
 これは、ルーズベルト政権による日本を対米英戦争に引きずり込む
 大謀略の一部であることを明確に認識して居る。

○米国では、
 一九四一年十二月八日(七日)の「日本のパールハーバー奇襲」説が、
 米国政府によるペテンであることについて、無数の暴露と論評がなさ
 れて居る。

○にも拘わらず、日本では、このペテンにもとづく「東京裁判史観」が、

○ますます強国に日本人の意識を支配しつつある。

○朝日新聞社の月刊誌「論座」の平成十八年二月号に、

○ 朝日新聞論説主幹 若宮啓文
  讀賣新聞主筆   渡辺恒雄

○この二人の「対談」、

○なるものが掲載され、

○東京裁判の全面肯定にもとづく日本の軍、政府首脳の「戦争責任」なる
 ものについて、

○売国奴的発言が展開されて居る。

○カーチス・B・ドールは、一九四五年四月十二日のF・D・ルーズベルト
 の病死は、何者かによる「暗殺」(毒殺)ではないか、

○と疑って居る。

○このF・D・R暗殺疑惑は、
 米国では、かなり広範に、反陰謀陣営に流布されて居るにも拘わらず、
 日本人には、まったく、知らされて居ない。

○要するに敗戦後六十年来、

○日本人は、米国そして、世界の、

○まともな情報から、完璧に遮断されたままなのである。

○我々は、まさに、
 一から、やり直すしかないのだ。

 (了)





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by kabu_kachan | 2016-10-23 10:09 | 歴史 | Comments(0)

「クリストファー・コロンブス」を知っているか?

「コロンブス」と聞いて何を思い浮かべる?

光GENJIの『パラダイス銀河』という曲の歌詞の中に「しゃかりきコロンブス」と言うのがある。
日本人の「コロンブス」に対するイメージはだいたいこんなものであろう。アメリカ大陸を発見した探検家。ネット上では、アメリカ大陸を発見したのはコロンブスではないと騒ぐ。こんなことは大した問題ではない。

Native America before European Colonization
https://www.youtube.com/watch?v=7FItlStGMY4


★「コロンブスのアメリカ大陸発見」の意味
http://kabukachan.exblog.jp/25106055/



この程度の知識だから日本人は平気で自分の会社や店の名前を「コロンブス」とする。

しかしだね、自分の会社や店の名前を「ヒットラー」や「ピサロ」や「コルテス」にするかね?

コロンブスはヒットラー以上に原住民を虐殺したんだぜ。ピサロやコルテスに匹敵する大殺人鬼だぜ。よくそんな名前を付けられるもんだ。

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コロンブス・デー(10月第2月曜日)


コロンブスデーは毎年10月の第2月曜です。コロンブスがアメリカに初上陸した日の付近にあたります。2016年のコロンブスデーは10月10日となります。

アメリカ人は10月の第2月曜日にクリストファー・コロンブスの「新世界」への到着を祝います。コロンブスはイタリア人ですが、彼の航海に出資したのはスペインの女王、イザベラでした。 1492年8月、コロンブスは西を目ざしてスペインを出発しました。彼はインドやアジアへの一番安全な海洋ルートを探していたのですが、かわりにバハマやヒスパニオラ島を含む、カリブの島々を発見しました。どうして彼が現地の人々を「インディアン」と呼んだのか、お分かりでしょうか? コロンブス・デーが正式に国の祝日となったのは1971年ですが、この日は長い間祝われてきました。最初のコロンブス・デーのお祝いは、1972年にニューヨークで行われた大規模なパレードでした。ニューヨークのイタリア人たちが、有名なイタリア人航海士コロンブスを記念してこのイベントを企画したのです。アメリカ最大のパレードは今でもニューヨークで行われています。コロンブス・デーは全国各地で学校でのお祝い、お店のセール、そしてピクニックやパレードが行われる日となっています。 今では、アメリカで、コロンブスに関する史実や、コロンブス・デーを祝することが疑問視されてもいます。その州のひとつ、ハワイ州では現在、コロンブス・デーを「発見者の日」と呼んでいます。なぜでしょう?呼び方を変えることは、コロンブス・デーの意味を変えることにつながるでしょうか?



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-397.htmlより。

皆さんはコロンブスのことをどう思っていますか?
「東洋の国と思ったコロンブス」と学校で洗脳教育されたように、1492年にアメリカ大陸を発見した歴史上の人物といった印象ではないでしょうか。かくいう私も、ちょっと前までは、その程度の知識しか有りませんでした。そして、いまだに"さも偉大な人物であったかのようなデマ宣伝"がテレビ等でされているのです。
実際のコロンブスは、"史上最大の悪魔・殺人鬼"というのが真実のようです。
コロンブスは、約4年で800万人いた現地人が3分の1になるまで虐殺の限りを尽くしたのです。コロンブスからみればヒトラーなど"ほんの悪ガキ"に過ぎないといっても過言ではないのです。


ウィキより抜粋

クリストファー・コロンブス(英: Christopher Columbus[注 1][注 2]、伊: Cristoforo Colombo[注 3]、羅: Christophorus Columbus[注 4]、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。
最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している[26] 。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。コロンブスは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金が王夫婦から与えられるとされていたのだが、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。
国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。
「彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。」
1493年の9月に17隻・1500人で出発したコロンブスの2度目の航海はその乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。11月にドミニカ島と名付けた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は原住民であるインディアンにより破壊されており、残した人間は全て殺されていた。コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築いた。しかし白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上り、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。
これに対し、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
インディアンたちは、ゲリラ作戦でコロンブスに報復を試みたが、スペイン軍の軍事力と彼らがばら撒く疫病はインディアンの想像をはるかに超えていた。最終的に彼らは最善の策は「逃亡」であると決めた。 置き去りにされた作物は腐るにまかされ、やがてインディアンたちを飢餓が襲ったのだった。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった[29]。
コロンブスと同行し、虐殺を目にしていたキリスト教宣教師のバルトロメ・デ・ラス・カサスは、日記にこう記している。
「一人でもインディアンが森にいたら、すぐに一隊を編成し、それを追いました。スペイン人が彼らを見つけたときはいつも、柵囲いのなかの羊のように、情け容赦なく彼らを虐殺しました。 『残虐である』ということは、スペイン人にとって当たり前の規則であって、それは『単に残虐なだけ』なのです。しかしそのように途方もなく残虐な、とにかく苛烈な取り扱いは、インディアンに対しては、自分たちを人間だとか、その一部だなどと金輪際思わせないよう、それを防ぐ方法になるでしょう。」
「そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
コロンブスは、イスパニョーラ島のインディアン部族の指導者と睨んでいた一人の酋長を殺さずに、引き回しの刑と投獄のあと、鎖に繋いで船に乗せ、スペインへ連行しようとした。しかし他のインディアンたちと同様に、この男性はセビリアに着く前に船中で死んでいる。
インディアンの殺戮に"大勝利"した後、コロンブスは予定通り、捕らえたインディアンを奴隷として本国に送るが、イザベル女王はこれを送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。驚いたコロンブスは慌てて本国へ戻って釈明し、罪は免れた。
コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには、「スペイン人に敬意を表した」という証しとして、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量が足りなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた。
コロンブスらスペイン人の幻想よりも当地の金の量ははるかに少なかったので、死にたくなかったインディアンたちは、生活を犠牲にして金を捜さざるを得なかった。インディアンが逃亡を始めると飢饉はさらに悪化した。コロンブスらスペイン人が運び込んだ疫病は、栄養失調となったインディアンたちの弱められた身体をより激しく蝕んだ。そしてコロンブスたちと同じく、スペイン軍は面白半分に彼らを殺す楽しみを決してやめなかった。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう[32]。
コロンブスのインディアンを見下した傲慢さや残虐さについては、多文化主義に基づく歴史家たちは、これを典型的な西側の白人男性の、原住民に対する人種差別的偏見としている。ゲイリー・ナッシュは、コロンブスはインディアンに対して、不合理な敵意に根ざした独特な「ヨーロッパの傲慢な本質」を体現していると告発している。カークパトリック・セールは、「偏見を起因として他の種に対して交戦が見られるということは、ヨーロッパ文化としては空想的なことではない」としている。またスティーヴン・グリーンブラットはコロンブスについてこう述べている。「政治的、経済的、文化的なカニバリズムという、西洋史のなかでも最大の実験を開始したのがコロンブスである」[33]。
アメリカ合衆国の記念祝日である10月12日、「コロンブス・デー」は、インディアンにとっては「白人による侵略開始の日」に他ならない。1911年にインディアン運動家たちは「アメリカインディアン協会」を設立し、「全米インディアン・デー」を提唱。オハイオ州コロンバスでの第一回決起大会において、「インディアンが白人のアメリカを発見した日!」とのスローガンを掲げ抗議した。
現在も反「コロンブス・デー」運動は「アメリカインディアン運動(AIM)」などに引き継がれ、毎年この日になると全米各地で抗議行進やデモが行われていて、この際多数のインディアンが逮捕されている。
インディアン団体「AIM」のコロラド支局はその公式サイトで、「Transform Columbus Day!(コロンブス・デーを変えろ!)」として、この記念祭の廃絶を求め、以下のように主張している。
1. コロンブスは何百万人もの先住民族の殺戮の責任者です。
2. コロンブスはアメリカに侵入してくる前は、アフリカの奴隷商人でした。 彼はアメリカ大陸で奴隷売買を始めました。 彼は何にも値しません。休日にも、パレードにも、彫像にも。
3. コロンブスの日は、「発見」の意義を祝うものです。今日も続く、インディアンの領土を盗むための法的な過程としての。
4. コロンブスはアメリカ大陸に、今日も持続されている優位性として、自然環境における優位、異なる信仰・信念に対する優位、男性の女性に対する優位といった、他民族(白人)の優位の哲学を持ち込みました。
AIMスポークスマンであるスー族のラッセル・ミーンズらインディアン運動家はチカーノ団体と連携し、コロラド州デンバーの「コロンブス・デー」に毎年、同州にあるコロンブスの銅像にバケツで真っ赤な絵の具を浴びせている。インディアンによるこの「血の洗礼」は、州警察による逮捕者を出しながらも毎年行われている。
1992年の「コロンブス500年祭」に合わせ、ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている[34]。



Christopher Columbus: What Really Happened
https://www.youtube.com/watch?v=aF_unlvjccA

The Taino and Columbus
https://www.youtube.com/watch?v=HEcpdKARAig


The ugly truth about christopher columbus
https://www.youtube.com/watch?v=oJr6jyPNmZE


Horrible, True Facts about #Columbus and #ColumbusDay
https://www.youtube.com/watch?v=GCir-NX0zdQ


History vs. Christopher Columbus - Alex Gendler
https://www.youtube.com/watch?v=GD3dgiDreGc


America Before Columbus.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=brSPQ7sUE84


Christopher Columbus (A&E)
https://www.youtube.com/watch?v=V4ON19woHvU


Columbus & the Taino Genocide (500 Nations)
https://www.youtube.com/watch?v=5LyyQL65bjk


The Legacy of Christopher Columbus, A Short Account in Technicolor by LILI BERNARD
https://www.youtube.com/watch?v=yR210z1qSKw


Let's Celebrate Genocide!
https://www.youtube.com/watch?v=B967F7kq9SQ


"Thanksgiving": "The untold genocide of the Native Americans"
https://www.youtube.com/watch?v=sb9BgXmeX3s


The Truth About Thanksgiving
https://www.youtube.com/watch?v=QZRI1BIaER4


The Massacre:The National Holiday Thanksgiving
https://www.youtube.com/watch?v=un8HPmNI8dA



おまけ


True Meaning of Christmas... What Are You Really Celebrating??? {Documentary on its Pagan Origins}

https://www.youtube.com/watch?v=mUgNZ0iyRo0


The REAL origins of CHRISTMAS: exposed!!
https://www.youtube.com/watch?v=ntJYhb2hZqg


CHRISTMAS AND ITS PAGAN ROOTS
https://www.youtube.com/watch?v=O9h5humhhzw


The Deception of Christmas - Satanic Pagan Origins
https://www.youtube.com/watch?v=jt-tpoRYh_g


Halloween, Christmas, Easter, all Pagan Holidays Exposed | TVC2.0
https://www.youtube.com/watch?v=lfxOU3K7Sps






Bill to replace Columbus Day with ‘Indigenous People’s Day’ dies in Senate
http://fox13now.com/2016/03/01/bill-to-replace-columbus-day-with-indigenous-peoples-day-dies-in-senate/

SALT LAKE CITY — After a fiery debate, the Utah State Senate defeated a bill that would have renamed Columbus Day as “Indigenous People’s Day.”

“Our history did not start with Pioneer Day and the celebration we had there,” Senate Bill 170 sponsor Jim Dabakis, D-Salt Lake City, said.

Dabakis wanted a paid, state holiday to honor Native Americans. He complained that his request for a set time to debate the bill, to allow tribal members to be present for the vote, was rejected by his colleagues.

Dabakis faced pushback. Sen. Todd Weiler, R-Woods Cross, pointed out that there already is an Indigenous People’s Day — the Monday before Thanksgiving. Dabakis claimed it didn’t get the same level of attention as Columbus Day.

Sen. Allen Christensen, R-Ogden, said Native Americans have a “very proud heritage they can look to.”

“If they choose to feel oppressed, that’s their right but another holiday… is not a way to lift yourself back up again,” Christensen said. “Columbus is an American hero.”

Sen. David Hinkins, R-Orangeville, called it a “slap in the face” to Italian-Americans to take Columbus Day.

Sen. Luz Escamilla, D-Salt Lake City, said lawmakers need to “recognize the history of genocide of our Native American brothers and sisters.”

The bill failed on a 15-10 vote.




★slave-Trailer history video
https://www.youtube.com/watch?v=TbVPbjj3pn8



★The Horror of American Slavery
https://www.youtube.com/watch?v=cXrRyyzpue4


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by kabu_kachan | 2016-10-02 22:00 | 歴史 | Comments(0)

「ダグラス・マッカーサー」とは何者だったのか?

ダグラス・マッカーサーの正体を知れ!
高山正之「もうマッカーサー史観はやめようよ」 カイロ宣言史観の呪縛
https://www.youtube.com/watch?v=KDtNAryOEXc

【超拡散希望】水間政憲徹底解説「事後法により裁かれた東京裁判」「東京裁判松井石根大将判決から導き出される結論『日本軍による南京大虐殺はなかった』」
https://www.youtube.com/watch?v=OW8cq6jV7i8

マッカーサーは、日本人を自分たち(白人)と同じ人間とは見ていなかった。つまり、猿、日本文化も猿文化ぐらいにしか考えていなかった。

【3S政策・日本人洗脳白痴化計画】『新・霊界物語 十九話』
https://www.youtube.com/watch?v=w30RSuafR1M


★American Caesar: Douglas MacArthur
https://www.youtube.com/watch?v=io32SnyhYpM
☝アメリカ軍が殺したフィリピン人を日本軍が虐殺したと解説している。


★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U


【水間政憲】従軍慰安婦捏造の根源「アメリカ」の真実[桜H25/8/26]
https://www.youtube.com/watch?v=NI1mUpEhack


日米戦争はなぜ起きたか。 たった9分で分かる近代史50年
https://www.youtube.com/watch?v=6kfMhYp7PeQ



★Douglas MacArthur - General of the US Army | Biography Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=LORU_fwBuEU


★かつてフィリピンを植民地にして支配していたマッカーサーは、日本軍が攻めてきたときに逃げ出して、またフィリピンを植民地にするために戻ってきたのである。マッカーサーがフィリピンに再上陸したときは、フィリピンは独立していたからである。



★「ひと目でわかる『アジア解放』時代の日本精神」を著者水間政憲本人が「おもしろ解説」
https://www.youtube.com/watch?v=f9ApqXzMj5k



★「ひと目でわかる『日の丸で歓迎されていた』日本軍」
https://www.youtube.com/watch?v=IJv_2rlLe_U


★★★★★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U





Gen. Douglas MacArthur addresses a Joint Session of Congress
https://www.youtube.com/watch?v=14bgz7xSUrE


General Douglas MacArthur - Farewell Address to Congress
https://www.youtube.com/watch?v=S4GTVP-07d4


★General Douglas MacArthur Farewell Speech to Congress
https://www.youtube.com/watch?v=Tuagi9kZe8A


Duty, Honor, Country | Douglas MacArthur | May 12, 1962 | West Point
https://www.youtube.com/watch?v=_42_aLGkRpg



マッカーサー元帥の発言


科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が 45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。
しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ 12 歳の少年である。
ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知のためではない。
ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。
ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていくであろう。日本人はドイツ人とは違う。

5月16日にこの発言が日本で報道されると、日本人は未熟であるという否定的意味合いのみが巷間に広まり、このため日本におけるマッカーサー熱は一気に冷却化した。


ルーズベルト「日本人は獣である」


「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を"劣等人種"として激しく差別していたことで知られている。


一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」


★「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
  つまり、これ☟!


 1898年、米国はスペインと戦争を起こしました。キューバ、フィリピン、グアムが主な戦地になります。フィリピンは当時スペインの植民地で「独立させてやる」という米国の甘い言葉に乗ってスペイン軍と戦います。しかし、米国はフィリピンを植民地にしてしまいました。フィリピン人は抵抗して戦いましたがアーサー・マッカーサー(ダグラス・マッカーサーの父)の指揮で住民を殺しまくり、餓死させ、その数60万人にのぼったといわれています。(米比戦争, 1899年-1913年)

 アーサー・マッカーサーはサマール島で住民を殺しまくる米兵が逆に殺されると、報復としてこの島と隣のレイテ島民を皆殺しにします。あまりにも残忍だったので昇進を逃したといわれています。この後、フィリピン人は米軍の恐ろしさを体験し、もはやアメリカだけには反抗できなくなりました。フィリピンの小学校では全教科書が英語で行われ、教室にはワシントンの写真が貼られました。
 昭和16年(1941年)、日米開戦となるとフィリピンの米軍はダグラス・マッカーサーが指揮官となっており、日本軍を侮ったためコレヒドール島から逃げ出しましたが、二年後に再びフィリピンに戻り、レイテ島にやってきました。「島民は歓喜して出迎えた」と彼の自叙伝には書かれているそうですが、この島はマッカーサーの父が大虐殺を行ったところで、島民はそっぽむいていたそうです。





議会証言したからという理由でマッカーサーが親日派だと思い込んではいけない(その1)


最近、マッカーサーがアメリカ議会にて日本がなぜ大東亜戦争を始めなければならなかったのかについて証言した記録が東京都の高校教材として採用されたことが話題になった。

「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm


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http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm

「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石
2012.3.30 08:11
[歴史問題・昭和史]

マッカーサー証言
 日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。

 昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。

 証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。

 都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。

教材は、江戸時代以降の日本の歴史を、東京の歩みとともに紹介する『江戸から東京へ』。都教委が都立高校の全生徒に平成23年度から配布している。都民の意見をもとに改訂した24年度版は、全新入生約4万3千人に配布する予定。

 『江戸から東京へ』に掲載されたマッカーサー証言については、月刊「正論」5月号(3月31日発売)が詳しく紹介している。

 渡部昇一・上智大学名誉教授の話「連合国から東京裁判の全権を委任されたマッカーサー自身が米議会で『日本の自衛戦だった』という趣旨の証言をしたことは、村山談話に象徴されるように東京裁判を背負ったままの日本にとって"超重大"であり、すべての日本人が知るべきことだ」

 ■村山談話 戦後50年の平成7年8月15日、当時の村山富市首相が発表。わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとし、「痛切な反省の意」「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明。以後の内閣もこの見解を踏襲してきた。


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この議会証言の事実をこのニュースで初めて知った人は、きっとマッカーサーは親日派に違いないと思われるに違いないのだが、実は、その生涯を辿ると実に意外な側面があることに気づかされるのである。

今回は、マッカーサーが実際、どういう人物だったのかWikipediaから引用する形で考察する。


・父と同様フィリピンに勤務経験があり、父に随行する形でアメリカ大使館に勤務した。
→政治的には父親と同様の思想の持ち主と思われる。

・父は軍人でフイリピン初代軍政総督であった
→父と同じような経歴を持っていることから基本的にはアジア蔑視、植民地支配肯定派であると考えられる。

・フランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルらとは遠戚関係
→フランクリン・ルーズベルト大統領時代に、軍の司令官であったことから、フランクリン・ルーズベルトと同様、アジア蔑視で反日だったと考えられる。

・アメリカ陸軍士官学校史上抜群で、ダグラス以上の成績で卒業した者はこれまで二名しかいない
→英雄指向の人間である。

・マッカーサーはウィルソン大統領に「欧州に送り込む最初の師団は全州の州民から徴募して創設した師団にしたい」と提案、マッカーサーはウィルソン大統領に「虹のように様々なカラー(気風)を持った各州住民が、大西洋にかかる虹のように戦場に向かうのです」と提案
→政治的野心を持った人間である

・戦後、最年少で少将となる栄進を果たし、士官学校の校長に就いた。
→出世意欲旺盛

・フランクリン・ルーズベルト大統領は不況対策と称して軍事予算削減の方針であったが、マッカーサーは「共産主義者の陰謀である」と考え、大統領をあからさまに批判した事で大統領の怒りを買った。
→共産主義を徹底的に嫌っていた。

・1936年1月17日にマニラでアメリカ系フリーメイソンに加盟、600名のマスターが参加したという。3月13日には第14階級(薔薇十字高級階級結社)に異例昇進した。
→フリーメイソンの立場で行動、発言した。

・日本陸軍戦闘機の攻撃で自軍の航空機を破壊されると、人種差別的発想から日本人を見下していたマッカーサーは、「戦闘機を操縦しているのはドイツ人だ」と信じ、報告した。
→人種差別主義者だった。

・日本軍の攻撃を前にした敵前逃亡はマッカーサーの軍歴の数少ない失態となった。オーストラリアでマッカーサーは南西太平洋方面の連合国軍総司令官に就任した。だが、その後もマッカーサーの軍歴にこの汚点がついてまわり、マッカーサーの自尊心を大きく傷つける結果となった。
→自尊心が強く、日本に対し復讐心を抱いていた。

・1944年のフィリピンへの反攻作戦については、アメリカ陸軍参謀本部では「戦略上必要無し」との判断であったし、アメリカ海軍もトップのアーネスト・キング作戦部長をはじめとしてそれに同意する意見が多かったが、マッカーサーは「フィリピン国民との約束」の履行を理由にこれを主張した。
→過去の汚名の挽回

・マッカーサーは昭和天皇を出迎えはしなかったが、昭和天皇の話に感銘を受けたマッカーサーは玄関まで昭和天皇を見送るという当初予定になかった行動を取って好意を表した。
→植民地主義を肯定する人種差別主義者がとった行動としては、異常である。何らかの意図を感じる。

・マッカーサーは略装を好み、重要な場でも略装で臨むことが多かった
→支配者であることを印象づけるための行動。植民地主義者、人種差別主義者だから略装だった。

・東條は、重光葵との会話の中で「米国にも立派な武士道がある」と感激していたという。
→結果的には東京裁判のための下見に過ぎない。

・マッカーサーは、日本統治を、「政治家、経済学者、産業人、神学者」として行いたいという信条があった。
→神学者という言葉から強く宗教的影響を受けている。


・大統領選出馬
→名誉欲、権力欲の塊

・「日本の占領統治は非常にうまく行っている」、「日本が軍事国家になる心配はない」というメッセージを発表
→自らが大統領になるための宣伝工作


・町々の商店には「マ元帥を大統領に」という垂れ幕が踊ったり、日本の新聞は、マッカーサーが大統領に選出されることを期待する文章であふれた。
→日本人を利用して大統領になろうとした。


・北朝鮮軍の侵攻を知らせる電話を受け取った際、「考えたいから一人にさせてくれ」と言って日本の降伏から5年で、平和が破られたことに衝撃を受けていた。
→アジア軍事情勢のこれまでの分析が根本的に間違っていた。

・マッカーサーは「中華人民共和国による参戦はない」と信じていたこともあり、補給線が伸びるのも構わずに中華人民共和国との国境まで迫った。
→独断専行の男である。

・マッカーサーは中華人民共和国領となった旧満州に対する空爆、さらには同国への核攻撃の必要性を主張した。
→アジア蔑視、人種差別主義者

・科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が 45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ 12 歳の少年である。
→日本人を根拠なく馬鹿にしている。

・マッカーサーは、広島長崎への原爆投下を批判している。
→戦略的に無意味である趣旨からの批判であるが、自分の功績が霞むことを危惧しての発言と考えられる。

・一回もマッカーサーは朝鮮に宿泊することがなかった。
→朝鮮嫌いと考えられる。

上記の分析結果から、マッカーサーに関する個別分析結果のキーワードをグルーピングして並べてみよう。


①外交政策的には

アジア蔑視
植民地支配肯定派
人種差別主義者
日本人を根拠なく馬鹿にしている。
反日
朝鮮嫌い?
である。

②思考回路的には

英雄指向
政治的野心家
出世意欲旺盛
名誉欲、権力欲の塊

独断専行の男である。
自尊心が強く日本に対し復讐心を抱いていた。
支配者であることを印象づけるための行動が目立つ。

従って、東京裁判は、復讐のための裁判という見方ができる。

③能力的には

陸軍士官学校を抜群の成績で卒業したにしては、朝鮮戦争での北朝鮮の侵攻に驚いた点において、根本的にアジア軍事情勢の分析ができていなかった。

④政治思想的には

共産主義を徹底的に嫌っていた。
フリーメイソンの立場で行動、発言
強く宗教的影響を受けている

その一方で、GHQの立場にて、平和憲法成立を主導し公職追放や労働組合運動を推進したことは、マッカーサーかその取り巻きがクエーカーだったことに起因している。今上天皇の皇太子の家庭教師がクエーカーだったことは、GHQ中枢がクエーカーで占められていたことを意味している。
http://www.ashoro-mennonitechurch.jp/essay.html


⑤政治活動家としては

自らが大統領になるための宣伝工作に熱心で
日本人を利用して大統領になろうとした。
GHQの立場を利用し秘密裏に焚書、検閲を行ったのはそういう動機があったのであろう。

南京虐殺プロパガンダもマッカーサーの指示により仕組まれたのかもしれないだ。

そこで、東條英機の遺言を思い出してほしい。

………………………………………………………………………………
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/10164261.html

東条英機の遺言


 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
 
 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 
 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
 第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。

『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)

…………………………………………………………………

マーカーサーは、

「事実上の再軍備である自衛隊が再編された事に「結局こうなるなら日本軍を完全に解体するんじゃ無かった」と自らの行いを悔いたという逸話」があるそうだが、

自らが意図した東京裁判にて処刑した東條英機閣下に、自らの判断と行いの間違いを気づかされ、その懺悔のために、「1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と、東條英機閣下の遺言に沿う形で議会証言した可能性があるのだ。

なぜなら、マッカーサーは、「日本統治を、「政治家、経済学者、産業人、神学者」として行いたい」という信条があったからである。

なお、その議会証言の2日後、「1951年5月5日に米上院軍事外交委員会において上院議員 R・ロングが行った「日本とドイツの占領の違い」に関する回答」にて「日本人12才説」を持ち出しているが、この時点でもまだ人種差別主義者であったということなのだ。

従って、マッカーサーは、人格者でも偉大な男でも決してなく、日本への復讐に没頭するあまり朝鮮半島の情勢分析を怠り、朝鮮戦争を招いてしまった点において、実に愚かな軍人だったのだ!

さて、この愚かなマッカーサーの副官に、ボナー・フェラーズがいたそうだが、彼がもし副官でいなかったら今頃、日本は日本ではなくなっていたかもしれないことを最後に指摘しておく。

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http://homepage3.nifty.com/katote/Fellers.html



ウェーク島でのマッカーサー発言


1950年に勃発した朝鮮戦争で、一時はほとんど朝鮮半島から追い落とされる寸前にまで追い詰められた国連軍は、仁川に逆上陸して攻勢に転じ、満州の国境近くまで進んだ。ダグラス・マッカーサーにとっては一番気分のいいちょどその時期(1950年10月15日)、に、ウェーキー島でハリー・トルーマンとマッカーサーの会談が行われた。
そこでマッカーサーは興味深い発言をした。
会談に同席したハリマンが朝鮮戦争の戦争犯罪人について聞くと、マッカーサーは以下のように述べた。
「戦争犯罪人などに手を出してはいけない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は、戦争の抑止力にはならなかった」

つまり、マッカーサーは「東京裁判は誤りだった」との告白を行ったのだ。

マッカーサーは当初、「真珠湾に対する"騙し討ち"だけを裁く裁判を望んでいたのだが、ドイツでニュルンベルグ裁判がはじまってしまったので、日本に対してもやむなく同様の裁判を行わなければならなくなった」と語っていた。

朝鮮戦争を戦ってみると、がぜん、日本側の言い分が基本的に正しかったことが、マッカーサーには痛いほどわかった。東京裁判における日本側の主張の一番重要な部分は、共産主義の脅威である。満州を守らなければ満州が共産化する。それから支那も赤化する。支那事変であろうが、満州事変であろうが、その背後にはコミンテルンが働いていたと東條英機は主張した。
日本の「A級戦犯」を処刑して二年後、まさにそのとおりになった。支那全土は満州も含めて共産主義になってしまったのである。その時はじめて、アメリカは事態の重大さに気づいた。それで東京裁判宣言の舌の根も乾かないうちに、日本との講和条約を結ぶべく動くことになる。

翌年、マッカーサーは日本の戦争が侵略ではなく、自衛戦争であったことを認める。


ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ

加藤 哲郎(一橋大学、政治学)

 ボナー・フェラーズ(Bonner Fellers, 1896 - 1973)は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人で、情報将校である。日本の敗戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)マッカーサー元帥と共に、マッカーサーの副官として来日、天皇制の維持や昭和天皇の戦犯不訴追に重要な役割を果たした。

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日本側のクエーカー代表格は、開戦を危惧しつつ亡くなった、あの新渡戸稲造であったことを忘れてはなるまい。



マッカーサーのアメリカ議会証言録[編集]

総司令官解任後の1951年5月3日から、マッカーサーを証人とした上院の軍事外交共同委員会が開催された。主な議題は「マッカーサーの解任の是非」と「極東の軍事情勢」についてであるが、日本についての質疑も行われている。

日本が戦争に突入した目的は主として安全保障(security)によるもの[編集]

質問者より朝鮮戦争における中華人民共和国(赤化中国)に対しての海空封鎖戦略についての意見を問われ、太平洋戦争での経験を交えながら下記のように答えている。

STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR II [294]

  • Senator Hicknlooper. Question No.5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?
(ヒックンルーパー上院議員・第5質問:赤化中国に対する海空封鎖というあなたの提案は、アメリカが太平洋において日本に勝利したのと同じ戦略ではありませんか?)
  • General MacArthur. Yes, sir. In the Pacific we by-passed them. We closed in.・・・
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.
The raw materials -- those countries which furnished raw materials for their manufacture -- such countries as Malaya, Indonesia, the Philippines, and so on -- they, with the advantage of preparedness and surprise, seized all those bases, and their general strategic concept was to hold those outlying bastions, the islands of the Pacific, so that we would bleed ourselves white in trying to reconquer them, and that the losses would be so tremendous that we would ultimately acquiesce in a treaty which would allow them to control the basic products of the places they had captured.
In meeting that, we evolved an entirely new strategy. They held certain bastion points, and what we did was to evade those points, and go around them.
We came in behind them, and we crept up and crept up, and crept up, always approaching the lanes of communication which led from those countries, conquered countries, to Japan.
(マッカーサー将軍:はい。太平洋において、我々は、彼らを回避して、これを包囲しました。(中略)・・・日本は産品がほとんど何もありません、蚕を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)によるものでした。原材料、すなわち、日本の製造業に必要な原材料、これを提供する国々である、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と奇襲の優位により日本が占領していました。日本の一般的な戦略方針は、太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、我々がその全てを奪い返すには多大の損失が生じると思わせることによって、日本が占領地から原材料を確保することを我々に黙認させる、というものでした。これに対して、我々は全く新規の戦略を編み出しました。日本軍がある陣地を保持していても、我々はこれを飛び越していきました。我々は日本軍の背後へと忍び寄り、忍び寄り、忍び寄り、常に日本とそれらの国々、占領地を結ぶ補給線に接近しました。)

p.170、General Macarthur Speeches & Reports: 1908-1964[295]

秦郁彦は、小堀桂一郎などの東京裁判批判を行う論客たちがこの発言を「(マッカーサーが太平洋戦争を)自衛戦争として認識していた証拠」として取り上げる論点であると指摘している[296]。小堀はこの個所を「これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分がsecurity(安全保障)の必要に迫られてのことだつたのです」と訳している[297][298]。また、米国人のケント・ギルバートは、「日本の戦争は、安全保障(自衛)が動機だった」と訳している[299]

日本人は12歳[編集]

公聴会3日目は5月5日の午前10時35分から始まり[300]、午前12時45分から午後1時20分まで休憩を挟んだ後に[301]、マッカーサーの日本統治についての質疑が行われた。マッカーサーはその質疑の中で、人類の歴史において占領の統治がうまくいったためしがないが、例外としてジュリアス・シーザーの占領と、自らの日本統治があるとし、その成果により一度民主主義を享受した日本がアメリカ側の陣営から出ていくことはないと強調したが、質問者のロング委員よりヴァイマル共和政で民主主義を手にしながらナチズムに走ったドイツを例に挙げ、質問を受けた際の質疑が下記の通りである[302]

RELATIVE MATURITY OF JAPANESE AND OTHER NATIONS

  • Senator Long.(ロング上院議員)
Germany might be cited as an exception to that, however. Have you considered the fact that Germany at one time had a democratic government after World War I and later followed Hitler, and enthusiastically apparently at one time.
(しかしドイツはそれに対する例外として挙げられるかも知れません。ドイツは一度、第一次世界大戦の後に民主主義の政府を有したのに、その後、一時は熱狂的にヒトラーの後を追ったという事実をあなたは考慮しましたか?)
  • General MacArthur. (マッカーサー元帥)
Well, the German problem is a completely and entirely different one from the Japanese problem. The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature.
The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.
Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. They were still close enough to origin to be elastic and acceptable to new concepts.
The German was quite as mature as we ware. Whatever the German did in dereliction of the standards of modern morality, the international standards, he did deliberately.
He didn't do it because of a lack of knowledge of the world. He didn't do it because he stumbled into it to some extent as the Japanese did. He did it as a considered policy in which he believed in his own military might, in which he believed that its application would be a short cut to the power and economic domination that he desired.
Now you are not going to change the German nature. He will come back to the path that he believes is correct by the pressure of public opinion, by the pressure of world philosophies, by his own interests and many other reasons, and he, in my belief, will develop his own Germanic tribe along the lines that he himself believes in which do not in many basic ways differ from our own.
But the Japanese were entirely different. There is no similarity. One of the great mistakes that was made was to try to apply the same policies which were so successful in Japan to Germany, where they were not quite so successful,to say the least.
They were working on a different level.
(まぁ、ドイツの問題は日本の問題と完全に、そして、全然異なるものでした。ドイツ人は成熟した人種でした。アングロサクソンが科学、芸術、神学、文化において45才の年齢に達しているとすれば、ドイツ人は同じくらい成熟していました。しかし日本人は歴史は古いにもかかわらず、教えを受けるべき状況にありました。現代文明を基準とするならば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して日本人は12歳の少年のようなものです。他のどのような教えを受けている間と同様に、彼等は新しいモデルに影響されやすく、基本的な概念を植え付ける事ができます。日本人は新しい概念を受け入れる事ができるほど白紙に近く、柔軟性もありました。ドイツ人は我々と全く同じくらい成熟していました。ドイツ人が現代の国際的な規範や道徳を放棄したときは、それは故意によるものでした。ドイツ人は国際的な知識が不足していたからそのような事をしたわけではありません。日本人がいくらかはそうであったように、つい過ってやったわけでもありません。ドイツ自身の軍事力を用いることが、彼等が希望した権力と経済支配への近道であると思っており、熟考の上に軍事力を行使したのです。現在、あなた方はドイツ人の性格を変えようとはしないはずです。ドイツ人は世界哲学の圧力と世論の圧力と彼自身の利益と多くの他の理由によって、彼等が正しいと思っている道に戻っていくはずです。そして、我々のものとは多くは変わらない彼等自身が考える路線に沿って、彼等自身の信念でゲルマン民族を作り上げるでしょう。しかし、日本人はまったく異なりました。全く類似性がありません。大きな間違いの一つはドイツでも日本で成功していた同じ方針を適用しようとしたことでした。控え目に言っても、ドイツでは同じ政策でも成功していませんでした。ドイツ人は異なるレベルで活動していたからです。)

p.312、Military situation in the Far East. Corporate Author: United States.(1951) [303]

この発言が多くの日本人には否定的に受け取られ、日本におけるマッカーサー人気冷却化の大きな要因となった(#マッカーサー人気の終焉)。当時の日本人はこの発言により、マッカーサーから愛されていたのではなく、“昨日の敵は今日の友”と友情を持たれていたのでもなく、軽蔑されていたに過ぎなかったことを知ったという指摘がある[304]

さらにマッカーサーは、同じ日の公聴会の中で「日本人は12歳」発言の前にも「日本人は全ての東洋人と同様に勝者に追従し敗者を最大限に見下げる傾向を持っている。アメリカ人が自信、落ち着き、理性的な自制の態度をもって現れた時、日本人に強い印象を与えた。」[305]「それはきわめて孤立し進歩の遅れた国民(日本人)が、アメリカ人なら赤ん坊の時から知っている『自由』を初めて味わい、楽しみ、実行する機会を得たという意味である。」などと日本人を幼稚と見下げて、「日本人は12歳」発言より強く日本人を侮辱したと取られなかねない発言も行っていた[306]


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by kabu_kachan | 2016-08-16 01:22 | 歴史 | Comments(0)

夏だ!日本だ!終戦だ!(原爆だ!)

昭和20年(1945年)の1年間で、アメリカ軍による広島と長崎に落とした2発の原爆と日本全国の各都市に対して行なった何百回にも及ぶ空襲で、
日本列島(北海道から沖縄まで)の上で、

原爆の光熱と焼夷弾の炎で

焼かれて死んだ日本人の数は、

  【 100万人である。 】

昭和20年(1945年)
の1年間で、

★この日本列島(北海道から沖縄まで)の上で
「100万人の日本人」が
 焼き殺されたのである。



東京大空襲による死者


★東京大空襲
(東京大焼殺)
日時:1945年
(昭和20年)3月10日
世界史上最大の日本人大虐殺
一夜で焼き殺された
日本人の数、10万人

http://kabukachan.exblog.jp/19630838/



焼け野原の東京

★【日いづる国より】「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M




すべての日本人に送る「映画」


★『凛として愛』
https://www.youtube.com/watch?v=r2zwu_1bqIg&index=47&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp




★大東亜戦争
【不屈の武士道精神】
https://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=1








destruccion1

原爆投下後の広島
(広島原爆大爆殺)
当時の死者数 14万人
これがアメリカが日本に落とした原爆だ!


http://kabukachan.exblog.jp/25472260/


カラー映像で見る、沖縄戦
沖縄民間人の死者数 15万人
https://www.youtube.com/watch?v=lwWsnyO0sGQ




空襲で破壊された日本の大都市

https://www.youtube.com/watch?v=VSck8fQS1tQ&index=45&list=PLE5AB0800EFBDF9F3&nohtml5=False





【GHQ焚書図書開封】#118 加藤陽子 半藤一利 北岡伸一 徹底批判1
https://www.youtube.com/watch?v=SfDaA0FfqgI&index=51&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp



【GHQ焚書図書開封】#119 加藤陽子 半藤一利 北岡伸一 徹底批判2
https://www.youtube.com/watch?v=2OPZm2yzBA8






★日本人よ、昭和20年を知ってるか!
http://kabukachan.exblog.jp/25515850/


★日本人よ、「硫黄島の戦い」を知れ!
http://kabukachan.exblog.jp/26435375/




祖先の目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI


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by kabu_kachan | 2016-08-04 23:26 | 歴史 | Comments(0)

ロシアの歴史

★The Illuminati, Freemasonry and the New World Order
jewish bankers behind all wars and revolutions of 20th century
Evan Sadler
https://www.youtube.com/watch?v=zdw5_J17V9o



http://ameblo.jp/don1110/entry-11540194907.htmlより


プーチンはイスラエルから世界を救うか?

ロシアはイスラエルから世界を救うか?

◆5月27日

ユダヤ人の世界支配、ということが長らく言われてきている。結局それの達成は金の力で成されるという点から見れば、世界の中央銀行に持つユダヤ系銀行の影響力からすれば、世界支配も夢ではないであろう。

★NOT for the immature! Zionist Antichrist will rule the NWO
https://www.youtube.com/watch?v=oq0_n7ZBX_c


そのユダヤ人の野望に立ち向かう勢力にロシアとその精神を体現したヴラジミール・プーチンの存在がある。ロシアとユダヤ人との歴史はカスピ海沿岸にハザール帝国と言うものが存在していた頃からややこしいものになっていた。

このハザール帝国の住民が国家を挙げてユダヤ教に改宗して、しかも彼らの帝国が崩壊後にロシアに流れ込んできてからが問題となったのだ。あのピョートル大帝もこのハザール系ユダヤ人にほとほと手を焼いたようだ。

しかもロシアはあの1917年のロシア革命で優秀なギリシャ正教徒数千万人をユダヤ系ボルシェビーキに革命の名の下に虐殺された経験を持つ国であり、二度目は「民営化」という詐欺でロシア国家の半分の財産をやはりユダヤ系欺師にのっとられた経験から立ち直った国なのだ。それはプーチンが果たした。従ってユダヤ人にとってプーチンは今や天敵となっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●我ら全員が今やロシア人だ
プーチンはイスラエルから世界を救うか? -その1-

http://www.darkmoon.me/2013/we-are-all-russians-now-by-an-unknown-author/
【5月25日 Montecristo+Lasha Darkmoon】

プーチンが2000年の大統領選挙で選出された少し後、暗殺されたニコライ2世の家族が列福された。つい最近までユダヤ権力中枢部の者たちは、血塗られたソビエトのシステムの理想化された記憶をロシア人の中に維持しようと願ったが、それが虚しいことであることがはっきりとした。

ボルシェヴィズムはその形成から実施までユダヤ人が行ったものなので、彼らの権力中枢部はクレムリン内部にユダヤ的なロビーの影響力を組み込み連結させようという儚い望みを持っていたのだ。こういった儚い望みはプーチンによって打ち砕かれた。

2008年の終わりまでに、ロシア人は二つのイデオロギー・システムのどちらかを選択するようになっていた:スターリンと彼の狂信的な血塗られたユダヤ・チェカによって代表される共産主義か、保守と伝統的価値の旧態的ツァーリズムのどちらかである。

つい最近まで、スターリンの人気はニコライ2世の人気より高かった。「しかし、ツァーは不思議にもその人気がスターリンより高まった」(ディー・ヴェルト2008年7月17日号)

その後、その選択は翻らないままだ。

ユダヤ系ロビーは勿論、ツァーへの信仰が再び蘇ることのないことを願っていた。ツァーはユダヤ系ボルシェヴィーキにとっては大いなる敵であったから、ユダヤ系ロビーはツァーの人気を貶める為にあらゆることを行った。しかし今となっては、ロシア人は、丁度キリストのように、ニコライ2世皇帝をユダヤ人を敵として殉教の道を行った、一種の救い主のように見ているのだ。

「十字架につけよ!十字架に付けよ!」(ルカ伝23章21節)
「彼の血を我らと我らの子孫に降りかからせよ」(マタイ伝27章25節)

これらの重要で不吉な語句を読んで、パウロ6世はそれらの語句を完全に無視し2000年にわたったキリスト教の教義を否認したのだ。1965年10月28日、ノストラ・アエタテ(我らの時代に)の発行で、法王はイエス・キリスト殺害の集団的罪からユダヤ人を解放したことで、多くの保守的信者の意見では、カトリック教会を、ユダヤ教会堂の従僕にしたのである。

このカトリック教会の神学的大転換の少し後になって、ユダヤ人のコメディアンであるサラ・シルバーマンは世界に向かって、法王の歴史的Uターンについて:「ユダヤ人がキリストを殺害することを望むわ!わたしは秒速でやっちゃうわよ!」と語ったのだ。

キリストが殺害された同じやり方で、そして後日非難の矛先をポンテオ・ピラトに向けたように、彼らユダヤ人はニコライ2世と彼の家族全員を殺害し、自分達は全く預かり知らぬ事、としたのだ。この件についてユダヤ人の罪を認めたものを発見する事はできないだろう。学校の歴史教科書でも、主流メディアでも。

幸いにも、我々はこの歴史的犯罪に関わった六人のユダヤ人暗殺者らの詳細を知っている。この作戦の請負人はユダヤ人のスベルドロフだ。彼には五人のユダヤ人の子分がいた。ユーロフスキー、ゴロシュチェキン、シロモロトフ、サファロフ、ヴォイコフだ。こいつは実際の殺害に加わっただけでなく、ツァーの四人の美しい娘達を性的に犯した者だ。文書化された証拠で我々が知っている大量殺人は、レーニンの命令で行われた。彼は少なくとも4分の1はユダヤ人だ。この事実は今まで注意深く隠されてきた。チャーチルでさえ言葉巧みに騙されて、レーニンは非ユダヤ人だと信じ込まされてきたのだ。

http://rockway.blog.shinobi.jp/%E6%88%A6%E7%95%A5/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%EF%BC%8D%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91%EF%BC%8D


ロシア革命時、ユダヤ人ボルシェビーキに殺害されたニコライ2世家族

◆5月28日

ロシアの「民営化」の際、ユダヤ人たちが寄ってたかってロシアの富を強奪した時、それをそうさせたのがボリス・エリツィンである。その彼が隠れユダヤ人であったという。このような、隠れユダヤ人と言う存在が世界のさまざまな分野で、暗躍している。

このユダヤ人たちが強奪したロシアの富を取り戻した人物がヴラジミール・プーチンだから、彼に対するロシア人の人気が根強いものである事は当然のことなのだ。それをユダヤ系の世界の通信社や主流メディアがこれまた寄ってたかってプーチンを貶める為のあらゆる工作をしてきたのである。それでも、彼の人気は衰えることは無かった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●我ら全員が今やロシア人だ
プーチンはイスラエルから世界を救うか? -その2-

http://www.darkmoon.me/2013/we-are-all-russians-now-by-an-unknown-author/
【5月25日 Montecristo+Lasha Darkmoon】

ソ連邦が崩壊する流れの中で、世界的ユダヤ・ロビーはボリス・エリツィンをクレムリンに据えることができた。彼らはひとたびロシアの天然資源を掌握できれば、あるいは少なくともアメリカ軍の保護のもとで動いていれば、永遠に支配できると考えた。彼らはアメリカ軍を警察犬のように使用して問題となるいかなる国に対してもその犬を解き放ってきた;彼らはまたロシアのエネルギー資源を搾取することで地球全体を彼らの奴隷にしようと図ってロシアをも自由にしてきた。エリツィンはロシア軍の解体を慎重にすばやく進めた。

1990年代初頭、アラブのメディアがエリツィンに関する調査を行った。この堕落した酒飲み男をユダヤ・ロビーは彼らの傀儡としてクレムリンに据えたのだ。びっくりする新事実が分かった。彼らはエリツィンはクリプト・ジュー(隠れユダヤ人)だったというのだ。彼の本当の名前は、ジェルツマンだった。

1992年10月28日、ロンドンで発行されているアル・アラブ紙は、以下のような発表を行った。「この名前の変更は、第20回党大会時に決められた。エリツィンはユダヤ人である。フォルクスユニオンのメンバーであるリセロフは、エリツィン大統領の姓はジェルツマンだと明らかにした。ドイツ系ユダヤ人の名前だ。この第20回党大会では、名前をボリス・ジェルツマンからエリツィンに変更する事が決められた。この変更の理由として、ロシア人はベリアの下で彼の祖父のジェルツマンが何千人ものロシア人を殺害したので、その名前を恐れるかもしれないということからだ。

ボルシェビキ革命の後で何千人ものロシアのキリスト教徒を殺害したこのチェカのユダヤ人の孫が、非ユダヤ人を装いながら、突然クレムリンの頂点に立つ犬になったということは驚くべきことだ。

一切がユダヤ・ロビーにとってはうまく行っているように見えた。そして、ここに青天の霹靂のようにヴラジミール・プーチンのクーデターが起きたのだ。彼はこのどうしようもないジェルツマン・エリツィンを退けた。今日では、エリツィンのユダヤ人の出自について主流メディアでさえ議論できるようになっている。そこでは彼は、「キリスト教徒に改宗した」とされている。

1918年7月17日の夜、エカテリンブルグのエンジニアのイパトジェフの家でツァーの家族を彼らが無慈悲に殺害した時、ボルシェビーキは知らずに、「90年後になってもまだかつてのように強力なカルト」(ディー・ヴェルト2008年7月17日)を設立したのだ。ジェルツマンが彼の権力でツァーの記憶をロシア人の意識から消却しようとあらゆることをしたのだが、そうなのだ。「ボリス・エリツィンはイパトジェフの家を取り壊したのだが、ツァーに対する好意が増大することをロシアで止めることはできなかった」(ディー・ヴェルト2008年7月17日)。


http://rockway.blog.shinobi.jp/%E6%88%A6%E7%95%A5/20130528

やはり、プーチンは、金融ユダヤ=ハザール人の子孫たちからロシアを一生懸命に守っているんですね。
プーチンには、いろいろと攻撃がありますが、ほとんどが金融ユダヤが裏側から手を引いているものばかりです。
レーニンも、マルクスも、エンゲルスもスターリンも、エリツィンもゴルバチョフもすべてユダヤ人であり金融ユダヤの下僕ですね。こういったことが分かれば、このもの達がホロコーストを行ってきたことが明るみのどんどんと出て、改ざんされていた歴史の教科書が新しくなり、陰謀論の一言で世界の大衆から隠されていた偽ユダヤ人=ハザールの事が知れ渡るということです。
アウシュビッツのガス室事件、アンネの日記、など金融ユダヤ人達が、自分達がドイツという国から多額の賠償金をせしめるために行ったねつ造事件であったことは、多くの方々が執筆されております。
陰謀論なんていっていたら、自分がそのために大変な思いをする時代に突入していることが現在です。彼らは、偽総理にエリツィン、ゴルバチョフを据えたように、日本ではトリモロス安倍を据えて金融ユダヤ志向の政治を行っています。ロシアだからそういうことが起きた?とんでもない!まさしく日本、この国でそれが起きているということです。直近では、それも戦後ずっとです。田中角栄、竹下登などそれに立ち向かった者達は、志半ばでハザールの毒矢に倒れました。

日本にもプーチンのような、アンチシオニズムの強力な指導者が必要な時であると思います。世界の二重構造を打破しない限り、真の平和はやってまいりません。毎日金融ユダヤ劇場が起こす洗脳教育、経済変動、テロ、戦争の連続、頭にマイクロチップを埋め込まれとニューワールドオーダーの階段を駆け上ることを手伝っていいのでしょうか?「無関心、無気力」は金融ユダヤにとっては一番おいしい餌となっていることに、早く気がつきましょう。




★世界史と国際情勢を理解するカギは、「ロシアとアメリカという世界の二大大国に、ロシア系ユダヤ人が分かれて住んでいて絶大な影響力を持っているということである。」


★伊藤貫 アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人
https://www.youtube.com/watch?v=fKY7YAYynUU

★伊藤貫 アメリカと世界はどうなる
https://www.youtube.com/watch?v=0NjhNWc_p-E


このことが分かっている日本人が何人いるのであろうか?


Kiyomaro2669

裸亀貝のように、国家という殻を持たずに流浪の旅を続けてきたユダヤ民族。ナチスドイツの絶滅収容所を持ち出すまでもなく、彼らはそれ故たびたび憎悪の対象となり迫害を受けてきた。その彼らが民族の生存を懸けて生み出したものが二つある、一つがグローバリズムで、もう一つがコミュニズムだ。いずれも世界のユダヤ化であり、ユダヤ民族の土俵に世界を載せる戦略だ。これがしばしばユダヤ陰謀論となって流布されているものの正体だろう。しかし共同共謀正犯のように彼らが示し合わせて世界のユダヤ化を計っているわけではあるまい。彼らは本能的にそうしているというのが真実ではなかろうか。長い迫害の記憶は他民族への徹底した不信感と敵意を生み出し、それが彼らの悲しい性となったとしても不思議では無い。彼らが金融の世界に活路を見出したのも偶然ではない、お金は正直で裏切らない。似たような境遇の華僑も同様にお金に信を置く。自由、平等、博愛を建国の理念に掲げるアメリカ合衆国は、ある意味ユダヤ民族にとって理想の世界といえるだろう。伊藤氏の慧眼は、アメリカが、その建国の理念を世界に布教しようとする裏にユダヤ民族の悲願が隠されていることを見抜いている。今や実質的にアメリカを支配しているのは彼らユダヤ民族なのだ。我々も蒙を啓いて大和民族の生き残りを賭けた戦いに勝利しなければならないだろう。そうしなければ我々が裸亀貝にさせられる。


★Insight - Hollywoodism: The Ideology that has Devoured Western Culture
https://www.youtube.com/watch?v=cwgLczzn5gk


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by kabu_kachan | 2016-07-15 21:18 | 歴史 | Comments(0)

「戦前の日本」と「戦後の日本」

戦前の日本史と戦後の日本史は完全に書き換えられている。

戦前の日本は軍国主義の悪の国で、戦後の日本はアメリカによって良い国になったということである。

「戦前の日本が軍国主義の悪の国」というなら、当時の欧米列強は「超軍国主義の極悪の国」ということになりませんか?
なぜなら、欧米列強は戦前、軍事力でもって世界中を植民地にしてたんですよ。この前提があって日本は大陸へ進出したのである。これは防衛そのものじゃないですか。

なぜアメリカは、戦前の日本を軍国主義の悪の国だったと徹底的に決めつけて日本という国を根本から変革したのか、その理由はただ一つ、

広島・長崎への原爆投下を完全に正当化するためである。

このためには、これから先も戦前の日本は悪の国であったと言い続けなければならないのである。



★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



★日本の戦後はGHQの公職追放から始まった
https://www.youtube.com/watch?v=z97KIAhAlY8

「八月革命論」による日本国憲法の制定が、戦前の日本との断絶を引き起こした。

①ユダヤ・フリーメイソン=コミンテルン=共産主義者=カール・マルクス=ユダヤ人=フランクリン・ルーズベルト

②フランス革命はユダヤ・フリーメイソンが起こした。
フランス革命の憲章はフリーメイソンがつくった。

③ロシア革命はユダヤ人が起こした。
共産主義思想はカール・マルクス(ユダヤ人)がつくった。

以上の三点は常識。

日本人は学校で教わったことがみんな正しいことだと思っている。

これを「バカのひとつ覚え」という。



▼日本を糾弾することで自らの存在理由を確認する「敗戦利得者」

渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news


敗戦利得者=コミンテルン=共産主義者=八月革命論

GHQは、左翼の教授を使って徹底的に戦前の日本は軍国主義の悪い国家であったことを書かせて、それを大学や高校などの学校で講義させたのである。

それは何のためか?

戦前の日本は、原爆を2発、落とされなければならないほど悪逆非道な国家であったと納得させるためであった。

アメリカが2発の原爆を落としたことも東京大空襲をやったのも正しいことであったと未来永劫、日本人に認めさせるためであった。

つまり、「日本は原爆を落とされるにふさわしい悪逆非道の国であった」ということを学校教育で徹底的に教えているのである。
そういった考え方をしなければ東大には入れないのである。

欧米が世界中を植民地にできたのは軍事力があったからであろう。軍事力なしで世界中を植民地にすることはできなかったはずだ。
その対等の軍事力を日本が持ってどこが悪い。自己防衛そのものである。だから日本は欧米の植民地にならなかったのである。

だが今は違う。日本はアメリカの植民地になっている。日本がアメリカに原爆を落とされて負けたからである。
日本が対等の軍事力を持たない限り、永遠に日本はアメリカの植民地になり続けるのである。この理論、どこが間違っていますか?

★日本がアメリカの植民地から脱する方法は、日本がアメリカと対等の軍事力を持つこと以外にない。

質問・他にどんな方法がありますか?
言っておくが、理想論や空想論は絵に描いた餅ですよ。


★アメリカの原爆投下正当化論

戦争を早く終わらせるためというのは十分な理由ではない。
その前に、日本は中国大陸や東南アジアで悪逆非道な戦争をしていたという前提があって正当化できるのである。少なくとも欧米が植民地にしていたとき以上の非道な虐殺を伴う戦争をしていなければならないのである。
すなわち、日本軍は原爆投下に比肩しうる残虐行為を行なっていなければ原爆正当化論は成り立たないのである。

だから、アメリカは必死で嘘でも何でもいいから、日本極悪論を主張するのである。

★戦前の日本軍が悪逆非道かつ残虐であればあるほど、原爆投下の正当性は強化されるのである。そして今でも日本中の学校でこのように教えてられている。


★20世紀最大の大嘘 < 南京大虐殺 >
http://kabukachan.exblog.jp/25572311/




「日本を弑(しい)する人々」
【 渡部昇一・稲田朋美・八木秀次、PHP研究所、p240 】




【渡部】 自らが卑怯であることを認めたくないから、偽善的な「反戦平和」や「友好第一」などといった衣装をまといたがるのです。私は「戦前の反省」などと言いながら、戦前戦中の日本の指導者を一方的に非難する人たちは、日本の敗戦によって利益を得た「敗戦利得者」だと思っています。

先の大戦を遂行するに当たって日本の目的が「主として自衛のためであった」というマッカーサー証言が戦後日本国内で普及しないのは、独立回復後も日本の敗戦によって利益を得た人たちがその構造を維持しようとしたからだと考えます。

とくに、公職追放が「敗戦利得者」を大勢生み出しました。公職追放は、「日本人民を戦争に導いた軍国主義者の権力および影響力を永遠に排除する」という建前で行われましたが、追放の選別はGHQの恣意で、最初は戦争犯罪人、陸海軍人、超国家主義者・愛国者、政治指導者といった範囲だったのが、経済界、言論界、さらには地方にも及び、本来の意味で公職ではない民間企業、民間団体からのパージも行われました。その隙間(すきま)を埋めた人は、大きな利益を手にしたわけです。

【八木】 GHQの狙いは、敗戦によって沈む者と浮かび上がる者とをつくりだすことで、日本国内に日本人の敵を生ぜしめ、日本社会を歴史的にも、人的にも分断することにあったと言ってよいと思います。

【渡部】 追放指定の基準は、あくまでGHQの占領政策を推進するのに障害となりそうな人物の排除で、それは裏返せば愛国心を維持する人や、戦前の日本史の事実を守ろうとする人にとっては不利益を強いられ、それを捨て去る人には恩恵をもたらすという構図になっていたわけです。政界からは鳩山一郎、石橋湛山、岸信介らが追放され、戦前の日本を指導した各界からの追放者は昭和23年5月までに20万を超えました。

追放された人たちに代わってその地位に就いた人が、「戦前の日本はよかった」と言えるはずはなかった。大きな得をしたわけですからね。そしてその恩恵をもたらした「戦後」という時代を悪く言うこともないわけです。

マッカーサーが証言したように、戦前の日本の戦争目的が「自衛」のためであれば、それを指導した人が追放されること自体がおかしなことになり、それによって得た自らの地位の正当性を失うことになる。

【八木】 公職追放が道理ではなく、GHQの恣意だったことは、昭和25年の朝鮮戦争勃発によって明らかになります。

その直前、GHQはそれまで軍国主義に反対した平和主義者、民主主義者のように持ち上げていた日本共産党中央委員24人全員を追放したのをはじめ、それまでの追放解除を進め、昭和26年1月までに17万5千人の追放を解除しています。その後、サンフランシスコ平和条約発効によって追放令そのものが廃止され全員が解除されたわけですが、「敗戦利得者」たちはすでにその地歩を築いたあとだったということです。

【渡部】 いちばん得をしたのが左翼でした。GHQの民生局はケーディスをはじめ左翼の巣窟でしたから、彼らが公職追放を主導した当然の結果でした。

ケーディスの右腕だったのがハーバート・ノーマンで、ノーマンはのちに共産党員だったことが発覚して自殺しましたが、このノーマンと親しかったのが、一橋大学の学長を務めた都留重人氏です。彼は明らかにコミンテルンと言ってよいと思いますが、ほかにも東大総長を務めた南原繁氏や矢内原忠雄氏、京大総長を務めた滝川幸辰氏、法政大学総長になった大内兵衛氏ら、コミンテルンの思想的影響下にあったと思われる人たちが戦後いかなる地位に就いたかを数えれば、いくらでも敗戦利得の実例として指折れます(苦笑)。

こうした敗戦利得者、追放利得者が後進に与えた影響はきわめて大きく、戦後、雨後の筍のごとくできた大学の教授として日本中にばら撒かれたわけです。あっという間に、進行性の癌のように左翼が日本の教育界を占めてしまった。

彼らの歴史観は戦前否定、"日本悪しかれ"ですから、日本人であって日本に愛国心を感じない。むしろ日本を糾弾することで自らの存在理由を確認するという構造に組み込まれてしまっています。






http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10990528078.htmlより。


渡部名誉教授の造語「敗戦利得者」の真の意味を知ってから、日本が何故に今のようにおかしな状態にあるのかが分かると共に、それまで一応の敬意を払っていた東大出身者、外務官僚、司法試験合格者に対してのイメージが全く逆の見方と成り、「敗戦利得者」と言う造語は、私にとっては「目から鱗が落ちた」と言う表現が的確な言葉でした。


 「敗戦利得者」とは、GHQの「公職追放令」によって後釜に座った左翼的な官僚、大学総長・教授、「農地改革」で農地を取得し土地成金に成った元小作人、「土地を強奪した在日朝鮮人」等を言いますが、今回は大学教授等について渡部名誉教授の本から抜粋致します。


 しかし、読んで行くと戦後の日本が66年経っても憲法は「占領政策基本法」のままで、何故に犬HKを初め殆どのメディアは日本を貶める事に奔走し、民主党にはあれ程大勢の売国議員が居るのかの一端も納得出来ます。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載開始)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・日本の独立に反対した南原繁総長(P118~121)


 私は、このように敗戦および公職追放令で利益を得た人たちを「敗戦利得者」と呼んでいます。そのわかりやすい例としてあげたいのは日本の主要大学の総長・学長です。


 まず東京大学からいけば、戦後の東大総長として有名なのは南原繁氏です。


 南原総長の思想は何かといえば - いろいろないい方ができるでしょうが、-万人の目に明らかなのはプローコミュニズム(共産主義びいき)です。それは彼が日本の独立回復に反対したことからも明らかです。


 昭和二十六年、日本がサンフランシスコ講和条約を締結しようとしたとき、南原総長ら進歩的文化人は、日本が結ぼうとした世界四十九か国との講和条約を「単独講和」と呼び、ソ連および衛星国を入れた講和条約を「全面講和」と呼んで、「わが国は全面講和を結ぶべきだ」といって時の吉田(茂)内閣を批判しました。


 世界のほとんどすべての国と結ぶ条約を「単独講和」と名づけ、そこにソ連、ポーランド、チェコというたった三つの社会主義国を加えたものを「全面講和」と呼んで、サンフランシスコ講和条約の締結に反対したわけですから、まさにソ連に肩入れした人たちのク言葉遊び″ク悪意あるレトリック″ でした。


 そればかりか、「共産圏の国々が入っていない講和条約は認めない」というのは東西冷戦下のあの時代にあっては日本の独立を邪魔することでした。当時は米ソ両国が全面的に対立していて、両大国が折れ合うことなどとても考えられなかったわけですから、彼らはソ連に義理立てするあまり、自国があと何十年間も占領下に置かれてもかまわないという道を選択したのです。


 南原総長が吉田首相から「曲学阿世(きよくがくあせい)の徒」と厳しく批判されたことは有名ですが、ではなぜそんなことを言い出したかというと、「サンフランシスコ講和に反対せよ!」というのがスターリンの命令、もう少し緩やかにいえばスターリンの希望だったからです。


 これだけいえば、南原総長がどういう人物であったか、詳しく述べる必要はないと思います。ひと言でいえば、祖国の独立よりスターリンの意向を優先した人です。


 この南原総長を中心とした全面講和論者たちの事務局は当時、たしか岩波書店内に置かれていたように記憶しています。


 そうしたなか、はっきりと講和条約締結を支持したのは慶應大学塾長の小泉信三先生でした。小泉先生はつぎのような趣旨の論文を「文芸春秋」に寄稿しておられます。「南原総長らは世界の大部分の国と結ぼうという講和条約を『単独講和』と呼んでいるが、そこから外れているのはソ連とその衛星国、数か国にすぎない。


 そうであれば、世界の大多数の国と結ぶ講和条約については、『単独講和』ではなく『多数講和』と呼ぶべきであろう。そうした条約はすみやかに締結し、日本は一日も早く独立を回復すべきである」と。
(略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載終わり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



次のURLは典型的な「敗戦利得者」の系譜を感じるものです。

http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102660196



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載開始)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・〝戦後文化人″のひな型となった失内原忠雄(やないはらただお)総長(P121~126)

             

 つぎに有名な東大総長は矢内原忠雄氏です。


この人はプロテスタントです。熱心なキリスト教徒としてきわめて有名な人で、その点においては偉い人なのでしょうが、シナ事変がはじまった昭和十二年、東京帝大の助教授だった彼は講演で「日本の理想を活かすために一先ず此の国を葬って下さい」と語って大学を追われています。


 自分の国を「一先ず葬りたい」といったのですから、彼もやはりプローコミュニズム(共産主義びいき)と呼んでいいでしょう。帝国大学はいうまでもなく、天皇陛下がおつくりになった大学です。矢内原氏のような人は助教授としてふさわしくないとして去らざるをえなくなったのは当然でした。


 ただし、戦前の日本の帝国主義を批判したわけですから、戦後は高く評価され、東大総長にまでのぼりつめています。典型的な「敗戦利得者」です。


 この矢内原氏の専門は何かといえば植民地政策です。いちばん有名なのは『帝国主義下の台湾』という岩波書店から刊行された本です。台湾にたいする日本の植民地政策を批判したものですが、私からいわせれば、あの当時、台湾にたいする日本の植民地政策を批判できるキリスト教国が一国でもあったでしょうか?
                                     
 台湾は、日清戦争に勝利した日本が割譲を受けた土地です。そのとき清国の欽差大臣(きんさだいじん:全権大使)の李鴻章(りこうしょう)が何といったかというと、「あんな厄介な土地を獲得したら日本はひどい目にあうだろう」といっています。



 それから十年近くが経過したとき、ロンドン・タイムズはこういう趣旨の記事を書いています。- 「台湾という土地、イギリスもオランダも植民地にしようとすればできた土地であるが、そうはしなかった。それは台湾が瘴癘(しようれい)の地であり、しかもシナ大陸で罪を犯した人間たちの〝逃げ場所″だったからだ。そんな土地を日本はいま見事に経営している。すばらしい手腕だ」といって褒めています。



 「瘴癘の地」というのは伝染病や風土病が猖獗( しようけつ)をきわめる土地という意味です。


いくら植民地全盛時代といえども、欧米列強は何か見返りのある土地でなければ植民地にはしなかったのです。ところが日本は、見返りなどありそうもない台湾を植民地にして莫大な金を投下しています。そして、わずか十年ばかりのあいだに人口を増やし、文明化してしまった。だから、「これは世界でもすばらしいケースである」とロンドン・タイムズも驚き入ったのです。



 戦前の帝国主義時代に日本が帝国主義的政策をおこなったのは事実です。ただし、欧米の植民地政策とまったく違うところがありました。日本のばあいはその土地に入って行って、その土地の文化程度を日本と同じレベルに引き上げようとしたことです。イギリスの植民地のどこで土地の人を自分たちと同じレベルにしようと努力したでしょうか。そんなところはどこにもありません。



 ビルマ(現ミャンマー)を見てください。王族はインドに流され、そこで絶えています。インドネシアはあれだけ長いあいだオランダの植民地支配を受けていますが、ほとんど全員が文盲のままでした。それどころか、オランダはインドネシアの耕作地をコーヒー農園に転換させ、コーヒーを売りさばいて利益を吸い上げています。土地の農民は生活することさえできませんでした。



 それにたいして日本は、台湾の人たちを日本人のレベルにまで引き上げようとしたのです。そのため、日本の統治時代を知っている台湾の人たちはきわめて親日的です。台湾で日本および日本人の悪口をいう人は大陸からやってきた外省人です。蒋介石とともに台湾へ転がり込んできた敗残兵だけが日本を悪-いうのです。



 韓国だってそうです。向こうの人は「日帝支配三十六年」などと文句をいっています
が,日本と合邦した当時の韓国の文化水準は平清盛の時代と変わらなかったと、そんなことをいった学者すらいました。極貧の国でした。日本はそんな韓国を三十数年間で、人口も急増させ米の生産量も倍近-まで押し上げています。



  そして大阪帝大より前に、ソウル(京城)に帝国大学をつくっているのです(ちなみに京城帝大=大正十三年、台北帝大=昭和三年、大阪帝大=昭和六年)。明治四十三年の日韓併合にさいしては、李朝の王家も残し'王太子も永久に残すことにしています。



  韓国の人たちにしてみれば、日韓併合なんて余計なお節介だったかもしれません。しかし日本側からいわせてもらえば、合邦するのではな-純然たる植民地にしたほうが金もかからず手間もかからなかったことは確実です。しかし植民地とはせずに合邦の形にしたのです。それに、戦争中は日本の陸軍士官学校や海軍兵学校へ入りたがった韓国・朝鮮人が大勢いたではないかと、私はいっておきたいと思います。



 日韓併合は、英文で "colonization"(植民地化)ではなく "annexation"(併合)と表記
されています。"annexation"(併合)というのはイングランドとスコットランドの土地問題関係を示すときに使う言葉ですから、なんら謝罪すべき行為でないことは明白です。げんに合邦当時、これに反対した諸外国は一か国もありません。


 ついでにいっておけば - 植民地ではありませんが - 満洲にしても同様です。


 清朝最後の皇帝、すなわち満洲族の正統にある皇帝・溥儀は辛亥革命(一九一一~一九一二)によって紫禁城から出され暗殺される恐れが出ました。そこで彼は、砂吹雪がとくにひど-て見張りの目が緩んだ隙(すき)を狙って、イギリス人家庭教師レジナルド・ジョンストン卿とふたりして紫禁城を脱出。助けを求めて日本の公使館へ逃げ込んでいます。



 これが満洲建国のはじまりです。


 当時の満洲は馬賊の頭目のような連中が群雄割拠していて混沌のきわみにありました。自分を「王」と名乗る者も数人いました。ところが、日本軍の援助もあって溥儀が姿をあらわすと'さすがに満洲族の正系ですから混乱もいっぺんに治まってしまった。ただし'溥儀自身には統治能力がありませんので日本人が下について行政にたずさわりました。でも、大臣は満洲人か清朝の忠臣たちでした。そして「五族協和」という名のもとに清洲人、モンゴル人、漢人、朝鮮人、そして日本人が共存共栄する新国家ができたわけです。


 以上のことからもわかるように、日本の植民地支配は当時の状況においては考えられるかぎり人道的だったといえます。台湾人からは貴族院議員が出ていますし、朝鮮半島でも日本の県会議員に相当する人はほとんどが現地の人びとでした。東京の議員もいましたし、両班(ヤンバン)の数十家は日本の華族になりました。イギリスの植民地であったインドやビルマやマレーシアの人たちでイギリス本国の国会議員やイギリス貴族になった人がいるかといったら、そんな人はひとりもいません。
                             
 矢内原氏は思想がマルキストですから、日本の政策の租(あら)を探すのは仕方がないとしても、キリスト教徒として日本の植民地政策批判をするなら、アメリカやイギリス、フランスやオランダの植民地政策も公平な目で検討すべきでした。ところが彼は、とにかく自分の国が嫌いなものだから日本の租(あら)探しばかりした。
              
 戦後の左翼的文化人の祖国呪詛(じゅそ)のメンタリティを先取りした人、それが矢内原忠雄という人でした。


 彼は昭和二十六年、先の南原氏の後任として東大総長になっています。


(略)


・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載終わり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 矢内原忠雄は見るからに秀才の風貌ですが、戦後はこのような人間が進歩的知識人と呼ばれ、英雄視されたようです。矢内原を信奉した東大法学部出身で官僚に成った人間も日本の左傾化に今も貢献しているのです。




★『南京事件』2-1松原仁x渡部昇一
https://www.youtube.com/watch?v=MzcKup-C45A



★反日の朝日新聞
https://www.youtube.com/watch?v=RybKSXhV72A


★映画「南京の真実(仮題)」記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=zfX2AnJfbI8



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by kabu_kachan | 2016-07-02 20:07 | 歴史 | Comments(0)

「山本五十六」を研究せよ!(山本五十六の最期)

【私の見解】


①山本五十六は日本とアメリカの両方の戦犯にならない方法を模索し続けたのである。


②真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の発案者はルーズベルトである。
(ちなみに、ベンジャミン・フルフォードも言っているけど、ルーズベルトは毒殺されたんですよ。)


口は災いの元 : ルーズベルトの最期
https://www.youtube.com/watch?v=KQOowq6HIX8


(大田龍氏の週刊日本新聞 時事寸評 平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)第一千五百五十二回 転載))

F・D・ルーズベルト米大統領暗殺疑惑と、そしてその意味。


更新 平成18年01月13日00時04分

平成十八年(二〇〇六年)一月十二日(木)
(第一千五百五十二回)

○「操られたルーズベルト」
  カーチス・B・ドール著、
  馬野周二(訳・解説)、プレジデント社、一九九一年十月刊

○この本の英文原題は、
  FDR: My Exploited Father-in-Law
  By Curtis B Dall(一九六八年)

○本書の著者、カーチス・B・ドールは、
 F・D・ルーズベルト米大統領の娘と結婚して居る。

○従って、F・D・ルーズベルトは、ドールの義父であり、
 エレノア・ルーズベルトは、ドールの義母にあたる。

○そしてずっと後になって、ドールは、
 ウイリス・カートの主宰するリバティー・ロビーと言う政治団体の
 代表に就任した。

○本書は、
 シオニストユダヤ、ADLの一味に不法に乗っ取られる以前の
 IHR(歴史修正研究所)によって発行された。

○一九四一年十二月八日(七日)当時の米真珠湾海軍艦隊司令官で
 あった、キンメル海軍大将と、

○ドールは、一九六七年二月三日、対談した。

○そこでキンメル提督は、

○前任のリチャードソン提督が解任された、その後任として任命され
 た、一九四一年晩秋、

○ワシントン(米海軍省)は、
 主力艦数隻、輸送船を他の地域に派遣せよ、と命令してきた。

○更に、日本軍のパールハーバー攻撃の少し前、ワシントンの海軍省は、
 パールハーバーの航空母艦五隻を他地域に移せ、と命令して来る
 (前出、二百九十一頁)。

○つまり、そこで、パールハーバー米艦隊は、
 空母はゼロ、と成ったわけである。

○キンメル大将も、カーチス・ドールも、
 これは、ルーズベルト政権による日本を対米英戦争に引きずり込む
 大謀略の一部であることを明確に認識して居る。

○米国では、
 一九四一年十二月八日(七日)の「日本のパールハーバー奇襲」説が、
 米国政府によるペテンであることについて、無数の暴露と論評がなさ
 れて居る。

○にも拘わらず、日本では、このペテンにもとづく「東京裁判史観」が、

○ますます強国に日本人の意識を支配しつつある。

○朝日新聞社の月刊誌「論座」の平成十八年二月号に、

○ 朝日新聞論説主幹 若宮啓文
  讀賣新聞主筆   渡辺恒雄

○この二人の「対談」、

○なるものが掲載され、

○東京裁判の全面肯定にもとづく日本の軍、政府首脳の「戦争責任」なる
 ものについて、

○売国奴的発言が展開されて居る。

○カーチス・B・ドールは、一九四五年四月十二日のF・D・ルーズベルト
 の病死は、何者かによる「暗殺」(毒殺)ではないか、

○と疑って居る。

○このF・D・R暗殺疑惑は、
 米国では、かなり広範に、反陰謀陣営に流布されて居るにも拘わらず、
 日本人には、まったく、知らされて居ない。

○要するに敗戦後六十年来、

○日本人は、米国そして、世界の、

○まともな情報から、完璧に遮断されたままなのである。

○我々は、まさに、
 一から、やり直すしかないのだ。

 (了)






ルーズベルトにしてもスターリンにしても、山本五十六にしてもヒトラーにしても、
第二次世界大戦の主役たちは、毒殺されたか戦闘で殺されたか自殺と見せかけて永久逃避したのである。

第二次世界大戦の黒幕たちが戦争の原因をわからなくさせているのである。




★ユダヤに仕組まれた世界大戦@【真珠湾攻撃・ユダヤ支配・ホロコースト】
https://www.youtube.com/watch?v=6aFAw0i-lJQ


★太平洋戦争敗北の真相
http://kabukachan.exblog.jp/21608752/



山本五十六は「アメリカと戦争になれば、日本は必ず負ける」ことを確信していた。

戦争になった以上は司令長官として戦わなければ日本軍の軍法裁判で死刑であろう。

司令長官として指揮を執ってアメリカに対して勇敢に戦ったとしても、日本は負けるとわかっているのだから、日本敗戦後のアメリカ軍の軍事裁判で死刑になるであろう。

アメリカ軍との戦いで進んでも退いても死刑になるのである。

ちょうど迷っているときに、ルーズベルトから「真珠湾攻撃は手加減してミッドウェー海戦でわざと負けるように」という秘密書簡が届いたのである。
最後にはこう書いてあった。「以上のことを実行してくれたら、後のアメリカ軍の軍事裁判で山本五十六司令長官を戦犯リストから外すことを約束する。   フリーメイソン同志ルーズベルトより」
(ただし、このときはフリーメイソン・ルーちゃんというニックネームだったかもしれない。)

★山本五十六はフリーメイソンである(1)
http://kabukachan.exblog.jp/19100570/


山本五十六は戦犯リストから外してもらうのと引き換えにミッドウェー海戦でわざと負けたのである。このあとは、南の小島に不時着してアメリカ軍と落ち合ってわざと捕虜にしてもらって終戦を迎えるつもりであった。
その時は、日本は負けているから、日本軍は山本五十六を戦犯として裁けない。アメリカ軍も山本五十六を戦犯にしないから、山本五十六は両方の戦犯にならずに目出度しめでたしとなるはずであった。




日本海軍の司令官として戦わなければ日本国に対しての戦犯となる。
しかし、アメリカと戦って負ければ、アメリカの軍事裁判で戦犯として処刑される。東条英機のように。

一旦、戦争が始まった以上は戦わなければ日本国に対する戦犯となる。
陸軍の場合は初戦は勝ちまくっていたから気づかなかった。
だが、海軍の場合、なぜアメリカと積極的に戦わなければならないのかわからなかった。アメリカと積極的に戦えば戦うほど、あとで負けた時のアメリカの軍事裁判での戦犯としての刑が重くなるのである。それならアメリカ軍と協力して日本海軍の軍艦や空母を自分たちで沈めてやるほうが、あとの軍事裁判で戦犯にされないで済むというものだ。ただあからさまに行なうと日本国民に批判されるから、あくまでわからないようにやったのである。

日本海軍全体にこのような暗黙の了解があったのではないだろうか?


すなわち、日本海軍は日本国民にわからないように、すべてのアメリカ軍との海戦でわざと負けて行ったのである。勇ましく海戦で勝ったところで何になる。あとで戦犯としての刑が重くなるだけじゃないか。戦争は人殺しだからね。だから、特攻隊の発想もこの考えから生まれたのではないだろうか?

そして今でも日本人は、日本海軍がわざと負けたことに気づかないでいる。山本五十六は英雄扱いのままである。


「神風特攻隊」はなぜ生まれたのか?
http://kabukachan.exblog.jp/26084767/



まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】
https://www.youtube.com/watch?v=PzymgZVDPAM&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp&index=14



山本五十六という人間を考える時に次の要点を基本におく。


①戦前、山本五十六は「アメリカと戦争になれば日本は必ず負ける」ことを確信していた。


②戦前、日本の軍人の中で、山本五十六ほどアメリカと関係の深かった軍人はいない。


③日本が敗戦した後、東条英機のように戦犯になって絞首刑になるのを恐れたか、アメリカ留学中に誰かにそう脅された。


以上の三つの要点が山本五十六の行動を決定づけた。

すなわち、「真珠湾攻撃は手加減しておいて、ミッドウェー海戦はわざと負ける」ということである。

真珠湾攻撃もミッドウェー海戦も山本五十六の発案(又は、ルーズベルトの発案かもしれないが)であり、両方の作戦とも強引に主張して指揮を執った(わざと負けるために)。


私の仮説

山本五十六はアメリカ滞在中(日本にいる時かもしれないが)に真珠湾攻撃とミッドウェー海戦をしてわざと負けるよう第三者から指示を間接的に受けた。そうすれば日本が負けた後の軍事裁判で戦犯にはしないからと言う内容であった。もちろん真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の発案者はルーズベルトである。こうなると暗号解読されていたかどうかというのは大した問題ではなくなる。そもそも日本海軍の方から真珠湾とミッドウェー海域にやってくるのが、ルーズベルトにはわかっているからである。


★真珠湾攻撃と暗号解読
http://kabukachan.exblog.jp/24391093/

かくして予定通り、日本海軍は真珠湾攻撃を手加減して、ミッドウェー海戦で大負けしてやったのである。

山本五十六は「これで日本は負ける。あとは自分が生きてアメリカ軍に捕まれば両方の戦犯にならずに済む」と思ったに違いない。

ルーズベルトの思惑通りわざと負けてやったからである。
だからまず、アメリカに対する戦犯にはならない。次に、日本国に対する戦犯になるかと言うと、日本は負けることがわかっているから、負けてしまえば山本五十六を戦犯として裁くことができない。

したがって、わざと負けたことが日本国民にわからないようにすれば、あとで汚名を着せられることもない。

・・・と、山本五十六は考えていたのではないだろうか?

だから、アメリカは東京裁判で海軍関係者を戦犯にしなかったのである。日本がアメリカに負けるよう協力してくれたからである。

巣鴨プリズンにA級戦犯で入っていて、あとで釈放された連中もGHQに全面協力すると誓ったから釈放されたのである。

その連中によって、現在の日本の政治とメディアは作られたのである。

そして、日本国憲法もGHQが作ったから、日本の司法に携わる日本人もGHQ=アメリカに協力しているということになる。


山本五十六の最期

山本五十六は逃げるつもりであった。そしてアメリカ軍も了解していた。
なぜなら、戦死時に着用していた軍装は、太平洋戦争に突入してから山本が生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装(陸戦用服装)を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。

山本を含めた連合艦隊司令部は第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地を発進した。山本は1号機、宇垣は2号機に搭乗する。


山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。
ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官ひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。
米軍はこの暗号を解読して山本長官搭載機撃墜計画を練ったとされるが、むしろ山本長官自身ないしはその側近が、事前に何らかの方法で米軍に詳細な行動予定を知らせていたというのが真相だろう。山本長官はすべての役目を終了し、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて姿を消すことにしたのである。
山本長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮するP-38米攻撃機28機が午前7時33分、正確に山本長官機と出合った。ミッチェル隊はP-38の航続距離からしてわずか10分間という許容時間で攻撃を開始、山本長官機を撃墜したのであった。
右エンジンに弾丸を受けた長官機は火災を発し、黒煙を吐きながらジャングルの中に落下していった。2番機はモイラ岬沖の海上に不時着、宇垣参課長ら3名は助かったが、長官機は翌19日午後2時頃陸軍の捜索隊によって発見された。

アメリカ軍は誤って山本五十六が乗っている機体を撃ち落としたのである。
なぜなら、もう一機の宇垣の乗っている機体は無事に不時着している。始めから山本五十六を狙っていたのなら、二機のどちらに山本五十六が乗っているのかわからないのだから、アメリカ軍は二機とも撃ち落としたはずである。


アメリカ軍が楽に勝つようにしてくれた大恩人の山本五十六を、
アメリカ軍は間違えて撃ち落としたのである。

または、山本五十六の乗っている機体であることを知っていて撃ち落としたなら、山本五十六はルーズベルトに騙されたことになる。

Yamamoto Shot Down (footage from both sides)
https://www.youtube.com/watch?v=39-yZ_2aao0

以上が私の結論である。


山本五十六>スパイぶりのすごさ
https://www.youtube.com/watch?v=qzxG3is5ci8


★David Icke 2015 | The Truth About 911
https://www.youtube.com/watch?v=ZlSn4djZ9u8




アメリカは日本と戦争をする前から日本が負けた後の日本の占領計画などの構想を持っていた。

まず、陸軍を徹底的に悪玉にする。


★【高橋史朗】あらためて『GHQ洗脳政策』を考える
https://www.youtube.com/watch?v=js4nFGkuwcE&nohtml5=False

天皇は陸軍と深く係わっていたが占領計画をスムーズに行なうために善玉として残しておく。

政治家は日本が負けることに協力した連中に切り替える。

メディアや学校教育は赤色で染まらせる。

★「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ZIEeUCF5_LU

朝日新聞が良い例である。戦前、陸軍応援新聞だったが、戦後、180度向きが変わる。しかし、過去の証拠は消せなかった。新聞社だから。(NHKも同じ。)


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


★「事後法により裁かれた東京裁判」「東京裁判松井石根大将判決から導き出される結論『日本軍による南京大虐殺はなかった』」
https://www.youtube.com/watch?v=OW8cq6jV7i8



すべてが陸軍悪玉論に徹底した。だから山本五十六の批判はしない。

すべてが戦争前からアメリカによって仕組まれていた。
ただ初戦において、日本の陸軍が予想以上に強くて、あっという間に東南アジアを占領してしまったことである。
これも戦後の学校教育において、陸軍悪玉論を徹底的に教えることによって成功した。


★「ひと目でわかる『アジア解放』時代の日本精神」
https://www.youtube.com/watch?v=f9ApqXzMj5k



★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



★台本「真相箱」真相はかうだ-NHK洗脳ラジオ放送
https://www.youtube.com/watch?v=ToUz8pxhSC8



★渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M



★祖先の目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI





山本五十六の大罪


WILL  2008年8月号  「天地無用」


推 進
  大東亜戦争が国民を悲惨な窮状に陥しいれた根本の真実が、今ようやく中川八洋(『山本五十六の大罪』)によって曝露されている。良識派として偶像化されている米内光政が、実際に採った行動は以下の如くであった。
  昭和12年、廬溝橋事件を引き起こした運命の一発が、毛沢東の軍隊による仕業であった事実は周知であろう。しかしこの悪辣な罠を警戒した日本陸軍では1カ月後もなお不拡大派が主流であった。しかるに8月10日の閣議で、海軍大臣米内光政は上海への出兵を強引に要請する。8月12日、米内は首相近衛文麿の支援を得て二個師団出動を決めさせた。
  それのみならず8月14日の閣議で米内大臣が「南京占領」を唱えている。このとき外務大臣も陸軍大臣も反対した。すなわち南京占領に至る上海戦を推進した筆頭が米内光政である。興奮した米内は総理でもないのに8月15日午後7時半、「頑迷不戻(ふれい)な支那軍を膺懲(ようちょう=こらしめること)する」と、支那(チャイナ)への宣戦布告とも見倣し得るラジオ演説までした。のち無駄な戦死者を増やすのみであった「特攻」作戦を裁下した高官5名の1人が米内光政であった事は否定できない事実である。

怯 懦

  中川八洋の調査によれば、山本五十六の行動は奇怪きわまる。

彼が発案した真珠湾奇襲作戦は海軍部内の承認を得た検討の結果ではなく、及川古志郎海軍大臣に送った書簡一通によってのみ伝えられたにすぎない。事実、山本が奇襲部隊の出撃を敢行したのは、ハル・ノートが日本側に手渡されるより以前であった。この奇襲が何等の戦闘的実効をもたらさず、遂に米国の戦意を高めるのみに終わったのは申すまでもない。

そして日本の敗北を決定的にしたミッドウェー島攻略作戦の時機に山本は何処に居たか。真珠湾の時と全く同じ、聯合艦隊の司令部を瀬戸内海に置き、戦艦「長門」「大和」「武蔵」と居を移しつつ、賭博好きの本性を顕してカードに耽り、将棋をさして優雅な生活を送っていた。

ミッドウェー海戦の大敗北のあと、その責任をとるどころか、日本国内に対して敗北を隠蔽するのに腐心する。空母4隻から生還した第一級のパイロットたちをバラバラにして次々と遠方の前線に配属し、生証人が残らないように死線の境に送り込んで敗戦を帳消しにした。


欺 瞞

昭和19年、台湾沖航空戦の報道では、大本営海軍部の発表を丸呑みする各新聞によって次の如き戦果が謳いあげられた。
すなわち、撃沈は空母11隻/戦艦2隻/巡洋艦3隻、撃破は空母8隻/戦艦2隻/巡洋艦4隻、記録的な大勝利である。しかし中川八洋の解明するところ実際は、米国の空母も戦艦も、1隻たりとも撃沈していない。米国側で被弾大破したのは巡洋艦2隻のみであった。これが日本海軍の戦闘機300機以上と、同数のパイロットを失った末の代償であった。大本営の嘘もすでに極限に達していたのである。海軍は昭和天皇と国民を終始欺き通した。

陸軍は海軍が公言したこの虚偽戦果に基づいてレイテ島作戦を立てた。その結果は8万人部隊の97%以上の戦死者を出した史上空前の全滅である。これらの悲劇を生んだ嘘の捏造はすべて大本営海軍部の画策であった。

戦後、旧海軍の連中が記述した内容が虚偽とねつ造に満ちている実態を中川八洋はごっそり調べた結果を要約し、それらがことごとく嘘と脆弁によって構成されている内幕が実証された。これら綿密な証明に接すれば、誰でもが寒疣(さむいぼ)の立つ思いを味わうであろう。


● ミニ解説 ●

山本五十六はフリーメーソンであり、日本を敗戦に導くために大きな役割を果たした人物です。そのため、真珠湾攻撃の発案者でありながら、東京裁判では全くその罪を問われることなく、戦後も"名将"であったかのような報道や出版がなされています。世界を支配する闇の権力に高く評価された"功労者"だからです。

山本五十六は戦地で敵戦闘機に攻撃されて死んだことになっておりますが、これが偽装死であることは『山本五十六の最期』(蜷川親正・著/光人社NF文庫)を読むとよくわかります。海軍の中枢のほとんどが世界支配層によってコントロールされていたということです。

その結果、戦後東条英機を初めとする陸軍は徹底的に戦争犯罪人として断罪されていますが、海軍にはそのような批判は寄せられていません。しかしながら、アメリカとの戦争の火ぶたを切ったのは真珠湾攻撃なのです。

山本五十六は、アメリカが国内世論を第二次世界大戦への参戦に導くための口実をつくった立役者なのです。その真珠湾攻撃で、山本五十六が「自ら指揮を執るから」と言っておきながら、実際は瀬戸内海に浮かぶ戦艦の中で悠々と過ごしていたことがわかっています。

以下は、その事実を明らかにした中川八洋氏の『山本五十六の大罪』(弓立社)の中の一文です。


■怯懦に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六


山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の2文字を絵に猫いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

1905年5月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、1805年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の if としても考え付くものはいまい。

しかも、パール・ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。


■山本五十六は死刑――海軍刑法第四四条


1942年6月のミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、"最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーパー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。


第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗しているのにもかかわらず、空母四隻の前方にいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母4隻よりはるか後方540㎞に「逃亡=職場放棄」していた事実。


第二の理由は、4隻の空母の、3隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。
 この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

第四四条 指揮官はその艦船軍隊を率い 故なく守所もしくは配置に就かず またその場所を離れたるときは左の区別に従いて処断す
 1、敵前なるときは死刑に処す
 (以下略)
                 ―― 『山本五十六の大罪』(中川八洋・著/弓立社)

 この内容に関心をもたれた方は、当サイトの『山本五十六は生きていた』にもぜひお目通しください。日本をアメリカとの戦争に巻き込んで多くの同胞を戦火の犠牲にする手引きをしたこの人物は、いまはおそらく無間地獄で良心の呵責に苦しめられていることと思いますが、事実は事実として語り継ぐことが本人への供養にもなると思います。
                                     (なわ・ふみひと)





山本五十六がフリーメーソンのメンバーであったかどうかは知りませんが、海軍軍人として山本の先輩である米内光政が、実はフリーメーソンのメンバーであったという話は昔からけっこう聞きますね。


たとえば昭和12年に発生した日中戦争で、日本軍が中国の首都南京を占領した後、中国駐在ドイツ大使トラウトマンの仲介による日中間の和平交渉(トラウトマン和平工作)が行われた時に、当時の陸軍が和平案の内容についてほぼ同意していたにもかかわらず、当時海軍大臣だった米内がこれに猛反対して和平案を葬り去り、そのことが結果的に日中戦争の泥沼化と太平洋戦争を招くきっかけとなりましたが、これはフリーメーソンのメンバーであった米内が、「日本を巻き込んで世界戦争を起こす」という、当時のフリーメーソンの方針にしたがって行動した結果であるという説が一部にあります。


また、終戦後に米内がアメリカのGHQ(占領軍総司令部)から異常に厚遇され、本来なら戦犯に指名されてもおかしくはなかったにもかかわらず、逆にGHQから幣原内閣の海軍大臣にぜひなってほしいとまで懇願されたのは、戦争中にメーソンの指示を忠実に実行して日本を戦争に導いた米内の功績に報い、なおかつメーソンが計画する日本の占領行政を円滑に進めるために、当時の連合軍最高司令官でメーソンの一員でもあったマッカーサー(マッカーサーがメーソン会員であったことはおおやけにされています)元帥が米内を特別扱いしたためだという説があります。


また、日本が無条件降伏したその日に敗戦の責任を取って自決した阿南惟畿(あなみこれちか)陸軍大臣が、自決する時に介錯する部下に向かって「米内を斬れ」と叫んだ話は有名ですが、これも実は、阿南が米内の正体(つまりフリーメーソンのメンバー)を知っていたからであるとする説も存在します。ただしこれについては、当時陸軍大臣として本土決戦を強硬に主張していた阿南が、早期講和を主張して阿南と激しく対立していた海軍大臣の米内に対する憤激の思いから発せられたものであったとする説が有力ですが・・・


これらの説はいずれも状況証拠からのみ唱えられているものであり、それを裏づける確たる物的証拠が存在するわけではありません。また、日本軍人のフリーメーソン会員説については、海軍だけでなく陸軍の軍人にも以前から存在(例えば澄田來四郎陸軍中将=終戦時に中国駐留日本軍司令官。長男は第25代日銀総裁の澄田智)しています。





山本五十六が日本を敗戦に導いた
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki004.html


『山本五十六は生きていた』は私にとって「目から鱗が落ちる」思いのする本でした。私の読書法は、特に参考になると思う部分があると、そのページの耳(上の角の部分)を折り曲げておくのですが、この本は約370ページもある中で2~3ページしか曲げていないのです。ということは、10年前に読んだときは、やはり感じるところが少なかったものと思われます。私の問題意識がそこまで及んでいなかったということでしょう。
  しかし、最近になって改めて目を通して見ますと、私が先の戦争(太平洋戦争)に関して疑問に思っていたことの答えがすべて書かれていました。
  その疑問とは、まず「日本はなぜ勝ち目のないアメリカとの戦争に踏み込んでいったのだろうか」ということです。もちろん、それは「陰の世界支配層」に操られたルーズベルトの陰謀により、ABCD包囲網などで嫌がらせをされ、最後通牒としてのハル・ノートを突きつけられて、戦争に踏み切るしかないところまで追い詰められたからだ、という程度の知識は持っていました。
  当時アメリカ国民は、ヨーロッパでの戦争にアメリカが参戦することには強く反対していたのです。ですから、ヨーロッパにおいてヒトラーのドイツと戦っているイギリスを支援をするには、ドイツと同盟を結んでいる日本を挑発して、先に攻撃をさせる必要があったのです。そのために仕組まれたのが、日本海軍による真珠湾への先制攻撃でした。しかも宣戦布告なしの攻撃ということで、アメリカ国民の心に怒りの炎を燃え立たせる必要があったのです。
  日本の宣戦布告が遅れたのは、駐米日本大使館員の不手際だったということになっています。大使館員がへまをしたために、アメリカ政府に届けるのが遅れてしまったというのです。そのことも、私には疑問に思えてなりませんでした。相手の国に宣戦布告をするような重要な文書が、翻訳に手間取って時間までに届けられなかったというようなことが考えられるでしょうか。まるで子供だましの世界です。その証拠に、そんな不手際をしたとされる大使館員たちは、その責任を問われることもなく、戦後は全員が栄進しているのです。

  さらに不思議だったのは、日米の戦局を大きく左右することになったミッドウェー海戦です。どう考えても意味が理解できないおかしな作戦になぜ踏み切ったのでしょうか。この作戦は山本五十六が徹底的にこだわったと言われています。反対の意見が多かったにもかかわらず、この作戦が採用されなければ自分は司令長官を辞任する、とまで言って強引に通しているのです。

  そして、もうひとつ疑問に思ったことは、日米の戦力が全くの互角だったあの海戦では日本が勝利する可能性もあったはずなのに、アメリカがあたかも勝利を確信しているかのように落ち着いて日本の艦隊を待ち受けていたのはなぜなのかという点です。もし、あの戦いで日本が勝利を収め、アメリカの主だった空母が沈められることになれば、戦争は圧倒的に日本が有利になっていたからです。
  この本によれば、その答えは、日本の艦隊を指揮していた山本五十六や南雲忠一はフリーメーソンだったから、アメリカは安心していたのだというのです。必ず日本が負けるような作戦をとってくれるとわかっていたのだとか。これで全ての謎が解けました。つまり、山本五十六は最初から負けるためにミッドウエー海戦を仕組んだのでした。もともとあの戦争は日本を負けさせるためだったのです。そのことが具体的な情報に基づいて、大変な説得力をもって書かれています。
  要するに、日本の政界や軍部の中枢にはフリーメーソンの信奉者が数多くいて、日本を敗戦国にすることを目的として戦争に突入していったということなのです。これでは、純粋に日本の国益を守るために命を捧げた多くの兵士の魂は浮かばれない気がします。
  そう言えば、戦後、東京裁判で戦争責任が問われたのは陸軍ばかりで、真珠湾攻撃を計画した山本五十六や、その指揮を執った南雲忠一らは全く罪に問われていないどころか、その後まるで英雄扱いをされているのです。この落差は異様だと思いませんか?

                       ☆ ★ ☆
  そしていま、日本の政治・経済を取り巻く情勢はあの時と同じような局面を迎えつつあるのです。「知らぬは国民ばかり」という事態が密かに進行しつつあります。2005年夏の総選挙で小泉自民党が圧勝したことによって実施されることになった「郵政民営化」も、そのひとつと見てよいでしょう。
  しかし、郵貯や簡保の350兆円が外資の餌食になるということだけが問題なのではありません。日本の国そのものが抹消されようとしているのです。世界を陰で支配する勢力に屈し、操られているわが国の政治家や官僚、マスコミ、財界人などによって、いまこの国はその方向に誘導されつつあるのです。



山本五十六は生きていた
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku01.html


骨の髄まで親米派のフリーメーソン       [TOP]

  山本五十六は明治17年4月4日、新潟県長岡の玉蔵院町に六男として生まれた。父・高野貞吉はすでに56歳に達していたので「五十六」と命名されたという。山本姓を名のるのは少佐時代の33歳のときに山本家の養子となってからである。
  (中略)
  大正2年12月には巡洋艦「新高」の砲術長となるが、砲術学校時代には海兵29期で五十六より2期上の米内光政と交誼を深めた。米内も教官として赴任しており、五十六とは同じ部屋に起居している。二人はことごとく波長が合ったと言われるが、のちに米内海軍大臣、山本次官のコンビで、陸軍がすすめる三国同盟に真っ向から反対することになる。
  大正5年海軍大学を卒業、第二艦隊参謀となるが病気で休職、続いて同6年、海軍省軍務局第二課を経て大正8年5月20日、米国駐在となって横浜を出港した。アメリカではボストンのハーバード大学に籍を置き英語力を身につけた。
  大正末から昭和の初めにかけては再び渡米し、日本大使館付武官として2回目の米国在勤をしている。米国在留中に五十六は中佐に昇進、アメリカの産業やヤンキー精神に強く瞠目するが、五十六がフリーメーソンに入信したのもこの頃と思われる。五十六は在任中にアメリカで石油および航空軍備について強い影響を受けた。
  大正7年に五十六は帰国、10年から12年半ばまで海軍大学の教官に任じた。その後9カ月の欧州視察旅行を終え、大正13年3月帰国。そして1年3カ月後、五十六は三たび渡米。アメリカの日本大使館付武官となった。戦前の海軍でこれほどアメリカと縁の深い軍人は他にいないのではないか。
  山本五十六が骨の髄まで親米派となる過程は、このようにして造られたのである。


真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。
  不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。
  被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。
  こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であったことがわかる。山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」により英雄視されているが、その結果残ったものは「日本の卑怯な騙し討ち」という非難と、アメリカの対日積極参戦の意識高揚、そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。この時死んだアメリカ兵2403名は今でもアメリカ人にとって対日憎悪の原因となっている。



http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku04.html

こうして昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して山本長官は午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸した。宇垣参謀長らを乗せた二番機もほぼ同時に離陸したが、これを護衛するのは第204航空隊の零戦わずか6機だけであった。
  この日、山本長官はなぜか正式な連合艦隊司令長官の軍服ではなく、生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。
  山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。
  ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官のひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。



太平洋戦争と戦後を作ったフリーメイソンの走狗たち


ワシントンはフリーメイソンであった。

下記のページの2枚目の写真を見てほしい。

http://www.lewrockwell.com/spl2/pyramid-and-all-seeing-eye.html

THE BROTHERHOOD OF MAN(人間の兄弟愛)と書かれてある。

辞書を見ると、BROTHERHOODとは「友愛」とも訳すことができる。

鳩山が友愛をスローガンに掲げたのはフリーメイソンに由来するのは有名な話だ。

だが、彼の実の父親であると言われている笹川良一のスローガンであった「世界は一家、人類は皆兄弟」もフリーメイソンに由来するのではないか。

笹川がフリーメイソンであるならば、笹川-児玉誉士夫ラインから、児玉もその一味であると分かる。

笹川と山本五十六はつながっていた。


(笹川は)戦前は航空機等の最新の軍需技術を研究する柔軟さを武器に「海軍」(山本五十六)に取り入り、「濡れ事」(諜報用語で汚い仕事のことです)を引き受けることで出世しました。
そして大陸で汚い仕事をやって蓄財し、戦後のドサクサに紛れて軍需物資を略奪したという疑いがあります。
http://sun.ap.teacup.com/souun/1741.html


山本は、カトリック信者であった。


山本五十六氏は、カトリック信者で、昭和15年にローマ法王に謁見しています。
http://sun.ap.teacup.com/souun/1741.html


カトリックの中枢は、イエズス会である。

イエズス会はイルミナティ。

となると、

イルミナティ=フリーメイソン=山本五十六=笹川良一=児玉誉士夫

とつながってくる。

なお、児玉は、満州において麻薬の密売をやっている。


日本が中国に侵略し建国した満州帝国で麻薬密売を担当し、日本の戦争資金を作っていたのが里見であった。…

里見の部下が児玉誉士夫である。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-35.html


この満州建国と運営を、国際連盟は侵略と断定するのだが、その侵略の後押しをしたのは、実は米国であった。


米国政府に武器を売り付け「金儲け」するブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売し利益を上げていた。

敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-35.html


児玉は、戦後CIAに協力するようになる。


「1948年末、釈放された児玉はCIAに協力するようになった」と後にアメリカでも報道された。
(Wikipedia-児玉誉士夫)


自民党の設立資金は、児玉機関が中国で略奪した物資に基づいていた。

これで筋書きが見えてくる。

つまり、

山本、笹川、児玉は、フリーメイソンの国、米国と協力して、日本の侵略を既成事実化させ、戦争に導き、負け戦をさせ、乗っ取りを図り、成功した後に、侵略の金で自民党を作り、米国の傀儡国家と化した新生日本の筋道を作った。

太平洋戦争も、戦後政治も茶番であり、最初から筋書きが決まっていたのでしょう。

世界統一政府に向かって彼らの計画は着々と進んできた。


 

連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪』 中川八洋:著

第二節 怯儒に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六

山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

一九〇五年五月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、一八〇五年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の旺としても考え付くものはいまい。。

しかも、バール.ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。

山本五十六は死刑 海軍刑法第四四条

一九四二年六月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、〃最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーバー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。

第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗、、しているのにもかかわらず、空母四隻の前方二㎞にいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母四隻よりはるか後方五四〇㎞に「逃亡=職場放棄」していた事実。

第二の理由は、四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

「第四四條指揮官その艦船軍隊を率ゐ 故なく守所もしくは配置の場所に就かずまたはその場所を離れたるときは左の区別に従て処断す
一、敵前なるときは死刑に処す
二、略
三、略」
「第三八条指揮官その尽くすべきところを尽くさずして敵に降りまたはその艦船もしくは守所を敵に委ねしたるときは死刑に処す」

空母一隻につき、海戦の場合、必ず、戦艦二隻を空母護衛のため、その前方と後方に張りつけなければならない。両脇は、巡洋艦と駆逐艦とが囲んでいなくてはならない。空母とは、最強の〃長槍の戦士"だが、鎧を着ていない。だから、鎧を着た重厚な戦士たちが、その前後左右にいて、"長槍の戦士"を護る「鎧代行」をする。また、当時の空母は、受信能力が低く、戦艦による「受信代行」も不可欠であった。

空母は、団子のように固めてはならず、原則一隻ずつで陣形を組む(図1)。バラバラが基本である。仮に複数空母をまとめるとしても、敵の航空攻撃の射程圏内に入るときは、決して二空母以上はしてならず、この場合、二空母を進行方向に縦列にする。ところが、ハワイに出撃した南雲の六空母陣形は、平時の観艦式のつもりなのか、あってはならない最も危険な陣形であった(図2)。たまたま、敵の空母部隊の攻撃がなかったのが幸運であった。

ミッドウェー海戦における南雲の四空母の機動部隊もまた、この艦観式ダイプの二列の団子形であり、戦場の現実がわからない、素人の陣形である。空母機動部隊の戦闘陣形も知らない山本五十六の、その"空母主義"など、現実から遊離した観念のレベルであった。山本にとって空母は、"豚に真珠"であった。空母を十全に働かせるには、戦艦「大和」こそ、これら空母の先頭にいて防空と通信の二大任務を果たしていなくてはならない。

実際にもミッドウェー海戦で、山本五十六が率いる直率の部隊には戦艦が三隻もあった。空母四隻のはるか後方でブラプラしていた役割不明の「警戒部隊(高須四郎中将の指揮)」には戦艦が四隻もあった。これだけでも七隻である。南雲・機動部隊(空母四隻、戦艦二隻)にこれを加えれば、戦艦はすべてで九隻も現場にいたのである。空母四隻を守る戦艦は、ちゃんと出撃していた。

閑話休題。女と博突の生涯であった山本五十六の正体は、頭が極度に劣化した無能人間で、高いIQを必要とする大海軍の指揮官の適性がなかった。それを示すエピソードを挙げておこう。う米内光政/山本五十六/井上成美/大西瀧治郎/豊田貞次郎の五人が、揃いも揃って、常軌を逸した"バカ・アホ・間抜け"であることを示した「水ガソリン事件」である。米内や山本らは、H20(水)にはC(炭素)が含まれていると信じた。彼らは、小学校四年生の水準すらなく、その頭は異常であった。

一九三八年、海軍次官の山本五十六(中将)と航空本部教育課長だった大西瀧治郎く大佐)は、「水からガソリンが採れる」と.いう、マジシャンの詐偽話を信じた。そして、山本五十六が海軍次官として命令を出し、海軍航空本部の地下室でこの詐欺師に三日問に及ぶ公式実験をさせた。このとき、これに協力した航空本部長は、一九四一年七月、外務大臣になれたうれしさで、近衛文麿首相を支持して「南進」を決定する、あの豊田貞次郎(海軍中将)であった。

かくも痴呆的な頭に奇行常習と遊び優先、これが山本五十六の真像であった。この実験中、山本五十六は、大福餅などを差し入れしていたという。海軍大臣であった米内光政も、たぶんに、この「水ガソリン」を信じたのだろう、最初、大臣室での実験を勧めたと言う。

なお、このとき、「馬鹿げている」と直言して、この実験に反対する部下に対して、井上成美が、「上司に逆らうな」と叱責している(以上は、注1)。井上成美もまた、自由な討議をいっさい禁止した、息が詰まる帝国海軍の末期症状に加担していた一人だった。

もう一つの事例は、ミッドウェー海戦にも通ずるもので、米内/山本/大西ら、当時の海軍の出世街道を走る連中は、「兵器におげる、攻撃と防御の不可分性」が理解できない、度外れの欠陥軍人だった問題である。米内光政の渡洋爆撃や大西瀧治郎の重慶爆撃の時、いずれにも、護衛(掩護)戦闘機がなく、れらの爆撃機の被害は基大であった。ミッドウェー海戦で、空母四隻のそれぞれに二隻づつ、計八隻の護衛戦艦をつけなかった山本とは、このような爆撃機に戦闘機をつけない米内らと同じ、「防御不要(鎧不要)」という、非軍人的発想をしていたからである。

ちなみに、一九三七年八月十五日の、米内が主導した渡洋爆撃も同じだった。長崎県大村から出撃した、海軍の新しい爆撃機「九六式陸上攻撃機(中攻)」二十機は、掩護戦闘機なしであった。だから、東シナ海を渡洋して南京を爆撃したが、四機が撃墜され、六機が被弾した。その戦果はゴミのレベルだった。さらに翌日、このうち九機が済州鳥から蘇州を再爆撃したが、一機が不時着して大破し、結局、二日で半減した(注2)。

.戦場の現実をまったく想定できず、「鎧なしで戦え」と、鎧を着けさせずに平気に部下を戦場に出撃させる〃狂気の提督"、それが米内/山本/大西らであった。彼らは、敵はいつも反撃能力がゼロだと考えていたのである。大西瀧治郎の〃掩護戦闘機無用論"の無謀さについては、生出寿の『特攻長官大西瀧治郎』が簡便でわかり易い(注3)。

戦後、「大艦巨砲主義」が悪玉に仕立て上げられたため、山本五十六や大西瀧治郎の「航空主兵主義」が何か時代の先駆け的な、優れた軍備への切り替えをしたように誤解されている。だが、山本五十六は、一度も操縦樟を触ったこともない、航空のズブの素人だった。山本の「航空主兵」は、正しくは〃戦闘機不要論"と一緒になった、"爆撃機万能論"のことで、歪なものだった。だから、制空権は取れず、敵への損害がほとんどない、負け戦しかなりえなかった。

B29のように、敵の戦闘機が迎撃できない高度一万メートルを飛行して爆撃するならいざ知らず、敵が死に物狂いで制空権を失うまいとしている低高度の空域においては、掩護戦闘機のない爆撃機など、無暗に撃墜されるばかりである。だが山本は、九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機があれば、勝ちまくれるという、マニア程度の発想から成長することはなかった。大西もまた、山本とそっくり同じ考えだった。

戦闘機の量的不足と軽視が、味方爆撃機の極度な損耗となった。一式陸攻の生産総数は二四一六機、終戦時残存は一六二機であった事実は、掩護の欠如ぶりのひどさを物語っている。"爆撃機万能論"は、「大艦巨砲主義」より、はるかに始末に悪く、帝国海軍自減の主因の一つであった。

二 命惜しさの無線封じー世界の戦史上類を見ない"超臆病軍人。山本五十六

ミッドウェー海戦の敗因は、山本五十六を庇うために奥宮正武らが考案した、弁解用の創り話「魔の五分問」(注4)などでは、もちろんない。最大の主因は、軍人にあるまじきレベルの、"山本五十六の怯儒。(臆病)にある。第二の原因は、偵察機の情報をインテリジェンスして、敵空母の位置を正確に推算する能力に欠けていたからである。第三の原因は、空母の運用が稚拙で実戦から乖離した素人のそれでありすぎたことだろう。

"山本五十六の怯儒"とは、山本が自分の命を惜しんで、戦艦「大和」の通信傍受隊が敵空母の位置を一日以上も前にキャッチしているのに、それを南雲提督が率いる空母機動部隊に知らせなかった事件である。"無線封止"を解けば、自分が乗艦している「大和」の位置を敵に知られて攻撃される可能性があると、山本は、自分の命大事と戦々恐々として、それを避けたのである。

佐々木彰・航空参謀は、次のように、回想している。これは他の証言と合わせると、おおむね正確のようだ。山本五十六こそが、知らせなくて良いと最終決定したのである。

「四日夜〈大和〉にあった敵信(敵通信傍受)班は、ミッドウェーの北方海面に敵空母らしい呼び出し符号を傍受した報告してきた。(すぐに南雲司令官のいる空母〈赤城〉に知らせるべきかどうかについては、最終的に)この電報は(山本)長官に申し上げて(打電しなくてよいと指示されたので)打電しないこととした」(注5、カツコ内中川)。

次に、山本五十六は、味方空母を敵の艦爆隊攻撃から護衛する(自分が座乗する)戦艦「大和」などの戦艦部隊を南雲空母機動部隊の前方に展開しなかった。東郷平八郎が敵艦隊の前面にでて艦橋に自ら立ったのとはまるで異なっていた。山本は、自分の命を惜しんだ。しかも、空母機動部隊より、はるか後方、なんと約五四〇㎞も離れた、絶対安全圏に「大和」を位置させ、その司令長官室で将棋を指していた。

何のために、山本五十六は、ミッドウェー海戦に出撃したのか。その必要はまったくなかった。むしろ、山本五十六という疫病神が出かけて、指揮を混乱させたから、四隻の空母喪失という大敗北になったと、戦闘記録は無言で行間に語っている。

山本の臆病は、ガダルカナル島作戦における、米海軍の提督たちと比較するともっとはっきりする。山本は、将兵激励のため、ガ島に一度も足を運んでいない。一方、米国側は、ニミッツ提督が一九四二年十月に、ハルゼー提督が同十一月に、ノックス海軍長官すら一九四三年一月に、現地部隊の将兵の激励に訪れている。そもそも、山本の人格には、"死闘の激戦"が繰り広げられている「戦場の将兵激励」という発想がない(注6)。

臆病の問題以上に、もっとトンデモない、もっと本質的な問題が山本にはある。ガ島での、日本の陸軍部隊の損害は死者二万人を越え、この二万人のうち餓死が一万五千人以上だったが、これらの陸軍の将兵の死を聞いた山本が、手を合わせたとか、涙ぐんだとかの、そのような記録も回想も皆無である。山本は唯物論的な無神論者だったという指摘は多いし、これは事実であった。三千名を越えるミッドウェー海戦の部下の死に対しても、山本は葬儀はおろか弔意も表していない。

山本にとって、戦死であれ、餓死であれ、大量死亡こそは、嬉々として楽しむ〃快楽"であったろう。自分の手を血で汚さない〃快楽殺人鬼"、これこそが山本五十六という人間の真像であろう。

ミッドウェー海戦における山本の問題はもう一つある。四隻の空母を撃沈されたとき、戦闘はまだ終了したわけではなかった。日本側には、アリューシャン列島に展開している小型空母が二隻あり(搭載航空機二七機の「隼鷹」、三十六機の「龍蟻」)、これをミッドウェー海域に呼び戻し、まだミッドウェー海域にある改装空母二隻(計三十九機)と戦艦十一隻をこの護衛につけて再編成し、「大和」を旗艦として山本五十六が指揮すれば、米海軍に最後に残る手負いの空母二隻(エンタープライズ、ホーネット)を撃沈することなど容易だった。

なぜ山本五十六は、「退却」の名目で、慌てふためき「敵前逃亡」したのか。それは「職務放棄」ではないか。山本は、恐怖に震えていた上に、指揮する自信がなかった。空母機動部隊の発案はしたが、実戦のできない〃口舌の徒"にすぎない自分の真像がばれるのが怖かった。

山本は、その後しばらくして、戦艦「大和」をっれて、トラック島に逃げ込んだ。ミッドウェー海戦大敗北のほとぼりが冷めるのを待つことにしたのである。山本の頭と行動には、「自己保身」以外、何もなかった。



★山本五十六・敗北の謎

http://kabukachan.exblog.jp/19100570/

http://kabukachan.exblog.jp/19105622/

http://kabukachan.exblog.jp/19106978/

http://kabukachan.exblog.jp/19106989/


フリーメーソンが日本を敗北させた
http://kabukachan.exblog.jp/18152497/


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by kabu_kachan | 2016-06-17 22:12 | 歴史 | Comments(4)

自虐史観

自虐史観(じぎゃくしかん)とは、太平洋戦争後の日本歴史学界において主流であった歴史観批判・否定的に評価する側が用いる言葉である。彼らは、戦後の歴史観が自国の歴史の負の部分をことさら強調する一方で正の部分を過小評価し、日本を貶めるものであると主張している。

ほぼ同種の造語として、日本悪玉史観東京裁判史観がある。「自虐史観」への批判者たちが連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による戦後統治極東国際軍事裁判(東京裁判)を通じて「日本は悪である」との考え方を「押し付けられた」とみなしているためである。

「自虐史観の病理」の著者である藤岡信勝は自虐史観の対義語として「自由主義史観」を造語した。秦郁彦は「自虐史観」も「東京裁判批判」も語義は曖昧だと指摘する[1]


自虐史観とは[編集]

戦後の歴史観を「自虐史観」と呼ぶ層の主張は概ね以下のとおりである。

太平洋戦争での敗戦により、GHQによる統治が行われる中で、歴史学界や教育界の一部(学校教育の現場、日本教職員組合に入っている教師ほか)などでは、占領政策を支え、GHQに迎合するかたちで、なぜ敗戦に至ったのかという視点から過去への反省がなされることとなり、その過程で戦前の日本国民が共有していたすべての価値観は根底から覆され、否定される事になった。アメリカとの比較で日本の近代化の遅れや、民主主義の未成熟などが問題とされることが多かった。また、戦前には皇国史観が歴史研究に影響を及ぼしたことを踏まえ、マルクス主義の影響を強く受けた歴史研究(唯物史観)が主流となった。また、GHQによる「真相はこうだ」などの歴史検証番組の放送や、墨塗り教科書、戦前の思想的基礎となった図書の焚書などもそれに拍車をかけた[誰によって?]

沿革[編集]

秦によると1970年代に入った頃に、まず「東京裁判史観」という造語が語義がやや不分明のままに論壇で流通し始めたという[2]

冷戦終結で日本の最大の同盟国アメリカ合衆国が唯一の超大国となったことから、その庇護を受ける日本でも日中戦争太平洋戦争侵略戦争ではなかったとして伝統文化などにおいて歴史を再評価する傾向が表れ、自由主義史観を唱えた教育学者藤岡信勝らによる「新しい歴史教科書をつくる会」などの運動が活発となった。「つくる会」は、主として近代史において、これまで主流であった歴史認識を「自虐史観」であるとして批判する。そして戦後の歴史教育日本の歴史の負の面ばかりを強調し過ぎ、あまりにも偏った歴史観を自国民に植え付ける結果となったと批判している。その教育を受けた結果、「自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」、「日本は反省謝罪を」という意識を植え付けられ、いわゆる戦後民主主義教育によって連合国の思うがままの誤った歴史観、つまり自虐史観が蔓延したとして、「つくる会」の言うところの「暗黒史観」や「土下座教育」の改善を主張している。秦はこうした主張の主力を占めるのは、渡部昇一(英語学)、西尾幹二(ドイツ文学)、江藤淳小堀桂一郎(国文学)、藤原正彦(数学)、田母神俊雄(自衛隊幹部)といった歴史学以外の分野の専門家や非専門家の論客であり、「歴史の専門家」は少ないと指摘している[3]

2014年平成26年)1月には自由民主党が運動方針案に「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書編集検定・採択で必要措置を講ずる」と明記した[4]


秦 郁彦(はた いくひこ、1932年昭和7年)12月12日 - )は、日本官僚歴史学者、現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士東京大学、1974年)。

山口県田布施町出身。鉄道省の技術官吏である父は太平洋戦争中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して戦死した[1]1952年に山口県多々良学園高校卒業東京大学法学部に進み在学中は戦史研究に没頭し、丸山真男の指導を受けてA級戦犯を含む多くの旧日本軍将校らからのヒアリングを実施した[要出

専攻は、日本の近現代史第二次世界大戦を中心とする日本の軍事史。その他、昭和史に関する著作がある。

日本国際政治学会太平洋戦争原因究明部による共同プロジェクトに参加し、研究の成果は後に『太平洋戦争への道』として出版された。同書は開戦に至る日本外交を描いており、1987年の新装版刊行に際しての朝日新聞社の書評では「開戦外交史の通史としてこれをしのぐものは現れていない」と評価された。近現代史に関わる事典の編纂も行った[要出典]






【半藤一利・保阪正康・秦郁彦の歴史観は異常】


1 :名無し三等兵:2014/09/03(水) 13:43:49.98 ID:5ZREEOge

若狭
『私は高校で歴史を教えていましたが、専門家と違って一次史料に当れるチャンスが、そんなにあるわけではない。
「先生、これはどうして?」と生徒に聞かれたときに、できるだけ努力して原典を読んで採ってきました。
かつて、田母神さんの講演の前座を務めたことがありますが、その時にこんなことを言いました。
「3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)とよばれている昭和史の研究家の方々がおられますが、
3Hなんていう鉛筆は硬くて使い物にならない」と(笑)』

渡部
『3Hさんたちは、戦後昭和史を一生懸命調べたんですよ。ふつうの人が知らない情報もいっぱい持っておられる。
でも「一番肝心なこと」が抜けている。それは、「その時、外国は何をやっていたのか」という視点・論点です。
まさに、「その時、外国は何をやっていたのか」に最初に言及した人は、東條英機です。
前述した「東條英機の宣誓供述書」なんですよ。

東條さんは、「支那事変以来、日本はずっと『受け身』であった」と言っている。
「何かをされるから、それに応えてやらざるを得なかった」と証言している。
それは、当時の人間も知っていたことです。
しかし、戦後の昭和史研究の人たちは、一生懸命調べたけれども、「東京裁判史観」に結びつくような結論にしか至らない』



東京裁判史観


いくつかの本から「東京裁判史観」の定義を引用すると、

•(東京裁判の)裁判所の下した判決の内容はすべて正しく、満州事変にはじまり、大東亜戦争に終わった、日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、被告たちの共同謀議に基づく侵略戦争であって、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて「悪」であった。

•日本が支那を侵略したために、太平洋戦争に突入したなどという歴史観。まさにアメリカの占領政策によって植えつけられた誤った史観。自己否定、卑屈、盲従、無定見をもたらす精神構造のこと。今最大の問題となっている日本人の精神の荒廃は、東京裁判で始まっているといえる。

•昭和3(1928)年以降の日本国の対外政策・外交方針は一口に言って侵略的であり、道義にもとるものである。武力行使を発動したときには、常に国際法で言うところの戦争犯罪を伴っていた。



この史観を信奉する日本人は以下の二つのタイプに分類できる。

•この東京裁判史観信奉の立場に立ってものを言い、あるいは文章を書くほうが、自己の保身のため、あるいは処世術として自分にとって有利であり、好都合であるという風に考えて、この史観信奉の立場に立つ輩、すなわち、いわゆる進歩的文化人、一部の学者、評論家、作家、マスコミ 。

•東京裁判についてはほとんど何も知らないけど、有名な学者や評論家たちが、あの判決は正しいと言っているから、きっと正しいに違いないと考えて、判決内容をそのまま信じ、その結果、東京裁判史観信奉の立場に立つ一般人 。

反日日本人、自虐史観派は「教科書で特定の政治勢力や宗教を攻撃したり、他民族を蔑視したりしてはいけない。ナショナリズムやイデオロギーを強調してはいけない」などと主張しているが、彼らは国粋的な支那や朝鮮の教科書は絶対に批判しない。こいつらは要するに支那や朝鮮の工作員と同じことをやっているというだけの話なのである。


ちなみに、支那や朝鮮では自虐史観を持つ学者は少なくとも社会的には存在しない。そんなことをすれば殺されるからである。日本は恵まれた国である。

この東京裁判史観は、日本の初等・中等教育における教育方針、教科書の編集、記述方針を完全に支配してしまった。この史観が教育界を支配してしまったのは昭和24、5年の頃で、日教組が教育界を支配していった趨勢とほぼ並行している。教科書作成のガイドラインである「学習指導要領」という文書が、日教組の巧妙な浸透によって彼らの思い通りに策定されるという形でこの勢いが進行してしまった。

この史観には講座派史観が取り入れられている。いずれも「自虐史観」の典型である。

自虐史観
講座派史観
階級闘争史観

戦後、日本人の考え方、あるいは歴史観を歪曲した最大の原因として「東京裁判」とその判決文に示された日本悪玉論があった。判決書の中で最後に主文が書いてあり、誰を絞首刑にするなどと書いてある。その前にその理由が書いてあり、そこに連合国側に都合のよい歴史観が書いてある。日本はかくかくの悪いことばかりした。たとえば、南京大虐殺など、と。


http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/tokyosaiban_shikan.htmlより引用。



【緊急記者会見】ユネスコが中国の「南京大虐殺」捏造資料に太鼓判~戦勝国の歴史創作を許すな!
https://www.youtube.com/watch?v=wkYRGh0xpHQ


1/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=7BD4EeZl71U

2/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=b_XaRjfjvE8


3/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=soBmChuHDhM



★中国帰還者連絡会(中帰連)は、なぜ捏造創作証言を行い続けるのか?

以下
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-234.htmlより引用

………支那共産党による、いわゆる「戦犯」(正確には「違法に拘留した捕虜」)への洗脳についての説明を紹介する。

以下「あやしい調査団・ 満洲どよよん紀行」撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋

中共建国の翌年の昭和25年(1950年)、日ソ友好条約の締結時、一部の捕虜はスターリンから中共にプレゼントされ、撫順に収容された。
いよいよ、後日、彼ら自身に「鬼から人間に戻った」と言わしめる洗脳が始まったわけである。
戦犯の処置は新中国の重要な国家政策として周恩来が直接指揮をとり、管理は司法部ではなく公安部が担当した。公安部長の羅瑞卿は、延安で多数の日本兵捕虜を洗脳して、日本軍の正面に送り出してきた捕虜政策のエキスパートであった。
一方ハルピンの尉官級以上の人たちも「学習」が続けられ「総括書」を書かされた。これは、学習して得た共産主義の認識に基づき、過去の自分を自己批判しろということである。
罪は重くても完全に共産主義思想になったものは許す。逆に軽微な罪行でも思想を改造できないものは重く処罰する、としつこく繰り返された。
中共側は共産主義思想に転向してこそ初めて過去の旧思想時代の犯罪を自供できる、と主張していた。
つまり「思想改造」と「認罪」の同時工作であり、中共国内の反革命分子に行使した方法と同じであった。
尉官以上の人が取り調べを受けたのに対し、下士官・兵は坦白(※罪や誤りを告白する,白状する)大会の方法がとられ、自分たちで自らを洗脳していった。
ソ連のラーゲリに居た頃も下級兵士ほどアクチブになり易かったのだ。
「認罪運動」
そして本格的な取り調べが開始された。「坦白するものには軽く、逆らい拒むものには重く」という取り調べの方針が告知され、そのスローガンは所内の至る所に掲示された。これをきっかけに「認罪運動」というものも始まった。
「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。
認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。
工作員(取調官だが、なんともストレートな名前である)は、一人ひとりについて何年もかけて集めた証言、告発書をもとに尋問した。つまり、罪状は最初から決まっており「自白すれば軽く、拒めば重く」と言われれば、工作員の言うままに合わせるしかない。
毎日呼びだされ、尋問を受ける。尋問というより説得であった。総括書は出す度に点検され、ここが違うとか、こう書けとか注文された。
相手の予定調書と違ったことを自白すればそれは自分がウソや間違いを言っていることになるのだ。
こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。
とにかく、一日でも早く日本に帰りたい、そのことしか頭になかった。
また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。
戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。
監禁されるとその苦痛や憤り、自己崩壊から逃れるため、加害者の立場に自分を置こうとする場合がある。
相手側の一員になった気持ちになるのだ。
撫順に収監された戦犯の中で、下士官・兵などは特に戦争犯罪など起こしていない人ばかりである。
理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。
このように、撫順戦犯管理所に収容された日本軍将兵たちの6年間は「坦白大会」などの「認罪運動」による「洗脳」の日々だった。

そして、何年も洗脳され続けた後にやっと釈放された無実の元日本軍将兵たちだが、驚くべきことに彼らの殆どが日本に帰っても洗脳が解けないまま余生を送った


つまり・・・・・これ!
映像の世紀 南京大虐殺12 元日本兵の証言 金子安次
https://www.youtube.com/watch?v=9WE21PjC2gY&nohtml5=False

証言 侵略戦争-1 「人間から鬼へ、そして人間へ」
https://www.youtube.com/watch?v=uSfLsbPtI3A&nohtml5=False



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by kabu_kachan | 2016-06-03 10:02 | 歴史 | Comments(0)