カテゴリ:歴史( 67 )

オバマ大統領の広島訪問


「オバマ大統領の広島訪問」で世界史がわかる。




なぜ、オバマは原爆投下が一般市民の大量虐殺であったと言わなかったのか。
それは、アメリカ国民が言わせなかったのである。
アメリカにおける歴史教育の賜物である。

日本では、なぜ歴代の総理大臣が南京大虐殺をしましたと言うのか。
これも日本の歴史教育の賜物である。
日本国民が言わせているのである。



終戦直後に開かれたGHQによる極東国際軍事裁判(東京裁判)で、アメリカは原爆投下が国際法違反にあたる一般市民の大量虐殺であったことに気がついた。そこで日本軍がアジアで大量虐殺をしていないか調べたのである。


その中で、広島と長崎の当時の死者数(20万人)に当たりそうなのが南京虐殺という噂であった。当時の南京は人口が20万人であった。
そこで中国側に証人を用意させたのである。もちろん偽証人でもよろしい。偽証罪はありませんから。


そして単なる噂と嘘の証言で塗り固められた「南京大虐殺」をでっち上げて、日本を犯罪国家に仕立て上げて東条英機を始めとするA級戦犯 7人を絞首刑にしたのである。


★【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M

★【水島総】「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」特別編集版
https://www.youtube.com/watch?v=YTu-UZkvXCM&nohtml5=False

日本は中国で南京大虐殺をやったのだから、広島と長崎の原爆投下は帳消しですよと言う意味である。


いいですか。

南京大虐殺の南京市民の死者数は

・・・・・0人。

★虐殺されたはずの南京市民

https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False

中国の日本軍
https://www.youtube.com/watch?v=Mp0uYixten0&nohtml5=False

【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」
https://www.youtube.com/watch?v=W0x5_iqs-r0&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz&index=23

なぜ、「南京事件」は捏造されたのか?
https://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo&nohtml5=False

1/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=7BD4EeZl71U

2/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=b_XaRjfjvE8

3/3【討論!】南京の虚構を暴く!
https://www.youtube.com/watch?v=soBmChuHDhM


広島・長崎の原爆投下時の死者数は

・・・20万人。

★【東京裁判】自虐史観はこうしてつくられた【大東亜戦争は侵略戦争ではない】

https://www.youtube.com/watch?v=3Xk0eSG8L_Y&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz&index=2


ほんの百年前までは、世界中の大部分が白人国家の植民地であった。その中で日本だけがかろうじて独立を保っていた。「かろうじて」と言う意味は、幕末に欧米列強によって結ばされた不平等条約によって日本は半植民地状態であったからだ。

その不平等条約が完全になくなったのが、日露戦争で日本が勝ったあと、6年後の1911年である。

日本はこのとき、当たり前の独立国になったのである。



いいですか。世界史上初めて、有色人種の国で白人国家の圧力を押しのけて独立を勝ち得たのが日本だったのである。


世界第一位の陸軍大国でありイギリスに次ぐ海軍力を持ったロシアに勝った日本を今度はアメリカが恐れるようになった。当時、アメリカは太平洋に大艦隊を持っていなかった。パナマ運河はまだ開通していない。

アメリカは日本を仮想敵国に想定してオレンジ計画と言う日本の軍事力を潰す計画を立てたのである。そのあと、排日移民法などで日本を追い詰めていく。

親中派のルーズベルトになってから、アメリカは裏で中国国民党に武器や弾薬を送り始めた。しかもルーズベルトの周りはコミンテルンのスパイで固められていたからソ連とも通じていたのである。東南アジアはイギリス・オランダ・フランスの植民地であった。


日本に対するABCD包囲網が完全に整ったときにハル・ノートを突き付けてきたのである。

真珠湾攻撃は暗号解読で事前にルーズベルトはわかっていた。ハワイのキンメル司令官にはわざと知らせないでおいて、日本に攻撃させたのである。日本海軍の中にアメリカと通じている者もいた。真珠湾攻撃は手加減しておいてミッドウェー海戦はわざと負けたのである。犯人は言わずと知れたこの二つの作戦の立案者である。

★フリーメーソンが日本を敗北させた
http://kabukachan.exblog.jp/18152497/

★☟この若い日本人女性、メチャクチャ頭いいぜw! 
   歴史音痴の日本人諸君、少しは見習えよ!
http://www.news-us.jp/article/410308580.html

ただ真珠湾攻撃から半年は日本は勝ちまくった。フィリピンのアメリカ軍の基地もシンガポールのイギリス軍の基地も簡単に陥落させて、日本軍はあっという間に東南アジア全域を占領して白人たちを追っ払ってしまったのである。これはルーズベルトのまったく予期しない最大の誤算であった。


日本軍が白人を東南アジアから追い払ったことで東南アジアの国々が独立できたのである。
この東南アジアの国々の独立とインドの独立がアフリカや全世界に及んで世界中の有色人種の国々が独立していったのである。



日本の起こした大東亜戦争なしにはこのような世界の変化は起こらなかったのである。白人たちは絶対に有色人種の独立を認めなかったのである。


白人による世界植民地体制を日本が崩したのである。
今では人種平等は当たり前であるが、人種差別が当たり前だった時代の1919年のパリ講和会議で日本は人種差別撤廃法案を提案している。これは11対5の賛成多数であったにもかかわらずウィルソンの拒否で否決された。

★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』
http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

★大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!
https://www.youtube.com/watch?v=U7AsnClmn-w&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz


★世界史上における
  白人の二大誤算
 (白人の番狂わせ)


①日露戦争における日本の勝利。

➡当時、白人国家で日本が勝つと思っていた国はない。同盟国のイギリス人ですら喜ばなかった。


②大東亜戦争の初戦における東南アジアからの白人の追放。

➡ルーズベルトの誤算。


以上の二つの大戦争が白人による世界植民地体制を崩して、世界中の有色人種の国々が独立して現在の人種平等の世界が実現したのである。

【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト】
https://www.youtube.com/watch?v=KIeJfgYeMMY&nohtml5=False




「オバマ大統領の広島訪問」の意味とは、


オバマ大統領が黒人大統領だから広島に来れたのである。

白人の大統領だったら広島には来ていない。


たとえ行こうとしてもアメリカ国民が許さないであろう。

アメリカ国民は先の大戦が正義の戦いだったと信じているからである。

オバマは黒人だから、アメリカ国民にとっては半分アフリカ人だから「まぁいいか」となる。


★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度
http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

白人の大統領だったら我々アメリカ国民と同じだから「許せない」となり、行くことはできない。









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by kabu_kachan | 2016-05-28 13:51 | 歴史 | Comments(0)

「通州事件」って知っていますか?

私は20代の頃からこの「通州事件」を知っていましたよ。

【必見!】通州事件で反日左翼を論破できるぞ♪【歓喜♪】
https://www.youtube.com/watch?v=Nj7gb_Cx1mw&nohtml5=False

私は20代のころから渡部昇一氏の歴史本を面白い本だなって思って読んでいましたから。
ところがその一方で、本多勝一氏の本も読んでいました。彼の書いた『殺す側の論理』や『殺される側の論理』は最高に知的な本だと思っていました。

渡部昇一&水間政憲
http://www.dailymotion.com/video/x115f4x_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80-%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2-2013-06-21_news

その後、『中国の旅』が出てから、この二人は、南京事件について相反することを書いていると気がつきました。
その頃は、渡部昇一氏が間違っているだろうと思っていました。そのままず~っと今まで来ているんですね。
ただ途中、小林よしのり氏の『戦争論』を読んだときに、『中国の旅』に掲載されている「虐殺写真」がすべてニセモノで、中には通州事件の写真を使っているのがわかって、この『中国の旅』は怪しい本だなって思った程度ですね。


元朝日新聞の本多勝一、
写真捏造を認める
https://www.youtube.com/watch?v=9y4JOIYhbfk


やまと新聞水間政憲論説委員緊急収録「元朝日新聞記者本多勝一氏が南京事件捏造写真誤用を認めた歴史的意義
https://www.youtube.com/watch?v=6gP4tUnzOtk&nohtml5=False

南京大虐殺は「本多勝一、捏造事件」である / 武田 邦彦
https://www.youtube.com/watch?v=63NsUdxiUPo&nohtml5=False


南京大虐殺】本多勝一の反論への証明と尖閣問題【石原都知事】
https://www.youtube.com/watch?v=p7Na6SnEx7s&nohtml5=False


「中国の言い分!反証すると大嘘でした」櫻井よしこ
https://www.youtube.com/watch?v=fjktkapPwnI&nohtml5=False


虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False


反日 日本人を斬る!パール判事の日本無罪論
https://www.youtube.com/watch?v=zsUaVBlQwUQ


通州(つうしゅう)事件
★中国の日本人虐殺「通州事件」
(つうしゅうじけん)と言います。
https://www.youtube.com/watch?v=7fEP-bpHroE


★【世界記憶遺産】「通州事件」ユネスコ申請へ
https://www.youtube.com/watch?v=EpIX_zkhbPU


★『第44回通州事件とは何だったのか(上)①』藤岡信勝
https://www.youtube.com/watch?v=C0-u4LKnEmA


★『第45回通州事件とは何だったのか(下)①』藤岡信勝
https://www.youtube.com/watch?v=vRSd6Y8G8Tc


★水間政憲】済南・通州事件から考える平和安全法制
https://www.youtube.com/watch?v=GHO-FJ1LO_g




事件発生翌日の7月30日午後、現場に入った天津歩兵隊の萱島隊長は、こう語っている。

「旭軒(注:飲食店)では四十から十七~八歳までの女七~八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。

商館や役所に残された日本人男児の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した後があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」

とりわけ凄惨を極めたのが、通州城北門近くにあった旅館・近水楼だったという。第二連隊歩兵隊の桂鎮雄隊長代理は、数少ない目撃者だった。

「近水楼入口で女将のらしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、きものは寝たうえで剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。

帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった」

【中国人特有の猟奇的な殺害方法】

また桂鎮雄隊長代理は、猟奇的な殺害の跡も目撃している。

「一年前に行ったことのあるカフェでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。

南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内蔵が散乱していた」

内蔵引き出しや陰部突刺などは中国人特有の残虐な処刑スタイルだろう。その中でも特異な「胸腹部断ち割り」という残虐な殺害方法を後述の桜井小隊長が目撃している。

「陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐えなかった。


東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」

数珠繋ぎにして引き回した上での殺害は、各所で行なわれていた。旅館・近水楼でも女中ら殺戮のあと十数人の男女従業員と宿泊客が麻縄で繋がれ、銃殺場に連行された。

その日本人大量処刑の模様は、発生直後には確認できなかったが、当日偶々宿泊していた同盟通信社の安藤利男特派員が命からがら城外へ脱出。後日になって蛮行が明らかになった。


【本当の"屠城"は通州城にあった】

支那駐屯歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長は、信じられない光景を目の当たりにした。

「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。

ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった」これは兵士が垣間見た惨状のごく一部である。

武装した中国人の群れは、駐屯する我が軍の関係施設を攻撃しただけでは収まらず、居留民の家をすべて襲撃。略奪・陵辱・惨殺など残虐の限りを尽くした。

通州は現在、北京市内の一区であるが、事件当時は別の行政区であった。位置は、北京中心部から約20キロの地点だ。

通州は古くからある街だが、事件が起きたのはごく限られたエリア内だった。城壁に囲まれた通州城の中で悪鬼のごとき残虐行為が長時間に渡って繰り広げられたのだ。


これらの残忍な行為は、中国共産共が捏造する虐殺ストーリーと重なる。つまり、戦後に脚色した"南京の惨劇"なるものが、中国人の処刑スタイルそのままであることを皮肉にも浮かび上がらせる。

現在、中国共産党は南京虐殺を主張し「屠城」なる言葉を用い、出鱈目な宣伝を続けている。城門を閉じ、その内部で殺戮が行なわれたとする物語だ。

だが、実際の「屠城」とは正に通州城の中で起きていた事件なのである。


通州事件の重要性は、そこに垣間見られた猟奇的な良民殺害の手法だ。南京プロパガンダで振りまく"日本鬼子"の所業なるものは、すべて通州において中国人自らが行っていたものだった。


【観覧閲覧注意】「南京大虐殺の証拠」として使われたニセ写真
https://www.youtube.com/watch?v=18l4BHZ_nBA&nohtml5=False



★わかりますか?

日本人が中国人にやられた写真を使って、中国人が日本人にやられましたというストーリーを作って、新聞に連載して、後で本にまでして、日本中に売りまくった新聞社が日本を代表する新聞社なんですよ。

しかも、この『中国の旅』は日本の学校の歴史教育にまで影響を及ぼしているのである。

これはとんでもない国賊行為ですよ。


繰り返し言いますが、

「日本人が中国人にやられた写真」を利用して、
「中国人が日本人にやられました」と言うのは、

日本国民を貶める行為ですね。
国家反逆罪ですよ。


★いいですか、

この元朝日新聞記者と
朝日(チョウニチ)新聞社は、

ユネスコ世界記憶遺産登録された、

すべて「ニセモノ写真」と
「ホラ話」で飾られた、

南京大屠殺記念館の中で
顕彰されているんですよ。


この意味するところは、

この元朝日新聞記者
と朝日新聞社が
広く世界に向かって、
我が国民、日本人は
とんでもない野蛮国家の民族
であると
「ニセモノ写真」と「ホラ話」
で訴えている
ということである。


これは、日本国民を貶め侮辱しているのと同じである。
国家侮辱罪ですよ。



20世紀最大の大嘘 < 南京大虐殺 >
http://kabukachan.exblog.jp/25572311/


「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/


「南京大虐殺」捏造の歴史
http://kabukachan.exblog.jp/25580971/


本多勝一と朝日新聞社
http://kabukachan.exblog.jp/25644975/


朝日新聞社=国賊新聞社=売国奴
http://kabukachan.exblog.jp/25697439/







村尾大尉夫人の証言
[編集]

東京日日新聞1937年7月31日付号外「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」との見出しで報道した[8]。その中で冀東政府長官秘書孫錯夫人(日本人)と一緒に逃げた保安総隊顧問村尾昌彦大尉夫人の証言が紹介された。

保安隊が叛乱したので在留日本人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち29日の午前2時頃守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーツと近水楼や特務機関の前に殺到して来て十分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。近水楼の前は日本人の死体 ママ が山のやうに転子がってゐます、子供を抱へた母が二人とも死んでゐるなど二た眼と見られない惨状でした、私達はこの時家にゐました、29日午前2時頃保安隊長の従卒が迎へに来たので洋服に着かえようとしたところその従卒がいきなり主人に向かってピストルを一発射ち主人は胸を押へ「やられた!」と一声叫ぶなりその場に倒れました。私は台所の方に出て行って隠れていると、従卒がそこらにあるものを片っ端から万年筆までとって表へ行きました、そのうちに外出してゐたうちのボーイが帰って来て外は危ないと いふので押入の上段の蒲団のなかにもぐってゐたところさきの従卒が十人ばかりの保安隊員 を連れて家探しをして押入のなかを捜したが上段にゐた私には気づかず九死に一生を得ました、家のなかには主人の軍隊時代と冀東政府の勲章が四つ残ってゐました、それを主人の唯一の思ひ出の品として私の支那鞄の底に入れ主人の死体には新聞をかけて心から冥福を祈りボーイに連れられて殷汝耕長官の秘書孫一珊夫人の所へ飛び込み30日朝まで隠れてゐましたが、日本人は鏖殺(みなごろ)しにしてやるといふ声が聞えいよいよ危険が迫ったので孫夫人と二人で支那人になり済まし双橋まで歩きやっとそこから騾馬に乗ったが日本人か朝鮮人らしいと感づかれて騾馬曳きなどに叩かれましたが絶対に支那人だといひ張ってやっと30日午後朝陽門まで辿りつきましたが、門がしまってゐたので永定門に廻りやっと入り30日夜11時日本警察署に入ることが出来ました、冀東銀行の顧問三島恒彦氏が近水楼で殺され冀東政府の島田宣伝主任等も虐殺されたらしく近水楼にゐた日本人は殆どころされてゐるでせう、昔シベリアの尼港惨劇も丁度このやうな恐ろしさであったらうと思ひます。叛乱した張隊長は毎日家に遊びに来て「好朋友(ハオポンユウ)、好朋友」などといひ非常に主人と仲良しだったのに こんなことになるとは支那人ほど信じ難い恐ろしい人間はないでせう、主人の遺骸は必ず私の手で取りに行きます。

保安総隊顧問村尾昌彦大尉夫人、東京日日新聞1937年7月31日付号外「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐[8]

日本軍将校の東京裁判における証言[編集]

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、1947年4月25日に通州事件に関連する14件の証拠が却下され、1件が撤回され、1件が未提出であった。このうち通州事件に直接言及しているのは、昭和12年8月2日付の外務省情報部長声明「通州事件に関する公式声明書」 (弁護側文書番号: 1109)と同年8月4日付の外務省情報部長談「通州事件」 (弁護側文書番号: 1107) であった[48]が、双方とも「外務省スポークスマンの発表は証拠価値無し」との理由でウェッブ裁判長の即決で却下された[49]

一方、萱嶋高中将、桂鎮雄少佐、桜井文雄少佐の3名の証人の口述書が受理され、1947年4月25日午前11時から11時58分の間に萱島と桂が出廷し宣誓供述書を読み上げ[41][50][42][51]、午後1時32分に桜井が出廷し証拠写真三点を提出し宣誓供述書を読み上げた[43][52]

  • 萱嶋高中将:7月30日午前3時、河邊旅団長から事件救援を命じられ急行した。敵は退却しており、戦闘なく午後4時到着した。

城内は實に凄愴なもので到る處無惨な日本居留民の死體が横はつて居りまして殆ど全部の死體には首に縄がつけられてありました。頑是なき子供の死體や婦人の虐殺死體は殆ど見るに耐えませんでした。(略)私は直ちに城門を閉ぢ城内の捜索を始め殘つて居る日本人を狩り集めました。七、八百人居りました日本人で集まつて来たのは百五十名位でありまして三百五十名位は死體として発見されました。殘り二、三百名は何處かへ逃げたか或ひは虐殺されたか不明でありました。(略)

一、旭軒とか云う飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸體で陰部を露出した儘射殺されて居りました。其の中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていました。家の入口には十二、三歳位の男子が通学姿で射殺されてゐました。家の内は家具、布団、衣類等何物もなく掠奪されていました。其の他の日本人の家屋は殆ど右同様の状態でありました。

二、商館や役所の室内に残された日本人男子の屍體は射殺又は刺殺されたものでありますが殆どすべてが首に縄をつけ引き回した形跡があり、血潮は壁に散布され全く言語に絶したものでありました。

三、錦水楼と云う旅館は凄惨でありました。同所は危急を感じた在通州日本人が集まった所でありましたものの如く大量虐殺を受けております、玄関、入口附近には家財、器具破壊散乱し目ぼしきものは殆ど掠奪せられ、宿泊していた男子四名は座敷で射殺されていました。錦水楼の女主人や女中は数珠繋ぎにされ手足を縛された儘強姦され、遂に斬首されたと云うことでした。

四、某日本人は夫婦と嬰児の三名で天井裏に隠れ、辛うじて難を逃れていましたが、其の下で日本人が次から次へと虐殺されてゆくのを見たと私に告白していました。

萱島高、法廷証番号2498:萱島高宣誓供述書、弁護側文書番号:1090[41]、速記録[53]

  • 桂鎮雄少佐:通州第2連隊歩兵砲中隊長代理。7月31日午前2時半通州到着し、掃討に従事。

一、私は七月三十一日午前八時頃、旅館錦水楼に参りました。錦水楼の門に至や、変り果てた家の姿を見て驚くと共に屍体より発する臭気に思はず嫌な気持になりました。玄関の扉も家の中の障子も家具も取り毀され門の前から家の奥まで見透すことが出来ました。入口に於て錦水楼の女将らしき人の屍体を見ました。入口より廊下に入るすぐの所で足を入口の方に向け殆ど裸で上向きに寝て顔だけに新聞紙が掛けてありました。本人は相当に抵抗したらしく、身体の着物は寝た上で剥がされた様に見え、上半身も下半身も暴露しあちこちに銃剣で突き刺したあとが四つ五つあつた様に記憶します、これが致命傷であつたでせう。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱して居ました。帳場や配膳室の如きは足の踏み込み場所もない程散乱し掠奪の跡をまざまざ見せつけられました。

廊下の右側の女中部屋に日本婦人の四つの屍体があるのを見ました。全部藻掻いて死んだ様でしたが銃殺の故か屍体は比較的綺麗であつて唯、折り重なつて新で居りましたが一名だけは局部を露出し上向きになつて死んで居ました。室内の散乱は足の踏み場所もない程でありました。

次に帳場配膳室に入りました。ここに男一人、女二人が横倒れとなり或はうつぶし或は上向いて死んでおりここの屍体は強姦せられたか否かは判りませんが闘った跡は明瞭で男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の様でありました。女二人は何れも背部から銃剣をつきさされた跡が歴然と残つて居ました。

次に廊下へ入りました。階下座敷に女の屍体二つ、これは殆ど身に何もつけずに素つ裸で殺され局部始め各部分に刺突の跡を見ました。

次に二階に於て四五人の屍体を発見、これは比較的綺麗に死んでおり布団をかぶせてありました。唯脚や頸や手が露出しておるのを見ましたが布団をはがす気にはなれませんでした。

池に於て二三人の屍体が浮かんでおるのを望見しましたが側へ行つて見る余裕はありませんでした。

二、市内某カフエーに於て、 私は一年前に行つたことのあるカフエーへ行きました。扉を開けて中へ入りましたが部屋は散乱しておらずこれは何でもなかつたかと思ひつつ進んだ時、一つのボツクスの中に、素つ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されておりました。カフエーの裏に日本人の家がありそこに二人の親子が惨殺されて居りました子供は手の指を揃えて切断されて居りました。

三、路上の屍体 南城門の近くに一日本人の商店がありそこの主人らしきものが引つぱり出されて、殺された屍体が路上に放置されてありました。これは胸筋の骨が露出し内臓が散乱して居りました。

桂鎮雄、法廷証番号2499:桂鎮雄宣誓供述書、弁護側文書番号: 1139[42]、速記録[54]

  • 桜井文雄少佐:支那駐屯歩兵第二連隊小隊長。7月30日午後4時、通州到着し、掃蕩開始。

1.先づ守備隊の東門を出ますと殆んど数間間隔に居留民男女の惨殺死體が横はつて居るのを目撃し一同悲憤の極に達つしました敵兵は見当たりませんでしたので夜半迄専ら生存者の収容に擔りました。「日本人は居ないか」と連呼し乍ら各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等から彼所此所の塵、埃箱の中や壕の内、塀の蔭等から続々這い出して来ました。 2.某飲食店内には一家悉皆首と両手を切断惨殺されて居るのを目撃しました。婦人と云う婦人は十四五歳以上は悉く強姦されて居りまして全く見るに忍びませんでした。 3.旭軒と云う飲食店に入りますとそこに居りました七八名の女は全部裸體にされ強姦射(刺)殺されて居りまして陰部に箒を押込んである者、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等全く見るに堪へませんでした。 4.東門の近くの或る鮮人商店の附近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せてそれに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠継ぎにして引廻された形跡歴然たる屍体がありました池の水は血で赤く染まつて居たのを目撃しました。

斯くして一応の掃蕩を終了しましたのは夜の九時過ぎであつたと思ひますそれ迄に私の掃蕩担任地域内で目撃しました惨殺死體は約百名で収容しました重軽傷者は約二十名と記憶して居ります此等の死傷者中には発狂して居る者も若干あり殆ど茫然自失の状態でありました。(略)

桜井文雄、法廷証番号2500:桜井文雄宣誓供述書、弁護側文書番号:1140[43]、速記録[55]

その他の日本人生存者の証言[編集]

  • 吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された新道せつ子は、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという[56]
  • 当時中国人男性の妻であった大分県出身の日本人女性の目撃証言もあり、それを聞き書きした調寛雅が自著で発表している[57]。それによれば主犯は保安隊員と中国人学生であり、かれらは胎児妊婦の腹から引きずり出す、その父親を数人がかりで殺してを引きずり出し、切り刻んで妻(妊婦)の顔に投げつけたという[58]。これらは通州市民の面前でおこなわれた虐殺であったが、市民はそれに対し無反応であり、虐殺後の日本人をみても同情の念を示すのではなく、身につけていたものを剥ぎ取るばかりであったという[58]
  • 九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います」[59]




    中国を永久に黙らせる100問100答 渡部昇一
    https://www.youtube.com/watch?v=2OeCkBc41cM&nohtml5=False



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by kabu_kachan | 2016-05-14 11:20 | 歴史 | Comments(0)

太平洋戦争の総括

「総括」と言うと大げさなので、

太平洋戦争に対する「私の見解」としておきます。



①日本海軍の真珠湾攻撃によるアメリカの人的被害。


アメリカ人の死者数・・・2395人



その内、

アメリカ人の一般市民の死者数。

・・・54人




②昭和20年(1945年)の1年間で、

アメリカ軍が行なった2発の原爆投下と数百回の空襲で、

日本列島(北海道から沖縄まで)の上での


日本人の一般市民の死者数。

・・・100万人

★沖縄戦カラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=lwWsnyO0sGQ



③いわゆる「南京大虐殺」といわれる、

1937年12月に日本軍が中国の南京攻略後、

南京城内で行なったとされる事件での


中国人の一般市民の死者数。

・・・0人
★虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False


【衝撃!証言】南京大虐殺は無かった!『南京の真実・第二部』製作へ
https://www.youtube.com/watch?v=1UrY5_YLcSw&nohtml5=False


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M

◎「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。

報道写真として価値のない「ニセモノ写真」と付き合ってはいけない。






南京陥落当時の貴重な映像(4of5)

視聴者の感想より。
普通に生きてるじゃねぇかよ!!何処が虐殺なんだよwww!!普通に飯食ってんじゃん、映像の中には鳥かごまで写っていたよな?鳥に食わせるほどの飯があったって事だよな?何が虐殺だよ、適当な事を言いやがって!!

https://www.youtube.com/watch?v=IpYXmyAW_fw&index=1&list=PLE5AB0800EFBDF9F3

南京陥落当時の貴重な映像(3of5)
https://www.youtube.com/watch?v=dS1KEvLgRUs&index=2&list=PLE5AB0800EFBDF9F3&nohtml5=False



写真資料

陥落2日後の南京の風景。

大虐殺実行中の街の風景ということになる。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110524j:image


陥落2日後の南京で古着を売る支那人たち。

無差別に虐殺しまくっていたのなら

このようにのんびり商売などできない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110508j:image


陥落2日後に野菜を売る支那人

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110834j:image


陥落2日後に水餃子を食べる日本兵

大虐殺実行中であれば恐ろしい
日本兵

平然と
支那人が接するわけがない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110554j:image


陥落2日後の支那人たち。

日本兵、日本人を全く恐れていない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013110935j:image


陥落2日後の難民の住居。(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111004j:image


陥落2日後の支那人の子供。(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111030j:image


陥落2日後、湯沸かし器を難民区に

持ち込み商売をする
支那人

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111053j:image


陥落2日後、水餃子を食べる難民

大虐殺が行われているのならのんびりと

水餃子なんか食っていられない。

(撮影:佐藤振寿カメラマン)

f:id:jjtaro_maru:20121013111114j:image




【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」
https://www.youtube.com/watch?v=W0x5_iqs-r0


ところが、

戦後のGHQによる極東国際軍事裁判(東京裁判)で、

「南京大虐殺」で中国人の一般市民を30万人虐殺したとして(本当は0人である。もともと南京事件など存在しないのである。)、

日本は犯罪国家にされた。


アメリカは、原爆と空襲で日本人の一般市民を100万人虐殺しておきながら、

アメリカは正しい、正義の国であると言っている。



そして大多数の日本人がこの判決に満足している。

これを「自虐国家」と言うのではないだろうか?

★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



【高橋史朗】あらためて『GHQ洗脳政策』を考える
https://www.youtube.com/watch?v=js4nFGkuwcE&nohtml5=False



私の解説。

真珠湾攻撃は、日本軍の騙し討ちとされているが、そうではない。
その前に、アメリカは日本に対して、ABCD包囲網による石油禁輸とハル・ノートによる最後通牒を押し付けている。

日本が先に手を出すように挑発したのはアメリカである。

★日本人が知ってはいけない歴史
https://www.youtube.com/watch?v=ANLk2bvvZJk&nohtml5=False

★日本人よ、涙せよ!
http://kabukachan.exblog.jp/24939240/

中国における南京攻略戦というのは、第二次上海事変から始まる延長戦であり、第二次上海事変は、中国軍による日本人租界への空爆で引き起こされた。
この一連の戦争も、先に挑発したのは中国側である。このとき日本軍が戦った相手は中国国民党であって中国共産党ではない。(当時、中国国民党軍は共産党軍とも戦っていた。)

★【ケントギルバート】反日プロパガンダで日本を貶める中国を容赦なく批判!
https://www.youtube.com/watch?v=hiYYViUvK8Y


★ケント・ギルバート氏講演『陰謀のレールに乗せられた日米開戦への道のり』
https://www.youtube.com/watch?v=0h4ZtiOEV4s

ルーズベルトによって引き起こされた太平洋戦争の真実と安全保障で後悔するアメリカ
https://www.youtube.com/watch?v=016uFEIqgaI



もう一つ言うと、日露戦争を侵略戦争と言う人がいるがそうではない。
幕末に結ばされた不平等条約を完全に回復したのが、日露戦争でロシアに勝って、その後、6年後の1911年にやっと関税自主権という当たり前の権利を獲得した時なのである。
すなわち日本は、明治の間、ずっと欧米の半植民地状態だったのである。
日本がロシアに負けていればもちろんであるが、ロシアと戦わなくても、日本は幕末に不平等条約を結んだままの半植民地状態がそのままずっと続いて現在まで来ていたかもしれないのである。

日露戦争でロシアに勝ったから日本は欧米の植民地にならずに完全独立できたのである。

だから、日露戦争は侵略戦争ではなくて、欧米から完全独立するための自衛戦争だったのである。

おい、東大を出たと自慢している諸君、何とか言えよ。それとも、自分の出世のことで頭がいっぱいでそんな暇がないってかw。
自分の出世と金儲けしか頭にないのなら猿と同じじゃないか。
➡『 東大出の猿 』

【日いづる国より】水間政憲、エリート予備軍への反日受験洗脳[桜H28/5/13]
https://www.youtube.com/watch?v=6Q8efSUbOUs


この日露戦争を起点として、それまでに欧米が世界中に持っていた植民地が減少していくのである。

そして、世界中の欧米の植民地だった国々に独立の火をつけたのが、東南アジア解放につながる大東亜戦争を起こす引き金となった真珠湾攻撃であった。

日本人諸君、わかりますか?

学校で教えている「歴史教科書」が間違っているのである。

【水間政憲】従軍慰安婦捏造の根源「アメリカ」の真実[桜H25/8/26]
https://www.youtube.com/watch?v=NI1mUpEhack

世界史と日本史は切り離して学んではいけない。
ほんの百年前は、世界中のほとんどが白人たちの植民地であった。日本だけがかろうじて自分たちの力で独立を保っていたのである。
その日本が真珠湾攻撃を始めとする大東亜戦争で東南アジアから白人たちを追い払ってしまったのである。
これがきっかけで東南アジアの国々が独立して行き、その影響でアフリカなど世界中の白人たちの植民地であった国々が独立していったのである。

★世界史から見た日清・日露大戦争-侵略の世界史を変えた日清・日露大戦争の真実
https://www.youtube.com/watch?v=24Tra8ukJbE

★カラーで見るアジア植民地支配時代 第一集 
https://www.youtube.com/watch?v=K70rm_-e-OA&nohtml5=False


★欧米植民地主義の凄まじい実態─学校が教えてくれない戦争の真実
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8


【西尾幹二氏 前半】<歴史・公民>東京塾・第30回研修会「西欧の地球侵略史と日本の鎖国」
https://www.youtube.com/watch?v=O6wk0S6BdMU

いいですか、白人たちは絶対に有色人種の独立を認めなかったのである。それを崩したのが日本だったのである。
日本はすでに1919年のパリ講和会議で人種平等を主張している。

★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』
http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

★大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!【真珠湾攻撃74年】
https://www.youtube.com/watch?v=U7AsnClmn-w&list=PLF01AwsVyw328JWxhGfxIh8OlCax9dGxz


日本人が世界の歴史を変えたという事実、戦後GHQ(白人たち)はこのことが目障りでしかたがなかったのである。そこでGHQは徹底的に日本人に洗脳工作を行なったのである。
人類史上最大の焚書、マスコミの言論統制、学校教育における「歴史教科書」の改変、なんとしても白人のほうが優れているという価値観を植え付けようとしたのである。

★GHQの日本人洗脳工作 <プレスコード>
http://kabukachan.exblog.jp/24510096/

しかし、日本が起こした戦争が白人たちの世界植民地体制を完全に崩壊させたという事実は絶対に消すことはできなかったのである。

誰が世界史を学んでも同じ結論に辿りつくのである。
「日本が、白人による世界植民地支配を崩したのである。」


★世界は日本をどう見ているか オリジナルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM&nohtml5=False


日露戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19062401/


大東亜戦争の世界史的意義
http://kabukachan.exblog.jp/19094794/


船瀬俊介氏「目覚めよ! 人類を支配する "情報帝国主義"!」
https://www.youtube.com/watch?v=3Swq63sbPLo



大東亜戦争の真実 
http://kabukachan.exblog.jp/24591113/


【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト】
https://www.youtube.com/watch?v=KIeJfgYeMMY&nohtml5=False



祖先が目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I

https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI


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by kabu_kachan | 2016-05-08 23:14 | 歴史 | Comments(4)

「南京大虐殺」捏造の歴史

「本物の写真」と「ニセモノの写真」の見分け方

「本物の写真」とは、「いつ・どこで・だれが」撮った写真かという条件が満たされていないといけない。

この条件が満たされていない写真はすべて「ニセモノの写真」と言うことになる。

報道写真として価値のない「ニセモノ写真」と付き合ってはいけない。


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08


★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U



「南京大虐殺」捏造の歴史



2016.3.25 15:16更新

【別冊正論「南京」斬り】
日中共鳴で肥大化させた「南京大虐殺」 その捏造の歴史を概観する

http://www.sankei.com/premium/news/160325/prm1603250009-n1.htmlより。


「南京(大)虐殺」とは、日本軍が中国の当時の首都・南京を占領した昭和12年12月から翌年初めにかけて、多くの中国軍捕虜や市民を虐殺した-と宣伝された事件を指す。実際にはそうした意味での虐殺はなかったにもかかわらず、どのような勢力が関わり、いかにして事件がでっち上げられたのか。捏造の歴史を概観する。(月刊正論編集部)


■エージェント記者らの証言

 南京攻略戦が行われている最中から、中国国民党政府は党の顧問でもあった外国人記者などを動員し、組織的な宣伝工作を開始した。国民党中央宣伝部高官は「われわれは目下の国際宣伝において(中略)国際友人を探し出してわれわれの代弁者となってもらうことを話し合った」と書き残している。マンチェスター・ガーディアンの記者だったティンパーリや、南京金陵大教授だったベイツらが中立を装って「南京虐殺」を精力的に対外発信したが、後に両名とも国民党の顧問になっていたことが判明している。

昭和13年2月には国際連盟理事会で、中国国民党政府の顧維鈞代表が「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があった」と演説し、国際連盟の行動を求めている。当時、日本はすでに連盟を脱退しており不利な状況にあったが、この日本非難の決議案は採択されなかった。国際連盟の場では「2万人の虐殺」すらも否定されていたわけだ。そもそも日本軍の南京攻略戦に際しては、元外交官で法学博士の斎藤良衛が国際法顧問として帯同しており、松井石根司令官は国際法違反のないよう、ことあるごとに博士と協議していたという。

 なお、南京戦の2年前にモスクワで開かれたコミンテルン世界大会でスターリンは日本を中華民国と戦わせるよう演説。最終的には戦争に敗れた日本を共産主義陣営に取り込むことを想定していた。そうした構想のもと、ソ連は蒋介石に対して莫大な軍事援助を提供し、日本を中華民国との全面戦争に引きずり込むことを画策していた。


 また当時、ドイツは南京戦の前年に日独防共協定を結んだものの、中華民国には膨大な武器を輸出していたことも見逃せない。「ラーベの日記」で知られるジョン・ラーベは、独シーメンス社の駐在員だった。


■毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず

 戦後になって東京裁判(極東国際軍事裁判)で「20万人」、南京での軍事裁判では「30万人」といった死者数が一方的に持ち出された。ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。


このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。

 毛沢東は南京戦の5カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。その後、20年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。

 日本でも戦後しばらくは「南京虐殺」が問題視されていなかったことは、辞書の記述からも読み取れる。『広辞苑』をひもとくと、昭和30年刊行の第1版、44年の第2版では「南京事件」の説明は「・1927年3月中華民国革命軍の南京入城にさいし、反帝国主義の革命軍の一部が日、英、米などの領事館に対して暴行したことによって惹起した事件 ・1937年12月、日中戦争中の日本軍が南京攻略の際に行なった暴行事件」とされており、日中戦争で起きたことよりも10年前の中華民国革命軍による事件のほうが重要視されていたことが分かる。


■蒸し返したのは日本人だった


【日いづる国より】水間政憲、「眞相箱」の真相はかうだった!
https://www.youtube.com/watch?v=P08BE6Pru9M


「南京問題に完全決着をつける英文・中文新作計画他」
https://www.youtube.com/watch?v=d7_wlbSYk08

 「南京で虐殺があった」ことが日本国内で蒸し返されたのは昭和40年代になってからだ。朝日新聞記者だった本多勝一氏の『中国の旅』(昭和47年刊行)に代表される虐殺肯定派の日本人による著書刊行が相次いだことで、再び南京戦が注目されるようになった。

『広辞苑』も昭和57年の第3版になると、先の「暴行事件」が「大虐殺事件」という表現に変えられる。さらに平成3年の第4版に至って新たに「南京大虐殺」の項目が登場し、「日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」と記述が格段にエスカレートしている。いわゆる「南京大虐殺」は後年になって、主に自虐的な日本人によって創作されたことがみえてくる。

 日本での動きに呼応して中国側でも大々的に「南京大虐殺」を強調した反日教育が展開されるようになっていく。中国で1979(昭和54)年に発行された中学用歴史教科書には南京大虐殺の記述はなかった。


 ところが、81年の教科書で「日本軍は南京を占領すると狂ったように大規模な殺戮を展開した」「殺害された者は30万人を下らなかった」といった記述が登場した。


■実証的に反論する動きも

 こうした日本をおとしめる動きに対し、実証的に反論する動きも出てきた。昭和48年に鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』が刊行されたのを皮切りに南京事件の虚構が明らかにされていく。

 かつては日本の中学用歴史教科書に、中国の主張そのままに南京での犠牲者が「30万人」だったとする記述もあったが、実証的な研究の進展により、現在は「多数の犠牲者」などと数字を入れない表記が増え、「南京大虐殺」との表現も影をひそめている。

 ただ外務省はウェブサイトで「日本政府としては、日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」との見解を掲げており、心もとない状態だ。いまなお「南京で虐殺があったことは日中両国で事実と確認されている」(河野洋平元衆院議長)などと主張する日本人もおり、中国側を利している。


 中国側は今も犠牲者数30万人を主張し「南京大虐殺記念館」は英語と日本語のウェブサイトも開設してプロパガンダ活動を展開中だ。


★水間政憲講演会「南京事件ユネスコ登録と松井大将の名誉回復」
https://www.youtube.com/watch?v=2Mgru31pRXw


★虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=W-Erp_T3kjI&nohtml5=False




■「南京大虐殺」肯定派の主な著書■

・洞富雄『南京事件』(昭和47年)

・本多勝一『中国の旅』(昭和47年)

・藤原彰『南京大虐殺』(昭和60年)

・吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(昭和61年)

・笠原十九司『南京事件』(平成9年)

■「南京大虐殺」を検証した主な著書■

・鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』(昭和48年)

・田中正明『"南京虐殺"の虚構』(昭和59年)

・阿羅健一『聞き書 南京事件』(『南京事件 日本人48人の証言』と改題 昭和62年)

・北村稔『「南京事件」の探求』(平成13年)

・冨澤繁信『南京事件の核心』(平成15年)

・東中野修道『再現 南京戦』(平成19年)

・早坂隆『松井石根と南京事件の真実』(平成23年)

※この記事は『別冊正論26「南京」斬り』から転載しました。

■●(=□)■別冊正論26「南京」斬り 主な記事■●(=□)■

・79年目の『南京のハロウィン』 黒鉄ヒロシ

・南京攻略戦とはどんな戦いだったか 原剛

・悲劇の司令官・松井石根の無念 早坂隆

・城門陥落後のシナ兵処刑をどう見るか 東中野修道


・そうだ「南京」しよう! はすみとしこ

・東京裁判の欺瞞と七士遺骨奪還の義憤 三文字正平

・遺書「百人斬りは断じてない」 野田毅、向井敏明

・日本軍の「残虐」は中国自身の「翻訳版」 石平

・中国に洗脳された中帰連の宣伝と協力者 田辺敏雄

・日本は蒋介石中国に莫大な賠償を行った 岸本昌也

・蒋介石の視点からみた「南京」 家近亮子

・蒋介石の住民虐殺に浮かぶ支那の心性 黄文雄

・「南京事件」と戦時国際法 佐藤和男

・米中プロパガンダとしての「南京事件」 有馬哲夫

・「南京」遺産登録に見える中国の病理 北村稔

・大虐殺は「中華のファンタジー」 山田順

・左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか 柿谷勲夫

・自民歴史議連が明確にした南京の捏造 西川京子

・習近平、●(=登におおざと)小平も信じない「大虐殺」 阿羅健一

・興亜観音と昭和殉難者たち 黒岩徹

・三ケ根山に立つ殉国七士廟 殉国七士奉賛会

・父三文字正平の遺志を継いで 福留佳子

・国民一丸だった軍事裁判受刑者名誉回復 中静敬一郎




水間政憲①【邪教朝日新聞】の日本つぶし
https://www.youtube.com/watch?v=P72omWQpypc&nohtml5=False



水間政憲②【朝日新聞】とパチンコ仲間達
https://www.youtube.com/watch?v=-TP-3JeWkVw&no
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★反日の原動力「朝日とNHK」
反日包囲網はいかにして生まれたか(水間政憲氏)−ザ・リアルインサイト2014年1月号
https://www.youtube.com/watch?v=zUutN_J1wq0&nohtml5=False

     ☟
朝日新聞が隠すヤバすぎる急所を大暴露!朝日新聞倒産に追い詰める水間政憲!
https://www.youtube.com/watch?v=ilJw-KWoa44&nohtml5=False


     ☟
     朝日新聞解約急増!
https://www.youtube.com/watch?v=1C7u9nYZFCI&nohtml5=False


     ☟
「南京大虐殺」とは、「虚構・ウソ話」の産物である。
http://kabukachan.exblog.jp/25493845/






ちなみに、今現在の私のブログの訪問者数は、

中国が主張する「南京大虐殺者数」くらいありますよ。
でっち上げではないですよ。(笑)

ただし、ブログアクセス数は、その3倍くらいありますが。



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by kabu_kachan | 2016-05-06 14:41 | 歴史 | Comments(1)

これがアメリカが日本に落とした原爆だ!

【広島と長崎に原爆を落としたアメリカ人を知れ!】

★南京大虐殺 研究について(その7) 松尾一郎 第8回
https://www.youtube.com/watch?v=HN1TLeNLiOQ

嘘話の「南京大虐殺」で中国人30万人を殺したとして、戦争犯罪国にされた日本。

アメリカは、原爆投下と本土空襲で日本人100万人を虐殺しておきながら、自分たちは正しいと言っている。

日本人には、ここがわからない。

南京大虐殺 研究について(その9) 松尾一郎 第10回
https://www.youtube.com/watch?v=bAdH3pqoKhE


南京~つくられた”大虐殺”【シリーズ南京事件①】
https://www.youtube.com/watch?v=-gG5CK985uM

南京大虐殺と原爆投下【シリーズ南京事件②】
https://www.youtube.com/watch?v=0GjhUGV5BPA


【衝撃!証言】南京大虐殺は無かった!『南京の真実・第二部』製作へ[桜H27/3/28]
https://www.youtube.com/watch?v=1UrY5_YLcSw&nohtml5=False



★南京事件の真実!中国の"南京大虐殺"捏造を日本が写真で完全に論破
https://www.youtube.com/watch?v=PbH2lWo6O2c&nohtml5=False

上の⇧デーブ・スペクターに物申す。

原爆投下と空襲は「日本人大虐殺」ですよ。
明らかな国際法違反である。



広島原爆投下
(1945年8月6日)



Seizo Yamada's ground level photo taken approximately 7 km (4.3 mi) northeast of Hiroshima




Picture found in Honkawa Elementary School in 2013 of the Hiroshima atom bomb cloud, believed to have been taken about 30 minutes after detonation from about 10 km (6.2 mi) east of the hypocenter




Hiroshima aftermath




The Hiroshima Genbaku Dome after the bombing




The Enola Gay dropped the "Little Boy" atomic bomb on Hiroshima. In this photograph are five of the aircraft's ground crew with mission commander Paul Tibbets in the center.




長崎原爆投下
(1945年8月9日)




The rising mushroom cloud from the Nagaskai "Fat Man" bomb, August 9, 1945



Atomic cloud over Nagasaki




The Bockscar and its crew, who dropped the Fat Man atomic bomb on Nagasaki




WASHINGTON (Nov. 10, 2008) The U.S. national flag waves graciously from the Iwo Jima memorial during a wreath laying ceremony in honor of the 233rd Marine Corps birthday at the Marine Corps War Memorial. The sculpture of five Marines and a Navy Corpsman raising an American flag atop Mount Siribachi commemorates the 6,800 service members who died capturing the Japanese island of Iwo Jima during World War II. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Kevin S. O'Brien/Released)




★ユダヤ米国 の <三大日本人虐殺>
http://kabukachan.exblog.jp/18798239/


★原子爆弾(ウラン型とプルトニウム型)製造競争
http://kabukachan.exblog.jp/22451429/



★カーチス・ルメイが世界に誇る<日本焦土化作戦>
http://kabukachan.exblog.jp/22478581/


★「在日」に支配されている「日本のテレビ」
http://kabukachan.exblog.jp/22551131


★「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者
http://kabukachan.exblog.jp/20632444/





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by kabu_kachan | 2016-04-01 15:33 | 歴史 | Comments(0)

本当の世界史を知れ!

久々に歴史記事の登場です。

【本当の世界史の勉強をすべし】

★イディッシュ語はドイツ語起源ではない
http://kabukachan.exblog.jp/25184891/

★ロシア系ユダヤ人(金髪白人)のハザール王国起源説

http://kabukachan.exblog.jp/25157464/

★米国の ユダヤが乗っ取る マスメディア
http://kabukachan.exblog.jp/24966612/

★「コロンブスのアメリカ大陸発見」の意味
http://kabukachan.exblog.jp/25106055


日露戦争は別名、第零次世界大戦と呼べるほどヨーロッパ列強の東アジアを巡る権益に各国毎に様々な思惑が有った。
イギリスが日英同盟を持ちかけてきたのは表の歴史では長州や薩摩藩との戦いで侍魂に惚れ込んだとなっているが、実際はロシアのシベリア鉄道開通による朝鮮半島での権益をイギリスが懸念しての措置で、戦艦三笠の他全ての艦船はイギリスがイタリア経由で改造を施した艦船であった。
また、これら多額の戦費を貸し付けたのはロスチャイルド系金融機関だった事は有名な話である。
実際、この戦争の勝利で先進国の仲間入りを果たしたと思われた日本だが、高金利の借金を背負うことになり、戦後、一気に経済が悪化した。
また、この幸運のツケを兵器、軍備の自国生産に切り替えた第二次世界大戦で嫌というほど払わされる事になる。
アメリカは日本が参戦しなければどうしようもない程の経済的八方塞がりの状態を作り出し、あらかじめオレンジ計画という対日作戦を練っていた。
そこへ計画通り参戦した日本だが、通商破壊戦で苦しみ、兵器、軍備の水準は欧米諸国の水準を下回り、軍部の暴走により原因と対策に基づいた正常な改良もままならず、改悪の方向に行くことが多く戦争末期では米国の水準を遥かに劣ったモノとなっていた。
また、情報、通信に対する認識も甘く、軽視しがちであったし、山本五十六やゾルゲに代表されるスパイにより情報も筒抜けとなっていた。
また、作戦も緻密な思考で物事を判断し、対策、実行という過程が必要なのだが、それも殆ど無く、いい所無く敗戦を迎え、その総括はおろか、責任を取るべき人間に取らさず、逆にその人物を米国のありとあらゆるもの同様に美化し、その弱みをにぎられている売国奴のおかげで意図的に情報後進国にさせられたまま、NHK等による洗脳教育を施され、戦後、正しい歴史の封印と自虐史観を植えつけられ、国民も気づく機会を与えられずに現在も政治、金融、経済を乗っ取られたままである。
この状態を陰謀論以外、なんと表現できるのか?

http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/783.html



"第0次"世界大戦としての 日露戦争

日本海が起点となった「白人支配の終わりの始まり」

文=平間洋一(元防衛大学校教授)

日本とロシアによって戦われた日露戦争。 その結果としての日本の勝利は、西欧を中心とした白人国家に支配されていた有色人種に勇気を希望を与え、その後の独立戦争へとつながってゆく。その意味で日露戦争は単なる2カ国間戦争ではなく、まさに世界史的な意味を持つ重要な出来事であったのだ。


民族闘争に火を付けた 日本の勝利

 日露戦争は日露2カ国間の戦争ではあったが、その影響は一世紀の後まで及ぶ世界史的な戦争でもあった。日露戦争の最大の特徴は有色人種が白色人種に勝利したことであった。当時の有色人種は白色人種の支配下にあり、アフリカの黒人やアジアの諸民族は、奴隷か召使いとしてしか存在を認められず、さらにカリブ海やメキシコなどではインディオが、オーストラリアではアボリジニが、動物視され狩の対象とされていた。 しかし、アジアやアフリカには、西欧諸国に反撃できる有色人種の国は一国もなかった。このため、これらの有色人種は征服され併合されるか、植民地にされるか 以外に選択肢のなかった時代であった。 この西欧帝国主義の植民地化の波が、アジア大陸を越えて朝鮮半島に迫ってきた時に、有色人種の日本が立ち上がり、初めて白色人種を破って、有色人種が反撃に転じた。それが日露戦争であった。 さらに、ヨーロッパではロシアの圧制に苦しむフィンランドやポーランドに独立への夢を与え、民族解放闘争を激化させた。 一方、レーニンは「旅順の降伏はツァーリズムの降伏の序幕である。専制は弱められた。革命の始まりである」と書いたが、ロシアでは旅順陥落の直後に首都のサンクトペテルブルグで「血の日曜日」事件が起こり、この日を境に革命の波が全国に広がった。そして、17年後には世界で始めての共産主義国家を誕生させた。また、米国では 日本を激励する主張や報道が黒人の間に高まり、日本の勝利が黒人に自信を与え人権要求運動へと進ませ、それが第二次世界大戦後に花開いた。

 

日露戦争後に日本が歩んだ1世紀

 日露戦争で日本が勝つとアジアやアラブから独立を夢見て多数の独立運動家が来日した。明治・大正・昭和の先人たちは、これら亡命者を受け入れ庇護し支援した。そして、日本はパリ平和会議では人種平等条項を国際連盟の規約に盛り込むことを提案した。この動議は門前払いの形で拒否されたが、この提案が有色人種に希望を与えアジアやアラブ、アフリカでは人種平等や独立を求める反植民地闘争が開始された。しかし、強力な西欧諸国の力の前にことごとく弾圧され、これら植民地が西欧の白色人種の支配から脱することはできなかった。 これを打破したのが太平洋戦争であっ た。東南アジアの民衆は昨日まで君臨していた白色人種の主人が、日本軍のたったの一撃でもろくも敗れ去ったのを眼前に見てしまった。この戦争初期の日本軍の快勝は、日露戦争の時と異なり、知識人だけでなく一般民衆にも独立への自信を与えた。また日本の唱えた「アジア人のアジア」のスローガンが独立への夢を与えたが、日本は3年8カ月後に敗退してしまっ た。しかし、かつての植民地に西欧帝国主義諸国が再び復帰することはできなかった。日本軍が育成した義勇軍や、日本軍が 教育した南方特別留学生や興亜訓練所などの青年が、各地で一斉に民族独立の戦いに立ち上がったのである。  
第2次世界大戦後の15年の間に、西欧の植民地はほとんどが独立し、1965年までに国連は117カ国に膨れあがった。国連における有色人種の国家の増大が有色人種の発言権を高め、国連では事務総長などの主要職員も有色人種から選抜されるようになり、また、有色人種をあれほど差別していた米国では黒人の大統領が誕生したが、日系人からもミネタ商務長官やシンセキ退役軍人相(元陸軍参謀長)が任命されるまでに変わった。このように見てみると、西欧の史書はフランス革命が民族国家を成立させたとしているが、民族国家独立への夢をアジア やアラブ、アフリカの国々に与えたのが日露戦争であり、その夢を実現させために立ち上がらせる衝撃を与え、民族国家を建国させたのが、マッカーサーによって名称の使用を禁止された「大東亜戦争」ではなかったのだろうか。



(1) 日露戦争の歴史的意義

日露戦争は、1904年~1905年にかけて、新興の大日本帝国と、老大国ロシア帝国が、中国東北部(満州)を主戦場として戦った、帝国主義の領土獲得戦争です。
この激戦は、アメリカが仲介する形で終結するのですが、その結果は、日本の勝利となりました。「判定勝ち」だったとはいえ、日本は、その戦争目的を完全に達成しましたから、完勝と言っても差し支えないと思います。
この戦争の結果、既に衰勢が明らかであったロシア帝国は、没落への一途を辿り、1917年のロシア革命で壊滅、崩壊します。
逆に、大日本帝国は世界の「五大国」に成り上がり、東アジアで大いに覇を唱えるに至るのですが、その突出振りがアメリカやイギリスの逆鱗に触れ、1941年~1945年の太平洋戦争に敗れることで、アジアの覇権国家の地位を失うに至るのです。
日露戦争は、勝者である日本にとっても、敗者であるロシアにとっても、まさに運命の転機と言える政治的大事件でした。
いや、それ以上に、後世の政治史に重要な影響を及ぼしました。
日露戦争は、「有色人種が白色人種に勝利した、人類史上はじめての近代戦争」だったのです。
この当時の世界は、地球の陸地面積のほとんどを白人が支配しており、大多数の黄色人種や黒人(つまり有色人種)は、白人に植民地支配され、奴隷のような境遇に甘んじていたのです。この当時、有色人種の完全な主権国家は、全世界で日本、トルコ、タイ、エチオピアの4国だけでした(中米や南米は、白人と有色人種との混血に支配されていたので、純粋な有色人種の国家とは見なしません)。そのことからも、当時の状況の過酷さが良く分かると思います。そして、白人の有識者は、この状況を「当然」だと思っていました。彼らは、「有色人種など、ブタや馬と同じなのだから、我々に飼育されているのが当然だし、その方がかえって幸せなのだ」などと公言していたのです。

★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度

http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

しかし、純粋な有色人種の国家である日本が、白人国家ロシアに挑戦し、これを見事に打ち負かした事実は、白人たちを瞠目させ、そして彼らの支配に苦しんでいた有色人種たちに勇気を与えました。
「俺たちだって、やれば出来るんだ!日本を見習え!」
こうして、全世界の植民地で独立運動が巻き起こり、自由の風が世界を覆う結末を迎えたのです。
日露戦争は、全人類の歩みを永遠に正しい方向に変えた、画期的な事件だったと言えるでしょう。
日本人は、もっと誇りを持って良いのです。
 


(2) 本当は、日本の負けだった?

しばしば耳にする議論に、「日露戦争は、本当は日本の負けだった」というのがあります。学校の歴史の授業で、教師が生徒にそう教えているのだそうです。
私見を言うなら、この議論は完全な間違いです。
そもそも、「本当は負けだった」という言葉が論理的に変です。戦争の結果には、「勝ち」か「負け」か「引き分け」の3種類しか無いのです。その中に、「本当」や「嘘」が入る余地はありません。
学校教師が口にする「本当は負け」というのは、こういう意味で言っているのだそうです。
「日本は、短期で戦争が終わったから勝ったのだ。もしも長期化していれば、兵員数に勝るロシアが勝っていたはずなのだ。だから、本当は負けなのだ」
この説明は、論理的に間違っています。
実際の戦争は、確かに短期に終わったのですが、それは日本の戦争指導者たちが、短期に終わるよう努力したからそうなったのです。つまり、この戦争が短期に終わったのは、日本の作戦勝ちということです。ゆえに、「日本の勝利」という事実に変わりはなく、「本当」も「嘘」も無いのです。
また、一部の論者は、兵員の損耗数を根拠に「本当は日本の負け」と主張しているようです。確かに、捕虜を含めない兵隊の死傷者数では、日本の方が多かったかもしれない。
しかし、この主張も、論理的に間違っています。
戦争の勝ち負けというのは、兵員の損耗の多寡で決まるのではありません。戦争の勝敗は、「戦争目的が達成できたか否か」で決まるのです。日露戦争で、戦争目的を達成したのは日本の方でした。だから、あれは問題なく「日本の勝利」だったのです。異論を差し挟む余地などありません。
そもそも、損耗の多さで勝敗が決まるというのなら、長篠の戦いは武田騎馬軍団の勝利ということになるし、ノモンハン事変や硫黄島の戦いは日本軍の勝利ということになっちゃいませんか?(それぞれ、織田徳川連合軍、ソ連軍、アメリカ軍の方が、死傷者数が多かったのです)。
ところで、どうして日本の学校教師や識者は、「日露戦争を日本の負け」にしたがるのでしょうか? それは、戦後日本に蔓延したいわゆる「自虐史観」の仕業です。左翼思想に偏向した日教組は、戦前の大日本帝国の業績を、全て否定するような教育を展開したのです。今日、多くの日本人が愛国心を失っているのは、そのためです。
でも、我々の生きている社会には、『絶対悪』なんて存在しません。大日本帝国は、確かに悪事もしたでしょうが、良い事だってしているのです。その全てを否定的に教える日教組の方針は、教育というより「洗脳」ではないかと思います。
ともあれ、日本の若者の多くは、日露戦争に対して否定的な考えを持たされている。
そして、この小論の最大の目的は、洗脳の呪縛から若者たちを解放することにあります。 


http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den112.htmより抜粋。



近代世界史の虹から見た大東亜戦争


近世世界史をコロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)の15世紀末から、香港返還(1997年)、長野オリンピック(1998)の20世紀末までの500年で大観すると、人類の歩んだ歴史の虹がはっきりと浮かび上がってくる。歴史の時間的スパンを500年くらいの長さで見、さらに地理的空間を地球規模のグローバルな視点で観察すると、人類史の真実が手に取るように見えてくる。この虹の橋の上に、日本の存在や日露戦争、大東亜戦争を位置づけると、その意義の重大さがはっきりと描き出されてくる。

500年にわたる白人の世界侵略史

この5世紀間、虹の橋の上で活躍したのはスペイン、ポルトガルをはじめ、オランダ、英、仏、米、露など、すべてヨーロッパ出身の白人のみで、その間、東南アジアや、アフリカ大陸、アメリカ大陸の原住民らは、奴隷か植民地民族として呻吟していたのである。

この時代は、一口に言って、白人による世界植民地侵略制覇の時代と断言できる。彼らは繰り返し、世界中を荒らし回った。彼らは文明とキリスト教の宣教の名をかかげながら、異民族に一片の憐憫の情をも示すことなく、早いもの勝ち、手当たり次第に奪いつくし、殺しつくしていったのである。この時代、白人以外は「人にあらず」で、人間としてまともに扱われることはなかった。

ところがここに奇跡が起こった。この白人侵略の世界史の虹の中に彗星のごとく忽然と現れたのが日本だった。有色人種は、科学技術という文明で武装した白人にはとうていかなうはずがないとあきらめきっていたのに、長い間国を鎖していた名もない日本が、独り忽然と白人侵略に立ち向かったのである。

力には力で対抗するしかない世界の帝国主義の時代に、日本も強大な軍事力を蓄えて彼らの侵略を阻止するために立ち上がったのは、日露戦争(1905年)から大東亜戦争(1945年)にいたる僅か40年余りであった。それは世界侵略史500年の歴史の虹のわずか十分の一にすぎない一瞬の出来事であった。

この虹の上に刻印された日本の存在と決断と犠牲とが、その後の世界史上、白人侵略の停止、植民地解放、人種差別撤廃の動機となり、世界地図を塗り替えるほどの人類史上最大の革命をもたらしたことは、何人も疑うことのできない事実である。(P42~P45)

今こそ白人の暗黒の歴史を白日のもとに

西欧500年の発展、繁栄の基礎になっていたものはなんであったのだろう。それは世界史上例を見ないほどの悪逆非道の非白人支配と略奪の上に築かれたものであった。西洋文明の発展、西欧人の栄耀栄華の陰に、その何百倍もの非白人の苦痛、苦難の犠牲があったのである。五世紀にわたって白人の文明と繁栄を支えるために、どれほどの不正と搾取、虐待と殺戮があったことか、今こそ、この白人の触れたがらない暗黒の歴史を白日の下に晒す時が来たのである。これなくして21世紀の平和は語れない。この過去の世界史を総括して反省しない限り、21世紀の真の歴史は生まれないと知るべきだ。(P54)

★目覚めよ! 人類を支配する "情報帝国主義"!

https://www.youtube.com/watch?v=3Swq63sbPLo

https://www.youtube.com/watch?v=GsrOhPTQSPE


(コメント)
過去500年間に白人が世界で一体何をしてきたのか? 白人が蓋をしたがる暗黒の歴史がここに存在している。戦前の日本を評してよく軍国主義と言われるが、日本が弱ければあっという間に欧米の植民地になっていたに違いない。国力十倍以上の帝国主義国家に囲まれ、資源の乏しい小国日本が生き延びるためには、軍国化するより他に手段がなかったのが現実である。

アフリカ大陸やアメリカ大陸、東南アジアでは、問答無用で凄まじい侵略や詐取が行われ、白人達はそれが自分達の当然の権利だと考えていたのである。数十年やそこらの話ではなく、500年という長きに渡って、である。アメリカ大陸に労働力として黒人奴隷が運ばれたのは、白人が原住民のインディオを虐殺し過ぎて、インディオの人口が激減したからであり、しかも黒人奴隷を1人運ぶのに、劣悪な輸送環境によって5人の黒人奴隷が犠牲になったと伝えられている。

アフリカやアメリカの原住民は文字を持たず、彼らの苦難と苦痛に満ちた歴史は白人側の資料でしか推察出来ないが、それでも天文学的な数の犠牲者が推測されている。非白人にとっては永劫に等しい苦悶の歴史にピリオドを打ったのが大日本帝国であり、日本軍だったのである。

戦後の洗脳によって、大日本帝国といえば悪いイメージしか浮かばないようになってしまったが、それは白人国家の歴史観を未だに日本人が押し付けられているからであり、500年スパンで世界史を検証すれば、大日本帝国の功績が不動のものであることを理解出来るに違いない。なぜ特攻をしてまで日本人は戦わなくてはならなかったのか、それは大東亜戦争が有色人種解放の戦いであると同時に、白人侵略国家との民族の存亡を掛けた戦いだったからである。

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-date-20090225.htmlより。



★祖先の目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=wT3xdKAhcqI


★日本人よ、涙せよ!


http://kabukachan.exblog.jp/24939240


★大東亜戦争(太平洋戦争)とは何だったのか?
http://kabukachan.exblog.jp/24554821/


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by kabu_kachan | 2015-12-21 00:26 | 歴史 | Comments(0)

日米戦争はなぜ起きたのか?

先ず、なぜ日中戦争から、太平洋・東アジア全域にまたがる全面戦争に拡大してしまったのか!その背景から述べなければなりません。

十九世紀の中頃から、欧米列強、特にロシアが、満州・チャイナ・朝鮮・日本を植民地にしようと虎視眈々と窺っていました。――日本の近現代史がずいぶん混乱しているので、多くの人々は、明治維新が終わったときには、西欧列強のアジアにおける植民地支配は完了していたかのように思い込んでいるようですが、それはそうではありません。

日本が、自由民権だとか国会開設などと騒いでいた明治初期には、欧米の植民地化はまだ着々と進行中という状態だったのです。アメリカがハワイの王朝を潰し、ドイツはチャイナから青島を奪い植民地化し、フランスはチャイナからベトナムを奪い、イギリスはインドを経てビルマを併合し、さらにチベットを勢力下に収めるなどという状況が進行中でした。

イギリスは、明治18年にビルマの王と王妃をセイロン島に島流しにし、王子は皆殺しにし、王女はイギリスの兵隊にくれて、ビルマを併合してしまったわけです。ーーその後も列強の侵略は続いて、マレー半島が完全に植民地として完成されたのは、じつに1909年(明治42年)のことでした。

―― その当時、

日本にとって特に脅威だったのは、ロシアの動きです。ロシアは、旅順や北朝鮮の港を占拠し、全朝鮮半島を支配する構えをみせていたのでした。

今から振り返ると、周辺の国々が次々と欧米の植民地になっていく中で、よくぞ日本だけが無事だったものと不思議な気がします。今ですら、そうのような感じがするわけですから、当時の日本としてはもう必死だったことでしょう。いつベトナムのようなことになるのか、ビルマのようにされるのか、ハワイのようにされるのか、といったことで戦々恐々としていたわけです。

南アジアの大国であったインドも、また、清国の一部も植民地とされ、老いたる官僚国家である朝鮮はとても頼りない感じでした。――ロシアは今の北朝鮮あたりまで既に南下を果たしていたわけですから、日本も、もう既に射程距離に入っていたようなものでした。

イギリスやフランスがチャイナの分割を終えてから朝鮮半島へと進攻してくれば、これまた次は日本へという図式になります。アメリカだって、西へ西へと原住民(アメリカインディアン)を征服しながら西進し、太平洋に出てハワイを平らげ、そして遂にフィリピンまでも手に入れたわけですから、これまた次は日本をということになります。

当時、清国や朝鮮は科挙制度が完備していて、筆記試験をパスした成績優秀な官僚が実質的に支配する官僚国家であったわけですが、日本はまがりなりにも武家社会でした。そのためでしょうか、日本は朝鮮と違って、欧米やロシアの武力の脅威というものをかなり正確に読んでいました。

そうした、まことに危機的な状況があったればこそ、日清・日露戦争が戦われたわけです。日本の防衛、白人の世界支配への抵抗運動としての日清・日露という側面を抜きに、これらの戦争の本質は語れません。

それは、第二次世界大戦についても同様です。欧米、わけてもアメリカを敵として戦うなど、よほどのことがない限りどの国だってやりたくはありません。日清・日露から第二次大戦までの日本の戦争は、広義の意味での自衛戦争だったのです。――自衛ということが基調となっていた戦争だったのです。

では日本は、いったい何から自衛しなければならなかったのかというと、それはまずは欧米とロシアの植民地支配です。当時としては、それは単なる脅威論の域を越えていて、今日明日に迫る現実的な課題でした。

結局わが国は大東亜戦争に敗れたわけですが、このときの主要な敵国のすべては、大東亜戦争以前にわが国が脅威の対象と直観していた国々でした。

アメリカは昭和5年(1930年)に、イギリスは昭和7年(1932)にブロック経済体制に入りました。後にオランダもこれに同調しました。ソ連も閉ざされた国です。これらの国々はいずれも近代産業を支える天然資源を自給自足できる国です。これらの国々が日本に天然資源を売らないことにしたらどうなるか。とくに石油はどうなるか..これが日本の直面した恐怖でありました。

―― それとともに、

大東亜戦争にはもうひとつ大きな、世界的対立の側面がありました。それは、ホワイト対カラード(白人対有色人種)という対立の構図です。人種の中では、白人が一番優秀で、その次が黄色人種で、いちばん劣っているのが黒人であるという暗黙の序列のようなものがあります。これは、決して公にはされませんが、本音の部分で、欧米人の間では現在でも根深く残っているといえるでしょう。

日本は、第一次世界大戦のあとで「人種平等」ということを国際連盟規約に入れるように要求しますが、これはあっさり拒否されてしまいました。そもそもあの時に、第二次世界大戦後の国連のように、人種平等ということを国際連盟が受け入れていれば大東亜戦争は回避できたのではないでしょうか。


★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』

http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

日本は、対ロシア政策として、朝鮮の近代化を切実に願っていました。しかし当時の朝鮮の宗主国であった大清帝国が邪魔をします。そして、協定に反して清国は朝鮮に軍隊を入れました。ーーかくして日清戦争が起こったわけです。これによって日本は、有色「カラード」人種国の代表みたいになってしまいました。

カラードの国である日本が、まずもって世界をアッ!といわせたのは日露戦争でした。カラードの国である日本が、白人の超大国であるロシアと戦って勝ったということで世界中がビックリしたわけです。


その驚きは、白人に限った事ではありません。中東のトルコなどでも、大変な驚きと希望とをもって受け止められました。アメリカでも、とくに黒人などは息をのんでこの勝利を見守りました。植民地にされていたアジアの諸地域も同様です。(諸国ではありません..当時、独立国だったのはタイ王国だけでした。ただし、タイは英仏の衝突を避けるための緩衝地帯として置かれていたのであって、自力で独立を保っていたわけではありません。)


第二次世界大戦後には世界中で民族運動が起き、独立が相次ぎましたが、その根っこのところには、カラードの国である日本が善戦したということが大きく影響していたのです。


―― 話を元に戻しますと、

十九世紀の半ばに、既にイギリスの侵略を許していた中国大陸は、日清戦争の敗戦を機に、欧米帝国主義の利権漁りがいっそう激化し、英仏独露日などによる事実上の分断統治が為されており、主権などは無いに等しい状態でした。当時のアジア地域で、かろうじて独立国として存続していたのは、日本とタイ王国ぐらいのものだったのです。

アジアは、こうした、つい最近まで欧米帝国主義諸国に牛耳られていた歴史を忘却してはなりません。この歴史的事実ひとつをとっても、日本の中国進出を----被害者である中国から責められるのはある程度仕方ないとしても----欧米諸国から責められる謂れ(いわれ)などは毫(ごう)もないのです。まず責められなければならないのは、我欲剥き出しで武力をもって先にアジアを侵略した欧米列強のほうなのです。

日本が中国や朝鮮半島へと進出しなければならなかったのは、欧米露など帝国主義国家のアジア侵略があった為です。欧米列強のアジアでの傍若無人な振る舞いは先にも述べた通りです。ーー残された中国大陸の一部・朝鮮半島・日本を、各国が植民地支配せんと手薬煉(てぐすね)ひいている状態だったのです。

強国ロシアとの戦いに勝利を収め、満州の南部はなんとか確保できたものの、この戦争によって十万人もの日本人兵士が犠牲になりました。しかし、講和でロシアから得たものは南満州の鉄道経営権だけで、賠償金などはゼロでした。

しかも、この戦勝によってロシアの脅威が消えたわけではなく、むしろ、日露戦争によってロシアの南進意図はよりいっそう強固なものとなりました。やがてはロシアが、朝鮮を足がかかりに日本へと触手を伸ばしてくることは時間の問題だったのです。ーー日本の危機感はつのるばかりでした。

中国大陸でも、蒋介石の国民党政府が着々と力を蓄え、これまた日本にとっては大きな脅威になりつつありました。

対する日本政府は、日露戦争の勝利で得た南満州の鉄道経営の権利を足がかりにして満州に積極的に乗り出していき、満州国を建国し、さらには朝鮮併合へと進んでいきました。いってみれば、日本にとっての満州建国・朝鮮併合が自国の防衛にとっては止むを得ない進路だったという側面を見逃してはならないと思います。

しかし、そうして中国大陸に楔を打ち込んだ日本を、苦々しい思いで眺めていたのは欧米列強です。自分たちがクイモノにしようと狙っていた中国に、新たに乗り込んできた日本が、欧米列強にとっては邪魔者以外の何ものでもありませんでした。とりわけ日本を目の上のタンコブと感じたのは、虎視眈々と大陸の利権を狙っていたアメリカです。


日露戦争当時、日米両国の関係はおおむね良好でした。ロシアとの講和の中介をとったのもセオドア・ルーズベルト(アメリカ)大統領です。ところが、日露戦争終結と共に風向きは一変します。まず、南満州の鉄道経営権を巡ってギクシャクがはじまります。


日露戦争中に日本を支援し、莫大な戦費を貸付たアメリカの実業家にハリマンがいます。彼は鉄道会社の経営者で、日本に南満州鉄道の共同経営を持ちかけてきました。日本政府は、いったんこの申し出を受諾し、仮契約までこぎつけますが、小村寿太郎外相が国益上の理由から断固反対し、仮契約を反故にしてしまいました。

またアメリカ政府も、次第に勢力を伸ばしつつある日本に脅威を感じはじめ、満州の利権を独り占めにしようとする日本を食い止めようと必死になります。ーーこうして、アメリカは一気に反日へと傾いていったのです。


いってみれば日米対立の構図は、互いの権益を守る為の対立だったわけです。

以後アメリカは、日本をあの手この手で揺さぶり、国際社会から孤立させていきます。日本を封じ込めるためにまずアメリカが採ったのは、蒋介石へのあからさまな援助です。中国大陸へと歩を進めた日本は、蒋介石政権を相手に日事変に突入、戦線が拡大し泥沼の戦い続けていました。これが欧米諸国の(在中国)権益との紛糾の種になり、アメリカは蒋介石政権をバックアップすることで日本を牽制しようとしたのです。


この日米の確執が本格的に表面化したのは、昭和14年のことです。

この年の7月、アメリカは日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告し、12月には、アメリカ大使が条約の締結を拒否、翌年1月には、日米通商航海条約は失効します。

当時、アメリカはビルマと仏印(フランス領インドシナ=現ベトナム・ラオス・カンボジア)を通じて軍需物資を蒋介石政権支配地域に輸送していました。そこで当時の近衛内閣は、フランス政府と協定を結び、援蒋ルートを遮断しようとします。しかしこの時点でも、日本政府は、急激に悪化しつつあった日米関係を何とかして緩和しようと努めていました。


にも関わらずアメリカは、イギリス・中国・オランダと交渉し、共同戦線による経済封鎖、いわゆるABCD包囲網を強化し、昭和15年には、軍需物資はもちろん、生活必需品の対日禁輸まで仕掛けてきました。

そして昭和16年には、日本人の在米資産の凍結が断行され、イギリス、オランダもこれに追従します。こうした一連の対日禁輸措置は、日本に世界中との貿易を断念せよというのに等しく、貿易立国の日本にとっては危急存亡ともいえる程の危機でした。


昭和16年8月、アメリカは日本に対し石油の全面禁輸を実施します。

当時の日本は、石油はアメリカと、オランダ領だったインドネシアからの輸入に頼っていました。石油が一切入ってこなくなれば、国内に備蓄してある少量の石油だけで当面はしのげたとしても、備蓄が尽きれば全ての産業が停止に追い込まれることになる訳で、まさに死活問題です。

日本は、日米交渉が決裂すれば、資産確保のためには日米開戦もやむなしという瀬戸際へと追い込まれていきます。

このとき、東京のジョセフ・グルー駐日大使は、日記に次のように書き込んで
います。「報復と、それに対する反撃行為との悪循環が始まった。地獄への道をたどるのはたやすい。最早、なんらかの抜本的な異常な事情が起らない限り、坂道を落ちてゆくような今日の事態の惰性をいかにして食い止め、またはいかにしてこの事態の発展の行方を突き止めえようか。明白な結論は戦争が不可避であるということだ」

エネルギーの供給源を断たれた国が、それを求めて戦争への道を歩んでいく。

これは国際社会では当然の成り行きです。--今回のイラク戦争がいい例です。中東の石油を安定的に確保するため、いうことを聞かぬサダム・フセインを、ありもしない幻の大量破壊兵器を口実に攻撃し逮捕し、そのため、アメリカも莫大な戦費と戦死者を出しているのは世界周知の事実です。

経済封鎖と石油の禁輸措置で、のっぴきならない事態に追い込まれた日本は、やむなく日米開戦を決意、9月6日の御前会議で「帝国は、自存自衛を全うするため、対米・英・蘭戦争を辞せざる決意のもとに、概ね10月下旬を目処し戦争準備を完遂す」と決定します。

https://www.youtube.com/watch?v=U0UyNMiN7UU


――太平洋戦争の遠因は人種問題でした。

アメリカが、日本人を一人も入れないというような絶対的排日法案を可決し、実行しなければ、あのような反米感情は起こらなかったでしょう。

――そして近因、つまり直接の引き金は石油の禁輸です。

日本の連合艦隊が、石油がなくて動けなくなり、一戦もしないで白旗を掲げるなどという事はありえなかったからです。



★アメリカ歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は、終戦間もない1948年、アメリカの公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と日米戦争」の著書を発表した。この中で、博士は、日米戦は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまりアメリカの一方的侵略戦争であったことを痛烈に批判した。
この本によっても、ルーズベルトがアメリカ国民自身と日本国民とを同時に騙して、無謀な戦争に突入したことが明らかになった。

戦後アメリカの詩人コーエン氏は、このビアードの本を大学の図書館で読んで仰天した。アメリカが戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに、心から詫びたい気持ちでいっぱいになり、わざわざ来日して、巣鴨処刑場跡の記念碑の前で次の詩を書き遺した。

ああ、アメリカよ、汝は法を曲げ、正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今黄泉にて汝の非道に涙す



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by kabu_kachan | 2015-09-07 05:38 | 歴史 | Comments(0)

満州事変は侵略だったのか?

★『凛として愛』
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満州事変(1931年)は、何故起きたのでしょうか?


今日、この事変は、世界恐慌で経済が行き詰まった日本が、その経済的行き詰まりを打開する為に行なった「侵略行為」として語られる事が多いと思はれます。


私自身、そう思ひ込んで居ましたが、真実は、本当に、そんな単純な物だったのでしょうか?


物事には、前史が有ります。1931年9月18日の柳条湖事件だけを取り上げて見れば、その様に思はれても仕方の無い面は確かに有ります。しかし、今日、その前史が何故これほど語られないのか?中国で、反日デモが広がる中で、満州事変の前史を振り返る事は、無意味ではないに違い有りません。


   * * * * * * * * * *


そもそも、満州は、歴史的には、漢民族(中国人)の土地ではありませんでした。


皆さんは、中学や高校の世界史で、歴史地図と言ふ物を見た事が有ると思ひます。もし、家に歴史地図が有ったら、是非見て下さい。殷や周の時代から、隋、唐、宋の時代でも、満州が漢民族の王朝によって支配された事は一度も有りません。満州に在ったのは、常に漢民族以外の民族の国家ばかりで、高句麗、渤海、切丹、元(モンゴル)、清、など、中国人(漢民族)がこの地域を支配、統治した時代は、20世紀以前には無かった事を、先ずは、思ひ出さなければなりません。


満州が、中国人(漢民族)の支配に入ったのは、1911年の辛亥革命以後の事です。つまり、北海道が日本の領土に成ったのよりずっと新しい事なのですが、その辛亥革命後、満州が中国人の支配に置かれた経緯には、大きな問題が有ったのです。


辛亥革命(1911年)は、満州族の王朝であった清を中国人(漢民族)達が打倒し、中華民国を建国した革命でした。満州族による漢民族(中国人)支配に対して中国人が不満を抱き、新しい国家を打ち立てた事自体は理解出来ます。しかし、問題は、その過程で、中国人(漢民族)の土地ではなかった満州までもが、中国人の支配を受ける様に成ってしまった事でした。即ち、漢民族(中国人)が、満州族(清)の支配に反抗して立ち上がった事自体は正当であったにせよ、その漢民族が、今度は、満州族を逆支配し、中国人の土地ではなかった満州までをも支配する様に成った事が、新しい摩擦を引き起こして居たのです。


辛亥革命後、満州を支配したのは、日露戦争中日本のスパイであった馬族の頭目、張作霖でした。辛亥革命後、打倒された清の領土は分裂状態に陥り、中華民国と言ふ新国家の全国統治は名ばかりでしたが、そんな分裂状態の中でも、国民党は満州を新国家の領土であると主張して居ました。例えて言へば、アフガニスタンで、カブール周辺しか支配して居ないカルザイ政権が、建前ではアフガニスタン北部も統治して居るとしながら、実際には全く統治して居ないのと同じです。南京で誕生した新国家中華民国の政府は、満州を実効支配した事は一度も無く、満州は、辛亥革命後、名目上は中華民国の一部と成りましたが、その中華民国政府は何ら満州を統治しておらず、実際には、地方軍閥である張作霖とその息子張学良が、満州を私物化し、君臨して居たのです。


その張作霖とその息子張学良は、満州に軍政を敷き、満州の住民を苦しめて居ました。特に、彼らは軍票の乱発によって満州をインフレに陥らせ、このインフレは、現地の住民を過酷な状態に置いて居ました。今の北朝鮮の様な親子による支配と経済破綻に加えて、満州の治安は悪化し、例えば万宝山事件と言ふ満州に移住した朝鮮人が現地人の襲撃を受けて虐殺される様な事件も発生して居たのです。


それに加えて、日本にとって重大だったのは、この張作霖・張学良親子の支配下で、日本が清と結んで居た条約が守られなく成り、日本が経営権を持って居た南満州鉄道について、条約で約束されて居た平行線建設の禁止が守られなく成った事でした。張学良は、イギリス資本を導入して南満州鉄道と競合する鉄道を建設し、これによって日本は、日露戦争後、条約で権利を保障されて居た南満州鉄道の経営悪化と言ふ問題に直面して居ました。


その上、張学良は、満州の住民に反日運動を扇動し、満州に在住する日本人は、南満州鉄道の経営悪化のみならず、治安の悪化による危険にさらされる状況に追ひ込まれて居たのです。


つまり、辛亥革命後、満州は、責任ある国家の統治下に無く、そこを支配して居ると主張する中華民国政府は、現実には何ら現地の治安にも条約の継続にも責任を果たして居ませんでした。まさに、当時のアフガニスタンだった訳で、責任有る政府は無く、ただ軍人親子が暴政を続ける真空地帯と化して居たのです。


こうした状況を一気に解決したのが、満州事変だったのです。


確かに、南満州鉄道を自分で爆破してそれを理由に満州を一気に占領したやり方は問題です。しかし、この満州占領の結果、暴君であった張学良は満州から追放され、現地では治安の回復とインフレの終息が実現しました。


その結果、満州事変後の満州に、中国から多くの中国人が流入した事は、その方法はともかく、満州事変が、満州に治安と経済的安定を実現した事の証明と言って間違い有りません。


更に、満州事変後、建国された満州国は、1945年に終焉を迎えるまでの短期間に、戦後の日本の経済成長を彷彿とさせる様な経済発展を遂げ、満州の民生を向上させて居ます。


柳条湖事件だけを取れば、確かに、「侵略」と言はれて仕方の無い面が有った事を私は否定しません。しかし、アメリカがイラク戦争を開始した際の経緯と比較しても分かる通り、この程度の謀略は、国際政治の中で何度も繰り返されて来た事です。そして、結果に注目するなら、アメリカのイラク統治等とは較べ物に成らない治安と経済発展が、満州では実現されて居ます。


こうした事を総合的に考える時、そもそも歴史的に中国人の土地ではなかった満州に居座った張作霖・張学良親子の支配を排除して満州を満州族の手に戻し、日本の影響下に在ったとは言へ、満州族中心の国家を建設して、治安の回復と急速な経済発展を実現した満州事変を、ただ単に「侵略」呼ぶ事は、本当に正しい事なのでしょうか?


皆さんの御意見をお聞かせ下さい。


平成22年9月21日(火)



                西岡昌紀


(この日記に対する中国の方たちの御意見、御批判を歓迎します。)


(関連するミクシイ日記)
     ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1585932427&owner_id=6445842


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by kabu_kachan | 2015-09-04 10:27 | 歴史 | Comments(0)

<日露戦争~太平洋戦争>と米国黒人社会

■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■

 全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを
見守っている。

 1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すこ
とのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。
米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平
等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。

 日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち
寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロ
ー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあ
らゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆
願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役を
するというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に
嘆願したのである。

 われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問
題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬
意を払うものである。

 全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦
しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の
仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。
[1,p71-76]

 しかし、本誌52号[a]で紹介したように、日本の提案は16
カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領
ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられ
た。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南
部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っ
ていたのだ。

★世界史上、初めて『日本が人種平等を主張』


http://kabukachan.exblog.jp/22400185/

 アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人
もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。

■2.茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている■

 アメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったの
は、日露戦争の時であった。白人の大国に、有色人種の小国が
独立をかけて、果敢な戦いを挑んでいる、と彼らは見た。

 米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人
解放運動の指導者W・E・B・デュボイスは、ヨーロッパに
よる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国
として、日本を支持した。

 日本が勝てば、やがて「アジア人のためのアジア」を声高に
叫ぶ日が来るだろう。それは、彼らの母なる大地アフリカに同
じような声がこだまする前兆となる、と米国黒人の指導者たち
は考えた。黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次の
ような社説を掲載した。

 東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちの
めし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人
にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入
れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、
もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに
今突き崩されようとしている。

 日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、という
ヨーロッパ人による世界侵略の近代史で生まれた神話を事実と
して否定してみせたのである。[1,p53-66]

日露戦争の世界史的意義


http://kabukachan.exblog.jp/19062401/

■3.黒人と日系移民の「連帯意識と共感的理解」■

 1920年代に本格化したアメリカへの日系移民に対して、黒人
たちは温かく接した。「フィラデルフィア・トリビューン」紙
は、次のように述べた。黒人たちは日本人を心から尊敬してい
る。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、「自分た
ちのために一生懸命努力する」日本人の態度は見習うべきもの
である、と。

 カリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に日系
人がよく広告を出した。「ミカド・クリーニング」、「大阪シ
ルク工業」等々。逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリン
チを非難する記事がたびたび登場した。

 ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったこ
とについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように
述べている。

 ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日
系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本
当に喜ばしい限りである。同じ人種の医者に診てもらうこ
とができる安心を患者は得ることができるのだから。

 黒人を差別しない日本人というイメージは、このようなメデ
ィアを通じて、またたく間に西海岸に広まった。「連帯意識と
共感的理解」、この言葉が両者のつながりを示すのによく用い
られた。[1,p82-89]

■4.日本人を救え■

 1923年の関東大震災の報に接したある黒人は「シカゴ・ディ
フェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人
こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書
し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始め
た。

 たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくて
いつ出すというのか。

 同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していった。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇
に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジ
ャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工
業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、
震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打
撃を受けた、と分析した。日本人は「それまでの白人優位の神
話を崩した生き証人」だったからだという。[1,p82-86]

■5.日本のエチオピア支援■

 1936年のイタリアによるエチオピア侵略に対して、アメリカ
の黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」とし
て支援しようとした。アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、
日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は、アメリカ
の黒人たちの心を動かした。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけに
はいかない」「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも
何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言した
ことを伝えている。

 「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、
エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の
提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じた。

 そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハ
イレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇
族・黒田雅子女史の結婚の計画であった。これは実現には至ら
なかったが、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せてい
た証拠であった。シカゴ・ディフェンダー紙は「海を越えた二
人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じた。
[1,p96-103]

■6.日本での「忘れがたい経験」■

 1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満洲に1週間、中
国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリ
ア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。

 デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、
「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるか
のように、彼の前に割り込んだ。

 ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボ
イスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイ
スに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かま
しいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然と
した態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世
界の幕開けを予感させた。

「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個
人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、
われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種で
あり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」こ
とを、心から理解してくれているのだ。[1,p109-118]

 さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを
悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳く
らいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくよ
うに言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

 上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか
白人の国によって支配され、統治されている。」それに対して、
日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための
国」である。

■7.日本人と戦う理由はない■

 日米戦争が始まると、黒人社会の世論は割れた。「人種問題
はひとまず置いておいて母国のために戦おう」という意見から、
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」、さらには「黒人を差
別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意
見まで。

 デュボイスは、人種戦争という観点から捉え、「アメリカが
日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはず
だ」とした。

 黒人たちは、白人が日本人を「イエロー・バスタード(黄色
い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リト
ル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと蔑称をさ
かんに使うことに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけた。

 アメリカは日本兵の残虐行為を理由に、「未開人」という日
本人イメージを広めようとやっきになっていた。それに対して、
「ピッツバーグ・クリア」紙は、ビスマーク沖での海戦で、ア
メリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多
くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした、本土爆撃ではわざわ
ざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差
別に殺した、さらに「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万
という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、
何を残忍と言おう」と主張した。

 軍隊の中でさえ差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって、
白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければなら
ない理由は見いだせなかった。ある黒人部隊の白人指揮官は、
隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下した。黒人
兵の間では、やりきれない気持ちがこんなジョークを生んだ。

 墓石にはこう刻んでくれ。

白人を守ろうと、
黄色人種と
戦って命を落とした黒人、
ここに眠ると。
[1,p120-140]


★『凛として愛』
https://www.youtube.com/watch?v=r2zwu_1bqIg&index=47&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp


大東亜戦争の世界史的意義


http://kabukachan.exblog.jp/19094794/


■8.日系人強制収容を黙って見過ごすのか?■

 大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも、
強制収容所に入れられた。米国の黒人は大きな衝撃を受けた。

 第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリ
ア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいでは
ないか、という点。第二に、アメリカの市民権を持っている日
系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可
能性がある、という点であった。

 11万5千人もの人々(日系人)が、一度にアメリカ人
としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過
ごすというのか。

 ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストが全米黒人向
上協会に呼びかけ、協会の代表はそれを受けて、次のような決
議文を提出した。

 われわれは人種や肌の色によって差別され、アメリカ人
としての当然の権利を侵害されることには断固として反対
していかねばならない。

 戦後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人
を歓迎し、温かく迎えた。彼らは、日系人のために仕事を探し
たり、教会に招いたりしてくれた。[1,p140-152]

■9.歴史上、日本人が持ち得たもっとも、親しい友人■

 [1]の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次
のように我々日本人に呼びかけている。

 歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それが
アメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、
日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返
したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、
心から理解してもらえるはずである。

 かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本
人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を
取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりの
ない、謙虚な日本人-それが私の願いである。[1,p26]

★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度


http://kabukachan.exblog.jp/20941342/


http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog132.htmlより



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by kabu_kachan | 2015-09-01 00:08 | 歴史 | Comments(0)

大東亜戦争の真実 

★さくらじ#102、ひと目で分かる水間政憲のカウンター・プロパガンダ
https://www.youtube.com/watch?v=WEjUqOEuy5U


【大東亜戦争の真実】 

★白人の世界侵略史
https://www.youtube.com/watch?v=XPqV4Q1f4t8


【白人たちにとって私たち有色人種は人間ではなかった】


アメリカ人(もともとイギリス人)が今のアメリカ合衆国に住んでいたインディアンを殺した数は数千万人とも言われるが、いずれにしても簡単に言うと"皆殺し"にしたので、今ではアメリカ人しかいないような感じだ。
オーストラリアもイギリス人が先住民のアボリジニを全滅させたので、今ではオーストラリアには実質的にイギリス人しかいない。
このような地域は"もめ事"が少ない。先に住んでいた人が皆殺しに遭っているからだ。
(中部大学教授 武田邦彦)

反日日本人・発生の経路と原因 / 武田 邦彦
https://www.youtube.com/watch?v=kHUnmuee_dA&nohtml5=False


昔、キリスト教を信仰していたヨーロッパ人たちは、
「神に似せた白人だけが人間である。」という思想を持っていました。


私たちアジア人の多くはモンゴロイド(黄色人種)です。アメリカ大陸に1万年以上前から住んでいた先住民族の人々も、モンゴロイドです。
しかし、ヨーロッパに住む白人たちにとって、モンゴロイドは人間ではありませんでした。
白人たちは、マニフェスト・デスティニー(神の意思による明白なる使命)という標語を掲げて、聖書を片手にアメリカ大陸を征服していったのです。


キリスト教世界の白人としては最初にアメリカ大陸へ到達したと言われているコロンブスは、スペイン軍を率いてインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行いました。
彼の軍隊は、行く先々で、インディアンに対して窃盗、殺人、強姦、放火、拷問、無差別殺戮を繰り返しました。
第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンは、「インディアンは滅ぼされるべき劣等民族である」と合衆国議会で演説しました。
軍人のフィリップ・シェリダンは、降伏したインディアンの酋長から「よいインディアンもいる」と言われて、「よいインディアンとは死んだインディアンの事だ」と言い返しました。


虐殺されたインディアンたち

インディアンたちは非常に精神性が高く、やってきた白人たちをもてなして食べ物を差し出したといいます。ところが、そのような彼らを白人たちは容赦なく殺害して、土地を取り上げていったのです。
インディアンたちは、大和魂を持つ日本人に似た誇り高き精神文化を持っていました。殺されても白人たちの奴隷にだけはならなかったのです。
だから、アフリカから黒人たちがアメリカへ連れて来られたのです。


中南米の先住民族たちもスペイン人の侵略に遭い、インカ帝国やマヤ文明が滅びました。
当時そういうスペイン人たちに同行していたカトリックの司祭のバルトロメ・デ・ラス・カサスは、あまりにも酷すぎる先住民族に対する残虐行為を見て耐えきれず、スペインによる支配の不当性を訴え続けました。それは今でも文献として残っています。

オーストラリアにも白人が侵略してきて、アボリジニと言われる先住民族の人々を、スポーツハンティングとして殺しました。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館には残されています。
そのためアボリジニの人口は激減し、8割ぐらいは居なくなったと言われています。
隣のタスマニアでも、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的な襲撃などが行われました。数千のタスマニア人を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したりするといったことなども行われました。

https://www.youtube.com/watch?v=SuANLbviDFw

https://www.youtube.com/watch?v=ANLk2bvvZJk


無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気でいたのである。
(清水馨八郎著 「大東亜戦争の正体 それはアメリカの侵略戦争だった」(祥伝社))


アフリカも、ヨーロッパ人たちに侵略されました。
白人たちにとって、ネグロイド(黒色人種)も人間ではありませんでした。人間ではないので、何をしても自由でした。


コンゴの奴隷

チョコレートと言えばベルギーの代名詞のようになっていますが、ベルギーはコンゴの人々を支配していました。
ベルギー人は、コンゴの働き盛りの男性たちを奴隷にして過酷な強制労働をさせ、その家族を人質にしました。
ゴムの採取やカカオ採取にノルマを与えて、そのノルマを達成できなかった男たちには、罰として、彼らの家族の手足を切り落とすのです。女性や子供も容赦しませんでした。

またアフリカの人々は、突如として銃を持ったアメリカの奴隷商人に拉致されました。泣き叫ぶ家族と引き離され、奴隷船にぎゅうぎゅう詰めに乗せられて、嵐が来ると船の安全のために、20人ずつ鉄の鎖につないでそのまま海に捨てて溺死させられたといいます。
そのような奴隷商人は、人身売買で莫大な利益を生み出しました。

http://kabukachan.exblog.jp/20941342/



アジア

これは日露戦争直前のアジアの地図です。
はっきりとした独立国は日本だけでした。薄い黄色で塗られている中国は白人が領土を要求すると広い国土を少しずつ割譲するという外交手段で独立国家の形をかろうじて維持していました。また、タイは緩衝地帯でした。
日本は富国強兵政策の中で軍備を整え、日露戦争に勝って、白人が下手に手出しが出来ない状況を作っていました。
すなわち、この頃自力で国を守って、欧米の植民地にならなかった有色人種の国は、日本だけだったのです。
ここを理解しないと、日本がなぜ勝ち目のない相手にあえて戦いを挑んだのかが理解出来ないでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=buELxe1Wwa4


インドの奴隷

インドにはイギリス人が入ってきて土地を取り上げ、現地の人々にお茶や綿花、あるいは麻薬になるケシなどの換金作物だけを作らせました。
そのうちインドに大干ばつがやってきて、食糧が無くなりました。1943年のベンガル飢饉では300万人のインド人が無くなっています。
インドの人々が飢えてバタバタと死んでいくのを見ても、イギリス人たちはパンの一切れも与えず、痩せ衰えた彼らを並べて写真に撮って楽しんでいたそうです。

こうしたインドの困窮化と従属化に対し、イギリス支配に対する不満はインドの各地で高まり、1857年には大反乱(セポイの反乱、シパーヒーの反乱、第一次インド独立戦争)が起きましたが、イギリスはそのリーダーたちを虐殺して制圧しました。

https://www.youtube.com/watch?v=FTdRz4d4ECE&index=8&list=RDSuANLbviDFw


インドネシアには、オランダ人が香辛料貿易の利益を求めて侵略してきて、350年近くも略奪と虐殺を続けていました。

太平洋戦争(大東亜戦争)最中の1942年2月、日本軍が来てオランダの植民地支配を崩壊させました。日本が、アジア人でも白人と対等に戦えるということを知らしめたのです。
日本の支配下では、大東亜政略指導大綱に基づき、ここを一時的に日本の領土として軍政を敷くものの、しかるべき後に独立させる方針を決定していました。
そのため、オランダによって捕らえられていたスカルノやハッタらの民族解放運動の指導者が解放されました。

日本の敗戦後、再びこの地を支配しようとしたオランダに対して、インドネシア独立戦争が起きました。
その時に、インドネシア側の武装勢力に身を投じて命を落とした元日本兵がたくさんいました。


アジア人の中には、日本が嫌いな人々もいました。中国・華僑系の人たちです。
華僑の人たちは白人たちの手先となって利権を握っていたので、日本がその権利取り上げたのです。だから華僑系の人たちは、日本が嫌いです。
しかし、華僑が利権を握っていた東南アジアの土地の人々は、「白人たちを追い払ってくれた」と日本に感謝してます。


東南アジアは、タイを除いて17~19世紀まで次々と西洋の植民地にされてきた。
これによってそれまで海のシルクロードを握っていたイスラム商人やインド商人が後退し、それに代わって中国大陸の東南沿岸から流れ着いた華僑労働者たちが、湾岸都市を掌握しはじめた。
次第に経済力をつけ、東南アジアにおける列強の番頭を任されるようになった。

19世紀、華僑は列強と手を結び、現地人を搾取し始めた。現地民の華僑排斥運動は、そのまま独立運動へと変化した。
(黄文雄 著「「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国」(徳間文庫))


もちろん、白人たちがすべて悪かったわけではありません。これらは白人たちの中の帝国主義者たちの歴史です。
白人による征服という世界秩序を破ったのが、日本だったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=9Ocrx1dGFVE


戦うも亡国、戦わざるも亡国ならば、日本の未来のために、アジアの平和のために命を捨てよう、という考えで多くの日本人は戦いました。
戦争という究極の状態が兵士たちの精神に与える影響は大きく、日本の残虐行為がゼロだったというわけではありません。
しかし、今でも、多くのアジアの国々、多くのアジアの人々が日本に感謝しているのです。


祖先が目指したもの
https://www.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I

https://www.youtube.com/watch?v=a6R1so_HmFQ&index=5&list=RDSuANLbviDFw

http://www.yaei-sakura.net/index.php?society_h0022より



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by kabu_kachan | 2015-08-23 22:11 | 歴史 | Comments(0)