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日本国憲法の問題点

【日本国憲法の問題点】


日本国憲法はマッカーサーが戦後のどさくさに紛れて一週間で作った憲法なんだぜ。

このマッカーサーが意図したところは、日本に今後絶対に再軍備をさせない、軍隊を持たせないというものであった。

その意図が最もよく表れているところが、日本国憲法前文と第9条である。

そしてこの日本国憲法を永久に変えさせないように狙った条文が第96条である。


簡単に言うと、日本国憲法はマッカーサーが作った植民地憲法なのである。

以上のことを日本国民が認識して、アメリカ人に教えてやらなければいけない。

そして日本国民は現行憲法を廃止して自主憲法を制定するのが望ましい。


いいかね、世界平和と言うのは絶対にないんだぜ。
それとも、日本国民は国語を英語に変えて、毎日汗水流してアメリカ人のために「Yes,sir.」と言いながら、ただで働き続けることができるのかね?

「世界平和、世界平和」と叫んでいる諸君、
世界平和と言いながら、一生ただで働き続けることができるかね。
スマホ持つにもカネがいるだろ。

この絵に描いた餅に過ぎない「世界平和」という言葉を意図的に日本国憲法前文に入れたのがマッカーサーなんだぜ。

世界中の国々の中で自国の憲法に「世界平和」という言葉を入れている国がどこにあるのかね?

法律と宗教をごっちゃにしている国は日本だけだぜ。



    ☟

「ダグラス・マッカーサー」とは何者だったのか?
http://kabukachan.exblog.jp/25902262/



おまけ!

世界で唯一の白人大国・ロシア
https://kabukachan.exblog.jp/29350674/

★アメリカとロシアの関係=日本と朝鮮の関係
http://kabukachan.exblog.jp/26431821/

★トランプ政権のロシア疑惑・RUSSIA INVESTIGATION
http://kabukachan.exblog.jp/28243952/

FULL. President Trump 2018 State of the Union Address. Jan 30, 2018.
https://www.youtube.com/watch?v=qcsjywWLKuc

FULL SOTU: President Donald Trump's first State of the Union (FNN)
https://www.youtube.com/watch?v=4888jFZZPsg



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by kabu_kachan | 2018-01-31 08:25 | 軍事 | Comments(0)

「進化論」も「宇宙人説」も間違っている

【人類はどこから来たのか?】

正解は・・・「ない!」


The Theory Of Evolution is 100% Fake | ONLY BRAINWASHED PEOPLE BELIEVE IN EVOLUTION
https://www.youtube.com/watch?v=4wCxkBnm3ow

Evolution scientifically debunked!
https://www.youtube.com/watch?v=gg0GkLmVTz4

5 Scientific Facts Prove the Theory of Evolution is False | Hidden Truth #3
https://www.youtube.com/watch?v=FSAvmC4YRkQ

Evidence Against Evolution
https://www.youtube.com/watch?v=CIDioX4H5jU

Evolution Vs. God - An Atheist Review
https://www.youtube.com/watch?v=i0k9NyHh7TQ

Disproving Christianity: Jesus is a LIE
https://www.youtube.com/watch?v=_2kO7MRWyEY

Professor Exposes Impossibilities of Evolution
https://www.youtube.com/watch?v=xZn7tTdCm6U

Scientists Baffled-New Discoveries-Darwinian Evolution Crumbling-Scientists Abandon Theory
https://www.youtube.com/watch?v=WdqYPjA9VxA

Evolutionism Loses Berkeley Debate - 160 Professors Defeat by Creation Scientist
https://www.youtube.com/watch?v=fAiAviflLgs

How DNA Killed Evolutionism
https://www.youtube.com/watch?v=DLb_VYomZkQ

Evolution: A Theory in Crises | Thomas Woodward, PhD
https://www.youtube.com/watch?v=CL98fp1OaPo


★白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度
http://kabukachan.exblog.jp/20941342/

★アメリカインディアンの歴史(白人の大犯罪)
http://kabukachan.exblog.jp/26637363/

★UFOと宇宙人は存在するのか(娯楽の最大のテーマ)
http://kabukachan.exblog.jp/25949041/

★人類の起源(古代宇宙人説よりアフリカ起源説)
http://kabukachan.exblog.jp/24881639/

    ☟

Ancient Aliens Debunked - (full movie) HD
https://www.youtube.com/watch?v=j9w-i5oZqaQ




ここで一句。

サルは皆 英語わからず すぐ逃げる
暇なサル 英語わからず カッカする
バカ猿は 英語わからず サル思考
サル同士 英語わからず サル議論
日本猿 すべてのテーマで サル論議
日本語の 世界の中で サル論議



おまけ!

September 11 -- The New Pearl Harbor (FULL)
https://www.youtube.com/watch?v=8DOnAn_PX6M

科学者を志す諸君へ送る動画

★Mathematics is the queen of Sciences
https://www.youtube.com/watch?v=8mve0UoSxTo

https://www.youtube.com/watch?v=8mve0UoSxTo&list=RD8mve0UoSxTo#t=113

Documentary : Top 10 equations that changed the world | 1080p
https://www.youtube.com/watch?v=0K-t090uvL4

Theories that changed the world | 2017 Documentary HD
https://www.youtube.com/watch?v=nQ9pPIQS1xM

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by kabu_kachan | 2018-01-27 13:44 | 科学 | Comments(0)

オウム裁判、完全に終結

信じられん!

オウム裁判、完全に終結

=高橋被告の異議棄却―最高裁


1/26(金) 18:49配信

時事通信


 オウム真理教による地下鉄サリン事件で、散布役を送迎したとして殺人などの罪に問われた元信者高橋克也被告(59)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は25日付で、上告棄却に対する異議申し立てを退ける決定をした。

 
 無期懲役とした一、二審判決が確定し、192人が起訴された一連のオウム関係者の刑事裁判は、教団への強制捜査から約23年を経て完全に終結した。 


★「オウム事件の真実」を知れ!
http://kabukachan.exblog.jp/23587946/

★オウムの正体
http://kabukachan.exblog.jp/21983555/

★オウム事件(第7サティアン)の疑問
http://kabukachan.exblog.jp/21959571/

★オウムとイルミナティの関係                   『新・霊界物語 第二百二十六話
https://www.youtube.com/watch?v=MG-gBS9ji3A


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by kabu_kachan | 2018-01-26 21:35 | オウム事件 | Comments(0)

トランプ大統領とキリスト教福音派とユダヤ教

FULL SPEECH: President Trump Addresses The World Economic Forum DAVOS 1/26/2018, Switzerland
https://www.youtube.com/watch?v=GZIhF1ptliU

WATCH: President Trump, Israeli Prime Minister Netanyahu meet in Davos
https://www.youtube.com/watch?v=xPDEGiYpk-E

Trump meets with Theresa May in Davos
https://www.youtube.com/watch?v=KrZajtGXiBo

INVESTING IN AMERICA: President Trump Speaks To World Leaders in Davos (FNN)
https://www.youtube.com/watch?v=JVopFOo7vIs

President Donald Trump’s Full Interview At The World Economic Forum | Davos 2018 | CNBC
https://www.youtube.com/watch?v=xjZG5P_Q7B0

President Trump has dinner with European Business Leaders. Davos. World Economic Forum. Jan 25, 2018
https://www.youtube.com/watch?v=4rLR4ipaY9M


「アメリカ社会の深層と中東問題とトランプ大統領」を考える上で役立つ以下の記事を紹介します。


https://ameblo.jp/boumu/entry-12334856564.htmlより。

エルサレム② キリスト教シオニズムと福音派とユダヤ系アメリカ人


2017-12-08 23:25:29
テーマ:宗教・世界観


世界中から非難轟轟のトランプ大統領のエルサレム首都宣言。

しかしアメリカはクリントン政権時に、国内的にはエルサレムをイスラエルの首都と認めています。

なぜ?という疑問が起きますが、そこに登場するのが「キリスト教福音派」というキーワードです。

ユダヤ教から分かれたキリスト教はいろいろな教派があり、教派によって大きく異なりますが福音派はプロテスタントの中の、特に保守的な立場で、その特徴は、逐語霊感説といって、聖書の言葉を字義通りに、神の言葉として信じる人たちのことです。(特に旧約聖書をそのまま信じると問題が生じます

この赤字の部分が重要で、これが 「キリスト教シオニズム」 の原因となります。

紀元1世紀、ローマ帝国支配下で圧迫され、救世主(キリスト)を待望していたユダヤ民族の前にイエスが現れ、救世主と信じられるようになります。

イエスはユダヤ教のラビ(指導者とか律法学者のような地位)でしたが、厳しい戒律にしばられユダヤ民族のみを救いの対象とするユダヤ教を批判し、唯一の神を信じる者は誰でも救われることを説きユダヤ教を改革しようとし、ユダヤ教の長老たちと対立します。

そして、ユダヤ教の長老派の人々から異端であるとしてローマ人の行う法廷に罪人として差し出さされますが、ローマ人はその裁判をユダヤ人に一任し、結局ユダヤ人の裁判で有罪となり、死刑判決を受けたのです。 (死刑執行はローマ人が行ったので、ローマの死刑執行方法である十字架刑に処せられました。)

イエスの死後、イエスを救世主(キリスト)と信じる人々によりキリスト教が生まれますが、このような理由によりユダヤ教徒(ユダヤ人)はキリスト教徒に嫌われ迫害されてきました。


ところが、アメリカのキリスト教福音派はとってもユダヤ教と仲良し?のように見えます。

12月8日WALL STREET JOURNAL

【エルサレム首都認定、背後にキリスト教福音派の強力な根回し】


ドナルド・トランプ米大統領は6日、エルサレムをイスラエルの首都に認定すると発表した。トランプ氏が大統領に就任する前から、保守的な「キリスト教福音派」はエルサレムの首都認定を求め、ロビー活動を展開していた。

以下省略

なぜか?

キリスト教の歴史に矛盾するかのようなキリスト教福音派ですが、これは「キリスト教シオニズム」によるものです。

以下【「キリスト教シオニスト」の実態】より引用

注)キリスト教シオニストはプロテスタント主流派ではなく、福音派の一部(旧約聖書の記述を正しいと信じている人たち)です。


●シオニズム運動とは、パレスチナの「シオンの丘(ZION)」(=聖地エルサレム)にユダヤ人の国家を公的に建設する事を目標とするものである。

一般に、ユダヤ人テオドール・ヘルツルが、シオニズム運動の父として知られているが、広義の意味での"シオニズム運動"の本当の「創始者」ではない。

本当の創始者は、ユダヤ教徒ではなく、それより300年前のイギリスに住んでいたプロテスタント・キリスト教徒だったのである。

●キリスト教にもシオニズム運動は存在し、ユダヤに劣るとも勝らない強烈なシオニズム信奉者が存在する。

そして、驚くべきことに、現在アメリカのキリスト教シオニストとユダヤのシオニストは「同盟」を結んでいる。この同盟関係を知ると、パレスチナ問題の根がより深いところに根ざしていることに気付く。

 

 

●【宗教改革】以前は、全ての西欧キリスト教徒はカトリックで、聖アウグスティヌスその他が説いた「聖書の中には文字通りではなく寓意的に解釈すべき箇所がある」という見解を普通は受けいれていた。例えば、「シオンの丘(ZION)」は天国、あの世にあって、我々全ての人間に等しく開かれており、この地上にあってユダヤ人だけが住むべき場所ではないという考え方だ。

しかし、宗教改革以後、プロテスタント・キリスト教徒たちが唐突に「ユダヤ人は全てパレスチナへ移住せよ!」などという、およそ正統派キリスト教神学では主流になどなったことのない考え方を支持し始めたのである。

聖書が日常言語に翻訳されると、初期のプロテスタント・キリスト教徒たちは、ユダヤ教またはヘブライの聖書として知られていた『旧約聖書』に目を向け、ヘブライ人の歴史、物語、伝統、律法、そしてパレスチナの地に親しもうとし始めた。彼らは『旧約聖書』の物語をそらんじ、記憶だけで必要な個所を朗読してみせた。

こうしてパレスチナをユダヤ人の国と考え出すプロテスタント・キリスト教徒が増えてきた。

プロテスタント・キリスト教徒たちは『旧約聖書』を特別面白い文学として読んだばかりでなく、歴史解釈のお手本とも見るようになった。彼らはキリスト教以前のパレスチナの歴史過程すべてを、ヘブライ人が来てからの逸話だけに還元してしまったのである。

●こうして、古代パレスチナでは『旧約聖書』に記録されたあいまいな伝説やわずかな歴史物語に、これまたあいまいに記されているだけの出来事以外、何一つ実際に起こりはしなかったと思い込むようにしつけられたキリスト教徒が膨大な数に達したのである。聖書好きのキリスト教徒たちは、『旧約聖書』を中東で重要な歴史を記した唯一の書物と見なすようになってしまったのである。

そして、17世紀半ばまでには、プロテスタント・キリスト教徒たちは「ユダヤ人はすべてヨーロッパを離れてパレスチナへ帰るべきだ」と断定する論文を発表し始めていた。

新たに確立したピューリタン共和国の「護国卿」となったオリヴァー・クロムウェルは、パレスチナにユダヤ人が帰還すれば「キリスト再臨」の序曲になると明言した。

そしてトランプ政権ではキリスト教シオニズムが強まっているようです。

     

【キリスト教右派から読み解くアメリカ政治 『熱狂する「神の国」アメリカ』著者、松本佐保氏インタビュー】 

なるほど!

カトリックにとっては聖母マリアとイエスから始まる新約聖書のキリスト教ですが、プロテスタントの一部に旧約聖書のヘブライ人の世界に戻せという人たちもいるようです。

アメリカは人口の33%が進化論を信じない国で、人類と恐竜が一緒に誕生したと信じる人達さえいる国です。

拙ブログ「アメリカは奥が深いです(*^▽^*)」もお読みください。

そして、アメリカの政治経済を支配するのはユダヤ系アメリカ人=ユダヤ教徒です。


世界を制覇! ユダヤ人経営者の知恵の絞り方


息をするように常識を疑え

フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、グーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、マイクロソフトのスティーブ・バルマー。彼らの共通点は何か。それは、強力なサービスやビジネスモデルで世界を席巻した経営者であると同時に、ユダヤ系であるということだ。成功したユダヤ系経営者は、IT業界にとどまらない。スターバックスのハワード・シュルツ、GAPのドナルド・フィッシャー、ゴールドマン・サックスのマーカス・ゴールドマンもユダヤ人家庭に生まれている。

アメリカにおけるユダヤ人は、人口の約2%を占めるにすぎない。しかし、世界的に成功した米企業の創業者には、ユダヤ人の名がずらりと並ぶ。いったいなぜ彼らは優秀な起業家・経営者たりえたのだろうか。

以下省略

この他にもビル・ゲイツはじめビッグネームが続きますし、 トランプ勝利で10億ドル損したというジョージ・ソロスはハンガリー系・ユダヤ系アメリカ人。

そして裏付けは不明ですが、世界のメディアの90%以上はユダヤ資本下にあるという話もあり、多少誇張はあるにしても我々の得る海外情報は殆どがユダヤの影響があると見て良いと思います。

そして米国の議会を称して回転ドアという言葉が使われますが、いろいろな業界が業界の人間や息のかかった議員を「回転ドアを通るように」議会に送りこんでいるといいます。

回転ドアに送り出す企業には、当然ユダヤ系企業も大きいと思います。

さらにクリントン夫妻の娘さんの夫はユダヤ教徒で、娘さん自身もユダヤ教に改宗していますし、トランプの娘さんのイヴァンカも夫のクシュナーもユダヤ教徒。

★ジャレッド・クシュナーはユダヤ人
http://kabukachan.exblog.jp/26198293/

以前はあまり聞かれなかった「ユダヤ教徒」という言葉が、最近急にニュースで頻繁に聞かれるようになりました。

頭の中が創世記から始まる旧約聖書の世界の福音派と、優秀で世界の裏の支配者といわれるユダヤ教の同盟。

そして彼らに送り出される議員・・・・・・

これでは中東問題など解決するわけがないと思います。



ここで一句。

ユダヤとは 私のブログの テーマなり


信者数[編集]

2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派である[40]

2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントである[41]

アメリカ合衆国におけるキリスト教原理主義と福音派[編集]

アメリカ合衆国では、有名な「進化論論争」や、また、昨今は「宗教右派」とかなり重複していることで世界的に有名になっているが、政治的立場は必ずしも右翼タカ派)とは限らず、たとえば共和党でもマーク・ハットフィールドのような議員や再洗礼派系の教団や教派のように聖書の使信は平和主義であると称える教派も多い。




TPP復帰検討を明言=トランプ大統領「孤立せず」―ダボス会議


1/27(土) 0:03配信

時事通信


 【ダボス(スイス東部)時事】トランプ米大統領は26日、スイスのダボスで開催されている世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で演説した。

 自国の利益を最優先する「米国第一」の姿勢を続ける考えを強調。米国の利益になることを条件に、昨年離脱を決めた環太平洋連携協定(TPP)への復帰を検討することを明言した。多国間貿易の枠組みへの関与も視野に入れる考えを示した。

 トランプ氏は演説で、「『米国第一』が米国の孤立を意味するわけではない」と指摘。「(協定が)合理的な内容であれば、TPP各国との交渉を検討する」と表明し、グローバル化に背を向けがちな米国に対する懸念の払拭(ふっしょく)に努めた。

 通商政策では、「公平で互恵的な貿易」を追求すると改めて主張。知的財産権の侵害などの不公正な貿易慣行には「これ以上目をつぶってはいられない」と語り、通商ルールの順守を迫る方針を示した。名指しは避けつつも、中国などに厳しい対応で臨む考えをにじませた。 



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by kabu_kachan | 2018-01-26 10:16 | ユダヤ | Comments(1)

「地球温暖化」は本当か?

「地球温暖化」は本当か?


北日本 荒れた天気に 吹雪での交通影響などに警戒を

18:17NHKニュース&スポーツ


上空の強い寒気と強い冬型の気圧配置の影響で、北日本の日本海側や北陸で雪を伴って強い風が吹く荒れた天気が続いています。北日本の日本海側を中心に26日の昼ごろにかけて、雪や風の強い荒れた天気が続く見込みで、気象庁は、吹雪による交通への影響などに引き続き警戒するよう呼びかけています。

気象庁によりますと、日本の上空には24日から25日朝にかけて氷点下42度以下、局地的には氷点下45度程度という数年に1度の非常に強い寒気が流れ込み、北日本の日本海側や北陸を中心に大雪やところによって猛吹雪となりました。

この時間、北日本の上空には引き続き氷点下36度以下の強い寒気が流れ込んでいて、北日本の日本海側と北陸を中心に雪を伴って強い風が吹く荒れた天気となっています。

午後8時の積雪は、青森県八甲田山系の酸ヶ湯で3メートル10センチ、山形県の大蔵村肘折で2メートル86センチ、北海道幌加内町で2メートル22センチ、新潟県魚沼市西名で2メートル14センチ、福島県只見町で2メートル12センチなどとなっています。

風も強い状態が続いていて、北海道のえりも岬では午後4時半すぎに27.9メートル、新潟市西蒲区で午後5時15分ごろ、26.2メートルの最大瞬間風速を観測しました。

上空の寒気の流れ込みと強い冬型の気圧配置が続くため、北日本の日本海側を中心に26日の昼ごろにかけて雪や風の強い状態が続く見込みです。

26日夕方までの24時間に降る雪の量は、いずれも山沿いの多いところで、新潟県で60センチ、北陸と東北の日本海側で50センチ、北海道と近畿で40センチ、東海と中国地方、長野県、それに群馬県で30センチと予想されています。

26日にかけての最大風速は、北海道で23メートル、東北で18メートル、最大瞬間風速は30メートルから35メートルに達する見込みで、北海道から北陸にかけての日本海側を中心に6メートルの大しけとなる見込みです。

気象庁は、北日本を中心に吹雪による車の立往生などの交通への影響や高波などに警戒を続けるよう呼びかけています。

また、25日朝は、非常に強い寒気の影響で、各地でこの冬いちばんの冷え込みとなりました。

25日朝の最低気温は、北海道喜茂別町で氷点下31度3分まで下がったほか、仙台市で氷点下6度7分、東京の都心でも氷点下4度でした。東京の都心で氷点下4度以下まで気温が下がったのは、48年前の昭和45年1月17日以来です。

日中も気温が上がらず、日中の最高気温は、仙台市で氷点下0度1分、名古屋市で3度5分、東京の都心で4度、大阪市で4度4分などと各地で気温がかなり低い状態が続きました。

26日も厳しい寒さが続く見込みで、26日朝の最低気温は、札幌市で氷点下7度、仙台市で氷点下5度、東京の都心で氷点下3度、名古屋市で氷点下2度、大阪市で0度などと予想されています。気象庁は、路面の凍結などにも十分注意するよう呼びかけています。


寒波で熱帯魚「凍死」 白浜に大量漂着


2/5(月) 17:00配信

寒波で熱帯魚「凍死」 白浜に大量漂着


【凍死して北浜海岸に打ち上がったさまざまな魚類】


 寒波の影響で海水温が低下し、和歌山県白浜町臨海の北浜海岸に「凍死」した熱帯魚が大量に漂着している。調査する京都大学瀬戸臨海実験所の久保田信准教授(65)によると、1月28日~2月4日に27種220匹が漂着した。「2011年以来の大量漂着。海水温が最も低くなるのはこれからなので、今後も珍しい魚が漂着するかもしれない」と注目している。

 久保田准教授は同実験所近くの北浜海岸をほぼ毎日訪れ、流れ着いた魚介類の定点調査をしている。凍死熱帯魚の漂着は1月20日ごろから始まったという。ほぼ毎日漂着していたが、28日は8種18匹、29日は15種31匹、30日には21種62匹に増えた。31日は7種19匹、2月3日に10種31匹、4日にも16種28匹と続いた。

 種類ではハナキンチャクフグが38匹で最も多かった。この他、カモハラギンポ12匹、イシガキフグ8匹などが目立った。大きなものでは全長約40センチのイシガキフグや約60センチのヘラヤガラなども打ち上がった。中には生きたまま弱って漂着する魚もいた。

 京都大学白浜水族館が取水している海水の温度でみると、昨年12月上中旬は15~18度で推移していたが、28日に14度台まで下がった。1月も低水温が続き27日と28日には11度台を記録。29~31日は12度台だった。また、調査中の30日、北浜海岸の近くにある瀬戸漁港で、停泊中の漁船の水温計が11度を示し、漁師も驚いていたという。




★トランプ米大統領、パリ協定からの離脱を表明(いち抜けた!)
http://kabukachan.exblog.jp/26708320/






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by kabu_kachan | 2018-01-25 21:33 | 科学 | Comments(0)

「フェイクニュース賞」発表=トランプ米大統領

Sarah Sanders White House Press Briefing 01/17/18 Fake News Awards, Bannon subpoena, DACA
https://www.youtube.com/watch?v=uQIZYxJLzuw

And the FAKE NEWS Award Goes To....
https://www.youtube.com/watch?v=2UaVaUEoRxE

The Dishonest & Corrupt President Awards
https://www.youtube.com/watch?v=woFddINztDs

The Fake News Awards Were Worth The Wait (Fake News)
https://www.youtube.com/watch?v=lyMBXDH4F5Q

Trump's Fake News Awards
https://www.youtube.com/watch?v=u8QMqNU9ShA

https://www.youtube.com/watch?v=u8QMqNU9ShA&list=RDu8QMqNU9ShA#t=62

Watters' Words: The fake news awards
https://www.youtube.com/watch?v=iz4mEyrNH90

Gutfeld on Trump’s media awards
https://www.youtube.com/watch?v=hoZTbAzdBwk

The Fake News Awards 2017
https://www.youtube.com/watch?v=ansXToVHM1c

Donald Trump Didn't Get the Women's March
https://www.youtube.com/watch?v=yJKrlI0GWWs





「フェイクニュース賞」発表=トランプ米大統領と共和党


2018年01月18日13時05分


【ワシントン時事】トランプ米大統領は17日、「フェイク(偽)ニュース賞」と主張する賞を発表した。新聞やテレビの報道を目の敵にするトランプ氏は、以前からこの賞を公表すると予告していた。ただ、実際には共和党のブログサイトでの発表をトランプ氏がツイッターで紹介。メディア批判で米政府が前面に立つのを避けた可能性もある。


トランプ氏「私は天才」=精神状態懸念の声に反発


 フェイクニュース賞の筆頭には、トランプ氏が2016年の大統領選で勝った際に「(米)経済は決して回復しない」と予想したニューヨーク・タイムズ紙の記事が選ばれた。2、3位にはロシア疑惑などに関連して不正確な伝え方が問題となったABCテレビやCNNテレビの報道が入った。
 また、トランプ大統領が昨年訪日した際、安倍晋三首相と一緒に池のコイに、箱からぶちまけるようにえさをやる様子を放送したCNNのビデオ編集が6位に。一度に大量にえさをやったのは実は安倍首相が最初で、トランプ氏はまねただけだった。


ニューヨーク(CNNMoney) 気に入らない記事などを「フェイク(偽)ニュース」と切り捨てるトランプ米大統領が就任以降、この言葉を用いた回数はこれまで少なくとも404回に達していることがCNNの計算でわかった。

平均で1日1回以上となる。偽ニュースの他、「偽世論調査」や「偽メディア」ともけなしている。ツイッター上の書き込みや公の場での発言などで用いている。ホワイトハウスの内幕本「炎と怒り」に対しては「偽書籍」と言い捨てていた。

CNNMoneyの分析チームは、トランプ氏のこれまでの演説、単独も含めた会見、ツイッターの投稿内容や公的に入手しえる関連情報の全てを網羅しているウェブサイト「Factba.se」上の資料などを参考にした。

トランプ氏の「偽ニュース」などの攻撃手法は支持者にも受け入れられている。世論調査などを手掛ける米ギャラップ社とナイト財団の最近の研究結果によると、共和党支持者の40%は政治家や政治勢力を正確ながらも否定的な観点からとらえた記事は常に偽ニュースととらえられるべきと判断していた。

メディアの権利擁護団体などはトランプ氏の「偽ニュース」攻撃に反論し、マケイン上院議員など共和党内からもこの言葉の多用を戒める意見が出ている。

歴代の米大統領も党派にかかわりなく、意に沿わず偏見的な記事への不満を漏らしたことはあるが、トランプ氏の「偽ニュース」発言ははるかに踏み込んだ表現となっている。

トランプ氏は2016年の選挙戦中、この言葉を使ったことはなかった。当選を決めた後の同年12月に1回使ったことがある。しかし、就任日が近付くごとに口にする回数が増え始めていた。



おまけ!

Women's March Rally Takes Place In Las Vegas | NBC News
https://www.youtube.com/watch?v=iCnPB0GRiHc

TRUMP FAMILY INTERVIEWED BY ANDERSON COOPER AT THE CNN REPUBLICAN PRESIDENTIAL TOWN HALL
https://www.youtube.com/watch?v=x6g_bFgMI5A

<ラスベガス銃乱射>警察「米史上最悪の死者数」
http://kabukachan.exblog.jp/27806860/

アメリカの銃規制と日本(ラスベガス銃乱射事件)Gun Control
http://kabukachan.exblog.jp/27973703/




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by kabu_kachan | 2018-01-21 03:25 | 政治 | Comments(0)

蘭学とは何か?(Dutch learning) Part 2

Types of Rangaku[edit]

Medical sciences[edit]

Japan’s first fully-fledged translation of a Western book on anatomy (Kaitai Shinsho), published in 1774. (National Museum of Nature and Science, Tokyo).

From around 1720, books on medical sciences were obtained from the Dutch, and then analyzed and translated into Japanese. Great debates occurred between the proponents of traditional Chinese medicine and those of the new Western learning, leading to waves of experiments and dissections. The accuracy of Western learning made a sensation among the population, and new publications such as the Anatomy (蔵志, Zōshi, lit. "Stored Will") of 1759 and the New Text on Anatomy (解体新書, Kaitai Shinsho, lit. "Understanding [of the] Body New Text") of 1774 became references. The latter was a compilation made by several Japanese scholars, led by Sugita Genpaku, mostly based on the Dutch-language Ontleedkundige Tafelen of 1734, itself a translation of Anatomische Tabellen (1732) by the German author Johann Adam Kulmus.

A Western book on medicine, translated into Kanbun, published in March 1808.

In 1804, Seishū Hanaoka performed the world’s first general anaesthesia during surgery for breast cancer (mastectomy). The surgery involved combining Chinese herbal medicine and Western surgery techniques,[2] 40 years before the better-known Western innovations of Long, Wells and Morton, with the introduction of diethyl ether (1846) and chloroform (1847) as general anaesthetics.

In 1838, the physician and scholar Ogata Kōan established the Rangaku school named Tekijuku. Famous alumni of the Tekijuku include Fukuzawa Yukichi and Ōtori Keisuke, who would become key players in Japan’s modernization. He was the author of 1849’s Introduction to the Study of Disease (病学通論, Byōgaku Tsūron), which was the first book on Western pathology to be published in Japan.

Physical sciences[edit]

Some of the first scholars of Rangaku were involved with the assimilation of 17th century theories in the physical sciences. This is the case of Shizuki Tadao (ja:志筑忠雄) an eighth-generation descendant of the Shizuki house of Nagasaki Dutch translators, who after having completed for the first time a systematic analysis of Dutch grammar, went on to translate the Dutch edition of Introductio ad Veram Physicam of the British author John Keil on the theories of Newton (Japanese title: Rekishō Shinsho (暦象新書, roughly: "New Text on Transitive Effects"), 1798). Shizuki coined several key scientific terms for the translation, which are still in use in modern Japanese; for example, "gravity" (重力, jūryoku), "attraction"[disambiguation needed] (引力, inryoku), and "centrifugal force" (遠心力, enshinryoku). A second Rangaku scholar, Hoashi Banri (ja:帆足万里), published a manual of physical sciences in 1810 – Kyūri-Tsū (窮理通, roughly "On Natural Laws") – based on a combination of thirteen Dutch books, after learning Dutch from just one Dutch-Japanese dictionary.

Electrical sciences[edit]

Japan’s first electrostatic generator (1776), called Elekiteru, developed through Rangaku. (National Museum of Nature and Science).
A curio shop in Osaka demonstrating and selling an Elekiteru. The sign at the entrance says "Newest curiosities from foreign countries."
Japan’s first manual on electric phenomena by Hashimoto Soukichi, published in 1811.

Electrical experiments were widely popular from around 1770. Following the invention of the Leyden jar in 1745, similar electrostatic generators were obtained for the first time in Japan from the Dutch around 1770 by Hiraga Gennai. Static electricity was produced by the friction of a glass tube with a gold-plated stick, creating electrical effects. The jars were reproduced and adapted by the Japanese, who called it "Elekiteru" (エレキテル, Erekiteru). As in Europe, these generators were used as curiosities, such as making sparks fly from the head of a subject or for supposed pseudoscientific medical advantages. In Sayings of the Dutch, the elekiteru is described as a machine that allows one to take sparks out of the human body, to treat sick parts. Elekiterus were sold widely to the public in curiosity shops. Many electric machines derived from the elekiteru were then invented, particularly by Sakuma Shōzan.

Japan’s first electricity manual, Fundamentals of the elekiteru Mastered by the Dutch (阿蘭陀始制エレキテル究理原, Oranda Shisei Erekiteru Kyūri-Gen) by Hashimoto Soukichi (ja:橋本宗吉), published in 1811, describes electrical phenomena, such as experiments with electric generators, conductivity through the human body, and the 1750 experiments of Benjamin Franklin with lightning.

Chemistry[edit]

A description of a Volta battery in Udagawa’s Opening Principles of Chemistry, published in 1840. The title reads "Decomposition of an alkali with a Volta column."
Chemical experiments in Udagawa’s 1840 Seimi Kaisō.

In 1840, Udagawa Yōan published his Opening Principles of Chemistry (舎密開宗, Seimi Kaisō), a compilation of scientific books in Dutch, which describes a wide range of scientific knowledge from the West. Most of the Dutch original material appears to be derived from William Henry’s 1799 Elements of Experimental Chemistry. In particular, the book contains a detailed description of the electric battery invented by Volta forty years earlier in 1800. The battery itself was constructed by Udagawa in 1831 and used in experiments, including medical ones, based on a belief that electricity could help cure illnesses.

Udagawa’s work reports for the first time in details the findings and theories of Lavoisier in Japan. Accordingly, Udagawa made scientific experiments and created new scientific terms, which are still in current use in modern scientific Japanese, like "oxidation" (酸化, sanka), "reduction" (還元, kangen), "saturation" (飽和, hōwa), and "element" (元素, genso).

Optical sciences[edit]

Telescopes[edit]

Edo women using a telescope. Early 19th century.

Japan’s first telescope was offered by the English captain John Saris to Tokugawa Ieyasu in 1614, with the assistance of William Adams, during Saris’ mission to open trade between England and Japan. This followed the invention of the telescope by Dutchman Hans Lippershey in 1608 by a mere six years. Refracting telescopes were widely used by the populace during the Edo period, both for pleasure and for the observation of the stars.

After 1640, the Dutch continued to inform the Japanese about the evolution of telescope technology. Until 1676 more than 150 telescopes were brought to Nagasaki.[3] In 1831, after having spent several months in Edo where he could get accustomed with Dutch wares, Kunitomo Ikkansai (a former gun manufacturer) built Japan’s first reflecting telescope of the Gregorian type. Kunitomo’s telescope had a magnification of 60, and allowed him to make very detailed studies of sun spots and lunar topography. Four of his telescopes remain to this day.

Microscopes[edit]

Microscopes were invented in The Netherlands during the 17th century, but it is unclear when exactly they reached Japan. Clear descriptions of microscopes are made in the 1720 Nagasaki Night Stories Written (長崎夜話草, Nagasaki Yawasō) and in the 1787 book Saying of the Dutch. Although Europeans mainly used microscopes to observe small cellular organisms, the Japanese mainly used them for entomological purposes, creating detailed descriptions of insects.

Magic lanterns[edit]

Mechanism of a magic lantern, from Tengu-tsū, 1779.

Magic lanterns, first described in the West by Athanasius Kircher in 1671, became very popular attractions in multiple forms in 18th-century Japan.

The mechanism of a magic lantern, called "shadow picture glasses" (影絵眼鏡, Kagee Gankyō) was described using technical drawings in the book titled Tengu-tsū (天狗通) in 1779.

Mechanical sciences[edit]

Automata[edit]

Tea-serving karakuri, with mechanism, 19th century. National Museum of Nature and Science, Tokyo.

Karakuri are mechanized puppets or automata from Japan from the 18th century to 19th century. The word means "device" and carries the connotations of mechanical devices as well as deceptive ones. Japan adapted and transformed the Western automata, which were fascinating the likes of Descartes, giving him the incentive for his mechanist theories of organisms, and Frederick the Great, who loved playing with automatons and miniature wargames.

Many were developed, mostly for entertainment purposes, ranging from tea-serving to arrow-shooting mechanisms. These ingenious mechanical toys were to become prototypes for the engines of the industrial revolution. They were powered by spring mechanisms similar to those of clocks.

Clocks[edit]

An 18th-century wadokei (Japanese clock).

Mechanical clocks were introduced into Japan by Jesuit missionaries or Dutch merchants in the sixteenth century. These clocks were of the lantern clock design, typically made of brass or iron, and used the relatively primitive verge and foliot escapement. These led to the development of an original Japanese clock, called Wadokei.

Neither the pendulum nor the balance spring were in use among European clocks of the period, and as such they were not included among the technologies available to the Japanese clockmakers at the start of the isolationist period in Japanese history, which began in 1641. As the length of an hour changed during winter, Japanese clock makers had to combine two clockworks in one clock. While drawing from European technology they managed to develop more sophisticated clocks, leading to spectacular developments such as the Universal Myriad year clock designed in 1850 by the inventor Tanaka Hisashige, the founder of what would become the Toshiba corporation.

Pumps[edit]

Vacuum pump drawing by Udagawa, 1834.
Description of perpetual lamps (無尽灯) using compressed air fuelling mechanisms.
Air gun developed by Kunitomo, circa 1820–1830.

Air pump mechanisms became popular in Europe from around 1660 following the experiments of Boyle. In Japan, the first description of a vacuum pump appear in Aochi Rinsō (ja:青地林宗)’s 1825 Atmospheric Observations (気海観瀾, Kikai Kanran), and slightly later pressure pumps and void pumps appear in Udagawa Shinsai (宇田川榛斎(玄真))’s 1834 Appendix of Far-Western Medical and Notable Things and Thoughts (遠西医方名物考補遺, Ensei Ihō Meibutsu Kō Hoi). These mechanisms were used to demonstrate the necessity of air for animal life and combustion, typically by putting a lamp or a small dog in a vacuum, and were used to make calculations of pressure and air density.

Many practical applications were found as well, such as in the manufacture of air guns by Kunitomo Ikkansai, after he repaired and analyzed the mechanism of some Dutch air guns which had been offered to the Shogun in Edo. A vast industry of perpetual oil lamps (無尽灯, Mujin Hi) developed, also derived by Kunitomo from the mechanism of air guns, in which oil was continuously supplied through a compressed air mechanism.[4] Kunitomo developed agricultural applications of these technologies, such as a giant pump powered by an ox, to lift irrigation water.

Aerial knowledge and experiments[edit]

Drawing of a Western hot air balloon, from the 1787 Sayings of the Dutch.
First demonstration of a hot air balloon in Umegasaki, Japan, in 1805 by Johann Caspar Horner.

The first flight of a hot air balloon by the brothers Montgolfier in France in 1783, was reported less than four years later by the Dutch in Dejima, and published in the 1787 Sayings of the Dutch.

In 1805, almost twenty years later, the Swiss Johann Caspar Horner and the Prussian Georg Heinrich von Langsdorff, two scientists of the Kruzenshtern mission that also brought the Russian ambassador Nikolai Rezanov to Japan, made a hot air balloon out of Japanese paper (washi) and made a demonstration of the new technology in front of about 30 Japanese delegates.[5]

Hot air balloons would mainly remain curiosities, becoming the object of experiments and popular depictions, until the development of military usages during the early Meiji era.

Steam engines[edit]

Drawing from the Japanese book Odd Devices of the Far West, completed in 1845 but published in 1854.
A steamship described in Odd Devices of the Far West.
Japan’s first steam engine, manufactured in 1853 by Tanaka Hisashige.

Knowledge of the steam engine started to spread in Japan during the first half of the 19th century, although the first recorded attempts at manufacturing one date to the efforts of Tanaka Hisashige in 1853, following the demonstration of a steam engine by the Russian embassy of Yevfimy Putyatin after his arrival in Nagasaki on August 12, 1853.

The Rangaku scholar Kawamoto Kōmin completed a book named Odd Devices of the Far West (遠西奇器述, Ensei Kiki-Jutsu) in 1845, which was finally published in 1854 as the need to spread Western knowledge became even more obvious with Commodore Perry’s opening of Japan and the subsequent increased contact with industrial Western nations. The book contains detailed descriptions of steam engines and steamships. Kawamoto had apparently postponed the book’s publication due to the Bakufu’s prohibition against the building of large ships.

Geography[edit]

Topographical work via European methods, 1848 print from Regional Survey Maps (地方測量之図, Jikata Sokuryō no Zu).
Japanese world map published in 1792, by Shiba Kōkan, "Complete Map of the Earth" (地球全図, Chikyū Zenzu).

Modern geographical knowledge of the world was transmitted to Japan during the 17th century through Chinese prints of Matteo Ricci's maps as well as globes brought to Edo by chiefs of the VOC trading post Dejima. This knowledge was regularly updated through information received from the Dutch, so that Japan had an understanding of the geographical world roughly equivalent to that of contemporary Western countries. With this knowledge, Shibukawa Shunkai made the first Japanese globe in 1690.

Throughout the 18th and 19th centuries, considerable efforts were made at surveying and mapping the country, usually with Western techniques and tools. The most famous maps using modern surveying techniques were made by Inō Tadataka between 1800 and 1818 and used as definitive maps of Japan for nearly a century. They do not significantly differ in accuracy with modern ones, just like contemporary maps of European lands.

Biology[edit]

Animal plate by Itō Keisuke.
Description of insects in the Sayings of the Dutch, 1787.
The first gibbon brought to Japan in modern times (1809), drawn by Mori Sosen

The description of the natural world made considerable progress through Rangaku; this was influenced by the Encyclopedists and promoted by von Siebold (a German doctor in the service of the Dutch at Dejima). Itō Keisuke created books describing animal species of the Japanese islands, with drawings of a near-photographic quality.

Entomology was extremely popular, and details about insects, often obtained through the use of microscopes (see above), were widely publicized.

In a rather rare case of "reverse Rangaku" (that is, the science of isolationist Japan making its way to the West), an 1803 treatise on the raising of silk worms and manufacture of silk, the Secret Notes on Sericulture (養蚕秘録, Yōsan Hiroku) was brought to Europe by von Siebold and translated into French and Italian in 1848, contributing to the development of the silk industry in Europe.

Plants were requested by the Japanese and delivered from the 1640s on, including flowers such as precious tulips and useful items such as the cabbage and the tomato.


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by kabu_kachan | 2018-01-17 21:35 | 歴史 | Comments(0)

蘭学とは何か?(Dutch learning)Part 1

The Chinese characters (kanji) for "Rangaku". The first character "ran" is an abbreviation of the ateji for "Holland" (阿蘭陀, or with 2 Kanji 和蘭), o-ran-da, abbreviated to "ran" – because it is the emphasized syllable; cf. List of foreign place names in Japanese). The second character "gaku" means "study" and "learning".

Rangaku (Kyūjitai: /Shinjitai: 蘭学, literally "Dutch learning", and by extension "Western learning") is a body of knowledge developed by Japan through its contacts with the Dutch enclave of Dejima, which allowed Japan to keep abreast of Western technology and medicine in the period when the country was closed to foreigners, 1641–1853, because of the Tokugawa shogunate's policy of national isolation (sakoku).
A meeting of Japan, China, and the West, Shiba Kōkan, late 18th century.

Through Rangaku, some people in Japan learned many aspects of the scientific and technological revolution occurring in Europe at that time, helping the country build up the beginnings of a theoretical and technological scientific base, which helps to explain Japan’s success in its radical and speedy modernization following the forced American opening of the country to foreign trade in 1854.

[original research?]

History[edit]

Account of Foreign Countries (増補華夷通商考, Zōho Kaitsū Shōkō), Nishikawa Joken, 1708. Tokyo National Museum.

The Dutch traders at Dejima in Nagasaki were the only European foreigners tolerated in Japan from 1639 till 1853 (the Dutch had a trading post in Hirado from 1609 till 1641 before they had to move to Dejima), and their movements were carefully watched and strictly controlled, being limited initially to one yearly trip to give their homage to the Shogun in Edo. They became instrumental, however, in transmitting to Japan some knowledge of the industrial and scientific revolution that was occurring in Europe: the Japanese purchased and translated scientific books from the Dutch, obtained from them Western curiosities and manufactures (such as clocks, medical instruments, celestial and terrestrial globes, maps, plant seeds), and received demonstrations of Western innovations, such as the demonstrations of electric phenomena, and the flight of a hot air balloon in the early 19th century. In the 17th and 18th centuries, the Dutch were the most economically wealthy and scientifically advanced of all European nations, which put them in a privileged position to transfer Western knowledge to Japan.[citation needed] While other European countries faced ideological and political battles associated with the Protestant Reformation, the Netherlands were a free state, attracting leading thinkers such as René Descartes.

Altogether, thousands of such books were published, printed, and circulated. Japan had one of the largest urban populations in the world, with more than one million inhabitants in Edo, and many other large cities such as Osaka and Kyoto, offering a large, literate market to such novelties. In the large cities some shops, open to the general public, specialized in foreign curiosities.

Beginnings (1640–1720)[edit]

Painting by Kawahara Keiga: Arrival of a Dutch Ship. Philipp Franz von Siebold at Dejima with his Japanese wife Otaki and their baby daughter Ine observing a VOC ship in Nagasaki Bay using a teresukoppu (telescope).

The first phase of Rangaku was quite limited and highly controlled. After the relocation of the Dutch trading post to Dejima, trade as well as the exchange of information and the activities of the remaining Westerners (dubbed "Red-Heads" (kōmōjin)) were restricted considerably. Western books were prohibited, with the exemption of books on nautical and medical matters. Initially, a small group of hereditary Japanese–Dutch translators labored in Nagasaki to smooth communication with the foreigners and transmit bits of Western novelties.

The Dutch were requested to give updates of world events and to supply novelties to the Shogun every year on their trips to Edo. Finally, the Dutch factories in Nagasaki, in addition to their official trade work in silk and deer hides, were allowed to engage in some level of "private trade". A small, lucrative market for Western curiosities thus developed, focused on the Nagasaki area. With the establishment of a permanent post for a surgeon at the Dutch trading post Dejima, high-ranking Japanese officials started to ask for treatment in cases when local doctors were of no help. One of the most important surgeons was Caspar Schamberger, who induced a continuing interest in medical books, instruments, pharmaceuticals, treatment methods etc. During the second half of the 17th century high-ranking officials ordered telescopes, clocks, oil paintings, microscopes, spectacles, maps, globes, birds, dogs, donkeys, and other 'rarities' for their personal entertainment and for scientific studies.[1]

Liberalization of Western knowledge (1720–)[edit]

Description of a microscope in Various stories about the Dutch (紅毛雑話), 1787.

Although most Western books were forbidden from 1640, rules were relaxed under Shogun Tokugawa Yoshimune in 1720, which started an influx of Dutch books and their translations into Japanese. One example is the 1787 publication of Morishima Chūryō’s Sayings of the Dutch (紅毛雑話, Kōmō Zatsuwa, lit. "Red Hair Chitchat"), recording much knowledge received from the Dutch. The book details a vast array of topics: it includes objects such as microscopes and hot air balloons; discusses Western hospitals and the state of knowledge of illness and disease; outlines techniques for painting and printing with copper plates; it describes the makeup of static electricity generators and large ships; and it relates updated geographical knowledge.

Between 1804 and 1829, schools opened throughout the country by the Bakufu as well as terakoya (temple schools) helped spread the new ideas further.

By that time, Dutch emissaries and scientists were allowed much more free access to Japanese society. The German physician Philipp Franz von Siebold, attached to the Dutch delegation, established exchanges with Japanese students. He invited Japanese scientists to show them the marvels of Western science, learning, in return, much about the Japanese and their customs. In 1824, von Siebold began a medical school in the outskirts of Nagasaki. Soon this Narutaki-juku (鳴滝塾) grew into a meeting place for about fifty students from all over the country. While receiving a thorough medical education they helped with the naturalistic studies of von Siebold.

Expansion and politicization (1839–)[edit]

The Myriad year clock, a Japanese-made perpetual clock-watch (wadokei), made by Tanaka Hisashige in 1851 (National Museum of Nature and Science, Tokyo).

The Rangaku movement became increasingly involved in Japan's political debate over foreign isolation, arguing that the imitating of Western culture would strengthen rather than harm Japan. The Rangaku increasingly disseminated contemporary Western innovations.

In 1839, scholars of Western studies (called 蘭学者 "rangaku-sha") briefly suffered repression by the Edo Shogunate in the Bansha no goku (蛮社の獄, roughly "imprisonment of the society for barbarian studies") incident, due to their opposition to the introduction of the death penalty against foreigners (other than Dutch) coming ashore, recently enacted by the Bakufu. The incident was provoked by actions such as the Morrison Incident, in which an unarmed American merchant ship was fired upon under the Edict to Repel Foreign Ships. The edict was eventually repealed in 1842.

Rangaku ultimately became obsolete when Japan opened up during the last decades of the Tokugawa regime (1853–67). Students were sent abroad, and foreign employees (o-yatoi gaikokujin) came to Japan to teach and advise in large numbers, leading to an unprecedented and rapid modernization of the country.

It is often argued that Rangaku kept Japan from being completely uninformed about the critical phase of Western scientific advancement during the 18th and 19th century, allowing Japan to build up the beginnings of a theoretical and technological scientific base. This openness could partly explain Japan’s success in its radical and speedy modernization following the opening of the country to foreign trade in 1854.


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by kabu_kachan | 2018-01-17 21:30 | 歴史 | Comments(0)

トランプ大統領の”SHITHOLE”発言

トランプ大統領の”SHITHOLE”発言

President Trump Denies Making 'Shithole Countries' Slur | The 11th Hour | MSNBC
https://www.youtube.com/watch?v=8E6QZoIrCbA

Trump's "S---hole Countries" Remark | The View
https://www.youtube.com/watch?v=R3mjJV_XGaQ

Ann Coulter Vs Immigration Lawyer On Trumps "Sh!tH0le Countries" Statement
https://www.youtube.com/watch?v=FrABxm7LuFw

Ben Shapiro Breakdown Trumps "S**Hole Countries Comment"
https://www.youtube.com/watch?v=qlhLLaDyjNk

Tapper: You know who loved Trump's comments?
https://www.youtube.com/watch?v=-zvcqAWRROE

Trump took 'victory lap' after 'shithole' remark
https://www.youtube.com/watch?v=UzuEHHLbx_M

Navarro: No other way to interpret Trump's comments
https://www.youtube.com/watch?v=UVuVNa-2A08

Trump ACTUALLY Called These Countries S**tholes
https://www.youtube.com/watch?v=rMFxV-l3qG0

Trump ACTUALLY Called These Countries S**tholes
https://www.youtube.com/watch?v=rMFxV-l3qG0&list=RDrMFxV-l3qG0#t=72

The impact of President Donald Trump’s explicit insult, latest updates in the Russia probe
https://www.youtube.com/watch?v=2xAge1PVVYY

Shields and Brooks on Trump’s ‘s***hole’ comments, ‘Fire and Fury’ fallout
https://www.youtube.com/watch?v=WKrwp2qVJ68

CNN panel debates if President Trump is a racist
https://www.youtube.com/watch?v=CxDT9m5d8yI

BREAKING NEWS 1/15/18 - CNN NEW DAY - PRESIDENT TRUMP LATEST NEWS TODAY JANUARY 15, 2018
https://www.youtube.com/watch?v=twYufDBowrQ





ワシントン(CNN) トランプ米大統領は12日、移民関連の会合で一部の国を「便所のような国」と評したことを否定した。また、被災国などの出身者の保護資格に関する協議からハイチ人を除外するよう要求したことも否定した。

議員らとの会合では、幼少時に親に連れられて米国へ不法入国した若者の強制送還を免除する措置「DACA(ダカ)」をめぐる超党派の案が示されたが、トランプ氏はこれを拒否していた。

トランプ氏は今回ツイッターで、「DACA関連の会合で私が使った言葉は厳しいものだったが、この言葉は使っていない。本当に厳しいのは、とんでもない提案が示されたことだ。DACAにとって大きな後退だ」と述べた。

この後には、「ハイチが非常に貧しく問題を抱えた国だということ以外、ハイチ人に関して侮辱的なことを言ったことは1度もない。『除外しろ』などとは決して言わなかった」と主張。民主党関係者のでっち上げだとした。

ホワイトハウスのシャー報道官は11日夕の時点で「便所のような国」との発言があったことを否定していなかった。

民主党のディック・ダービン上院議員は問題の発言があったことを確認。「トランプ氏はこうした憎悪に満ちた内容を再三にわたり述べていた」と述べた。一方、移民問題で強硬姿勢を取る共和党のトム・コットン、デービッド・パーデュー両上院議員は、「大統領が具体的にこうした発言を行ったことは記憶にない」としている。

会合の状況に詳しい情報筋がCNNに明かしたところによれば、大統領はハイチ人に言及してこの言葉は使わなかったものの、抽選制の多様性ビザプログラムに関する会話で、アフリカ出身の人々に言及して「便所のような国」から来ている述べたという。大統領はまた、ハイチ人の受け入れを増やす必要性に疑問を呈し、超党派の政策案から「除外しろ」とも迫った。

ダービン議員や他の共和党議員から概要を聞いた共和党のジェフ・フレーク上院議員は、この種の発言があったことをCNNに確認した。ダービン議員も米MSNBCテレビに対し、アフリカからの移民の話で「便所」発言が繰り返されたと語った。

トランプ大統領はツイッターで、壁建設の予算も適切に確保していないのに米国は犯罪率の高い国々から多くの人々の受け入れを強いられていると説明。能力に基づく移民制度を導入し米国を発展させる人材の受け入れが望ましいとの見解を示した。


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by kabu_kachan | 2018-01-13 22:09 | 政治 | Comments(0)

日本人よ、「世界最高頭脳」を目指せ!

【日本人よ、「世界最高頭脳」を目指せ】

人間は年を取るごとに身体能力は衰えていくのである。
いくら優れたスポーツ選手でも体は衰えていくのである。
しかし人間の頭脳は年を取るとともに進化するのである。
ただし進化させようとする意志と努力がないとだめなんだぜ。
サルのままで自己満足していると、いつまでたっても頭脳は進化しないんだぜ。
いいかね、囲碁や将棋で段を取ったとするだろ。それで次の日からスマホより優れたものが作れるのかね、英語が話せるようになるのかね?
これを「サルの自己満足」と言うんだぜ。

日本の伝統文化は頭が進化しないんだぜ。


「広辞苑第7版が発売 10年ぶり改訂、1万項目を追加」
だそうだ。

ここで一句。

日本語は すぐれた言語と サル自慢
日本語は 世界の中の サル言語
ニッポンの 伝統文化は サル文化


★日本人は猿である
http://kabukachan.exblog.jp/24109195/

明治維新はサル同士の喧嘩だったんだぜ。
そのサル同士の喧嘩を後ろでけしかけていた連中が西洋人(白人)だったんだぜ。

★The Meiji Revolution (entire)
https://www.youtube.com/watch?v=gURiHVTJX4A

サル同士 サルの言語で サル喧嘩
サルは皆 サルの世界に 閉じ籠る

馬渕睦夫 誰も知らない明治維新の真実!坂本龍馬は本当にヒーローだったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=N0N_L_EVLsE

<歴史を直視しろ!>明治維新という過ち
https://www.youtube.com/watch?v=lqONFNoYaAM

【鈴木荘一氏講演】『明治維新の正体』出版記念 近現代史を学ぶ会(佐藤和夫代表)2017/5/18

南北戦争と明治維新をつなぐ不都合な真実 【CGS ねずさん 日本の歴史 9-5】
https://www.youtube.com/watch?v=44X2Im-WxdU
https://www.youtube.com/watch?v=B12jgs8ewj8


日清戦争はアジアのサル同士を争わして共倒れを白人たちが画策したが日本が強すぎた。
そこで今度はロシアと戦わして日本の敗北を確信したが、白人たちが驚いたことに、なんと日本のサルたちが勝ってしまったのである!
日英同盟を結んでいたイギリス人(白人)で日本の勝利を喜んだものは一人もいない。


いいかね、国連で日本語が話されているかね?
サル言語は絶対に国連で話されることはない。
     ☟

★国連とは何か・安全保障理事会(国連分担金)と北朝鮮制裁決議
http://kabukachan.exblog.jp/27378411/

国連に カネだけ盗られて サル扱い


世界中の学校で日本語が教えられているかね?
英語は世界中で教えられているだろ。
英語は事実上の世界言語なんだぜ。


かつて大英帝国が世界の七つの海を支配しているときに、
日本人は鎖国をしてのんびり日本列島の中で暮らしていただろ。
そのときの「付け」が現在まで回って来ているんだぜ。

日本人は一生英語を学ばなければならないという
ハンディーを背負っているんだぜ。

ビル・ゲイツは英語を話すアメリカ人だぜ。
     ☟

★Bill Gates Harvard Commencement Address 2007
https://www.youtube.com/watch?v=zPx5N6Lh3sw

Steve Jobs and Bill Gates Face Off
https://www.youtube.com/watch?v=Sw8x7ASpRIY

A Conversation with Barack Obama, Bill Gates and Melinda Gates #GOALKEEPERS17
https://www.youtube.com/watch?v=9buDC32fKw0

Bill Gates Talks Trump
https://www.youtube.com/watch?v=iXu44FFGOpw

このハンディーを乗り越えないと
「世界最高頭脳」の実現は難しい。
「世界最高頭脳」とは科学の分野だけのことではない。
国際政治の表も裏も知りつくした政治的かつ
科学的思考力の持ち主を言う。
どこの外国人が日本語を学んでくれるかね?
日本人よ、サルのまま自己満足して
閉じ籠るんじゃないぜ。
英語で物事が考えられるようでないと
世界最高頭脳は実現しないんだぜ。


   ☟
http://edition.cnn.com/

http://edition.cnn.com/specials/latest-news-videos

http://www.foxnews.com/

http://video.foxnews.com/

http://www.cbsnews.com/videos/

http://abcnews.go.com/video

http://www.nbcnews.com/video


★Mathematics is the queen of Sciences
https://www.youtube.com/watch?v=8mve0UoSxTo&list=RD8mve0UoSxTo#t=113

★Theories that changed the world | 2017 Documentary HD
https://www.youtube.com/watch?v=nQ9pPIQS1xM

★Top 10 scientists of all time | 1080p
https://www.youtube.com/watch?v=ADPXTEGAIaM

★Top 10 Famous Inventors
https://www.youtube.com/watch?v=JFctqQwN_hk

★Top 10 Influential Figures in Science and Technology
https://www.youtube.com/watch?v=3Bhq5c6LoZo

★Top 10 Inventions of All Time
https://www.youtube.com/watch?v=bNUfZ3_VkuE

★Top 10 Inventions of the 20th Century
https://www.youtube.com/watch?v=s95MPtVSngc

★Top 10 Philosophers
https://www.youtube.com/watch?v=05wgos9GRzE


アメリカ人は日本語から学ぶものは何もないんだぜ。
だから、アメリカ人は日本語を学ぶ必要がないのである。


ここで一句。

バカ猿は 英語わからず すぐ逃げる!
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おまけ!

【島津斉彬】

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島津 斉彬(しまづ なりあきら)は、江戸時代後期から幕末外様大名で、薩摩藩の第11代藩主。島津氏第28代当主。

薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人である。西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てた。

生い立ちとお由羅騒動[編集]

文化6年(1809年)3月14日、第10代藩主・島津斉興の長男として江戸薩摩藩邸で生まれる。母・弥姫(周子)は「賢夫人」として知られた女性で、この時代には珍しく斉彬はじめ弥姫出生の3人の子供は乳母をつけず、弥姫自身の手で養育された。また、青年期まで存命であった曽祖父第8代藩主・重豪の影響を受けて洋学に興味をもつ。これが周囲の目に蘭癖と映ったことが皮肉にも薩摩藩を二分する抗争の原因の一つになったとされる。

斉彬が藩主に就任となれば、重豪のように公金を湯水のごとく費やし藩財政の困窮に一層の拍車をかけかねないと特に藩上層部に心配され、斉興は斉彬が40歳を過ぎてもまだ家督を譲らなかった。そして、家老調所広郷(笑左衛門)や斉興の側室・お由羅の方らは、お由羅の子で斉彬の異母弟に当たる久光の擁立を画策した。斉彬派側近は久光やお由羅を暗殺しようと計画したが、情報が事前に漏れて首謀者13名は切腹、また連座した約50名が遠島・謹慎に処せられた。斉彬派の4人が必死で脱藩し、斉興の叔父にあたる筑前福岡藩主・黒田斉溥に援助を求めた。斉溥の仲介で、斉彬と近しい幕府老中阿部正弘伊予宇和島藩主・伊達宗城越前福井藩主・松平慶永らが事態収拾に努めた。こうして嘉永4年(1851年)2月に斉興が隠居し、斉彬が第11代藩主に就任した。この一連のお家騒動お由羅騒動(あるいは高崎崩れ)と呼ばれている。

藩主時代[編集]

藩主に就任するや、藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉溶鉱炉の建設、地雷水雷ガラスガス灯の製造などの集成館事業を興した。嘉永4年(1851年)7月には、土佐藩の漂流民でアメリカから帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)を保護し藩士に造船法などを学ばせたほか、安政元年(1854年)、洋式帆船「いろは丸」を完成させ、帆船用帆布を自製するために木綿紡績事業を興した。西洋式軍艦「昇平丸」を建造し幕府に献上している。昇平丸は後に蝦夷地開拓の際に咸臨丸とともに大きく役立った。黒船来航以前から蒸気機関の国産化を試み、日本最初の国産蒸気船「雲行丸」として結実させた。また、下士階級出身の西郷隆盛大久保利通を登用して朝廷での政局に関わる。

斉彬は松平慶永・伊達宗城・山内豊信・徳川斉昭・徳川慶勝らと藩主就任以前から交流をもっていた。斉彬は彼らとともに幕政にも積極的に口を挟み、老中・阿部正弘に幕政改革安政の幕政改革)を訴えた。特に斉彬は黒船来航以来の難局を打開するには公武合体・武備開国をおいてほかにないと主張した。阿部正弘の内諾を受け、薩摩藩の支配下にあった琉球王国を介して、フランスとの兵器購入・交易を画策し市来四郎を派遣したが、後の斉彬の急死で頓挫している。

安政4年(1857年)の阿部正弘の死後、安政5年(1858年)に大老に就いた井伊直弼将軍継嗣問題で真っ向から対立した。第13代将軍・徳川家定が病弱で嗣子がなかったため、宗城ほか四賢侯、斉昭らは次期将軍に斉昭の子の慶喜を推し、篤姫を近衛家の養女とした上で家定正室として嫁がせるなどしている。斉彬は公家を通じて慶喜を擁立せよとの内勅降下を請願している。一方、井伊直弼は紀州藩主・徳川慶福(よしとみ)を推した。井伊は大老の地位を利用して強権を発動し、反対派を弾圧する安政の大獄を開始する。結果、慶福が第14代将軍・徳川家茂となり、斉彬らは将軍継嗣問題で敗れた。

最期[編集]

斉彬はこれに対し、藩兵5,000人を率いて抗議のため上洛することを計画した。しかし、その年の7月8日鹿児島城下で出兵のための練兵を観覧の最中に発病し、7月16日に死去した。享年50(満49歳没)。死因は、当時日本で流行していたコレラという説が有力であるが、そのあまりに急な死は、嫡子がいずれも夭逝していることとも併せ、父・斉興や異母弟・久光またはその支持者の陰謀であるとの噂もあった。なお、みなもと太郎は漫画『風雲児たち』において、薩摩ではコレラの流行が既に終わっていること、症状悪化の緩やかさがコレラの症状に該当しないこと、「異常なまでの心臓の衰弱」が、赤痢腸チフスなど、コレラ以外の病気を死因とする他の病死説にも当てはまらないことを指摘し毒殺説を暗に支持する立場をとり、当初赤痢説を支持していた海音寺潮五郎が小説『西郷隆盛』の第二版から毒殺説に転じたことも紹介している[1]









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by kabu_kachan | 2018-01-12 22:51 | 日本人覚醒 | Comments(0)