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デカルトによる科学革命(ドローンの歴史)

ルネ・デカルト(1596年~1650年)
徳川家康 (1543年~1616年)
アイザック・ニュートン(1642年~1727年)
関孝和  (生年不明~1708年)

Scientific Method - Galileo,Newton,Descartes, Bacon
https://www.youtube.com/watch?v=SBx2XAhR8PI

07. What did Newton learn from Descartes and Wallis?
https://www.youtube.com/watch?v=UiHiQmq1Ho0

Isaac Newton: The Man and his Hidden Life
https://www.youtube.com/watch?v=TJawNbIGYbo

BBC Documentary, Full Documentary, History - Sir Isaac Newton
https://www.youtube.com/watch?v=KUW-xcAbsVY

GL Isaac Newton and Rene Descartes - Google Slides
https://www.youtube.com/watch?v=GtcFB-FYdH4

Tesla Descartes Newton Voltaire Laplace
https://www.youtube.com/watch?v=diID_B17ikQ

Will Durant --- René Descartes (1596 - 1650)
https://www.youtube.com/watch?v=eyJUahX_b3A

いいかね、日本人諸君、
デカルトやニュートンと
パソコンやスマホは
つながっているんだぜ。
ここがわかっている日本人がいるのかね?
     ☟

A hands-on introduction to Python for beginning programmers
https://www.youtube.com/watch?v=rkx5_MRAV3A
このPythonを解説しているお姉さんは
MITを出ているんだぜ。
日本のサル諸君では無理だぜ。

Interview Steve Jobs and Bill Gates by Kara Swisher and Walt Mossberg at D5 Conference 2007.avi
https://www.youtube.com/watch?v=-LUGU0xprUo

いよいよ、暑い夏がやって来ただろ。
いいかね、日本人諸君、
アホ祭りも、アホ野球も、アホ相撲も、
サルでもできるんだぜ。
サルができることに感動してたら
サルと同じじゃないか。
サルがパソコンやスマホを作れるかね。
サルがプログラミング言語を作れるかね。
おい、パソコンやスマホと睨みっこして
サル遊びする暇があったら、
パソコンやスマホの動く原理は何かを考えろ。
演歌で水前寺清子が歌っているだろ。
「サルが~できな~い~ことをやれ~~!」

スマホの動く原理がわかって感動してみろ。
サルだから無理だろ。(笑)
「オ、オレはサルなのかぁ~~~~~~?」
って、また叫んでいるだろ。
スマホでサルゲームやっているときは
感動するくせに、スマホが動く原理が
わからないことをサルと言うんだぜ。

Steve Jobs Unveils The Original iPhone - Macworld San Francisco 2007
https://www.youtube.com/watch?v=e7EfxMOElBE

私の名句。
日本猿 車とスマホが おもちゃなり
日本人 サルがやること 自慢する
日本猿 進化の意味が わからない
科学とは 世界支配の 道具なり


いいかね、日本人諸君、
ミサイルもパソコンもスマホも、
科学に関するいっさいすべてが
世界支配の道具なんだぜ。
そして科学の最先端を
リードしている言語が英語なんだぜ。
残念ながら、日本語じゃないんだぜ。
いいかね、日本のサル諸君、
スマホも、現在注目されているドローンも、
最初に開発したのはアメリカ人なんだぜ。
残念ながら、日本人じゃないんだぜ。

The Drone Age
https://www.youtube.com/watch?v=9e_HkxOYgAE

History of the Modern Consumer Drone
https://www.youtube.com/watch?v=cR8M4Xl6N3U

7 Years Of Consumer Drone History (2012-Present)
https://www.youtube.com/watch?v=s35HIK_OGtY

RISE OF THE DRONES - NOVA (full documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=ikuu2VU2WCk




数学史の窓から ― 教室で使える話題 ⑥

デカルトによる数学の革新

東京海洋大学名誉教授・学習院大学非常勤講師
中 村 滋

以下抜粋

「数学史の窓から」シリーズも6回目になりました。
今回はデカルトを取り上げます。
私の高校時代に次のエンゲルスの言葉を聞いて以来、
「デカルトによる変量の導入」はずっと気になっていたのです。
数学における転回点は、デカルトの変量であった。これによって、運動が,また従って弁証法が、数学に導入された。そのおかげで、微分的な方法と積分的な方法とが必然的なものとなった。微分法や積分法はすぐに相次いで発生し、ニュートンとライプニッツによってほぼ完成されたのであって、彼らの手で発見されたのではない。 (エンゲルス著『自然弁証法』)


デカルト登場

1637年にデカルトは、「我思う、ゆえに我あり」で有名な『方法序説』を出版します。これは近世合理主義哲学の基礎を築いたとされるエポック・メーキングな書物でしたが、序説はあくまでも序説であって、その後に大部の科学論考が3つ付いている大著でした。全体で500ページを超える大著の最初の78ページが哲学の歴史を変えたのです。3つの科学論考は試論と呼ばれ、『光学』『気象学』『幾何学』から成っていました。このうちの『幾何学』が数学の歴史を変えることになるのです。これは座標を使って幾何学の問題を代数的に解く「解析幾何学」を創始したと評される重要な歴史的な書物ですが、実はその中身 を見るともっとずっと重要なことがあります。

記号代数学の完成


一つは、記号代数学を完成したことです。前世紀末のヴィエトの画期的なアイディア をうけてそれをさらに徹底し、既知の定数を、a,b,c,d,・・・ などアルファベットの 初めの方で、未知数をx,y,z,・・・ などアルファベットの後の方で表すことにしました。 これだけではただ使った文字が変わっただけですが、デカルトは古代ギリシア以来の重い伝統だった「次元へのこだわり」を取っ払ってしまったのです。これはどういうことかと言うと、長さという量を2つ掛け合わせると面積になり、3つ掛け合わせれば体積になりますが、面積と長さを加えたり、面積と体積を加えたりすることは意味がないものとして、固く禁じられていたのです。この次元合わせのために次元の低い方に定数を掛ける必要がありましたし、長さを4つ以上掛ける意味もなかったのです。
デカルトは巻頭で「幾何学のすべての問題は、作図するために必要ないくつかの直線の長さを知りさえすればよいということに容易に還元することが出来る」と宣言した後で、加減乗除および累乗根の作図法を述べています。そして単位(1)を導入して、何次の式でも直線上の長さとして表されるとしたのです。これによって古代ギリシアの束縛から離れることが出来ました。これこそ近世数学の離陸の瞬間といえるでしょう。デカルトによっ て可能になった表現法を使うと、古代ギリシアでは、x2=ax+b2 のように次元を 揃えなければいけなかったものが、今度は、x3+bx=ax2+c などと書くことも 可能になったのです。なお、ここで出てきたx3 やb2 などの表記法もデカルトの創意です。等号だけ = ではない特別の記号を使ったのを除けば、今とほとんど同じ感覚で読むことが出来ます。これが記号代数学を完成させたという意味です。

変量の導入

もう一つ重要なことは、この融通自在の数式表現法完成と密接に関連しています。どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質は明らかにできる、とした彼は、いくつもの曲線を取り上げて分析をしています。例えば、デカ ルトは式 y2=2y-xy+5x-x2 から直ちに、y=1-x/2+√(1+4x- (3/4)x2 )を導いています。これは楕円を表していますが、xの値を決めればyの値 が決まることは明らかですね。
曲線y2=2y-xy+5x-x2 のような表記法が可能なのは、xが色々な値をとると、それに対応してこの式を満たすようなyの値が決ま るからです。こうしてこの軽やかな記号法によって「変量(変数)」(quantitès indeterminèes & inconnuës,不定かつ未知の量) の考え方が初めて可能になったの です。これがデカルトによる変量の導入です。

最新数学の普及

デカルトによるこれらの「革命」の意義をはっきりと認識し、フランス語で書かれた原書を当時の学問の共通語であるラテン語に訳したのは、オランダにいたデカルトの弟子スホーテンです。注釈や解説をつけて1649年にラテン語訳第1版を出版し、さらに自分で書いた解説的な著書や他の人の論文などを加えて、翻訳の第2版を1659年と61年に2巻本として出版しました。第2巻の巻頭にはスホーテンのライデン大学での講義録『普遍数学の諸原理 ― ルネ・デカルト幾何学の方法への序説』が収められていて、これが新数学への良い手引きになったのです。若き日のニュートンもライプニッツも『幾何学』だけではなく、これを読んでデカルトの記号法や考え方をマスターした のでした。 (以上、中央区民カレッジのレジュメより)


2.デカルトによる革命

もしも私が他の人よりも遠くまで見ることが出来たとすれば、それは単に私が巨人たちの肩の上に立っていたからなのです。(ニュートンのフック宛の返信(1676.2)の一節)

巨人たちの肩の上

1675年に王立協会でニュートン・リングに関するニュートンの論文が読まれた後でフックはニュートンに手紙を送り、光学上の意見を述べるとともに、間に人を介さずに直接文通することを提案しました。その返信の中でニュートンは、「デカルトの業績は大きな一歩です。あなた自身、様々な方法で、・・・、そこに多くのものを付け加えられました。」と書いた後、とても有名な上記の言葉を書いたのです。いつものニュートンらしくもなく、極めて謙遜なこの言葉は、直接にはデカルトとフックの光学上の業績を頭において書かれたものです。でも力学に例をとっても、慣性の法則を最初にきちんと捉えたのはガリレオ・ガリレイではなくデカルトでした。だからニュートンの言う「巨人」としては、真っ先にデカルトを考えるべきなのでしょう。ニュートンの言う巨人とは、8-9割方デカルトをさすと言い切る著者もいるほどです。

数学上の偉業

しかし、先駆者デカルトのこれら自然科学における偉業よりも、はるかに大きな仕事が、数学という世界でデカルトによってなされました。それが、記号代数学の完成であり、それによって可能になった変量の導入でした。それを少し詳しくお話しします。
彼が始めたことをまとめると、次のようになります。
(1)未知数をx,y,z,・・・ などで表し、既知数をa,b,c,・・・ などで表す。
これはヴィエトが導入したアイディアを引き継いで完成させたものでした。 (2)a2,b3,cx4,などのべき乗の書き方を工夫したのも彼でした。(1)とあわせて、記号代数学をほぼ完成させたと言ってよい仕事です。
(3)そして、以上のことよりも大きいのは、何次の式でも線分の長さで表せるとして、古代ギリシア以来の「次元の束縛」を脱したことです。これによって初めて、現在 学校教育でも普通になっている y=ax2+bx+c のような表記が可能になりました。一つの文字は何らかの長さを表す、とした無言の束縛の影響は大きくて、面積と体積を加えたり、そこから長さを引いたり、というようなことは古代ギリシア以来、意味のないことになっていたのでした。しかし、今から4000年近く昔の古代バビロニアでは、次のような問題が普通に解かれていました。
私が面積の中から私の正方形の1辺を引いたら870であった。 (BM13901№2)
正方形の面積から1辺の長さの4倍が引かれて780。1辺の長さはー(TMS 6)
このように、昔は自然に面積から長さを引いて2次方程式を解いていたのです。「次元の束縛」は厳密すぎる古代ギリシアで生まれたもので、ある意味では、数学のその後の自然な発展を阻害するものだったとも言えるのです。
以上をまとめると、彼の工夫によって初めてデカルトの正葉曲線 x3+y3=3xy
などを論じることが出来るようになったことが分かります。

変量の導入

そしてこの軽やかで万能な記号法は、数学の世界にもう一つの大きな変革をもたらします。それが変量の導入です。
(4)最初に引用したように「どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質は明らかにできる」とした上で具体的な曲線、例えば楕円 y2=2y-xy+5x-x2 からy=1-x/2+√(1+4x-(3/4)x2 )
を導きます。こう書けば明らかにxの値を決めるとyの値が決まることが分かりま す。そこで、任意のxに対してy2=2y-xy+5x-x2 を満たすyを求めて、
点 (x,y) を全部集めると、楕円になるのです。xが色々な値をとると、それに対応してこの式を満たすようなyの値が決まるからです。「こうしてこの軽やかな記号法によって変量(変数)(quantitès indeterminèes & inconnuës,不定かつ未知の量) の考え方が初めて可能になったのです。」
その後の数学の発展を考えるとき、この一歩は実に大きな一歩でした。数学史上の一つのエポックですが、その重要性のわりに正面から論じられることの少ないのは不思議です。今日のタイトルを、デカルトによる数学の革新、とした理由です。その重要性に気付いたスホーテンのような人たちは、この新しい記号法について大学で講義をし、
本を出版し、さらにデカルトの『幾何学』を当時の学問の共通語であるラテン語に翻訳し、多くの解説や講義録をつけて出版したのでした。

新世代による受容

デカルトの次の世代の数学者たちは、この画期的な記号法を急速に吸収し、自由自在に使いこなし始めました。若き日のニュートンもライプニッツも、スホーテンによる『幾何学』ラテン語訳(第2版、1659/61)とその解説論文を読んで最新の数学をマスターしたのです。ライプニッツは上記(4)の中に含まれているけれども、はっきりとは書かれていなかったxとyの対応関係に気付き、関数概念を functio というラテン語で表しました。ですから、新世代による受容と言っても、単なる受容を超えて、新たな発展をも意味していました。現代の数学にまで使われている便利な記号法は、若い世代によってその威力を存分に発揮し始めたのです。

微分積分学の構築へ

そして、ケプラー、カヴァリエーリ、トリチェリ、バロー、フェルマー、パスカルなどの天才たちによる、17世紀の初めから続いていた微分積分学形成への胎動は、デカルトが切り開いたこの新しい数学をマスターした2人の天才、ニュートンとライプニッツによってついに一つのアルゴリズムへと結晶していくのです。このときの微分積分学を作り上げるダイナミックな動きを追ってみると、ギリシア数学の幾何学的な厳密さにこだわったトリチェリやバローは、実質的に「微分積分学の基本定理」に気付きながら、それをアルゴリズムとすることが出来なかったことが分かります。「微分積分学」≒「無限小解析」は「無限小幾何学」 からではなく、「無限小代数」から生まれ出る運命にあったのです。こんなところからも、デカルトによる数学の革新の意義の大きさが分かります。
なお参考までに、日本の和算の記号について一言述べておきましょう。ニュートン、ライプニッツと同時代の天才関孝和は、傍書法と呼ばれる記法を考案して高次方程式を解きましたが、算木式に数を書いた脇に係数などを書く方法にはやはり限界がありまし た。次の図は、-c+(ab-c2)x+(a-2b2)x2-x3=0 を表していますが、これでは、工夫を重ねて高次方程式を解くのが精一杯ですね。関孝和に関数概念の萌芽が見られるといっても、これでは関数概念が発達しなかったのも当然だと思えます。


デカルト革命の完成

現在の数学に直結している記号法の基礎を作り上げたデカルトは、1650年に極寒の地スウェーデンで生涯を終えますが、その影響は死の直後からじわじわと浸透し、数学の書き表し方をまるで変革してしまいました。しかも、単に書き方を変えただけではなく、数学そのもののあり方を大きく変えるものになったのでした。なぜなら、それは「変数」概念を可能にし、それによって変数の間の対応関係を「関数」として捉え、表現することを可能とし、そして現在の数学の脊柱と言っても良い「関数」登場の素地を作ったからです。
実際に「関数」概念を数学の中心に据えたのは、およそ100年後のオイラーでした。
1748年に出版された『無限解析入門』は、変数、関数の定義から始めて、三角関数や指数関数を含む多くの関数を導入し、有名なオイラーの公式や、偶数の自然数に対するゼータ関数の値などを紹介した名著です。関数記号なども含めて、
「デカルト革命」はここに完成したといって良いでしょう。最後にこの本の、オイラーの公式を書いたページを見ていただきましょう。√-1 はもちろん虚数単位です。
今日のお話はここまでです。皆様、どうもお疲れさまでした。


おまけ!

Top 10 Best Countries To Live In The World In 2019
https://www.youtube.com/watch?v=VoCZgykBynw


by kabu_kachan | 2019-07-25 22:21 | 科学 | Comments(0)

日本のサル諸君、わかるかね?(トランプ大統領のロシア疑惑)

「オ、オレはサルだからわから~~~ん!」
「日本のサル諸君」の画像検索結果
「オ、オレはサルゲームしか興味がな~~い!」

ここで一句。

日本では スマホで遊ぶ 猿仲間



トランプ大統領のロシア疑惑

Robert Mueller's full testimony to House Judiciary committee
https://www.youtube.com/watch?v=uaT7VNF-08o

Robert Mueller testimony to Congress on Trump and Russia – watch live
https://www.youtube.com/watch?v=mvQdmp490I4

President Trump speaks after Robert Mueller testifies, live stream
https://www.youtube.com/watch?v=q2pSVWOXId4



米大統領の潔白意味せず=元特別検察官が下院委で証言-トランプ政権のロシア疑惑


7/24(水) 23:24配信

時事通信

米大統領の潔白意味せず=元特別検察官が下院委で証言-トランプ政権のロシア疑惑


トランプ米政権のロシア疑惑を捜査したモラー元特別検察官=5月29日、ワシントン(AFP時事)


 【ワシントン時事】トランプ米政権のロシア疑惑を捜査したモラー元特別検察官が24日、下院司法委員会の公聴会に出席した。

 モラー氏はナドラー委員長(民主党)の質問に答える形で、4月に発表した捜査報告書がトランプ大統領の司法妨害の疑いに関し、潔白を意味するものではないとの認識を改めて表明した。

 また、大統領が退任後に訴追されることはあり得るかとの質問に対しては、「その通りだ」と肯定した。

 捜査終結後、モラー氏の議会証言は初めて。モラー氏は冒頭、準備した書面を読み上げ、2016年米大統領選でのトランプ陣営とロシアとの共謀を「立証するには至らなかった」と説明。トランプ氏の司法妨害の疑いについて、現職大統領を訴追しない司法省の慣例に従い「罪を犯したかどうかの判断を見送った」と語った。

 モラー氏はロシアの大統領選干渉が「広範囲かつ組織的に行われた」と改めて強調し、その目的がトランプ氏を勝たせるためだったとの認識を示した。この後、下院情報特別委員会でも証言に立つ。 



おまけ!

PART 1: Facebook CEO Mark Zuckerberg Testifies At Senate Judiciary Committee (FNN)

PART 2: Facebook CEO Mark Zuckerberg Testifies At Senate Judiciary Committee (FNN)
https://www.youtube.com/watch?v=I37macQoasQ
https://www.youtube.com/watch?v=woEq42aKEI4


私の名句。
日本猿 わからんときは すぐ逃げる
サル逃げは 日本猿の 得意技


by kabu_kachan | 2019-07-25 06:09 | アメリカ | Comments(1)

日本人はアホ民族である(アラビア数字と科学革命)

日本人はアホ(サル)民族である。

いいかね、日本人諸君、
今現在、パソコンやスマホで何気なく
アラビア数字(0.1.2.3....)を使っているだろ。
このアラビア数字はインド人が発明したんだぜ。

History of Zero: An Innovation in Nothingness by Camden Raines
https://www.youtube.com/watch?v=bXdmc-5-DiA

Amir Aczel: "Finding Zero" | Talks At Google
https://www.youtube.com/watch?v=7ebTK02bap0

12 Great Inventions We Should Thank India For
https://www.youtube.com/watch?v=0uGBL1Lfkv4

アラビア世界を経由して中世ヨーロッパに
伝えられたんだぜ。

フィボナッチ数列で有名なレオナルド・フィボナッチが
アラビア数字を紹介している。

フィボナッチは、近代では主に次のような業績で知られている[3]。
●13世紀初頭に、『算盤の書』の出版を通じてアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入した。
●自身で発見したわけではないが、『算盤の書』の中で例として紹介したことで、「フィボナッチ数列」に名前を残した[4]。


レオナルドはイタリアのピサで生まれた[5]。父親のグリエルモ(Guglielmo)はイタリア語で「単純」という意味のBonaccioというニックネームを持っていた。母親のアレッサンドラ(Alessandra)はレオナルドが9歳の時に亡くなっていた。レオナルドは、「Bonaccioの息子(filius Bonacci)」という意味のFibonacciという諡を贈られた[6]。

グリエルモは貿易商人の職を求めてムワッヒド朝(現・アルジェリア)のベジャイアに移住した。まだ少年だったレオナルドも父親を助けるために現地に赴き、そこでアラビア数字を学んだ。

レオナルドはアラビア数字の体系がローマ数字よりも単純でより効率的なことに気づき、当時のアラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行した。1200年頃には帰国し、32歳になった1202年に、彼は自身の学んだことを「算盤の書(Liber Abaci)」にまとめ、ヨーロッパで出版した。


このあと、ローマ数字を使っていた
キリスト教世界観の中世ヨーロッパが
アラビア数字の使用により
変わっていくのである。
ヨーロッパで普通に使用されるようになったのは
15 世紀のことである。
それ以前はローマ数字を使用していた。
大きな数の計算も、小さな数(小数)の計算も
アラビア数字の位取りによって、素早く
正確に計算できるようになったからである。
日本にアラビア数字が入って来たのは
江戸時代(蘭学時代)かもしれないが、
日本人がアラビア数字を使いだしたのは
明治になってからなんだぜ。
西洋人より何百年遅れているのか考えろ。
「オ、オ、オレはサルだから考えられ~ん」だろ。

16世紀から17世紀にかけて、デカルトが
現れて、アラビア数字と文字を使った数式と
ゼロを含む座標を考案しただろ。
これをこのあと出現したアイザック・ニュートンが
盗み取って、ニュートン力学と微積分を
発明したわけだ。
Isaac Newton: His life and Work - Simon Schaffer 1983
https://www.youtube.com/watch?v=GvW_Y9sw6hk

そして世界史上の科学革命が起こったわけだ。
アラビア数字がなかったなら、
科学革命は起こらなかったんだぜ。

このときの日本は、織田信長や豊臣秀吉や
徳川家康が出てきて、
サルのチャンバラごっこをやってたんだぜ。
そしてこのあと、鎖国をやっただろ。
西ヨーロッパで科学革命が進行しているときに
日本は300年近くも鎖国をしてたんだぜ。
日本人はとんでもないマヌケ猿だぜ。
サルが聞いたらサル笑いするぜ。
「キィーキッキ、キィーキッキ」

そしてペリーの黒船がやって来ただろ。
西洋の科学技術文明の象徴が
ペリーの黒船だったんだぜ。
ペリーは蒸気機関車の小型模型を持ってきて、
実際に動かして日本人に自慢しただろ。

すなわち、日本人の頭は科学の進歩に関して、
白人よりも300年遅れているんだぜ。
だから、科学史上の重要な発見や法則には
すべて白人の名前がついているだろ。
日本人の名前はひとつもない。
今の日本の科学技術は、すべて西洋の猿真似なんだぜ。
日本人は科学技術はすべて猿真似をすればいいと
思っているんだぜ。
猿真似をして、カネさえ儲かればいいと
思っているんだぜ。
このアホ猿民族め!
だから日本人の頭には、科学的精神が育たないんだぜ。
パソコンやスマホを最初に作ったのも
アメリカ人(白人)だろ。
Steve Jobs Unveils The Original iPhone - Macworld San Francisco 2007
https://www.youtube.com/watch?v=e7EfxMOElBE

アホ猿民族は
遅かれ早かれ滅びる運命にあるんだぜ。
当然、アホ猿言語も消滅する。
まぁ、サルにはどうでもいいことなんだよなぁ。

NIKOLA TESLA documentary 2015 - BEST Documentary about TESLA !
https://www.youtube.com/watch?v=qpZL9WCvuTI

Nikola Tesla: The Greatest Genius who Ever Lived
https://www.youtube.com/watch?v=vqBMTkA5c0w

日本人よ、ニコラ・テスラを
超えれるかね?
「オ、オレはサルだから無理だぁ~~~!」

日本人がサルたる所以である。
自分がサルがやることをやっていることに
気がつかないんだよな。
「オ、オレはサルだから
 サルゲームしか興味がな~い」だろ。
こういうアホ政策(鎖国と猿真似)は、
日本人がアホ民族だからできたんだぜ。
サルはこの歴史を反省しないんだよな。
サルだからな。(笑)


すると、サルまる子ちゃんが出てきて、
「何~~~~~!」って言うんだよな。(笑)

ちなみに、ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」で
日本特集をやってただろ。
神武天皇が古代の宇宙人とつながっているんだとさ。
笑わせるな。サルとつながっているだけさ。
だから日本人はサルがやることばかりやる。
この番組は日本人に人気があるから、
サルのご機嫌をとっているんだぜ。


おまけ!
Mary-Kate and Ashley season 8 switches
https://www.youtube.com/watch?v=6x_ETMypLjw
犬でも英語がわかるんだぜ。
サルにはわかんだろ。(笑)
「オ、オレはサルなのかぁ~~~~~?」
Full House Very Funny Moments (All 8 Seasons)
https://www.youtube.com/watch?v=8qp4WJiUeTc

おまけのおまけ!
2017 Nobel Peace Prize Ceremony
https://www.youtube.com/watch?v=P1daV8n6fTY

Committee of 300... The Power Behind the New World Order {Full Documentary}
https://www.youtube.com/watch?v=R9HZvsliT5E


    • by kabu_kachan | 2019-07-06 21:48 | 科学 | Comments(0)

      アラビア数字の歴史(サルだからわからんだろ!)

      アラビア数字の歴史
      (サルだからわからんだろ?)

      ローマ数字からアラビア数字に換えたことは、
      古代世界から現代世界へビッグジャンプしたのと
      同じことだと言っているだろ。

      25017で
      一の位は 一が7個、
      十の位は 十が1個、
      百の位は 百が0個ある。☜ここ
      千の位は 千が5個、
      万の位は 万が2個ある。

      「百が0個ある」というのは、
      ゼロの概念を導入しているんだぜ。
      たとえば、ケーキが2個あるとするだろ。
      そのうちの1個を食べると、残りは1個。
      残りの1個を食べると、もう「ない」だろ。
      アラビア数字は違うんだぜ。
      じつは、まだ「0個」あるんだぜ。
      これをゼロの概念と言う。
      「0の存在を認める」と言うことである。

      いいかね、中世ヨーロッパに
      アラビア数字がもたらされたから、
      科学革命が起こったんだぜ。
      そしてこの科学革命によって、
      世界史上最強の科学技術文明を
      ヨーロッパ人(白人)が作り上げたわけだ。
      その科学技術文明の極みが原子爆弾だったわけだ。
      その科学技術の粋である原子爆弾を
      サルの国(日本)に落としたわけだ。
      白人から見れば日本人はサルなんだぜ。



      サル「オ…オ…オレはサルなのかぁ~~~~~?」

      記数法のかんたんな歴史 ― アレッサンドラ・キング
      https://www.youtube.com/watch?v=cZH0YnFpjwU

      The Hindu-Arabic number system | Elementary Mathematics (K-6) Explained 4 | NJ Wildberger
      https://www.youtube.com/watch?v=y6oS7zE71Dw


      Arabic numerals, also called Hindu–Arabic numerals,[1][2] are the ten digits: 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9. The term often implies a number written in the Hindu–Arabic numeral system[3] (where the position of a digit indicates the power of 10 to multiply it by), the most common system for the symbolic representation of numbers in the world today. However, it can also refer to the digits themselves, such as in the statement "octal numbers are written using Arabic numerals."

      The Hindu-Arabic numeral system was developed by Indian mathematicians around AD 500.[3] From India, the system was adopted by Arabic mathematicians in Baghdad and passed on to the Arabs farther west. The current form of the numerals developed in North Africa. It was in the North African city of Bejaia that the Italian scholar Fibonacci first encountered the numerals; his work was crucial in making them known throughout Europe. European trade, books, and colonialism helped popularize the adoption of Arabic numerals around the world.

      The term Arabic numerals is ambiguous, it may also be intended to mean the numerals used by Arabs, in which case it generally refers to the Eastern Arabic numerals. Although the phrase "Arabic numeral" is frequently capitalized, it is sometimes written in lower case: for instance in its entry in the Oxford English Dictionary,[4] which helps to distinguish it from "Arabic numerals" as the Eastern Arabic numerals.

      Other alternative names are Western Arabic numerals, Western numerals, Hindu numerals, and Unicode calls them digits.[5]

      Origins[edit]

      Main article: History of the Hindu-Arabic numeral system


      The numeral "zero" as it appears in two numbers (50 and 270) in an inscription in Gwalior. Dated to the 9th century.[6][7]
      The decimal Hindu-Arabic numeral system with zero was developed in India by around AD 700.[8] The development was gradual, spanning several centuries, but the decisive step was probably provided by Brahmagupta's formulation of zero as a number in AD 628. The system was revolutionary by including zero in positional notation, thereby limiting the number of individual digits to ten. It is considered an important milestone in the development of mathematics. One may distinguish between this positional system, which is identical throughout the family, and the precise glyphs used to write the numerals, which varied regionally.


      The numerals used in the Bakhshali manuscript, dated to sometime between the 3rd and 7th century AD.


      Modern-day Arab telephone keypad with two forms of Arabic numerals: Western Arabic numerals on the left and Eastern Arabic numerals on the right
      The numeral system came to be known to the court of Baghdad, where mathematicians such as the Persian Al-Khwarizmi, whose book On the Calculation with Hindu Numerals was written about 825 in Arabic, and the Arab mathematician Al-Kindi, who wrote four volumes, On the Use of the Indian Numerals (Ketab fi Isti'mal al-'Adad al-Hindi) about 830, propagated it in the Arab world. Their work was principally responsible for the diffusion of the Indian system of numeration in the Middle East and the West.[9]

      In the 10th century, Middle-Eastern mathematicians extended the decimal numeral system to include fractions, as recorded in a treatise by Syrian mathematician Abu'l-Hasan al-Uqlidisi in 952-953. The decimal point notation was introduced by Sind ibn Ali, who also wrote the earliest treatise on Arabic numerals.

      Origin of the Arabic numeral symbols[edit]

      According to Al-Beruni, there were multiple forms of numerals in use in India, and "Arabs chose among them what appeared to them most useful".[10] Al-Nasawi wrote in the early eleventh century that the mathematicians had not agreed on the form of numerals, but most of them had agreed to train themselves with the forms now known as Eastern Arabic numerals.[11] The oldest specimens of the written numerals available from Egypt in 260 A.H. (873-874 CE) show three forms of the numeral "2" and two forms of the numeral "3", and these variations indicate the divergence between what later became known as the Eastern Arabic numerals and the (Western) Arabic numerals.[12]

      Calculations were originally performed using a dust board (takht, Latin: tabula) which involved writing symbols with a stylus and erasing them as part of calculations. Al-Uqlidisi then invented a system of calculations with ink and paper "without board and erasing" (bi-ghayr takht wa-l- ma-w bal bi-daw-t wa-qir-s).[13] The use of the dust board appears to have introduced a divergence in terminology as well: whereas the Hindu reckoning was called -is-b al-hind- in the east, it was called -is-b al-ghub-r in the west (literally, "calculation with dust").[14] The numerals themselves were referred to in the west as ashk-l al‐ghub-r (dust figures, in Ibn al-Y-samin) or qalam al-ghubar (dust letters).[15]

      The western Arabic variants of the symbols came to be used in Maghreb and Al-Andalus, which are the direct ancestor of the modern "Arabic numerals" used throughout the world.[16] The divergence in the terminology has led some scholars to propose that the Western Arabic numerals had a separate origin in the so-called "ghub-r numerals" but the available evidence indicates no separate origin.[17] Woepecke has also proposed that the Western Arabic numerals were already in use in Spain before the arrival of the Moors, purportedly received via Alexandria, but this theory is not accepted by scholars.[18][19][20]

      Some popular myths have argued that the original forms of these symbols indicated their numeric value through the number of angles they contained, but no evidence exists of any such origin.[21]


      Adoption in Europe[edit]

      Evolution of Indian numerals into Arabic numerals and their adoption in Europe

      Woodcut showing the 16th century astronomical clock of Uppsala Cathedral, with two clockfaces, one with Arabic and one with Roman numerals.

      A German manuscript page teaching use of Arabic numerals (Talhoffer Thott, 1459). At this time, knowledge of the numerals was still widely seen as esoteric, and Talhoffer presents them with the Hebrew alphabet and astrology.

      Late 18th-century French revolutionary "decimal" clockface.
      In 825 Al-Khw-rizm- wrote a treatise in Arabic, On the Calculation with Hindu Numerals,[22] which survives only as the 12th-century Latin translation, Algoritmi de numero Indorum.[23][24] Algoritmi, the translator's rendition of the author's name, gave rise to the word algorithm.[25]

      The first mentions of the numerals in the West are found in the Codex Vigilanus of 976.[26]

      From the 980s, Gerbert of Aurillac (later, Pope Sylvester II) used his position to spread knowledge of the numerals in Europe. Gerbert studied in Barcelona in his youth. He was known to have requested mathematical treatises concerning the astrolabe from Lupitus of Barcelona after he had returned to France.

      Leonardo Fibonacci (Leonardo of Pisa), a mathematician born in the Republic of Pisa who had studied in Bejaia (Bougie), Algeria, promoted the Indian numeral system in Europe with his 1202 book Liber Abaci:


      When my father, who had been appointed by his country as public notary in the customs at Bugia acting for the Pisan merchants going there, was in charge, he summoned me to him while I was still a child, and having an eye to usefulness and future convenience, desired me to stay there and receive instruction in the school of accounting. There, when I had been introduced to the art of the Indians' nine symbols through remarkable teaching, knowledge of the art very soon pleased me above all else and I came to understand it.

      The numerals are arranged with their lowest value digit to the right, with higher value positions added to the left. This arrangement is the same in Arabic as well as the Indo-European languages.

      The reason the digits are more commonly known as "Arabic numerals" in Europe and the Americas is that they were introduced to Europe in the 10th century by Arabic-speakers of North Africa, who were then using the digits from Libya to Morocco. Arabs, on the other hand, call the base-10 system (not just these digits) "Hindu numerals",[27][28] referring to their origin in India. This is not to be confused with what the Arabs call the "Hindi numerals", namely the Eastern Arabic numerals used in the Middle East, or any of the numerals currently used in Indian languages (e.g. Devanagari:).[21]

      The European acceptance of the numerals was accelerated by the invention of the printing press, and they became widely known during the 15th century. Early evidence of their use in Britain includes: an equal hour horary quadrant from 1396,[29] in England, a 1445 inscription on the tower of Heathfield Church, Sussex; a 1448 inscription on a wooden lych-gate of Bray Church, Berkshire; and a 1487 inscription on the belfry door at Piddletrenthide church, Dorset; and in Scotland a 1470 inscription on the tomb of the first Earl of Huntly in Elgin Cathedral. (See G.F. Hill, The Development of Arabic Numerals in Europe for more examples.) In central Europe, the King of Hungary Ladislaus the Posthumous, started the use of Arabic numerals, which appear for the first time in a royal document of 1456.[30] By the mid-16th century, they were in common use in most of Europe.[31] Roman numerals remained in use mostly for the notation of anno Domini years, and for numbers on clockfaces.

      Today, Roman numerals are still used for enumeration of lists (as an alternative to alphabetical enumeration), for sequential volumes, to differentiate monarchs or family members with the same first names, and (in lower case) to number pages in prefatory material in books.

      Adoption in Russia[edit]

      Cyrillic numerals were a numbering system derived from the Cyrillic alphabet, used by South and East Slavic peoples. The system was used in Russia as late as the early 18th century when Peter the Great replaced it with Arabic numerals.




      by kabu_kachan | 2019-07-05 21:54 | 科学 | Comments(0)