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日本の歴史上の最大の失敗は「鎖国」である

日本史上の最大の失敗政策は鎖国である。

私はこのテーマについて、
これから先も、
徹底的に追及していくつもりだ。
なぜなら、鎖国が世界史上における
その後の日本人と日本語のの運命を
決定づけたからだ。

何度も言っているが、
1543年に、種子島に鉄砲が伝来しただろ。
この同じ年に、コペルニクスが
地動説の本を出しているんだぜ。

1575年に、織田信長が長篠の戦で、
この鉄砲を大量に使って、武田軍に勝っただろ。
もし、織田信長が天下を取っていたなら、
武士全員に鉄砲を持たせただろうから、
鎖国はしなかっただろう。
織田信長は、このポルトガル人が伝えた鉄砲から
西ヨーロッパで起こっている
科学革命の匂いを
嗅ぎつけていたかもしれない。

この後、1582年に、天正遣欧使節として
ヴァリニャーノとともに4人の日本人が
ポルトガル、スペイン、イタリアを訪れている。

1585年に、この4人の日本人は
ピサの斜塔を訪れている。
奇しくも、このとき、ガリレオ・ガリレイは
ピサ大学の学生であった。
この4人の日本人が、
西ヨーロッパで起きている科学革命の進行に
気がつくには時期が早すぎたか。
もしくは、この4人の日本人がサルだったから
気がつかなかったのか。
奇しくも、同じ年に、
イギリス人が、アメリカ大陸のヴァージニアに
上陸して、植民地建設を始めている。
いいかね、この時点(1585年)では、
アメリカという国は
まだ存在していないんだぜ。

しかし、彼ら4人が持ち帰った
グーテンベルク印刷機や海図から
日本人は何も気がつかなかったのか。

このあと、豊臣秀吉はキリシタン弾圧
(26聖人殉教)を行なって、
徳川家康が鎖国をやるわけだ。

すなわち、豊臣秀吉と徳川家康は
お猿の殿様だったわけだ。(笑)

いいかね、日本人諸君、
この豊臣秀吉と徳川家康は
自分のことだけしか考えていなかったんだぜ。
「世界の中の日本がどうあるべきか」
なんてことは、まったく頭になかったんだぜ。
しかし、西ヨーロッパでは
大航海時代と科学革命が進行中であることに
気がつくチャンスは何度もあったはずだ。

まったく気がつかないということは、
豊臣秀吉と徳川家康にサル体質が
あるからなんだぜ。
今の日本人も同じサル体質があるんだぜ。
スマホでサルゲームやっているのが
いい例だろ。
この英語もわからんバカ猿どもめ!

A hands-on introduction to Python for beginning programmers
https://www.youtube.com/watch?v=rkx5_MRAV3A

サル体質とはサルのDNAを持っていることである。

ここで一句。

サルは皆 サルの世界に 閉じ籠る


日本の鎖国の功罪
・日本人をアホ民族にした張本人は
豊臣秀吉と徳川家康
https://kabukachan.exblog.jp/30126968/



いいかね、日本人諸君、
スマホの画面を動かして、
なぜ動くのかを考えない
この日本人のサル頭は、
このときの鎖国が原因なんだぜ。

[HD] Steve Jobs - iPhone Introduction in 2007 (Complete)
https://www.youtube.com/watch?v=9hUIxyE2Ns8


大英帝国と日本の鎖国
https://kabukachan.exblog.jp/30095198/



by kabu_kachan | 2019-09-13 14:06 | 科学 | Comments(5)

イスラム科学と数学は近代西洋科学の基礎となった

いいかね、日本人諸君、
西洋の近代科学は西洋(ヨーロッパ)人が
作ったんじゃないんだぜ。
ヨーロッパ人が、
アラビア(イスラム)世界から学んだんだぜ。

ヨーロッパ人(白人)は
自分たちがイスラム世界から科学や数学を
学んだことが腹立たしいんだぜ。
だからイスラム教徒を悪く言うんだぜ。
これはちょうど、
中国が日本から近代化を学んだことが
腹立たしくて、中国人が日本人を
悪く言うのと同じなんだぜ。


イスラム科学(イスラムかがく)とは、8世紀から15世紀イスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。

「イスラム科学」と呼ばれるが、ムスリム(イスラム教徒)だけが築き上げたのではなく、ユダヤ教徒キリスト教徒など、様々な宗教に属する人々によって発達させられてきた。

また「アラビア科学」とも呼ばれることがあるが、アラビア半島を中心とする地名としてのアラビアでのみで発達したわけではなく、東は中央アジアから西はイベリア半島までいたる地域的な広がりをもっていた。

また、「アラブ科学」とも呼ばれることがあるが、ペルシア人トルコ人など様々な出自の学者たちが活躍した。

歴史[編集]

イスラム帝国が形成されアラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の、エジプトメソポタミアといった古代オリエントの文化や古典古代ギリシャペルシアインド中国などで発展していた科学をもとに発展した。

法学神学語学文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」があったが、これに対し、上記のようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学論理学幾何学天文学医学錬金術などがあり、博物学地誌学などとともに「外来の学問」と呼ばれた。ただし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしても神の意思を知るためのイスラムに相応しい行為とされ、「固有の学問」を修める学者が「外来の学問」を兼修することはまったく珍しいことではなかった。

ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳が始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設した研究施設バイト・アル=ヒクマ智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。

9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。

10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、アラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン・アル・ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン・スィーナーらが活躍したが、中世以降のヨーロッパにおいて科学が劇的に発展し、14世紀から15世紀にかけて、アラビア科学は廃れた。

アラビア数学[編集]

特に数学の分野ではアラビア数学がもたらした成果は大きく、代数学三角法アラビア数学が開拓した分野である。また、アラビア語とともに使われていた数字は、インドから取り入れたゼロの概念を反映して、ゼロの数字をもっており、これがアラビア数字としてヨーロッパに伝わり、世界中で使われるに至った。

光学[編集]

イブン・アル・ハイサム(ラテン名アルハゼン)はプトレマイオスが導き出した光学を徹底的に批判し分析を行った。彼は、目から光線が放出されることで視覚が生じるというプトレマイオスの理論を否定し、太陽その他の光源から放出された光が対象に反射し、それが目に入って像を結ぶという正しい理論を発見した。彼は目の精密な解剖図も著している。彼の著作『Kitab al-Manazir』(光学の書)はヨーロッパの光学の基礎となったものであり、デカルトケプラーイブン・アル・ハイサムの著作から光学を学んだ。

化学[編集]

化学の分野でもアラビア科学の果たした役割は大きい。

アラビア語のالكيمياء, al-kīmiyā’錬金術)は英語の「alchemy(錬金術)、alchemist(錬金術師)」の基になっており、「chemistry(化学)」という言葉もここから転じている。al-kīmiyā’が、12世紀ヨーロッパで: ALchemia「Alchimiaアルキミア」とラテン語に翻訳されて紹介され、ヨーロッパの錬金術は、やがて17世紀科学革命を経てアラビア語の定冠詞「al」が取れて: Chimica(化学)となった。また、「アルコール」、「アルカリ」などの名称にもその痕跡を留めている。

Kimyaは: Χημεία(Khemeiaケーメイア)に由来する。 「ケーメイア」の語源には諸説あるが、: Χημ「Khem (ケム)」 の派生語で、「黒い地」「エジプト」を意味するのではないかと言われている。結局、以下のように変遷したことになる。

: Χημ: Χημεία: الكيمياءal-kīmiyā’: ALchemia: Chimica → Chemistry

この変遷自体が、古代エジプト古代ギリシアの科学がイスラム世界のるつぼに流れ込み、中世ヨーロッパに伝えられ、科学革命を経て西欧近代科学に繋がるという科学史をそのままに写している。

8世紀アッバース朝の5代目カリフに仕えたジャービル・イブン・ハイヤーン: geber(ゲーベルまたはジーベル)は、ヨーロッパにおいて伝説的な錬金術師とされ、化学の祖ともされる(レトルトの発明者)。

9世紀のアル・ラーズィー、10世紀のイブン・スィーナー(ラテン名「アウィケンナ」)、ラゼスらも有名である。


科学的方法[編集]

イブン・アル・ハイサムは経験知や実験観察を重視し、そこから帰納法的な推論を用いて理論を打ち立てた最初期の科学者である。彼の手法(科学的方法)は、彼の著作に学んだロジャー・ベーコンヨハネス・ケプラーらに受け継がれた。

近代西洋科学の基礎[編集]

これらのアラビア科学の成果は、12世紀以降にムスリムの手からキリスト教徒に再征服されたシチリアやイベリア半島においてラテン語への翻訳が進められ、近代ヨーロッパ科学の基礎を提供した。

また、この時代には数学・天文学の分野でオマル・ハイヤームなどの学者が活躍し、13世紀にはモンゴル帝国のもとで、イスラム科学の先端の天文学が中近東から中国へと伝えられた。








by kabu_kachan | 2019-09-12 22:57 | 科学 | Comments(0)

ノーベル賞とは何か(日本人はアホ民族である・その4)

日本人諸君、
日本人のノーベル賞受賞者の数は
何人か知っているかね?
今のところ(2018年まで)、27人だぜ。

わ~い、わ~いと喜ぶかね?
これをサルの糠喜びと言うんだぜ。

おい、アメリカ合衆国の
ノーベル賞受賞者の数を数えてみろ。

日本人がアホ民族であることがよくわかるだろ。
いいかね、アメリカ合衆国は英語の国だぜ。

Top 21 Countries Ranked By Nobel Laureates (1901 - 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=W6nALhlafxI

Top 20 Countries Ranked By Total Miss Worlds (1951 - 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=hNLajzlUcIc

アメリカ合衆国[編集]

  1. セオドア・ルーズベルト、平和賞、1906年
  2. アルバート・マイケルソン(当時プロイセン王国、現ポーランド)、物理学賞、1907年
  3. エリフ・ルート、平和賞、1912年
  4. セオドア・リチャーズ、化学賞、1914年
  5. ウッドロウ・ウィルソン、平和賞、1919年
  6. ロバート・ミリカン、物理学賞、1923年
  7. チャールズ・G・ドーズ、平和賞、1925年
  8. アーサー・コンプトン、物理学賞、1927年
  9. フランク・ケロッグ、平和賞、1929年
  10. シンクレア・ルイス、文学賞、1930年
  11. ジェーン・アダムズ、平和賞、1931年
  12. ニコラス・バトラー、平和賞、1931年
  13. アーヴィング・ラングミュア、化学賞、1932年
  14. トーマス・ハント・モーガン、生理学・医学賞、1933年
  15. ハロルド・ユーリー、化学賞、1934年
  16. ジョージ・H・ウィップル、生理学・医学賞、1934年
  17. ジョージ・リチャーズ・マイノット、生理学・医学賞、1934年
  18. ウィリアム・P・マーフィ、生理学・医学賞、1934年
  19. カール・デイヴィッド・アンダーソン、物理学賞、1936年
  20. ユージン・オニール、文学賞、1936年
  21. クリントン・デイヴィソン、物理学賞、1937年
  22. パール・S・バック、文学賞、1938年
  23. アーネスト・ローレンス、物理学賞、1939年
  24. オットー・シュテルンドイツ、化学賞、1943年
  25. エドワード・アダルバート・ドイジー、生理学・医学賞、1943年
  26. イジドール・イザーク・ラービ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現ポーランド)、物理学賞、1944年
  27. ジョセフ・アーランガー、生理学・医学賞、1944年
  28. ハーバート・ガッサー、生理学・医学賞、1944年
  29. コーデル・ハル、平和賞、1945年
  30. パーシー・ブリッジマン、物理学賞、1946年
  31. ジェームズ・サムナー、化学賞、1946年
  32. ジョン・ノースロップ、化学賞、1946年
  33. ウェンデル・スタンリー、化学賞、1946年
  34. ハーマン・J・マラー、生理学・医学賞、1946年
  35. エミリー・グリーン・ボルチ、平和賞、1946年
  36. ジョン・モット、平和賞、1946年
  37. カール・コリ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現チェコ)、生理学・医学賞、1947年
  38. ゲルティー・コリ(当時オーストリア・ハンガリー帝国、現チェコ)、生理学・医学賞、1947年
  39. ウイリアム・ジオークカナダ、化学賞、1949年
  40. ウィリアム・フォークナー、文学賞、1949年
  41. エドワード・カルビン・ケンダル、生理学・医学賞、1950年
  42. フィリップ・ショウォルター・ヘンチ、生理学・医学賞、1950年
  43. ラルフ・バンチ、平和賞、1950年(アフリカ系アメリカ人初の受賞者)
  44. エドウィン・マクミラン、化学賞、1951年
  45. グレン・シーボーグ、化学賞、1951年
  46. フェリクス・ブロッホスイス、物理学賞、1952年
  47. エドワード・ミルズ・パーセルスイス、物理学賞、1952年
  48. セルマン・ワクスマンウクライナ、生理学・医学賞、1952年
  49. フリッツ・アルベルト・リップマン(当時ドイツ帝国、現ロシア)、生理学・医学賞、1953年
  50. ジョージ・C・マーシャル、平和賞、1953年
  51. ライナス・ポーリング、化学賞、1954年、平和賞、1962年
  52. ジョン・フランクリン・エンダース、生理学・医学賞、1954年
  53. トーマス・ハックル・ウェーラー、生理学・医学賞、1954年
  54. フレデリック・チャップマン・ロビンス、生理学・医学賞、1954年
  55. アーネスト・ヘミングウェイ、文学賞、1954年
  56. ウィリス・ラム、物理学賞、1955年
  57. ポリカプ・クッシュドイツ、物理学賞、1955年
  58. ヴィンセント・デュ・ヴィニョー、化学賞、1955年
  59. ウィリアム・ショックレー、物理学賞、1956年
  60. ジョン・バーディーン、物理学賞、1956年、1972年
  61. ウォルター・ブラッテン、物理学賞、1956年
  62. アンドレ・フレデリック・クルナンフランス、生理学・医学賞、1956年
  63. ディキソン・W・リチャーズ、生理学・医学賞、1956年
  64. 李政道当時中華民国、物理学賞、1957年
  65. 楊振寧当時中華民国、物理学賞、1957年
  66. ジョージ・ウェルズ・ビードル、生理学・医学賞、1958年
  67. エドワード・ローリー・タータム、生理学・医学賞、1958年
  68. ジョシュア・レダーバーグ、生理学・医学賞、1958年
  69. エミリオ・セグレイタリア、物理学賞、1959年
  70. オーウェン・チェンバレン、物理学賞、1959年
  71. セベロ・オチョアスペイン、生理学・医学賞、1959年
  72. アーサー・コーンバーグ、生理学・医学賞、1959年
  73. ドナルド・グレーザー、物理学賞、1960年
  74. ウィラード・リビー、化学賞、1960年
  75. ロバート・ホフスタッター、物理学賞、1961年
  76. メルヴィン・カルヴィン、化学賞、1961年
  77. ゲオルク・フォン・ベーケーシハンガリー、生理学・医学賞、1961年
  78. ジェームズ・ワトソン、生理学・医学賞、1962年
  79. ジョン・スタインベック、文学賞、1962年
  80. ユージン・ウィグナーハンガリー、物理学賞、1963年
  81. マリア・ゲッパート=メイヤー当時ドイツ帝国、現ポーランド、物理学賞、1963年
  82. チャールズ・タウンズ、物理学賞、1964年
  83. コンラート・ブロッホドイツ、生理学・医学賞、1964年
  84. マーティン・ルーサー・キング、平和賞、1964年
  85. ジュリアン・シュウィンガー、物理学賞、1965年
  86. リチャード・P・ファインマン、物理学賞、1965年
  87. ロバート・バーンズ・ウッドワード、化学賞、1965年
  88. ロバート・マリケン、化学賞、1966年
  89. ペイトン・ラウス、生理学・医学賞、1966年
  90. チャールズ・ブレントン・ハギンズカナダ、生理学・医学賞、1966年
  91. ハンス・ベーテ(当時ドイツ帝国、現フランス)、物理学賞、1967年
  92. ハルダン・ケファー・ハートライン、生理学・医学賞、1967年
  93. ジョージ・ワルド、生理学・医学賞、1967年
  94. ルイ・アルヴァレ、物理学賞、1968年
  95. ラルス・オンサーガーノルウェー、化学賞、1968年
  96. ロバート・W・ホリー、生理学・医学賞、1968年
  97. ハー・ゴビンド・コラナインド、生理学・医学賞、1968年
  98. マーシャル・ニーレンバーグ、生理学・医学賞、1968年
  99. マレー・ゲルマン、物理学賞、1969年
  100. マックス・デルブリュックドイツ、生理学・医学賞、1969年
  101. アルフレッド・ハーシー、生理学・医学賞、1969年
  102. サルバドール・エドワード・ルリアイタリア、生理学・医学賞、1969年
  103. ジュリアス・アクセルロッド、生理学・医学賞、1970年
  104. ノーマン・ボーローグ、平和賞、1970年
  105. ポール・サミュエルソン、経済学賞、1970年
  106. エール・サザランド、生理学・医学賞、1971年
  107. サイモン・クズネッツ(当時ロシア帝国、現ウクライナ)、経済学賞、1971年
  108. レオン・クーパー、物理学賞、1972年
  109. ジョン・ロバート・シュリーファー、物理学賞、1972年
  110. クリスチャン・アンフィンセン、化学賞、1972年
  111. スタンフォード・ムーア、化学賞、1972年
  112. ウィリアム・スタイン、化学賞、1972年
  113. ジェラルド・モーリス・エデルマン、生理学・医学賞、1972年
  114. ケネス・アロー、経済学賞、1972年
  115. アイヴァー・ジェーバーノルウェー、物理学賞、1973年
  116. ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(当時ワイマール共和国、現ドイツ)、平和賞、1973年
  117. ワシリー・レオンチェフソビエト連邦、経済学賞、1973年
  118. ポール・フローリー、化学賞、1974年
  119. ジョージ・エミール・パラーデルーマニア、生理学・医学賞、1974年
  120. レオ・ジェームス・レインウォーター、物理学賞、1975年
  121. デビッド・ボルティモア、生理学・医学賞、1975年
  122. レナト・ドゥルベッコイタリア、生理学・医学賞、1975年
  123. ハワード・マーティン・テミン、生理学・医学賞、1975年
  124. チャリング・クープマンスオランダ、経済学賞、1975年
  125. バートン・リヒター、物理学賞、1976年
  126. サミュエル・ティン、物理学賞、1976年
  127. ウィリアム・リプスコム、化学賞、1976年
  128. バルーク・サミュエル・ブランバーグ、生理学・医学賞、1976年
  129. ダニエル・カールトン・ガジュセック、生理学・医学賞、1976年
  130. ソール・ベローカナダ、文学賞、1976年
  131. ミルトン・フリードマン、経済学賞、1976年
  132. フィリップ・アンダーソン、物理学賞、1977年
  133. ジョン・ヴァン・ヴレック、物理学賞、1977年
  134. ロジャー・ギレミンフランス、生理学・医学賞、1977年
  135. アンドリュー・ウィクター・シャリー(当時ポーランド、現リトアニア)、生理学・医学賞、1977年
  136. ロザリン・ヤロー、生理学・医学賞、1977年
  137. アーノ・ペンジアスドイツ、物理学賞、1978年
  138. ロバート・W・ウィルソン、物理学賞、1978年
  139. ダニエル・ネイサンズ、生理学・医学賞、1978年
  140. ハミルトン・スミス、生理学・医学賞、1978年
  141. アイザック・バシェヴィス・シンガー(当時ロシア領ポーランド)、文学賞、1978年
  142. ハーバート・サイモン、経済学賞、1978年
  143. シェルドン・グラショー、物理学賞、1979年
  144. スティーヴン・ワインバーグ、物理学賞、1979年
  145. ハーバート・ブラウンイギリス、化学賞、1979年
  146. アラン・コーマック南アフリカ、生理学・医学賞、1979年
  147. セオドア・シュルツ、経済学賞、1979年
  148. ジェイムズ・クローニン、物理学賞、1980年
  149. ヴァル・フィッチ、物理学賞、1980年
  150. ポール・バーグ、化学賞、1980年
  151. ウォルター・ギルバート、化学賞、1980年
  152. バルフ・ベナセラフベネズエラ、生理学・医学賞、1980年
  153. ジョージ・スネル、生理学・医学賞、1980年
  154. チェスワフ・ミウォシュ(当時ポーランド、現リトアニア)、文学賞、1980年
  155. ローレンス・クライン、経済学賞、1980年
  156. ニコラス・ブルームバーゲンオランダ、物理学賞、1981年
  157. アーサー・ショーロー、物理学賞、1981年
  158. ロアルド・ホフマン(当時ポーランド、現ウクライナ)、化学賞、1981年
  159. ロジャー・スペリー、生理学・医学賞、1981年
  160. デビッド・ハンター・フーベルカナダ、生理学・医学賞、1981年
  161. ジェームズ・トービン、経済学賞、1981年
  162. ケネス・ウィルソン、物理学賞、1982年
  163. ジョージ・スティグラー、経済学賞、1982年
  164. スブラマニアン・チャンドラセカール(当時英領インド、現パキスタン)、物理学賞、1983年
  165. ウィリアム・ファウラー、物理学賞、1983年
  166. ヘンリー・タウベカナダ、化学賞、1983年
  167. バーバラ・マクリントック、生理学・医学賞、1983年
  168. ジェラール・ドブリューフランス、経済学賞、1983年
  169. ロバート・メリフィールド、化学賞、1984年
  170. ハーバート・ハウプトマン、化学賞、1985年
  171. ジェローム・カール、化学賞、1985年
  172. マイケル・ブラウン、生理学・医学賞、1985年
  173. ジョーゼフ・ゴールドスタイン、生理学・医学賞、1985年
  174. フランコ・モディリアーニイタリア、経済学賞、1985年
  175. ダドリー・ハーシュバック、化学賞、1986年
  176. 李遠哲中華民国、化学賞、1986年
  177. スタンリー・コーエン、生理学・医学賞、1986年
  178. リータ・レーヴィ=モンタルチーニイタリア、生理学・医学賞、1986年
  179. エリ・ヴィーゼルルーマニア、平和賞、1986年
  180. ジェームズ・M・ブキャナン、経済学賞、1986年
  181. ドナルド・クラム、化学賞、1987年
  182. チャールズ・ペダーセン当時大韓帝国、化学賞、1987年
  183. ヨシフ・ブロツキーロシア、文学賞、1987年
  184. ロバート・ソロー、経済学賞、1987年
  185. レオン・レーダーマン、物理学賞、1988年
  186. メルヴィン・シュワーツ、物理学賞、1988年
  187. ジャック・シュタインバーガードイツ、物理学賞、1988年
  188. ガートルード・エリオン、生理学・医学賞、1988年
  189. ジョージ・ヒッチングス、生理学・医学賞、1988年
  190. ノーマン・ラムゼー、物理学賞、1989年
  191. ハンス・デーメルトドイツ、物理学賞、1989年
  192. シドニー・アルトマンカナダ、化学賞、1989年
  193. トーマス・チェック、化学賞、1989年
  194. J・マイケル・ビショップ、生理学・医学賞、1989年
  195. ハロルド・ヴァーマス、生理学・医学賞、1989年
  196. ジェローム・アイザック・フリードマン、物理学賞、1990年
  197. ヘンリー・ケンドール、物理学賞、1990年
  198. イライアス・コーリー、化学賞、1990年
  199. ヨセフ・マレー、生理学・医学賞、1990年
  200. エドワード・ドナル・トーマス、生理学・医学賞、1990年
  201. ハリー・マーコウィッツ、経済学賞、1990年
  202. マートン・ミラー、経済学賞、1990年
  203. ウィリアム・シャープ、経済学賞、1990年
  204. ルドルフ・マーカスカナダ、化学賞、1992年
  205. エドモンド・フィッシャー当時中華民国、生理学・医学賞、1992年
  206. エドヴィン・クレープス、生理学・医学賞、1992年
  207. ゲーリー・ベッカー、経済学賞、1992年
  208. ラッセル・ハルス、物理学賞、1993年
  209. ジョゼフ・テイラー、物理学賞、1993年
  210. キャリー・マリス、化学賞、1993年
  211. フィリップ・シャープ、生理学・医学賞、1993年
  212. トニ・モリソン、文学賞、1993年
  213. ロバート・フォーゲル、経済学賞、1993年
  214. ダグラス・ノース、経済学賞、1993年
  215. クリフォード・シャル、物理学賞、1994年
  216. ジョージ・オラーハンガリー、化学賞、1994年
  217. アルフレッド・ギルマン、生理学・医学賞、1994年
  218. マーティン・ロッドベル、生理学・医学賞、1994年
  219. ジョン・ハーサニハンガリー、経済学賞、1994年
  220. ジョン・ナッシュ、経済学賞、1994年
  221. マーチン・パール、物理学賞、1995年
  222. フレデリック・ライネス、物理学賞、1995年
  223. マリオ・モリーナメキシコ、化学賞、1995年
  224. フランク・シャーウッド・ローランド、化学賞、1995年
  225. エドワード・ルイス、生理学・医学賞、1995年
  226. エリック・ヴィーシャウス、生理学・医学賞、1995年
  227. ロバート・ルーカス、経済学賞、1995年
  228. デビッド・リー、物理学賞、1996年
  229. ダグラス・D・オシェロフ、物理学賞、1996年
  230. ロバート・C・リチャードソン、物理学賞、1996年
  231. ロバート・カール、化学賞、1996年
  232. リチャード・スモーリー、化学賞、1996年
  233. ウィリアム・ヴィックリーカナダ、経済学賞、1996年
  234. スティーブン・チュー、物理学賞、1997年
  235. ウィリアム・ダニエル・フィリップス、物理学賞、1997年
  236. ポール・ボイヤー、化学賞、1997年
  237. スタンリー・B・プルシナー、生理学・医学賞、1997年
  238. ジョディ・ウィリアムズ、平和賞、1997年
  239. ロバート・マートン、経済学賞、1997年
  240. マイロン・ショールズカナダ、経済学賞、1997年
  241. ロバート・B・ラフリン、物理学賞、1998年
  242. ダニエル・ツイ当時中華民国、物理学賞、1998年
  243. ウォルター・コーンオーストリア、化学賞、1998年
  244. ロバート・ファーチゴット、生理学・医学賞、1998年
  245. ルイ・イグナロ、生理学・医学賞、1998年
  246. フェリド・ムラド、生理学・医学賞、1998年
  247. アハメッド・ズウェイルエジプト、化学賞、1999年
  248. ギュンター・ブローベル(当時ドイツ帝国、現ポーランド)、生理学・医学賞、1999年
  249. ジャック・キルビー、物理学賞、2000年
  250. アラン・ヒーガー、化学賞、2000年
  251. アラン・マクダイアミッドニュージーランド、化学賞、2000年
  252. ポール・グリーンガード、生理学・医学賞、2000年
  253. エリック・カンデルオーストリア、生理学・医学賞、2000年
  254. ジェームズ・ヘックマン、経済学賞、2000年
  255. ダニエル・マクファデン、経済学賞、2000年
  256. エリック・コーネル、物理学賞、2001年
  257. カール・ワイマン、物理学賞、2001年
  258. ウィリアム・ノールズ、化学賞、2001年
  259. バリー・シャープレス、化学賞、2001年
  260. リーランド・ハートウェル、生理学・医学賞、2001年
  261. ジョージ・アカロフ、経済学賞、2001年
  262. マイケル・スペンス、経済学賞、2001年
  263. ジョセフ・E・スティグリッツ、経済学賞、2001年
  264. レイモンド・デイビス、物理学賞、2002年
  265. リカルド・ジャコーニイタリア、物理学賞、2002年
  266. ジョン・フェン、化学賞、2002年
  267. ロバート・ホロビッツ、生理学・医学賞、2002年
  268. ジミー・カーター、平和賞、2002年
  269. ダニエル・カーネマン(当時イギリス領パレスチナ)、経済学賞、2002年
  270. バーノン・スミス、経済学賞、2002年
  271. アレクセイ・アブリコソフロシア、物理学賞、2003年
  272. アンソニー・レゲットイギリス、物理学賞、2003年
  273. ピーター・アグレ、化学賞、2003年
  274. ロデリック・マキノン、化学賞、2003年
  275. ポール・ラウターバー、生理学・医学賞、2003年
  276. ロバート・エングル、経済学賞、2003年
  277. デイビッド・グロス、物理学賞、2004年
  278. H. デビッド・ポリツァー、物理学賞、2004年
  279. フランク・ウィルチェック、物理学賞、2004年
  280. アーウィン・ローズ、化学賞、2004年
  281. リチャード・アクセル、生理学・医学賞、2004年
  282. リンダ・バック、生理学・医学賞、2004年
  283. エドワード・プレスコット、経済学賞、2004年
  284. ロイ・グラウバー、物理学賞、2005年
  285. ジョン・ホール、物理学賞、2005年
  286. ロバート・グラブス、化学賞、2005年
  287. リチャード・シュロック、化学賞、2005年
  288. ロバート・オーマンドイツ、経済学賞、2005年
  289. トーマス・シェリング、経済学賞、2005年
  290. ジョン・C・マザー、物理学賞、2006年
  291. ジョージ・スムート、物理学賞、2006年
  292. ロジャー・コーンバーグ、化学賞、2006年
  293. アンドリュー・ファイアー、生理学・医学賞、2006年
  294. クレイグ・メロー、生理学・医学賞、2006年
  295. エドムンド・フェルプス、経済学賞、2006年
  296. マリオ・カペッキイタリア、生理学・医学賞、2007年
  297. オリヴァー・スミティーズイギリス、生理学・医学賞、2007年
  298. アル・ゴア、平和賞、2007年
  299. レオニード・ハーヴィッツロシア、経済学賞、2007年
  300. エリック・マスキン、経済学賞、2007年
  301. ロジャー・マイヤーソン、経済学賞、2007年
  302. 南部陽一郎日本、物理学賞、2008年
  303. マーティン・チャルフィー、化学賞、2008年
  304. ロジャー・Y・チャン、化学賞、2008年
  305. ポール・クルーグマン、経済学賞、2008年
  306. チャールズ・K・カオ、物理学賞、2009年
  307. ウィラード・ボイル、物理学賞、2009年
  308. ジョージ・E・スミス、物理学賞、2009年
  309. エリザベス・H・ブラックバーン、生理学・医学賞、2009年
  310. キャロル・W・グライダー、生理学・医学賞、2009年
  311. ジャック・W・ショスタク、生理学・医学賞、2009年
  312. ヴェンカトラマン・ラマクリシュナン、化学賞、2009年
  313. トマス・A・スタイツ、化学賞、2009年
  314. バラク・フセイン・オバマ・ジュニア、平和賞、2009年
  315. エリノア・オストロム、経済学賞、2009年
  316. オリバー・ウィリアムソン、経済学賞、2009年
  317. リチャード・ヘック、化学賞、2010年
  318. ピーター・ダイアモンド、経済学賞、2010年
  319. デール・モーテンセン、経済学賞、2010年
  320. ブルース・ボイトラー、生理学・医学賞、2011年
  321. ソール・パールマッター、物理学賞、2011年
  322. アダム・リース、物理学賞、2011年
  323. ブライアン・P・シュミット、物理学賞、2011年
  324. トーマス・サージェント、経済学賞、2011年
  325. クリストファー・シムズ、経済学賞、2011年
  326. デービッド・ワインランド、物理学賞、2012年
  327. ロバート・レフコウィッツ、化学賞、2012年
  328. ブライアン・コビルカ、化学賞、2012年
  329. アルヴィン・ロス、経済学賞、2012年
  330. ロイド・シャープレー、経済学賞、2012年
  331. ランディ・シェクマン、生理学・医学賞、2013年
  332. ジェームズ・ロスマン、生理学・医学賞、2013年
  333. トーマス・スードフドイツ、生理学・医学賞、2013年
  334. マーティン・カープラスオーストリア、化学賞、2013年
  335. アリー・ウォーシェル(当時イギリス領パレスチナ)、化学賞、2013年
  336. マイケル・レヴィット南アフリカ連邦、化学賞、2013年
  337. ユージン・ファーマ、経済学賞、2013年
  338. ラース・ハンセン、経済学賞、2013年
  339. ロバート・シラー、経済学賞、2013年
  340. 中村修二日本、物理学賞、2014年
  341. ジョン・オキーフイギリス、生理学・医学賞、2014年
  342. エリック・ベツィグ、化学賞、2014年
  343. ウィリアム・モーナー、化学賞、2014年
  344. ウィリアム・セシル・キャンベルアイルランド、生理学・医学賞、2015年
  345. ポール・モドリッチ、化学賞、2015年
  346. アジズ・サンジャルトルコ、化学賞、2015年
  347. アンガス・ディートンイギリス、経済学賞、2015年
  348. デイヴィッド・J・サウレスイギリス、物理学賞、2016年
  349. ダンカン・ホールデンイギリス、物理学賞、2016年
  350. ジョン・M・コステリッツイギリス、物理学賞、2016年
  351. ボブ・ディラン、文学賞、2016年
  352. オリバー・ハートイギリス、経済学賞、2016年
  353. ジェフリー・ホール、生理学・医学賞、2017年
  354. マイケル・ロスバッシュ、生理学・医学賞、2017年
  355. マイケル・ヤング、生理学・医学賞、2017年
  356. レイナー・ワイスドイツ、物理学賞、2017年
  357. バリー・バリッシュ、物理学賞、2017年
  358. キップ・ソーン、物理学賞、2017年
  359. ヨアヒム・フランクドイツ、化学賞、2017年
  360. リチャード・セイラー、経済学賞、2017年
  361. ジェームズ・P・アリソン、生理学・医学賞、2018年
  362. アーサー・アシュキン、物理学賞、2018年
  363. フランシス・アーノルド、化学賞、2018年
  364. ジョージ・P・スミス、化学賞、2018年
  365. ウィリアム・ノードハウス、経済学賞、2018年
  366. ポール・ローマー、経済学賞、2018年





by kabu_kachan | 2019-09-10 21:02 | 科学 | Comments(3)

科学とは何か(代数学の歴史)

いいかね、日本人諸君、

中世ヨーロッパの大学では、
500年間にわたって、
アラビア数学が教えられていたんだぜ。

Science and Islam, Jim Al-Khalili - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=chEjJ5uYlSs

algebra という語はアラビア語al-jabr (アラビア文字表記:الجبر、"reunion of broken parts"(バラバラのものの再結合)[2])に由来し、近代代数学はアラビア数学から発展したもので、その起源を遡ると古代インドの数学にたどり着く。9世紀のバグダードの数学者アル=フワーリズミーが著作した 『イルム・アル・ジャブル・ワル・ムカバラ("Ilm al-jabr wa'l-muqabalah")(約分と消約との学=The science of reduction and cancellation)』(820年)を、チェスターのロバート(あるいはバースのアデラード) )が、"Liber algebrae et almucabala"としてラテン語に翻訳した。この書によってフワーリズミーは代数学を幾何学算術から独立した一分野として確立した[3]。これが後500年間にわたってヨーロッパの大学で教えられたという。al-jabr は、アラビア語では「al」(: ال‎)が定冠詞、「jabr」(: جبر‎)が「バラバラのものを再結合する」「移項する」という意味であることから、インド数学のことである。それ以前にフワーリズミーはインドの数学から学んだことを『インドの数の計算法』として著し、イスラム世界に広めた[4][5]。これは二次方程式四則演算十進法0などの内容でラテン語に翻訳され、著者の名は「アルゴリズム」の語源であるといわれている。

代数学の起源は古代バビロニアとされており[6]、古代バビロニア人はアルゴリズム的に計算する高度な算術的体系を生み出した。古代バビロニア人は、今日一次方程式二次方程式不定一次方程式を使って解くような問題を計算するための公式を開発した。一方同時代(紀元前1千年紀)のエジプトやギリシアや中国では、そのような問題は幾何学的に解かれていた。例えば、「リンド数学パピルス」、ユークリッドの『原論』、『九章算術』などである。『原論』に代表される古代ギリシアにおける幾何学では、個別の問題を解くだけでなくより一般化した解法の枠組みを提供していたが、それが代数学へと発展するには中世アラビア数学がヨーロッパに紹介されるのを待つ必要があった。





by kabu_kachan | 2019-09-08 09:23 | 科学 | Comments(1)